第3回の3作でボックスセット『ホラー映画傑作集~フランケンシュタインvs狼男』収録の9作の感想文は一段落となります。まだこのあと『ドラキュラvsミイラ男』『ゾンビの世界』(各10枚組)が控えているので1/3にも達しませんし、今回のフランケンシュタイン・シリーズ第5作かつ狼男シリーズ第2作『フランケンシュタインと狼男』'43に続くフランケンシュタイン・シリーズ第6作かつ狼男シリーズ第3作『フランケンシュタインの館』'44はドラキュラ・シリーズ第4作でもありますし、『ドラキュラvsミイラ男』の巻の方に収録されている『ドラキュラとせむし女』'45はドラキュラ・シリーズ第5作かつフランケンシュタイン・シリーズ第7作かつ狼男シリーズ第4作でもあります。『フランケンシュタインの館』などは本国版ポスターに「フランケンシュタインの怪物!狼男!ドラキュラ!せむし男!マッド・ドクター!」と謳っているほどで、ちなみにフランケンシュタインの怪物、ドラキュラ、狼男のシリーズ最終作は揃って喜劇コンビのアボット&コステロ主演のパロディ・コメディ映画『凸凹フランケンシュタインの巻』'48になります。同作撮影終了1か月後にロン・チェイニーJr.はホラー映画の将来を悲観して自殺未遂を起こしましたが、晩年までホラー映画や西部劇に細々と出演を続けました。『真昼の決闘』'52や『見知らぬ人でなく』'55など一流作品にも出ていれば怪作『死霊の盆踊り』'65にも出ているといった具合で、名優の父ロン・チェイニーより長命だった分キャリアの衰勢も激しかった俳優でした。フランケンシュタイン・シリーズは前々作の『フランケンシュタインの復活』'39と、その続編をなす前作の第4作『フランケンシュタインの幽霊』'42まではともかく、『フランケンシュタインと狼男』からは狼男が主役のシリーズになっていきますし、狼男も第1作『狼男』'41は単独作品としては名作として『フランケンシュタインと狼男』になると実は銀器でも死なない不死の怪物だったのが判明し、泥仕合の様相を体してきます。それでも脚本が『狼男』のオリジナル脚本家のカート・シオドマクなのでなかなか面白い映画になっているのはさすがです。また『謎の狼女』'46は原題(『She-Wolf of London』)の通りユニヴァーサル・ホラー初の狼男映画『倫敦の人狼(Werewolf of London)』'35と対をなす作品として作られ、今度はロンドンの狼女、という趣向で人狼症伝承自体を映画のトリックに使ったミステリー作品で、これも期待しないで観て案外楽しめるタイプの小品です。――なお今回も作品解説文はボックス・セットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、アメリカ本国公開年月日を添えました。
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●10月7日(日)
『フランケンシュタインと狼男』Frankenstein Meets The Wolf Man (Universal Pictures'43)*73min, B/W; アメリカ公開'43年3月5日
監督 : ロイ・ウィリアム・ニール
主演 : ロン・チェイニー・Jr、ベラ・ルゴシ、イオナ・マッセー
・フランケンシュタインシリーズの5作目。1941年に製作された「狼男」の続編でもある。墓荒らしの手で蘇った狼男。彼は自らの生を断とうとするが……。2大モンスターが共演したエンターテイメント性の高い作品。
これも『狼男』と前作『フランケンシュタインと狼男』を手がけたカート・シオドマク脚本ですから、監督・プロデューサーは毎回交代しているこの3作はロン・チェイニーJr.主演、カート・シオドマク脚本の三部作と言っていいもので、しかも今回際立っているのは狼男のJr.と並ぶ主役がフランケンシュタイン・シリーズ初の悪意あるマッド・ドクター、ニーマン博士が物語上の主役を堂々と勤めていることでしょう。これまでもプレトリウス博士(『フランケンシュタインの花嫁』)は科学至上主義の無邪気なマッド・ドクターでしたし、初代の故フランケンシュタイン博士の長男・次男に怪物の蘇生を依頼するせむし男イーゴリ(『復活』『幽霊』)という悪党はいましたが、ニーマン博士ほど科学者自身が悪意ある目的をもって怪物の蘇生に取り組むのは初めてです。映画は獄中のニーマン博士(ボリス・カーロフ!)