(初のヴァンパイア役に扮したチェイニー)
ロン・チェイニーの出演映画を観直した感想文も今回で一旦区切りで、フィルムが現存しDVD化されている長編も他には4、5作を数えるきりですから(今後新たにDVD化される作品もあるかもしれませんが)、主要なものはほぼ観直せたかと思います。トッド・ブラウニンク監督作品への初出演作『気儘な女(The Wicked Darling)』'19と晩年のMGM期のブラウニンク監督作『マンダレイの道(The Road to Mandalay)』'26、『ザンジバルの西(West of Zanzibar)』'28、『獣人タイガ(Where East is East)』'29を観直す(『マンダレイの道』は未見ですが)余裕がなかったのは残念ですし、チェイニー自身が好きな作品に上げているMGM時代の名作のひとつの海底採掘ドラマ『英雄時代(Tell It to the Marines)』'26(ジョージ・W・ヒル監督作)も今回見送って残念ですが、上記作品を除けばチェイニー映画はほとんどフィルム散佚作品になっているので、感想文で取り上げた24作と上記作品で現在観ることのできるチェイニー映画はほとんどすべてになります('25年以降のMGM作品でも『故郷の土(The Tower of Lies)』'25、『The Big City(日本未公開)』'28、『While the City Sleeps(日本未公開)』'28、『鉄路の王者(Thunder)』'29は散佚しています)。改めて思うのはサイレント時代のアメリカ'20年代の映画でこれだけまとめて主演・出演作が観られる俳優はいないので、長編映画の主演作の数ではチャップリン、ロイド、キートンをも上回っているくらいなので、チェイニー以上の人気スター俳優は男性俳優にも女性俳優にもいましたが、出演作の数でも今なお上映され、映像ソフト化されている作品数でもロン・チェイニー以上に息の長い人気を誇る俳優は見当たらない、ということです。逝去までの10年間の主演・出演作品が長編だけでも3/4弱に当たる30作あまり残っていて、それが90年~100年を経て現在も観られているのは代表作だけが風雪に耐えているの他のサイレント時代の俳優とは違う人気で、アメリカ映画の元祖怪奇映画スターというのがチェイニーにもっともよく使われる肩書きですが、チェイニー映画で怪奇映画と言えるものはごく一部ですし、それらも今日の観客には怪奇映画に期待されるような恐怖感をほとんど与えないものです。チェイニー映画は怪奇映画で括るよりもチェイニーが絶体絶命の立場に立たされるサスペンス映画として一貫していると言った方がよく、その表現力は「チェイニーは精神そのものを演じることができる俳優だった」(レイ・ブラッドベリ)と後世に再評価されるようなものでした。これはつまりチャップリンやキートンに匹敵する俳優ということで、サイレント時代の俳優のうちでも最高の一部の俳優に見られ、サウンド・トーキー以降の俳優からは地を払った、純粋な精神性自体を演じていた俳優だった、ということです。チェイニーの遺作はただ1作のサウンド・トーキー作品になり、そこで聴かれるチェイニーの肉声は容貌通りの張りがあり人間味と説得力のある美しい声で、トーキー時代にも一流俳優として活躍しただろうと確信できる演技ですが、映画のサウンド・トーキー化と癌による享年47歳の急逝によってサイレント時代の映画俳優にとどまったのもチェイニーの場合は運命がチェイニーをしてサイレント映画に殉じさせたように見えるのです。
(ヴァンパイア用メイク箱とチェイニー)
●8月22日(水)
『真夜中のロンドン』London After Midnight (監=トッド・ブラウニング、Metro-Goldwyn-Mayer'27.Dec.3)*45min(Original length, 65min), B/W, Silent; 日本未公開 : https://youtu.be/EwNG1oDLiSk
○あらすじ ある夜、ロンドンの貴族ロジャー・バルフォア卿(クロード・キング)が変死を遂げる。凶器は銃で、娘ルシール(マーセリン・デイ)宛ての遺書があったが、隣人でロジャー卿の友人のジェームス・ハミルトン卿(ヘンリー・B・ウォルソール)はロジャー卿の自殺を疑い、ルシールとの恋を反対されていたロジャー卿の秘書アーサー(コンラッド・ネイゲル)に疑いがかかるが、ロンドン警視庁捜査官バーク(ロン・チェイニー)は証拠不十分で事件を自殺と処理する。5年後、黒衣の不審な男女(チェイニー、エドナ・テシュナー)が廃屋となった郊外のバルフォア邸別荘に住みつき、別荘も隣のジェームス卿は事件との関連を疑ってバーク捜査官を呼ぶ。不審な男は5年前の生前のロジャー卿自身による賃貸契約書を見せる。バーク捜査官はルシールとアーサー、故ロジャー卿の執事ウィリアムズ(パーシー・ウィリアムズ)と新入りメイドのスミッソン嬢(ポリー・モーラン)を呼びよせジェームス卿とともにジェームス卿邸別荘から不審な男女を監視するが、スミッソン嬢が不審な男に夜中に襲われる事件が起こり、不審な男女はヴァンパイアの一族ではないかという疑惑を抱いた捜査官たちはロジャー卿の墓を調べて墓が空になっているのを知る。やがて捜査官たちは復活したロジャー卿が不審な男女とともに別荘にいるのを目撃するが、ルシールはヴァンパイアの男女に誘拐されて父、ロジャー卿の別荘に幽閉され……。
のちに『魔人ドラキュラ』'32で画期的な吸血鬼映画を作るトッド・ブラウニングの本作はブラウニング初の吸血鬼映画であり、制作費15万1,666ドルに対して興行収入100万4,000ドルを記録してブラウニング監督のチェイニー映画最大のヒット作になりましたが、サイレント時代末期の作品だったためサウンド・トーキー映画に取って替わられてロング・ヒットとはならず、その上1965年のMGMのフィルム倉庫の大火事でオリジナル・プリントが焼失してしまった不遇な運命を辿りました。現行のTCMアーカイヴ版は作品の重要性を鑑みて2002年にシナリオとスチール写真、断片的な残存フィルムからスライド・ショー形式で復原されたもので、チェイニーのTCM版作品集に特典映像として収録されています。これがなかなか健闘したヴァージョンで、オリジナル全長版65分に対してスライド・ショー版45分ですから映画の全容を想像するには十分な復刻で、欠損版プリントしか残されていないという『While the City Sleeps』'28や『鉄路の王者(Thunder)』'29の今後の復刻も行われてほしいものですが、本作の場合は特別な映画史的価値から優先されたものでしょう。何しろチェイニーのヴァンパイア役の特殊メイクと衣装が決まっています(チェイニーの衣装だけではないでしょうが「Wardrobe by Lucia Coulter」とクレジットされています)。原作はクレジットによるとブラウニングの短編小説「The Hypnotist」で、『三人』『見知らぬ人』の脚本家ウォルデマー・ヤングによって脚本化されており、あらすじを起こしましたが実は本作は二転三転した展開と視点の転換でどんでん返しが仕組まれている謎解きミステリー仕立てなので、この後の結末1/4のあらすじを書くと本当にネタバレになってしまうのでリンクで実物をご覧くださいとしか言えないのです。逆に書けるところまで書くと、ヴァンパイアたちの密談を目撃する中にバーク捜査官もいるように、どちらもチェイニーの二役ではありますがヴァンパイアの正体がバーク捜査官ではありません。チェイニーは別々の人物として演じています。結末にさしかかる箇所(ルシールの誘拐)で止めたあらすじにぎりぎり書いてもいいかという所まで補足すると、ルシールの身を案じる恋人アーサーはバーク捜査官を犯人と疑い、バーク捜査官は状況的に君こそ最大の容疑がある、とアーサーを問い詰め、尋問に見せかけてアーサーに催眠術をかけて眠らせてしまいます。つまり「催眠術師(The Hypnotist)」とはバーク捜査官を指していたわけで、一方その頃ルシールはヴァンパイアたちに誘拐され死んだはずの父の前に引き出されていた、となりますから、観客はいったいバーク捜査官がヴァンパイアたちの親玉なのか、そもそも5年前の変死事件とこのヴァンパイアたちの登場に何の関係があり、どういう筋の通った解決がつくのかわけがわからなくなります。
