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映画日記2018年10月4日~6日/アメリカ古典モンスター映画を観る(2)

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 いやはやもう、2回目の今回の感想文にとりかかる現在すでに10数本の、ユニヴァーサル・ホラー中心のこのコスミック出版からのアメリカ古典モンスター映画ボックスセット(『フランケンシュタインvs狼男』は全作ユニヴァーサル、『ドラキュラvsミイラ男』は1作のみコロンビア、『ゾンビの世界』はユニヴァーサル社作品は1本もありませんが)を観てきているのですが、玉石混淆と言うなら昔観る機会があった作品より初見の作品の方がどうも出来がいまいちなのはやはりこのジャンルは大衆娯楽映画であって、上映・テレビ放映頻度の高いのはそれだけ出来の良い作品が残ったんだな、と知らされます。しかし恐るべきは1本の映画の中でシーンごとに出来不出来のムラがあり、しかも出来不出来含めてどの映画も似たり寄ったりだったりするので、観て数日すると記憶の混乱が著しく、えーとあの場面はどの映画だったっけという具合になる。これは映画の作りにも原因があって、サイレント時代から35mmフィルムの映画は10分前後で1リールですし(これはデジタル撮影の開発によって大きく変わりました)、長編映画のシークエンスはほぼ8~12章に構成するのがシナリオのセオリーになっています(こちらは現代でもそうです)。するとモンスター映画のような典型的な明快な伝達性を求められる大衆娯楽映画はだいたいどの映画も同じようなシナリオ構成に規格を統一される。最初の10分で主役格の人物設定とその背景が描かれ、次の10分で事件の発端となるような状況(主人公の行動、異様な人物との出会い)にたどり着き、次の10分で予感されていた悪状況に向かって進んでいき、30分目でモンスターの登場になって最初の犯行のシークエンスが始まります。ここからは犯行10分、ドラマ10分、次の犯行10分という具合に進んでいくので、最後の10分は最後の犯行中に阻止されモンスターが退治されればいいので、ユニヴァーサル・ホラーはだいたいこういった10分刻みのシナリオで出来ています。つまりのちのポルノ映画はホラー映画と同じ構成なのがわかります。そればかりか現代映画一般に置き替えても日本映画に多い深刻ホームドラマや恋愛難病映画、異世界冒険アニメまで緩→急→破→緩→急→破の構成はほとんどの映画に当てはまるので、サイレント時代には映画はもっと大雑把な構成も多かったのを思えば、ユニヴァーサル・ホラーの徹底した機能的構成はトーキー初期の'30年代の偉大な発明でもあれば、ルビッチやラングやルノワール、スタンバーグやクレールのような画期的な才能の監督でなくてもそれなりにインパクトの強い映画を作れるというアメリカ式の映画製作ノウハウになったので、'40年代のフィルム・ノワールやフィルム・ノワールを受け継ぐ要素の大きい戦後アメリカ映画の潮流も'30年代ホラー映画の定型をシナリオ構成の下地にしていると見なせます。今年半ばにゴジラ映画とガメラ映画をまとめて観直した時に、感想文のためにメモを採りながら観たらどの作品も10分刻みのシークエンスで展開していくので構成の明快さに改めて感心するやら呆れるやらしましたが、シナリオも1シークエンスを10分単位で構想していれば最終的に10分刻みで映画をまとめるのは映画監督の仕事でもあり、日本のモンスター映画もまたアメリカの古典モンスター映画の構成を踏襲していたということです。そうした歴史的役割を果たしたのがモンスター映画だったというのが映画の歴史の面白いところです。――なお今回も作品解説文はボックス・セットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、アメリカ本国公開年月日を添えました。

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●10月4日(木)
『フランケンシュタインの幽霊』The Ghost of Frankenstein (Universal Pictures'42)*67min, B/W; アメリカ公開'42年3月13日
