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映画日記2018年5月7日・8日/イエジー・スコリモフスキ(1938-)の監督作品(4)

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 人気作『早春』'70の後スコリモフスキは『ロリータ』の亡命ロシア作家ウラジミール・ナボコフの初期作品の映画化『キング、クイーン、そしてジャック (King, Queen, Knave)』(西ドイツ=アメリカ1972)のオファーを受けましたが批評・興行成績とも不発に終わり、『勇将ジェラールの冒険』'70とともに日本未公開、またどの国でも映像ソフト化されていない作品になりました。次作の第9作『ザ・シャウト/さまよえる幻響 (The Shout)』(イギリス1978)は新進プロデューサー、ジェレミー・トーマスによる企画の原作もので、6年監督作のなかったスコリモフスキは注文仕事と割り切って引き受けましたが作品はカンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞の好評を博した会心作になりました。スコリモフスキは自発的亡命時からイギリス在住で、次作の第10作『ムーンライティング (Moonlighting)』(イギリス1982)は1981年のポーランドの戒厳令による国外ポーランド人の状況をヒントにひさびさにスコリモフスキ自身が原案から立ち上げた企画で、主演俳優のジェレミー・アイアンズが積極的に出演を引き受けてくれたことから短期間に製作体制とスタッフ・キャストを立てて取り上げたもので、前作に続きカンヌ国際映画祭脚本賞を受賞する成功作になりました。その後スコリモフスキは第12作『ライトシップ (The Lightship)』(アメリカ1985)こそ即座に日本公開もされヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞の好評を博しましたが、第11作『復讐は最高の成功( Success Is the Best Revenge)』(イギリス=フランス1984)、第13作『春の水 (Torrents of Spring)』(フランス=イタリア1989)、第14作『フェルディドゥルケ (Ferdydurke / 30 Door Key)』(ポーランド=イギリス=フランス1992)はいずれも評価は低く興行成績も悪く日本未公開で映像ソフト化もされないままになっており、先の『勇将ジェラールの冒険』『キング、クイーン、そしてジャック』と合わせてこの5作がスコリモフスキ自身も失敗作とする、現在でもなお日本未公開の作品です。スコリモフスキは17年ぶりの復帰作になった第15作『アンナと過ごした4日間 (Four Nights with Anna / Cztery noce z Anna)』(ポーランド=フランス2008)の好評で再度のカムバックを果たし、第16作『エッセンシャル・キリング (Essential Killing)』(ポーランド=ノルウェー=アイルランド=ハンガリー2010)、第17作で最新作『イレブン・ミニッツ (11 Minutes)(ポーランド=アイルランド2015)と寡作ながら順調に日本公開もされる好評な新作を発表し、特に『アンナと過ごした4日間』の反響によって過去の未公開作品のうち主要作はひととおり正式一般公開されましたが、それにつながる第1歩としてスコリモフスキ作品を前期・後期に分けるなら今回の『ザ・シャウト~』から後を50年あまりの作品歴の後期の始まりと見なしてよさそうです。

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●5月7日(月)
『ザ・シャウト/さまよえる幻響』The Shout (Recorded Picture Company, National Movie Finance Corporation, Rank, U.K.'78)*87min, Color; 日本公開2014年8月16日・カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞; Trailers, Extracts : https://youtu.be/GxYYzCw8qAM : https://youtu.be/Q3PKNygNQVQ : https://youtu.be/s9gslHaVZZY

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○原作=ロバート・グレイヴス、脚本=イエジー・スコリモフスキー/マイケル・オースティン、製作=ジェレミー・トーマス、撮影=マイク・モロイ
