(『大地震(The Shock)』'23の別題製作告知)
●8月10日(金)
『オリヴァー・トウィスト』Oliver Twist (監=フランク・ロイド、First National Pictures'22.Oct.3)*74min(Original length, 74min), B/W, Silent; 日本公開大正13年(1924年) : https://youtu.be/mp9n6NIzNtE
[ あらすじ ](同上) 養育院の孤児オリヴァー・トウィスト(ジャッキー・クーガン)は葬儀屋の徒弟にやられたが意地悪い兄弟子(ルイス・サージェント)に虐められて家出し、ロンドンに行く途中掏摸の子分に出会い貧民窟の親分ファギン(ロン・チャニー)の所に連れられる。綽名を坊主(カール・ストックデール)と呼ばれる男はオリヴァーの異母兄で、父が羅馬で死ぬ時オリヴァーが21歳まで悪事をせずに育ったら財産を彼に残すとの遺言をしたのを知り、極力オリヴァーを悪者に堕落させようとし、ファギンに頼んでオリヴァーを泥棒に仕込ませようとする。しかしオリヴァーは好紳士ブラウンロー(ライオネル・ベルモア)の家庭に引き取られたが、再び悪人にさそわれ、今度はファギンの一味なるビル・サイクス(ジョージ・シーグマン)がオリヴァーを稼ぎに連れて行って失敗し、少年は再びブラウンローの家に引き渡される。一方ビルの妻ナンシー(グラディス・ブロックウェル)はオリヴァーの身に危険の迫ったのを知って同情のあまりブラウンローに内通したので、彼女はビルに殺されたが、少年は無事で、悪人一味は破滅する。
助演俳優が名演で、後の大スターであるため再評価された映画も珍しくありませんが、本作はディケンズの原作をコンパクトにまとめていて19世紀前半のロンドンの雰囲気も良く出ており、結末で主人公の祖父だと判明する紳士役のライオネル・ベルモア(1867-1953、イギリスの性格俳優で、紛らわしいですが大スターのライオネル・バリモアとは別人です)を筆頭に俳優たちも存在感があって上手いキャストが揃っていますが、再発見されたらチェイニー映画として人気を博したのももっともで、街の不良の孤児たちを集めてスリの親玉に収まっている怪老人フェイギン役のチェイニーがとにかく輝いています。本作はいつもの犯罪メロドラマではないのでむしろユーモラスな役柄ですが、ボロボロのコートを着た極端な猫背で杖を突いた怪人で、シルクハットに長い山羊ひげにギョロ目で、目は笑っていないのに口元だけは弓なりに笑っている、といううさんくささ抜群の役柄を鮮やかなメイクでこなしており(チェイニーは出演映画のほとんどを自分で考案したメイクで演じました)、まあ役柄としては小悪党なのですが子供を集めたスリの親玉、という、ディケンズの原作当時にはけっこうリアリティがあったらしい設定をもっともらしくこなしているのが何とも言えない可笑しみを誘います。映画の出来そのものは少年文学ものらしい、というか、普通によく出来たファミリー映画なのですが、普通によく出来たファミリー映画だって大したものなので、クーガンやベルモア、チェイニーといった値千金の俳優たちから存分に魅力を引き出して、英語圏の白人観客なら大人は誰でも知っている、子供もクーガンの歳くらいには教えられるディケンズの古典的少年冒険成長物語を納得のいく映像化してみせるのはきちんと設定したハードルをクリアしなければできないことで、本作はチェイニー演じる怪人フェイギンというとびきりの見所を設けてもあります。チェイニーが「千の顔を持つ男」と呼ばれるようになるのはもうちょっと後になってからですし、本気のチェイニー映画は人間の業に肉薄した、鬼気迫る陰惨な内容のものが多いので本作はチェイニーの演じた役柄としては傍流ですが、こういう親しみやすく出来もなかなかのファミリー映画の中でユーモラスな小悪党を演じるチェイニー、というのもあって良かったと言う気がします。こうした出演は以後のチェイニーにはほとんどなくなっていくのです。