監督 : アール・C・ケントン
主演 : セドリック・ハードウィック、ロン・チェイニー・Jr、ベラ・ルゴシ
・前作「フランケンシュタインの復活」で煮えたぎった硫黄の中で滅んだ怪人が、再び目覚めた。フランケンシュタイン城に棲んでいたイーゴリは、怪物の脳と自分の脳を入れ替えようと画策するが……。

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 映画は村人たちが「さっぱり観光客も来ねい。フランケンシュタイン家の呪いだ。あの城がまだ建っているのが悪い。ぶっ壊しちまおう」「んだんだ」と集まって騒いでいる場面から始まります。前作の冒頭で村に通っている鉄道の駅名が「フランケンシュタイン駅」だったので「今じゃ世間の10人に9人がフランケンシュタインは父の名前でなく怪物の呼び名だと思ってる」とぼやいていた故フランケンシュタイン博士の息子ウォルフがぎょっとなるシーンがありましたが、家族親戚隣人に犠牲者が出たとしてもヴァサリア村は観光名所としてちゃっかり「フランケンシュタイン駅」を名乗っていたのですからフランケンシュタイン家を恨むのは調子の良いことこの上ないので、本作はついに村人たちがフランケンシュタイン城をダイナマイトで爆破するのが事件の発端になります。清々しただ、と村人たちが引き上げると廃墟からひょっこり出てきたのがベラ・ルゴシ演じる怪人イーゴリで、前作『フランケンシュタインの復活(Son of Frankenstein)』の結末でベイジル・ラズボーン演じるウォルフ・フランケンシュタイン博士にピストルで撃たれても死なずに城に住みついていたようです。瓦礫をかき分けていたイーゴリは化石化した硫黄の中に閉じこめられているフランケンシュタインの怪物を発見します。「おお、硫黄が守ってくれたか!」とイーゴリは喜びますが、前作の結末では怪物は煮えたぎる硫黄泉の中にラズボーンに蹴落とされたので、さすがに一巻の終わりだろうと思っていた観客は唖然としますが、ボリス・カーロフもそのつもりだったようで本作のフランケンシュタインはロン・チェイニーJr.が演じています。標準的身長だった名優の父、ロン・チェイニーと容貌は似ていますが大柄のJr.はメイクで違和感なくフランケンシュタインの怪物に扮していますがカーロフよりはやや細身で、ついでに『フランケンシュタインの花嫁』でカタコトの言葉を覚えたのも『フランケンシュタインの復活』では踏襲されていましたが、本作では硫黄泉に落ちて頭が煮えたからか再びしゃべらなくなっています。それは映画ではもっとも先の話で、硫黄を砕いて意識不明の怪物を取り出したイーゴリは怪物を蘇生させるためにもう一人の故フランケンシュタイン博士の息子ルドウィグ(サー・セドリック・ハードウィック)を訪ねるのを思いつきます。ルドウィグ博士は優秀な科学者で、恩師ケタリング博士を追い抜いて大学の学部長に就任したばかりです。ルドウィグ博士の住む村に着いたイーゴリはルドウィグ博士に怪物の蘇生を懇願しますが、ルドウィグ博士は父ヘンリーと兄ウォルフの二の舞は踏むまいと拒否し、そのやりとりを聞いたルドウィグ博士とケタリング博士の共通の助手ボーマー博士によってケタリング博士とボーマー博士の手で怪物は蘇生させられますが、再び村にさまよい出て騒ぎを起こします。ルドウィグ博士は怪物の解体を決意しますが、暴れた怪物によってケタリング博士は頭を打って死にます。ケタリング博士の行方不明の捜査でルドウィグ博士の館にも警官が訪ねますが、博士は手術後に事実を明かすつもりでしらを切ります。ルドウィグ博士の館の実験室内で怪物の解体手術が行われようとした時、故フランケンシュタイン博士の幽霊が現れて(本作のタイトルの由来)怪物の頭蓋内の犯罪者の脳を正常な脳に入れ替えれば良い、と教示します。ケタリング博士の脳を移植しよう、まともな人間の脳なら怪物ではなく正常な知能の人工生命になるだろうと決めたルドウィグ博士にイーゴリは自分の脳を怪物に移植してくれ、と頼みますが、ルドウィグ博士は怪物に悪党の脳など入れられるか、と言下に拒否します。しかし、手術が始まると、イーゴリにそそのかされた助手のボーマー博士はルドウィグ博士を騙して……。
