この映画日記は主に古い映画の感想文ばかりですが、日本公開時のポスターはさすがに戦前作品はほとんど無理としてもなるべく公開時の本国版ポスターを参考画像に探してくることにしています。サイト上で探せて転用できるものに限られますが、日本映画の戦前作品などは自国のもので著名作品なのになかったりもしますし、独立プロ作品はおろかメジャー会社の外国映画でも現行版DVDジャケットしか見つからないことも多いのです。ハロルド・ロイドの喜劇映画など'20年代、90年以上前のものですし、昔の大人気俳優とは言え公開時のポスターは難しいかな、と思っていました。ところがこれが見つかる見つかる、長編1作につき4種類くらいのポスターはざらにあるのです。95年以上前の作品にしてそれだけ残っているのは、公開当時のヒット状況と現在ではポスターもヴィンテージ品として大事にされているということで、デジタルスキャンして鮮明な状態に復原されているポスターも多く、親日家のロイドが戦後来日時に表敬訪問されたという榎本健一(エノケン)の映画の代表作が、'30年代のトーキー時代の作品でありながらまったくDVD化されておらず上映もめったにされず粗悪なプリント状態のまま放置されている日本の自国の喜劇映画への待遇を思うと(喜劇映画に限りませんが)きちんとサイレント喜劇の大家であるロイドが忘れられないでいるアメリカの映画環境はやはり立派なものだという気がします。さて今回はいよいよ絶頂期に突入したロイド長編のご紹介で、前回はとっかかりがつかず支離滅裂な感想文になってしまった反省から2回観直して2回目はメモをとる、というやり方に切り替えました。次回もそうするかはともかく、ロイドのサイレント長編喜劇とはどんなものかをお伝えしたいと思います。なお作品紹介は9枚組ボックス『ハロルド・ロイド・コレクション』の簡潔なあらすじを転用させていただきました。
●6月4日(月)
『ロイドの要心無用』 Safety Last! (ハル・ローチ・プロダクション=パテ'23)*73min, B/W, Silent : https://youtu.be/V-XZWZVVhvQ
○本国公開1923年4月1日、監督=フレッド・ニューメイヤー&サム・テイラー、共演=ミルドレッド・デイヴィス
○一旗揚げようとして、デパートで働く青年ハロルド。ある日、彼が手紙に書いたありもしない成功談を真に受けた田舎の恋人が、突然ハロルドに会いにやってきた!恋人の手前、手っ取り早く大金を稼ぎたいと焦った彼は、高額の報酬を目当てに、ビルの壁に登ってデパートの宣伝をするという危険な挑戦をするハメに。
タイトル原題は「Safety First(安全第一)」のもじりですから「Safety Last!(安全最後!)」とはずいぶん洒落のきついものです。冒頭は「彼がグレート・ベインの夕陽を見るのはこれが最後だった」鉄格子の向こうにロイド、手前に輪になったロープ、鉄格子越しに別れの言葉を涙ながらに伝える母と恋人。彼らが一斉に微笑むと構図が後退し、グレート・ベイン駅の改札のプレートと到着する汽車がフレーム・インし、ロイドは鉄格子をひょいと開いて恋人と抱擁しあい、輪になったロープに駅員が伝票をひっかけます。次のシーンでははや数か月後。デパート店員で親友ビル(ビル・ストロザー)とシェアルームするロイドは恋人にブローチを買ったため文無しで家賃を滞納し、大家がやってくると壁のコート掛けにコートを羽織って飛び乗り居留守をつかう始末。ロイドはブローチにつけるネックレスは気に入った高級品がないと見栄を張って恋人に送ります。「危ない仕事をしてはいないかしら」と恋人の母。その頃通勤バスでは観客からこぼれ落ち、職場でもバーゲンに殺到する女性客たちにもみくみゃにされるロイドは親友ビルが交通巡査に追いかけられてビルディングの中腹まで登って逃げ切るのに遭遇、親友の特技に驚いたロイドにビルは「目をつぶっても16階くらいは登れるさ」と豪語します。そうするうちに昇進したと見栄を張ったロイドの手紙を真に受けた恋人が上京、運悪くロイドが店長室に呼び出されクビを言い渡されて出てきた職場を訪ねてきていた恋人はロイドが店長に昇進したと勘違い、ロイドは本物の店長が席を外した隙に店長室で恋人を勘違いさせたままで押し通すことにあの手この手で成功します。ロイドは店長と広告代理店が何か集客手段はないか、アイディア提供者に1,000ドルの報奨金をやろうと相談しているのを耳にし、デパートの屋上まで登ってみせる出し物を親友ビルと計画します。新聞広告を見てあの時のあいつだ、と目星をつける交通巡査。もちろん最初からビルが登る予定でしたがデパートの周りを取り巻いた人々の中に交通巡査の姿を見かけ、ロイドとビルは、ロイドが2階まで登って同じ扮装をしたビルと入れ替わる、という案に切り替えます。ところがビルは警官に追われて2階、3階と入れ替わる機会はいつまで経っても訪れない。上の窓から子供がまいたポップコーンをかぶって鳩に群がられ(ポケットの封筒を紙風船にして割って追い払います)、落ちてきた防災網を払いのけ、窓から顔を出したおばあちゃんに説教され、内装工事中の板につかまって滑り落ちそうになり、大時計の針に捕まると大時計のパネルがはずれて宙ぶらりんになり、すんでのところでビルがぶら下げたロープに捕まります。それでもまだビルは警官を巻けずロイドはさらに自力で登りますが大時計のゼンマイに足を取られ、ようやく次の階のバルコニー部分に登るとネズミがズボンのすそから潜り込んで足元がフラフラになり、ようやく屋上に達すると回転する風速計に頭をぶつけそうになり、旗竿のロープに引っかかって大きく左右に振り子になった勢いで屋上に待ち受ける恋人に抱きとめられます。熱いキスを交わす二人。それを知らず「待っていてくれ」と大ロングで警官に追いかけられるビル。水びたしで掃除中の水たまりにかまわず二人はロイドの靴が水たまりで脱げて靴下だけになったのにも気づかず出口に向かって去っていきます。これがロイドといえば本作、『要心無用』といえばロイドの、サイレント喜劇映画最高の1作と名高い、時計の針にぶら下がるシーンだけでも不朽の名場面で初公開から50年以上を経た'70年代にもリヴァイヴァル・ロードショー上映された名作中の名作です。アメリカ喜劇映画のベスト作品投票ではチャップリンの『黄金狂時代』'25、キートンの『キートン将軍』'26、トーキーですがマルクス兄弟の『我輩はカモである』'33か『オペラは踊る』'35に並ぶ屈指のもので、しかも年代はいちばん早いのにご注目ください。それほど早くロイド作品は高い完成度に達していたということです。チャップリンの最初の長編『キッド』'21、次の長編『偽牧師』'23も名作ですが、チャップリンの場合長編を作ると人情メロドラマ(『キッド』)、社会風刺劇(ゴーゴリの『検察官』の現代版とも言える『偽牧師』)という喜劇以外の骨格がどうしても強くなる。開拓時代の雪山が舞台の砂金掘りの話『黄金狂時代』でようやく喜劇とドラマのバランスが取れましたが、以降の長編は再び人情メロドラマか社会風刺劇を骨格としていくのです。キートンは純粋喜劇でロイドを上回る抽象度の高さがありましたが作品にムラがあり、それでも欠点を補って余りあるほどの発想の豊かさがあり、逆に豊かすぎたのが作品を過剰にしている気味があります。キートンとマルクス兄弟は近々全長編を観直したいと思いますのでその時書きます。同時代にもっとも広い観客に喜ばれ、バランス感覚に優れ完成度が高い喜劇はロイド作品だった、ということです。ロイドはワンマン監督製作ではなく主演俳優兼製作主任として監督、脚本家からスタッフのチーム力を生かした作品製作に長けていました。これもチャップリン、キートン、マルクス兄弟らとは異なるロイド作品の特徴であり、優位な点でした。
