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映画日記2018年9月5日・6日 /『フランス映画パーフェクトコレクション』の30本(3)

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 おおむね質の良いマスターを使って十分満足できる画質の『フランス映画パーフェクトコレクション』の中で、単品発売が高価で品薄になっているルノワールの傑作『素晴らしき放浪者』'32は多少落ちる画質で、これでも気にするほど悪くはなくアメリカ版の正規盤DVDとも遜色はありませんが、オール・セット撮影のルネ・クレール作品を観てきた直後だとロケーション撮影を多用している分露出にムラがあるからだと思います。その点でデュヴィヴィエの『にんじん』が日本映画との親近性を感じさせるのも何となくわかり、'20年代以降の日本の映画カメラマンがもっとも影響を受けた撮影技法がグリフィスの名作『散り行く花』'19のビリー・ビッツァーのロー・キー撮影で、それはオープン・セットでの自然光撮影と効果的なコントラストをなしているのですが、続くドイツ映画のけれん味のある照明技法からの影響とあいまって、サイレント時代のみならず'20年代の日本映画のカメラマンや照明技師は'50年代まで現役だったので、その時代までの日本映画の室内場面の暗さは日本映画独特の暗さというよりサイレント時代からの古典的な映像技法を踏襲していたのです。クレール映画は映像が鮮やかな明るさと軽やかさで映画人を驚嘆させましたが日本映画はクレール映画のような画作りは不得手で、それに較べてフェデーやデュヴィヴィエ、カルネの映画は日本映画と近い発想の撮影・照明技法で作られていました。'30年代にルノワールの映画は『どん底』『ボヴァリィ夫人』しか入って来なかったのですが、ルノワールにしてはセット撮影の比重の高いこの2作以外の'30年代ルノワール作品は大半が大胆なロケーション撮影主体に室内セットもリアリティを重視したごちゃごちゃした調度を明快に映したもので、まずカメラマンや照明技師が「あんな映画撮りたくないよ」と日本の映画人には言われてしまうような作風でした。筆者が初めて『素晴らしき放浪者』『ピクニック』を2本立てで観たのは民間の映画マニア主催の上映会で、汚い公民館で呆れるほどひどい状態の劣悪画質の民生用16mmプリント版(英語字幕)でしたが、当時は観られる機会すら少ないので会場は満員で、16mmプリントや英語字幕は仕方ないとしてもせめてもうちょっとましな状態のフィルムで観れたらなあ、と情けない気分でした。のちにまともな特集上映で最上画質の35mmプリント・日本語字幕つきの版を観てようやくちゃんと観た気がしましたが、今回観直してみるとDVDマスターは良好だろうにクレールやデュヴィヴィエと続けて観ると『素晴らしき放浪者』の映像は粗い。たぶん'30年代の日本の映画人・批評家・観客には「汚い」と思われただろう粗さです。しかし後世の評価では、'30年代フランス映画はルノワールの一人勝ちという具合に傾き、『素晴らしき放浪者』は'30年代のルノワール作品の最高傑作のひとつとされています。『にんじん』と『素晴らしき放浪者』、または『外人部隊』と『素晴らしき放浪者』の2本立てを観てたぶん現在の日本の映画観客もデュヴィヴィエやフェデーの映画には感動し、『素晴らしき放浪者』には感想に詰まると思いますが、どんな感想を言っても馬鹿みたいにしかならない映画というのも本当にあるので、『素晴らしき放浪者』はその最たる1編です。なお、今回も作品解説文はボックス・セットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、映画監督の生没年、フランス本国公開年月日を添えました。

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●9月5日(水)
『素晴らしき放浪者』Boudu sauve des eaux (Societe Sirius, Les Films Michel Simon, 1932)*82min, B/W : 1932年11月11日フランス公開
監督:ジャン・ルノワール(1894-1979)、主演:ミシェル・シモン、シャルル・グランバル
