ポーランドから出て国際的監督となったロマン・ポランスキー(1933-)と並んで現役ポーランド映画最年長監督のひとり、イエジー・スコリモフスキ(1938-)の現在までの全長編作品は次の17作になります。『』の12作が日本劇場公開作品、「」の5作が日本未公開、またはテレビ放映のみの作品です。
1.『身分証明書』Rysopis (Identification Marks: None) (映画大学卒業製作・ポーランド1964, 一般公開1965)*日本公開2010年
2.『不戦勝』Walkower (Walkover) (ポーランド1965)*日本公開1968年(映画祭上映)/2010年
3.『バリエラ』Bariera (Barrier) (ポーランド1966)*日本公開1967年(映画祭上映)/1985年/2010年
4.『出発』Le depart (ベルギー1967)*日本公開1999年
5.『手を挙げろ!』Rece do gory (subtitled English version entitled "Hands Up ! ", completed 1967, released 1981) (ポーランド1967/1981)*日本公開2010年
6.「勇将ジェラールの冒険」The Adventures of Gerard (イギリス=スイス1970)*日本未公開、テレビ放映のみ
7.『早春』Deep End (西ドイツ=イギリス1970)*日本公開1972年/2018年
8.「キング、クイーン、そしてジャック」King, Queen, Knave (西ドイツ=アメリカ1972)*日本未公開
9.『ザ・シャウト/さまよえる幻響』The Shout (イギリス1978)*日本公開2014年
10.『ムーンライティング』Moonlighting (イギリス1982)*日本公開2014年
11.「復讐は最高の成功」Success Is the Best Revenge (イギリス=フランス1984)*日本未公開
12.『ライトシップ』The Lightship (アメリカ1985)*日本公開1985年
13.「春の水」Torrents of Spring (フランス=イタリア1989)*日本未公開
14.「フェルディドゥルケ」Ferdydurke (30 Door Key) (ポーランド=イギリス=フランス1992)*日本未公開
15.『アンナと過ごした4日間』Four Nights with Anna (Cztery noce z Anna) (ポーランド=フランス2008)*日本公開2009年
16.『エッセンシャル・キリング』Essential Killing (ポーランド=ノルウェー=アイルランド=ハンガリー2010)*日本公開2011年
17.『イレブン・ミニッツ』11 Minutes (ポーランド=アイルランド2015)*日本公開2016年
他に、スコリモフスキ以外2名の監督との3部からなるオムニバス映画に、
Omnibus「ダイアローグ 20-40-60」Dialog 20-40-60 (チェコスロヴァキア1968) (segment 「20歳」"The Twenty-Year-Olds")*日本未公開
があります。今回ご紹介するのは、スコリモフスキが初めてフランスのヌーヴェル・ヴァーグ作品、当時最新作だったジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』'65を観て刺戟され製作に影響が反映されたと自認する第3作で日本の映画祭(1967年草月会館ホール)で初めて紹介された『バリエラ』'66(ベルガモ映画記者映画賞監督賞受賞・ベオグラード映画祭審査員賞受賞)、そしてフランスのヌーヴェル・ヴァーグを代表する俳優ジャン・ピエール・レオー(1944-)を主演に初めてポーランド国外のベルギーに招かれて撮った第4作『出発』'67(ベルリン国際映画祭金熊賞=グランプリ受賞)の、国際的出世作となった2作の感想文です。
●5月3日(木)
『バリエラ』Bariera (Zespol Filmowy Kamera, Poland,1966)*81min, B/W; ポーランド公開1966年11月18日・日本公開1967年(映画祭上映)/1985年/2010年5月29日・ベルガモ映画記者映画賞監督賞受賞・ベオグラード映画祭審査員賞受賞; Trailer, Extracts :https://youtu.be/RmYaNCltZnk : https://youtu.be/vK261tFzpTQ : https://youtu.be/6vNCodlZ2Yg
○脚本=イエジー・スコリモフスキ、撮影=ヤン・ラスコウスキー、プロダクションデザイン=ロマン・ヴォリニエチ、音楽=クシシュトフ・コメダ、編集=アリナ・プリュガル=ケトリング
出演=ヤン・ノビツキ(主人公)、ヨアンナ・シュツェルビツ(路面電車運転手)、タデウシュ・ウォムニツキ(医師)、マリア・マリツカ(掃除婦)、ズジスワフ・マクラキェヴィチ(雑誌を売る男)
○解説(キネマ旬報映画データベースより) 自分の人生に疑問を感じもがく男女が出会い恋に落ちる様を、美しいモノクロ映像と意表を突いた画面構成で描いたドラマ。監督は「不戦勝」のイエジー・スコリモフスキ。2010年5月29日より、東京・渋谷シアターイメージフォーラムにて開催された「イエジー・スコリモフスキ'60年代傑作選」でデジタル上映。
○あらすじ(Oriconデータベースより) 個人と社会、旧世代と新世代、男と女の間に立ちはだかるさまざまな障壁(バリエラ)。 大学寮の一室で、四人の医学生がマネキンの掌の上に置かれたマッチ箱を、手を使わずに口でくわえるゲームに興じていた。勝者となった青年は、残り一年というところで学業を放棄し、旅行鞄一つ持って寮を出て行く。その後、彼は夜の街でひとりの若い娘に偶然出会う。路面電車の運転士をしているその娘を、青年は新開店のレストランへ誘い…。登場人物に名前はなく、斬新な視覚的アイディアが間断なく炸裂する作品。「不思議の国ポーランド」を経めぐる青年は、その壁を乗り越えることができるのか?