それもチェイニーが有能できびきびした敏腕捜査官バークと「ビーヴァー・ハットの男」と呼ばれるグロテスクなヴァンパイアの二役を演じており、観客にはチェイニーは犯罪者役という先入観があるからで、それが映画の謎解きミステリー的なストーリー展開について観客をミスディレクションする効果になっている、なかなか知能犯的なプロット上の仕掛けがあり、これは敏腕捜査官役とヴァンパイア役を一人二役できる主演俳優がいなくてはできない手口です。切り返しカットで捜査官とヴァンパイアは別人とはっきり描いていますから映像はフェアですが、なぜルシールに危機が迫ったタイミングで捜査官が初めてルシールの恋人に催眠術をかけて眠らせたかはその場面では一切説明なしに映画は現在形で進んでいきますし、クライマックスですべての謎が解き明かされて大団円となる、その大団円では説明なしに描かれてきた登場人物たちの謎の行動の意味も明らかになります。いくら何でも強引だろうとか難癖はつけられますが、ミステリーものにはこのくらい強引な策謀や真相はありなので、本作を観た後でようやくわかることですから書いてもいいと思いますが本作はブラウニング流の『カリガリ博士』'19だった、ということです。公開当時の映画評は賛否両論だったそうですが観客には大評判でMGMのチェイニー作品でも指折りの大ヒット作となるも、前述の通り焼失してしまった作品ですが、スライド・ショー版でおおむね作品内容は知ることはでき、オジー・オズボーンの元祖のようなチェイニーのヴァンパイア姿はスチール写真だけでも楽しめるものです。掲載したポスターは世界で唯一現存するオリジナル・ポスターとされ、2014年に映画ポスターとしては最高額の47万8,000ドルで落札され、それまで'97年に『ミイラ再生』'32のオリジナル・ポスターが記録した落札価格45万3,000ドルを更新しました。ブラウニングは本作を『怪物団(フリークス)』'32の世評・興行的大失敗で監督を干されていた中、『古城の妖鬼 (Mark of the Vampire)』'35としてリメイクしています。さて問題は、のちに『魔人ドラキュラ』'31を大ヒットさせるブラウニングですが、実は本作は吸血鬼映画の見かけはとっていますしメイクやコスチュームも本格的ですが、結末の真相まで観ると実は怪奇ムードの謎解きミステリーで吸血鬼映画と言えるかは疑問になってきます。合理的結末がつく点で『カリガリ博士』ではあっても本物の吸血鬼映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』'22とは趣向が違い、それもこの映画のトリックなのが最後までご覧になって初めてわかります。ただしそれでも本作がサイレント映画でももっとも焼失が惜しまれる作品とされ、苦心してスライド・ショー版が作成され、史上最高の金額でポスターが競売された映画になったのは、本作がアメリカ初の本格的吸血鬼映画として名高いからで、合理的な謎解きの結末までは本作は観客を吸血鬼の謎と怪奇で引っ張っていくのです。スライド・ショー版でもそのスリルと怪奇ムードは十分に伝わってきます。
●8月23日(木)
『笑え、道化師よ、笑え』Laugh, Clown, Laugh (監=ハーバード・ブレノン、Metro-Goldwyn-Mayer'28.Apr.14)*73min(Original length, 73min), B/W, Silent; 日本未公開 : https://youtu.be/skq5bkOueAs (trailer) : https://youtu.be/XtDjiAqz7Lg (preview) : https://youtu.be/EsV-UECVCAM (fragment)
○あらすじ 春のイタリアの田舎町、巡業に来た道化師のティト(ロン・チェイニー)はひと休みしていた河辺で足を縛られ捨てられた幼女を拾う。幼女の愛らしさに胸を打たれたティトは兄の相棒シモン(バーナード・シーゲル)の反対を押し切り、兄の名にちなんでシモネッタと名づけて育て上げることを決意する。15年後、シモネッタ(ロレッタ・ヤング)は美しい娘に育ち、綱渡りの芸も覚えてティト兄弟とともに舞台に上がるようになった。シモネッタは髪飾り用に薔薇の花を摘みに出かけ、プレイボーイのルイジ伯爵(ニルス・アスター)の目にとまるが、ティトを慕うシモネッタは伯爵の誘惑を退ける。ティトはシモネッタがもう少女ではないことを痛感する。事件を知ったシモンはだから女は災いの元だ、コンビ解消だと怒り、ティトはシモネッタにシモンを呼び戻してもらう。3年後、フリックとフロックと改名したティトとシモンはローマ1の人気道化師コンビとなっていたが、ティトは鬱になり精神科医に通っていた。そこでシモネッタへの思慕からプレイボーイを辞め情緒不安定で悩む伯爵ルイジを本人と知らず知りあい、友人となったティトは、しばらくシモネッタの配慮で伯爵の正体を知らなかったが、楽屋に届けられた名刺つきの贈り物のネックレスで伯爵に対して激怒する。しかし添えられた手紙で3年前の誘惑を詫びたい、生き方を改めて真剣に愛していると知ったティトはシモネッタとルイジの結婚を許す。結婚式の前日ティトの楽屋に訪ねてきたシモネッタはティトの愛が娘としてではなく一人の女としての愛であると気づき、ティトが望むならティトの妻になる、これからルイジにそう言うと壁のマリア像に誓うが、ティトはシモネッタが去るとマリア像にシモネッタの言葉は嘘だ、彼女の心にはルイジしかいない、とつぶやく。シモンに新しい演目の練習をしようと呼ばれたティトは劇場出口で迎えに来たルイジがシモネッタと抱擁しあうのを見、空っぽの劇場で満席の観客の幻を見ながらシモンとの得意技をおさらいし、クライマックスの倒立綱渡りで転落する。シモンに介抱されながら、ティトは「彼女はまだ若い。私はもう歳だ」とつぶやいて息を引き取る。
今回の3作はいずれも日本未公開で、キネマ旬報は公開作品のデータ抜けも多い一方、未公開に終わった映画でも輸入試写が行われたものは近着外国映画紹介に紹介されている場合もあるのですが(チェイニー映画なら『ミスター・ウー』、またヒッチコックの最初の2作『快楽の園』'25、『山鷲』'26など)、今回の3作は輸入試写紹介もされていなかったようでキネマ旬報から引くことができなかったので、観直した後で英語版ウィキペディアの作品解説を参照しながらあらすじをまとめました。あらすじのまとめ方も感想文のうちなので、ミステリー映画である『真夜中のロンドン』『三人』は結末はぼかし、本作はメロドラマなので結末までたどってあります。そう、本作は主演を勤めるようになった'22年以降珍しい純然たる純愛メロドラマで、'25年以降のMGM専属時代でも犯罪要素のない点で『英雄時代』'26や『嘲笑』(散佚作品『故郷の土』'25もそうらしいですが)と並んで異色で、『英雄時代』や『嘲笑』にはスペクタクル要素がありましたが、本作は主人公がピエロ芸人なのが特色であり事故死に近い自殺で終わりますが、やはりチェイニーがピエロを演じた『殴られる彼奴(あいつ)』'24のような壮絶な復讐劇でもありません。孤児を養女にした主人公のピエロ芸人が成長した養女への養父以上の愛に苦しみ、養女の恋人の出現に葛藤し、みずから身を引くように死んでいく、という話です。監督ハーバート・ブレノン(1880-1958)は'13年監督デビューのヴェテランで、ロナルド・コールマン主演版『ボー・ジェスト』'26(キネマ旬報'27年度ベストテン第4位)がもっとも著名な監督作になり、'40年まで現役監督だった人で、本作は'19年出版のイタリアの戯曲をブロードウェイで上演した'23年の同題の舞台劇を原作にしており、ライオネル・バリモア(1878-1954)主演の舞台は'23年11月~'24年3月まで113公演のヒット作になりました。MGMはチェイニーのピエロ役は『殴られる彼奴』があったため本作の製作は遅らせ、バリモアは本作へはステージ監修で関わり、本作の次々作になるブラウニング監督作『ザンジバルの西』'28ではチェイニーのライヴァル役として本格的共演します。チェイニーのような異色俳優がアメリカ演劇・映画界最高のエリート俳優バリモアと共演するようになるとは5年前には誰も想像できなかったでしょう。これもMGMの主任プロデューサーで'23年にユニヴァーサル作品『ノートルダムの傴僂男』の仕掛け人だったアーヴィング・サルバーグ(1899-1936)がMGMのチェイニー映画で作り上げてきた実績があってこそ、と言えそうです。
