Sun Ra & his Arkestra with Symphony Orchestra - Pleiades (Leo, 1993) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PLumJHHSRhV43Y-wu5auCHHi5dODkBbEoq
Recorded Live at Paris or Orleans, October 27, 1990
Released by Leo Records Leo LR210/211 (1993, CD)
(Disc 1)
1-1. Pleiades (Sun Ra) - 15:49
1-2. Mythic 1 (Sun Ra) - 16:34
1-3. Friendly Galaxy (Sun Ra) - 17:44
(Disc 2)
2-1. Sun Procession (Sun Ra) - 13:05
2-2. Lights on a Satellite (Sun Ra) - 6:26
2-3. Love in Outer Space (Sun Ra) - 6:55
2-4. Planet Earth Day (Egyptian Fantasy) (Sun Ra) - 10:00
2-5. Mythic 2 (Sun Ra) - 7:55
2-6. Blue Lou (Sampson) - 5:30
2-7. Prelude #7 in A major (Chopin) - 7:50
[ Sun Ra and his Arkestra with Symphony Orchestra ]
Michael Ray - trumpet
Jothan Callins - trumpet
Tyrone Hill - trombone
Marshall Allen - alto saxophone, flute, oboe
John Gilmore - tenor saxophone, percussion
Knoel Scott - alto saxophone, bass clarinet
Charles Davis - baritone saxophone
James Jacson - oboe, basoon, Ancient Egyptian Infinity Drum;
Le Sony'r Ra (Sun Ra) - piano, keyboards
India Cooke - violin
Stephen "Kash" Killion - cello
John Ore - bass
Clifford Barbaro - drums
Earl C. "Buster" Smith - drums
Elson Nascimento - percussion
Talvin Singh - tabla
June Tyson - vocal, violin
The members of the orquestra, whose names don't appear in the credits were: 3 vln; 1 b; 3 fl; 2 as; 1 ts; 1 English horn; 1 bsn; 3 tp; 1 tb; 1 Frh; 1 tymp; 1 perc.
前作『Mayan Temples』(1990年7月24日~25日スタジオ録音)の後のサン・ラはヨーロッパ・ツアーからサン・ラ・アーケストラと地元フランスのオーケストラとの公開録音の共演作『Pleiades』 (Leo, 2CD, 1993)を1990年10月27日に、翌28日のロンドン公演を『Live at the Hackney Empire』(Leo, 2CD, 1994)に録音し11月には帰国しますが、地元フィラデルフィアでの休暇中不整脈の発作を起こして意識昏迷に陥ります。サン・ラは満年齢で76歳を過ぎていました。翌1990年11月には慈善コンサートがサン・ラ抜きのアーケストラによって行われ、退院と再入院をくり返していたサン・ラが半身不随程度には回復、3か月の経過観察の後退院してアーケストラのツアーに復帰したのは1年半近いリハビリ入院期間を経た1991年2月でした。アメリカの東海岸ツアーを経て4月にはヨーロッパ・ツアーに出立し、1991年4月11日のライヴを収めたのが『Friendly Galaxy』(Leo, 1993)です。初夏には再び国内ツアー、9月には恒例の秋のヨーロッパ・ツアーに向かいます。両足と左手の動かないサン・ラは車椅子でステージを勤め、メイン楽器はシンセサイザーになりました。1991年はさらに帰国後に短期国内ツアーの後、テナーのジョン・ギルモアを筆頭にギター、ベース、ドラムスのアーケストラからの選抜メンバーにサン・ラがシカゴ人脈から招いた盲目のピアニスト、クリス・アンダーソンを加え、サン・ラはシンセサイザーに専念して6人編成の実験的ライヴを行います。この1991年11月12日~17日の連続公演からのライヴ盤が『At the Village Vanguard』(Rounder, 1993)です。この頃からアーケストラのメイン・ソロイストのジョン・ギルモア(1931-1995)も体調不良で、翌1992年3月からのサン・ラ最後のヨーロッパ・ツアーにはギルモアは不参加になりました。2週間ほどの短期ツアーでしたが3月29日のスイスでのライヴが『Destination Unknown』(Enja, 1992)に収められています。帰国後はアラバマで3日連続公演を行い、同年7月4日の独立記念日の無料フェスティヴァルでは久しぶりにダンサーも加えた大編成アーケストラでの出演者でした。このステージがアーケストラの歌姫ジューン・タイソン(1936-1992)の最後のステージで、タイソンは11月24日に乳ガンで逝去します。サン・ラは7月4日のステージ以降も単発的にわずかなライヴ出演を行いますが、'92年10月21日に1時間のステージを2セット出演したのがサン・ラ最後の演奏でした。1992年の秋ツアーの序盤はキャンセルしギルモアがサン・ラの指名でリーダーになって秋ツアー後半をこなしましたが、ギルモア自身もテナー・ソロが取れない健康状態でした。サン・ラ歿後、アーケストラはギルモアと並ぶ創設メンバーのマーシャル・アレン(1924-)がリーダーになって現在も活動を続けています。