東欧ポーランド映画界の新作映画製作は'60年代当時年間26~28本で、当時北欧スウェーデンの年間新作映画製作本数36~38本からすると10本少なく、現在もポーランドやスウェーデンではあまり変わっていないそうですが、そうなると戦前から日本や、日本と同等かそれ以上だという中国やインドは世界でもアメリカに次ぐ映画大国なのを実感させられます。産業においては質より量というのは大きなことです。スコリモフスキは映画大学卒業製作『身分証明書』'64、第2長編『不戦勝』'65、そして第3作の本作が'66年と年1作で順調に映画製作してきたように見えますがそれは結果で、実はスコリモフスキが監督本人から脚本を委託されたカジュミェシュ・カラバシュ監督作品『無人地帯』の撮影が開始されましたが数日後から監督が現場に出てこなくなってしまった。プロデューサーがスコリモフスキを連れてカラバシュ監督の自宅を訪ねましたが呼んでも出てこず、入ってみたらカラバシュ監督はベッドで毛布をかぶって「駄目だ、無理だ、嫌だ」と丸くなっている。カラバシュ監督はドキュメンタリーの監督でこれが劇映画第1作になる予定だったそうです。そこでプロデューサーはスコリモフスキにスタッフも俳優もスタンバイしているし撮影費もほぼ手つかずだから監督をやってくれないかと頼んだ。スコリモフスキはカラバシュ監督作品として書いた脚本だからと『無人地帯』の監督は遠慮したが、スタッフは引き継ぎ俳優たちは脇役に使って主演俳優は新たに選んで別の新作映画にしていいなら、とプロデューサーの了解を得て、とりあえず『バリエラ』(バリアー、障壁)とタイトルをつけ、ウッチ映画大学で同窓生だったヨアンナ・シュチェルビツをヒロインに指名しました。シュチェルビツは『不戦勝』の時も出演を打診して断られていましたが、今回はプロデューサーが何とか口説き落としてきた。主人公役は今回もスコリモフスキが出演するつもりでしたが、ポーランド中央映画局が『身分証明書』と『不戦勝』で演じたスコリモフスキのキャラクターを不健全としてスコリモフスキ以外の俳優を主人公にしないと製作は許可しないと通達してきたのでやむなくヤン・ノビツキを起用しましたが、本作は完成シナリオを用意するよりも撮影当日にスコリモフスキが考えてきたメモから即興的に当日分のシナリオと台詞が書かれて撮影を重ねていったので、結果的にはスコリモフスキが主演俳優を兼ねていたら出来ないような作品になりました。ごく初期のマック・セネットのキーストン社喜劇ならともかく長編劇映画をシナリオなしで監督が主演を兼ねて撮るなど不可能でしょう。ただしスコリモフスキはやはり出たがりの性格があるようで街頭の巨大ポスターやチラシの献血運動の広告に自分の顔写真を使っています。これがどこが献血広告だというくらい強面顔の大アップなのが笑わせます。またスコリモフスキは『身分証明書』『不戦勝』でフランスのヌーヴェル・ヴァーグ映画との指向性の類似を指摘されていたもののゴダールの第10作『気狂いピエロ』'65を観るまでヌーヴェル・ヴァーグ映画を観たことがなかったそうで、社会主義リアリズム映画のポーランドで『身分証明書』『不戦勝』を撮っていたスコリモフスキも大したものですが(ゴダールもすぐにスコリモフスキ作品を観て絶賛していましたが)、『気狂いピエロ』みたいな映画なら即興シナリオで作れるんじゃないかと考えたのがタイトルと俳優とスタッフだけ決まって撮り始めた本作『バリエラ』だったと語っています。『気狂いピエロ』もプロットと直接関係ないようなシークエンスが思いつきのように続いていく映画でしたが、そこは同作で長編10作目になるゴダールですから不統一なエピソードの集積がもたらす効果は知りつくしていて、『気狂いピエロ』は犯罪サスペンス映画なのが途中でどうでもよくなってしまうくらい自由奔放なのですが筋の通った映画になっている。ではスコリモフスキの本作はと言うと、次作『出発』もそうですがひと言で言ってしまえばボーイ・ミーツ・ガール映画です。もっとも『出発』は最初からその意図があったと思いますが、本作の場合は出来上がったらボーイ・ミーツ・ガール映画になっていた。そのくらい関連性のなさそうな、思いつきで撮った場面をつなげていっただけのような、と思ったら本当にそう作られたそうですからどうなっているか、今回観直しながら取ったメモでは映画は以下のような展開になります。
映画は上半身裸の男の背中が後ろ姿で背中で手首を縛られては前に倒れる、次の男が同じように後ろ姿で手首を縛られて倒れる、という具合に続く映像にタイトルとクレジット・ロールが重なります。真横からのショットに切り替わるとようやくそれが、4人の青年が室内でかわるがわるマネキン人形の手に置いたマッチ箱を口でくわえ取るゲームをしているとわかります。マッチ箱をくわえた青年が勝ちになり、4人全員で貯めていたらしい陶器の豚の貯金箱を受け取ります。会話から4人は学生寮の相部屋で、貯金箱を勝ち取った者があと卒業まで1年の大学を中退し、放浪の旅に出ると決まっていたのがわかります。青年はカバンひとつで街に出ると、通りかかった献血隊に献血してチラシを受け取り、老人ホームに父親を訪ねます。青年は金持ちの女でもひっかけて楽に暮らすつもりと父に語り、父は青年に手紙を託します。手紙は質屋宛てで、質屋の店主の娘の中年女が手紙を受け取って青年の父が旧友の店主に質入れしていたというサーベルを受け出し、どうやらサーベルは父から息子への餞別らしいと見当をつけます。質屋の女は青年に買い手がいるから売りたかったら買い取ると言ってサーベルを渡します。青年は雪の積もった街に出て焚き火をしていた娘に煙草を分けてもらい、娘を開店したばかりというレストランに誘います。友人たちを呼ぶから婚約したと言って一杯おごらせよう、と青年は提案し、娘は路面電車の運転の交替が済んだら来ると言って仕事に行きます。先にレストランに入った青年は大げさなウェイターやウェイトレス、雑誌売りを筆頭にさまざまな物売り、大勢の老人客に取り巻かれます。万節祭の鐘が鳴り、ハレルヤ・コーラスが鳴り響きます。やがて青年の友人たちや路面電車運転手の娘もやって来ます。突然静まり返った広間の中央でモップを置いた掃除婦の女性が朗々と1曲を歌います。青年は娘とともに豚の貯金箱を真っ二つに割りますが、娘を見つめている中年男に気づいて娘に尋ねると、娘は自分の夫だと答えます。質屋の店主とその娘の中年女も来ていて青年にサーベルの買い取りを迫りますが、青年は断ります。老人たちが愛国歌を合唱し喧騒が高まると、雑誌売りが興奮して卒倒します。運ばれていく雑誌売りにつられて店から出た青年と娘は高台に出て、青年は娘に求愛して再会を約束しますが、今夜の出来事を語り合っているうちに口論になり、娘はサーベルを売らなかった青年を嘲って献血チラシを折ったお面を青年にかぶせます。青年は激昂してチラシをかぶったままカバンにまたがって高台のスキー滑走路から一気に下まで滑り落ちて行きます。青年はよろよろと立ち上がり、サーベルを地面に突き立てます。一方娘は青年と会うためシフトの変更を職場に申し入れますが聞き入られず、嘱託医の所に仮病の届けを作ってもらいに行きます。その嘱託医はレストランにいた中年男でした。娘はレストランに行きますが青年はおらず、身元を聞いていなかったので行き先がわからず諦めて仕事に戻ります。盲人の客に案内を頼まれますが、時刻を確かめようとすると盲人はサングラスを外して腕時計を見てさっさと去っていきます。そして再び戻って、路面電車を発進させた娘は……。
