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映画日記2018年3月26日~28日/エルンスト・ルビッチ(1892-1947)のハリウッド作品(2)'30年代から3作

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 今回ご紹介する作品のひとつの日本盤DVDの解説書はこんな書き出しから始まっていました。改行もそのままに引用します。
「見るたびに、気分がうきうきする。
 見るたびに、笑いが噛み殺せなくなる。
 ルビッチの映画はほとんどみなそうだが、『君とひととき』('32)の楽しさは格別だ。色っぽくて、無節操で、大胆で、おかしくて、エレガントで、なんともいえず罪作りで……お子供衆にはわからなくてよろしい。田吾作どんもずっと首をかしげていたまえ。(下略)」
 文 : 芝山幹郎(映画評論家)と文末にあるこの解説の書き出しが近年の日本のルビッチの人気のあり方なら、戦前多くの観客や映画人が楽しんでいたルビッチ像からずいぶんかけ離れた、ルビッチをわかるおれって偉いみたいな傲慢な映画マニア(「映画評論家」)の支持に人気が変化したとすれば大変残念な気がします。ルビッチに限らず何かの創作をわかる・わからないで他人を子供、田舎者呼ばわりするほど幼稚で自惚れた態度はなく、そういう人の文章は自分の嗜好の自慢のために映画をダシにしているのですから批評と呼べるものではないでしょう。評論家ではなく単なる映画プロモーターです。こうしたダシに使われやすい映画であるところにルビッチはジャック・タチや、まるで傾向は異なりますがカール・Th・ドライヤー、ジャン・ルノワール、ロベール・ブレッソンらとともに虚栄心に満ちた自称マニアを集めやすい弱みがあり、先の引用文の筆者に対しては、むしろ子供や田舎者(田舎者でない人間とはどういうものか知りたいものです)の目でルビッチ映画を(に限らず、どんな映画でも虚栄心を混えず)観てみたいと思います。今回は手元にある映像ソフト3点から選んだので必ずしも'30年代のルビッチ映画のベスト作品とは言えず『陽気な中尉さん』'31、『極楽特急』'32、『私の殺した男』'32、『生活の設計』'33、『天使』'37、『青髭八人目の妻』'38などは『君とひととき』『メリイ・ウィドウ』より好きな作品です。上映会などで観る機会がなかったので『君とひととき』『メリイ・ウィドウ』はDVDで買って持っているので、この2作を観直す理由はそれだけですが、どちらもアカデミー賞候補作に上げられ世評は高かったものでルビッチ'30年代の代表作に数えてもいいものです。しかし上記の作品群(ずいぶん前に観たきりですが)に較べるとルビッチ作品としては水準作かなという気がします。極めつけは『ニノチカ』で、ルビッチ'30年代を締めくくるにふさわしい名作で、戦中作品なので日本では戦後のルビッチ沒後直後の公開になり、ルビッチの遺作として戦前からの観客にしみじみとした感動を与えたというのもわかる逸品です。今回も抜粋映像のリンク、スチール写真を添えてご紹介します。

●3月26日(月)
『君とひととき』One Hour with You (Paramount, 1932)*80min, B/W、日本公開昭和6年('32年)6月; https://youtu.be/A24V9FPnsJs (Extract)

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「私の殺した男」に次ぐエルンスト・ルビッチ作品で、「陽気な中尉さん」「ラヴ・パレイド」のモーリス・シュヴァリエが主演するもの。原作はかつて「結婚哲学」として映画化されたことのあるロタール・シュミット作の舞台劇で、「私の殺した男」「陽気な中尉さん」のサムソン・ラファエルソンが脚色し、「街のをんな」のジョージ・キューカーがルビッチの指導のもとに監督した。カメラは「私の殺した男」「モンテカルロ」のヴィクター・ミルナーの担当である。助演者は「ラヴ・パレイド」「モンテカルロ」のジャネット・マクドナルド、「母性」「新聞街の殺人」のジュヌヴィエーヴ・トバン、「陽気な中尉さん」「春ひらく」のチャールズ・ラグルズ、「ニュウムーン」「マダム・サタン」のローランド・ヤング、「陽気な中尉さん」のジョージ・バービア、ジョセフィン・ダン、リチャード、カール、チャールズ・ジューデルスらである。歌詞及び歌曲はオスカー・ストラウス、レオ・ロビン、リチャード・ホワイティングがものした。