・放浪者ブデュは川に身投げするが、古本屋の主人レスタンゴワに助けられる。レスタンゴワに感謝するどころか、横柄な態度で居座り続けるブデュ。しまいには、レスタンゴワの妻と愛人にまで手を出してしまい……。

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 日本公開は遅れに遅れて昭和52年(1977年)3月26日、40分の中編『ピクニック』'36/'46と2本立て公開されました。これも配給会社のフランス映画社の尽力によるものです。『ロッキー』がキネマ旬報ベストテン第1位のこの年、やはりフランス映画社が8月6日に日本初公開したルイ・マルの旧作『鬼火』'63はベストテン第3位(ブニュエルの『自由の幻想』'74と同点3位)に入りましたが、14年前の旧作の初公開は新作扱いになっても45年前の旧作は対象外だったのでしょう。ルノワールはインディペンデントの映画監督だったため戦前作品の公開には恵まれなかった監督で、'30年代作品で即座に日本公開されたのはアルバトロス社で作ったジャン・ギャバン主演作『どん底』'36だけで(『ボヴァリィ夫人』'33も昭和12年=1937年に公開されたものの、まったく話題にならなかったようです)、昭和12年度のキネマ旬報ベストテンで1位の『女だけの都』、2位の『我等の仲間』に続く3位で、4位の『孔雀夫人』、5位の『明日は来らず』を抑えての3位ですから高評価ですが、どうも『どん底』だけの評価というのはルノワールの一面でしかないきらいがあります。『坊やに下剤を』'31、『牝犬』'31、『十字路の夜』'32、『素晴らしき放浪者』、『ショタール商会』'33、『トニ』'35、『ランジュ氏の犯罪』'36、『大いなる幻影』'37、『ラ・マルセイエーズ』'38、『獣人』'38と、外国映画の輸入統制が施行される'39年(『ゲームの規則』の年)までの諸作のうちせめてあと3作くらい日本公開されていればルノワールへの認知度は相当変わったか、'30年代の日本の映画観客には受けない映画監督だったのがはっきりしたのではないでしょうか。というのも『どん底』はルノワールの映画にしては盟友クレールやデュヴィヴィエに近い趣向の作風で、よく観ればちゃんとクレールやデュヴィヴィエとは一線を画す着想の作品なのですが、ジャン・ギャバン主演作で貴族とルンペンの対比という題材で見かけは「詩的リアリズム」っぽいのです。しかし本作『素晴らしき放浪者』が当時公開されていれば本作から『どん底』へのテーマの継承は紛れもなく、ゴーリキー原作は形だけで『どん底』はほとんど『素晴らしき放浪者』の改作と言っていい映画だったのがわかります。本作は主人公の放浪者ブデュを演じるミシェル・シモン(1895-1975)が素晴らしい!シモンはマルセル・レルビエの『死せるパスカル』'25で映画デビューし、ルノワール作品には『坊やに下剤を』『牝犬』に次ぐ出演ですが『牝犬』、本作、ジャン・ヴィゴの『アタラント号』'34の3作で不滅の俳優となり、子息のフランソワ・シモン(1917-1982)もアラン・タネールの『どうなってもシャルル』'68の主演でさすがミシェル・シモンの息子という存在感を感じさせてくれました。本作もキネマ旬報の新作公開映画紹介に昭和52年公開時の紹介がありますが、戦前の近着外国映画紹介や昭和40年代前半までの熱っぽい紹介文と較べるとずいぶんあっさりしたもので、時代の推移を感じます。
[ 解説 ] 自由に生き放浪する老人と世間とを描く。製作はミシェル・シモン、監督・脚色・脚本は「大いなる幻影」のジャン・ルノワール、原作はルネ・フォーショワ、撮影はマルセル・リュシアン、音楽はラファエル、ヨハン・シュトラウスが各々担当。出演はミシェル・シモン、シャルル・グランヴァル、マルセル・エニア、セブリース・レルシンスカ、ジャン・ダステなど。
[ あらすじ ] セーヌ河畔の本屋の主人レスタンゴワ(シャルル・グランヴァル)が、ブーデュ(ミシェル・シモン)の姿を見たのは、ある小春日和の日の午後だった。妻(マルセル・エニア)にはあいそをつかされ、若い女中アンヌマリ(セブリース・レルシンスカ)にうつつを抜かしていたレスタンゴワには、ブーデュの姿が美しくみえた。セーヌに身投げしたブーデュを助け出したレスタンゴワ。だが、ブーデュには救われる気はなかった。自由に生きる放浪者にとって、レスタンゴワ一家は道徳の悪巣であり、逆に一家にとりブーデュは不道徳の化神であった。食事を台無しにし、レスタンゴワと女中の密会を妨害し、家宝のバルザックの初版本に唾をはき、本屋の客を追い返し、夫人すら誘惑する彼。ついにレスタンゴワは解決法――女中とブーデュとの結婚――をおしすすめた。数日後の水辺での披露宴の際中、舟はひっくり返り、新婦やレスタンゴワ夫婦は岸へ上がろうとするが、ブーデュは上がろうとせず、再びどこへともなく流れ去って行くのだった……。