と、長さは76分だった『身分証明書』、74分の『不戦勝』とあまり変わりありませんが、『身分証明書』全39カット、『不戦勝』全35カット(ともに資料による)と較べると前2作のような極端なカット数の少なさが特徴の映画ではないでしょう。本作もかなりカット数の少ない(長回しのカットが多い)映画だと思いますが、メモを採りながら観直したとは言ってもカット数までは数えていないので正確には言えないものの、回転台でも作って回しながら撮ったなと思われるような一気に街中を走り抜けるシーンやスキー滑走路を滑り落ちていくカットなどカットを割らないことで効果のある長いカットが多用され、映画の冒頭もクレジット・ロールが続く間ずっと長い固定ショットの1カットですし、映画のラスト・カットも長い一人称ショットが固定して白露出が上がっていき純白になって終わります。スコリモフスキは同じような効果で違った手法のラスト・カットを次作『出発』でも使っており、一見かなり趣きの異なる本作『バリエラ』と次作『出発』はボーイ・ミーツ・ガール映画である点や映画中に散見される切断のイメージ、ラスト・カットの類似で対をなす作品であるように思えます。『バリエラ』が初めて観るスコリモフスキの映画だったらシュルレアリスム系の映画監督かと思ってもあながち早合点ではなく、純シュルレアリスム映画監督だった頃のルイス・ブニュエルの唯一の長編映画『黄金時代』'30に印象の似た自由連想型の構成で奇天烈なイメージが続いていく、テーマの上でもシュルレアリストが大好きな「狂気の愛」だけが唯一のテーマであるような(これはシュルレアリスムが、スイスの国際都市チューリッヒのダダからフランスに渡ってゲルマン的性格の替わりにフランス人好みのシュルレアリスムに受容された、という由来もあると思いますし、『バリエラ』の恋愛映画的側面はシュルレアリスムよりもさらに抽象度が高いですが)点で似ています。スコリモフスキの初期ポーランド作品4作は連作風に意図されてもおり、ベルギーに招かれて撮った第4作をまたいでポーランドでの第5作『手を挙げろ!』'67/'81は試写で中央映画局からお蔵入りにされスコリモフスキが事実上自発的な西側への亡命監督になる原因になった作品で、歴史的・社会的関心(=政治的性格)を増した作品でしたが、『バリエラ』までの3作も中年以上の世代への反感は露骨で、また女性も男から見た存在以上に描けているとは言えずフランスのヌーヴェル・ヴァーグ監督の映画と較べると男女を通じて広く人間的な関心や洞察に乏しいきらいがありました。スコリモフスキよりもさらに若く、22歳で監督デビューしたイタリアのベルナルド・ベルトリッチ(1940-)の第1作『殺し』'62でも、24歳で監督デビューした西ドイツのライナー・ウェルナー・ファスビンダー(1945-1982)の第1作『愛は死より冷たい』'69でももっと異性や異なる年代、社会層への関心と洞察、要するに他者への関心と関係性に鋭敏なものでした。『バリエラ』は初期スコリモフスキの映画でもっともインパクトが強い'60年代映画の傑作ですが、『身分証明書』『不戦勝』ともどもスコリモフスキ自身しか見ていない難点があり、そうした作品としては『身分証明書』『不戦勝』の率直さの方が好ましくも感じます。もちろんこれは『バリエラ』の鋭さを高く認めた上でそう感じるのです。度肝を抜く鮮烈なイメージの連続という点では『バリエラ』ほど成功した映画はめったにあるものではありません。
●5月4日(金)
『出発』Le Depart (Elizabeth Films, Belgium, 1967)*91min, B/W; ベルギー公開1967年10月13日・日本公開1999年1月14日・ベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリ)受賞(1967年7月); Trailers, Extracts : https://youtu.be/XyHNMcXiD_E : https://youtu.be/BhLOAqy27Ko : https://youtu.be/2JzAlF7iJuI : https://youtu.be/gF301mJv6ws
○脚本=イェジー・スコリモフスキー/アンジェイ・コステンコ、撮影=ウィリー・クラント、音楽=クシシュトフ・T・コメダ、編集=ボブ・ウェイド
○出演=ジャン=ピエール・レオ(マルク)、カトリーヌ=イザベル・デュポール(ミシェール)、ジャクリーン・ビー(女性客)、ポール・ローランド(友人)、レオン・ドニー(美容院の主人)、ジョン・ドブラニン(マハラジャ)
解説(キネマ旬報映画データベースより) ポルシェに賭ける青年の恋と大人への成長を詩的でシュールなタッチで綴った青春映画。監督は「バリエラ」('66)「早春」('70)など、ロマン・ポランスキーと並ぶポーランド新世代の旗手と謳われたイェジー・スコリモフスキ(1938-)で、母国を離れてベルギーで撮った監督第3作。脚本はスコリモフスキとアンジェイ・コステンコ。撮影はウィリー・クラント。音楽はクシシュトフ・T・コメダで、主題歌のシャンソンはクリスチアーヌ・ルグラン。出演は,「大人は判ってくれない」「イルマ・ヴェップ」などヌーヴェル・ヴァーグの"顔"であるジャン=ピエール・レオ、「二十歳の恋」(レオと共演)「男性・女性」のカトリーヌ=イザベル・デュポールほか。
○あらすじ(同上) ブリュッセル。マルク(ジャン=ピエール・レオ)はカーレースに夢中な19歳の美容師見習いの青年。レースに出場するためどうしてもポルシェが欲しい彼は、知り合った美しい娘ミシェール(カトリーヌ=イザベル・デュポール)を巻き込み、車を調達するためあの手この手を算段。やっとのことで手に入れたポルシェに乗って夜の町を飛び出してレース会場へと向かい、仮眠をとるためにホテルに宿をとった二人。だがレースが始まるその朝、マルクはレースの夢からさめてミシェールとの新たな人生の出発に旅立つことを決めるのだった。