○あらすじ(同上) パリっ子の粋なお医者さんアンドレ・ベルティエ(モーリス・シュヴァリエ)は美しい奥さんコレット(ジャネット・マクドナルド)をもちろん愛している。そして至極仲睦まじく円満に暮らしているのである。ところがある日アンドレはタクシーの中で美しい夫人と偶然知り合いになった。その夫人と言うのは彼の愛妻コレットの親友ミッチ(ジュヌヴィエーヴ・トバン)であることが判った。ミッチは親友のご亭主がお金持ちのお医者さんで女には特別親切な男であることを知り、親友のご亭主の親友になることを決心し、直ちに病気になることにして往診を電話で乞うた。コレットは事情は知らず早く見舞ってくれと夫に頼んだ。ミッチの夫オリヴィエ教授(ローランド・ヤング)は変人で何が気に入らぬか奥さんを離別しようと思って、何か口実を求めて私立探偵(リチャード・カール)を雇って妻の行動を監視させている。コレットはある晩夜会を催し、夫とミッチとを並ばせる心算と名札を置いたが、アンドレはミッチに危険を感じていた矢先なのでマルテル嬢(ジョセフィン・ダン)の名札と置き換えた。コレットは晩餐の席上で夫とマルテル嬢が並んでいるので夫が嬢に気があるのだと勘違いをする。ミッチは食後アンドレを庭園に誘い出してネクタイを解いてやる。アンドレがそれをマルテル嬢に結んでもらうと、偶然コレットが見つけて怒る。アンドレは濡衣を着せられて憤慨しミッチを医者としてでなく訪問する。アドルフ(チャールズ・ラグルズ)という変挺な男はコレットの美貌にフラフラとなって室に入り込み彼女に接吻する。がその後アンドレとコレットは仲直りが出来たのに引かえミッチはついに教授の許を家出してしまう。教授はアンドレに妻を離婚するにつき彼を情夫として法廷に持ち出すことを告げる。コレットは夫がミッチの情人となっていることを知り悲観しまた憤慨する。そして彼女にもアドルフという恋人があると告白するがアンドレは信じない。そこへ偶然アドルフが入って来て仰天して帰ろうとするとコレットが首っ玉にかじりつく。か直ぐにアドルフを追い返して、夫婦双方とも罪があるから一緒に結婚生活を固めて行こうと申し込む。そこでアンドレは安堵の胸をなでおろした。

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 アカデミー賞作品賞に『陽気な中尉さん』とともにノミネート。同年作品『私が殺した男』'32がキネマ旬報外国映画ベストテン第8位。この3作では大戦中に戦闘、殺害したドイツ兵の遺族をフランス兵だった主人公が訪ねるしみじみとした反戦映画『私が殺した男』が異色作で立派な映画だと思いますが、ルビッチらしいのは『陽気な中尉さん』でしょう。本作はキネマ旬報の解説文にある通りサイレント時代の出世作『結婚哲学』'24のトーキー版ミュージカル・リメイクで、『結婚哲学』ではウィーンに住む2組の夫婦を描いていましたが本作ではパリが舞台です。前書きに引いた映画評論家氏の解説には『結婚哲学』のリメイクであることに触れていませんが、きっと子供や田吾作ではないルビッチ映画のファンなら常識だからなのでしょう。同氏は解説の末尾で本作がジョージ・キューカー(1899-1983)の監督作として製作開始され、プロデューサーのルビッチがキューカーを指導しているうちに結局ルビッチの監督作になった経緯は触れていますが、俳優出身のキューカーはパラマウント社の台詞監修として映画界に入り、『雷親父』'30の共同監督(シリル・ガーディナーと共同)を勤め、翌1932年の『心を汚されし女』'31が単独監督デビュー作になったばかりの新人監督でした。パラマウント社としてはサイレント時代のヒット作をトーキー版ミュージカル・リメイクで、という企画がまずあり、プロデューサーを兼務していたルビッチが製作に就任し、キューカーの仕事ぶりを見ているうちに自分でセルフ・リメイクしたくなったのでしょう。クレジットには「Produced and Directed by Ernst Lubitsch / Assorted by George Cucor」と出てきます。しかし本作はこれ単独で観るにはルビッチとしては水準作と思っても十分満足のいく作品ですが『結婚哲学』と較べるとどうもいけない。まずモーリス・シュヴァリエとジャネット・マクドナルドの夫婦が美男美女すぎて『結婚哲学』の魅力的な誘惑者の人妻マリー・プレヴォー、その夫で妻の浮気をネタに離婚を謀るアドルフ・マンジューならともかく本作の人妻ジュヌヴィエーヴ・トバン、その夫ローランド・ヤングは明らかに役者が落ちる。シュヴァリエの軽薄美男ぶりは今回もよく出ていますが、マクドナルドとの夫婦円満ぶりもよく出ているので実際は誘惑を懸命に退けている浮気劇に妻が疑惑を持つ経緯があまり説得力がないのです。
