エリック・ドルフィー&ブッカー・リトル Eric Dolphy & Booker Little Quintet - ファイアー・ワルツ Fire Waltz (Mal Waldron) (from the album "Eric Dolphy At The Five Spot, Volume 1.", Prestige/New Jazz NJLP 8260, 1961) : https://youtu.be/A0UDvk5Jpac - 13:44
Recorded live at The Five Spot Cafe, July 16, 1961
[ Eric Dolphy & Booker Little Quintet ]
Eric Dolphy (as), Booker Little (tp), Mal Waldron (p), Richard Davis (b), Ed Blackwell (ds)
ロサンゼルス出身のマルチ木管奏者エリック・ドルフィー(アルトサックス、バス・クラリネット、フルート、1928-1964)は20代初めにはロサンゼルス在郷中のチャールズ・ミンガス(ベース、バンドリーダー、1922-1979)と親交があり、ジャズに理解のある裕福な家庭で自宅の庭に練習スタジオを持っており友人知人に広く開放していて、親切で気さくな性格から顔も広くロサンゼルスのアマチュア・ジャズ界で名物男となり、クリフォード・ブラウンとマックス・ローチがロサンゼルスで新バンドを旗揚げした際のオーディションもミンガスの紹介によりドルフィー宅のスタジオで行われたほどでしたが、ドルフィー自身のプロ・デビューは元ジェリー・マリガン・カルテットのドラマーによる、チコ・ハミルトン(1921-2013)・クインテットの木管奏者の座を、先輩奏者バディ・コレット(1921-2010)から引き継いだ1958年になりました。ドルフィーの参加アルバムは糖尿病の悪化による心臓発作でヨーロッパを単身巡業中にベルリンで客死する'64年6月までに120枚以上におよび、そのうち30枚がドルフィー自身のリーダーによるアルバムですが、生前に発売されたリーダー作は5枚きりでやはり生前発売された他のアーティストへの参加アルバムも10枚に満たず、自他ともに合わせて120枚以上の参加アルバム中100枚以上が歿後発表という、同時代のリスナーには生前にはほとんど真価を知られずに亡くなった人です。
このブッカー・リトル(トランペット、1938-1961)とのWリーダー・クインテットのライヴ・アルバムはつい前月の'61年6月25日にジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で収録されたビル・エヴァンス・トリオの『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz For Debby』に匹敵する'60年代初頭のジャズのライヴ・アルバムの金字塔で、ひと晩のライヴから9曲・10テイクが録音されドルフィー生前に『Volume 1.』が発売されましたが、これは'61年10月に腎臓病で急逝したブッカー・リトル(享年23歳)の追悼企画としての話題性によるものでした。『Waltz For Debby』もベーシストのスコット・ラファロ(1936-1961)がライヴ録音の10日後(7月6日)に自動車事故で享年25歳で急逝してしまったのですが、ドルフィーはラファロとはオーネット・コールマンのアルバム『Free Jazz』とジョン・ルイスのアルバム『Jazz Abstraction』(ともに'60年12月録音)で共演していますし、エヴァンスとは『Jazz Abstraction』とオリヴァー・ネルソンの『The Blues And The Abstract Truth』('61年2月録音)で共演しています。また『Jazz Abstraction』に参加したギタリストのジム・ホール(1930-2013)はその後しばしばエヴァンスと共演しますが初代チコ・ハミルトン・クインテットのギターを勤めており、黒人ジャズマンの精鋭、白人ジャズマンの精鋭としてミュージシャンの中ではこの人たちは近い位置にいたのです。このドルフィーのライヴはラファロの事故死からわずか10日後と思うと感慨深いものがあります。
