(Manuel Gottsching: Private Tapes, Vol.6)
Recorded in Bern, Switzerland, September 10, 1971
Reissued Released by Seidr Records Seidr 020, 2006
Originally Released by Manikin Records as "Manuel Gottsching: Private Tapes" Vol.6(MRCD 7016), 1996
(Tracklist)
1. Ein Wurdiger Abschluss - 54:16
[ Personnel ]
Manuel Gottsching - guitar, vocals, electronics
Hartmut Enke - bass
Klaus Schulze - drums, percussion, electronics
*
(Originally Manikin "Manuel Gottsching: Private Tapes, Vol.6" CD Liner Cover & CD Label)
このスイスの首都ベルンでのライヴも1時1時間というのはおそらくメドレー式に2、3曲で1時間の持ち時間が即興演奏中に止まらなくなって1時間1曲になってしまったと思われるので、ぶっ飛んで演奏しているゲッチングとエンケの即興を楽曲らしい演奏の流れにリードしているのはシュルツェのバンド・ドラマー時代の確かな、しかもスタジオ録音アルバムの演奏をはるかに凌駕する演奏力です。この時期のアシュ・ラ・テンペルは猪突猛進するエイト・ビートで、それを暴走するギターとベースの即興演奏に1曲30分~1時間エイト・ビートを正確なタイム感で猛プッシュし、楽曲らしい起伏に富んだ展開にコーディネートするシュルツェの力量は、19歳のゲッチングとエンケと5歳年上のシュルツェの実力差を感じさせるもので、スタジオ録音アルバムではシュルツェはゲッチングとエンケを立てて一歩引いていたのもわかります。エンケの脱退とともにゲッチングはクリーンになり改名したアシュ・ラではサイケデリックからエレクトロニクス・ミュージックに方向転換し、一方エンケは逝去まで重度の薬物性精神疾患から精神病院に入退院をくり返し、2,000年限定のアシュ・ラ・テンペル再結成アルバム『Friendship』,ライヴ盤『Gin Rose at the Royal Festival Hall』もゲッチングとシュルツェだけのデュオ再結成結成でしたが、ゲッチングの成長によって互角の好アルバムになりました。しかし'71年と'73年のシュルツェ参加のアシュ・ラ・テンペルはエンケの存在によって異形のヘヴィな地獄サイケデリック・ロックになっており、この時期のアシュ・ラ・テンペルでしか聴けない音楽でもあります。
Recorded in Bern, Switzerland, September 10, 1971
Reissued Released by Seidr Records Seidr 020, 2006
Originally Released by Manikin Records as "Manuel Gottsching: Private Tapes" Vol.6(MRCD 7016), 1996
(Tracklist)
1. Ein Wurdiger Abschluss - 54:16
[ Personnel ]
Manuel Gottsching - guitar, vocals, electronics
Hartmut Enke - bass
Klaus Schulze - drums, percussion, electronics
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(Originally Manikin "Manuel Gottsching: Private Tapes, Vol.6" CD Liner Cover & CD Label)
このスイスの首都ベルンでのライヴも1時1時間というのはおそらくメドレー式に2、3曲で1時間の持ち時間が即興演奏中に止まらなくなって1時間1曲になってしまったと思われるので、ぶっ飛んで演奏しているゲッチングとエンケの即興を楽曲らしい演奏の流れにリードしているのはシュルツェのバンド・ドラマー時代の確かな、しかもスタジオ録音アルバムの演奏をはるかに凌駕する演奏力です。この時期のアシュ・ラ・テンペルは猪突猛進するエイト・ビートで、それを暴走するギターとベースの即興演奏に1曲30分~1時間エイト・ビートを正確なタイム感で猛プッシュし、楽曲らしい起伏に富んだ展開にコーディネートするシュルツェの力量は、19歳のゲッチングとエンケと5歳年上のシュルツェの実力差を感じさせるもので、スタジオ録音アルバムではシュルツェはゲッチングとエンケを立てて一歩引いていたのもわかります。エンケの脱退とともにゲッチングはクリーンになり改名したアシュ・ラではサイケデリックからエレクトロニクス・ミュージックに方向転換し、一方エンケは逝去まで重度の薬物性精神疾患から精神病院に入退院をくり返し、2,000年限定のアシュ・ラ・テンペル再結成アルバム『Friendship』,ライヴ盤『Gin Rose at the Royal Festival Hall』もゲッチングとシュルツェだけのデュオ再結成結成でしたが、ゲッチングの成長によって互角の好アルバムになりました。しかし'71年と'73年のシュルツェ参加のアシュ・ラ・テンペルはエンケの存在によって異形のヘヴィな地獄サイケデリック・ロックになっており、この時期のアシュ・ラ・テンペルでしか聴けない音楽でもあります。