 しかも『結婚哲学』の面白さは隠し事が隠し事を重ねるはめになり、どんどん誤解がこじれていく皮肉な、しかし浮気でなくても誰にでも身に覚えのあるような人間関係のもつれにあり、それをルビッチは最小限の字幕で観客の想像力に委ねて描ききっていました。具体的な台詞のやりとりは俳優の演技からくみとるしかありませんが、どんな苦しまぎれの言い訳をして半信半疑にしか受け取られず、しかし口にした以上は後には引けず言い張っているか、そうしたことは台詞字幕を極端に排した映像ですら雄弁に観客に伝えることができたのです。ミュージカル・リメイクの本作はそれが登場人物ひとりになった時の台詞を歌詞にした歌でやってしまっています。本作を最初からこういう作品だと思って観るにはモノローグを歌にしたミュージカル映画として違和感はないのですが、『結婚哲学』のリメイクとなると改悪としか言いようがないのは本作は物語の絵解きをぜんぶ歌であからさまにしてしまって、『結婚哲学』では口にしていることと本心がばらばらなのが映像だけで伝わってくるのが面白さになっていたのに、本作ではルビッチ本人が自分の持ち味の良さを殺してしまうような作りにしてしまった。これはミュージカル・リメイクというパラマウント社の会社企画がまず第一だったと受け取るべきでしょう。その限りではよくできたミュージカル艶笑喜劇映画です。ただし前作でアドルフ・マンジューが演じた策謀家の夫役、また前作のフローレンス・ヴィダーに迫る主人公の夫の同僚役が『結婚哲学』では魅力的なワル役または魅力的な負け犬役キャラクターだったのに、本作では浮気妻の策謀家の夫も主人公の妻に迫る男も無愛想で陰険な、魅力のない人物にしか描かれていません。シュヴァリエとマクドナルドが主演なのだから引き立て役などどうでもいいかとは言えず、『結婚哲学』ではそうした引き立て役も生き生きと描かれていたのが作品をより充実したものにしていました。ミュージカル場面がてんこ盛りなのにサイレントの『結婚哲学』より本作の方が短くなっているのは主役夫婦以外の描きこみが大幅に削られたからで、はっきり言って本作では浮気妻の夫や主人公の妻に迫る男はドラマ上ほとんど不要です。ルビッチが当初キューカーに預けた題材を結局ルビッチ自身によるセルフ・リメイクにしたのは、撮り始めてみたらこの題材はミュージカル・リメイクでは『結婚哲学』の改悪にしかならない、と気づいたからではないでしょうか。新人監督がそれをやるのはキャリアにとって致命的ですが、ルビッチ自身によるリメイクなら本作は本作なりに、仮に『結婚哲学』と比較されてもミュージカル・リメイクだからで済みます。何もキューカーに対する思いやりや打算というよりも、プロデューサーとしての判断から『結婚哲学』の監督自身によるリメイクとして世に送る方が妥当だろうと考えたと思われるので、サイレント作品の成功作を上手くトーキー版リメイクにする難しさを、元のサイレント版が素晴らしい出来だけになおさら改作が容易ではなかった事情が感じられます。それでもアカデミー賞作品賞ノミネート作品なのですからシュヴァリエ&マクドナルドのミュージカル・コメディ映画がいかに時代に求められ、業界受けも良かったかがうかがえます。はたしてキューカー作品として完成されていたら同等の好評を得られたか、これはプロデューサーのルビッチの判断が吉と出たのではないでしょうか。

●3月27日(火)
『メリイ・ウィドウ』The Merry Widow (MGM, 1934)*98min, B/W、日本公開昭和10年(35年)5月; https://youtu.be/qL8BRH2N0Mc (Trailer)