ロサンゼルス時代の友人オーネット・コールマン(1930-2015)の成功に刺激されてロサンゼルスのチコ・ハミルトンのバンドを脱退しニューヨークにやってきたドルフィーは、旧知のチャールズ・ミンガスのバンドと、いち早く移住後のドルフィーに注目したMJQのジョン・ルイス(1920-2001)のジャズ・オーケストラ、またオーネット・コールマン経由でドルフィーに注目したジョン・コルトレーンのバンドをかけ持ちし、またお呼びのかかったセッションにはどしどし参加しました。こうしたかけ持ち可能だったのはドルフィー自身がリーダーになったバンドで客を呼べるにはいたらず、初めてドルフィーがマックス・ローチ・クインテットのトランペット奏者ブッカー・リトルとのWリーダー名義で2週間クラブ出演したのは'61年7月と遅く、ルイスのジャズ・オーケストラはスタジオ録音バンドで、ミンガスのバンドはスタジオ録音の仕事しかなかった(ミンガスはライヴをやる気がありましたが、演奏中の会話飲食禁止という条件で出してくれるジャズクラブがなかった)ためでした。ミンガスとコルトレーンはおたがいの音楽を嫌いあっていましたがどちらもドルフィーの才能を求めたのは面白い現象です。コルトレーンはマイルス・デイヴィスのバンドから独立した直後でライヴも非常に活発に行い、コルトレーンのバンドでドルフィーも'61年秋のヨーロッパ・ツアーに出ています。そのヨーロッパ・ツアー中にブッカー・リトル逝去の報が届いたのでした。
2週間しか活動しなかったバンドというのがジャズ史上の損失に感じられるほどドルフィー、リトル、マル・ウォルドロン(ピアノ、1925-2002)、リチャード・デイヴィス(ベース、1930-)、エド・ブラックウェル(ドラムス、1929-1992)のこのクインテットは一体感の感じられる素晴らしいバンドでした。ウォルドロンはジャッキー・マクリーン(1931-2006)と同期にミンガスのバンドに在籍経験があり、ドルフィーがチャーリー・パーカーと並んでもっとも尊敬していたビリー・ホリデイの晩年3年間の専属ピアニストでした。リチャード・デイヴィスはサラ・ヴォーンの専属ピアニストを勤めながら同世代の精鋭ジャズマンのアルバムに積極的に参加し、ドルフィー移住後に真っ先に親友になったベーシストです。エド・ブラックウェルはロサンゼルス時代からの旧知でアマチュア時代からオーネット・コールマンのバンドのドラマーをビリー・ヒギンズと分け合い、先に上京したビリー・ヒギンズが売れっ子ドラマーになった頃にようやくロサンゼルスから移住してきてヒギンズの後を継ぎました。リトルはクリフォード・ブラウンの事故死後にパーカーのバンド以来の旧知のケニー・ドーハムにトランペットを頼んでいたマックス・ローチが喜んで迎えた新進気鋭のトランペット奏者で、ドルフィーとリトルの共演は喧嘩友達のミンガスとローチの弟子同士が組んだようなものでもあり、人脈的にも音楽性も気の合うメンバーがばっちり揃ったわけです。ライヴ録音された9曲(ドルフィーのオリジナル曲2曲、リトル3曲、ウォルドロン2曲、スタンダード2曲)・10テイクはLP片面1曲の長い演奏も多いため4枚のアルバムに分けて発売されましたが、やはり『Volume 1.』がもっとも充実した選曲です。
はっきり言ってこれは完璧な演奏ではありません。パーカーとディジー・ガレスピーのコンビネーションを思い切りデフォルメしたようなドルフィーとリトルも突拍子もないテクニシャンなのですが、一発勝負のライヴ録音でもあってところどころ音を外しています。ドルフィーのソロの2コーラス目からリトルが副旋律をアドリブしますが音程ばかりか撥音にすらミスが目立ちますし、作曲者なのにマル・ウォルドロンは全然ソロが弾けていません。ただしこれはピアノに原因があって明らかにまともに調律されていない問題があり音割れまで起こっているので弾くに弾けなかったのでしょう。ブラックウェルのドラムスはよく歌っているのですがピアノと格闘するウォルドロンともどもリズムに揺れがあり、ベースのデイヴィスがどうにか正確なリズム・キープを保っています。またセットリストもあらかじめ決めておらず1曲ごとに演奏の調子で次の曲を選んでいたようで、2週間毎晩演奏する以外にリハーサルする余裕などなかったのでしょう。演奏が始まる前にウォルドロンがテーマ・メロディーの冒頭2小節を弾いているのにご注意ください。