○出演=アラン・ベイツ(チャールズ・クロスリー)、スザンナ・ヨーク(レイチェル・フィールディング)、ジョン・ハート(アンソニー・フィールディング)、ティム・カリー(ロバート・グレイヴス)
○解説(キネマ旬報映画データベースより) 恐ろしい能力を持つ男と関わり合いを持ってしまった男女の恐怖を描き、78年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した異色ホラー。長らく未公開だったが2014年8月16日より、Boid配給でイエジー・スコリモフスキ特集としてシネマート新宿にて上映された。
○あらすじ(同上) 精神病院のクリケット大会で、アンソニーは奇妙な患者と出会う。その男は叫び声で人を殺せると言うのだが……。
○内容説明(メーカー・インフォメーションより) ポーランド出身の奇才イエジー・スコリモフスキー監督による音響ホラー。全編に渡って禍々しいムードが画面を支配し、観る者の神経をかき乱すかのような生々しい映像も散りばめられている。

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 評価も興行的にも不発でに終わった前作『キング、クイーン、そしてジャック』は『勇将ジェラールの冒険』がクラウディア・カルディナーレ主演だったようにジーナ・ロロブリジーダ、デヴィッド・ニーヴンに『早春』に続いてジョン・モルダー=ブラウンがメインキャストのスター映画をプロデューサーから要求された作品だったそうですが、他のキャストが辟易するほどロロブリジーダの専横ぶりがひどく、ロロブリジーダの機嫌のせいで撮影が難航することもしばしばあり、批評家の酷評の割には興行成績は健闘したようですがスコリモフスキも製作中から成功作になる望みは持てない作品だったようです。キューブリックの『ロリータ』'62を唯一の例外、ただしそれも格別優れた出来ではないとして、スコリモフスキはナボコフ原作映画の成功作は『キング、クイーンそしてジャック』を含めて皆無ではないかと、ナボコフをスラヴ系小説家として高く評価しながら映画化にはまったく不向きと考えており、忠実に映画化しようとしても映画向きに改変しようとしても行き詰まってしまう製作過程だったと発言しており、特にシナリオにあらかじめ書かれた以外の台詞、演技は一切受け付けないロロブリジーダの頑固さのせいで天候やセットの都合で生じた撮影スケジュールやシナリオの変更もロロブリジーダのせいで非常に困難だったと明かしています。とにかく『キング、クイーンそしてジャック』の後スコリモフスキには監督のオファーがデビュー以来これまで最長の6年間訪れず、スコリモフスキ自身の立てた企画に乗る映画会社もなく貯金を切り崩してロンドンに留まっていた時にまだ20代の新進プロデューサー、ジェレミー・トーマスが短編小説の映画化をスコリモフスキに依頼してきました。初対面の折にその場でスコリモフスキは原作小説を読み、プロデューサー提案の原作ものの映画化は『勇将ジェラール~』『キング、クイーン~』と失敗続きでしたが20ページにも満たない怪奇小説の映画化ならば工夫の仕方もあるだろうし、何より6年も干されていましたから経済的にも引き受けない手はない状況でした。結果的には本作はカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞する会心作となり、原作もののスコリモフスキ映画で初の成功した作品になりました。また題材から映画は当時実用化されたばかりのドルビー・サラウンド音響システムでサウンドが録音され、ルパート・ハインが音楽担当でしたがスコリモフスキはハインに満足せずデイヴィッド・ボウイに依頼できないか打診した上で、フィル・コリンズがブランドXのツアー中で一時活動休止中だったジェネシスのトニー・バンクスとマイケル・ラザフォードに映画音楽を補強してもらいます。バンクスとラザフォードの貢献はスコリモフスキを満足させるもので、ジェネシスの中核メンバーがサウンドトラックを手がけた映画という点でも、本作はちょっとした付加価値があります。
 映画はイギリス詩人ロバート・グレイヴス(1895-1985)の短編小説「叫び」'53(翻訳あり)の構成・ストーリーをほぼ忠実に追っています。キネマ旬報の「あらすじ」は間違いで、映画は精神病院患者のクリケット大会で審判員を勤める患者のひとり、クロスリー(アラン・ベイツ)がたまたま精神病院を訪ねた「私」ロバート・グレイヴス(ティム・カリー)に話し出した物語、という体裁をとっています。映画独自の追加は、冒頭に遺体安置所を訪ねた女が遺体を確かめて回る場面があることで、この意味は結末になって判明します。さて、海岸近くの寒村に住む電子音楽家アンソニー(ジョン・ハート)とその妻レイチェル(スザンナ・ヨーク)のもとに、行きずりの放浪者クロスリーが食事の恵みを所望してそのまま居着いてしまいます。