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) フランツ・レハールの名を高らしめた同名のオペレットのトーキー化で、「生活の設計」「ラヴ・パレイド」のエルンスト・ルービッチュが監督に当たったもの。主演者も「ラヴ・パレイド」のチーム、モーリス・スヴァリエとジャネット・マクドナルドで、助演は「生活の設計」「コンチネンタル」のエドワード・エヴァレット・ホートン、「ロイドの大勝利」「ママはパパが好き」のジョージ・バービア、「恋の手ほどき」のミナ・ゴンベル「失恋相談欄」のスターリング・ホロウェイ、ルース・チャニング、ハーマン・ビング等である。脚色には「ウィーンの再会」のエルネスト・ヴァイダと「極楽特急」のサムソン・ラファエルソンが共同して当たり、撮影は「蛍の光」「夜間飛行」のオリヴァー・T・マーシュの担当。ダンス振り付け指揮はアルバーディナ・ラッシュ。
○あらすじ(同上) 虫眼鏡で探さねば判らぬようなヨーロッパの小国マーショヴィア公国のダニロ大尉(モーリス・シュヴァリエ)は銘打ての色事師を以て自認していたが、その国の富のなかば以上を所有する寡婦マダム・ソニア(ジャネット・マクドナルド)にだけは綺麗に肘鉄を食らった。ソニアはしかし内心ダニロに心を引かれていたのでダニロがあまりあっさりあきらめてしまったことが憂鬱だった。その憂鬱が積もって彼女は国を出てパリに去った。マーショヴィアを背負う大富豪と知ってソニアの周囲には求婚者が雲集した。万一彼女が外国人と結婚してその富を国から引き上げたらマーショヴィア国は破産である。種々協議の結果密かに特使をパリに送ってマダム・ソニアに求婚させ首尾よく彼女を本国へ連れ戻す事に決定、その特使の白羽の矢は見事ダニロ大尉に当たった。ダニロはパリに到着すると早速馴染みのカフェ・マキシムを訪れて一夜の歌を画したが、そこで彼は初対面のフィフィという女にぞっこん惚れ込んでしまった。一方マーショヴィア大使館ではダニロとソニアの対面を策する大夜会が企てられその席上で無理矢理2人の婚約を発表する段取りになっていた。国の風習で寡婦は決して人前でヴェールを脱がないのでダニロは未だマダム・ソニアの顔を知らなかったが会ってみるとこれは実は昨夜お忍びでマキシムへ来て自分が惚れたフィフィである事を発見して驚いた。しかし時既に遅くダニロがマキシムで身の重任を女どもに打ち明けてしまった事がパリ中は勿論、本国にまでつまりソニアの耳にも入ったので彼女は怒ってダニロの求婚を拒んだ。ダニロは反逆罪で即刻召還され軍法会議にかけられ自ら有罪を主張して牢獄につながれた。憎さ余って可愛さ百倍のマダム・ソニアは彼を慰めようと密かに牢舎を見舞ったが、驚いた事には彼と同じ監房に自分も監禁されてしまった。それはしかし嬉しい監禁だった。なぜなら、2人の上に下った処刑命令は終身結婚刑だったから。

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 アカデミー賞作品賞、監督賞(エルンスト・ルビッチ)、主演男優賞(モーリス・シュヴァリエ)、撮影賞(ヴィクター・ミルナー)、録音賞(フランクリン・ハンセン)ノミネート、美術賞(ハンス・ドライアー)受賞。キネマ旬報外国映画ベストテン第7位。本作は『ラヴ・パレイド』'29に始まったモーリス・シュヴァリエとジャネット・マクドナルドのコンビのミュージカル・コメディ映画の最後の作品で大ヒット作となり、フランス語版『La Veuve Joyeuse』も同時に製作されています。ルビッチの次作はマレーネ・ディートリッヒ主演の『天使』'37で、その後はクローデット・コルベール主演の『青髭八人目の妻』'38、グレタ・ガルボ主演『ニノチカ』'39と'43年の初のテクニカラー作品『天国は待ってくれる』まで年1作で続き、心臓疾患で一時休業後シャルル・ボワールとジェニファー・ジョーンズ主演の『小間使』'46で復帰、翌'47年ベティ・グレイブル主演作品で『メリイ・ウィドウ』以来のミュージカル・コメディ『あのアーミン皮の貴婦人』'48(助監督オットー・プレミンジャーにより完成)製作中に急逝しました。『メリイ・ウィドウ』から次作『天使』まで3年空いたのはルビッチの監督キャリアでも始めてで、それだけ本作の大ヒットでしばらく休みたかったのでしょう。