実は前作『バリエラ』でもノンクレジットで本作の共同脚本家、アンジェイ・コステンコが脚本に協力していたそうですが、当時のポーランドでは映画スタッフは公務員中でも特に専門職ですから製作上クレジットできない事情があったのでしょう。『バリエラ』がユーゴスラヴィア(現セルビア)のベオグラード映画祭で審査員賞、イタリアのベルガモで映画記者映画賞監督賞を受賞し、初期のスコリモフスキの発言では「アントニオーニと比較されるのは勘弁してほしい」というのは注意を惹かれますが、これはつまりフランスのヌーヴェル・ヴァーグ作品に先立ってアントニオーニの作品はスコリモフスキも観ていたこと、アントニオーニの異常に緩慢で特異なスタイルが一見『身分証明書』『不戦勝』(この2作はほぼ同時に一般公開されました)と似ているがスコリモフスキ自身はアントニオーニ作品とは異なるという意識があったことがうかがえます。本作はベルガモ映画祭でグランプリに相当する映画記者映画賞監督賞を獲得した『バリエラ』にベルギーの女性映画プロデューサー、ブロンカ・リキエが注目し、カメラマンのウィリー・クラン(クラント)を通してスタッフとキャストを集めたため、クランが撮影を担当したゴダールの『男性・女性』'66の主演を勤めたジャン=ピエール・レオー(1944-)とカトリーヌ=イザベル・デュポールがそのままキャスティングされることになったそうです。撮影期間は27日間、当時フランス語を話せなかったスコリモフスキはマイムで演出し、フランス語の台詞は俳優が積極的に適切な表現に変えたそうで、特に『男性・女性』から本格的に映画に専念できる年齢になったレオーは意欲的で、レオーはもちろんフランソワ・トリフォーが自伝的な第1長編『大人は判ってくれない』'59でデビューし、国際オムニバス映画『二十歳の恋』'62のトリフォーの短編でも『大人は判ってくれない』の役名、アントワーヌ・ドワネルとして主演し、以降アントワーヌ・ドワネルのシリーズは『逃げ去る恋』'78まで続けられますが、トリフォー作品のイメージとレオー自身のキャラクターが強烈なためゴダールの『男性・女性』でも本作『出発』もトリフォーの次のドワネル長編『夜霧の恋人たち』'68と同一人物のように見え、ジャック・リヴェットの『アウト・ワン』'71でもベルトルッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』'72でもジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』'73でも全部アントワーヌ・ドワネルに見える、という得なんだか損なんだかわからないような俳優になりました。本作もまぎれもなく『バリエラ』のスコリモフスキの次作らしい共通した特徴があり、テーブルの中央に縦に左右に真っ二つに中央で割れた豚の貯金箱を挟んで青年と娘が向かいあう『バリエラ』のシーンは、車庫の中の回転台の上で縦に左右に真っ二つに中央で切断されたポルシェの左にデュポール、右にレオーというシーンに替わっています。しかしあまりにレオーがいつものレオーなため、『男性・女性』のレオーが本作では美容師見習いになって、翌年には『夜霧の恋人たち』の店員レオーになるような感じがするのです。
映画は黒いタートルネックのセーターから頭をすっぽり出すレオーを正面から撮ったショットで始まり、性的な暗喩を読みとることもできますがどう見ても『大人は判ってくれない』のタートルネックのレオーです。本作のレオーは19歳の美容師見習い、夢はレーサーという設定ですが車を持っていないので、いつも店の車庫に入れっぱなしの美容院の店長のポルシェを借りて今週末のラリーに出る気でいますが、当日店長は車を使う用事があると知ってひとりで悪態をつく場面が映画の冒頭です。レオーは美容師見習いの同僚にインド富豪のマハラジャの格好をさせて自動車店で店員をからかおうと誘い、自分は秘書のふりをして試乗がしたいと店員をだましてポルシェを盗み出します。盗んだポルシェを乗りまわして美容院のかつら配達に出たレオーは配達先でデュポールに出会い、親しくなります。レオーはそのままポルシェを乗り回してますが、自動車泥棒の片棒をかつがされると知らずにマハラジャ役をやらされた同僚は激怒して待っており、取っ組み合いの大げんかになり、レオーは仕方なくポルシェを返却します。レオーは客の有閑マダムとの会話からレンタカーを借りようと思いつきますが、事前の保証金がとてもすぐには用意できる金額ではなく、デュポールに相談しようと路面電車に乗った彼女をバイクで追いかけて誘います。自動車展示会に行って部品を盗んで売ろうと考えたレオーは車のトランクの中にデュポールを押しこみ自分も入りこんでデュポールにあきれられ、デュポールは説得できても自動車部品泥棒には成功せず、自分たちの売れるものは全部売り、同僚からお金を借り、まだ足りないので強盗に見せかけようと同僚に店の更衣室でノックアウトしてもらいますが、それでも足りません。レオーはデュポールの協力で駐車中のポルシェを盗みますが後部座席にペットの犬がいたので結局返してしまいます。レオーは店に戻りラリーの出場が目的なら店長のポルシェが借りられるとわかります。レオーとデュポールはラリー会場近くのホテルに前夜に泊まり、デュポールは自分の幼児の頃から最近までのスライド写真をレオーに見せますが途中で眠ってしまってスライド写真が焦げ、レオーも眠ってしまいます。そして翌朝ふたりは……。
結末は明かしませんが、ラスト・カットはモンテ・ヘルマンの『断絶』'71を思わせるもので、実際はカットにゴミが引っかかってフィルムがガタつき焼け焦げるベルイマンの『仮面/ペルソナ』'66にヒントを得たそうです。『バリエラ』より明快なボーイ・ミーツ・ガール映画なのはおわかりいただけたでしょうか。結末は最上のハッピーエンドともスコリモフスキお得意の肩すかしとも言えるもので、しかしどっちみちハッピーエンドには違いない終わり方です。自動車展示会やラリー会場では『バリエラ』のレストランのように水着ショーがあったり物売りがいたりで、またポーランド作品同様路面電車を上手く使っていてレオーは進んでくる電車のレールに横たわると電車は支線に逸れたりして、いつものレオーなんだかスコリモフスキなんだか融合してしまっていて演出なのかアドリブ演技なのかわかりません。いつも道を斜め突っ切りするわ、門が閉まっていると飛び越えるわ、エレベーターを待つ間にも行ったり来たりするわ、煙草を放り投げてひょいっとくわえるわ、無口かと思うと怒涛のようにまくしたてるわで計画性がなく落ち着きのないことおびただしく、お金がない時には物を盗んで売って金にすればいいというのも『大人は判ってくれない』以来のレオーですし、先に上げたようなレオーは他の映画に出演してもそのままレオーのキャラクターになっています。これにはさすがにスコリモフスキも自分の顔写真が印刷してあるチラシのお面をかぶせるわけにはいかなかったでしょう。音楽は『バリエラ』に続いてクシシュトフ・コメダで、『不戦勝』のアンジェイ・トゥシャスコフスキと並ぶポスト・バップ世代のポーランドの2大ピアニストですが、本作ではポーランドのジャズマンではなくコメダのスコアをドン・チェリー(p)、当時チェリーのバンドにいたガトー・バルビエリ(ts)、フランスのジャズ界の大物ルネ・ユルトルジュ(p)らが演奏し、映画冒頭のクレジット・ロールでクリスチアーヌ・ルグランが主題歌を歌ってサウンドトラックLPも発売され、CD化されています。『バリエラ』までの3作と同じ映画監督の作品であるのも納得がいく一方、社会主義国ポーランドと民主資本主義国ベルギーではこうも違うのかというくらいセクシーな面が強調されており、『不戦勝』にも同じような場面がありましたが(チャンピオン戦前夜から当日朝のシーン)映画検閲の違いでこれだけ違うものかと思わされるとともに、車への執着が女性への意識に変化するのを描く、それを映画の主題にするのは『バリエラ』までのポーランドの製作環境ではできなかったのかもしれません。