本作は70分を超える映画ですがサイレントで挿入字幕が全編で10枚程度しかありません。これは前回指摘し忘れていたことで、当時ドイツやフランスで無字幕映画の試みがありましたが、それらは芸術映画として作られ物語性は稀薄で、無字幕と言っても設定・状況説明などで10枚程度は字幕が入るものでした。ロイドは単純な喜劇とはいえ物語に起伏のある劇映画で字幕を10枚程度しか使わない。それでいて映像で簡潔に理解できるように工夫しているので観客はちゃんと理解ができます。本作の冒頭はロイドが絞首刑になる場面かと見せかけてカメラが引くと単なる上京するロイドの駅の見送りとわかる。これは初長編『ロイドの水兵』でもロイド初登場の場面で使った手で、カンバスに絵筆が走り筆先に難しい表情で顔を近づけるロイドのアップから始まりますが、カメラが引くと絵を描いているのはお年寄りの日曜画家でロイドは失礼な態度で絵を眺め回しているだけ、というのがわかる。そしてロイドはその風景画に指先で勝手にお日様を描いて去ってしまいます。ヒマを持て余している金持ちの坊ちゃんというのが『水兵』でのロイドの役柄です。『ロイドの水兵』のリメイクとも言えるのが本作の次作の『ロイドの巨人征服』ですが、『水兵』では東南アジアの小国で世間知らずのロイドが恋人誘拐を救出して男を上げる話で、このでたらめな国ではロイドが行く先々でトラブルばかりが起こる、それでスタッフ・キャストのみんなでわいわいと乗って撮影しているうちに2巻(約20分強)の短編の予定が撮影分だけで4巻(約50分弱)になっていたのでそのまま長編として公開したら大ヒットしてしまった、という瓢箪から駒みたいな作品でした。次の『豪勇ロイド』では長くなるならやりたい放題やろうとやはり短編の予算で始めて、チーム全員が乗りに乗ってアイディアを出し合いチャップリンの『キッド』以外に前例のない異例の5巻(約60分弱)の長編になり、予算を引いた純益だけで100万ドル以上の興行収入の特大ヒットになった。これは『キッド』が興行収入100万ドルに対して製作費と宣伝費で50万ドルかかっていたのとは純益がまるで違うわけで、しかも『キッド』の収益はチャップリンと配給会社だけに回るのにロイド作品ではスタッフ・キャストが公平に支払われた、と、次の6巻の長編『ドクター・ジャック』ではようやく最初から長編用の脚本と長編に見合ったセットとスタッフ・キャストで製作され、『豪勇ロイド』を上回る年間ベストテン上位に入るほどの興行収入を上げましたが、映画の構成は前半・後半と異なる短編2作のアイディアを結びつけて長編にしたようなものになっていました。短編の中にどんどんアイディアをぶち込んで長編にした(なった)前2作からは進展もしましたが、長編映画としての構成には課題が残っていたということです。しかしロイド作品のギャグの特徴はチャップリンやキートンのように伏線→ギャグ、伏線→ギャグの爆発的ドラマ構造ではなく、小ギャグが次の小ギャグを呼び次のギャグを呼ぶ、とギャグ単位では小さいですが流れるようにギャグが続いてゆく快適な流露感にあり、ロイドはスタッフ・キャストみんなにギャグひとつにつきギャラのボーナスを支払っていたそうですが、前3作(さらに以前の短編時代)からつちかってきたノウハウが本格的に生かされたのが本作『要心無用』で、ようやくヒロインとのロマンスとサラリーマン喜劇を長編らしい長編の構成で、小ギャグの連続という長所はそのままに大成功作品をものしたのです。本作も製作費12万1,000ドルに対して興行収入150万ドル、利益率12.4倍という特大ヒットになり、これは一般の劇映画の製作費が数十万ドル~100万ドルに接近しつつあった当時に興行収入は100万ドルを超えるのは困難だったのに比べると驚くべき業績でした。今日キートンの最高傑作のひとつとされる『キートン将軍』'26は製作費41万5232ドルに対して興行収入47万4264ドルで、キートン作品は通常この1/3前後の予算で作られ興行収入は50万ドル~70万ドルでしたが、畢生の力作の興行的失敗(赤字の場合はもちろん、大資本を投下する映画では利益率は最低でも2倍を要求されます)がキートンの自作自演監督=俳優としての地位を、やがて監督権の剥奪に追いやられることにつながってしまいます。ロイドは最高傑作が最高の興行的成功作のひとつでもあった幸運な映画人で、本作はまたヒロイン女優のミルドレッド・デイヴィス(1901-1969)がロイドと婚約し、結婚して実質的引退に入る最後の作品でもありました。その辺りも本作はロイド入魂の気合が感じられます。第1回(1924年/大正13年)キネマ旬報ベストテン「娯楽的に優れたる映画」第3位の本作、キネマ旬報にはこう紹介されています。「『ロイドの水兵』『豪勇ロイド』等次のロイド作品は『医師ジャック』であるが、その次の作品たる此『要心無用』の方が先に輸入された。『豪勇ロイド』の原作者ハル・ローチ、サム・テイラーの両氏とティム・ウィーラン氏が原作を合作し、前2名作品同様フレッド・ニューメイヤー氏が監督したものである。例の通りミルドレッド・デイヴィス嬢、ノア・ヤング氏等ロイド喜劇になくてはならぬ人々が共演している。ハル・ローチ氏の提供、アソシエイテッド・エキジビタース社の発売である事は毎もの通り。尚本誌第140号の田村君の『私の見た新映画』に本映画の事が出ている。」
●6月5日(火)
『ロイドの巨人征服』 Why Worry? (ハル・ローチ・プロダクション=パテ'23)*63min, Tinted B/W, Silent : https://youtu.be/IrIwT7QR0qA
○本国公開1923年9月16日、監督=フレッド・ニューメイヤー&サム・テイラー、共演=ジョビナ・ラルストン
○自分は病気だと思い込んでいる若き億万長者ハロルドが、南の国パラディソへ静養に出かける。付き添うのはひそかに彼を慕う美しい看護婦。ところがパラディソは政府転覆を狙う無法者たちが暗躍する危険な国だった!偶然、巨人のような大男と仲良くなったハロルドは、なりゆきで無法者たちをやっつけることに……。
先に『要心無用』の感想文に書いた通り本作は初長編『ロイドの水兵』のリメイク的な作品で、同作は東南アジアのイスラム圏独裁国という設定でしたが、本作の舞台はいいかげんな海図から見ると南米のチリのてっぺんかペルーあたりです。『水兵』の大富豪の坊ちゃんロイドは傲慢怠惰で無謀な強がりでしたが、本作のロイドは大富豪の坊ちゃんで怠惰で無謀な病弱自慢です。タイトルだとロイドが巨人の国を征服する話みたいですがそうではなく、アナーキストが暴動を起こして大騒動のこの国のロイドが着いた保養地(笑)に気は優しいが正義漢の怪力大男(身長2メートル半はありそう)がアナーキストに反抗するので大男は虫歯が痛んで力が出ないところをアナーキストに捕まっている。それをロイドが助けて大男はロイドに忠実な助っ人になり、誘拐されたロイドの看護婦を助けてアナーキストたちをとっちめて帰国する、という話です。映画冒頭のシーンは、上流階級の屋外場社交クラブで紳士二人が新聞の「億万長者、南の島で静養に」とロイドの写真つき記事を見ながら「病気だと思い込んでいるんだ、どこも悪くないのにな」と噂をしている場面から一転して船上のデッキで看護婦(ジョビナ・ラルストン)につきそわれ好みのカクテルを召使いに持ってこさせるご機嫌なロイド。「パラディソ(極楽)まで14日間の船旅」カリフォルニアから南アフリカ中腹の西岸に延びる海図が示されます。船上の光景はブルーに染色(Tinted)され非常に鮮明で良好な画質で、似たような設定の初長編『ロイドの水兵』'21より各段に上質のマスターが残っていたようです。パラディソは内戦勃発に一触即発なのですが、観光客気分のロイドは銃撃戦の音を雷と勘違いしたり、路地の乱闘でふらふらになった男女を見事なダンスと拍手したりとうろうろしているうちに暴動に巻き込まれ牢屋に入れられてしまい、そこで虫歯で弱っていたところを逮捕された身長2メートル半の大男(ジョン・アーセン)と同じ牢になる。