5年あまり続けたシュヴァリエ&マクドナルドのミュージカル・コメディ路線も終えて('30年代前半はその間にも数々のドラマ作品も作って多産な時期でした)、ルビッチ・プロダクションは本作でサイレント時代の『思ひ出』'27以来初のMGMでのトーキー作でしたが、他は『結婚哲学』以来ずっとワーナー~パラマウントで製作していましたからMGMでミュージカル・コメディの最大ヒット作を出したのも皮肉ですが、MGMは当時のアメリカの大手映画社でもっとも宣伝力の強い映画社でした。プロデューサーを兼ねているルビッチは当時の大半の映画社専属監督より多くの利益を得ていたでしょうし、『天使』以降の1年1作はある程度引退を予定していたかもしれません。名作『天国は待ってくれる』など意図的な引退興行作と受け取ってもおかしくないような、シェイクスピアの引退作『テンペスト』を思わせるような作品でした。そこで日本公開時にも非常に好評だった本作ですが、もう筋などあってなきがごときもので、『ラヴ・パレイド』と2本立てで観たらどっちがどっちか記憶の混同が起きてしまうのではないでしょうか。架空のヨーロッパの小国が舞台、『ラヴ・パレイド』が女王陛下と色男の結婚コメディなら本作は国家資産の半分を所有する大富豪未亡人と色男の結婚コメディです。スターリン時代のソヴィエトでは映画は国家事業の宣伝部門ですから研究用に多くの外国映画を購入保存しており、小津安二郎の『母を恋はずや』'34の世界唯一の現存プリントや黒澤明の『姿三四郎』'43の初公開版世界最長プリントが発見されたのも旧ソヴィエトのフィルムセンター所属作品からでしたが、ふと旧ソヴィエトでは絶対一般上映禁止だったとしても研究用にルビッチ映画を仕入れていただろうか、と考えたりもします。クレショフやエイゼンシュテイン、バルネット、ヴェルトフら旧ソヴィエトの映画人は民間には絶対禁制の最新の西洋映画や音楽、文学作品を公然と入手することができました。しかしルビッチ映画はどんなものだろうか。ナチス政府は'35年にルビッチの市民権を剥奪、ルビッチは兄姉とその家族をアメリカに呼びよせ'36年にアメリカ国籍を獲得し、また'37年にはフランス政府からレジオンドヌール勲章を授与されました。市民権剥奪に先立ってルビッチ作品の上映禁止がナチス政権下のドイツで行われただろうことは想像に難くなく、全体主義体制の国家ではルビッチ映画ほど頽廃文化を象徴する堕落芸能作品はないでしょう。それをわかってソヴィエトを真っ向からおちょくった喜劇映画『ニノチカ』'39、ナチス政権を全力でおちょくった『生きるべきか死ぬべきか』'42を戦時下に作るのですから、第二次世界大戦では非常に微妙な連盟関係にあったソヴィエト、また洒落や冗談では済まないナチスを喜劇のネタにするのは、真面目なアメリカ国内のインテリ層にも眉をひそめさせ批判や反発を招く危険が大きかったはずです。
 前年にナチス政権が発足していますから本作発表の'34年にはルビッチは事実上自発的亡命者と見なされていたでしょうし、本人もそれは気づいていたはずで、『メリイ・ウィドウ』発表後3年のブランクは親族のアメリカ招聘を含む私生活上の要件のためにも必要だったでしょう。本作をMGMと組んで製作したのもMGMの宣伝力とヒットの確実性を狙って予期していたドイツ市民権剥奪に備えるためだったと考えられ、この処世術の巧さと映画監督としての首尾一貫性には驚嘆します。本作はただふざけたオペレッタ映画ではなく、ヒットによる収益と監督一時休業のため一世一代の勝負作ですらあったと思われるのです。『ラヴ・パレイド』がトーキー時代にも生き残る監督になれるかを賭けた作品なら本作はルビッチの実生活の重大事をまかなうための作品です。『君とひととき』とは気迫が違って本気でヒットを狙った時のルビッチのすごみが実にどうでもいいような、原作自体が文学性がどうのこうのという代物ではない軽音楽劇ですから話が下らないのは特に問題ではなくて、ルビッチとしては人気の題材をいかに客が客を呼ぶ面白い映画に仕上げるかだけが本作の課題だったということになりますが、『ラヴ・パレイド』以上に国籍不明で時代も不明なら政治体制もよくわからない(一応王政らしいが皇帝陛下は皇后の尻に敷かれて国家財政は万年赤字で何で成り立っているのかよくわからないヨーロッパ内陸の小国)、内陸国なのは冒頭のヨーロッパ地図と虫眼鏡の映像で示されているから農林水産業はほぼ望めなくて輸出入産業するほどの資源もないらしく観光産業くらいしか外貨獲得手段のない国、と映画を観ている最中も変な感じなのですが観終えて考えてみるとおよそカジノや国際銀行、もしくは宗教総本山でもないと国として成り立たないような何にもない国です。