が看守から新しいチョークを受け取り、壁にチョークで数式を書いて隣牢のせむし男ダニエル(J・キャロル・ナッシュ)に講義を続ける場面から始まります。看守が去るとダニエルは窓の格子の切断にいそしみ、ニーマン博士は脱獄後はフランケンシュタイン博士の研究資料の調査と、協力の代償にダニエルの身体を科学的に作り変えるのを約束します。脱獄した二人は本物のドラキュラの死骸を見世物にしているという見世物師ランピーニの馬車に拾われ、旅程はヴァサリア村は外す、あそこは怪物の一件以来怪奇ものの見世物は嫌がる村だからと聞くと、いやヴァサリアに行くのだ、とダニエルにランピーニと馬車の御者を殺させ、ニーマン博士がランピーニ、ダニエルが御者になりかわってヴァサリア村に向かいます。途中ニーマン博士を人体実験で告発し投獄したハスマン村長の村にさしかかったニーマン博士は、骸骨の胸の杭を抜いてドラキュラ(ジョン・キャラダイン)を復活させ、ハスマン村長の娘を襲わせハスマン村長を殺させますが、逃亡中馬車から棺は転げ落ちて太陽光を浴びたドラキュラは死にます。ヴァサリア村に着いたニーマン博士とダニエルは村人たちに迫害されていたジプシー娘イオンカ(エレナ・ヴァーディゴ)を助けて案内役を頼み、ダニエルはイオンカに恋します。やがて凍りついたフランケンシュタインの怪物(今回はグレン・ストレンジ)と狼男を見つけたニーマン博士は彼らを解凍します。狼男ラリーはまた死ねなかったのかと嘆き、ニーマン博士は不死の能力を除去する約束をしますが、博士の狙いは怪物と狼男を利用してなお2人の相手の復讐を遂げることでした。ニーマン博士は怪物と狼男を意のままに操る方法を探ります。その間にもラリーは狼化して凶行を起こし村をパニックに陥れます。一方イオンカはラリーを慕うようになり、嫉妬したダニエルはラリーが狼男であると教えますが、ラリーもイオンカにそれを認め、不死の病を負った自分は愛する者の銀の銃弾でしか死ねない、とつぶやきます。ついにニーマン博士がフランケンシュタインの怪物の蘇生に成功した時、狼男に変化したラリーはイオンカを襲う怪物を押さえこみますが、凶暴化は治まらずイオンカに向かいます。瀕死のイオンカは用意してあった銀の銃弾を詰めた銃で狼男を撃ち、イオンカとラリーは同時に絶命します。ニーマン博士は緊急に狼男の身体に怪物の脳髄を移植し、怪物には新たに脳を用意しようと決めますが、せむし男のダニエルはラリーの身体に自分の脳を移植してくれと懇願し格闘になります。怪物がダニエルを窓から投げ出し、気絶したニーマン博士をつかんで館から逃げ出します。騒ぎに気づいた村人たちが草原を焼き払ってフランケンシュタインの怪物を追い詰め、ニーマン博士は底なし沼近くで意識が戻りますが怪物は底なし沼に突進し、ニーマン博士をつかんだまま怪物とマッド・ドクターは流砂の底なし沼に完全に沈んでいきます。
――と、本作の次のフランケンシュタインの怪物&狼男ものはジョン・キャラダイン演じるドラキュラが主役の『ドラキュラとせむし女』House of Dracula (Universal Pictures'45)になりますし、その次の怪物、狼男、ドラキュラ出演作はアボット&コステロ主演のコメディ『凸凹フランケンシュタインの巻』Abbott and Costello Meet Frankenstein (Universal Pictures'48)で製作費79万2,000ドル、興行収入320万ドルの大ヒット作になった同作がフランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男の3シリーズ全部の最終作ですから、フランケンシュタイン・シリーズが『復活』『幽霊』連作で一旦区切りがついたように、狼男三部作、または怪物&狼男連作は『フランケンシュタインと狼男』と本作でひと区切り、と見なせます。元祖フランケンシュタインの怪物役からマッド・ドクター役に転じて怪演を見せるカーロフのニーマン博士の極悪非道ぶりが見ものですし、セットとはいえスタントなしで底なし沼に沈むのはなかなか体を張った役柄でもあり、また本作のJr.は父チェイニーの演じた疎外された人間の哀愁を感じさせて、父チェイニーとそっくりの顔ながら父より気弱そうなところがジプシー娘イオンカに惚れられるのもむべなるかな、と思わせる説得力があります。前作ともどもモンスター競演が趣向の割にはそれなりに筋が通っているのは「死ねない狼男の苦悩」というテーマを中心に据えているからで、ゴジラを撃退するためにモスラを連れてくるとかバルゴンを退治するためにガメラを眠りから覚ますというような怪獣対決ではありません。