クロスリーは18年間アポリジニ(オーストラリア先住民)と生活し、あらゆる呪術を覚え、妻の死に伴いアポリジニの風習通り子供は殺して出てきた、と語ります。クロスリーは相手の身に付けているものに呪術をかけ身につければ意のままにできる、とアンソニーに語り、アンソニーはクロスリーが妻レイチェルのサンダルのバックルを抜き取って盗むのを目撃します。用事から帰宅したアンソニーはクロスリーがたちまちレイチェルと肉体関係を結んだばかりの場面に遭遇し、クロスリーはアンソニーに出ていけと宣告、レイチェルは全裸でクロスリーの足元に四つ足になります。アンソニーはクロスリーの呪術の真偽を確かめるため、無人の海岸の砂丘でクロスリーの誇る、叫び声で生き物を皆殺しにする殺人術の披露を求めます。そしてクロスリーは砂丘で殺人の叫びを披露しますが……映画は「私」ロバート・グレイヴスがクロスリーの話を聞き終えた後の惨劇で幕を閉じ、レイチェルがサンダルのバックルを探し出して遺体安置所を後にする場面で終わります。スコリモフスキ自身が提供した23秒間の絶叫に40トラックもの合成音を重ねて作成したという殺人シャウトが本当に聴き物になっていて、白々とした無人の砂丘を舞台に殺人シャウトが披露される場面は本作の見所でもありますが、その後の展開も説明らしい説明なしに「アポリジニの呪術」を探し当てたアンソニーの形勢逆転劇があり、さらに「私」ロバート・グレイヴスがクロスリー自ら語る話を聞き終えた後に起こる大惨事がある、と数段構えのクライマックスになっていて、しかも全体がレイチェルが遺体安置所を訪ねる、「私」のパートも外から括られた枠物語の体裁になっています。
 結局本編の話も精神病院の患者クロスリーが語ったのを病院に訪問していた通りすがりの「私」が聞いた内容が映像で示されているとはいえ、クロスリー自身がアポリジニの伝承呪術を身につけた一種の超能力者という設定の話ですから真実性の保証はないとも言えるわけです。「私」が一応この映画の客観的な視点人物ですが「私」自身は冒頭と結末でクロスリーに関わりあい話を聞いた以外にはクロスリーの語る話の真偽の判断材料を持たず、「私」はアンソニーとレイチェルの夫妻にも会ったわけでもありませんからクロスリーの話に出てくるアンソニー側、またレイチェル側の行動や思惑もクロスリーの側から推察された(またはクロスリーの話から「私」が客観的に整理し直した過程で想像した)ものに過ぎず、そのように間接的な二重三重の語りによって超自然現象である「アポリジニの呪術」を会得したクロスリーの呪術の数々が描かれているのが、紛れもなくホラー映画の内容を備えながら一種のホラ話風の諧謔味のある本作のとぼけた味になっています。だいたい「叫び声で聞いた人(生き物)を皆殺しにする」呪術、という超能力自体が子供のエンガチョ遊びみたいにプリミティヴすぎていかがわしく、うさんくさい設定です。そういう意味ではこの映画は'70年代に大ブームになっていたオカルト・ホラー映画の完璧なパロディなのですが、パロディにとどまらないこの映画ならではの奇妙な味わいがあり、全然怖くないオカルト・ホラーながら観客の五感に訴えかけてくる気味の悪さ、居心地の悪さを湛えています。そこが本作を異色の佳作にしており、スコリモフスキがホラー映画を撮ったらやはり何だか変な映画になってしまった、案外幅広い観客層の鑑賞に耐える面白い映画になっています。のちスコリモフスキはヒューストンの『キー・ラーゴ』'48を思わせる凶悪犯による灯台船の乗っ取り籠城サスペンス映画『ライトシップ』'85で、これも原作ものでスコリモフスキ自身が「職人仕事」とする作品ですが、ヴェネツィア国際映画祭審査員賞受賞の成功作をものします。同作もスコリモフスキ作品らしい切迫感と皮肉が効いた作品で、本作は良い方向に力の抜けた作品に仕上がったのではないでしょうか。

●5月8日(火)
『ムーンライティング』Moonlighting (Michael White Productions, National Movie Foundation, Channel 4, U.K.'82)*97min, Color; 日本公開2014年8月16日・カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞受賞; Trailer, Extract : https://youtu.be/N5KlGsYyrqE : https://youtu.be/VSj7tjGtIw4

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○脚本=イエジー・スコリモフスキ、製作=イエジー・スコリモフスキ、撮影=トニー・ピアース=ロバーツ、音楽=スタンリー・マイヤーズ/ハンス・ジマー、編集=バリー・ヴィンス
○出演=ジェレミー・アイアンズ(ノヴァク)、ユージン・リピンスキ(バナシャク)、イジー・スタニスラフ(ヴォルスキ)、エヴゲニウシュ・ハシュキェヴィチ(クダイ)