 ――のちに『アタラント号』でシモンと共演するジャン・ダステが古本屋の学生客役でちょい役出演するのも嬉しく、そう言えば『巴里の屋根の下』のやくざの親分役のガストン・モドはブニュエルの『黄金時代』'30の主演俳優で、ルノワール'30年代最後の『ゲームの規則』'39ではいつの間にかキー・マンになってしまう森番役でその悪相を生かしていましたが、ルノワール、ブニュエル、ヴィゴといった監督がモドやシモン、ダステといった味のある俳優でつながっているのは何とも嬉しい気がします。本作はミシェル・シモンの放浪者役が際立っているだけにルンペンがブルジョワ家庭を引っかき回す話という面が強く見え、ハリウッドで本作をニック・ノルティ主演でリメイクした『ビバリーヒルズ・バム』'85(こちらではホームレスがビバリーヒルズの豪邸に侵入しプールで入水自殺しようとします)ではコメディ色の強いものになっていました。しかし本作の真の主役と言うべきは裕福な中年の古書店主レスタンゴワ(シャルル・グランヴァル)で、この自由な平民思想のブルジョワはルンペンのブデュを無償の善意で救助し、さんざんな恩知らずな振る舞いにも対等な人間として寛大に接し、妻を寝取られ愛人を横取りされても自分とブデュを公平な立場に置いて穏便な和解策を選びます。つまりこの古書店主は『どん底』'36の男爵役のルイ・ジューヴェにつながっていくキャラクターなので、『どん底』の男爵は賭博で破産して家財道具も家屋も借財に売り渡し、自殺しようとしていた晩に侵入してきたこそ泥のジャン・ギャバンと知りあい、ギャバンの住む安宿「どん底」の住人になります。結末では生まれも育ちもこそ泥のギャバンが恋人を連れて安宿「どん底」から旅立っていき、一方貴族生活の窮屈さから安宿「どん底」での生活の方に安住の地を見つけたジューヴェは「どん底」に留まります。原作戯曲の『どん底』は黒澤明による時代劇に置き換えた映画化('57)の方が忠実なくらいで、底辺の安宿生活を送る人々の群像劇であり、ジューヴェとギャバンに当たる中心人物はいないので、ルノワールは『素晴らしき放浪者』のブルジョワ古書店主と放浪者ブデュの関係を拡大し一ひねりして、自殺しようとしたブルジョワの方が最下層の人々の中に降りていく、と逆転させて映画『どん底』の創作部分とした、といえるので、この人間に貴族もブルジョワも芸術家もプロレタリアもルンペンもない、というルノワールの平民思想がボーマルシェ流艶笑喜劇に始まってドストエフスキー的崩壊で終わる、恐るべき傑作『ゲームの規則』'39に育って行きます。ただしルノワールは第2次世界大戦の勃発への危機感から本来の指向とはやや異なる方面に目を向け、それは階級秩序の回復、また国際法の遵守(スイスへの国境を越えた脱走捕虜の主人公ギャバンは、国境を越えたと確認されるとドイツ兵は国際法に従って追跡・銃撃を止めます)という形を取って第1次世界大戦映画『大いなる幻影』'37に描かれました。しかし『大いなる幻影』の「幻影」はルノワールにとっては「見失われた理想」の意味合いだったはずですが、実際の第2次世界大戦の現実はルノワールの理想主義も踏み越えたものでした。そしてようやく戦後には、ルノワール本来のラディカルな人間主義、人間に階級も貴賤もない(『素晴らしき放浪者』『どん底』)、あっても崩壊する(『ゲームの規則』)という見方は見直されたので、「詩的リアリズム」という枠を超えて戦前のフランスでもっとも大胆な映画を作っていたのはルノワールであり、リアリズム映画であるゆえに自然な流露感のある、観直してなお発見の多い豊かな映画と認められるようになった、といういきさつがあります。一見他愛ない、クレールの『ル・ミリオン』や『自由を我等に』などよりも他愛なく見える『素晴らしき放浪者』が実は案外ずっとあとまで尾を引く映画なのも観直すたび新たな見方ができるからで、ルノワールの場合この見かけの他愛なさが実は曲者だったりするのです。

●9月6日(木)