サルバーグのMGMのチェイニー映画の製作方針は、トッド・ブラウニング監督によるスリラー作品とさまざまなヴェテラン監督によるドラマ作品を交互に公開し、マンネリを避けチェイニーのさまざまな面を見せるとともに堅実なスリラー映画の観客を満足させ、それまでのチェイニー映画では引き立て役にとどまったヒロインに魅力的な新人女優を配した、明快なものでした。ユニヴァーサルの2大特大ヒット作のチェイニー映画『ノートルダムの傴僂男』『オペラの怪人』でも女優に見せ場があるかというとそれほど印象には残りませんが、MGM作品になると『殴られる彼奴』のノーマ・シアラー、『三人』('25年版)のメエ・ウェスト、『ミスター・ウー』のルネ・アドレー、『知られぬ人』のジョーン・クロフォード、『嘲笑』のバーバラ・ベッドフォードという具合に実力のある魅力的な新人女優が華を添えるようになります。本作では14歳の新人女優ロレッタ・ヤング(1913-2000)初のメジャー映画出演作で、ヤングはオーソン・ウェルズの『ナチス追跡』'46の翌年の『ミネソタの娘』'47(H・C・ポッター監督)でアカデミー賞主演女優賞を受賞後、長寿番組になったテレビ番組「ロレッタ・ヤング・ショー」'53-'61が日本でも放映されて長い人気を誇った女優で、ロレッタ・ヤングは晩年のインタビューで本作を振り返り、チェイニーは親切で丁寧な演技指導をしてくれ、また監督ブレノンのセクハラから守ってくれた、と答えています。マーヴィン・ルロイに見出されて子役デビュー、と書かれた経歴が多いロレッタ・ヤングの本格的なデビュー作なのも本作の価値を高めており、15歳~18歳を演じる本作のヤングは他の女優では代わりがきかない素晴らしい存在感と演技で、チェイニーの悲恋映画の最高峰と言うべきこの作品をみずみずしい感動的な佳作に押し上げています。こういうメロドラマ作品は見所を集めたあらすじをまとめてしまうと感想文の余地はないようなものですが、ヤングの恋人の伯爵役のニルス・アスターはサイレント時代の優男俳優なら誰でも勤まるようなものですが、弟ティトの養女への愛を察してティトを突き放したり励ましたりする相棒の兄・シモン役のバーナード・シーゲルは微妙な役柄をデリケートに演じていて、養女への愛に苦しんで鬱になった主人公にクライマックスのリハーサル中に「笑え、道化師、笑え!」と本作のタイトルの檄を飛ばすのもこの相棒の兄で、我に帰った主人公はリハーサルに熱中するうちに無人の客席に満員の客を幻覚して、狂躁的な状態に陥り倒立綱渡りのローラーから転落するのです。同じピエロ芸人役でも『殴られる彼奴』とはまったく違った純粋なメロドラマ作品ですが、ここでもチェイニー映画の「報われない愛」のテーマが一貫しているため、犯罪スリラー作品でなくても十分にチェイニーらしい映画になっているのは言うまでもありません。
●8月24日(金)
『三人』The Unholy Three (監=ジャック・コンウェイ、Metro-Goldwyn-Mayer'30.Jul.12)*71min(Original length, 72min), B/W; 日本未公開 : https://youtu.be/zT-3-v2iZ5s
○あらすじ 見世物小屋で働く腹話術師のエコー(ロン・チェイニー)は見世物小屋が警察によって営業停止処分を受けため、女スリのロージー(ライラ・リー)に相談し、怪力男ヘラクレス(イヴァン・ライノウ)、小人トウィードルディー(ハリー・アールズ)と組んで、店長に善人ヘクトール(エリオット・ニュージェント)を雇って鳥のペット・ショップを開く。目的は、富裕階層に腹話術でオウムを売りつけ、相手の邸に忍び込んで財宝を盗むこと。老婆に変装したエコーは、富豪の夫人にオウムを売りつける。さっそくアーリントン邸からオウムが喋らないと電話を受けたエコーはアーリントンの豪邸へ赴いて、赤ん坊に変装させた小人に下調べをさせる。「呪いの三人」はクリスマスイヴの夜にアーリントン邸に強盗する計画を立てるが、ヘクトールがクリスマスツリーを設置しようと店に戻ってきたため出発できなくなる。老婆に変装したエコーはアリバイ工作に必要なロージーとともにヘクトールを早く帰宅させようとするが、待ちきれなくなったヘラクレスとトウィードルディーは二人で強盗に出かけアーリントンとその孫を殺してきてしまう。一方クリスマスの晩にヘクトールに求婚されたロージーはスリの過去も構わないというヘクトールに求婚を承諾する。アーリントン邸への訪問から警察に疑惑を店に疑惑を向けられたのに気づいたトウィードルディーはヘクトールの自宅に盗んだ宝石を隠して密告し、ヘクトールのアリバイ証言にロージーとともに呼ばれるのを避けるために三人は山小屋の隠れ家にロージーを軟禁して身を潜める。ヘクトールの裁判は有罪判決に向かって刻々と進み、変装を解いて一般市民に紛れてエコーは裁判を傍聴し苦悩していたが、その頃隠れ家の山小屋ではヘラクレスとトウィードルディーの仲間割れが起こっていた……。
本作はトッド・ブラウニング監督とのMGMでの初作品『三人』'25のトーキー版リメイクで、チェイニーはサイレント最終作『雷』'29撮影終了間際の'29年初頭の冬に肺炎を起こし、肺ガンが発見されました。チェイニーのサウンド・トーキー映画出演第1作である本作は肺炎からの回復を待って撮影されましたが、公開から6週間後の8月26日にチェイニーは喉頭ガンで逝去しました。トッド・ブラウニングがユニヴァーサルでの次回作『魔人ドラキュラ』'31にチェイニーの主演を予定していたプリプロダクション中の急逝で、チェイニーの急逝によって『魔人ドラキュラ』の主演は'27年の舞台劇でドラキュラ伯爵役を演じていたハンガリー系俳優のベラ・ルゴーシ(1882-1956)が勤め、ハンガリーでは'17年から、アメリカ移住後は'23年から映画出演していたルゴーシの大ブレイク作になります。チェイニーよりルゴーシの方が1歳年長なのを思うとこの交代劇は運命的で、ルゴーシのドラキュラ像が文化的イコンになったのを思うと映画史上これほどダイナミックな主役交代劇はないでしょう。チェイニーが本作でトーキー俳優としても堂々たる存在感を示したのを思うとなおのことです。『笑え、道化師よ、笑え』('28年月公開)のあとのチェイニー映画は『紐育の丑満時(While the City Sleeps)』('28年9月公開、ジャック・コンウェイ監督)、『ザンジバルの西(West of Zanzibar)』('28年11月公開、ブラウニング監督)、『獣人タイガ(Where East is East)』('29年5月公開、ブラウニング監督)、『雷(Thunder)』('29年7月公開、ウィリアム・ナイ監督)と続きましたが、サイレント映画からサウンド・トーキー映画への過渡期だったため、いずれの作品もヒットしながら『紐育の丑満時』は映画後半2リール(20分以上)が散佚、『雷』は半リール(5分強)しか残存していません。チェイニーのサイレント最終作『雷』は100万ドルを越える興行成績を上げMGMのチェイニー作品中でも5位のヒット作という記録があるのに散佚作品になってしまったのはサウンド・トーキー映画への転換でサイレント映画の再上映需要が急激に減少したからでした。'30年度作品はサウンド・トーキー映画が完全に主流になっており、キートンのMGM移籍第3作で初のトーキー作品『キートンのエキストラ』は'30年3月に公開され、トーキー第2作『キートンの決死隊』は8月に公開されました。