1.『身分証明書』Rysopis (Identification Marks: None) (映画大学卒業製作・ポーランド1964, 一般公開1965)*日本公開2010年
2.『不戦勝』Walkower (Walkover) (ポーランド1965)*日本公開1968年(映画祭上映)/2010年
3.『バリエラ』Bariera (Barrier) (ポーランド1966)*日本公開1967年(映画祭上映)/1985年/2010年
4.『出発』Le depart (ベルギー1967)*日本公開1999年
5.『手を挙げろ!』Rece do gory (subtitled English version entitled "Hands Up ! ", completed 1967, released 1981) (ポーランド1967/1981)*日本公開2010年
6.「勇将ジェラールの冒険」The Adventures of Gerard (イギリス=スイス1970)*日本未公開、テレビ放映のみ
7.『早春』Deep End (西ドイツ=イギリス1970)*日本公開1972年/2018年
8.「キング、クイーン、そしてジャック」King, Queen, Knave (西ドイツ=アメリカ1972)*日本未公開
9.『ザ・シャウト/さまよえる幻響』The Shout (イギリス1978)*日本公開2014年
10.『ムーンライティング』Moonlighting (イギリス1982)*日本公開2014年
11.「復讐は最高の成功」Success Is the Best Revenge (イギリス=フランス1984)*日本未公開
12.『ライトシップ』The Lightship (アメリカ1985)*日本公開1985年
13.「春の水」Torrents of Spring (フランス=イタリア1989)*日本未公開
14.「フェルディドゥルケ」Ferdydurke (30 Door Key) (ポーランド=イギリス=フランス1992)*日本未公開
15.『アンナと過ごした4日間』Four Nights with Anna (Cztery noce z Anna) (ポーランド=フランス2008)*日本公開2009年
16.『エッセンシャル・キリング』Essential Killing (ポーランド=ノルウェー=アイルランド=ハンガリー2010)*日本公開2011年
17.『イレブン・ミニッツ』11 Minutes (ポーランド=アイルランド2015)*日本公開2016年
他に、スコリモフスキ以外2名の監督との3部からなるオムニバス映画に、
Omnibus「ダイアローグ 20-40-60」Dialog 20-40-60 (チェコスロヴァキア1968) (segment 「20歳」"The Twenty-Year-Olds")*日本未公開
があります。今回ご紹介するのは、スコリモフスキが初めてフランスのヌーヴェル・ヴァーグ作品、当時最新作だったジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』'65を観て刺戟され製作に影響が反映されたと自認する第3作で日本の映画祭(1967年草月会館ホール)で初めて紹介された『バリエラ』'66(ベルガモ映画記者映画賞監督賞受賞・ベオグラード映画祭審査員賞受賞)、そしてフランスのヌーヴェル・ヴァーグを代表する俳優ジャン・ピエール・レオー(1944-)を主演に初めてポーランド国外のベルギーに招かれて撮った第4作『出発』'67(ベルリン国際映画祭金熊賞=グランプリ受賞)の、国際的出世作となった2作の感想文です。
●5月3日(木)
『バリエラ』Bariera (Zespol Filmowy Kamera, Poland,1966)*81min, B/W; ポーランド公開1966年11月18日・日本公開1967年(映画祭上映)/1985年/2010年5月29日・ベルガモ映画記者映画賞監督賞受賞・ベオグラード映画祭審査員賞受賞; Trailer, Extracts :https://youtu.be/RmYaNCltZnk : https://youtu.be/vK261tFzpTQ : https://youtu.be/6vNCodlZ2Yg
○脚本=イエジー・スコリモフスキ、撮影=ヤン・ラスコウスキー、プロダクションデザイン=ロマン・ヴォリニエチ、音楽=クシシュトフ・コメダ、編集=アリナ・プリュガル=ケトリング
出演=ヤン・ノビツキ(主人公)、ヨアンナ・シュツェルビツ(路面電車運転手)、タデウシュ・ウォムニツキ(医師)、マリア・マリツカ(掃除婦)、ズジスワフ・マクラキェヴィチ(雑誌を売る男)
○解説(キネマ旬報映画データベースより) 自分の人生に疑問を感じもがく男女が出会い恋に落ちる様を、美しいモノクロ映像と意表を突いた画面構成で描いたドラマ。監督は「不戦勝」のイエジー・スコリモフスキ。2010年5月29日より、東京・渋谷シアターイメージフォーラムにて開催された「イエジー・スコリモフスキ'60年代傑作選」でデジタル上映。
○あらすじ(Oriconデータベースより) 個人と社会、旧世代と新世代、男と女の間に立ちはだかるさまざまな障壁(バリエラ)。 大学寮の一室で、四人の医学生がマネキンの掌の上に置かれたマッチ箱を、手を使わずに口でくわえるゲームに興じていた。勝者となった青年は、残り一年というところで学業を放棄し、旅行鞄一つ持って寮を出て行く。その後、彼は夜の街でひとりの若い娘に偶然出会う。路面電車の運転士をしているその娘を、青年は新開店のレストランへ誘い…。登場人物に名前はなく、斬新な視覚的アイディアが間断なく炸裂する作品。「不思議の国ポーランド」を経めぐる青年は、その壁を乗り越えることができるのか?