大男は簡単に窓の鉄柵を曲げて引き抜き、ロイドは脱出し窓からは体がでかすぎて出られない大男を助け出しますが、大男の虫歯痛に気づいて虫歯にロープを結びつけ、馬に牽かしたり走ってみたり(大男も走り出してしまい失敗)、木の梢にロープをかけてロイドの体重で抜こうとしたりと四苦八苦のうちようやく巨大な虫歯が抜けて、大男はロイドに感謝して慕って一緒についてくるようになります。だんだんパラディソ国の争乱に気づいたロイドは大男に知恵をさずけて行く手を遮る反乱軍を掻き分け、虫歯が治ってロイドに忠誠心を抱いた大男はひとりで数十人単位で出てくる反乱軍をなぎ倒し、大男はぶんどった大砲を背負って大活躍。一方ロイドとはぐれた看護婦は身の危険を避けるため男装して町の外れの食堂に隠れており、再会したロイドは「僕のことは放っといて何してたんだ!」と激怒して「あなたこそ病気でもないのに!」とケンカ別れしますが、男装した彼女を女性と気づいた町の男に襲われているところを助けて仲直り。それと知らず大男は町中の女をロイドの探す女かと引き連れてきます。やがて攻め込んできた軍勢にロイド、看護婦、大男の三人は(並ぶとヒロインの身長は大男の脇腹くらいにしか届きません)は爆竹を鳴らすたびに高い壁ごしにパイナップルを投げる、というハッタリ戦法で軍勢を退却させ、戦いに勝ってようやく自分は病気じゃないと気づいたロイドはその場で求婚。次のカットはもう赤ん坊に添い寝するヒロイン、社長室で「ご長男です」と報告を受けるロイド、一緒にアメリカに来たらしく四つ辻の交通整理の仕事をしている大男に子供の誕生の報告に駆け寄るロイド、喜んだ大男が踊り出し交差点の車が大渋滞になるラストショットで映画は終わります。
キネマ旬報の紹介は「『要心無用』に次いだハロルド・ロイドの喜劇で、サム・テイラー原作、フレッド・ミューメイヤーとテイラーの監督である。この作品からロイドの対手役は新進のジョビナ・ラルストンに変更された。」と短いですが、ジョビナ・ラルストン(1899-1967)は本作から長編第10作『田吾作ロイド一番槍』'27まで6作のヒロインを勤めるロイド長編最多作品ヒロインです。また本作のジョン・アーセン(1890-1938)はギネスブックにも載っているノルウェー出身のサイレント時代の俳優で、実際の身長は2メートル19センチだったのが公式な記録ですが堂々とした体格なので裕に2メートル半くらいには見えます。普通の体格の大人の男を片手で軽々持ち上げるくらいです。ラルストンはトーキー初期に引退しましたが、ロイド作品が代表作の他はウィリアム・A・ウェルマンの『つばさ』'27で田舎町に住む主人公たちが恋する都会出身の優雅な美女役でメイン・ヒロインのクララ・ボウに次ぐ女優キャスト2番目にビリングされており、同作の出演を機に『つばさ』の主人公のひとり(名家令息の方)を演じたリチャード・アーレンと役柄通りに最初の結婚をしています(のち離婚、再婚)。ロイド作品の明朗素朴なキャラクターからは『つばさ』の都会的な美女のイメージに結びつかず、今回調べるまで(先月『つばさ』を観直していろいろ調べて感想文を書いたのに!)『つばさ』の副ヒロインがロイド映画のジョビナ・ラルストンと同一人物とはこれまでまったく気がつかず、このまま墓場まで無知を持っていくところでした。さて本作は、製作費22万626ドルと判明していますが興行収入はデータがないので前作『要心無用』の150万ドルは下回ったのではないかと思われます。製作費では10万ドルあまり『要心無用』より予算をかけていますが、キートン作品でも50万ドル~75万ドルの興行収入だったそうですからロイドならこの予算でも収益率2倍以上は業績を上げているでしょう。また製作費の中には、本作はエキストラの数が膨大(アナーキストの軍隊が出てきます)なのもありますがロイド個人へのギャラの高騰というのもありはしないかと思われるので、ハリウッド映画には予算の半分が主演スターのギャラという例も増えていくのです。本作はロイドがハル・ローチ・プロダクションで作った最後の映画になりますが形の上ではプロデューサーはローチなのでロイドへのギャラは製作費に計上されることになる。ジョビナ・ラルストンはハル・ローチ・プロダクションの「ちびっ子ギャング(Our Gang)」出演からロイド作品のヒロインに抜擢された女優で、日本の田舎のおばあちゃんには前ヒロインでロイド夫人になったミルドレッド・デイヴィスと区別がつかないのではないかと思いますが、これもメイクや衣装までわざと似せているのでしょう。本作も流れるようなギャグに次ぐギャグが冴えたロイド作品ですが、ラルストンにやや生硬さが感じられるのと(デイヴィスは短編時代からの相手役で実際にロマンスに発展したくらいでしたから、比較するとどうしてもラルストンが不利です)、ジョン・アーセンという強烈な巨人俳優の起用が本作の決定的な強みでアーセンの存在感を十分に生かしており、言い方は悪いですが一種の身体的異常役者で際者的になりがちなところを、善良で優しく誠実な性格に描いて不快な印象はまったく与えないのは本作の良い点ですが、あまりに先にアーセンありきの企画内容ではないか、という感じもしてきます。つまり本作はロイドがアーセンの存在感に呑まれているので、映画のセンスはロイド作品ならではですしロイドもいつも通り体を張った好演なのですが――ちなみにロイドは初長編『ロイドの水兵』の前作で最後の短編『ロイドの落胆無用』('21年10月公開)製作中に装置に仕掛けた火薬の爆発事故で左手の人差し指と親指を失い、以降の作品は(『要心無用』さえも!)すべて義指をつけて演じられています――ロイド以外の青年コメディ俳優でもできたのではないか、この題材ならむしろロイドの指揮、主演俳優はキートンを借りてきたら(この時期では絶対あり得ない組み合わせですが)、本作のロイドが演じたキャラクターは『海底王キートン』'24や『拳闘王キートン』'26のキートンのキャラクターと似ていて、キートンの方がこういうキャラクターはうまいだけに、そういう贅沢な不満や欲も出てくるのです。とあれ、本作は前後作が名作中の名作だけに割を食っていますが、筒井康隆氏が名著『不良少年の映画史』(昭和54年・文藝春秋社)で一章を割いて絶賛されている通り、ロイド作品中必見の1作には違いありません。
●6月6日(水)
『猛進ロイド』 Girl Shy (ハロルド・ロイド・プロダクション=パテ'24)*77min, Tinted B/W, Silent : https://youtu.be/WXtmzlkK5_0
○本国公開1924年3月28日、監督=フレッド・ニューメイヤー&サム・テイラー、共演=ジョビナ・ラルストン
○田舎町に住むハロルドは、女性恐怖症でどもってしまう青年。昼は仕立て屋で見習いとして働き、夜は想像の女性体験を基に本を書き、売れっ子作家を夢見ていた。ある日曜日、彼は自分の自信作を出版社に持ち込むため、都会行きの汽車に乗る。そこで名家のお嬢様メアリーと出会ったハロルドは、初めて恋に落ち……。