『エキストラ』は製作費50万ドル・純益1万ドル(推定興行収入90万7,000ドル)、『決死隊』は製作費27万6,000ドル・興行収入81万4,000ドル・純益14万1,000ドルと判明されています。トーキー版リメイクの『三人』は製作費未発表ですが98万8,000ドルの興行収入を上げていますから、仕掛けや大がかりなセット、エキストラが多く製作費が高くつくキートン作品よりも高い実績を上げたのは間違いありません。キートンを引き合いに出したのは畏れ多く、キートンも当時のMGMのトップスターですから比較したのが御無礼なのですが、ハロルド・ロイドのトーキー第1作『危険大歓迎』('29年10月公開)がサイレント作品をトーキーに改作したため製作費97万ドルに高騰したとはいえ興行収入300万ドルのヒットになり、純益はともかく興行収入ではロイド作品中最高というと、『ノートルダムの傴僂男』'23の興行収入350万ドル、『オペラの怪人』'25の興行収入200万ドルという記録を持ち、'25年のMGM専属時代からは平均して80万ドル~100万ドルの興行収入を上げてきたチェイニーの実績は作風の特異さを考えると驚異的です。サイレント時代のキートンの最大ヒット作は『キートンのカメラマン』'28の79万7,000ドル、次いで『キートンのラスト・ラウンド』'26の75万ドル、『キートンの結婚狂』'28の70万1,000ドル、『海底王キートン』'24の68万406ドルと続きます。長編第2作『豪勇ロイド』'22で興行収入100万ドルを突破し、長編第4作『ロイドの要心無用』'23からは150万ドルを突破、『ロイドの人気者』'25から『田吾作ロイド一番槍』'27までは250万ドル突破というハロルド・ロイドが長編時代には3年1作ペースになっていたチャップリンと並んで国民的な人気スターだったのはサイレント時代でも例外的で、チャップリンとロイドは別格として喜劇俳優のトップスターがキートンだったのは動かないのですが、興行収入からチェイニーの人気をキートンと比較したことがなかったのでやはり喜劇映画は一般映画よりも間口の狭いジャンルだったのかな、と思いました。
ただし一般映画と言ってもチェイニー映画がどれほどエキセントリックなものかは今回24作に渡って観直してきた通りで、チェイニーが善良な心を持っていても人間性の暗黒面に直面したキャラクターを演じてきたのは遺作となった犯罪スリラーの本作からも明らかです。'20年の『天罰』を実質的な初主演作として、それまでの悪役俳優チェイニーは常に善悪の葛藤に苦しむ役柄、または純粋に悪の権化としても社会に疎外された孤独な悪を演じてきました。チェイニーの演じていたような人間性の暗黒面はアメリカ映画では唯一グリフィス門下生のエーリッヒ・フォン・シュトロハイムが描いていただけで、ヨーロッパ映画の内省的な作風の監督すらヴィクトル・シェーストロムやフリッツ・ラング、E・A・デュポン、カール・Th・ドライヤー、ルイ・デリュック、G・W・パプストら少数の監督しか描いていなかったので、アメリカ映画には'30年代初頭のギャング映画で初めて自覚され、すぐに映画コードの制定によって抑圧され、'40年代にようやく犯罪スリラーのブームとして広まったものでした。チェイニーが『ノートルダムの傴僂男』の監督にシュトロハイムを第1希望したものの実現せず、かえってハリウッドに招かれたシェーストロムがみずから主演した第1作に続いて第2作でチェイニー主演の『殴られる彼奴(あいつ)』'24を撮ったのは偶然ではなく、シェーストロムのテーマを演じることができる俳優はまずロン・チェイニー、そして『真紅の文字』『風』で起用するグリフィス映画女優のリリアン・ギッシュだったということです。チェイニー映画はチェイニーという俳優を得ることで'20年代のアメリカ映画には描けないものを描くことができた、それはやはりグリフィス門下生のトッド・ブラウニングがシュトロハイム映画にチェイニーのキャラクターを折衷したような人間性の恐怖ドラマをチェイニー映画の新路線に打ち出して安定した商業的成功まで勝ち得てみせました。プロデューサーのサルバーグがチェイニーのサウンド・トーキー第1作に、MGMのチェイニー映画のブラウニング監督作第1作『三人』のトーキー版リメイクを選んだのは、その仕上がりがほとんどブラウニング版を踏襲していることからも、チェイニーの体調不良を考慮して撮影を急いだ形跡があります。5年前の自社映画のリメイクですからプロダクション・ノートも残っていて、多少アレンジして結末の表現を変えるとしてもセット、演出、照明、カメラ・アングルなどかなりの部分が'25年版を踏襲しています。いつもは原案も兼ねるブラウニング監督作でもこの作品は別の作者の原作で、シナリオもブラウニング版とは別の脚本家が書いていますが、結末が少し違う以外はトーキー作品だから台詞が増えたというだけで、サイレント版の字幕は台詞に織りこまれています。チェイニーの声がフランク・シナトラを思わせる張りのある良い声で、チェイニー以外にサイレント版と同じキャストは小人トウィードルディー役のハリー・アールズ(1902-1985)ですが、この俳優は本当の小人芸人なので'25年版の時実年齢23歳、本作では28歳です。普段は変声期前の子供のような声、赤ん坊に変装すると本当に赤ん坊の声を出すのでびっくりさせられるのもトーキー作品ならではで、また老婆に変装した時のチェイニーは声も老婆声で演じ分けています。ダビング技術がハリウッド映画に導入されるのは'32年公開作品以降なので本作は光学式録音フィルムによる音声同時録音撮影です。ジャック・コンウェイ(1887-1952)監督作品で一番ヒットして有名なのはディケンズの『二都物語』原作のロナルド・コールマン主演作『嵐の三色旗』'35、次いでウォーレス・ビアリー主演の傑作『奇傑パンチョ』'34ですが、『奇傑パンチョ』はハワード・ホークス監督作品がホークスがMGMと揉めたため第2班監督を勤めたコンウェイ監督作名義になったものでした。本作は日本盤DVDは発売されていないため、サイレントのブラウニング版を観てから字幕なしのトーキー作品であるコンウェイ版を観る方がわかりやすいでしょう。サルバーグの指示であえて変えなかったと思えるくらいブラウニング版と同じなのですが、コンウェイ版の本作は非常になめらかな演出で、言われなくてはサイレント映画のリメイクとは思えないほど練れています。これはブラウニング版がもともと音声があればそのままトーキー作品になるほどサイレント臭くなかったことでもあり、タイトル字幕ごとに区切りのあるサイレント版をタイトル字幕の区切り抜きのトーキー版にスマートにリメイクしたコンウェイの手腕でもあり、サイレント期のコンウェイ監督作のチェイニー映画『紐育の丑満時』'28が後半欠損で研究者にしか観る機会のない作品になっているのが残念です。仲間割れして小人が見世物小屋にいた頃から三人組で飼ってきたゴリラに怪力男を襲わせる('25年版のご紹介の時書き落としましたが)というくだりは同じですが(このゴリラの着ぐるみ俳優は'25年版ではノンクレジットで本物かと思いましたが、この'30年版ではゴリラ役俳優もクレジットされているものの、迫真のゴリラです)、チェイニーが善良な店長ヘクトールを救うため法廷に立つ以降の結末はより劇的に、納得のいくものになっており、懲役5年になったチェイニーがロージーとヘクトールの幸せを願って押送車から快活に別れを告げるエンディングも突っ込みたくなるサイレント版より洗練した終わり方です。セット類や演出も流用し即製した作品かもしれませんが本作は本作で過不足ない満足いく映画で、ラスト・ショットのチェイニーの晴ればれとした笑顔も後味が良く、『魔人ドラキュラ』の主演は健康上の理由でルゴーシに譲ることになったにせよせめてあと数年、あと数作、チェイニーのトーキー出演作を観たかっただけの作品には十分になっています。リメイク作品が遺作となったことでアンコール作品、カーテンコール作品の印象もある本作ですが、逝去の半年前にかろうじて完成されたされた遺作もまた興行収入100万ドル弱のヒット実績を残したのです。チェイニー晩年5年間の最盛期が『三人』で始まりリメイク版『三人』で幕を引いたのもまた、感慨を誘うではありませんか。