東欧ポーランド映画界の新作映画製作は'60年代当時年間26~28本で、当時北欧スウェーデンの年間新作映画製作本数36~38本からすると10本少なく、現在もポーランドやスウェーデンではあまり変わっていないそうですが、そうなると戦前から日本や、日本と同等かそれ以上だという中国やインドは世界でもアメリカに次ぐ映画大国なのを実感させられます。産業においては質より量というのは大きなことです。スコリモフスキは映画大学卒業製作『身分証明書』'64、第2長編『不戦勝』'65、そして第3作の本作が'66年と年1作で順調に映画製作してきたように見えますがそれは結果で、実はスコリモフスキが監督本人から脚本を委託されたカジュミェシュ・カラバシュ監督作品『無人地帯』の撮影が開始されましたが数日後から監督が現場に出てこなくなってしまった。プロデューサーがスコリモフスキを連れてカラバシュ監督の自宅を訪ねましたが呼んでも出てこず、入ってみたらカラバシュ監督はベッドで毛布をかぶって「駄目だ、無理だ、嫌だ」と丸くなっている。カラバシュ監督はドキュメンタリーの監督でこれが劇映画第1作になる予定だったそうです。そこでプロデューサーはスコリモフスキにスタッフも俳優もスタンバイしているし撮影費もほぼ手つかずだから監督をやってくれないかと頼んだ。スコリモフスキはカラバシュ監督作品として書いた脚本だからと『無人地帯』の監督は遠慮したが、スタッフは引き継ぎ俳優たちは脇役に使って主演俳優は新たに選んで別の新作映画にしていいなら、とプロデューサーの了解を得て、とりあえず『バリエラ』(バリアー、障壁)とタイトルをつけ、ウッチ映画大学で同窓生だったヨアンナ・シュチェルビツをヒロインに指名しました。シュチェルビツは『不戦勝』の時も出演を打診して断られていましたが、今回はプロデューサーが何とか口説き落としてきた。主人公役は今回もスコリモフスキが出演するつもりでしたが、ポーランド中央映画局が『身分証明書』と『不戦勝』で演じたスコリモフスキのキャラクターを不健全としてスコリモフスキ以外の俳優を主人公にしないと製作は許可しないと通達してきたのでやむなくヤン・ノビツキを起用しましたが、本作は完成シナリオを用意するよりも撮影当日にスコリモフスキが考えてきたメモから即興的に当日分のシナリオと台詞が書かれて撮影を重ねていったので、結果的にはスコリモフスキが主演俳優を兼ねていたら出来ないような作品になりました。ごく初期のマック・セネットのキーストン社喜劇ならともかく長編劇映画をシナリオなしで監督が主演を兼ねて撮るなど不可能でしょう。ただしスコリモフスキはやはり出たがりの性格があるようで街頭の巨大ポスターやチラシの献血運動の広告に自分の顔写真を使っています。これがどこが献血広告だというくらい強面顔の大アップなのが笑わせます。またスコリモフスキは『身分証明書』『不戦勝』でフランスのヌーヴェル・ヴァーグ映画との指向性の類似を指摘されていたもののゴダールの第10作『気狂いピエロ』'65を観るまでヌーヴェル・ヴァーグ映画を観たことがなかったそうで、社会主義リアリズム映画のポーランドで『身分証明書』『不戦勝』を撮っていたスコリモフスキも大したものですが(ゴダールもすぐにスコリモフスキ作品を観て絶賛していましたが)、『気狂いピエロ』みたいな映画なら即興シナリオで作れるんじゃないかと考えたのがタイトルと俳優とスタッフだけ決まって撮り始めた本作『バリエラ』だったと語っています。『気狂いピエロ』もプロットと直接関係ないようなシークエンスが思いつきのように続いていく映画でしたが、そこは同作で長編10作目になるゴダールですから不統一なエピソードの集積がもたらす効果は知りつくしていて、『気狂いピエロ』は犯罪サスペンス映画なのが途中でどうでもよくなってしまうくらい自由奔放なのですが筋の通った映画になっている。ではスコリモフスキの本作はと言うと、次作『出発』もそうですがひと言で言ってしまえばボーイ・ミーツ・ガール映画です。もっとも『出発』は最初からその意図があったと思いますが、本作の場合は出来上がったらボーイ・ミーツ・ガール映画になっていた。そのくらい関連性のなさそうな、思いつきで撮った場面をつなげていっただけのような、と思ったら本当にそう作られたそうですからどうなっているか、今回観直しながら取ったメモでは映画は以下のような展開になります。
映画は上半身裸の男の背中が後ろ姿で背中で手首を縛られては前に倒れる、次の男が同じように後ろ姿で手首を縛られて倒れる、という具合に続く映像にタイトルとクレジット・ロールが重なります。真横からのショットに切り替わるとようやくそれが、4人の青年が室内でかわるがわるマネキン人形の手に置いたマッチ箱を口でくわえ取るゲームをしているとわかります。マッチ箱をくわえた青年が勝ちになり、4人全員で貯めていたらしい陶器の豚の貯金箱を受け取ります。会話から4人は学生寮の相部屋で、貯金箱を勝ち取った者があと卒業まで1年の大学を中退し、放浪の旅に出ると決まっていたのがわかります。青年はカバンひとつで街に出ると、通りかかった献血隊に献血してチラシを受け取り、老人ホームに父親を訪ねます。青年は金持ちの女でもひっかけて楽に暮らすつもりと父に語り、父は青年に手紙を託します。手紙は質屋宛てで、質屋の店主の娘の中年女が手紙を受け取って青年の父が旧友の店主に質入れしていたというサーベルを受け出し、どうやらサーベルは父から息子への餞別らしいと見当をつけます。質屋の女は青年に買い手がいるから売りたかったら買い取ると言ってサーベルを渡します。青年は雪の積もった街に出て焚き火をしていた娘に煙草を分けてもらい、娘を開店したばかりというレストランに誘います。友人たちを呼ぶから婚約したと言って一杯おごらせよう、と青年は提案し、娘は路面電車の運転の交替が済んだら来ると言って仕事に行きます。先にレストランに入った青年は大げさなウェイターやウェイトレス、雑誌売りを筆頭にさまざまな物売り、大勢の老人客に取り巻かれます。万節祭の鐘が鳴り、ハレルヤ・コーラスが鳴り響きます。やがて青年の友人たちや路面電車運転手の娘もやって来ます。突然静まり返った広間の中央でモップを置いた掃除婦の女性が朗々と1曲を歌います。青年は娘とともに豚の貯金箱を真っ二つに割りますが、娘を見つめている中年男に気づいて娘に尋ねると、娘は自分の夫だと答えます。質屋の店主とその娘の中年女も来ていて青年にサーベルの買い取りを迫りますが、青年は断ります。老人たちが愛国歌を合唱し喧騒が高まると、雑誌売りが興奮して卒倒します。運ばれていく雑誌売りにつられて店から出た青年と娘は高台に出て、青年は娘に求愛して再会を約束しますが、今夜の出来事を語り合っているうちに口論になり、娘はサーベルを売らなかった青年を嘲って献血チラシを折ったお面を青年にかぶせます。青年は激昂してチラシをかぶったままカバンにまたがって高台のスキー滑走路から一気に下まで滑り落ちて行きます。青年はよろよろと立ち上がり、サーベルを地面に突き立てます。一方娘は青年と会うためシフトの変更を職場に申し入れますが聞き入られず、嘱託医の所に仮病の届けを作ってもらいに行きます。その嘱託医はレストランにいた中年男でした。娘はレストランに行きますが青年はおらず、身元を聞いていなかったので行き先がわからず諦めて仕事に戻ります。盲人の客に案内を頼まれますが、時刻を確かめようとすると盲人はサングラスを外して腕時計を見てさっさと去っていきます。そして再び戻って、路面電車を発進させた娘は……。