 ――と、あとは書かずとも誰の脳が怪物に交換されてしまったかはご想像がつくと思いますが、前作と本作が故フランケンシュタイン博士の「息子たち(長男と次男)」の前後編でもあればせむしの怪人イーゴリの前後編でもあるのはそういうつながりがあるからで、前作の長男ウォルフ博士の息子が小学生くらいだったのに対し本作のルドウィグ博士の娘はティーンエイジャーくらいなのは約10年を隔てているのでしょう。風貌も前作の兄ウォルフ博士より本作の弟ルドウィグ博士の方が年配に見えます。フランケンシュタインの怪物は第1作の記憶があるのか本作でもゴム風船遊びをしていた少女が取れなくて困っていた高所に引っかかった風船を少女を抱いて屋根に登って取らせ、村中に騒ぎを引き起こします。イーゴリ役のベラ・ルゴシの怪演は本作でも変わらず、前作では自分を絞首刑にした審判員全員を皆殺しにしていましたが、身体にガタがきて長くないと映画前半からボヤいているので、それが怪物に脳移植してもらい怪物の身体を手に入れるんだという願望に変化する伏線になっています。本作では科学装置のセットも第1作から11年、作中時間ではもっと長い年月が過ぎているのを反映して1作毎に凝ったものになっていましたが、歴代フランケンシュタイン科学者の中でもとびきり優秀らしいルドウィグ博士の研究室は科学装置セットだけでも度肝を抜いてやるぞというくらい凝りに凝ったもので、当然空想科学の世界ですから観客にもリアリティの次元の判断などつきませんが、実用的なリアリティのかヴィジュアル重視なのかわからない物々しい実験機器が並んだこのレトロ・フューチャーな科学実験室は作品のムードに貢献しているので、フランケンシュタインの怪物の手術は「医学」ではなく「科学」だというのはこうした舞台装置にも表れています。本作は実験室の大爆発で結末を迎え、フランケンシュタインの怪物は翌'43年早くも第5作『フランケンシュタインと狼男』で復活しますが、同作は'41年の『狼男』の続編でもあるので、その前に同作に先立つユニヴァーサル社の狼男映画から観てみましょう。

●10月5日(金)
『倫敦の人狼』Werewolf of London (Universal Pictures'35)*75min, B/W; アメリカ公開'35年5月13日
監督 : スチュアート・ウォーカー
主演 : ヘンリー・ハル、ワーナー・オーランド
・チベットで狼男になってしまった植物学者のグレンドン博士。唯一の治療薬となる花「マリフェザ」を栽培していたが、人が狼男に襲われる事件が起こり、博士は苦悩する……。

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 サイレント時代には短編映画の時代に狼男映画が作られた記録があるもののフィルム散佚作品になっており、この『倫敦の人狼』が現存する狼男映画の最初の作品になるそうです。特殊メイクは『フランケンシュタイン』同様ユニヴァーサル社のジャック・ピアスが考案・担当し、特にヒット作というほどにはならなかった本作を下地に6年後にロン・チェイニーJr.主演の『狼男』'41が作られて、チェイニーJr.を'40年代のホラー映画スターにしてシリーズ作になるヒット作になったため、先駆作として再評価されるようになり、狼男メイクの凶悪なグロテスク度や作品全体のムードでは『倫敦の人狼』に分があるため本作は本作なりの人気作になりました。'78年にはシンガー・ソングライターのウォーレン・ジヴォンが本作からずばりタイトルを頂いた「ロンドンの狼男(Werewolf of London)」を全米チャート21位に送り込み、この曲を気に入ったグレイトフル・デッドが翌年のツアーでセットリストにカヴァー曲として組みこむなど意外なところで影響力が派生しており、ロンドンの古典映画蝋人形館「魔女の牢獄」で展示されている狼男もロン・チェイニーJr.版ではなく『倫敦の人狼』の蝋人形だそうです。本作はチベットで狼に噛まれた植物学者の主人公(ヘンリー・ハル)がチベットに野生していた狼男症の治療薬となる花を持ち帰りますが、自分の主催した稀少植物展示会で「以前にお会いしましたね。