ロン・チェイニーの出演映画を観直した感想文も今回で一旦区切りで、フィルムが現存しDVD化されている長編も他には4、5作を数えるきりですから(今後新たにDVD化される作品もあるかもしれませんが)、主要なものはほぼ観直せたかと思います。トッド・ブラウニンク監督作品への初出演作『気儘な女(The Wicked Darling)』'19と晩年のMGM期のブラウニンク監督作『マンダレイの道(The Road to Mandalay)』'26、『ザンジバルの西(West of Zanzibar)』'28、『獣人タイガ(Where East is East)』'29を観直す(『マンダレイの道』は未見ですが)余裕がなかったのは残念ですし、チェイニー自身が好きな作品に上げているMGM時代の名作のひとつの海底採掘ドラマ『英雄時代(Tell It to the Marines)』'26(ジョージ・W・ヒル監督作)も今回見送って残念ですが、上記作品を除けばチェイニー映画はほとんどフィルム散佚作品になっているので、感想文で取り上げた24作と上記作品で現在観ることのできるチェイニー映画はほとんどすべてになります('25年以降のMGM作品でも『故郷の土(The Tower of Lies)』'25、『The Big City(日本未公開)』'28、『While the City Sleeps(日本未公開)』'28、『鉄路の王者(Thunder)』'29は散佚しています)。改めて思うのはサイレント時代のアメリカ'20年代の映画でこれだけまとめて主演・出演作が観られる俳優はいないので、長編映画の主演作の数ではチャップリン、ロイド、キートンをも上回っているくらいなので、チェイニー以上の人気スター俳優は男性俳優にも女性俳優にもいましたが、出演作の数でも今なお上映され、映像ソフト化されている作品数でもロン・チェイニー以上に息の長い人気を誇る俳優は見当たらない、ということです。逝去までの10年間の主演・出演作品が長編だけでも3/4弱に当たる30作あまり残っていて、それが90年~100年を経て現在も観られているのは代表作だけが風雪に耐えているの他のサイレント時代の俳優とは違う人気で、アメリカ映画の元祖怪奇映画スターというのがチェイニーにもっともよく使われる肩書きですが、チェイニー映画で怪奇映画と言えるものはごく一部ですし、それらも今日の観客には怪奇映画に期待されるような恐怖感をほとんど与えないものです。チェイニー映画は怪奇映画で括るよりもチェイニーが絶体絶命の立場に立たされるサスペンス映画として一貫していると言った方がよく、その表現力は「チェイニーは精神そのものを演じることができる俳優だった」(レイ・ブラッドベリ)と後世に再評価されるようなものでした。これはつまりチャップリンやキートンに匹敵する俳優ということで、サイレント時代の俳優のうちでも最高の一部の俳優に見られ、サウンド・トーキー以降の俳優からは地を払った、純粋な精神性自体を演じていた俳優だった、ということです。チェイニーの遺作はただ1作のサウンド・トーキー作品になり、そこで聴かれるチェイニーの肉声は容貌通りの張りがあり人間味と説得力のある美しい声で、トーキー時代にも一流俳優として活躍しただろうと確信できる演技ですが、映画のサウンド・トーキー化と癌による享年47歳の急逝によってサイレント時代の映画俳優にとどまったのもチェイニーの場合は運命がチェイニーをしてサイレント映画に殉じさせたように見えるのです。
(ヴァンパイア用メイク箱とチェイニー)
●8月22日(水)
『真夜中のロンドン』London After Midnight (監=トッド・ブラウニング、Metro-Goldwyn-Mayer'27.Dec.3)*45min(Original length, 65min), B/W, Silent; 日本未公開 : https://youtu.be/EwNG1oDLiSk
○あらすじ ある夜、ロンドンの貴族ロジャー・バルフォア卿(クロード・キング)が変死を遂げる。凶器は銃で、娘ルシール(マーセリン・デイ)宛ての遺書があったが、隣人でロジャー卿の友人のジェームス・ハミルトン卿(ヘンリー・B・ウォルソール)はロジャー卿の自殺を疑い、ルシールとの恋を反対されていたロジャー卿の秘書アーサー(コンラッド・ネイゲル)に疑いがかかるが、ロンドン警視庁捜査官バーク(ロン・チェイニー)は証拠不十分で事件を自殺と処理する。5年後、黒衣の不審な男女(チェイニー、エドナ・テシュナー)が廃屋となった郊外のバルフォア邸別荘に住みつき、別荘も隣のジェームス卿は事件との関連を疑ってバーク捜査官を呼ぶ。不審な男は5年前の生前のロジャー卿自身による賃貸契約書を見せる。バーク捜査官はルシールとアーサー、故ロジャー卿の執事ウィリアムズ(パーシー・ウィリアムズ)と新入りメイドのスミッソン嬢(ポリー・モーラン)を呼びよせジェームス卿とともにジェームス卿邸別荘から不審な男女を監視するが、スミッソン嬢が不審な男に夜中に襲われる事件が起こり、不審な男女はヴァンパイアの一族ではないかという疑惑を抱いた捜査官たちはロジャー卿の墓を調べて墓が空になっているのを知る。やがて捜査官たちは復活したロジャー卿が不審な男女とともに別荘にいるのを目撃するが、ルシールはヴァンパイアの男女に誘拐されて父、ロジャー卿の別荘に幽閉され……。
のちに『魔人ドラキュラ』'32で画期的な吸血鬼映画を作るトッド・ブラウニングの本作はブラウニング初の吸血鬼映画であり、制作費15万1,666ドルに対して興行収入100万4,000ドルを記録してブラウニング監督のチェイニー映画最大のヒット作になりましたが、サイレント時代末期の作品だったためサウンド・トーキー映画に取って替わられてロング・ヒットとはならず、その上1965年のMGMのフィルム倉庫の大火事でオリジナル・プリントが焼失してしまった不遇な運命を辿りました。現行のTCMアーカイヴ版は作品の重要性を鑑みて2002年にシナリオとスチール写真、断片的な残存フィルムからスライド・ショー形式で復原されたもので、チェイニーのTCM版作品集に特典映像として収録されています。これがなかなか健闘したヴァージョンで、オリジナル全長版65分に対してスライド・ショー版45分ですから映画の全容を想像するには十分な復刻で、欠損版プリントしか残されていないという『While the City Sleeps』'28や『鉄路の王者(Thunder)』'29の今後の復刻も行われてほしいものですが、本作の場合は特別な映画史的価値から優先されたものでしょう。何しろチェイニーのヴァンパイア役の特殊メイクと衣装が決まっています(チェイニーの衣装だけではないでしょうが「Wardrobe by Lucia Coulter」とクレジットされています)。原作はクレジットによるとブラウニングの短編小説「The Hypnotist」で、『三人』『見知らぬ人』の脚本家ウォルデマー・ヤングによって脚本化されており、あらすじを起こしましたが実は本作は二転三転した展開と視点の転換でどんでん返しが仕組まれている謎解きミステリー仕立てなので、この後の結末1/4のあらすじを書くと本当にネタバレになってしまうのでリンクで実物をご覧くださいとしか言えないのです。逆に書けるところまで書くと、ヴァンパイアたちの密談を目撃する中にバーク捜査官もいるように、どちらもチェイニーの二役ではありますがヴァンパイアの正体がバーク捜査官ではありません。チェイニーは別々の人物として演じています。結末にさしかかる箇所(ルシールの誘拐)で止めたあらすじにぎりぎり書いてもいいかという所まで補足すると、ルシールの身を案じる恋人アーサーはバーク捜査官を犯人と疑い、バーク捜査官は状況的に君こそ最大の容疑がある、とアーサーを問い詰め、尋問に見せかけてアーサーに催眠術をかけて眠らせてしまいます。つまり「催眠術師(The Hypnotist)」とはバーク捜査官を指していたわけで、一方その頃ルシールはヴァンパイアたちに誘拐され死んだはずの父の前に引き出されていた、となりますから、観客はいったいバーク捜査官がヴァンパイアたちの親玉なのか、そもそも5年前の変死事件とこのヴァンパイアたちの登場に何の関係があり、どういう筋の通った解決がつくのかわけがわからなくなります。