●8月11日(土)
『影に怯へて』Shadows (監=トム・フォーマン、Preferred Pictures Corporation'22.Nov.10)*99min(Original length, 70min), B/W, Silent; 日本公開(年月日不明) : https://youtu.be/7-FspaYGdio
(キネマ旬報近着外国映画紹介では解説のみ)
○あらすじ ニュー・イングランド州の小さな漁村アーキー。嵐の夜、漁船が難破し、漁師の妻シンパシー(マーゲリット・デ・ラ・モット)の夫ダニエル(ウォルター・ロング)が行方不明になる。生存者はいなかったが、近隣で難破していた中国人イエン・シン(ロン・チャニー)が救助され、村で洗濯屋を始める。ちょうどその頃、新しい牧師ジョン・マルデン(ハリソン・フォード)が村に赴任してくる。マルデンは村人に迫害されていたシンを助け、シンパシーに好意を寄せ結婚する。かねてからシンパシーに思いを寄せていた村の名士スノウ(ジョン・セント・ポリス)は嫉妬のあまり、死んだはずの夫からと偽る脅迫の手紙を送り、マルデンを苦しめる。聖職者として、夫のある女性と結婚したとなれば重い罪になる。偽の脅迫状と知らずに苦しむマルデンを、敬虔なクリスチャンになりマルデンの友人になっていた病身のシンは死期の近づくまで静かに見守っていたが、死の床でマルデンとスノウを自分の住む船に呼び出し、村民の前でスノウに事件の一部始終を自白させ、和解を確かめると、皆が去った後で船の艫綱を解いて海へ旅立っていく。
チェイニーの演じる中国人イェン・シンは、主人公でありながら映画の結末20分まで客観的な観察者として描かれます。遭難して村にたどり着いたチェイニーは最初村民から迫害されますが、牧師がチェイニーを等しくキリストに救われた者同士なのだ、と村民をいさめ、チェイニーは牧師を慕うようになります。また洗濯屋を開いたチェイニーは最初なかなか村民が寄りつきませんが、洗濯物に石を投げる子供たちにナツメの実をプレゼントし、がき大将(バディ・メッシンジャー)を始めとしてチェイニーと仲良くなります。牧師や純真な子供たちが真っ先にチェイニーと親しくなる、という様子を描いて純朴で敬虔な中国人イェン・シンの人柄を示す美しい描写です。牧師や子供たちの信頼を通してイェン・シンが村民に受け入れられ、皆がシンの洗濯屋の贔屓になっていく様子も巧みに描かれています。一方、牧師は未亡人のヒロインと相思相愛になり村のダンスパーティーの日に婚約を発表して、挙式の日、シンは新婚夫婦に結婚祝いに手のひらサイズの3匹の猿の人形をプレゼントします。「見ざる・言わざる・聞かざる」の人形ですが、人形の映像に「See No Evil/Speak No Evil/Listen No Evil」の文字が重なります。やがてヒロインは妊娠し、出張伝道の予定があった牧師はヒロインの体を心配しながら出張して、出張先で初めての脅迫状を受け取ることになりますが、帰ってきてから様子のおかしい牧師を牧師を慕うシンは気づかい、注意するようになり、牧師が脅迫状を次々と送られ送金のゆすりにあっていることに気づき、それが牧師の妻に横恋慕する教会信徒の中の名士の偽手紙であることも気づきます。名士が牧師から悩みを聞き出して、友人面をしている様子もシンは見通します。やがて牧師は脅迫による経済苦から、女の子を出産した妻にも打ち明けざるを得なくなり、夫婦は苦しみます。シンはついに、自分の病状の悪化を機に事態の解決を決意します。病気の見舞いにやってきたがき大将の少年に頼んで自分が死の床にあり、牧師と名士に来てほしい、と伝言を頼みます。教会では名士を司会に祈祷会中で、名士だけでなく集まっていた村民全員がシンの住む船に駆けつけます。