コズミック・ジョーカーズ The Cosmic Jokers - コズミック・ジョーカーズ The Cosmic Jokers (Kosmische, 1974) Full Album : https://youtu.be/ZzJhoAXLmjM
Recorded at The Studio Dierks, Stommein by Dieter Dierks, February-May 1973
Released by Metronome Records GmbH, Die Kosmischen Kuriere KM58.008, 1974
Musik von Dierks, Dollase, Gottsching, Grosskopf, Schulze
(Seite 1)
A1. Galactic Joke - 22:38
(Seite 2)
B1. Cosmic Joy - 19:24
[ Personnel ]
Manuel Gottsching - guitar
Dieter Dierks - recording, synthesizer
Jurgen Dollase - piano, organ
Harald Grosskopf - drums, percussion
Klaus Schulze - electronics, percussion
*
(Original Kosmische Musik "The Cosmic Jokers" LP Liner Cover & Seite 1/2 Label)
ヴァルター・ウェグミュラーの『タロット』'73('72年12月録音)、ゼルギウス・ゴロヴィンの『ロード・クリシュナ・フォン・ゴロカ』'73('72年~'73年録音)に続いてOhr/Pilz/Kosmische Musikの3レーベルのオーナー、ロルフ=ウルリッヒ・カイザーが企画したのが、先の2作では参加していた男性フォーク・デュオのヴィットゥーザー&ヴェストルップを外しアシュ・ラ・テンペル組(マニュエル・ゲッチングとクラウス・シュルツェ)、ヴァレンシュタイン組(ユルゲン・ドラゼとハラルド・グロスコフ)にレコーディング・エンジニアのディーター・ダークスもミュージシャンとして参加し、前2作(LSD学者ティモシー・リアリーをフィーチャーしたアシュ・ラ・テンペルの『セヴン・アップ』から数えれば3作)の文化人シリーズではなく、ミュージシャンズ・オンリーのスペース・ロック・セッションのアルバムを作ることでした。となるとフォーク・デュオのW&Wのメンバーは不要で、前2作でベースを弾いていたヴァレンシュタインのジェリー・バーカーズは脱退直後、アシュ・ラ・テンペルのヘルトムート・エンケは『タロット』で顔だけ出してこの手のセッションは不向きだったようで、バンドには'73年2月のライヴまでは在籍していましたが20歳にして引退してしまいますから、初めから参加の話はなかったのでしょう。'73年2月~3月に行われたセッションからは『コズミック・ジョーカーズ』と『ギャラクティック・スーパーマーケット』'74の2作の完成度の高いアルバムと、その2作のアルバムのセッションからの未発表部分を編集した『プラネテン・シット・イン(Planeten Sit-In)』'74、同様にKosmische Musikレーベルのサンプラー・アルバムとして編集された『サイ・ファイ・パーティ(Sci Fi Party)』'74、上記4枚からのリミックス/コンピレーション・アルバム『ジルズ・ツァイツシフ(Gilles Zeitschiff)』'74の5作が作られました。本来アルバム2枚分のセッションからさらに3枚のアルバムを捻出したことになりますが、アモン・デュールなどもフル・メンバーの唯一のデビュー作『Psychedelic Underground』'69制作のセッションから第2作『Collapsing/Singvogel Ruckwarts & Co.』、バンド消滅後に2枚組アルバム『Disaster』'72、さらに2枚組アルバム『Experimente』'83が発掘されているので、デビュー作のセッションからアルバム6枚分の音源が発表されているほどです。