そうした万全の条件ではなかったライヴでありメンバー5人ともベストとは言えない演奏にもかかわらず、これはこの5人でしかできない、この時だけの刹那の美しさの閃く名演になっています。それはこの曲「Fire Waltz」が初録音された、ファイヴ・スポットのライヴから20日前にマル・ウォルドロンのアルバムにドルフィーとやはり元ミンガス・バンドのテナー奏者ブッカー・アーヴィン(1930-1970)を迎えたスタジオ録音ヴァージョンの平坦な出来と聴き較べれば一目瞭然です。このスタジオ・ヴァージョンだって実力あるメンバーが集まっていますが(ロン・カーターのチェロはなくもがなですが)、ドルフィー&リトル・クインテットのような一体化した燃焼感は求めるべくもありません。名曲も演奏によって生きもすれば生きずに終わることもあるというのは、こういう例があるからです。
Mal Waldron With Eric Dolphy And Booker Ervin - Fire Waltz (from the album "The Quest", New Jazz NJLP 8296, 1962) : https://youtu.be/2Bdszj1PYQ0 - 7:56
Recorded at The Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey, June 27, 1961
[ Personnel ]
Mal Waldron (p), Eric Dolphy (as), Booker Little (ts), Ron Carter (cel), Joe Benjamin (b), Charlie Persip (ds)
Recorded live at The Five Spot Cafe, July 16, 1961
[ Eric Dolphy & Booker Little Quintet ]
Eric Dolphy (as), Booker Little (tp), Mal Waldron (p), Richard Davis (b), Ed Blackwell (ds)
ロサンゼルス出身のマルチ木管奏者エリック・ドルフィー(アルトサックス、バス・クラリネット、フルート、1928-1964)は20代初めにはロサンゼルス在郷中のチャールズ・ミンガス(ベース、バンドリーダー、1922-1979)と親交があり、ジャズに理解のある裕福な家庭で自宅の庭に練習スタジオを持っており友人知人に広く開放していて、親切で気さくな性格から顔も広くロサンゼルスのアマチュア・ジャズ界で名物男となり、クリフォード・ブラウンとマックス・ローチがロサンゼルスで新バンドを旗揚げした際のオーディションもミンガスの紹介によりドルフィー宅のスタジオで行われたほどでしたが、ドルフィー自身のプロ・デビューは元ジェリー・マリガン・カルテットのドラマーによる、チコ・ハミルトン(1921-2013)・クインテットの木管奏者の座を、先輩奏者バディ・コレット(1921-2010)から引き継いだ1958年になりました。ドルフィーの参加アルバムは糖尿病の悪化による心臓発作でヨーロッパを単身巡業中にベルリンで客死する'64年6月までに120枚以上におよび、そのうち30枚がドルフィー自身のリーダーによるアルバムですが、生前に発売されたリーダー作は5枚きりでやはり生前発売された他のアーティストへの参加アルバムも10枚に満たず、自他ともに合わせて120枚以上の参加アルバム中100枚以上が歿後発表という、同時代のリスナーには生前にはほとんど真価を知られずに亡くなった人です。
このブッカー・リトル(トランペット、1938-1961)とのWリーダー・クインテットのライヴ・アルバムはつい前月の'61年6月25日にジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で収録されたビル・エヴァンス・トリオの『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz For Debby』に匹敵する'60年代初頭のジャズのライヴ・アルバムの金字塔で、ひと晩のライヴから9曲・10テイクが録音されドルフィー生前に『Volume 1.』が発売されましたが、これは'61年10月に腎臓病で急逝したブッカー・リトル(享年23歳)の追悼企画としての話題性によるものでした。