『外人部隊』Le grand jeu (Pathe-Natan, 1934)*110min, B/W : 1934年5月2日フランス公開
監督:ジャック・フェデー(1885-1948)、主演:マリー・ベル、ピエール・リシャール=ウィルム
・贅沢な恋人フローランスのために、会社の金を散財してしまったピエール。パリから追放され、恋人からも捨てられてしまった彼は、モロッコの外人部隊に入隊する。ある日、フローランスとそっくりなイルマと出会い……。

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 日本公開昭和10年(1935年)5月9日、キネマ旬報ベストテン第2位。これも10代半ばの頃に深夜テレビの放映で観て簡単に感動してしまった苦い思い出のある映画で、ジャック・フェデーの3大人気作と言えば本作、『ミモザ館』'34、『女だけの都』'35ですし、筆者も長い間この3作の印象でフェデーを知ったつもりでいましたが、のちにサイレント時代の『女郎蜘蛛』'21、『雪崩』'23、『面影』'24、『カルメン』'26、『グリビシュ』'27、『成金紳士たち』'28などを観て認識を改めました。フェデーのトーキー時代の3大人気作は脚本家シャルル・スパークとの共同脚本による時流を狙ったムード作品で、そういう作品として完璧な映画ですが、フェデーはサイレント時代にすでに巨匠の風格があって『外人部隊』や『ミモザ館』は巨匠の余技、『女だけの都』には唯一フランスでのサイレント作品最後の『成金紳士たち』の余韻がある、という感じがします。『成金紳士たち』以来の助監督マルセル・カルネが『外人部隊』『ミモザ館』『女だけの都』では助監督を勤めており、カルネと言えば1953年8月に溝口健二が大映作品『雨月物語』をヴェネツィア国際映画祭に出品して渡欧した時に、映画祭会場で同行していた溝口作品の脚本家・依田義賢氏がうっかり後ろの小柄な紳士の足を踏んでしまい、マルセル・カルネだとわかって溝口は依田氏に「ジャック・フェデールの弟子の足を踏んだのは君くらいのものだろう」と大喜びだったそうですが、溝口健二(1998年生まれ、'22年監督デビュー)には14歳年上・'15年監督デビューのフェデーは大巨匠でも8歳年下、'36年監督デビューのカルネは「フェデールの弟子」呼ばわりだったのが知れる愉快なエピソードです。フェデー(日本での表記はフェデール、フェーデなど揺れがあります)はもともとベルギー出身で、映画界にはフランスのゴーモン社から入りましたが、長編映画時代にフリー監督になってからはスイス、オーストリア、ドイツ、イギリスでも映画を撮り、ハリウッドに招かれていた時期もあり、フランス映画界出身ではありますが純粋にフランスの映画監督とは言えない国際監督で、それぞれの国に合わせた企画で映画を作っていた面も大きいのです。そういう意味でも'30年代フランス映画の「詩的リアリズム」の早い時期の完成型である『外人部隊』『ミモザ館』は脚本家スパークと助監督カルネのセンスが反映していたのではないかと考えられます。「外人部隊」ものというとサイレント時代の『ボー・ジェスト』'27は古いとしてもトーキーでは先に『モロッコ』'30という強烈なのがあり、あとにデュヴィヴィエのアナベラ、ギャバン出演作『地の果てを行く』'35があり、フェデー作品が『モロッコ』を、デュヴィヴィエ作品が先行作2作を意識していないはずはないので、『外人部隊』『地の果てを行く』ともども『モロッコ』同様異国メロドラマの体裁を採りながら先行作とは別種の映画にすべき趣向を取っています。外人部隊ものなど日本の観客にとってはもっとも遠い世界を描いているのに『モロッコ』『外人部隊』『地の果てを行く』いずれも日本で大人気作になったのはまさに遠い世界の特殊状況の映画だったからで、当時の観客にはこれがどこまではリアリズムで、どこからが意図的なフィクションかもあまりよくわからずにこれらに熱中したものと思われます。さて本作10代の時に感動した子供が40年あまりを経て観直してみると、よくまあこんな主人公が人間の屑のような映画に感動したものだと妙な所に感心します。10代の子供にはそうした面がわからず、主人公の厭世観だけに共感して観ていたのですが、大人になってから観るとこれはどう観ても主人公の自業自得なので、人生に嫌気がさしているのもそういう生き方をしてきた男だからです。しかし戦前の日本の観客はそれを主人公の運命的不遇と観ていて、単なるフランスの駄目男ではなく共感の対象に感じていたと思われます。そのあたりの解釈も含めて、これも日本公開時のキネマ旬報の近着外国映画紹介を引いてみましょう。