楽器のプロ・ミュージシャンがいなかった特異なヒッピー集団アモン・デュールと違って、コズミック・ジョーカーズのメンバーはこの頃にはドイツのアンダーグラウンド・シーン屈指のミュージシャンたちですが、集団即興で即興作曲によるセッションを行ったのは細かな手法こそ違え同様なので、アモン・デュールは曲を通して演奏する能力がなかったので、即興断片を無数に録音してつなぎ合わせる手法でしたが、コズミック・ジョーカーズの場合はソロイストやリーダー・ミュージシャンを決めて長い即興作曲の演奏を録音し、ミキシングと編集で構成し直す手法を取っています。アルバムとして完成されたのは『コズミック・ジョーカーズ』と『ギャラクティック・スーパーマーケット』の2作ですが、ずばり『コズミック・ジョーカーズ』はマニュエル・ゲッチングのリード・ギターが引っ張るアシュ・ラ・テンペル延長線上のアルバム、そして『ギャラクティック・スーパーマーケット』は一旦アシュ・ラ・テンペルを抜けてソロ活動を始め『イルリヒト』'72を発表したあとの第2作『サイボーグ』'73('73年2月~7月録音)制作開始と重なっているバンド編成によるシュルツェがリーダーのロック・アルバムと言えるもので、'73年はシュルツェは'72年12月録音のアシュ・ラ・テンペルのアルバム『ジョイン・イン』'73に復帰参加したあと'73年中はアシュ・ラ・テンペルのライヴ・メンバーとして過ごし、ソロ活動復帰は『ブラックダンス』'74('74年5月録音)、『ピクチャー・ミュージック』'75('74年秋録音)になりますので、『タロット』『ロード・クリシュナ・フォン・ゴロカ』を含む7作のコズミック・ジョーカーズ作品は、『タロット』と同時録音されたアシュ・ラ・テンペルの『ジョイン・イン』(と'73年2月のシュルツェ参加のケルン公演ライヴ)とともに、第2作『サイボーグ』と第4作『ブラックダンス』の間を埋める貴重なアルバムになります。本作はゲッチングのスペーシーなギターをヴァレンシュタイン組のがっしりしたリズムと和声が支え、シュルツェが自在に空間を演出するかっこいいロック・アルバムで、次作はシュルツェがリーダーのアルバムになるだけにメンバー間の相性の好さが伝わるのがコズミック・ジョーカーズの良さでしょう。
Recorded at The Studio Dierks, Stommein by Dieter Dierks, February-May 1973
Released by Metronome Records GmbH, Die Kosmischen Kuriere KM58.008, 1974
Musik von Dierks, Dollase, Gottsching, Grosskopf, Schulze
(Seite 1)
A1. Galactic Joke - 22:38
(Seite 2)
B1. Cosmic Joy - 19:24
[ Personnel ]
Manuel Gottsching - guitar
Dieter Dierks - recording, synthesizer
Jurgen Dollase - piano, organ
Harald Grosskopf - drums, percussion
Klaus Schulze - electronics, percussion
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(Original Kosmische Musik "The Cosmic Jokers" LP Liner Cover & Seite 1/2 Label)
ヴァルター・ウェグミュラーの『タロット』'73('72年12月録音)、ゼルギウス・ゴロヴィンの『ロード・クリシュナ・フォン・ゴロカ』'73('72年~'73年録音)に続いてOhr/Pilz/Kosmische Musikの3レーベルのオーナー、ロルフ=ウルリッヒ・カイザーが企画したのが、先の2作では参加していた男性フォーク・デュオのヴィットゥーザー&ヴェストルップを外しアシュ・ラ・テンペル組(マニュエル・ゲッチングとクラウス・シュルツェ)、ヴァレンシュタイン組(ユルゲン・ドラゼとハラルド・グロスコフ)にレコーディング・エンジニアのディーター・ダークスもミュージシャンとして参加し、前2作(LSD学者ティモシー・リアリーをフィーチャーしたアシュ・ラ・テンペルの『セヴン・アップ』から数えれば3作)の文化人シリーズではなく、ミュージシャンズ・オンリーのスペース・ロック・セッションのアルバムを作ることでした。