タイトル画面から実に見事なセピア色の染色が美しい本作は、カリフォルニアの田舎町リトル・ベンドの仕立て屋の叔父さんの姿、続いて見習いに働くロイドの姿から始まります。女性客相手にしどろもどろになるロイド、次いでストッキングの穴を繕って、という若い女に針を刺したりしながらも何とか繕ってみせて機嫌をよくしたロイドは、叔父さんに「本を書くんだ」と帰りのあいさつをして、自宅の部屋で「愛を勝ち得る方法/ハロルド・メドウズ著」の続きを書きます。タイプライターを打つロイドの部屋はセピア染色、ロイドが書いている内容の空想は染色なしのB/W映像になります。さて、ヒロインのバッキンガム家の令嬢メアリーの家に金持ちの求婚者が訪ねてくるがメアリーは無関心で、メアリーは街に買い物に出ようとするが車は調子が良くない。そこでメアリーはペットの犬を連れて汽車に乗ろうとしますが犬は駄目と断られ召使いに犬を渡して乗ります。後から乗り込んだロイドは犬が汽車を追ってくるのを見て最後尾のデッキから竿で犬を釣り上げます。ロイドはメアリーを見つけて隣席に座ることができ、これから出版社に本を売り込みに行くんだと話し、2時間後に街に到着する頃にはすっかり二人は意気投合しています。3週間後、メアリーは求婚者とリトル・ベンドにドライブし(なぜリトル・ベンドなんだ、と求婚者は不審がります)、車が故障したので求婚者がレンタカー店を探しているうちに小川でボートに乗っているロイドと再会します。二人は汽車で出会った時にペットの犬にあげた犬のビスケットのラベルを半分ずつ大事に持ち歩いているのを確かめあいます。ロイドが腰を下ろした岩が大亀で会話中に沼に移動してしまったり、手をついた木がにかわの樹だったりと二人で楽しく話している一方、レンタカー店で車を借りた求婚者には内縁の妻がいることが観客には判明します。戻ってきた求婚者はロイドを脅し、メアリーは原稿の採否の日を待つわ、とロイドを励まします。出版社の編集部ではロイドの原稿は冗談の種になり、ロイドが現れると女性スタッフたちはロイドにめろめろになったふりをしてからかいます。真に受けたロイドは編集局長室に呼ばれて自信満々で入りますが、あんな愚の骨頂と嘲られ、先の女性スタッフたちも露骨にロイドを馬鹿にして送り返します。メアリーはロイドの本を自分たちの出会いの本と信じて待っており、自信を喪失したロイドはメアリーに別れを告げます。メアリーはビスケットのラベルを破って泣き崩れますがラベルを貼り直します。一方出版社ではジョークの本としてロイドの原稿の出版を考え直し、3,000ドルの前金の小切手を送ってきます。ロイドは出版社からの封筒を中身も見ずに破り捨てますが、叔父が気づいて貼り直し驚愕し、さらにメアリーの求婚者の内縁の妻の存在を知ったロイドは、その日が結婚式予定日のメアリーの結婚を止めにどんどん壊れていく自動車、馬、バス、路面電車の屋根の上、追いついてきた叔父さんの自動車、自動車を止めた白バイを拝借、さらに白バイが突っ込んだ溝の道路工事中の資材運搬用馬車、馬車が壊れて馬と、片っ端から乗り継いで結婚式場に到着、花嫁をさらって逃げて別の教会前でメアリーに求婚し、メアリーは3回乗馬用の笛を吹き、ロイドは「Yes?(つまりNoだったら2回)」と訊き返してメアリーはうなずき、二人は目を丸くした牧師の前で抱き合います。本作はアメリカの喜劇映画史上初のロマンティック・コメディと目されることもある名作で、ロイド作品でも『要心無用』や『ロイドの人気者』'25に並ぶものです。ロマンスを匂わせて終わる喜劇映画はチャップリンの『犬の生活』'18もそうでしたし、チャップリンに限らず主人公とヒロインのハッピーエンドで終わるならロイドやキートンも作ってきましたし、本作からロイドが自己のプロダクションを作って独立した後でハル・ローチ・プロダクションが売り出したハリー・ラングドンは失恋キャラクターが売り物でした。しかし本作の場合は気弱なのに見栄張りで華奢な(しかし行動的になると超人的な身体能力を発揮する)好青年というロイドがいちばんはまる役柄で、世間知らずな男女同士の素朴な恋愛とコメディ要素を絶妙に組み合わせており、たとえば二人を結びつけるのはヒロインが汽車に乗せようとしたペットの小犬(マルチーズ?)ですが犬用ビスケットを食べさせておとなしくさせようとする、車掌が通りかかるたびにロイドが自分で食べる羽目になる、数度目には犬用ビスケットのラベルがばれて身体検査されるが二人とも犬を隠していない、車掌が去ると前の席の山羊ひげのお爺さんのひげの中から小犬を出してお爺さんに礼を言う。結局小犬は携帯用の犬用ビスケットの小箱2個分を食べますが、都会(ロサンゼルス?)に着いて名残惜しく別れた二人はたまたまビスケットの空き箱を一つずつ持っていて、ヒロインが主人公の住む田舎町をドライブのコースにして車が故障した時偶然再会し、二人ともいつもその時の空き箱を持ち歩いて(ヒロインはラベルをはがしてラベルを畳んで、ロイドは箱ごと)いるのを知る、とギャグとロマンスの関連がなだらかで、無理なく練れています。
日本公開時のキネマ旬報では、本作は「ロイド喜劇のあらゆる長所を打って一丸にしたロイド喜劇傑作中の傑作といっても過言であるまい。八巻という喜劇にしては空前の長編を些かのゆるみもなく観客を引張って行くところ、いつもながらフレッド・ニューメイヤーとサム・テイラーの頭の良さに感服の他はない。『恋愛の秘訣』の各章に現される各種の女性の解剖も痛快皮肉を極むれば、後半の馳せ付けの技巧も、下手な連続や活劇に優ることしばしば。殊に電車の使い方は感嘆の他なし。最後に、笛を吹いて新婚旅行の汽笛を思わせ以心伝心に抱擁するところなどは全編を生かしている。あの“Yes”という字幕に何ともいわれぬ妙味がある。ロイドのヘラヘラ笑いといって嫌っていた人も必ず本映画を見れば好きになるに違いない。ジョビナ・ラルストンは『巨人征服』の時より大分慣れてきた。」本作はキネマ旬報ベストテン第2回(1925年/大正14年)の「娯楽的に優れたる映画」第5位で、同1位はラオール・ウォルシュの『バグダッドの盗賊』、8位に『荒武者キートン』が入っていますが(「芸術的に優れたる映画」は第1位『嘆きのピエロ』、第2位『キイン』、第3位『救ひを求むる人々』の年でした)、本作は製作費もこれまで最高の40万ドルでしたが興行収入155万ドルの特大ヒット作になりました。製作費が増えたのは本作がハロルド・ロイド・プロダクション作品でもスタッフは監督や脚本家、俳優(ジョビナ・ラルストン)を含めてハル・ローチ・プロダクションの専属スタッフ・キャストを使っているため、前作までのローチ・プロダクション作品のように自社スタッフは給料制とはいかずローチ・プロダクションを通してギャラが発生している上にローチ・プロダクション作品のように自社スタジオを持っておらずスタジオ代もかかり、また本作で一気に8巻の大作になったため『ロイドの巨人征服』からほぼ倍の製作費になったと思われます。特に監督のニューメイヤーは初長編以来ずっと、脚本家上がりで共同脚本のまとめ役の共同監督テイラーは『要心無用』以来のコンビでローチ・プロダクションの主力監督ですし、主演女優のラルストンもスター待遇となると旧友でおたがい恩義のあるロイドとローチの間柄ですから、ローチ・プロダクション作品『要心無用』の製作費12万1,000ドルと本作の製作費40万ドルの差額はほとんどローチ・プロダクションへの人件費だったのでしょう。しかし払っただけはきっちり儲けているわけで、本作の興行収入は配給会社分を差し引けばまるごとロイド・プロダクションの収入になったので、ロイド個人にとっては興行収入は同じ150万ドルでも(本作は155万ドルですが)『要心無用』と本作『猛進ロイド』では内訳はまったく違ってきます。本作が徹底的に手を抜かない、座った岩すら沼に棲む大亀で夢中の会話中に沼の中、といったデート中だからこそ効く適切な小ギャグが満載で、さらにクライマックスでヒロインの結婚を止めんと壊れかけの自動車、馬、バス、路面電車の屋根の上、落ちそうになってぶら下がるアンテナ、追いついてきた叔父さんの自動車、自動車を止めた白バイ拝借、さらに白バイが突っ込んだ溝の道路工事中の資材運搬用馬車、馬車が壊れて馬と、片っ端から乗り継ぐ果てしない馳せ参じギャグはひとつ一つは小ギャグなのですが累積効果はとんでもない破壊力があり、これは完結した大ギャグを入念に配置するチャップリンやキートンとは異なり、しかしロイドのやり方も突きつめればどれだけ爆発的なものになるかの最良の見本です。ちなみに他にも数作ロイド作品を出している国内メーカーI社の本作のDVDは60分の短縮版で小犬のギャグ、亀のギャグ、最後の果てしない馳せ参じギャグが全部ストーリーと無関係とばかりにカットされたヴァージョンで画質も悪く日本盤オリジナルの音楽も陳腐、しかも天地左右が切れたマスタリングで台無しで、断固60分はお避けください。ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン版以外では日本・中国向けの台湾のメディアディスク版DVD(音楽に難あり)、ユニバーサル版と同等の画質(レストア染色版)と音楽で全長版が収録されているコスミック出版の書籍扱い10枚組廉価版(1,800円)ボックス『爆笑コメディ劇場』(他にロイドのトーキー長編1作、キートンのサイレント長編3作、マルクス兄弟長編2作、チャップリン短編集3枚分収録)がお勧めです。