[ 解説 ] 在仏時代に「雪崩」「カルメン(1926)」等を作り渡米後「接吻」「あけぼの」等を作ったジャック・フェーデが帰仏してからの第一回の監督作品で脚本はフェーデ自身が「父帰らず」のシャルル・スパークと協力して書き下ろしたものである。主演者はコメディー・フランセーズ座附きのマリー・ベルと舞台出のピエール・リシャール・ウィルムとの二人であるが、これを助けて「素晴らしき嘘」のフランソワーズ・ロゼーとフランス劇団の一方の雄ジョルジュ・ピトエフとの二人が重要な役を務めて出演する。その他の出演者は「秘密の家」のシャルル・ヴァネル、「バラライカ」のネストル・アリアニ、「商船テナシチー」のピエール・ラルケ、カミーユ・ベール、レヴュウ女優のリーヌ・クレヴェルス、など。撮影は「レイ・シャルマン」のハリー・ストラドリングとモーリス・フォルステルの二人が担任、音楽は「クウレ・ワムペ」のハンス・アイスラーが担任した。セットは「巴里祭」「自由を我等に」と同じくラザール・メールソン。
[ あらすじ ] ピエール・マルテル(ピエール・リシャール・ウィルム)はその情人フローランス(マリー・ベル)の奢侈を満足させるために多額の金を費消し遂に会社の金にまで手をつけた。で危うく訴訟沙汰になろうとしたところ伯父が金の問題は引き受けてくれたので此の場は丸く納まったが、その代わり彼は外国へ亡命せねばならなくなる。ピエールはフローランスに共に逃げてくれと言うが、淫華な彼女はそれに明確な答弁を與えてくれない。で自棄になったピエールは独り国を去って地獄の生活たるモロッコの外国人部隊に投ずる。行軍と戦いと病気と、それから絶望と空虚との外国人部隊の生活。慰めは酒と女とだけであった。そしてピエールにはフローランスの面影が忘れ様としても忘れられなかった。それがいつ迄も彼の心を苦しめた。此の外国人部隊で彼に親友がいた。ロシアから亡命してきたニコラ・イヴァノフ(ジョルジュ・ピトエフ)がそれである。ピエールとニコラの二人の宿の主婦はブランシュ(フランソワーズ・ロゼー)といって世の中の憂いさも辛さも知り尽くしている女だった。だが、彼女の夫クレマン(シャルル・ヴァネル)は怠惰でそれに豚のような心の男であった。ある晩、ピエールはフォリー・パリジェンヌの酒場でフローランスと顔容の同じな歌女イルマ(マリー・ベル、二役)を見た。イルマはフローランスの金髪の代わりに黒髪で、それに嗄れた低い声を持った、頭にピストル疵のある教育のない女だった。だが、純情な女だった。そしてピエールがイルマに恋人の面影を見出して彼女と一夜の契りを結んでから、イルマはピエールに真実の恋を捧げた。ピエールにとってもイルマが必要になってきた。そして彼はブランシュの厚意により彼女から金を借りて、イルマを酒場から引き取りクレマンの宿屋に下働きとして住み込ませた。で二人の恋はここに進んで行ったが、時としてピエールにイルマが実はフローランスではないかと狂気染みた妄念が起こるのである。するとイルマは男の言葉が恐ろしく、ただ泣いた。ところでブランシュのカルタの運命判断の占いは実によく当たるのであった。彼女の占いはピエールが人を殺すことを予言したが、それが実となって現れ、イルマをいどんだクレマンはピエールと争って、不慮の死を遂げた。ブランシュはそれを闇に葬ったが、次いで危険な進軍に我と我が身を投出して行ったニコラが死んだ時には、流石のブランシュも嘆きに暮れた。彼女とニコラとの間には人知らぬ情けの心が結ばれていたからである。その後、ピエールの心が漸く平静に立ち返った頃、伯父が死んで彼の許に遺産が入った手紙が来た。五年の年期があけたピエールはイルマの無情の歓喜にまで彼女を伴ってフランスに帰ることを考えた。だが、カザブランカの港から帰国の船に乗るその前日、ピエールは不図バシャに伴われたフローランスに再会した。彼女を見るとピエールの心は再び彼女への熱い思いに乱れた。そして彼女と会談した時、共に逃げてくれと迫った。だが女の心は冷たかった。かくてピエールは前にも増して自棄となった。ピエールはもう世の中に生きる望みはなくなった。イルマと共に暮らす気にもなれぬ。そこで彼はイルマに内緒で再び外国人部隊に入り、イルマには金を與えて後から行くからと云って彼女一人をフランスに立たせた。然し、進軍の朝、ブランシュのカルタの占いは死!と出た。ピエールは今度こそ屹度死ぬに違いない。だが、総ての望みを失った彼は軍隊に加わって行くのである。後に唯一残されたブランシュの悲しみ。