自宅にいた牧師は遅れて着きます。自宅が臨終の告解をする前にまず名士に告解を聞きたい、というシンに名士は昔友人と賭けをして踏み倒した、などととぼけますが、牧師は死の床のシンに「他人の妻を妻に迎えました」と脅迫状の一部始終を話し、村民は仰天します。シンは牧師から相談されていた名士はどうなのか、と追究し、名士は遂に自分が脅迫状の送り主だと自白します。牧師は名士に、自分も苦しんだがあなたも苦しんだ末に打ち明けてくれた、主はあなたを許しました、と告げます。あなたは許すのか、とシンは驚嘆し、牧師は名士と握手します。憤然と名士が船を出て行くと、シンはこれで思い残すことはなくなりました、と皆に別れを告げます。船から村人たちが去り、牧師と少年も去るとシンはよろけながら船尾に出て船の艫綱をナイフで切ろうとし、力が入らずようやく艫綱を解きます。少年がその様子に気づき、シンに呼びかけ、村民たちも岸に引き返してきます。流され始める船から、シンは少年に「中国に帰るよ」と言い残して、船は夜の沖へ消えて行き、映画は深い余韻を残して終わります。本作は新聞雑誌でも非常に評判が良く、顔つきまで中国人になりきったチェイニーの演技と映画全体のドラマ性と悲劇的なムードに高い評価が集まったそうです。いかにもな労働者風の中国服と極端な猫背は当時のアメリカ映画に登場する中国人の典型で、グリフィスの『散り行く花』'19は19世紀末のロンドンが設定ですが、挫折した道教の伝道師という役柄のリチャード・バーセルメスも猫背ですし、またチェイニー出演作でも『血と肉』'22で脱獄囚チェイニーをかくまうチャイナタウンのボス役のノア・ビアリーは西洋風のスーツで背筋もピンと伸びていましたし、『散り行く花』では貧しく父親に虐待されているヒロインのリリアン・ギッシュも猫背でしたから、猫背は中国人というより貧しさの方にかかっているのかもしれません。抑圧された立場の役ではチェイニーは猫背や松葉杖の演技が多いのもありますが、本作の主人公シン役の性格造型はエキセントリックな方向性の表現ではなく、映画全体のドラマを見守り続ける静かな賢者というもので、最後に初めて事態の解決に乗り出して決着を見届けると旅立っていく、一種の象徴的存在で、こうした人物像は西部劇や股旅ものにもありますし、また本作のドラマ構成は推理小説仕立てでもありますが、謎解きが興味ではなくて、ひょんなことから白人社会に入りこんだ中国人が悲劇に発展しそうな事態をいかに解決するかに焦点があるのが特異な点になっています。本作がチェイニーの演技の内省的な側面をもっとも見事に映し撮った作品であるゆえんです。
●8月12日(日)
『大地震』The Shock (監=ランバート・ヒルヤー、Universal Pictures'23.Jun.4)*64min(Original length, 64min), B/W, Silent; 日本公開(年月日不明): https://youtu.be/pX1nbH4kFzA
[ あらすじ ](同上) 桑港暗黒街の女王として羽振りを利かせているアン(クリスティン・メイヨ)の手下にウィルス・ディリング(ロン・チャニー)という足の不自由な男がいた。アンはかつて自分を弄んだハドリー(ウィリアム・ウェルチ)という男に復讐をする為、ウィルスをハドリーが今銀行の頭取をしているフォールブルックの街へ遣わしたが、彼はハドリーの娘ガートルード(ヴァージニア・ヴァリ)の純真さに感化されて正しい道を歩まんと決心するに至り、ハドリーの難を救い、又桑港で中国街に誘拐されたガートルードを救おうとしたが、力及ばず、彼女に教えられた神に祈りを捧げた時、天も感応ましましけん、天地を覆す大地震は突如起こって、悪人一味は全滅し、ウィルスは傷ける身体をガートルードの温かき看護に癒し、風清き金門湾頭2人は終生の誓いを交わした。