●6月4日(月)
『ロイドの要心無用』 Safety Last! (ハル・ローチ・プロダクション=パテ'23)*73min, B/W, Silent : https://youtu.be/V-XZWZVVhvQ
○本国公開1923年4月1日、監督=フレッド・ニューメイヤー&サム・テイラー、共演=ミルドレッド・デイヴィス
○一旗揚げようとして、デパートで働く青年ハロルド。ある日、彼が手紙に書いたありもしない成功談を真に受けた田舎の恋人が、突然ハロルドに会いにやってきた!恋人の手前、手っ取り早く大金を稼ぎたいと焦った彼は、高額の報酬を目当てに、ビルの壁に登ってデパートの宣伝をするという危険な挑戦をするハメに。
タイトル原題は「Safety First(安全第一)」のもじりですから「Safety Last!(安全最後!)」とはずいぶん洒落のきついものです。冒頭は「彼がグレート・ベインの夕陽を見るのはこれが最後だった」鉄格子の向こうにロイド、手前に輪になったロープ、鉄格子越しに別れの言葉を涙ながらに伝える母と恋人。彼らが一斉に微笑むと構図が後退し、グレート・ベイン駅の改札のプレートと到着する汽車がフレーム・インし、ロイドは鉄格子をひょいと開いて恋人と抱擁しあい、輪になったロープに駅員が伝票をひっかけます。次のシーンでははや数か月後。デパート店員で親友ビル(ビル・ストロザー)とシェアルームするロイドは恋人にブローチを買ったため文無しで家賃を滞納し、大家がやってくると壁のコート掛けにコートを羽織って飛び乗り居留守をつかう始末。ロイドはブローチにつけるネックレスは気に入った高級品がないと見栄を張って恋人に送ります。「危ない仕事をしてはいないかしら」と恋人の母。その頃通勤バスでは観客からこぼれ落ち、職場でもバーゲンに殺到する女性客たちにもみくみゃにされるロイドは親友ビルが交通巡査に追いかけられてビルディングの中腹まで登って逃げ切るのに遭遇、親友の特技に驚いたロイドにビルは「目をつぶっても16階くらいは登れるさ」と豪語します。そうするうちに昇進したと見栄を張ったロイドの手紙を真に受けた恋人が上京、運悪くロイドが店長室に呼び出されクビを言い渡されて出てきた職場を訪ねてきていた恋人はロイドが店長に昇進したと勘違い、ロイドは本物の店長が席を外した隙に店長室で恋人を勘違いさせたままで押し通すことにあの手この手で成功します。ロイドは店長と広告代理店が何か集客手段はないか、アイディア提供者に1,000ドルの報奨金をやろうと相談しているのを耳にし、デパートの屋上まで登ってみせる出し物を親友ビルと計画します。新聞広告を見てあの時のあいつだ、と目星をつける交通巡査。もちろん最初からビルが登る予定でしたがデパートの周りを取り巻いた人々の中に交通巡査の姿を見かけ、ロイドとビルは、ロイドが2階まで登って同じ扮装をしたビルと入れ替わる、という案に切り替えます。ところがビルは警官に追われて2階、3階と入れ替わる機会はいつまで経っても訪れない。上の窓から子供がまいたポップコーンをかぶって鳩に群がられ(ポケットの封筒を紙風船にして割って追い払います)、落ちてきた防災網を払いのけ、窓から顔を出したおばあちゃんに説教され、内装工事中の板につかまって滑り落ちそうになり、大時計の針に捕まると大時計のパネルがはずれて宙ぶらりんになり、すんでのところでビルがぶら下げたロープに捕まります。それでもまだビルは警官を巻けずロイドはさらに自力で登りますが大時計のゼンマイに足を取られ、ようやく次の階のバルコニー部分に登るとネズミがズボンのすそから潜り込んで足元がフラフラになり、ようやく屋上に達すると回転する風速計に頭をぶつけそうになり、旗竿のロープに引っかかって大きく左右に振り子になった勢いで屋上に待ち受ける恋人に抱きとめられます。熱いキスを交わす二人。それを知らず「待っていてくれ」と大ロングで警官に追いかけられるビル。水びたしで掃除中の水たまりにかまわず二人はロイドの靴が水たまりで脱げて靴下だけになったのにも気づかず出口に向かって去っていきます。これがロイドといえば本作、『要心無用』といえばロイドの、サイレント喜劇映画最高の1作と名高い、時計の針にぶら下がるシーンだけでも不朽の名場面で初公開から50年以上を経た'70年代にもリヴァイヴァル・ロードショー上映された名作中の名作です。アメリカ喜劇映画のベスト作品投票ではチャップリンの『黄金狂時代』'25、キートンの『キートン将軍』'26、トーキーですがマルクス兄弟の『我輩はカモである』'33か『オペラは踊る』'35に並ぶ屈指のもので、しかも年代はいちばん早いのにご注目ください。それほど早くロイド作品は高い完成度に達していたということです。チャップリンの最初の長編『キッド』'21、次の長編『偽牧師』'23も名作ですが、チャップリンの場合長編を作ると人情メロドラマ(『キッド』)、社会風刺劇(ゴーゴリの『検察官』の現代版とも言える『偽牧師』)という喜劇以外の骨格がどうしても強くなる。開拓時代の雪山が舞台の砂金掘りの話『黄金狂時代』でようやく喜劇とドラマのバランスが取れましたが、以降の長編は再び人情メロドラマか社会風刺劇を骨格としていくのです。キートンは純粋喜劇でロイドを上回る抽象度の高さがありましたが作品にムラがあり、それでも欠点を補って余りあるほどの発想の豊かさがあり、逆に豊かすぎたのが作品を過剰にしている気味があります。キートンとマルクス兄弟は近々全長編を観直したいと思いますのでその時書きます。同時代にもっとも広い観客に喜ばれ、バランス感覚に優れ完成度が高い喜劇はロイド作品だった、ということです。ロイドはワンマン監督製作ではなく主演俳優兼製作主任として監督、脚本家からスタッフのチーム力を生かした作品製作に長けていました。これもチャップリン、キートン、マルクス兄弟らとは異なるロイド作品の特徴であり、優位な点でした。