結果的にサン・ラにとって最後のコンセプト力作になったのが本作『Pleiades』なのは、以上の経過からもおわかりになる通りです。あと1か月でもタイミングを逃していたら本作は実現しなかったでしょう。サン・ラがオーケストラとの共演をかねてから望んでいたのは1965年の『The Heliocentric Worlds of Sun Ra』あたりの作風からも想像できます。さて、サン・ラは'92年12月には再入院し、翌93年1月には引退をアーケストラのメンバーに申し出て故郷のアラバマ州バーミングハムの実家で高齢の姉と暮らします。帰郷直後に肺炎に見まわれる不運があり、さらにその直後に同居して家事を切り盛りしてくれていた姪(姉の娘)が急死する不幸が重なります。3月には心臓発作を起こして3週間集中治療室で手当てされましたが全身麻痺が進行し昏迷状態が続き、5月30日に亡くなりました。満79歳でした。3年間の闘病生活と半年間の最晩年のうち、遺作となったアルバムはジャズ・ヴァイオリンのビリー・バングのアルバム『A tribute to Stuff Smith』(Soul Note, 1993)で、1991年9月20日~22日のスタジオ録音です。ジョン・オーレ(ベース)、アンドリュー・シリル(ドラムス)にバングのヴァイオリンとサン・ラのピアノとシンセサイザーからなるカルテット作で、スタッフ・スミスはサン・ラが新人だった1930年代からの恩人だったジャズ・ヴァイオリン奏者ですから、単なるゲスト参加作ではなく臨時編成とはいえバンドとしての一体感があります。このアルバムの翌10月21日がサン・ラ存命時最後のライヴになったのです。そして今回で「YouTubeで聴けるサン・ラのアルバム」全紹介も終わりになります。一応何回かデータをまとめ、索引代わりにするつもりです。
Recorded Live at Paris or Orleans, October 27, 1990
Released by Leo Records Leo LR210/211 (1993, CD)
(Disc 1)
1-1. Pleiades (Sun Ra) - 15:49
1-2. Mythic 1 (Sun Ra) - 16:34
1-3. Friendly Galaxy (Sun Ra) - 17:44
(Disc 2)
2-1. Sun Procession (Sun Ra) - 13:05
2-2. Lights on a Satellite (Sun Ra) - 6:26
2-3. Love in Outer Space (Sun Ra) - 6:55
2-4. Planet Earth Day (Egyptian Fantasy) (Sun Ra) - 10:00
2-5. Mythic 2 (Sun Ra) - 7:55
2-6. Blue Lou (Sampson) - 5:30
2-7. Prelude #7 in A major (Chopin) - 7:50
[ Sun Ra and his Arkestra with Symphony Orchestra ]
Michael Ray - trumpet
Jothan Callins - trumpet
Tyrone Hill - trombone
Marshall Allen - alto saxophone, flute, oboe
John Gilmore - tenor saxophone, percussion
Knoel Scott - alto saxophone, bass clarinet
Charles Davis - baritone saxophone
James Jacson - oboe, basoon, Ancient Egyptian Infinity Drum;
Le Sony'r Ra (Sun Ra) - piano, keyboards
India Cooke - violin
Stephen "Kash" Killion - cello
John Ore - bass
Clifford Barbaro - drums
Earl C. "Buster" Smith - drums
Elson Nascimento - percussion
Talvin Singh - tabla
June Tyson - vocal, violin
The members of the orquestra, whose names don't appear in the credits were: 3 vln; 1 b; 3 fl; 2 as; 1 ts; 1 English horn; 1 bsn; 3 tp; 1 tb; 1 Frh; 1 tymp; 1 perc.