チベットにいらしたんじゃないんですか?」と謎の東洋人学者ヨモギ博士(ワーナー・オーランド)が近づいてくる。ヨモギ博士はロンドンに狼男症患者がいることを臭わせ、どうも主人公が特効薬の花を手に入れたことに気づいている様子です。この特効薬は植物の花の部分にしかなく、植え替えてもなかなか咲かない。どうも月の光を浴びると開花が早まるらしいから人工光で月光に近い波長の光を浴びせるがなかなか咲かない。ヨモギ博士と会ったあと狼男症について調べると満月の夜に狼に変身し(症状が進むほど人狼から狼そのものに重篤化する)、本能のままに人を手当たり次第に殺傷し、一夜明けると人に戻るが変身中の記憶は何もないというもので、満月の晩までに特効薬の花を咲かせて予防しなければと主人公は焦りますが間に合わず、ユニヴァーサル・ホラー運命の30分目に主人公は狼男に変化して窓から飛び出し第1の凶行を行います。翌朝愕然とした主人公は狼による殺人の事件を知り、園丁に花の栽培を任せると下町の頂上階の下宿を借り厳重に部屋の内側からドアや窓に錠を下ろしますが、夜に狼化すると窓から飛び出して第2の凶行を重ねます。警察に出向いたヨモギ博士は狼男の犯行を説き、満月が続く間の第3、第4の犯行を予告します。下宿に帰れず放浪していた主人公は翌晩も狼男に変化して通行人を襲いますが、巡回中の警官に防がれ未遂に終わるも、翌朝の新聞には第3の犠牲者の報が載ります。その頃ヨモギ博士の家の家政婦は昨日まで食卓に活けてあった花が全部枯れているのに気づきます。4日目、自宅の研究室に戻った主人公は特効薬の花の開花を確認して採集しようとしますが、忍びこんでいたヨモギ博士と花の奪い合いの格闘になります。「チベットで俺を噛んだのはお前だったんだな!」とヨモギ博士と格闘して博士を殺したものの時刻は晩、狼化が始まってしまい、獲物を探して街に出た主人公は凶行寸前に巡回していた親友の警部フォーサイス大佐に狙撃され、人間の意識を取り戻しながら「呪いから解放してくれてありがとう」と遺言して絶命し、死体はみるみるうちに主人公グレンドン博士の姿に戻ります。
 ――アメリカ映画は陰気な内容はたいがい19世紀末か20世紀初頭のロンドンに舞台を設定してきましたが(古典中の古典『散り行く花』'19が典型です)、本作もロンドンが舞台なのがだいぶ点を稼いでおり、ロンドンといっても当然ハリウッドのユニヴァーサル撮影所のセットですし、冒頭のチベットのシーンで現地人たちがしゃべりながら主人公を案内していますがチベット人役は中国人エキストラでしゃべっているのは広東語だそうです。本作は先駆作だけあって肉づけに乏しい面があり、主人公が最初に狼男に変化するまでの冒頭30分はチベットの雪山で狼に襲われる(これが実にセット臭い)、怪人物ヨモギ博士との邂逅、主人公が文献を調べているうちに高まる嫌な予感と順序立ってステップを踏んでいるのはいいのですが、いかんせん書き割りっぽいというかシナリオを読んでいるような味気なさというか、観始めてすぐに地味な怪奇映画だなあと淡々と映画の進行につきあい、下宿屋のシークエンスでは下宿のおかみのワック夫人とワック夫人の飲み友だちのモンキャスター夫人のばあさん漫才が観客サービスに加えられていますが、これもロンドンっぽいムードにはなっているし下宿部屋にこもった主人公をおかみたちが怪しむ、という視点からのサスペンスになってはいるものの、映画が点を稼ぐほどの効果ではなく下宿屋のシークエンスだけが浮いています。順序立って着実に話は進みますが、登場人物の自然な感情や人間関係に基づく進展ではないので、流露感に欠けるのです。狼男映画の基本型を作った功績はあり、この趣向のメイクは初めてだったのが狼男メイクのグロテスクさには良い形で出ていると思いますが、本格的にロン・チェイニーJr.の売り出し映画として企画されたユニヴァーサルの次の狼男映画、そのものずばり『狼男』を観ると、骨組みだけではなくいかに映画を見応えのあるものにふくらませるかの回答になっており、成功作『狼男』あってこその先駆作『倫敦の人狼』という感じが強くします。ちなみに本作と対になる作品として作られるのが『謎の狼女』She-Wolf of London (Universal Pictures'46)で、そこでは11年を経た戦後作品だけあって「人狼」設定が映画自体のトリックになっており、その捻り具合がなかなか面白い作品になっています。同作も次回にご紹介します。