本作は70分を超える映画ですがサイレントで挿入字幕が全編で10枚程度しかありません。これは前回指摘し忘れていたことで、当時ドイツやフランスで無字幕映画の試みがありましたが、それらは芸術映画として作られ物語性は稀薄で、無字幕と言っても設定・状況説明などで10枚程度は字幕が入るものでした。ロイドは単純な喜劇とはいえ物語に起伏のある劇映画で字幕を10枚程度しか使わない。それでいて映像で簡潔に理解できるように工夫しているので観客はちゃんと理解ができます。本作の冒頭はロイドが絞首刑になる場面かと見せかけてカメラが引くと単なる上京するロイドの駅の見送りとわかる。これは初長編『ロイドの水兵』でもロイド初登場の場面で使った手で、カンバスに絵筆が走り筆先に難しい表情で顔を近づけるロイドのアップから始まりますが、カメラが引くと絵を描いているのはお年寄りの日曜画家でロイドは失礼な態度で絵を眺め回しているだけ、というのがわかる。そしてロイドはその風景画に指先で勝手にお日様を描いて去ってしまいます。ヒマを持て余している金持ちの坊ちゃんというのが『水兵』でのロイドの役柄です。『ロイドの水兵』のリメイクとも言えるのが本作の次作の『ロイドの巨人征服』ですが、『水兵』では東南アジアの小国で世間知らずのロイドが恋人誘拐を救出して男を上げる話で、このでたらめな国ではロイドが行く先々でトラブルばかりが起こる、それでスタッフ・キャストのみんなでわいわいと乗って撮影しているうちに2巻(約20分強)の短編の予定が撮影分だけで4巻(約50分弱)になっていたのでそのまま長編として公開したら大ヒットしてしまった、という瓢箪から駒みたいな作品でした。次の『豪勇ロイド』では長くなるならやりたい放題やろうとやはり短編の予算で始めて、チーム全員が乗りに乗ってアイディアを出し合いチャップリンの『キッド』以外に前例のない異例の5巻(約60分弱)の長編になり、予算を引いた純益だけで100万ドル以上の興行収入の特大ヒットになった。これは『キッド』が興行収入100万ドルに対して製作費と宣伝費で50万ドルかかっていたのとは純益がまるで違うわけで、しかも『キッド』の収益はチャップリンと配給会社だけに回るのにロイド作品ではスタッフ・キャストが公平に支払われた、と、次の6巻の長編『ドクター・ジャック』ではようやく最初から長編用の脚本と長編に見合ったセットとスタッフ・キャストで製作され、『豪勇ロイド』を上回る年間ベストテン上位に入るほどの興行収入を上げましたが、映画の構成は前半・後半と異なる短編2作のアイディアを結びつけて長編にしたようなものになっていました。短編の中にどんどんアイディアをぶち込んで長編にした(なった)前2作からは進展もしましたが、長編映画としての構成には課題が残っていたということです。しかしロイド作品のギャグの特徴はチャップリンやキートンのように伏線→ギャグ、伏線→ギャグの爆発的ドラマ構造ではなく、小ギャグが次の小ギャグを呼び次のギャグを呼ぶ、とギャグ単位では小さいですが流れるようにギャグが続いてゆく快適な流露感にあり、ロイドはスタッフ・キャストみんなにギャグひとつにつきギャラのボーナスを支払っていたそうですが、前3作(さらに以前の短編時代)からつちかってきたノウハウが本格的に生かされたのが本作『要心無用』で、ようやくヒロインとのロマンスとサラリーマン喜劇を長編らしい長編の構成で、小ギャグの連続という長所はそのままに大成功作品をものしたのです。本作も製作費12万1,000ドルに対して興行収入150万ドル、利益率12.4倍という特大ヒットになり、これは一般の劇映画の製作費が数十万ドル~100万ドルに接近しつつあった当時に興行収入は100万ドルを超えるのは困難だったのに比べると驚くべき業績でした。今日キートンの最高傑作のひとつとされる『キートン将軍』'26は製作費41万5232ドルに対して興行収入47万4264ドルで、キートン作品は通常この1/3前後の予算で作られ興行収入は50万ドル~70万ドルでしたが、畢生の力作の興行的失敗(赤字の場合はもちろん、大資本を投下する映画では利益率は最低でも2倍を要求されます)がキートンの自作自演監督=俳優としての地位を、やがて監督権の剥奪に追いやられることにつながってしまいます。ロイドは最高傑作が最高の興行的成功作のひとつでもあった幸運な映画人で、本作はまたヒロイン女優のミルドレッド・デイヴィス(1901-1969)がロイドと婚約し、結婚して実質的引退に入る最後の作品でもありました。その辺りも本作はロイド入魂の気合が感じられます。第1回(1924年/大正13年)キネマ旬報ベストテン「娯楽的に優れたる映画」第3位の本作、キネマ旬報にはこう紹介されています。「『ロイドの水兵』『豪勇ロイド』等次のロイド作品は『医師ジャック』であるが、その次の作品たる此『要心無用』の方が先に輸入された。『豪勇ロイド』の原作者ハル・ローチ、サム・テイラーの両氏とティム・ウィーラン氏が原作を合作し、前2名作品同様フレッド・ニューメイヤー氏が監督したものである。例の通りミルドレッド・デイヴィス嬢、ノア・ヤング氏等ロイド喜劇になくてはならぬ人々が共演している。ハル・ローチ氏の提供、アソシエイテッド・エキジビタース社の発売である事は毎もの通り。尚本誌第140号の田村君の『私の見た新映画』に本映画の事が出ている。」
●6月5日(火)
『ロイドの巨人征服』 Why Worry? (ハル・ローチ・プロダクション=パテ'23)*63min, Tinted B/W, Silent : https://youtu.be/IrIwT7QR0qA
○本国公開1923年9月16日、監督=フレッド・ニューメイヤー&サム・テイラー、共演=ジョビナ・ラルストン
○自分は病気だと思い込んでいる若き億万長者ハロルドが、南の国パラディソへ静養に出かける。付き添うのはひそかに彼を慕う美しい看護婦。ところがパラディソは政府転覆を狙う無法者たちが暗躍する危険な国だった!偶然、巨人のような大男と仲良くなったハロルドは、なりゆきで無法者たちをやっつけることに……。
先に『要心無用』の感想文に書いた通り本作は初長編『ロイドの水兵』のリメイク的な作品で、同作は東南アジアのイスラム圏独裁国という設定でしたが、本作の舞台はいいかげんな海図から見ると南米のチリのてっぺんかペルーあたりです。『水兵』の大富豪の坊ちゃんロイドは傲慢怠惰で無謀な強がりでしたが、本作のロイドは大富豪の坊ちゃんで怠惰で無謀な病弱自慢です。タイトルだとロイドが巨人の国を征服する話みたいですがそうではなく、アナーキストが暴動を起こして大騒動のこの国のロイドが着いた保養地(笑)に気は優しいが正義漢の怪力大男(身長2メートル半はありそう)がアナーキストに反抗するので大男は虫歯が痛んで力が出ないところをアナーキストに捕まっている。それをロイドが助けて大男はロイドに忠実な助っ人になり、誘拐されたロイドの看護婦を助けてアナーキストたちをとっちめて帰国する、という話です。映画冒頭のシーンは、上流階級の屋外場社交クラブで紳士二人が新聞の「億万長者、南の島で静養に」とロイドの写真つき記事を見ながら「病気だと思い込んでいるんだ、どこも悪くないのにな」と噂をしている場面から一転して船上のデッキで看護婦(ジョビナ・ラルストン)につきそわれ好みのカクテルを召使いに持ってこさせるご機嫌なロイド。「パラディソ(極楽)まで14日間の船旅」カリフォルニアから南アフリカ中腹の西岸に延びる海図が示されます。船上の光景はブルーに染色(Tinted)され非常に鮮明で良好な画質で、似たような設定の初長編『ロイドの水兵』'21より各段に上質のマスターが残っていたようです。パラディソは内戦勃発に一触即発なのですが、観光客気分のロイドは銃撃戦の音を雷と勘違いしたり、路地の乱闘でふらふらになった男女を見事なダンスと拍手したりとうろうろしているうちに暴動に巻き込まれ牢屋に入れられてしまい、そこで虫歯で弱っていたところを逮捕された身長2メートル半の大男(ジョン・アーセン)と同じ牢になる。大男は簡単に窓の鉄柵を曲げて引き抜き、ロイドは脱出し窓からは体がでかすぎて出られない大男を助け出しますが、大男の虫歯痛に気づいて虫歯にロープを結びつけ、馬に牽かしたり走ってみたり(大男も走り出してしまい失敗)、木の梢にロープをかけてロイドの体重で抜こうとしたりと四苦八苦のうちようやく巨大な虫歯が抜けて、大男はロイドに感謝して慕って一緒についてくるようになります。だんだんパラディソ国の争乱に気づいたロイドは大男に知恵をさずけて行く手を遮る反乱軍を掻き分け、虫歯が治ってロイドに忠誠心を抱いた大男はひとりで数十人単位で出てくる反乱軍をなぎ倒し、大男はぶんどった大砲を背負って大活躍。一方ロイドとはぐれた看護婦は身の危険を避けるため男装して町の外れの食堂に隠れており、再会したロイドは「僕のことは放っといて何してたんだ!」と激怒して「あなたこそ病気でもないのに!」とケンカ別れしますが、男装した彼女を女性と気づいた町の男に襲われているところを助けて仲直り。それと知らず大男は町中の女をロイドの探す女かと引き連れてきます。やがて攻め込んできた軍勢にロイド、看護婦、大男の三人は(並ぶとヒロインの身長は大男の脇腹くらいにしか届きません)は爆竹を鳴らすたびに高い壁ごしにパイナップルを投げる、というハッタリ戦法で軍勢を退却させ、戦いに勝ってようやく自分は病気じゃないと気づいたロイドはその場で求婚。次のカットはもう赤ん坊に添い寝するヒロイン、社長室で「ご長男です」と報告を受けるロイド、一緒にアメリカに来たらしく四つ辻の交通整理の仕事をしている大男に子供の誕生の報告に駆け寄るロイド、喜んだ大男が踊り出し交差点の車が大渋滞になるラストショットで映画は終わります。
