(創元社『全詩集大成・現代日本詩人全集13』昭和30年1月刊より、西脇順三郎肖像写真)
詩集『近代の寓話』昭和28年(1953年)10月30日・創元社刊(外箱・表紙・裏表紙)
近 代 の 寓 話 西脇順三郎
四月の末の寓話は線的なものだ
半島には青銅色の麦とキャラ色の油菜
たおやめの衣のようにさびれていた
考える故に存在はなくなる
人間の存在は死後にあるのだ
人間でなくなる時に最大な存在
に合流するのだ私はいま
あまり多くを語りたくない
ただ罌栗の家の人々と
形而上学的神話をやつているだけだ
ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ
向うの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうつている
ふところから手を出して考えている
われわれ哲学者はこわれた水車の前で
ツツジとアヤメをもつて記念の
写真をうつして又お湯にはいり
それから河骨のような酒をついで
夜中幾何的な思考にひたつたのだ
ベドウズの自殺論の話をしながら
道玄坂をのぼつた頃の彼のことを考え
たり白髪のアインシュタインがアメリカの村を
歩いていることなど思つてねむれない
ひとりでネッコ川のほとりを走る
白い道を朝早くセコの宿へ歩くのだ
一本のスモゝの木が白い花をつけて
道ばたに曲つている、ウグイスの鳴く方を
みれば深山の桜はもう散つていた
岩にしがみつく青ざめた菫、シャガの花
はむらがつて霞の中にたれていた
私の頭髪はムジナの灰色になつた
忽然としてオフィーリア的思考
野イチゴ、レンゲ草キンポウゲ野バラ
スミレを摘んだ鉛筆と一緒に手に一杯
にぎるこの花束
あのたおやめのためにあの果てしない恋心(れんしん)
のためにパスカルとリルケの女とともに
この水精の呪いのために
(「GALA」昭和28年7月発表、原題「四月の寓話」)
大学英文学教授で詩人の西脇順三郎(1894-1982)の昭和28年(1953年)刊行の詩集『近代の寓話』については数回前に同詩集収録の名作「アン・ヴァロニカ」をご紹介した際に触れました。その際に「アン・ヴァロニカ」がどういう典拠から書かれたかを解説しましたが、それは繁尾久氏の編集・注釈・解説による選詩集『西脇順三郎詩集』(旺文社文庫・昭和51年刊)同様、西脇順三郎に長く師事した英文学者の新倉俊一氏によってまとめられた『西脇順三郎全詩引喩集成』(筑摩書房・昭和57年9月刊)という労作があるからです。同書は完成・出版準備中の昭和57年6月に西脇順三郎が亡くなったため期せずして追悼出版になりましたが、こうした異例の注釈書が生まれたのも西脇順三郎は88歳の長寿の詩人だったので戦後は日本の現代詩の長老詩人として尊敬され、英文学教授としても多くの英文学者が西脇順三郎に学んだので、新倉氏を中心とする門下の英文学者たちが定期的に西脇順三郎に質問し、自作解説をしてもらう会を行っていたからでした。
詩集表題作で巻頭詩の「近代の寓話」は伊豆湯が島の温泉宿「落合楼」に西脇が勤めていた慶応大学の同僚たちと旅行に行った時の思い出を書いた詩であり、「向うの家ではたおやめが横になり/女同士で碁をうつている」は彦根屏風の図柄で、「白髪のアインシュタインがアメリカの村を/歩いている」はタイム誌'55年5月2日号のアインシュタイン追悼記事の写真の連想で、「忽然としてオフィーリア的思考」は『ハムレット』でオフィーリアが溺死自殺前に野草を摘む場面への連想、と(もっとありますが)こと細かに注釈されています。しかしそういった注釈抜きに読者は意表を突いた比喩と文体(特に変則的改行)に「近代の寓話」の詩的世界を見るので、フィクションの本質は「実相を以て虚相を写す」ことにある、としたのは二葉亭四迷でしたが、現実から詩を取り出すのは西脇順三郎にはこういう手法で行われたのです。