●10月6日(土)
『狼男』The Wolf Man (Universal Pictures'41)*70min, B/W; アメリカ公開'41年12月21日
監督 : ジョージ・ワグナー
主演 : ロン・チェイニー・Jr、イヴリン・アンカース、クロード・レインズ
・ラリーは兄が死んだことにより、家の跡を継ぐため、故郷に戻った。彼は骨董品店で働くジェニーとともに、ジプシーの占い師ベラのもとを訪れるが、ラリーは狼に変身したベラにかまれてしまう……。

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 ドラキュラ、フランケンシュタイン(の怪物)、ミイラ男のシリーズでヒット作を出してきたユニヴァーサル社がクロード・レインズ(主人公の父ジョン役)、イヴリン・アンカース(ガールフレンド=ヒロイン役)、ベラ・ルゴシ(最初の狼男役)、マリア・オーペンスカヤ(ルゴシの母でジプシーの祈祷師役)、ラルフ・ベラミー(警部役)と、主演のロン・チェイニーJr.(ユニヴァーサルのクレジット表記ではJr.はなし)以上の一流キャストを揃えて勝負に出て大平洋戦争開戦直後の公開にもかかわらず大ヒット、狼男をユニヴァーサル・ホラーの4大モンスターに位置づけた記念碑的作品です。『魔人ドラキュラ』'31、『フランケンシュタイン』'31、『ミイラ再生』'32のような映画としての格調の高さはありませんが、これはこれで立派な名作で、骨組みだけの狼男映画『倫敦の人狼』と比較すると映画にはどれだけの肉づけがされてこそ情感に訴えかけてくるものになるかがよくわかる。サイレント時代の名優ロン・チェイニー(1883-1930)の息子ロン・チェイニーJr.(1906-1973)は父の死後'32年に映画界入りし、脇役俳優の下積み時代を長く過ごしたあと'39年のルイス・マイルストン監督作『廿日鼠と人間』で知的障害を持つ巨漢の放浪者役でようやく主演俳優の座をつかみ、ユニヴァーサルでは『電気人間』'41でデビューしましたがあまりヒットせず、次の本作でユニヴァーサルのモンスター映画のスターになったので、以降狼男、ドラキュラ、フランケンシュタイン(の怪物)、ミイラ男の4大モンスターを順繰りにすべて演じた唯一の俳優になりました。容貌は父シニアに似た顔立ちですがシニアほど知的な鋭さには欠け、平均的身長だったシニアに対して巨体が売り物で、どことなく自信なさげな佇まいが演技について回り、ユニヴァーサル・ホラーが衰退した'50年代には助演俳優に戻って活動しましたが、後世からはシニアやボリス・カーロフのような威厳と繊細さには及ばない俳優だったというのが一般的評価です。しかしホラー俳優としてのブレイク作『狼男』はどこか気弱なJr.の演技がキャラクターを説得力あるものにしており、名優ばかりが映画の主人公には適さない好例ともなっています。自信なげな巨漢、総身に知恵は回りかね風のあまり頭のよさそうなキャラクターでないのも本作の悲劇の主人公に向いていました。ただし本作公開の'41年はフィルム・ノワール映画『マルタの鷹』の年でもあり、ハードボイルドまたは心理スリラーの現代劇で社会や人間性の暗黒面を描いたフィルム・ノワールの台頭にユニヴァーサル・ホラーのフィクション世界は急激に旧時代のものになり、観客の支持があったからこそ'50年代まで続いたとはいえ'40年代にはセルフ・パロディ的作品や異色作が増えていきます。『狼男』シリーズの第2作が『フランケンシュタイン』シリーズ第5作を兼ねる『フランケンシュタインと狼男』'43、狼男第3作('44年)・フランケンシュタイン第6作の『フランケンシュタインの館』がその続編でフランケンシュタイン(の怪物)、狼男、ドラキュラ、せむし男の共演作になったのも早くも純粋なホラー作品では集客力が落ちてきたことの反映であり、チェイニーJr.の『狼男』シリーズは5作ありますが他モンスターとの合流作品ではないオリジナル「狼男」は第1作の本作しかなく、純粋なチェイニーJr.の『狼男』も第1作の本作しかない。