それもチェイニーが有能できびきびした敏腕捜査官バークと「ビーヴァー・ハットの男」と呼ばれるグロテスクなヴァンパイアの二役を演じており、観客にはチェイニーは犯罪者役という先入観があるからで、それが映画の謎解きミステリー的なストーリー展開について観客をミスディレクションする効果になっている、なかなか知能犯的なプロット上の仕掛けがあり、これは敏腕捜査官役とヴァンパイア役を一人二役できる主演俳優がいなくてはできない手口です。切り返しカットで捜査官とヴァンパイアは別人とはっきり描いていますから映像はフェアですが、なぜルシールに危機が迫ったタイミングで捜査官が初めてルシールの恋人に催眠術をかけて眠らせたかはその場面では一切説明なしに映画は現在形で進んでいきますし、クライマックスですべての謎が解き明かされて大団円となる、その大団円では説明なしに描かれてきた登場人物たちの謎の行動の意味も明らかになります。いくら何でも強引だろうとか難癖はつけられますが、ミステリーものにはこのくらい強引な策謀や真相はありなので、本作を観た後でようやくわかることですから書いてもいいと思いますが本作はブラウニング流の『カリガリ博士』'19だった、ということです。公開当時の映画評は賛否両論だったそうですが観客には大評判でMGMのチェイニー作品でも指折りの大ヒット作となるも、前述の通り焼失してしまった作品ですが、スライド・ショー版でおおむね作品内容は知ることはでき、オジー・オズボーンの元祖のようなチェイニーのヴァンパイア姿はスチール写真だけでも楽しめるものです。掲載したポスターは世界で唯一現存するオリジナル・ポスターとされ、2014年に映画ポスターとしては最高額の47万8,000ドルで落札され、それまで'97年に『ミイラ再生』'32のオリジナル・ポスターが記録した落札価格45万3,000ドルを更新しました。ブラウニングは本作を『怪物団(フリークス)』'32の世評・興行的大失敗で監督を干されていた中、『古城の妖鬼 (Mark of the Vampire)』'35としてリメイクしています。さて問題は、のちに『魔人ドラキュラ』'31を大ヒットさせるブラウニングですが、実は本作は吸血鬼映画の見かけはとっていますしメイクやコスチュームも本格的ですが、結末の真相まで観ると実は怪奇ムードの謎解きミステリーで吸血鬼映画と言えるかは疑問になってきます。合理的結末がつく点で『カリガリ博士』ではあっても本物の吸血鬼映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』'22とは趣向が違い、それもこの映画のトリックなのが最後までご覧になって初めてわかります。ただしそれでも本作がサイレント映画でももっとも焼失が惜しまれる作品とされ、苦心してスライド・ショー版が作成され、史上最高の金額でポスターが競売された映画になったのは、本作がアメリカ初の本格的吸血鬼映画として名高いからで、合理的な謎解きの結末までは本作は観客を吸血鬼の謎と怪奇で引っ張っていくのです。スライド・ショー版でもそのスリルと怪奇ムードは十分に伝わってきます。
●8月23日(木)
『笑え、道化師よ、笑え』Laugh, Clown, Laugh (監=ハーバード・ブレノン、Metro-Goldwyn-Mayer'28.Apr.14)*73min(Original length, 73min), B/W, Silent; 日本未公開 : https://youtu.be/skq5bkOueAs (trailer) : https://youtu.be/XtDjiAqz7Lg (preview) : https://youtu.be/EsV-UECVCAM (fragment)
○あらすじ 春のイタリアの田舎町、巡業に来た道化師のティト(ロン・チェイニー)はひと休みしていた河辺で足を縛られ捨てられた幼女を拾う。幼女の愛らしさに胸を打たれたティトは兄の相棒シモン(バーナード・シーゲル)の反対を押し切り、兄の名にちなんでシモネッタと名づけて育て上げることを決意する。15年後、シモネッタ(ロレッタ・ヤング)は美しい娘に育ち、綱渡りの芸も覚えてティト兄弟とともに舞台に上がるようになった。シモネッタは髪飾り用に薔薇の花を摘みに出かけ、プレイボーイのルイジ伯爵(ニルス・アスター)の目にとまるが、ティトを慕うシモネッタは伯爵の誘惑を退ける。ティトはシモネッタがもう少女ではないことを痛感する。事件を知ったシモンはだから女は災いの元だ、コンビ解消だと怒り、ティトはシモネッタにシモンを呼び戻してもらう。3年後、フリックとフロックと改名したティトとシモンはローマ1の人気道化師コンビとなっていたが、ティトは鬱になり精神科医に通っていた。そこでシモネッタへの思慕からプレイボーイを辞め情緒不安定で悩む伯爵ルイジを本人と知らず知りあい、友人となったティトは、しばらくシモネッタの配慮で伯爵の正体を知らなかったが、楽屋に届けられた名刺つきの贈り物のネックレスで伯爵に対して激怒する。しかし添えられた手紙で3年前の誘惑を詫びたい、生き方を改めて真剣に愛していると知ったティトはシモネッタとルイジの結婚を許す。結婚式の前日ティトの楽屋に訪ねてきたシモネッタはティトの愛が娘としてではなく一人の女としての愛であると気づき、ティトが望むならティトの妻になる、これからルイジにそう言うと壁のマリア像に誓うが、ティトはシモネッタが去るとマリア像にシモネッタの言葉は嘘だ、彼女の心にはルイジしかいない、とつぶやく。シモンに新しい演目の練習をしようと呼ばれたティトは劇場出口で迎えに来たルイジがシモネッタと抱擁しあうのを見、空っぽの劇場で満席の観客の幻を見ながらシモンとの得意技をおさらいし、クライマックスの倒立綱渡りで転落する。シモンに介抱されながら、ティトは「彼女はまだ若い。私はもう歳だ」とつぶやいて息を引き取る。
今回の3作はいずれも日本未公開で、キネマ旬報は公開作品のデータ抜けも多い一方、未公開に終わった映画でも輸入試写が行われたものは近着外国映画紹介に紹介されている場合もあるのですが(チェイニー映画なら『ミスター・ウー』、またヒッチコックの最初の2作『快楽の園』'25、『山鷲』'26など)、今回の3作は輸入試写紹介もされていなかったようでキネマ旬報から引くことができなかったので、観直した後で英語版ウィキペディアの作品解説を参照しながらあらすじをまとめました。あらすじのまとめ方も感想文のうちなので、ミステリー映画である『真夜中のロンドン』『三人』は結末はぼかし、本作はメロドラマなので結末までたどってあります。そう、本作は主演を勤めるようになった'22年以降珍しい純然たる純愛メロドラマで、'25年以降のMGM専属時代でも犯罪要素のない点で『英雄時代』'26や『嘲笑』(散佚作品『故郷の土』'25もそうらしいですが)と並んで異色で、『英雄時代』や『嘲笑』にはスペクタクル要素がありましたが、本作は主人公がピエロ芸人なのが特色であり事故死に近い自殺で終わりますが、やはりチェイニーがピエロを演じた『殴られる彼奴(あいつ)』'24のような壮絶な復讐劇でもありません。孤児を養女にした主人公のピエロ芸人が成長した養女への養父以上の愛に苦しみ、養女の恋人の出現に葛藤し、みずから身を引くように死んでいく、という話です。監督ハーバート・ブレノン(1880-1958)は'13年監督デビューのヴェテランで、ロナルド・コールマン主演版『ボー・ジェスト』'26(キネマ旬報'27年度ベストテン第4位)がもっとも著名な監督作になり、'40年まで現役監督だった人で、本作は'19年出版のイタリアの戯曲をブロードウェイで上演した'23年の同題の舞台劇を原作にしており、ライオネル・バリモア(1878-1954)主演の舞台は'23年11月~'24年3月まで113公演のヒット作になりました。MGMはチェイニーのピエロ役は『殴られる彼奴』があったため本作の製作は遅らせ、バリモアは本作へはステージ監修で関わり、本作の次々作になるブラウニング監督作『ザンジバルの西』'28ではチェイニーのライヴァル役として本格的共演します。チェイニーのような異色俳優がアメリカ演劇・映画界最高のエリート俳優バリモアと共演するようになるとは5年前には誰も想像できなかったでしょう。これもMGMの主任プロデューサーで'23年にユニヴァーサル作品『ノートルダムの傴僂男』の仕掛け人だったアーヴィング・サルバーグ(1899-1936)がMGMのチェイニー映画で作り上げてきた実績があってこそ、と言えそうです。