本作はヒロインがヴァージニア・ヴァリ(1895-1968)なのも一興で、トーキー初期に引退したヴァリはアルフレッド・ヒッチコックの監督デビュー作『快楽の園』'25の主演女優として映画史に名を残す女優で、ヒッチコックの最初の2作『快楽の園』と『山鷲』'26(フィルム散佚作品)はイギリス・フランス合作で撮影所はドイツ、主演はハリウッド女優(『山鷲』はニタ・ナルディ!)という企画だったのでイギリス人監督のヒッチコックが雇われ監督になったという作品ですが、ヴァリの出演作で今日でも観られているのは1に『快楽の園』、2に本作しかないでしょう。ヴァリがどういうタイプのヒロインを演じるのが通例だったかは資料でしかわかりませんが、本作ではチェイニーが慕う天使のような女性として描かれています。チェイニーは自分が服従する、チャイナタウンを根城にするギャングの女ボスのアンの命令で、アンが過去に振られて身を落とすきっかけになり逆恨みしているヴァリの父の経営する銀行強盗計画に加わることになり、さらにヴァリはサンフランシスコ最大の百貨店の社長の息子と婚約しているので苦悶するのですが、ギャング団を裏切ってヴァリの父の銀行強盗を阻止した結果、今度はヴァリを人質にすると脅されて銀行強盗の実行犯にならなければならなくなる、という具合に事態は悪化していき、ヴァリの婚約者に協力を願ってヴァリ誘拐を阻止しようとするもバレてしまいヴァリの婚約者もヴァリも人質に取られてしまう、と最悪の事態になります。チェイニーはチャイナタウンのアジトに戻ってギャングたちに囲まれながら膝をつき、天に祈るのですが、チェイニーの祈りとともにサンフランシスコ大震災が起こります。この唐突なクライマックスは映像は凝っていて、これが見せ場と張り切って作ってあり、後の天災もののパニック映画の先駆となるようなシーンで、実際のセットと実写フィルムを組み合わせ、地面が割れて陥没し、水道管が破裂し、建物が倒壊しあちこちで引火して爆発や火災が起こり、人々が押しつぶされたり落下したり、となかなか健闘しています。本作は撮影順では'22年5月末に撮影を終えた『オリヴァー・トウィスト』に次いで'22年6月に撮影されたそうで、公開順では同作から8か月後、7作後になりますから、この時期チェイニー出演作はほとんど毎月のように新作が封切られていたことになります。結末では海を見渡す景観地の保養所にいるチェイニーをヒロインが訪ねてきて、車椅子を押してあげるから景色を観ましょう、というヒロインにチェイニーが日陰で涼んでいるから観ておいで、とヒロインをうながし、ヒロインが立って景色に見とれているとチェイニーがおぼつかないながら立ち上がってヒロインの横に並ぶ、ヒロインはチェイニーが歩けるようになった奇蹟を喜んでチェイニーを抱擁して映画は終わりますが、大地震でギャング一味は滅んだということでもヒロインの父や婚約者はどうなった、というのは描かれないのでちょっと省略しすぎです。本作はチェイニーがヒロインと結ばれる数少ない作品のひとつとされますし、実際そういう結末ですがちょっと都合良すぎる方に観客の解釈を任せる作品になっていて、『大北の生』や『狼の血』のハッピーエンドよりも都合が良すぎる。脚が治った奇蹟もそうですし、にっちもさっちもいかない危機一髪に大地震が起きるという作品の要自体がそうで、映画の中で起こる偶然や奇蹟も説得力があるかどうかは描き方次第でしょうが、リアリズム映画でなくても描かれる出来事のリアリティには説得力が必要でしょう。チェイニー映画の多くが荒唐無稽でも成功作にはそうした説得力があり、本作は基本的な語り口自体に安易さがあるために的を外した作品で、シーン単位で観るなら面白い要素もあるだけに映画全体の一貫性に欠けるのは残念ですが、サイレント時代の映画に限らずこうしたご都合主義は現代映画にも数多くあり、チェイニー出演作も多くあれば数作に1作くらいはこういう作品もある、ということでしょうか。