前作『Mayan Temples』(1990年7月24日~25日スタジオ録音)の後のサン・ラはヨーロッパ・ツアーからサン・ラ・アーケストラと地元フランスのオーケストラとの公開録音の共演作『Pleiades』 (Leo, 2CD, 1993)を1990年10月27日に、翌28日のロンドン公演を『Live at the Hackney Empire』(Leo, 2CD, 1994)に録音し11月には帰国しますが、地元フィラデルフィアでの休暇中不整脈の発作を起こして意識昏迷に陥ります。サン・ラは満年齢で76歳を過ぎていました。翌1990年11月には慈善コンサートがサン・ラ抜きのアーケストラによって行われ、退院と再入院をくり返していたサン・ラが半身不随程度には回復、3か月の経過観察の後退院してアーケストラのツアーに復帰したのは1年半近いリハビリ入院期間を経た1991年2月でした。アメリカの東海岸ツアーを経て4月にはヨーロッパ・ツアーに出立し、1991年4月11日のライヴを収めたのが『Friendly Galaxy』(Leo, 1993)です。初夏には再び国内ツアー、9月には恒例の秋のヨーロッパ・ツアーに向かいます。両足と左手の動かないサン・ラは車椅子でステージを勤め、メイン楽器はシンセサイザーになりました。1991年はさらに帰国後に短期国内ツアーの後、テナーのジョン・ギルモアを筆頭にギター、ベース、ドラムスのアーケストラからの選抜メンバーにサン・ラがシカゴ人脈から招いた盲目のピアニスト、クリス・アンダーソンを加え、サン・ラはシンセサイザーに専念して6人編成の実験的ライヴを行います。この1991年11月12日~17日の連続公演からのライヴ盤が『At the Village Vanguard』(Rounder, 1993)です。この頃からアーケストラのメイン・ソロイストのジョン・ギルモア(1931-1995)も体調不良で、翌1992年3月からのサン・ラ最後のヨーロッパ・ツアーにはギルモアは不参加になりました。2週間ほどの短期ツアーでしたが3月29日のスイスでのライヴが『Destination Unknown』(Enja, 1992)に収められています。帰国後はアラバマで3日連続公演を行い、同年7月4日の独立記念日の無料フェスティヴァルでは久しぶりにダンサーも加えた大編成アーケストラでの出演者でした。このステージがアーケストラの歌姫ジューン・タイソン(1936-1992)の最後のステージで、タイソンは11月24日に乳ガンで逝去します。サン・ラは7月4日のステージ以降も単発的にわずかなライヴ出演を行いますが、'92年10月21日に1時間のステージを2セット出演したのがサン・ラ最後の演奏でした。1992年の秋ツアーの序盤はキャンセルしギルモアがサン・ラの指名でリーダーになって秋ツアー後半をこなしましたが、ギルモア自身もテナー・ソロが取れない健康状態でした。サン・ラ歿後、アーケストラはギルモアと並ぶ創設メンバーのマーシャル・アレン(1924-)がリーダーになって現在も活動を続けています。
結果的にサン・ラにとって最後のコンセプト力作になったのが本作『Pleiades』なのは、以上の経過からもおわかりになる通りです。あと1か月でもタイミングを逃していたら本作は実現しなかったでしょう。サン・ラがオーケストラとの共演をかねてから望んでいたのは1965年の『The Heliocentric Worlds of Sun Ra』あたりの作風からも想像できます。さて、サン・ラは'92年12月には再入院し、翌93年1月には引退をアーケストラのメンバーに申し出て故郷のアラバマ州バーミングハムの実家で高齢の姉と暮らします。帰郷直後に肺炎に見まわれる不運があり、さらにその直後に同居して家事を切り盛りしてくれていた姪(姉の娘)が急死する不幸が重なります。3月には心臓発作を起こして3週間集中治療室で手当てされましたが全身麻痺が進行し昏迷状態が続き、5月30日に亡くなりました。満79歳でした。3年間の闘病生活と半年間の最晩年のうち、遺作となったアルバムはジャズ・ヴァイオリンのビリー・バングのアルバム『A tribute to Stuff Smith』(Soul Note, 1993)で、1991年9月20日~22日のスタジオ録音です。ジョン・オーレ(ベース)、アンドリュー・シリル(ドラムス)にバングのヴァイオリンとサン・ラのピアノとシンセサイザーからなるカルテット作で、スタッフ・スミスはサン・ラが新人だった1930年代からの恩人だったジャズ・ヴァイオリン奏者ですから、単なるゲスト参加作ではなく臨時編成とはいえバンドとしての一体感があります。このアルバムの翌10月21日がサン・ラ存命時最後のライヴになったのです。そして今回で「YouTubeで聴けるサン・ラのアルバム」全紹介も終わりになります。一応何回かデータをまとめ、索引代わりにするつもりです。