『マルクスの二挺拳銃』Go West (監督エドワード・バゼル、MGM'40)*80min, B/W; 本国公開1940年12月6日
[ 解説 ](キネマ旬報より) 西部を舞台にした土地証文をめぐる騒動を描くコメディで、マルクス兄弟シリーズ第10作。脚本はアーヴィング・ブレッチャーが執筆。製作はジャック・カミングス、監督はエドワード・バゼル、撮影はレナード・スミス、音楽はジョージ・ストール、編集はブランシェ・シーウェルが担当。出演はグルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス、ジョン・キャロルなど。
[ 解説 ](allcinema.comより) 題名から判る通り、マルクス兄弟がウエスタンに挑戦した作品。全体に、定番的パロディがすんなり収まっているという程度の印象が、計算し尽くされたクライマックスの汽車追跡のドタバタですっかり覆される。冒頭、鉄道の券売所でいんちきセールスマンのグルーチョを小悪党の兄弟のチコとハーポがまんまとハメる、糸をつけた10ドル札のトリック・ギャグも優秀。お釣りをだまし取って一財産作ってしまうワケだ。西部へ赴いた三人は、鉄道敷設予定地の土地証書をめぐっての騒動に巻き込まれ、例のごとく、若きカップルを助けるのだが、まずはお決まりのサルーンでの細かい笑いのあれこれ。証書を二人組に奪われて追う途中、インディアン部落に投宿するのだが、そこでのやりとりもまずまず笑わせる。そして、ハーポのハープ演奏となるが、これもいつもと趣向を変えて、機織の糸でつまびくのだった。で、馬車で逃げる二人組を列車で追っかけとあいなる。息をもつかさぬというのはまさにこのシークエンスを言うのだ。機関手を殴って、汽車の運転を代わるチコとハーポ。次の駅で若い男女を拾うはずがどうやって止めたらいいか分からない。釜の火を水で消せばとハーポが汲んだのは実はオイルで、これまた大爆走。そして分岐をいじられて同じ軌道をぐるぐると、農家を頭にひっかけてメリーゴーラウンド状で回ったり、それで遅れを取ったら、今度は客の荷物から客車から燃えるものはすべて釜に放り込み、ポップコーンが雪のように弾けたり、ありとあらゆる動きのギャグが有機的に連鎖していくのは爽快だ。
――後者の解説でほとんど本作の鑑賞は尽きている感じですが、グルーチョの役名がS・クェンティン・クェール、ハーポが"ラスティ"・パネロ、チコがジョー・パネロといかにもうさんくさい名前で、マルクス兄弟に助けられる主人公を演じるジョン・キャロルの役名がテリー・ターナーと健全な好青年を絵に描いたような名前なのがいかにもです。本作は'86年のマルクス兄弟MGM作品リヴァイヴァル上映でも目玉作品扱いで、2週間替わりで『マルクス一番乗り』『マルクスの二挺拳銃』の2本立て、『オペラは踊る』と『マルクス兄弟珍サーカス』の2本立て、『マルクス兄弟デパート騒動』と『マルクスの二挺拳銃』の2本立てで、前売りで通しの3回券だと当日券で2回観るのとほぼ同額だったので前売り券の3回券を買って2本立てを3回観に行ったので『マルクスの二挺拳銃』はスクリーンで2回観たことになります。その後レンタル・ヴィデオ店で借りて観直したりもしましたが、テレビ神奈川(現tvk)は現在は見る影もありませんが'70年代~'90年代は音楽番組と映画放映に力を入れていて、音楽番組も大変なものでしたが映画も日本未公開当時からエドワード・ヤンの『海辺の一日』『恐怖分子』、ジャック・ドワイヨンの『ラ・ピラート』をゴールデン・タイムに堂々放映し、さらにレンタル・ヴィデオにもないような珍しい'50年代~'70年代外国映画の日本語吹き替え短縮編集版をガンガン放映する、というクラクラするような番組編成で、『吾輩はカモである』も地上波地方局なのに平然と字幕放映していたのを覚えています。あれはオリジナルが短いので1時間半枠でノーカット(ただしCM入る)でやっていましたし、当時レンタル・ヴィデオで100分ヴァージョンしか出ていなかったアントニオーニの『情事』を140分ヴァージョンで放映していたのにも驚いた記憶があります。ただし1時間半枠で日本語吹き替え短縮編集版の場合はCMカットを差し引くと実質一律70分(!)にカットされており、これにまつわる覚え書きを始めるとキリがないくらいとんでもない編集ヴァージョンがあったのですが、なんと日本語吹き替え短縮編集版の『マルクスの二挺拳銃』というのもあったのです。