●8月10日(金)
『オリヴァー・トウィスト』Oliver Twist (監=フランク・ロイド、First National Pictures'22.Oct.3)*74min(Original length, 74min), B/W, Silent; 日本公開大正13年(1924年) : https://youtu.be/mp9n6NIzNtE
[ あらすじ ](同上) 養育院の孤児オリヴァー・トウィスト(ジャッキー・クーガン)は葬儀屋の徒弟にやられたが意地悪い兄弟子(ルイス・サージェント)に虐められて家出し、ロンドンに行く途中掏摸の子分に出会い貧民窟の親分ファギン(ロン・チャニー)の所に連れられる。綽名を坊主(カール・ストックデール)と呼ばれる男はオリヴァーの異母兄で、父が羅馬で死ぬ時オリヴァーが21歳まで悪事をせずに育ったら財産を彼に残すとの遺言をしたのを知り、極力オリヴァーを悪者に堕落させようとし、ファギンに頼んでオリヴァーを泥棒に仕込ませようとする。しかしオリヴァーは好紳士ブラウンロー(ライオネル・ベルモア)の家庭に引き取られたが、再び悪人にさそわれ、今度はファギンの一味なるビル・サイクス(ジョージ・シーグマン)がオリヴァーを稼ぎに連れて行って失敗し、少年は再びブラウンローの家に引き渡される。一方ビルの妻ナンシー(グラディス・ブロックウェル)はオリヴァーの身に危険の迫ったのを知って同情のあまりブラウンローに内通したので、彼女はビルに殺されたが、少年は無事で、悪人一味は破滅する。
助演俳優が名演で、後の大スターであるため再評価された映画も珍しくありませんが、本作はディケンズの原作をコンパクトにまとめていて19世紀前半のロンドンの雰囲気も良く出ており、結末で主人公の祖父だと判明する紳士役のライオネル・ベルモア(1867-1953、イギリスの性格俳優で、紛らわしいですが大スターのライオネル・バリモアとは別人です)を筆頭に俳優たちも存在感があって上手いキャストが揃っていますが、再発見されたらチェイニー映画として人気を博したのももっともで、街の不良の孤児たちを集めてスリの親玉に収まっている怪老人フェイギン役のチェイニーがとにかく輝いています。本作はいつもの犯罪メロドラマではないのでむしろユーモラスな役柄ですが、ボロボロのコートを着た極端な猫背で杖を突いた怪人で、シルクハットに長い山羊ひげにギョロ目で、目は笑っていないのに口元だけは弓なりに笑っている、といううさんくささ抜群の役柄を鮮やかなメイクでこなしており(チェイニーは出演映画のほとんどを自分で考案したメイクで演じました)、まあ役柄としては小悪党なのですが子供を集めたスリの親玉、という、ディケンズの原作当時にはけっこうリアリティがあったらしい設定をもっともらしくこなしているのが何とも言えない可笑しみを誘います。映画の出来そのものは少年文学ものらしい、というか、普通によく出来たファミリー映画なのですが、普通によく出来たファミリー映画だって大したものなので、クーガンやベルモア、チェイニーといった値千金の俳優たちから存分に魅力を引き出して、英語圏の白人観客なら大人は誰でも知っている、子供もクーガンの歳くらいには教えられるディケンズの古典的少年冒険成長物語を納得のいく映像化してみせるのはきちんと設定したハードルをクリアしなければできないことで、本作はチェイニー演じる怪人フェイギンというとびきりの見所を設けてもあります。チェイニーが「千の顔を持つ男」と呼ばれるようになるのはもうちょっと後になってからですし、本気のチェイニー映画は人間の業に肉薄した、鬼気迫る陰惨な内容のものが多いので本作はチェイニーの演じた役柄としては傍流ですが、こういう親しみやすく出来もなかなかのファミリー映画の中でユーモラスな小悪党を演じるチェイニー、というのもあって良かったと言う気がします。こうした出演は以後のチェイニーにはほとんどなくなっていくのです。