しかも日本劇場公開もされず稀に『狼男の殺人』の邦題でテレビ放映されただけで日本初映像ソフト化も2003年のDVD化が初めてだったという極端に紹介が遅れた作品です。本作を観るのはアメリカ映画の失われた最後のピースをはめるようなもので、それが芸術派の埋もれた一流作品ではなく本作のような大衆娯楽映画であるところにアメリカ映画史の奥行きがあります。ちなみにユニヴァーサル・ホラー4大モンスターで文学作品に原作を持たず純粋な映画オリジナル原案・脚本なのはミイラ男と狼男で、これはもともと民間伝承に由来するため、死体を蘇生させて人造人間を作る『フランケンシュタイン』の原作自体がミイラ男やゾンビ伝説の合理化であり、獣化して生き血を求めさまよう伝染性の病の『魔人ドラキュラ』も原作自体が狼男伝承から着想されたもので、ドラキュラ同様本作の狼男も銀の銃弾や銀器による殺傷が致命傷という設定を受け継いでおり、これは『倫敦の人狼』には行われなかった設定です。『倫敦の人狼』には狼男症の特効薬の花が重要な小道具でしたが、この花がなかなか咲かない、もう一人の狼男と争奪戦になるのもあまり上手くサスペンスに絡めておらず、その点でも町の富豪ジョン卿の養子になってやってきた主人公の機械技師ラリー青年(チェイニーJr.)がジョン卿(チェイニーJr.と並ぶとクロード・レインズは本当に小柄な紳士で、レインズの小柄さを大柄なイングリッド・バーグマンに対照して『汚名』'46に起用したヒッチコックの狙いがわかります)の趣味の望遠鏡を調整しているうち街のコンリフ骨董店に妙齢の美人を発見する。ラリーは翌日街に出てジプシーが祭りを開きに来たのを見て、骨董店を訪ねてイヤリングを求めます。骨董店の娘グエン(イヴリン・アンカース)が並べるイヤリングにラリーは三日月型のイヤリングが欲しい、君が持っているような、と昨日望遠鏡で見た時グエンがつけていたイヤリングを所望します。驚くグエンにラリーは超能力さ、と言い、私のは売り物ではないけど父に在庫を訊いておきます、というグエンにラリーはではステッキでも買うか、とステッキを選んでいるうち、握り手が銀製で狼の全身像の形をし、突端に五芒星(ペンタグラム)の刻印の刻まれたステッキを見つけます。何だこれ、と不思議がるラリーに、グエンは五芒星は狼の烙印で、狼男伝説というのがあるんです、と満月の夜に狼草(トリカブト)が咲き憑かれた者は狼に変化する、という四行詩を暗唱し、狼男には五芒星の印があって、銀なのは狼の弱点だからと狼男除けのためでしょうと説明します。おもしろいから買おう、とラリーは銀の狼ステッキを買い、ところで今晩ジプシーの祭りに行かないか、お断りします、夜の8時に来るよ、結構ですからと問答して出てきます。帰宅したラリーはジョン卿に骨董店でこんなのを買ったよとステッキを見せ、街の人々との交流は良いことだとステッキを手にしたジョン卿は握りを見て狼男伝説の四行詩を暗唱します。店でもその詩を聞いたよ、というラリーにジョン卿は狼男伝説は昔の人間のある種の精神病の迷信だ、と一笑に伏します。
 ――本作が快調なのはこの冒頭10分まででもこれだけ伏線が敷いてあることでもおわかり頂けるでしょう。さて、夜8時にステッキを持って店を訪ねたラリーは待っていたグエン(グエン役のアンカースは『フランケンシュタインの幽霊』ではルドウィグ博士の娘役であまり出番がありませんでしたが、本作では主人公が一目惚れするのも納得の清楚な美人ぶりです)に喜び、別にあなたを待ってたんじゃないわというグエンに三日月のイヤリングしてるじゃないかと言いますが、友だちとなら一緒でもいいわ、とグエンが言うと店からすっとグエンの女友だちジェニーが出てきます。ラリーは左右の腕をグエンとジェニーに取られて苦笑しながらジプシーの祭りに向かい、ジェニーがジプシー男の占い師ベラ(ベラ・ルゴシ)のテントで占ってもらっている間、外の林を散歩します。ベラはジェニーを占っている最中にジェニーの掌に浮かぶ五芒星を見て占いは明日来てくれ!とジェニーを追い出します。一方ラリーの方は、実は私は婚約してるの、だから本当はこんな外出は……とグエンの打ち明け話を聞いているうちにジェニーの悲鳴が聞こえ、君はここで待っていて、とラリーが林のはずれに駆けつけると狼が飛びかかってきて、ラリーは噛まれ引っかかれながらステッキの握りで狼を殴り殺すも重態で館に運ばれます。