キネマ旬報の紹介は「『要心無用』に次いだハロルド・ロイドの喜劇で、サム・テイラー原作、フレッド・ミューメイヤーとテイラーの監督である。この作品からロイドの対手役は新進のジョビナ・ラルストンに変更された。」と短いですが、ジョビナ・ラルストン(1899-1967)は本作から長編第10作『田吾作ロイド一番槍』'27まで6作のヒロインを勤めるロイド長編最多作品ヒロインです。また本作のジョン・アーセン(1890-1938)はギネスブックにも載っているノルウェー出身のサイレント時代の俳優で、実際の身長は2メートル19センチだったのが公式な記録ですが堂々とした体格なので裕に2メートル半くらいには見えます。普通の体格の大人の男を片手で軽々持ち上げるくらいです。ラルストンはトーキー初期に引退しましたが、ロイド作品が代表作の他はウィリアム・A・ウェルマンの『つばさ』'27で田舎町に住む主人公たちが恋する都会出身の優雅な美女役でメイン・ヒロインのクララ・ボウに次ぐ女優キャスト2番目にビリングされており、同作の出演を機に『つばさ』の主人公のひとり(名家令息の方)を演じたリチャード・アーレンと役柄通りに最初の結婚をしています(のち離婚、再婚)。ロイド作品の明朗素朴なキャラクターからは『つばさ』の都会的な美女のイメージに結びつかず、今回調べるまで(先月『つばさ』を観直していろいろ調べて感想文を書いたのに!)『つばさ』の副ヒロインがロイド映画のジョビナ・ラルストンと同一人物とはこれまでまったく気がつかず、このまま墓場まで無知を持っていくところでした。さて本作は、製作費22万626ドルと判明していますが興行収入はデータがないので前作『要心無用』の150万ドルは下回ったのではないかと思われます。製作費では10万ドルあまり『要心無用』より予算をかけていますが、キートン作品でも50万ドル~75万ドルの興行収入だったそうですからロイドならこの予算でも収益率2倍以上は業績を上げているでしょう。また製作費の中には、本作はエキストラの数が膨大(アナーキストの軍隊が出てきます)なのもありますがロイド個人へのギャラの高騰というのもありはしないかと思われるので、ハリウッド映画には予算の半分が主演スターのギャラという例も増えていくのです。本作はロイドがハル・ローチ・プロダクションで作った最後の映画になりますが形の上ではプロデューサーはローチなのでロイドへのギャラは製作費に計上されることになる。ジョビナ・ラルストンはハル・ローチ・プロダクションの「ちびっ子ギャング(Our Gang)」出演からロイド作品のヒロインに抜擢された女優で、日本の田舎のおばあちゃんには前ヒロインでロイド夫人になったミルドレッド・デイヴィスと区別がつかないのではないかと思いますが、これもメイクや衣装までわざと似せているのでしょう。本作も流れるようなギャグに次ぐギャグが冴えたロイド作品ですが、ラルストンにやや生硬さが感じられるのと(デイヴィスは短編時代からの相手役で実際にロマンスに発展したくらいでしたから、比較するとどうしてもラルストンが不利です)、ジョン・アーセンという強烈な巨人俳優の起用が本作の決定的な強みでアーセンの存在感を十分に生かしており、言い方は悪いですが一種の身体的異常役者で際者的になりがちなところを、善良で優しく誠実な性格に描いて不快な印象はまったく与えないのは本作の良い点ですが、あまりに先にアーセンありきの企画内容ではないか、という感じもしてきます。つまり本作はロイドがアーセンの存在感に呑まれているので、映画のセンスはロイド作品ならではですしロイドもいつも通り体を張った好演なのですが――ちなみにロイドは初長編『ロイドの水兵』の前作で最後の短編『ロイドの落胆無用』('21年10月公開)製作中に装置に仕掛けた火薬の爆発事故で左手の人差し指と親指を失い、以降の作品は(『要心無用』さえも!)すべて義指をつけて演じられています――ロイド以外の青年コメディ俳優でもできたのではないか、この題材ならむしろロイドの指揮、主演俳優はキートンを借りてきたら(この時期では絶対あり得ない組み合わせですが)、本作のロイドが演じたキャラクターは『海底王キートン』'24や『拳闘王キートン』'26のキートンのキャラクターと似ていて、キートンの方がこういうキャラクターはうまいだけに、そういう贅沢な不満や欲も出てくるのです。とあれ、本作は前後作が名作中の名作だけに割を食っていますが、筒井康隆氏が名著『不良少年の映画史』(昭和54年・文藝春秋社)で一章を割いて絶賛されている通り、ロイド作品中必見の1作には違いありません。
●6月6日(水)
『猛進ロイド』 Girl Shy (ハロルド・ロイド・プロダクション=パテ'24)*77min, Tinted B/W, Silent : https://youtu.be/WXtmzlkK5_0
○本国公開1924年3月28日、監督=フレッド・ニューメイヤー&サム・テイラー、共演=ジョビナ・ラルストン
○田舎町に住むハロルドは、女性恐怖症でどもってしまう青年。昼は仕立て屋で見習いとして働き、夜は想像の女性体験を基に本を書き、売れっ子作家を夢見ていた。ある日曜日、彼は自分の自信作を出版社に持ち込むため、都会行きの汽車に乗る。そこで名家のお嬢様メアリーと出会ったハロルドは、初めて恋に落ち……。
タイトル画面から実に見事なセピア色の染色が美しい本作は、カリフォルニアの田舎町リトル・ベンドの仕立て屋の叔父さんの姿、続いて見習いに働くロイドの姿から始まります。女性客相手にしどろもどろになるロイド、次いでストッキングの穴を繕って、という若い女に針を刺したりしながらも何とか繕ってみせて機嫌をよくしたロイドは、叔父さんに「本を書くんだ」と帰りのあいさつをして、自宅の部屋で「愛を勝ち得る方法/ハロルド・メドウズ著」の続きを書きます。タイプライターを打つロイドの部屋はセピア染色、ロイドが書いている内容の空想は染色なしのB/W映像になります。さて、ヒロインのバッキンガム家の令嬢メアリーの家に金持ちの求婚者が訪ねてくるがメアリーは無関心で、メアリーは街に買い物に出ようとするが車は調子が良くない。そこでメアリーはペットの犬を連れて汽車に乗ろうとしますが犬は駄目と断られ召使いに犬を渡して乗ります。後から乗り込んだロイドは犬が汽車を追ってくるのを見て最後尾のデッキから竿で犬を釣り上げます。ロイドはメアリーを見つけて隣席に座ることができ、これから出版社に本を売り込みに行くんだと話し、2時間後に街に到着する頃にはすっかり二人は意気投合しています。3週間後、メアリーは求婚者とリトル・ベンドにドライブし(なぜリトル・ベンドなんだ、と求婚者は不審がります)、車が故障したので求婚者がレンタカー店を探しているうちに小川でボートに乗っているロイドと再会します。二人は汽車で出会った時にペットの犬にあげた犬のビスケットのラベルを半分ずつ大事に持ち歩いているのを確かめあいます。