サルバーグのMGMのチェイニー映画の製作方針は、トッド・ブラウニング監督によるスリラー作品とさまざまなヴェテラン監督によるドラマ作品を交互に公開し、マンネリを避けチェイニーのさまざまな面を見せるとともに堅実なスリラー映画の観客を満足させ、それまでのチェイニー映画では引き立て役にとどまったヒロインに魅力的な新人女優を配した、明快なものでした。ユニヴァーサルの2大特大ヒット作のチェイニー映画『ノートルダムの傴僂男』『オペラの怪人』でも女優に見せ場があるかというとそれほど印象には残りませんが、MGM作品になると『殴られる彼奴』のノーマ・シアラー、『三人』('25年版)のメエ・ウェスト、『ミスター・ウー』のルネ・アドレー、『知られぬ人』のジョーン・クロフォード、『嘲笑』のバーバラ・ベッドフォードという具合に実力のある魅力的な新人女優が華を添えるようになります。本作では14歳の新人女優ロレッタ・ヤング(1913-2000)初のメジャー映画出演作で、ヤングはオーソン・ウェルズの『ナチス追跡』'46の翌年の『ミネソタの娘』'47(H・C・ポッター監督)でアカデミー賞主演女優賞を受賞後、長寿番組になったテレビ番組「ロレッタ・ヤング・ショー」'53-'61が日本でも放映されて長い人気を誇った女優で、ロレッタ・ヤングは晩年のインタビューで本作を振り返り、チェイニーは親切で丁寧な演技指導をしてくれ、また監督ブレノンのセクハラから守ってくれた、と答えています。マーヴィン・ルロイに見出されて子役デビュー、と書かれた経歴が多いロレッタ・ヤングの本格的なデビュー作なのも本作の価値を高めており、15歳~18歳を演じる本作のヤングは他の女優では代わりがきかない素晴らしい存在感と演技で、チェイニーの悲恋映画の最高峰と言うべきこの作品をみずみずしい感動的な佳作に押し上げています。こういうメロドラマ作品は見所を集めたあらすじをまとめてしまうと感想文の余地はないようなものですが、ヤングの恋人の伯爵役のニルス・アスターはサイレント時代の優男俳優なら誰でも勤まるようなものですが、弟ティトの養女への愛を察してティトを突き放したり励ましたりする相棒の兄・シモン役のバーナード・シーゲルは微妙な役柄をデリケートに演じていて、養女への愛に苦しんで鬱になった主人公にクライマックスのリハーサル中に「笑え、道化師、笑え!」と本作のタイトルの檄を飛ばすのもこの相棒の兄で、我に帰った主人公はリハーサルに熱中するうちに無人の客席に満員の客を幻覚して、狂躁的な状態に陥り倒立綱渡りのローラーから転落するのです。同じピエロ芸人役でも『殴られる彼奴』とはまったく違った純粋なメロドラマ作品ですが、ここでもチェイニー映画の「報われない愛」のテーマが一貫しているため、犯罪スリラー作品でなくても十分にチェイニーらしい映画になっているのは言うまでもありません。
●8月24日(金)
『三人』The Unholy Three (監=ジャック・コンウェイ、Metro-Goldwyn-Mayer'30.Jul.12)*71min(Original length, 72min), B/W; 日本未公開 : https://youtu.be/zT-3-v2iZ5s
○あらすじ 見世物小屋で働く腹話術師のエコー(ロン・チェイニー)は見世物小屋が警察によって営業停止処分を受けため、女スリのロージー(ライラ・リー)に相談し、怪力男ヘラクレス(イヴァン・ライノウ)、小人トウィードルディー(ハリー・アールズ)と組んで、店長に善人ヘクトール(エリオット・ニュージェント)を雇って鳥のペット・ショップを開く。目的は、富裕階層に腹話術でオウムを売りつけ、相手の邸に忍び込んで財宝を盗むこと。老婆に変装したエコーは、富豪の夫人にオウムを売りつける。さっそくアーリントン邸からオウムが喋らないと電話を受けたエコーはアーリントンの豪邸へ赴いて、赤ん坊に変装させた小人に下調べをさせる。「呪いの三人」はクリスマスイヴの夜にアーリントン邸に強盗する計画を立てるが、ヘクトールがクリスマスツリーを設置しようと店に戻ってきたため出発できなくなる。老婆に変装したエコーはアリバイ工作に必要なロージーとともにヘクトールを早く帰宅させようとするが、待ちきれなくなったヘラクレスとトウィードルディーは二人で強盗に出かけアーリントンとその孫を殺してきてしまう。一方クリスマスの晩にヘクトールに求婚されたロージーはスリの過去も構わないというヘクトールに求婚を承諾する。アーリントン邸への訪問から警察に疑惑を店に疑惑を向けられたのに気づいたトウィードルディーはヘクトールの自宅に盗んだ宝石を隠して密告し、ヘクトールのアリバイ証言にロージーとともに呼ばれるのを避けるために三人は山小屋の隠れ家にロージーを軟禁して身を潜める。ヘクトールの裁判は有罪判決に向かって刻々と進み、変装を解いて一般市民に紛れてエコーは裁判を傍聴し苦悩していたが、その頃隠れ家の山小屋ではヘラクレスとトウィードルディーの仲間割れが起こっていた……。
本作はトッド・ブラウニング監督とのMGMでの初作品『三人』'25のトーキー版リメイクで、チェイニーはサイレント最終作『雷』'29撮影終了間際の'29年初頭の冬に肺炎を起こし、肺ガンが発見されました。チェイニーのサウンド・トーキー映画出演第1作である本作は肺炎からの回復を待って撮影されましたが、公開から6週間後の8月26日にチェイニーは喉頭ガンで逝去しました。トッド・ブラウニングがユニヴァーサルでの次回作『魔人ドラキュラ』'31にチェイニーの主演を予定していたプリプロダクション中の急逝で、チェイニーの急逝によって『魔人ドラキュラ』の主演は'27年の舞台劇でドラキュラ伯爵役を演じていたハンガリー系俳優のベラ・ルゴーシ(1882-1956)が勤め、ハンガリーでは'17年から、アメリカ移住後は'23年から映画出演していたルゴーシの大ブレイク作になります。チェイニーよりルゴーシの方が1歳年長なのを思うとこの交代劇は運命的で、ルゴーシのドラキュラ像が文化的イコンになったのを思うと映画史上これほどダイナミックな主役交代劇はないでしょう。チェイニーが本作でトーキー俳優としても堂々たる存在感を示したのを思うとなおのことです。『笑え、道化師よ、笑え』('28年月公開)のあとのチェイニー映画は『紐育の丑満時(While the City Sleeps)』('28年9月公開、ジャック・コンウェイ監督)、『ザンジバルの西(West of Zanzibar)』('28年11月公開、ブラウニング監督)、『獣人タイガ(Where East is East)』('29年5月公開、ブラウニング監督)、『雷(Thunder)』('29年7月公開、ウィリアム・ナイ監督)と続きましたが、サイレント映画からサウンド・トーキー映画への過渡期だったため、いずれの作品もヒットしながら『紐育の丑満時』は映画後半2リール(20分以上)が散佚、『雷』は半リール(5分強)しか残存していません。チェイニーのサイレント最終作『雷』は100万ドルを越える興行成績を上げMGMのチェイニー作品中でも5位のヒット作という記録があるのに散佚作品になってしまったのはサウンド・トーキー映画への転換でサイレント映画の再上映需要が急激に減少したからでした。'30年度作品はサウンド・トーキー映画が完全に主流になっており、キートンのMGM移籍第3作で初のトーキー作品『キートンのエキストラ』は'30年3月に公開され、トーキー第2作『キートンの決死隊』は8月に公開されました。