フランケンシュタインの怪物を作った技術があるなら狼男の命を絶つ技術に転用できるはず、というつながりでこの2シリーズは合流したので、結局事態は悪化するだけですが、フランケンシュタイン第1作の「神の領域に手をだした人間は天罰を食らう」の教訓は狼男救済をも失敗させるということです。次作『ドラキュラとせむし女』はこのセットでは『ドラキュラvsミイラ男』の巻に収録されているのでドラキュラ・シリーズの流れで感想文を載せますが、コスミック出版のボックスセットはこの『フランケンシュタインvs狼男』の巻だけ9枚組なのでどうせなら『凸凹フランケンシュタインの巻』も入れて10枚組にしてくれればフランケンシュタイン、狼男、ドラキュラの3シリーズ完全収録だったのにと惜しまれます。さて、前作同様なかなか面白い本作ですが、どこか緩い感じがするのは、第1作と第2作のジェームズ・ホエールはサイレント時代からの監督だけあって構図やモンタージュに切れがあった。さかのぼればユニヴァーサル社のホラー路線を生んだロン・チェイニー(父)主演作『ノートルダムの傴僂男』'23の監督ウォーレス・ワースリーや、一連の父チェイニーの主演作を撮ったサイレント時代の監督たちは、程度の差こそあれホエールと同じような映像感覚の鋭さがありました。本作の監督アール・C・ケントン(1896-1980)も、前作の監督ロイ・ウィリアム・ニール(1887-1946)もサイレント時代からキャリアがあるヴェテラン監督で、おそらくサイレント時代やトーキー初期にはそうした監督たちと肩を並べるに足る映像感覚をそなえた映画を撮っていたと思われます。しかし映画もサウンド・トーキー化して15年あまり経つと音声ありきが当たり前の映画作りになり、例えば狼男ラリーの登場でそれまでせむし男ダニエルに優しく接しようとつとめていたジプシー娘イオンカが、母性愛をくすぐる大男の優男ラリーの世話ばかりするようになる場面など、サイレント時代の感覚だったら台詞ではなく映像だけでこの三者の関係と感情の推移を描けたはずです。サウンド・トーキー映画でも映画の密度やきめ細かさになるのはそういった、映像で語る演出なのですが、前作・本作あたりではサイレント時代からのヴェテラン監督がついていながら演出はかなり大味なのに気づかないではいられません。脚本家と主演俳優の映画という印象はそこにもあるので、シオドマク脚本は無理なプロデューサー企画に受けて立った、本作の場合ドラキュラは上手く絡ませようがないので序盤で活躍させて殺してしまいますが、主役は狼男ラリーとニーマン博士なのでお話は最後まで波瀾万丈で起伏に富みますが、あまりに脚本ありきで、俳優はジプシー娘イオンカ役のエレナ・ヴァーディゴ、せむし男ダニエル役のJ・キャロル・ナッシュも好演ですが、こうしてメモを頼りに感想文にまとめているからこそ区別がつくのですが、『復活』と『幽霊』連作、前作と本作の連作を立て続けに観ると作品の区切りがわからなくなってくるのです。『フランケンシュタイン』と『フランケンシュタインの花嫁』はわかる、『復活』まではぎりぎりで、『幽霊』からあとは全部同じに見えてくる。もっともこれはフランケンシュタイン映画に限らず、シリーズものとはそういうものかもしれません。
●10月9日(火)
『謎の狼女』She-Wolf of London (Universal Pictures'46)*61min, B/W; アメリカ公開'46年5月17日
監督 : ジーン・ヤーブロー
主演 : ジューン・ロックハート、ドン・ポーター
・アレンビー家の娘フィリス。彼女は、家の近くで起こった殺人事件で自分を犯人と信じて、狼に呪われた家系に怯えるようになってしまう。モンスターは登場しないが、上質の心理サスペンスとなっている。