架空のヨーロッパ小国を創造してしまった映画にはマッケリーのマルクス兄弟映画の大傑作でマルクス兄弟パラマウント時代最終作『我輩はカモである』'33がありますが、あれが不思議の国映画としてマッケリーの腕前とマルクス兄弟で成り立っていたように本作『メリイ・ウィドウ』はシュヴァリエ&マクドナルドを使ったルビッチ版『我輩はカモである』とも言えて、国家財政を握る大富豪未亡人をたらしこむ映画という設定まで同じです。これは『我輩はカモである』がレハールの「メリー・ウィドウ」を下敷きにしていることから偶然生じた類似だと思いますが、この偶然は単なる偶然ではないでしょう。それは本作と『我輩はカモである』を同種の作品として並べて観ればおわかりいただけると思います。

●3月28日(水)
『ニノチカ』Ninotchka (MGM, 1939)*111min, B/W、日本公開昭和24年(49年)11月8日; https://youtu.be/mP3GmdopSiM (Trailer)

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「奥様は顔が二つ」に先じて作られた、同じくグレタ・ガルボとメリヴィン・ダクラスが主演する映画で、「天使」「桃色の店」の故エルンスト・ルビッチが監督した1939年作品。ストーリーはメルシオール・レンギールが書き、「失われた週末」「青髭8人目の妻」の脚色チーム、チャールズ・ブラケット、ビリー・ワイルダーが更に「未完成交響楽」のウォルター・ライシュと協力して脚本を執筆した。撮影は「裸の町」のウィリアム・ダニエルスである。助演者は舞台女優アイナ・クレアを始め、「フランケンシュタインの幽霊」のベラ・ルゴシ、「マルクス捕物帳 カサブランカの一夜」のシグ・ルーマン、「恋のブラジル」のフェリックス・ブレッサートその他。なお音楽は「桃色の店」「青髭8人目の妻」のウェルナー・リヒアルト・ハイマンが作曲した。
○あらすじ(同上) 今は昔、サイレンが空襲警報の意味でなく、専ら美人の意味であった頃のこと。第何次かの5ヵ年計画進行中のソヴィエト連邦商務局から、3人の使節ラツイニン(ベラ・ルゴシ)、イラノフ(シグ・ルーマン)、ブルジアノフ(フェリックス・ブレサート)がパリへ派遣された。初めて見るブルジョア国の贅沢さに肝を潰したが、ソ連が帝政貴族連から没収した貴金属類売却の使命を果たしに取り掛かった。これを知ったのがホテルボーイになっている、かつてのスヴァナ伯爵夫人(アイナ・クレア)の侍僕だったラコーニン(グレゴリー・ゲイ)である。彼の注進で宝石奪還を謀る伯爵夫人は、愛人のレオン(メルヴィン・ダグラス)に一切を任せた。レオンは3使節をまるめ込み、軟化させてしまった。この状報にソ連本国では、特別全権使節を派遣したるこれが赤ん坊の時から共産主義をたたき込まれた模範党員ニノチカ(グレタ・ガルボ)なる女史である。早速軟化した3姿勢使節をしめあげ、宝石の処分に掛かった。その夜、レオンは妙な美人に街頭でトンチンカンな質問を受け、笑いを忘れたかにこりともしない彼女に興味を持った。エッフェル塔に案内すると、彼女は1146段の階段を一気に上って涼しい顔をしているのでいよいよ興味を持ち、彼女を自分のアパートに伴い、女たらしの天才を発揮して、名も知らぬこの美人とキッスを交した。そのラブシーンの最中、ブルジアノフから電話が掛かり、彼は初めて女がニノチカであることを知った。使命は重大だが、資本主義国のブルジョア生活の楽しさ、レオンとのキッスをニノチカは忘れかねた。レオンも宝石争奪戦の敵ではあるが、1女性としてのニノチカを熱愛するに至った。それを知った伯爵夫人は、ニノチカがパーティで泥酔した夜、ラコーニンに宝石を盗ませた上、翌朝ニノチカを訪ね、レオンから手を引けば宝石を返すと申し出た。使命に覚めたニノチカは、その申し出を受諾し、急ぎ宝石を処分して、同志3名を伴いモスクワへ帰った。ニノチカはパリと恋の思出に眠られぬ夜もあったが、続5ヵ年計画の遂行に献身した。ある日ニノチカは商務長官に呼ばれ、かつて彼女と共にパリへ行った3人を、毛皮売りにイスタンプールへ派遣したが、またもや任務を怠っているから監督に行けと任命された彼女がイスタンプールに着くと正装した3人が待っていた。3人共ソ連を亡命してこの地に料理店を開いているのである。あ然としてニノチカの前にレオンが現れた。あなたが僕のものにならないなら、あなたが僕のものになるまで、世界中のソ連商務館を料理店にしてしまうつもりだとレオンは言った。それを聞くと、今はやむなしとニノチカはレオンの胸に抱かれた。