 ――ざっとこんな紹介で、長い長いあらすじから紹介文筆者の入れ込みぶりが伝わってきます。「宿の主婦はブランシュといって世の中の憂いさも辛さも知り尽くしている女だった。だが、彼女の夫クレマンは怠惰でそれに豚のような心の男であった」というのは観る側の解釈で単純化しすぎていますし、末尾の「ピエールは今度こそ屹度死ぬに違いない。だが、総ての望みを失った彼は軍隊に加わって行くのである。後に唯一残されたブランシュの悲しみ」などは昭和10年になってもサイレント映画の弁士の口上そのままです。今時なら中学生でもわかるようなこの映画のそもそも主人公の愚かさ、作り手の得意顔が浮かぶような伏線の張り方と回収ぶり、ここぞという時の大胆な省略法(成功しているのは謎の戦友ニコラとの別れのあいさつ~即ストレートなカットつなぎでニコラの遺品の焼却場面に移る場面でしょう)が人生の真実を突いたような深刻ドラマのように観られたのも、アフリカのどこかで結局具体的にはどういう事態の戦況設定なのか映画で実際には描かれすらしませんが、ただし日本の観客には想像を絶した遠い世界の特殊状況の映画でしたからそのあたりの疑問を飛び越えて荒唐無稽とも作り物とも思われなかったので、この映画の外人部隊は「自棄になったピエールは独り国を去って地獄の生活たるモロッコの外国人部隊に投ずる。行軍と戦いと病気と、それから絶望と空虚との外国人部隊の生活。慰めは酒と女とだけであった」という世界であって、現実世界の戦線とはまったく関係ありません。ここで肝要なのは外人部隊というイメージだけなので、「詩的リアリズム」という呼称に即して言えばこれは詩的意匠によってリアリズムに見せかけられてはいますが実際には反リアリズムの映画です。ルノワールの映画が人間主義による率直なリアリズムを指向しているために詩情が漂ってくるのとは方向性はむしろまったく逆なので、こういう言い方をするとルノワールを持ち上げてフェデーを貶めているようですがそういう意味ではなく、フェデー、また共同脚本のスパークはスタンバーグの『モロッコ』を観てなるほどな、ハリウッド映画の描く外人部隊とはああいうものかと思ったでしょう。特にフェデーはすでにサイレント末期~トーキー初期にハリウッドに招かれて映画を撮った経験もありますし、スタンバーグがいつまでドイツ出身監督とはったりを通していたかわかりませんが、『モロッコ』にもやはりハリウッド映画だからこそできたこととできなかったことがあり、それに対するフェデーからの回答が本作だったと思えます。もちろんそこには『モロッコ』の外人部隊は偽物で当事者国フランスから見た真の外人部隊はこれだ、と示す意図などさらさらなかったでしょう。こうした場合映画監督にあるのは自分の芸の技量への自負と覚悟なのはどういう分野の仕事にも言えることで、アメリカの若手もなかなかだが俺がやればもっとすごい、というのが「宿命の女」を一人二役にする、自分の分身であるかのような戦友に先立たれる、転がりこむ遺産相続に背を向ける、そして必ず当たるカード占い、と凝りに凝った趣向を凝らした本作で、主人公の出兵を突然女が追って駆け出すのが『モロッコ』のクライマックスなら『外人部隊』では出兵直前に必ず当たるカード占いが主人公の死を予言する、という具合です。おそらく現在でもシナリオライターやラノベ作家講座の類では『外人部隊』のようなシナリオが優秀とされているでしょう。そうした見方をすると『モロッコ』は支離滅裂な映画で、思いつきをつぎはぎしたような代物です。『外人部隊』の尺度からするとそうなります。ならば『モロッコ』の尺度で『外人部隊』はどうかと言えば伏線を張っては回収するばかりの映画となり、結局映画にはどちらもありとしか言いようがありません。本作は宿屋兼酒場兼女郎屋の助平親父がはまり役のシャルル・ヴァネル、そのおかみ役でフェデー夫人でもあるフランソワーズ・ロゼーの貫禄のおかげで映画が理に落ちずに済んだ観があります。しかしヴァネルとロゼーの役柄は必ずしも外人部隊ものでなくてもいい点にも気づかないではいられません。

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