●8月11日(土)
『影に怯へて』Shadows (監=トム・フォーマン、Preferred Pictures Corporation'22.Nov.10)*99min(Original length, 70min), B/W, Silent; 日本公開(年月日不明) : https://youtu.be/7-FspaYGdio
(キネマ旬報近着外国映画紹介では解説のみ)
○あらすじ ニュー・イングランド州の小さな漁村アーキー。嵐の夜、漁船が難破し、漁師の妻シンパシー(マーゲリット・デ・ラ・モット)の夫ダニエル(ウォルター・ロング)が行方不明になる。生存者はいなかったが、近隣で難破していた中国人イエン・シン(ロン・チャニー)が救助され、村で洗濯屋を始める。ちょうどその頃、新しい牧師ジョン・マルデン(ハリソン・フォード)が村に赴任してくる。マルデンは村人に迫害されていたシンを助け、シンパシーに好意を寄せ結婚する。かねてからシンパシーに思いを寄せていた村の名士スノウ(ジョン・セント・ポリス)は嫉妬のあまり、死んだはずの夫からと偽る脅迫の手紙を送り、マルデンを苦しめる。聖職者として、夫のある女性と結婚したとなれば重い罪になる。偽の脅迫状と知らずに苦しむマルデンを、敬虔なクリスチャンになりマルデンの友人になっていた病身のシンは死期の近づくまで静かに見守っていたが、死の床でマルデンとスノウを自分の住む船に呼び出し、村民の前でスノウに事件の一部始終を自白させ、和解を確かめると、皆が去った後で船の艫綱を解いて海へ旅立っていく。
チェイニーの演じる中国人イェン・シンは、主人公でありながら映画の結末20分まで客観的な観察者として描かれます。遭難して村にたどり着いたチェイニーは最初村民から迫害されますが、牧師がチェイニーを等しくキリストに救われた者同士なのだ、と村民をいさめ、チェイニーは牧師を慕うようになります。また洗濯屋を開いたチェイニーは最初なかなか村民が寄りつきませんが、洗濯物に石を投げる子供たちにナツメの実をプレゼントし、がき大将(バディ・メッシンジャー)を始めとしてチェイニーと仲良くなります。牧師や純真な子供たちが真っ先にチェイニーと親しくなる、という様子を描いて純朴で敬虔な中国人イェン・シンの人柄を示す美しい描写です。牧師や子供たちの信頼を通してイェン・シンが村民に受け入れられ、皆がシンの洗濯屋の贔屓になっていく様子も巧みに描かれています。一方、牧師は未亡人のヒロインと相思相愛になり村のダンスパーティーの日に婚約を発表して、挙式の日、シンは新婚夫婦に結婚祝いに手のひらサイズの3匹の猿の人形をプレゼントします。「見ざる・言わざる・聞かざる」の人形ですが、人形の映像に「See No Evil/Speak No Evil/Listen No Evil」の文字が重なります。やがてヒロインは妊娠し、出張伝道の予定があった牧師はヒロインの体を心配しながら出張して、出張先で初めての脅迫状を受け取ることになりますが、帰ってきてから様子のおかしい牧師を牧師を慕うシンは気づかい、注意するようになり、牧師が脅迫状を次々と送られ送金のゆすりにあっていることに気づき、それが牧師の妻に横恋慕する教会信徒の中の名士の偽手紙であることも気づきます。名士が牧師から悩みを聞き出して、友人面をしている様子もシンは見通します。やがて牧師は脅迫による経済苦から、女の子を出産した妻にも打ち明けざるを得なくなり、夫婦は苦しみます。シンはついに、自分の病状の悪化を機に事態の解決を決意します。病気の見舞いにやってきたがき大将の少年に頼んで自分が死の床にあり、牧師と名士に来てほしい、と伝言を頼みます。教会では名士を司会に祈祷会中で、名士だけでなく集まっていた村民全員がシンの住む船に駆けつけます。自宅にいた牧師は遅れて着きます。