と、長さは76分だった『身分証明書』、74分の『不戦勝』とあまり変わりありませんが、『身分証明書』全39カット、『不戦勝』全35カット(ともに資料による)と較べると前2作のような極端なカット数の少なさが特徴の映画ではないでしょう。本作もかなりカット数の少ない(長回しのカットが多い)映画だと思いますが、メモを採りながら観直したとは言ってもカット数までは数えていないので正確には言えないものの、回転台でも作って回しながら撮ったなと思われるような一気に街中を走り抜けるシーンやスキー滑走路を滑り落ちていくカットなどカットを割らないことで効果のある長いカットが多用され、映画の冒頭もクレジット・ロールが続く間ずっと長い固定ショットの1カットですし、映画のラスト・カットも長い一人称ショットが固定して白露出が上がっていき純白になって終わります。スコリモフスキは同じような効果で違った手法のラスト・カットを次作『出発』でも使っており、一見かなり趣きの異なる本作『バリエラ』と次作『出発』はボーイ・ミーツ・ガール映画である点や映画中に散見される切断のイメージ、ラスト・カットの類似で対をなす作品であるように思えます。『バリエラ』が初めて観るスコリモフスキの映画だったらシュルレアリスム系の映画監督かと思ってもあながち早合点ではなく、純シュルレアリスム映画監督だった頃のルイス・ブニュエルの唯一の長編映画『黄金時代』'30に印象の似た自由連想型の構成で奇天烈なイメージが続いていく、テーマの上でもシュルレアリストが大好きな「狂気の愛」だけが唯一のテーマであるような(これはシュルレアリスムが、スイスの国際都市チューリッヒのダダからフランスに渡ってゲルマン的性格の替わりにフランス人好みのシュルレアリスムに受容された、という由来もあると思いますし、『バリエラ』の恋愛映画的側面はシュルレアリスムよりもさらに抽象度が高いですが)点で似ています。スコリモフスキの初期ポーランド作品4作は連作風に意図されてもおり、ベルギーに招かれて撮った第4作をまたいでポーランドでの第5作『手を挙げろ!』'67/'81は試写で中央映画局からお蔵入りにされスコリモフスキが事実上自発的な西側への亡命監督になる原因になった作品で、歴史的・社会的関心(=政治的性格)を増した作品でしたが、『バリエラ』までの3作も中年以上の世代への反感は露骨で、また女性も男から見た存在以上に描けているとは言えずフランスのヌーヴェル・ヴァーグ監督の映画と較べると男女を通じて広く人間的な関心や洞察に乏しいきらいがありました。スコリモフスキよりもさらに若く、22歳で監督デビューしたイタリアのベルナルド・ベルトリッチ(1940-)の第1作『殺し』'62でも、24歳で監督デビューした西ドイツのライナー・ウェルナー・ファスビンダー(1945-1982)の第1作『愛は死より冷たい』'69でももっと異性や異なる年代、社会層への関心と洞察、要するに他者への関心と関係性に鋭敏なものでした。『バリエラ』は初期スコリモフスキの映画でもっともインパクトが強い'60年代映画の傑作ですが、『身分証明書』『不戦勝』ともどもスコリモフスキ自身しか見ていない難点があり、そうした作品としては『身分証明書』『不戦勝』の率直さの方が好ましくも感じます。もちろんこれは『バリエラ』の鋭さを高く認めた上でそう感じるのです。度肝を抜く鮮烈なイメージの連続という点では『バリエラ』ほど成功した映画はめったにあるものではありません。
●5月4日(金)
『出発』Le Depart (Elizabeth Films, Belgium, 1967)*91min, B/W; ベルギー公開1967年10月13日・日本公開1999年1月14日・ベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリ)受賞(1967年7月); Trailers, Extracts : https://youtu.be/XyHNMcXiD_E : https://youtu.be/BhLOAqy27Ko : https://youtu.be/2JzAlF7iJuI : https://youtu.be/gF301mJv6ws
○脚本=イェジー・スコリモフスキー/アンジェイ・コステンコ、撮影=ウィリー・クラント、音楽=クシシュトフ・T・コメダ、編集=ボブ・ウェイド
○出演=ジャン=ピエール・レオ(マルク)、カトリーヌ=イザベル・デュポール(ミシェール)、ジャクリーン・ビー(女性客)、ポール・ローランド(友人)、レオン・ドニー(美容院の主人)、ジョン・ドブラニン(マハラジャ)
解説(キネマ旬報映画データベースより) ポルシェに賭ける青年の恋と大人への成長を詩的でシュールなタッチで綴った青春映画。監督は「バリエラ」('66)「早春」('70)など、ロマン・ポランスキーと並ぶポーランド新世代の旗手と謳われたイェジー・スコリモフスキ(1938-)で、母国を離れてベルギーで撮った監督第3作。脚本はスコリモフスキとアンジェイ・コステンコ。撮影はウィリー・クラント。音楽はクシシュトフ・T・コメダで、主題歌のシャンソンはクリスチアーヌ・ルグラン。出演は,「大人は判ってくれない」「イルマ・ヴェップ」などヌーヴェル・ヴァーグの"顔"であるジャン=ピエール・レオ、「二十歳の恋」(レオと共演)「男性・女性」のカトリーヌ=イザベル・デュポールほか。
○あらすじ(同上) ブリュッセル。マルク(ジャン=ピエール・レオ)はカーレースに夢中な19歳の美容師見習いの青年。レースに出場するためどうしてもポルシェが欲しい彼は、知り合った美しい娘ミシェール(カトリーヌ=イザベル・デュポール)を巻き込み、車を調達するためあの手この手を算段。やっとのことで手に入れたポルシェに乗って夜の町を飛び出してレース会場へと向かい、仮眠をとるためにホテルに宿をとった二人。だがレースが始まるその朝、マルクはレースの夢からさめてミシェールとの新たな人生の出発に旅立つことを決めるのだった。