『エキストラ』は製作費50万ドル・純益1万ドル(推定興行収入90万7,000ドル)、『決死隊』は製作費27万6,000ドル・興行収入81万4,000ドル・純益14万1,000ドルと判明されています。トーキー版リメイクの『三人』は製作費未発表ですが98万8,000ドルの興行収入を上げていますから、仕掛けや大がかりなセット、エキストラが多く製作費が高くつくキートン作品よりも高い実績を上げたのは間違いありません。キートンを引き合いに出したのは畏れ多く、キートンも当時のMGMのトップスターですから比較したのが御無礼なのですが、ハロルド・ロイドのトーキー第1作『危険大歓迎』('29年10月公開)がサイレント作品をトーキーに改作したため製作費97万ドルに高騰したとはいえ興行収入300万ドルのヒットになり、純益はともかく興行収入ではロイド作品中最高というと、『ノートルダムの傴僂男』'23の興行収入350万ドル、『オペラの怪人』'25の興行収入200万ドルという記録を持ち、'25年のMGM専属時代からは平均して80万ドル~100万ドルの興行収入を上げてきたチェイニーの実績は作風の特異さを考えると驚異的です。サイレント時代のキートンの最大ヒット作は『キートンのカメラマン』'28の79万7,000ドル、次いで『キートンのラスト・ラウンド』'26の75万ドル、『キートンの結婚狂』'28の70万1,000ドル、『海底王キートン』'24の68万406ドルと続きます。長編第2作『豪勇ロイド』'22で興行収入100万ドルを突破し、長編第4作『ロイドの要心無用』'23からは150万ドルを突破、『ロイドの人気者』'25から『田吾作ロイド一番槍』'27までは250万ドル突破というハロルド・ロイドが長編時代には3年1作ペースになっていたチャップリンと並んで国民的な人気スターだったのはサイレント時代でも例外的で、チャップリンとロイドは別格として喜劇俳優のトップスターがキートンだったのは動かないのですが、興行収入からチェイニーの人気をキートンと比較したことがなかったのでやはり喜劇映画は一般映画よりも間口の狭いジャンルだったのかな、と思いました。
ただし一般映画と言ってもチェイニー映画がどれほどエキセントリックなものかは今回24作に渡って観直してきた通りで、チェイニーが善良な心を持っていても人間性の暗黒面に直面したキャラクターを演じてきたのは遺作となった犯罪スリラーの本作からも明らかです。'20年の『天罰』を実質的な初主演作として、それまでの悪役俳優チェイニーは常に善悪の葛藤に苦しむ役柄、または純粋に悪の権化としても社会に疎外された孤独な悪を演じてきました。チェイニーの演じていたような人間性の暗黒面はアメリカ映画では唯一グリフィス門下生のエーリッヒ・フォン・シュトロハイムが描いていただけで、ヨーロッパ映画の内省的な作風の監督すらヴィクトル・シェーストロムやフリッツ・ラング、E・A・デュポン、カール・Th・ドライヤー、ルイ・デリュック、G・W・パプストら少数の監督しか描いていなかったので、アメリカ映画には'30年代初頭のギャング映画で初めて自覚され、すぐに映画コードの制定によって抑圧され、'40年代にようやく犯罪スリラーのブームとして広まったものでした。チェイニーが『ノートルダムの傴僂男』の監督にシュトロハイムを第1希望したものの実現せず、かえってハリウッドに招かれたシェーストロムがみずから主演した第1作に続いて第2作でチェイニー主演の『殴られる彼奴(あいつ)』'24を撮ったのは偶然ではなく、シェーストロムのテーマを演じることができる俳優はまずロン・チェイニー、そして『真紅の文字』『風』で起用するグリフィス映画女優のリリアン・ギッシュだったということです。チェイニー映画はチェイニーという俳優を得ることで'20年代のアメリカ映画には描けないものを描くことができた、それはやはりグリフィス門下生のトッド・ブラウニングがシュトロハイム映画にチェイニーのキャラクターを折衷したような人間性の恐怖ドラマをチェイニー映画の新路線に打ち出して安定した商業的成功まで勝ち得てみせました。プロデューサーのサルバーグがチェイニーのサウンド・トーキー第1作に、MGMのチェイニー映画のブラウニング監督作第1作『三人』のトーキー版リメイクを選んだのは、その仕上がりがほとんどブラウニング版を踏襲していることからも、チェイニーの体調不良を考慮して撮影を急いだ形跡があります。5年前の自社映画のリメイクですからプロダクション・ノートも残っていて、多少アレンジして結末の表現を変えるとしてもセット、演出、照明、カメラ・アングルなどかなりの部分が'25年版を踏襲しています。いつもは原案も兼ねるブラウニング監督作でもこの作品は別の作者の原作で、シナリオもブラウニング版とは別の脚本家が書いていますが、結末が少し違う以外はトーキー作品だから台詞が増えたというだけで、サイレント版の字幕は台詞に織りこまれています。チェイニーの声がフランク・シナトラを思わせる張りのある良い声で、チェイニー以外にサイレント版と同じキャストは小人トウィードルディー役のハリー・アールズ(1902-1985)ですが、この俳優は本当の小人芸人なので'25年版の時実年齢23歳、本作では28歳です。普段は変声期前の子供のような声、赤ん坊に変装すると本当に赤ん坊の声を出すのでびっくりさせられるのもトーキー作品ならではで、また老婆に変装した時のチェイニーは声も老婆声で演じ分けています。ダビング技術がハリウッド映画に導入されるのは'32年公開作品以降なので本作は光学式録音フィルムによる音声同時録音撮影です。ジャック・コンウェイ(1887-1952)監督作品で一番ヒットして有名なのはディケンズの『二都物語』原作のロナルド・コールマン主演作『嵐の三色旗』'35、次いでウォーレス・ビアリー主演の傑作『奇傑パンチョ』'34ですが、『奇傑パンチョ』はハワード・ホークス監督作品がホークスがMGMと揉めたため第2班監督を勤めたコンウェイ監督作名義になったものでした。本作は日本盤DVDは発売されていないため、サイレントのブラウニング版を観てから字幕なしのトーキー作品であるコンウェイ版を観る方がわかりやすいでしょう。サルバーグの指示であえて変えなかったと思えるくらいブラウニング版と同じなのですが、コンウェイ版の本作は非常になめらかな演出で、言われなくてはサイレント映画のリメイクとは思えないほど練れています。これはブラウニング版がもともと音声があればそのままトーキー作品になるほどサイレント臭くなかったことでもあり、タイトル字幕ごとに区切りのあるサイレント版をタイトル字幕の区切り抜きのトーキー版にスマートにリメイクしたコンウェイの手腕でもあり、サイレント期のコンウェイ監督作のチェイニー映画『紐育の丑満時』'28が後半欠損で研究者にしか観る機会のない作品になっているのが残念です。仲間割れして小人が見世物小屋にいた頃から三人組で飼ってきたゴリラに怪力男を襲わせる('25年版のご紹介の時書き落としましたが)というくだりは同じですが(このゴリラの着ぐるみ俳優は'25年版ではノンクレジットで本物かと思いましたが、この'30年版ではゴリラ役俳優もクレジットされているものの、迫真のゴリラです)、チェイニーが善良な店長ヘクトールを救うため法廷に立つ以降の結末はより劇的に、納得のいくものになっており、懲役5年になったチェイニーがロージーとヘクトールの幸せを願って押送車から快活に別れを告げるエンディングも突っ込みたくなるサイレント版より洗練した終わり方です。セット類や演出も流用し即製した作品かもしれませんが本作は本作で過不足ない満足いく映画で、ラスト・ショットのチェイニーの晴ればれとした笑顔も後味が良く、『魔人ドラキュラ』の主演は健康上の理由でルゴーシに譲ることになったにせよせめてあと数年、あと数作、チェイニーのトーキー出演作を観たかっただけの作品には十分になっています。リメイク作品が遺作となったことでアンコール作品、カーテンコール作品の印象もある本作ですが、逝去の半年前にかろうじて完成されたされた遺作もまた興行収入100万ドル弱のヒット実績を残したのです。チェイニー晩年5年間の最盛期が『三人』で始まりリメイク版『三人』で幕を引いたのもまた、感慨を誘うではありませんか。