○解説(キネマ旬報映画データベースより) 1981年12月にポーランド全土に戒厳令が敷かれたことをきっかけに、急ピッチで作り上げられた、サスペンスフルな傑作。当時ロンドンに腰を据えて移住したばかりのスコリモフスキ監督の実体験が投影されている。『イエジー・スコリモフスキ~「亡命」作家43年の軌跡』としてシネマート新宿他にて特集上映された。
○内容紹介(メーカー・インフォメーションより) 芸術と娯楽、政治と個人生活の均衡が奇跡的に保たれたスコリモフスキの代表傑作。レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)率いる独立自由労組"連帯"の隆盛に伴い、1981年12月12日から13日にかけてポーランドで戒厳令が施行された一件を背景とする作品。1981年12月5日、ノヴァク(ジェレミー・アイアンズ)ら四人のポーランド人が、一ヶ月間の観光ビザを携えてヒースロー空港に到着する。 彼らのなかで唯一英語を話すノヴァクが自分たちは共同出資で中古車を購入するためにやって来たのだと入国審査官に説明する。しかし実のところ四人はとある富裕なポーランド人に雇われ、ロンドンにある彼の別宅を改修するために入国したのだった。その後改修作業を開始した四人の生活は徐々に時間的にも金銭的にも追い詰められたものとなってゆく。そんなある日ノヴァクはポーランド全土に戒厳令が敷かれたことを知るが、 仕事をやり遂げるため仲間にはこの一件をひた隠しにする。同時に彼は生活費が底をつき始めたおかげで食糧を連日万引きするはめになる……。スコリモフスキ自身のきわめて個人的な体験に基づきながらも、故国における戒厳令布告という創作にとっては一種の僥倖と呼べる出来事に恵まれたこともあって、普遍性を帯びかつ娯楽としても優れたオリジナル脚本が執筆された。加えて、現在進行形の政治的事件と並走しながら作品を世に送り出すことが目指されたおかげで、映画全体からアクチュアルな緊張感が強く感じられる。そうした意味で、本作はまさにこの時期にしか生まれ得なかった奇跡的な作品といえよう。完成作は1982年度カンヌ国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞したほか、英米でも高い評価を受けた。1980年ノーベル文学賞を受賞した詩人チェスワフ・ミウォシュ(1911-2004)は本作を「一個のダイアモンド、完璧にカットされたクリスタル」と呼んで激賞したとされる。

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 本作の、ジェレミー・アイアンズ演じる現場監督主人公ノヴァクがポーランド人の工事人夫3人を引き連れロンドンに降り立ったのが1981年12月5日、そして工事の最中ポーランドに戒厳令が敷かれたのが12月12日~13日にかけての晩です。映画は'82年1月5日に工事を終えた一行が帰路の空港に着くところで終わっていますが、本作がカンヌ国際映画祭でワールド・プレミア上映されたのが'82年5月20日だそうですからいかに急ピッチで一気呵成に企画から完成まで製作されたかがわかります。スコリモフスキは'81年秋、公開許可が下りて14年ぶりに上映されることになった第5作『手を挙げろ!』'67/'81の改訂版のためにポーランドに戻りましたが、結局1回きりの上映で『手を挙げろ!』は再び上映禁止作品になり失望したスコリモフスキはポーランドと西側との往復生活を断念、ポーランドの家を引き払ってロンドンの中古住宅を買い取って家を持ち、改装工事はポーランドから工事人夫を招きました。『ムーンライティング』とは慣用句で不法労働の意味ですが、イギリスの組合規定の最低賃金では1か月分の最低賃金はポーランドでの平均的労働者の平均年収に匹敵するのです。そこで正規の組合を通さずポーランド人の工事人夫を不正規に雇えば交通費を含めても各段に安くつく、被雇用者側もポーランドでのレートならば1か月そこそこで自国で働いた場合の年収分近い収入になる、というのをスコリモフスキ自身がポーランド戒厳令にも映画の構想にも先立ってやっていたので、映画にもスコリモフスキはロンドンの依頼人の「ボス」を演じています。ジェレミー・アイアンズ演じるノヴァクもポーランド人ですか英語を話せることから現場監督に選ばれたので、他の3人は親しくなってもアイアンズは仲間外れにされてしまい、真っ先にホームシックに陥ってベッド脇に貼ってある妻の写真が無言で表情を動かししゃべり出す幻覚まで見る。ロンドンに仕事に呼ばれたのは「ボス」と妻の間に関係があるのではないかと疑われてくる。この映画は会話はほとんどありませんが全編にアイアンズのナレーションが流れます。ブレッソンの『スリ』'59を意識した、というのも窮乏生活を切り抜けるためにアイアンズがあの手この手で食料品の万引きをする場面がブレッソン作品のスリの手口のように丁寧に描かれますが、アイアンズは到着して1週間で戒厳令のニュースを知って、工事人夫3人には知らせず仕事を仕上げようとするため、前渡し金でやりくりする窮乏事情も打ち明けられない。そういう非常に孤独な役を演じています。ドラマとしての展開はあるのに会話がほとんどない映画なのもそんな設定だからです。