自宅が臨終の告解をする前にまず名士に告解を聞きたい、というシンに名士は昔友人と賭けをして踏み倒した、などととぼけますが、牧師は死の床のシンに「他人の妻を妻に迎えました」と脅迫状の一部始終を話し、村民は仰天します。シンは牧師から相談されていた名士はどうなのか、と追究し、名士は遂に自分が脅迫状の送り主だと自白します。牧師は名士に、自分も苦しんだがあなたも苦しんだ末に打ち明けてくれた、主はあなたを許しました、と告げます。あなたは許すのか、とシンは驚嘆し、牧師は名士と握手します。憤然と名士が船を出て行くと、シンはこれで思い残すことはなくなりました、と皆に別れを告げます。船から村人たちが去り、牧師と少年も去るとシンはよろけながら船尾に出て船の艫綱をナイフで切ろうとし、力が入らずようやく艫綱を解きます。少年がその様子に気づき、シンに呼びかけ、村民たちも岸に引き返してきます。流され始める船から、シンは少年に「中国に帰るよ」と言い残して、船は夜の沖へ消えて行き、映画は深い余韻を残して終わります。本作は新聞雑誌でも非常に評判が良く、顔つきまで中国人になりきったチェイニーの演技と映画全体のドラマ性と悲劇的なムードに高い評価が集まったそうです。いかにもな労働者風の中国服と極端な猫背は当時のアメリカ映画に登場する中国人の典型で、グリフィスの『散り行く花』'19は19世紀末のロンドンが設定ですが、挫折した道教の伝道師という役柄のリチャード・バーセルメスも猫背ですし、またチェイニー出演作でも『血と肉』'22で脱獄囚チェイニーをかくまうチャイナタウンのボス役のノア・ビアリーは西洋風のスーツで背筋もピンと伸びていましたし、『散り行く花』では貧しく父親に虐待されているヒロインのリリアン・ギッシュも猫背でしたから、猫背は中国人というより貧しさの方にかかっているのかもしれません。抑圧された立場の役ではチェイニーは猫背や松葉杖の演技が多いのもありますが、本作の主人公シン役の性格造型はエキセントリックな方向性の表現ではなく、映画全体のドラマを見守り続ける静かな賢者というもので、最後に初めて事態の解決に乗り出して決着を見届けると旅立っていく、一種の象徴的存在で、こうした人物像は西部劇や股旅ものにもありますし、また本作のドラマ構成は推理小説仕立てでもありますが、謎解きが興味ではなくて、ひょんなことから白人社会に入りこんだ中国人が悲劇に発展しそうな事態をいかに解決するかに焦点があるのが特異な点になっています。本作がチェイニーの演技の内省的な側面をもっとも見事に映し撮った作品であるゆえんです。
●8月12日(日)
『大地震』The Shock (監=ランバート・ヒルヤー、Universal Pictures'23.Jun.4)*64min(Original length, 64min), B/W, Silent; 日本公開(年月日不明): https://youtu.be/pX1nbH4kFzA
[ あらすじ ](同上) 桑港暗黒街の女王として羽振りを利かせているアン(クリスティン・メイヨ)の手下にウィルス・ディリング(ロン・チャニー)という足の不自由な男がいた。アンはかつて自分を弄んだハドリー(ウィリアム・ウェルチ)という男に復讐をする為、ウィルスをハドリーが今銀行の頭取をしているフォールブルックの街へ遣わしたが、彼はハドリーの娘ガートルード(ヴァージニア・ヴァリ)の純真さに感化されて正しい道を歩まんと決心するに至り、ハドリーの難を救い、又桑港で中国街に誘拐されたガートルードを救おうとしたが、力及ばず、彼女に教えられた神に祈りを捧げた時、天も感応ましましけん、天地を覆す大地震は突如起こって、悪人一味は全滅し、ウィルスは傷ける身体をガートルードの温かき看護に癒し、風清き金門湾頭2人は終生の誓いを交わした。