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 アカデミー賞作品賞、女優賞(グレタ・ガルボ)、原案賞(メルヒオル・レンジェル)、脚色賞(チャールズ・ブラケット、ワルター・ライシュ、ビリー・ワイルダー)ノミネート。アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿保存登録作品(1990年度)。本作は特集上映会で観た後しばらくしてテレビ放映があり、民放地上波の映画放映というのは日本語吹き替えはもちろんBGMの差し替え、CM込みの2時間枠・1時間半枠に収めるための大胆な短縮編集(2時間枠の場合実質1時間40分弱、1時間半枠の場合実質70分弱)が施されているので映画の運命について実に面白い実例を観ることができます。吹き替えで言えば山田康雄と山谷初男がピーター・フォンダとデニス・ホッパーの吹き替え、ラリパッパのシーンの幻聴のヴォイスオーヴァーまで女性声優のあえぎ声に吹き替えてある『イージー・ライダー』などオリジナル全長版を字幕スーパーで観るよりインパクトがありました。『砂丘』『断絶』の吹き替え70分ヴァージョンなどオリジナル以上にわかりやすい映画に化けていたのには感心しました。『マルクスの二挺拳銃』はオリジナルにないBGMと効果音が全編にかぶせられてコント番組みたいになっていましたし、111分から70分弱に実に40分あまり、全編の2/3の長さに短縮された『ニノチカ』はなんと映画中のハイライトと言うべき名シーン3か所がすべてカットされていました。(1)メルヴィン・ダグラスの連発する冗談ににこりともしなかったガルボが憤然としたダグラスが座った椅子の脚が折れて全員爆笑の中初めてガルボが大笑いする大衆食堂のシーン、(2)パリ到着直後にショーウィンドウを見て「こんな帽子をかぶる文化は滅びるわ」と非難していた流行の婦人帽をこっそり買ってきて鏡に見入るシーン、(3)モスクワに帰ったガルボが以前は嫌っていた「能なし三人組」とパリの思い出ですっかり親しくなりうちとけて玉子を持ち寄りオムレツの夕食会を囲むシーン、のどれもがカットされており、つまりストーリーに直接関係ない独立したシーンをカットして2/3の短縮版にしていたのですが、『ニノチカ』のプロットはソヴィエト使節による亡命ロシア貴族の宝石の没収売却のてんまつではなくて、骨の髄まで任務に忠実な共産党員のガルボがパリで恋に落ちて人間性に目覚める話なのはいうまでもありません。それを亡命ロシア貴族の夫人との宝石の所有権をめぐる駆け引きをストーリーとして再編集した結果、映画のいちばん肝心な、ガルボが女性らしさに目覚めていく過程を示すシーンをことごとくカットしてしまうことになった。しかしダグラスがガルボに接触を図って惚れてしまい熱心に口説いてしまうきっかけもダグラスがソヴィエト使節買収を頼まれた亡命ロシア貴族夫人の愛人だったからで、一応表向きのストーリーも追わなければガルボとダグラスが出会う話になりませんし、映画の開始しばらくはダグラスが「能なし三人組」をもてなして贅沢に馴れさせ、ちっとも宝石売却が進まないので上司のガルボがパリにおもむいてくることになる。映画の前半、つまり大衆食堂の大笑いのシーンまではガルボはがちがちの共産党員ですし、亡命ロシア貴族夫人と対決するシーンでは後半でも厳しい表情を崩しませんから、短縮テレビ放映版だと任務に出たまま戻らない三人組を現地につきとめるとダグラスがオーナーのロシア料理店を開いていて、そこでいきなり再会したガルボとダグラスが抱きあって終わり、と唐突な結末になっていました。ラスト・カットが看板に「イラノフとブルジアノフの店」と掲げた店の前で「私の名前も加えろ」と書いたプラカードを持ったラツイニン役のベラ・ルゴーシだったのは短縮テレビ放映版でも残してありました。というか、あの役はドラキュラ役者のベラ・ルゴーシだったとはこれまで何回観たかわかりませんが、今回感想文を書いて初めて知りました。ラスト・カットがルゴーシなのはルビッチの洒落ですね。やるなあ。