 アイアンズの主な万引き方法は済ませたばかりの買い物のレシート、または拾ったレシートをとっておいて店から離れて停めた自転車に積み、また店に戻ってまったく同じレシート通りの食料品を袋詰めにして自転車に積み、と1回の買い物とレシートで数回分の同じ食品を万引きしてくる、というもので、ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公のキャラクターを下敷きにしたというブレッソンの『スリ』のような反逆的で孤高な、その点ではナルシシスティックでもあるニヒリズムとは縁がありません。とうとう女性万引きGメンに捕まったアイアンズは偶然のことから助かりますが万引きの苦労は水の泡になりますし、自転車泥棒に遭うと隣家の自転車を泥棒しペンキを塗ってごまかして乗り、帰国時には律儀に元の状態に戻して返却しますし、ロンドン生活の間に万引きのコツがつかめてしまい、妻への土産のスカーフを試着者が忘れ物をしないか注意深く観察し、自分の忘れ物としてせしめてきたりします。また朝は近所の家の郵便受けから朝刊を立ち読みし、人夫たちに祖国の戒厳令を知らせないために必ず先に手紙を手に入れて隠滅し、ロンドン市内のポーランド人コミュニティーとの接触も厳重監視します。クリスマスと新年があるからポーランド人教会との接触は避けられないので自分がついていって形だけの出席で仕事にせかす。しかしその時司祭に神を信じてはいないが自分の愚かさを悔いる告解をしないではいられない。本作は戒厳令のニュースが朝刊に報じられた朝にスコリモフスキが空港事情を見に行ってみるとポーランド人の一団がかたまって帰国できなくなったと泣いていた。スコリモフスキは心当たりのある在英ポーランド人家と電話帳のポーランド名に片っ端から電話をかけて全員の宿の手配をし、自宅にも泊めて、それからやおら本作のアイディアに思いいたってシノプシスをまとめ脚本を書きながらスポンサーとキャストを当たり、イギリスのチャンネル4が半額出資に乗ったのとジェレミー・アイアンズに打診したところエージェントを通さなくても出演する、と乗り気になってくれ、チャンネル4が半額、アイアンズが主演と聞いて、それなら安心とスコリモフスキのテニス友達の劇作家マイケル・ホワイトもあと半分の予算を出資してくれることになったそうです。 
 完成が異様に早いのも道理で、アイアンズは新作の撮影予定を5か月そこそこで後に控えていてそれまでに脚本もスタッフ集めも撮影編集オーバーダビングまで何もかもやらなければならなかった。火事場の馬鹿力が働いた替わりにまだ歴史的大事件が起きてから半年もせずにドキュメンタリーではなく劇映画として高い完成度と意表を突くアイディアの作品が出来上がってきたので、これは題材に触発されたスコリモフスキ自身の自発的な意欲がさらに作品の充実と創作力の集中的爆発に結びついた傑作になりました。作品はカンヌ国際映画祭最優秀脚本賞を受賞しましたが、作品賞でも監督賞でも主演男優賞でも審査員賞でも、つまりどの部門で受賞してもおかしくないような作品ですからこの年度には最優秀脚本賞しか割り当て枠がなかったのでしょう。本作ではスコリモフスキは実際に依頼者役を演じているように、早くからポーランドを出て西側国で成功している人間ですから初期作品で描いた憎悪すべき中年のブルジョワです。また本作はポーランド公開でポーランド人を非常に低劣に描いていると批判され、観客の怒りを買いました。しかしスコリモフスキのような立場の人間だからこそ描けた出稼ぎポーランド人の労働事情があり、またそれが自国の戒厳令という非常時にはいかになすすべもないかを現実に即して想像し描くことができた。映画はいかにもスコリモフスキ作品らしいアンチクライマックスを迎えて終わります。アイアンズの素晴らしい演技もあって本作は人間性への洞察と共感に富み、初期スコリモフスキ作品(『早春』まで)に欠けていたのはまさにそうした作中人物への自然な共感でした。これを単純に作家的成熟と見る必要はありませんが、より本質的に複雑な味わいのある、観客に大きなものを与えてくれる作品になったのは確かです。また地味で貧乏くさい題材ですが無類に面白い映画にもちゃんとなっています。歴史的にはスコリモフスキの映画はポーランド時代のデビューから3作『身分証明書』『不戦勝』『バリエラ』の鬼才、というのが第一に上がるでしょうが、そうした早熟な監督の軌跡として本作は十分納得のいく、満足感の高い名作です。

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