これが80分の映画を70分に短縮ですから短縮具合こそ極端ではありませんでしたが、台詞の日本語吹き替えのみならずBGMや効果音まで盛大に盛ってあるというサウンドトラックまるごとの差し替え版で、こういう日本語吹き替え版もあるのかと目から鱗が落ちました。あくまでオリジナルも保存されているという条件ですが、映画の歴史には作品の再編集・吹き替え版などはいくらでも例のあることで、テレビというメディアに乗せるにはそれがはなはだしくなるのも映画ならではの運命ですし、そうした改編版を観ることで気づかされることもあります。'40年(昭和15年)に作られた本作は'70年代にテレビというメディアで家庭内視聴されると音声が乏しすぎる。BGMも何もなく無音状態が続く場面が多く、効果音ですら控え目すぎて、映画館ならともかく集中力の乏しい状態で視聴される家庭ではテレビに注意を惹きつけられません。1時間半枠吹き替え70分短縮編集版ではベルイマンの日本未公開作品『狼の時刻』『恥』『情熱の島』も定番でしたが、ベルイマンの映画は顔のアップと台詞だらけでしたし、他に面白い例では『イージー・ライダー』『砂丘』『断絶』などがあり、これらは数か所のエピソード(シークエンス)まるごとカットで70分に圧縮してもあまり全体的な印象は変わらないばかりか『イージー・ライダー』などはピーター・フォンダとデニス・ホッパーの吹き替えを山田康雄と山谷初男が担当してオリジナルよりインパクトがありました。オリジナルが120分ある『ニノチカ』はロマンス部分のシークエンスが全部カットされてただのソヴィエトのエリート女性大使の亡命映画になっていましたし、オリジナルが105分の『秘密の儀式』はエンドマークもなく突然終わってしまうのでどうなっているのかと不思議でしたが、シネクラブの上映会でオリジナルを観る機会があって映画70分目でそのままちょん切ったのがテレビ放映版で、オリジナルはさらにその後まだまだ30分あまり続いてどんでん返しがあったので唖然といたしました。映画の世界では編集権の所在がはっきりせず、そもそもオリジナルすら各国上映版では異なる場合すら少なくなく、製作本国版ですら(製作本国だからこそ)便宜上恣意的なヴァリアントが複数出回ることが多く、いわゆるディレクターズ・カットと称されるものも本来の意味でのオリジナルとは異なる場合すらあります。話題がまったく感想文から逸れてしまいましたが、本作を現行DVDでご覧になった方々は、運さえ悪ければそのうちテレビ放映用日本語吹き替え70分短縮編集版を観て呆れ返る楽しみがあり、ではどちらが真のマルクス兄弟映画かと言うと、案外滅茶苦茶なサントラ差し替え版だってマルクス兄弟映画はマルクス兄弟映画じゃないかという気がしてくるのです。
●7月30日(月)
『マルクス兄弟デパート騒動』The Big Store (監督チャールズ・F・ライスナー、MGM'41)*83min, B/W; 本国公開1941年6月20日
[ 解説 ] 現在ロウ・インコーポレーションの副社長であるルイス・K・シドニー製作になる1941年作品。ナット・ペリン(「凸凹ハリウッドの巻」)の原案から、シド・クラー、レイ・ゴールデン及びハル・フィンバーグ(「ごくらく珍爆弾」)の三人が脚色し、「凸凹ハレムの巻」のチャールズ・F・ライスナーが監督に当たった。チャールズ・ロートン・ジュニアが撮影、「夢のひととき」のジョジー・ストールが音楽を担当する。「二挺拳銃」につぐマルクス兄弟を中心に、「迷路」のトニー・マーティン、「姉妹と水兵」のヴァーニア・グレイらが共演する。
[ あらすじ ] 私立探偵ウォルフ(グルーチョ)は助手のワッキイ(ハルポ)とオフィスを経営していた。或日大デパートの所有者の一人マーサ・ヘルプス(マーガレット・デュモン)が青年歌手トミイ(トニー・マーティン)を伴れて、最近暴漢に襲われるからと調査を依頼して来た。デパートにはワッキイの兄ラヴェリー(チコ)が警備員として働いていたが、彼とトミイの恋人の売子ジョーン(ヴァージニア・グレイ)が協力を申出た。デパートの支配人グローヴァ(ダグラス・ダンブリル)は、トミーを追出し、マーサを籠絡してデパートを乗っ取ろうとしていたが、ウォルフはマーサに恋してしまったので、ここに男2人のさや当てからさまざまの珍騒動が起った。トミーはデパートの権利を売り払って歌の道に精進しようとしたがそれを知ったグローヴァは彼を暗殺しようと図り、ついに悪漢一味と善玉との大活劇がデパートを舞台にくりひろげられることになった。かくてグローヴァは逮捕され、権利を売り払ったトミーは歌手としての道を進むことになった。