となるとフォーク・デュオのW&Wのメンバーは不要で、前2作でベースを弾いていたヴァレンシュタインのジェリー・バーカーズは脱退直後、アシュ・ラ・テンペルのヘルトムート・エンケは『タロット』で顔だけ出してこの手のセッションは不向きだったようで、バンドには'73年2月のライヴまでは在籍していましたが20歳にして引退してしまいますから、初めから参加の話はなかったのでしょう。'73年2月~3月に行われたセッションからは『コズミック・ジョーカーズ』と『ギャラクティック・スーパーマーケット』'74の2作の完成度の高いアルバムと、その2作のアルバムのセッションからの未発表部分を編集した『プラネテン・シット・イン(Planeten Sit-In)』'74、同様にKosmische Musikレーベルのサンプラー・アルバムとして編集された『サイ・ファイ・パーティ(Sci Fi Party)』'74、上記4枚からのリミックス/コンピレーション・アルバム『ジルズ・ツァイツシフ(Gilles Zeitschiff)』'74の5作が作られました。本来アルバム2枚分のセッションからさらに3枚のアルバムを捻出したことになりますが、アモン・デュールなどもフル・メンバーの唯一のデビュー作『Psychedelic Underground』'69制作のセッションから第2作『Collapsing/Singvogel Ruckwarts & Co.』、バンド消滅後に2枚組アルバム『Disaster』'72、さらに2枚組アルバム『Experimente』'83が発掘されているので、デビュー作のセッションからアルバム6枚分の音源が発表されているほどです。
楽器のプロ・ミュージシャンがいなかった特異なヒッピー集団アモン・デュールと違って、コズミック・ジョーカーズのメンバーはこの頃にはドイツのアンダーグラウンド・シーン屈指のミュージシャンたちですが、集団即興で即興作曲によるセッションを行ったのは細かな手法こそ違え同様なので、アモン・デュールは曲を通して演奏する能力がなかったので、即興断片を無数に録音してつなぎ合わせる手法でしたが、コズミック・ジョーカーズの場合はソロイストやリーダー・ミュージシャンを決めて長い即興作曲の演奏を録音し、ミキシングと編集で構成し直す手法を取っています。アルバムとして完成されたのは『コズミック・ジョーカーズ』と『ギャラクティック・スーパーマーケット』の2作ですが、ずばり『コズミック・ジョーカーズ』はマニュエル・ゲッチングのリード・ギターが引っ張るアシュ・ラ・テンペル延長線上のアルバム、そして『ギャラクティック・スーパーマーケット』は一旦アシュ・ラ・テンペルを抜けてソロ活動を始め『イルリヒト』'72を発表したあとの第2作『サイボーグ』'73('73年2月~7月録音)制作開始と重なっているバンド編成によるシュルツェがリーダーのロック・アルバムと言えるもので、'73年はシュルツェは'72年12月録音のアシュ・ラ・テンペルのアルバム『ジョイン・イン』'73に復帰参加したあと'73年中はアシュ・ラ・テンペルのライヴ・メンバーとして過ごし、ソロ活動復帰は『ブラックダンス』'74('74年5月録音)、『ピクチャー・ミュージック』'75('74年秋録音)になりますので、『タロット』『ロード・クリシュナ・フォン・ゴロカ』を含む7作のコズミック・ジョーカーズ作品は、『タロット』と同時録音されたアシュ・ラ・テンペルの『ジョイン・イン』(と'73年2月のシュルツェ参加のケルン公演ライヴ)とともに、第2作『サイボーグ』と第4作『ブラックダンス』の間を埋める貴重なアルバムになります。本作はゲッチングのスペーシーなギターをヴァレンシュタイン組のがっしりしたリズムと和声が支え、シュルツェが自在に空間を演出するかっこいいロック・アルバムで、次作はシュルツェがリーダーのアルバムになるだけにメンバー間の相性の好さが伝わるのがコズミック・ジョーカーズの良さでしょう。