実は前作『バリエラ』でもノンクレジットで本作の共同脚本家、アンジェイ・コステンコが脚本に協力していたそうですが、当時のポーランドでは映画スタッフは公務員中でも特に専門職ですから製作上クレジットできない事情があったのでしょう。『バリエラ』がユーゴスラヴィア(現セルビア)のベオグラード映画祭で審査員賞、イタリアのベルガモで映画記者映画賞監督賞を受賞し、初期のスコリモフスキの発言では「アントニオーニと比較されるのは勘弁してほしい」というのは注意を惹かれますが、これはつまりフランスのヌーヴェル・ヴァーグ作品に先立ってアントニオーニの作品はスコリモフスキも観ていたこと、アントニオーニの異常に緩慢で特異なスタイルが一見『身分証明書』『不戦勝』(この2作はほぼ同時に一般公開されました)と似ているがスコリモフスキ自身はアントニオーニ作品とは異なるという意識があったことがうかがえます。本作はベルガモ映画祭でグランプリに相当する映画記者映画賞監督賞を獲得した『バリエラ』にベルギーの女性映画プロデューサー、ブロンカ・リキエが注目し、カメラマンのウィリー・クラン(クラント)を通してスタッフとキャストを集めたため、クランが撮影を担当したゴダールの『男性・女性』'66の主演を勤めたジャン=ピエール・レオー(1944-)とカトリーヌ=イザベル・デュポールがそのままキャスティングされることになったそうです。撮影期間は27日間、当時フランス語を話せなかったスコリモフスキはマイムで演出し、フランス語の台詞は俳優が積極的に適切な表現に変えたそうで、特に『男性・女性』から本格的に映画に専念できる年齢になったレオーは意欲的で、レオーはもちろんフランソワ・トリフォーが自伝的な第1長編『大人は判ってくれない』'59でデビューし、国際オムニバス映画『二十歳の恋』'62のトリフォーの短編でも『大人は判ってくれない』の役名、アントワーヌ・ドワネルとして主演し、以降アントワーヌ・ドワネルのシリーズは『逃げ去る恋』'78まで続けられますが、トリフォー作品のイメージとレオー自身のキャラクターが強烈なためゴダールの『男性・女性』でも本作『出発』もトリフォーの次のドワネル長編『夜霧の恋人たち』'68と同一人物のように見え、ジャック・リヴェットの『アウト・ワン』'71でもベルトルッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』'72でもジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』'73でも全部アントワーヌ・ドワネルに見える、という得なんだか損なんだかわからないような俳優になりました。本作もまぎれもなく『バリエラ』のスコリモフスキの次作らしい共通した特徴があり、テーブルの中央に縦に左右に真っ二つに中央で割れた豚の貯金箱を挟んで青年と娘が向かいあう『バリエラ』のシーンは、車庫の中の回転台の上で縦に左右に真っ二つに中央で切断されたポルシェの左にデュポール、右にレオーというシーンに替わっています。しかしあまりにレオーがいつものレオーなため、『男性・女性』のレオーが本作では美容師見習いになって、翌年には『夜霧の恋人たち』の店員レオーになるような感じがするのです。
映画は黒いタートルネックのセーターから頭をすっぽり出すレオーを正面から撮ったショットで始まり、性的な暗喩を読みとることもできますがどう見ても『大人は判ってくれない』のタートルネックのレオーです。本作のレオーは19歳の美容師見習い、夢はレーサーという設定ですが車を持っていないので、いつも店の車庫に入れっぱなしの美容院の店長のポルシェを借りて今週末のラリーに出る気でいますが、当日店長は車を使う用事があると知ってひとりで悪態をつく場面が映画の冒頭です。レオーは美容師見習いの同僚にインド富豪のマハラジャの格好をさせて自動車店で店員をからかおうと誘い、自分は秘書のふりをして試乗がしたいと店員をだましてポルシェを盗み出します。盗んだポルシェを乗りまわして美容院のかつら配達に出たレオーは配達先でデュポールに出会い、親しくなります。レオーはそのままポルシェを乗り回してますが、自動車泥棒の片棒をかつがされると知らずにマハラジャ役をやらされた同僚は激怒して待っており、取っ組み合いの大げんかになり、レオーは仕方なくポルシェを返却します。レオーは客の有閑マダムとの会話からレンタカーを借りようと思いつきますが、事前の保証金がとてもすぐには用意できる金額ではなく、デュポールに相談しようと路面電車に乗った彼女をバイクで追いかけて誘います。自動車展示会に行って部品を盗んで売ろうと考えたレオーは車のトランクの中にデュポールを押しこみ自分も入りこんでデュポールにあきれられ、デュポールは説得できても自動車部品泥棒には成功せず、自分たちの売れるものは全部売り、同僚からお金を借り、まだ足りないので強盗に見せかけようと同僚に店の更衣室でノックアウトしてもらいますが、それでも足りません。レオーはデュポールの協力で駐車中のポルシェを盗みますが後部座席にペットの犬がいたので結局返してしまいます。レオーは店に戻りラリーの出場が目的なら店長のポルシェが借りられるとわかります。レオーとデュポールはラリー会場近くのホテルに前夜に泊まり、デュポールは自分の幼児の頃から最近までのスライド写真をレオーに見せますが途中で眠ってしまってスライド写真が焦げ、レオーも眠ってしまいます。そして翌朝ふたりは……。
結末は明かしませんが、ラスト・カットはモンテ・ヘルマンの『断絶』'71を思わせるもので、実際はカットにゴミが引っかかってフィルムがガタつき焼け焦げるベルイマンの『仮面/ペルソナ』'66にヒントを得たそうです。『バリエラ』より明快なボーイ・ミーツ・ガール映画なのはおわかりいただけたでしょうか。結末は最上のハッピーエンドともスコリモフスキお得意の肩すかしとも言えるもので、しかしどっちみちハッピーエンドには違いない終わり方です。自動車展示会やラリー会場では『バリエラ』のレストランのように水着ショーがあったり物売りがいたりで、またポーランド作品同様路面電車を上手く使っていてレオーは進んでくる電車のレールに横たわると電車は支線に逸れたりして、いつものレオーなんだかスコリモフスキなんだか融合してしまっていて演出なのかアドリブ演技なのかわかりません。いつも道を斜め突っ切りするわ、門が閉まっていると飛び越えるわ、エレベーターを待つ間にも行ったり来たりするわ、煙草を放り投げてひょいっとくわえるわ、無口かと思うと怒涛のようにまくしたてるわで計画性がなく落ち着きのないことおびただしく、お金がない時には物を盗んで売って金にすればいいというのも『大人は判ってくれない』以来のレオーですし、先に上げたようなレオーは他の映画に出演してもそのままレオーのキャラクターになっています。これにはさすがにスコリモフスキも自分の顔写真が印刷してあるチラシのお面をかぶせるわけにはいかなかったでしょう。音楽は『バリエラ』に続いてクシシュトフ・コメダで、『不戦勝』のアンジェイ・トゥシャスコフスキと並ぶポスト・バップ世代のポーランドの2大ピアニストですが、本作ではポーランドのジャズマンではなくコメダのスコアをドン・チェリー(p)、当時チェリーのバンドにいたガトー・バルビエリ(ts)、フランスのジャズ界の大物ルネ・ユルトルジュ(p)らが演奏し、映画冒頭のクレジット・ロールでクリスチアーヌ・ルグランが主題歌を歌ってサウンドトラックLPも発売され、CD化されています。『バリエラ』までの3作と同じ映画監督の作品であるのも納得がいく一方、社会主義国ポーランドと民主資本主義国ベルギーではこうも違うのかというくらいセクシーな面が強調されており、『不戦勝』にも同じような場面がありましたが(チャンピオン戦前夜から当日朝のシーン)映画検閲の違いでこれだけ違うものかと思わされるとともに、車への執着が女性への意識に変化するのを描く、それを映画の主題にするのは『バリエラ』までのポーランドの製作環境ではできなかったのかもしれません。