――とまあ、「ウォルフはマーサに恋してしまったので」とありますがグルーチョがマーガレット・デュモンを口説く時は財産目当てか他に魂胆がある場合なので、本作は『マルクス一番乗り』以来4作ぶりのマーガレット・デュモン出演作であることに価値があります。後は新人時代のトニー・マーティンの歌唱シーンがさすがにのち大成するだけある金の卵ぶりで、三面鏡に姿を映してハーポがハープの一人三重奏をするシーン、もちろんチコのお調子者ぶりとピアノ演奏、デュモン相手がやはり一番乗り乗りのグルーチョの色男芝居と見所はあるのですが、デュモンをめぐってデパート乗っ取りを企む一味とのせりあいも大して盛り上がらず、マーティンの恋人の美人店員役のヴァージニア・グレイも映画のプロット上ビジネス対決とラヴ・ロマンスの並行進行のため取って付けたような出演場面で、クライマックスはフィルム速度とワイヤー・アクションを併用したデパート内でのローラー・スケートでの追いかけあいです。このクライマックスのアクションがただでさえ乏しい見所を散漫に羅列したような構成の映画を一気にぶち壊しにしており、マルクス兄弟贔屓の観客ですら駄目だこりゃ、と興ざめすることおびただしく、ますますライスナーが『キートンの蒸気船』では名目だけの監督だったのを痛感させるような出来に始終しているのが本作で、マルクス兄弟は言わずもがなマーガレット・デュモンとトニー・マーティンという千両役者もいるのですから配役だけなら『オペラは踊る』『マルクス一番乗り』の三番煎じ、MGMでは5作めですから五番煎じですが、それなりの映画にはなっても良さそうなものを、たぶん『珍サーカス』『二挺拳銃』『デパート騒動』と3年連続出演すればチコの借金も完済できたのでしょう。MGMとの契約延長はマルクス兄弟の方から断ったそうですが、もう本当に与えられた仕事をこなすだけのマルクス兄弟が本作では本当にやる気なさそうで、ハーポですら生彩を欠いているのですから尋常ではありません。サム・ウッドが監督しても大差なかったと思われる本作は、しかしMGM式のやり方ではマルクス兄弟映画は回を重ねるごとに行き詰まるのを証明する作品にもなり、そしてマルクス兄弟は無事に休業生活に入ったのです。
●7月31日(火)
『マルクス捕物帖』A Night In Casablanca (監督アーチー・L・メイヨー、ユナイテッド・アーティスツ'46)*85min, B/W; 本国公開1946年5月10日
[ 解説 ]「我輩はカモである」「オペラの夜」と同じくマルクス三兄弟が主演する喜劇で、「愛の弾丸」のジョセフ・フイールズがローランド・キビーと協力して脚本を書きおろし、「夜霧の港」のアーチー・L・メイヨが監督したもの。助演は「情熱の航路」のチャールズ・ドレイク「脱出」のダン・シーモア、西部劇女優のロイス・コリア、マルクス喜劇におなじみのシグ・ルーマン等である。
[ あらすじ ] 戦争は終わっても、カサブランカにはナチの残党が暗躍しているといううわさがとりどりである。それかあらぬか、豪華なホテル・カサブランカでは、支配人が三人続けてざまに奇怪な死をとげた。そこで誰もなり手のない支配人に就任したのが他ならぬロナルド・コーンブロウ(グルーチョ・マルクス)という人物。彼と一緒にラスティ(ハーポ・マルクス)とコーバッチオ(チコ・マルクス)なる奇物が現われたが、ラスティはホテルの雑用夫として働く一方、プフェファマン伯爵(シグ・ルーマン)と名のるいわくありげなヘゲの客の侍僕を勤め、コーバッチオは黄らくた商会という遊覧会社を経営して遊覧客をもっぱらカモっている。ホテルの歌手ビートリス(リゼット・ヴァレア)が伯爵と親しげなもの奇怪であるが、国籍不詳のクルト(フレデリック・ジャーマン)とエミール(ハーロ・ミラー)も臭い人物である。このホテルにナチがフランスから略奪した財宝がかくしてあるらしく、三人の支配人の死がこれに関連していると、フランス空軍の飛行将校だったピエール(チャールズ・ドレイク)と婚約者のアネット(ロイス・コリア)は主張したが、総督カルウ(ルイス・ラッセル)も警察長官ブリザール(ダン・シーモア)も信じない。ロナルドがビートリスにだまされて有頂天となったのにつけ込み、伯爵一味がホテル乗っ取りを企んでいるのを、ラスティは立ち聞きし、ロナルドの代わりに支配人となりコーバッチオを用心棒にする。伯爵は三人がカジノの賭博台にインチキをしたと総督と長官に告げて三人を牢に投げ込ませ、例の財宝をトランクに詰めて南米へ飛行機で逃げる準備を始める。伯爵がビートリスを置いてきぼりにする計画を知った彼女は、脱獄して来た三人に何もかも打ち明ける。そこで三人はピエールとアネットと共に伯爵を追跡する。今は伯爵こそ曲者と悟った総督と警察庁官も猛烈に追跡してついに悪漢一味を捕えた。伯爵はナチの指導者の一人であった。ピエールとアネットは結婚し、カサブランカにも平和が訪れた。