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ボックスセットの紹介文では「モンスターは登場しないが、上質の心理サスペンス」と種を明かしてしまっていますが、本作は前書きの通り『倫敦の人狼(Werewolf of London)』'35と対をなす作品として企画され、アール・C・ケントン監督作『The Cat Creeps』'46(パウル・レニのサイレント版『猫とカナリア』'27、30年のトーキー版リメイクに続く再リメイク)と2本立てで公開されました。本作は原題通り「ロンドンの狼女」と思って観る方が楽しいので、そういう映画としてご紹介しますと、20世紀初頭のロンドン、アレンビー家の跡取りのフィリスは貴族で弁護士のバリーと結婚を控えています。フィリスは両親が物故し、アレンビー邸には叔母のマーサとマーサの娘でフィリスの従姉妹キャロル、老嬢のメイドのハンナだけの女世帯です。キャロルは貧乏芸術家のドワイトとつきあっていますが、資産のない未亡人の母マーサはドワイトとの交際を反対しています。フィリスの結婚式が近づいたある晩、アレンビー邸近くの公園で喉を裂かれた殺人事件が起こります。2件目の殺人事件のあと、大型獣によるものと捜査方針が定まる中、ピアス警部は人狼の犯行ではないかと疑い始めます。一方殺人の起きた晩のたびに熟睡していて記憶がなく、朝目覚めると靴は泥だらけ、部屋を出入りした靴跡があり、パジャマは泥まみれで手に血がついているのに気づいたフィリスは、自分は殺人を犯してきた人狼症なのではないかと疑います。アレンビーには代々呪いの伝説があり、その呪いとは人狼症なのかと恐れたフィリスは、パジャマや靴の泥、血がついた手を見られた叔母マーサに自分の疑いを打ち明けますが、マーサ叔母はフィリスの疑いを一笑に伏します。フィリスは閉じこもってバリーに会わなくなり、バリーの訪問にも浮かない顔で、さらにアレンビー邸に聞きこみに来たピアス警部が殺されると、バリーはアレンビー邸では不審な動きがあると睨みます。フィリスはまたもやピアス警部を殺してしまったと疑心暗鬼になっていますが、叔母マーサ以外に話し相手はいません。バリーはキャロルを連れ出して最近のフィリスの様子を訊き、帰宅したキャロルはフィリスに心配事があればいつでも頼ってね、と申し出ます。その夜アレンビー邸を見張っていたバリーは家から出てきて公園に向かう女の後ろ姿を追跡し、公園を巡回する警官たちに呼び止められている最中に悲鳴が上がります。駆けつけると警官の一人が女に襲われ喉を裂かれそうになった、抵抗するのに必死で顔は見ていないと証言し、別れたバリーは公園のベンチでドワイトに近寄ろうとしている女の後ろ姿を呼び止めるとキャロルでした。アレンビー邸に戻ってキャロルは一日おきにドワイトと公園で会っていたと言い、母マーサはキャロルをとがめます。そして最初の事件から1週間目のその晩……。
――ミステリーものに慣れた方なら「モンスターは登場しないが、上質の心理サスペンス」と、上記の最後のシークエンス手前までのあらすじで事件の真相とこのあとの結末までが想像がついてしまうでしょう。61分の長さのこの映画は観客にはバレバレなのも計算のうちなので、別に意外な真相でなくても語り口を楽しめばいい作りなのがこの映画とも言えます。ちなみに併映作『The Cat Creeps』は未見ですが、『猫とカナリア』のトーキー版再リメイクで'58分の小品といいますから内容的にも尺数でもオリジナルをさらにシンプルにした怪奇ムードのミステリー映画でしょうし、'50年代後半にはこうしたものがTVムーヴィーの定番になりますし、本作と同題のTVシリーズ「She-Wolf of London」(全20話)も'90年~'91年に米英で放映されたそうです。本作自体は大した映画ではない普通に楽しめる娯楽怪奇サスペンスですが、それなりに名を残しているのはこの作品と同じ人物設定と配置、プロット、ストーリーの類似作がその後のアメリカB級映画には無数に作られているそうで、それは人狼症と限らず遺伝症、夢遊病、精神病、アル中、麻薬中毒症などヴァリエーションは何でもありですが、ヒロインが記憶がないうちに無意識状態で犯行をくり返しているんじゃないかと自問自答し疑心暗鬼になるが、実は……という具合で、本作の直接影響ではなく『カリガリ博士』'19を筆頭とする'20年前後のドイツ表現派怪奇映画にもありそうな話ですし、ドイツ表現派映画は怪奇映画全般の元祖みたいなものですから本作は類型的モンスター映画を戦後のニューロティック・ムード(ヒッチコックの『白い恐怖』'45風の)寄りにひねってみたところ、たまたま(映像面での影響は少ないですが、内容的に)ドイツ表現派映画の直系作のようになり、本作とは関係なく類似作が後世にばんばん出た、ということでしょう。1無名作が影響力もなしにある種のパターンの典型例になるという珍しいことが起こったのがこの作品というわけで、映画とは何が起こるかわからないものです。