ロイドが腰を下ろした岩が大亀で会話中に沼に移動してしまったり、手をついた木がにかわの樹だったりと二人で楽しく話している一方、レンタカー店で車を借りた求婚者には内縁の妻がいることが観客には判明します。戻ってきた求婚者はロイドを脅し、メアリーは原稿の採否の日を待つわ、とロイドを励まします。出版社の編集部ではロイドの原稿は冗談の種になり、ロイドが現れると女性スタッフたちはロイドにめろめろになったふりをしてからかいます。真に受けたロイドは編集局長室に呼ばれて自信満々で入りますが、あんな愚の骨頂と嘲られ、先の女性スタッフたちも露骨にロイドを馬鹿にして送り返します。メアリーはロイドの本を自分たちの出会いの本と信じて待っており、自信を喪失したロイドはメアリーに別れを告げます。メアリーはビスケットのラベルを破って泣き崩れますがラベルを貼り直します。一方出版社ではジョークの本としてロイドの原稿の出版を考え直し、3,000ドルの前金の小切手を送ってきます。ロイドは出版社からの封筒を中身も見ずに破り捨てますが、叔父が気づいて貼り直し驚愕し、さらにメアリーの求婚者の内縁の妻の存在を知ったロイドは、その日が結婚式予定日のメアリーの結婚を止めにどんどん壊れていく自動車、馬、バス、路面電車の屋根の上、追いついてきた叔父さんの自動車、自動車を止めた白バイを拝借、さらに白バイが突っ込んだ溝の道路工事中の資材運搬用馬車、馬車が壊れて馬と、片っ端から乗り継いで結婚式場に到着、花嫁をさらって逃げて別の教会前でメアリーに求婚し、メアリーは3回乗馬用の笛を吹き、ロイドは「Yes?(つまりNoだったら2回)」と訊き返してメアリーはうなずき、二人は目を丸くした牧師の前で抱き合います。本作はアメリカの喜劇映画史上初のロマンティック・コメディと目されることもある名作で、ロイド作品でも『要心無用』や『ロイドの人気者』'25に並ぶものです。ロマンスを匂わせて終わる喜劇映画はチャップリンの『犬の生活』'18もそうでしたし、チャップリンに限らず主人公とヒロインのハッピーエンドで終わるならロイドやキートンも作ってきましたし、本作からロイドが自己のプロダクションを作って独立した後でハル・ローチ・プロダクションが売り出したハリー・ラングドンは失恋キャラクターが売り物でした。しかし本作の場合は気弱なのに見栄張りで華奢な(しかし行動的になると超人的な身体能力を発揮する)好青年というロイドがいちばんはまる役柄で、世間知らずな男女同士の素朴な恋愛とコメディ要素を絶妙に組み合わせており、たとえば二人を結びつけるのはヒロインが汽車に乗せようとしたペットの小犬(マルチーズ?)ですが犬用ビスケットを食べさせておとなしくさせようとする、車掌が通りかかるたびにロイドが自分で食べる羽目になる、数度目には犬用ビスケットのラベルがばれて身体検査されるが二人とも犬を隠していない、車掌が去ると前の席の山羊ひげのお爺さんのひげの中から小犬を出してお爺さんに礼を言う。結局小犬は携帯用の犬用ビスケットの小箱2個分を食べますが、都会(ロサンゼルス?)に着いて名残惜しく別れた二人はたまたまビスケットの空き箱を一つずつ持っていて、ヒロインが主人公の住む田舎町をドライブのコースにして車が故障した時偶然再会し、二人ともいつもその時の空き箱を持ち歩いて(ヒロインはラベルをはがしてラベルを畳んで、ロイドは箱ごと)いるのを知る、とギャグとロマンスの関連がなだらかで、無理なく練れています。
日本公開時のキネマ旬報では、本作は「ロイド喜劇のあらゆる長所を打って一丸にしたロイド喜劇傑作中の傑作といっても過言であるまい。八巻という喜劇にしては空前の長編を些かのゆるみもなく観客を引張って行くところ、いつもながらフレッド・ニューメイヤーとサム・テイラーの頭の良さに感服の他はない。『恋愛の秘訣』の各章に現される各種の女性の解剖も痛快皮肉を極むれば、後半の馳せ付けの技巧も、下手な連続や活劇に優ることしばしば。殊に電車の使い方は感嘆の他なし。最後に、笛を吹いて新婚旅行の汽笛を思わせ以心伝心に抱擁するところなどは全編を生かしている。あの“Yes”という字幕に何ともいわれぬ妙味がある。ロイドのヘラヘラ笑いといって嫌っていた人も必ず本映画を見れば好きになるに違いない。ジョビナ・ラルストンは『巨人征服』の時より大分慣れてきた。」本作はキネマ旬報ベストテン第2回(1925年/大正14年)の「娯楽的に優れたる映画」第5位で、同1位はラオール・ウォルシュの『バグダッドの盗賊』、8位に『荒武者キートン』が入っていますが(「芸術的に優れたる映画」は第1位『嘆きのピエロ』、第2位『キイン』、第3位『救ひを求むる人々』の年でした)、本作は製作費もこれまで最高の40万ドルでしたが興行収入155万ドルの特大ヒット作になりました。製作費が増えたのは本作がハロルド・ロイド・プロダクション作品でもスタッフは監督や脚本家、俳優(ジョビナ・ラルストン)を含めてハル・ローチ・プロダクションの専属スタッフ・キャストを使っているため、前作までのローチ・プロダクション作品のように自社スタッフは給料制とはいかずローチ・プロダクションを通してギャラが発生している上にローチ・プロダクション作品のように自社スタジオを持っておらずスタジオ代もかかり、また本作で一気に8巻の大作になったため『ロイドの巨人征服』からほぼ倍の製作費になったと思われます。特に監督のニューメイヤーは初長編以来ずっと、脚本家上がりで共同脚本のまとめ役の共同監督テイラーは『要心無用』以来のコンビでローチ・プロダクションの主力監督ですし、主演女優のラルストンもスター待遇となると旧友でおたがい恩義のあるロイドとローチの間柄ですから、ローチ・プロダクション作品『要心無用』の製作費12万1,000ドルと本作の製作費40万ドルの差額はほとんどローチ・プロダクションへの人件費だったのでしょう。しかし払っただけはきっちり儲けているわけで、本作の興行収入は配給会社分を差し引けばまるごとロイド・プロダクションの収入になったので、ロイド個人にとっては興行収入は同じ150万ドルでも(本作は155万ドルですが)『要心無用』と本作『猛進ロイド』では内訳はまったく違ってきます。本作が徹底的に手を抜かない、座った岩すら沼に棲む大亀で夢中の会話中に沼の中、といったデート中だからこそ効く適切な小ギャグが満載で、さらにクライマックスでヒロインの結婚を止めんと壊れかけの自動車、馬、バス、路面電車の屋根の上、落ちそうになってぶら下がるアンテナ、追いついてきた叔父さんの自動車、自動車を止めた白バイ拝借、さらに白バイが突っ込んだ溝の道路工事中の資材運搬用馬車、馬車が壊れて馬と、片っ端から乗り継ぐ果てしない馳せ参じギャグはひとつ一つは小ギャグなのですが累積効果はとんでもない破壊力があり、これは完結した大ギャグを入念に配置するチャップリンやキートンとは異なり、しかしロイドのやり方も突きつめればどれだけ爆発的なものになるかの最良の見本です。ちなみに他にも数作ロイド作品を出している国内メーカーI社の本作のDVDは60分の短縮版で小犬のギャグ、亀のギャグ、最後の果てしない馳せ参じギャグが全部ストーリーと無関係とばかりにカットされたヴァージョンで画質も悪く日本盤オリジナルの音楽も陳腐、しかも天地左右が切れたマスタリングで台無しで、断固60分はお避けください。ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン版以外では日本・中国向けの台湾のメディアディスク版DVD(音楽に難あり)、ユニバーサル版と同等の画質(レストア染色版)と音楽で全長版が収録されているコスミック出版の書籍扱い10枚組廉価版(1,800円)ボックス『爆笑コメディ劇場』(他にロイドのトーキー長編1作、キートンのサイレント長編3作、マルクス兄弟長編2作、チャップリン短編集3枚分収録)がお勧めです。