――以上の通り、原題が『A Night In Casablanca』でワーナーの『カサブランカ』のパロディを謳い、ワーナーから訴訟沙汰になったと言われる割には『カサブランカ』とは似ていない、強いて言えば映像的にフィルム・ノワール風なのと、ナチ・スパイもの(『カサブランカ』はスパイものではなく反ナチ運動家亡命に絡むロマンス映画ですが)なのが似せている程度でしょうか。本作は廃墟同然の街角でビルに手をついてにやにやいつもの笑顔を浮かべているハーポが警官にからかい半分の不審尋問をされる場合から始まります。「ビルを支えているつもりか?」にやにやとうなずくハーポ。警官が馬鹿にして笑い、ハーポも笑ってビルから手を離すとビルが崩れ落ちる、という大ギャグ(このギャグは後にジェリー・ルイス喜劇の監督になるフランク・タシュリンによる)から本作はMGMのマルクス兄弟映画よりいいぞ、という期待を抱かせるのですが、後はパラマウント時代(映画デビュー当時すでに平均年齢40歳超)の作風のマルクス兄弟が定年間近になって窓際仕事をやっているようなユルい出来で、ユナイテッド・アーティスツ配給とは言えマルクス兄弟たち自身が企画し立ち上げた独立プロ作品ですから予算もしょぼかったのでしょう、中堅ヴェテラン監督のアーチー・メイヨにとっても本作が引退作になったようですが、終戦直後でまだメジャー会社すら人員・体制が立て直っていない時期に、スケジュールが空いてしまっていたスタッフとキャストをかき集めて作ったような映画で、マルクス兄弟映画の難点は映画全体のスタッフ、キャストの一体感に著しく乏しい点で、映画のサウンド・トーキー化は各セクションの分業化と効率化を嫌でも促進させ、サイレント時代のようにワンマン監督、または気の合ったチームが入念に、または即興的に撮影を練り上げていくようにはいかなくなったので、マルクス兄弟のオリジナル舞台劇そのままの映画化である『ココナッツ』『けだもの組合』の初期2作、映画オリジナルのマルクス兄弟映画に挑んだノーマン・N・マクロード監督&S・J・ペレルマン脚本コンビの『いんちき商売』『御冗談でショ』の苦心の2作、そして後にも先にもなく唯一、映画監督のパワーがマルクス兄弟の全力と拮抗した金字塔『吾輩はカモである』と、パラマウント時代の5作には映画としてはいびつで、だからこそ野卑な活力みなぎる映画になっていたのですが、MGMでの『オペラは踊る』は映画に収まるマルクス兄弟作品の型を作って次の『マルクス一番乗り』でも同じ型が使えるのを確かめることになり、その2作までは対をなす成功作だったとしても続く3作はジリ貧になっていくMGM方式としか言いようのないものでした。チーム解散記念作『マルクス捕物帖』は実年齢50代の半ばを過ぎて、ピン芸ならまだしもチーム芸ではよれよれの、切れの悪いこと嘆かわしくなるようなマルクス兄弟映画ですが、退職金稼ぎのホマチ仕事のような作品であってもマルクス兄弟が自分たちで企画して製作した映画は本作が初めてで、もうグルーチョ、チコ、ハーポの枯れた掛け合いをしみじみ味わうしかないような、しかも本人たちの企画となるとこれなのは結局マルクス兄弟は映画の喜劇チームではなくて何か別の存在だたんだな、と思わされます。ノスタルジアでしかなくても本作が好意的に受け入れられたのは、日本公開された翌年に本国では、誰もが夢見ていたハーポ主演映画『Love Happy』が引退興行のさらにアンコールのように本作同様本人たちの企画・製作で公開されたことでも推察されます(日本では未公開に終わりましたが)。本作『マルクス捕物帖』は『オペラ』『一番乗り』はもとより映画としてはMGMの残り3作よりも気の抜けた、風呂の中で洩れた屁のような出来かもしれません。ですがマルクス兄弟映画をひと通り観ると、この気の抜けた仕上がりもまたマルクス兄弟らしいと感慨を抱かせるのです。