翌日判明したのは現場には噛み殺されたジェニーと頭蓋骨を割られたベラの裸足の遺体があり、銀のステッキが落ちていてラリーが自分のステッキと認めたことからジプシー殺しの犯人はラリー(ジェニーは獣に噛み殺されたと検死報告)に疑いがかかります。ラリーは自分は狼を殴ったんだ、格闘になってひどい怪我を負ったと胸をはだけますが、傷は一夜にして完全に治っており、ラリーはステッキを返されますが疑いはますます高まります。骨董店にはジェニーの母親始め婦人会がグエンとラリーの共犯を疑って詰め寄り、見舞いに行ったラリーは憤慨します。そこにグエンの婚約者フランクが現れますが、フランクは握手を受け流します。教会を覗いたラリーはベラの遺体にベラの母親のジプシー老婆マレーバ(ロシア出身の名優マリア・オーペンスカヤ)が除霊の呪文をかけていて、呪文とともに遺体の額に浮かんだ五芒星の印が消えるのを目撃します。翌日グエンとフランクにラリーとの和解のために誘われて散策したジプシーの祭りで、ラリーはマレーバに呼び止められ狼男に襲われ噛まれて生き残った者は狼男になると教えられ、獣化避けの五芒星のペンダントを渡されますが、ラリーは狼除けにいいらしい、とグエンにあげてしまいます。マレーバの通達でジプシーたちは祭りを中止し「狼男がでるぞ!」と慌てて町から去っていきます。そしてその晩ラリーは館の自室で狼男に変身し、領地はずれの墓堀り人夫を最初の犠牲者にします。ここまでで映画は35分、『倫敦の人狼』が最初の変身~犯行に費やしたのと同じタイムテーブルで、チベットで植物採取中狼に噛まれる、帰国して怪人物ヨモギ博士に人狼の存在を暗示される、不安になり文献を調べて特効薬の花の栽培を急ぐ、という展開だったのに較べ、続く展開を期待させる伏線をばらばら撒いてフラグをちょいちょい立てながら進んでいくアイディアの豊富さ、練りこみが効いた作品なのがわかります。ラリーは目覚めて外で捜査する警察官たちの喧騒に気づき、窓枠からベッドまで泥だらけの狼の足跡があり、自分の裸足の足が泥だらけで、胸に五芒星の印が現れて記憶が何もないことで狼男への変身を知り愕然とし、館を訪れていた検察官の医師ロイド博士に人狼症の治療を頼みますが、ラリーを精神病と診断し療養所での治療を勧める博士に居合わせた義父ジョン卿は反対し、次の事件があってもラリーが館にいれば無罪の証明になる、と拒みます。大男なのに気弱なチェイニーJr.と小柄なのにプライドが高く頑固なレインズのキャラクターが生きた場面です。ラリーは今後自室にこもっているようジョン卿に命じられますが、翌晩、窓を破って飛び出た狼男は狼狩り用に領地一帯に張り巡らされた脚罠にかかっしまい、警官たちが突き止めて捕まえる寸前に、ジプシー老婆マレーバが呪文によって狼化からラリーを戻し、狼男には次の獲物の掌に五芒星の幻が見えるから気をつけてと警告して逃します。ラリーは裸足でグエンに会いに行き自分が警察に追われてグエンに別れを告げに来たこと、狼男の実在を教えますがグエンは二人で駆け落ちしましょうと言い出します。差し出されたグエンの掌に五芒星の幻を見たラリーは自分が狼男とは言えず、グエンに明日には町を出るよう勧めます。そして翌日、山狩りを控えた夕刻、ラリーは義父ジョン卿に護身用に銀のステッキを託します。そして晩、ラリーが人狼化して飛び出した頃、ラリーの身を案じたグエンはジョン卿の領土に向かっていました……。このあとのクライマックスは、映画を観馴れた方なら誰もが予想しかつ期待する、これまでに出揃った道具立てがすべて一如に集中する、これしかないというものです。ジプシー老婆マレーバが瞑目し、ジョン卿がステッキを下げてうなだれ、皆が事実に直面して愕然とする中、意識が戻ったヒロインに警部は「ラリーは君を守ろうとして犠牲になったんだ」と説明して映画は終わります。そうして見事に完結した本作ですが、2年後には続編『フランケンシュタインと狼男』で復活してしまうのでした。それもまたヒット作の宿命というものでしょうか。

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