詩集『近代の寓話』昭和28年(1953年)10月30日・創元社刊(外箱・表紙・裏表紙)
近 代 の 寓 話 西脇順三郎
四月の末の寓話は線的なものだ
半島には青銅色の麦とキャラ色の油菜
たおやめの衣のようにさびれていた
考える故に存在はなくなる
人間の存在は死後にあるのだ
人間でなくなる時に最大な存在
に合流するのだ私はいま
あまり多くを語りたくない
ただ罌栗の家の人々と
形而上学的神話をやつているだけだ
ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ
向うの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうつている
ふところから手を出して考えている
われわれ哲学者はこわれた水車の前で
ツツジとアヤメをもつて記念の
写真をうつして又お湯にはいり
それから河骨のような酒をついで
夜中幾何的な思考にひたつたのだ
ベドウズの自殺論の話をしながら
道玄坂をのぼつた頃の彼のことを考え
たり白髪のアインシュタインがアメリカの村を
歩いていることなど思つてねむれない
ひとりでネッコ川のほとりを走る
白い道を朝早くセコの宿へ歩くのだ
一本のスモゝの木が白い花をつけて
道ばたに曲つている、ウグイスの鳴く方を
みれば深山の桜はもう散つていた
岩にしがみつく青ざめた菫、シャガの花
はむらがつて霞の中にたれていた
私の頭髪はムジナの灰色になつた
忽然としてオフィーリア的思考
野イチゴ、レンゲ草キンポウゲ野バラ
スミレを摘んだ鉛筆と一緒に手に一杯
にぎるこの花束
あのたおやめのためにあの果てしない恋心(れんしん)
のためにパスカルとリルケの女とともに
この水精の呪いのために
(「GALA」昭和28年7月発表、原題「四月の寓話」)
大学英文学教授で詩人の西脇順三郎(1894-1982)の昭和28年(1953年)刊行の詩集『近代の寓話』については数回前に同詩集収録の名作「アン・ヴァロニカ」をご紹介した際に触れました。その際に「アン・ヴァロニカ」がどういう典拠から書かれたかを解説しましたが、それは繁尾久氏の編集・注釈・解説による選詩集『西脇順三郎詩集』(旺文社文庫・昭和51年刊)同様、西脇順三郎に長く師事した英文学者の新倉俊一氏によってまとめられた『西脇順三郎全詩引喩集成』(筑摩書房・昭和57年9月刊)という労作があるからです。同書は完成・出版準備中の昭和57年6月に西脇順三郎が亡くなったため期せずして追悼出版になりましたが、こうした異例の注釈書が生まれたのも西脇順三郎は88歳の長寿の詩人だったので戦後は日本の現代詩の長老詩人として尊敬され、英文学教授としても多くの英文学者が西脇順三郎に学んだので、新倉氏を中心とする門下の英文学者たちが定期的に西脇順三郎に質問し、自作解説をしてもらう会を行っていたからでした。
詩集表題作で巻頭詩の「近代の寓話」は伊豆湯が島の温泉宿「落合楼」に西脇が勤めていた慶応大学の同僚たちと旅行に行った時の思い出を書いた詩であり、「向うの家ではたおやめが横になり/女同士で碁をうつている」は彦根屏風の図柄で、「白髪のアインシュタインがアメリカの村を/歩いている」はタイム誌'55年5月2日号のアインシュタイン追悼記事の写真の連想で、「忽然としてオフィーリア的思考」は『ハムレット』でオフィーリアが溺死自殺前に野草を摘む場面への連想、と(もっとありますが)こと細かに注釈されています。しかしそういった注釈抜きに読者は意表を突いた比喩と文体(特に変則的改行)に「近代の寓話」の詩的世界を見るので、フィクションの本質は「実相を以て虚相を写す」ことにある、としたのは二葉亭四迷でしたが、現実から詩を取り出すのは西脇順三郎にはこういう手法で行われたのです。