 本作はMGMの大スターのガルボが初めて笑うシーンのある映画として「Garbo Laughs」というキャッチコピーで大ヒットした映画として知られていますが、実は喜劇映画ではなくても笑うシーンのある作品はこれ以前にもあったそうです。しかしガルボの映画はほとんど悲劇作品ばかりなのでガルボというとスウェーデン出身女優らしい憂いをおびた表情が浮かんでくるのも事実です。このキャッチコピーはガルボ初のトーキー主演作『アンナ・クリスティ』'30の「Garbo Talks!」のキャッチコピーに由来し、同作はガルボ本人の声が初めて聞けるという話題性だけで'30年度の興行収入No.1の大ヒットになった作品でした。本作はソヴィエト使節の三人組始めその上司役のガルボ、また帰国してからのソヴィエト暮らしの描き方などアメリカ人がおもしろ可笑しくカリカチュアしたソヴィエト人像が描かれていて、それが資本主義国から見た門切り型の共産主義国家像なのでアカデミー賞の原案賞と脚本賞にノミネートされ、またガルボのコメディエンヌ演技など設定そのものが冗談みたいなものなので好評を呼んでやはりアカデミー賞女優賞ノミネートとアメリカ人のツボを突いたソヴィエト人ネタのジョークの集大成みたいな映画でもあります。本作当時は第二次世界大戦後の冷戦時代は予想されなかったでしょうが、第何次5か年計画ネタがくり返されるように戦前の世界的経済恐慌の引き金になったソヴィエトの輸出入経済政策が多くのアメリカ人の恨みになっており、それに続くソヴィエト国内経済の失策がざまあみろと思われていた時代であり、そうしたソヴィエト風刺と恋愛ロマンス・コメディを上手く組み合わせたのがルビッチにしては非常に狙いがわかりやすい作品に仕上がっており、そうした他愛ない政治的ジョークを抜きにしても絶世の美人女優グレタ・ガルボが大笑いするという趣向だけでも観客を惹きつけた映画です。グレタ・ガルボ(1905-1990)の引退は1941年、きっぱり女優業から退いて公けの場所には二度と現れなかった女優ですから本作の頃には引退の時期を考えていたでしょう。'20年代後半~'30年代のMGMを支えた大スターですからガルボというとシリアスな悲劇ロマンスというイメージが15年あまり強固に守られていて、しかも私生活は一切秘密で「神聖ガルボ帝国」とすら呼ばれた女優、トーキー作品で初めて肉声を聞かせただけで話題になった女優、そういう戦前アメリカ映画界最大の映画会社の最大の大物女優が大衆食堂で笑い転げる演技を披露したのですから映画公開時はもちろんガルボの引退後復帰説、目撃談だけで芸能ニュースになるたびアメリカの映画観客が思い出すのは一連の代表的悲劇ロマンス映画よりも『ニノチカ』の人間味あふれるガルボの方になっていったという逆転現象が起こったようです。本作がルビッチ作品としてもガルボ出演作品としても、アメリカ議会図書館選定アメリカ国立フィルム登録簿施行2年目に真っ先に選出されたのが、本作の人気そのものが表す文化財的価値ということになるでしょう。つまり本作を楽しむアメリカ人観客は'26年以来のガルボ映画ほとんどに親しみ、ガルボ人気全盛の時代の思い出を本作に重ねているわけで、本作はまたビリー・ワイルダーの脚本家出世作でもあります(ワイルダー作品『サンセット大通り』'50は'89年にアメリカ国立フィルム登録簿施行第1回の25本に選出されています)。本作は先に触れたようにルビッチ作品としては喜劇映画としての狙いが明快すぎてルビッチの典型的な作品とは言えませんし喜劇としても底の浅い風刺的要素がある。しかしガルボの笑顔や鏡に向かって変なお釜帽をかぶってうっとりする場面幸福感に満ちたシーンや、帰国後にパリの思い出を部下たちと語ってしんみりするペーソス漂う場面もある(短縮テレビ放映版では全部カットされていましたが)。ルビッチの真価は『結婚哲学』や『ラヴ・パレイド』『メリイ・ウィドウ』、『桃色の店 (街角)』や『生きるべきか死ぬべきか』にあるでしょう。しかし幅広い大衆性ではこれです。映画には作り手の意図を越えて長く愛され続ける作品がある。本作はそれです。これは内容がくだらなかろうと他愛なかろうと時代性を強く反映していて今やノスタルジックな興味から観られるものになっていようと構わないので、後世にはそうなることもルビッチは見通していたような気がします。

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