本作はヒロインがヴァージニア・ヴァリ(1895-1968)なのも一興で、トーキー初期に引退したヴァリはアルフレッド・ヒッチコックの監督デビュー作『快楽の園』'25の主演女優として映画史に名を残す女優で、ヒッチコックの最初の2作『快楽の園』と『山鷲』'26(フィルム散佚作品)はイギリス・フランス合作で撮影所はドイツ、主演はハリウッド女優(『山鷲』はニタ・ナルディ!)という企画だったのでイギリス人監督のヒッチコックが雇われ監督になったという作品ですが、ヴァリの出演作で今日でも観られているのは1に『快楽の園』、2に本作しかないでしょう。ヴァリがどういうタイプのヒロインを演じるのが通例だったかは資料でしかわかりませんが、本作ではチェイニーが慕う天使のような女性として描かれています。チェイニーは自分が服従する、チャイナタウンを根城にするギャングの女ボスのアンの命令で、アンが過去に振られて身を落とすきっかけになり逆恨みしているヴァリの父の経営する銀行強盗計画に加わることになり、さらにヴァリはサンフランシスコ最大の百貨店の社長の息子と婚約しているので苦悶するのですが、ギャング団を裏切ってヴァリの父の銀行強盗を阻止した結果、今度はヴァリを人質にすると脅されて銀行強盗の実行犯にならなければならなくなる、という具合に事態は悪化していき、ヴァリの婚約者に協力を願ってヴァリ誘拐を阻止しようとするもバレてしまいヴァリの婚約者もヴァリも人質に取られてしまう、と最悪の事態になります。チェイニーはチャイナタウンのアジトに戻ってギャングたちに囲まれながら膝をつき、天に祈るのですが、チェイニーの祈りとともにサンフランシスコ大震災が起こります。この唐突なクライマックスは映像は凝っていて、これが見せ場と張り切って作ってあり、後の天災もののパニック映画の先駆となるようなシーンで、実際のセットと実写フィルムを組み合わせ、地面が割れて陥没し、水道管が破裂し、建物が倒壊しあちこちで引火して爆発や火災が起こり、人々が押しつぶされたり落下したり、となかなか健闘しています。本作は撮影順では'22年5月末に撮影を終えた『オリヴァー・トウィスト』に次いで'22年6月に撮影されたそうで、公開順では同作から8か月後、7作後になりますから、この時期チェイニー出演作はほとんど毎月のように新作が封切られていたことになります。結末では海を見渡す景観地の保養所にいるチェイニーをヒロインが訪ねてきて、車椅子を押してあげるから景色を観ましょう、というヒロインにチェイニーが日陰で涼んでいるから観ておいで、とヒロインをうながし、ヒロインが立って景色に見とれているとチェイニーがおぼつかないながら立ち上がってヒロインの横に並ぶ、ヒロインはチェイニーが歩けるようになった奇蹟を喜んでチェイニーを抱擁して映画は終わりますが、大地震でギャング一味は滅んだということでもヒロインの父や婚約者はどうなった、というのは描かれないのでちょっと省略しすぎです。本作はチェイニーがヒロインと結ばれる数少ない作品のひとつとされますし、実際そういう結末ですがちょっと都合良すぎる方に観客の解釈を任せる作品になっていて、『大北の生』や『狼の血』のハッピーエンドよりも都合が良すぎる。脚が治った奇蹟もそうですし、にっちもさっちもいかない危機一髪に大地震が起きるという作品の要自体がそうで、映画の中で起こる偶然や奇蹟も説得力があるかどうかは描き方次第でしょうが、リアリズム映画でなくても描かれる出来事のリアリティには説得力が必要でしょう。チェイニー映画の多くが荒唐無稽でも成功作にはそうした説得力があり、本作は基本的な語り口自体に安易さがあるために的を外した作品で、シーン単位で観るなら面白い要素もあるだけに映画全体の一貫性に欠けるのは残念ですが、サイレント時代の映画に限らずこうしたご都合主義は現代映画にも数多くあり、チェイニー出演作も多くあれば数作に1作くらいはこういう作品もある、ということでしょうか。