『Waltz For Debby』もベーシストのスコット・ラファロ(1936-1961)がライヴ録音の10日後(7月6日)に自動車事故で享年25歳で急逝してしまったのですが、ドルフィーはラファロとはオーネット・コールマンのアルバム『Free Jazz』とジョン・ルイスのアルバム『Jazz Abstraction』(ともに'60年12月録音)で共演していますし、エヴァンスとは『Jazz Abstraction』とオリヴァー・ネルソンの『The Blues And The Abstract Truth』('61年2月録音)で共演しています。また『Jazz Abstraction』に参加したギタリストのジム・ホール(1930-2013)はその後しばしばエヴァンスと共演しますが初代チコ・ハミルトン・クインテットのギターを勤めており、黒人ジャズマンの精鋭、白人ジャズマンの精鋭としてミュージシャンの中ではこの人たちは近い位置にいたのです。このドルフィーのライヴはラファロの事故死からわずか10日後と思うと感慨深いものがあります。
ロサンゼルス時代の友人オーネット・コールマン(1930-2015)の成功に刺激されてロサンゼルスのチコ・ハミルトンのバンドを脱退しニューヨークにやってきたドルフィーは、旧知のチャールズ・ミンガスのバンドと、いち早く移住後のドルフィーに注目したMJQのジョン・ルイス(1920-2001)のジャズ・オーケストラ、またオーネット・コールマン経由でドルフィーに注目したジョン・コルトレーンのバンドをかけ持ちし、またお呼びのかかったセッションにはどしどし参加しました。こうしたかけ持ち可能だったのはドルフィー自身がリーダーになったバンドで客を呼べるにはいたらず、初めてドルフィーがマックス・ローチ・クインテットのトランペット奏者ブッカー・リトルとのWリーダー名義で2週間クラブ出演したのは'61年7月と遅く、ルイスのジャズ・オーケストラはスタジオ録音バンドで、ミンガスのバンドはスタジオ録音の仕事しかなかった(ミンガスはライヴをやる気がありましたが、演奏中の会話飲食禁止という条件で出してくれるジャズクラブがなかった)ためでした。ミンガスとコルトレーンはおたがいの音楽を嫌いあっていましたがどちらもドルフィーの才能を求めたのは面白い現象です。コルトレーンはマイルス・デイヴィスのバンドから独立した直後でライヴも非常に活発に行い、コルトレーンのバンドでドルフィーも'61年秋のヨーロッパ・ツアーに出ています。そのヨーロッパ・ツアー中にブッカー・リトル逝去の報が届いたのでした。
2週間しか活動しなかったバンドというのがジャズ史上の損失に感じられるほどドルフィー、リトル、マル・ウォルドロン(ピアノ、1925-2002)、リチャード・デイヴィス(ベース、1930-)、エド・ブラックウェル(ドラムス、1929-1992)のこのクインテットは一体感の感じられる素晴らしいバンドでした。ウォルドロンはジャッキー・マクリーン(1931-2006)と同期にミンガスのバンドに在籍経験があり、ドルフィーがチャーリー・パーカーと並んでもっとも尊敬していたビリー・ホリデイの晩年3年間の専属ピアニストでした。リチャード・デイヴィスはサラ・ヴォーンの専属ピアニストを勤めながら同世代の精鋭ジャズマンのアルバムに積極的に参加し、ドルフィー移住後に真っ先に親友になったベーシストです。エド・ブラックウェルはロサンゼルス時代からの旧知でアマチュア時代からオーネット・コールマンのバンドのドラマーをビリー・ヒギンズと分け合い、先に上京したビリー・ヒギンズが売れっ子ドラマーになった頃にようやくロサンゼルスから移住してきてヒギンズの後を継ぎました。リトルはクリフォード・ブラウンの事故死後にパーカーのバンド以来の旧知のケニー・ドーハムにトランペットを頼んでいたマックス・ローチが喜んで迎えた新進気鋭のトランペット奏者で、ドルフィーとリトルの共演は喧嘩友達のミンガスとローチの弟子同士が組んだようなものでもあり、人脈的にも音楽性も気の合うメンバーがばっちり揃ったわけです。ライヴ録音された9曲(ドルフィーのオリジナル曲2曲、リトル3曲、ウォルドロン2曲、スタンダード2曲)・10テイクはLP片面1曲の長い演奏も多いため4枚のアルバムに分けて発売されましたが、やはり『Volume 1.』がもっとも充実した選曲です。
はっきり言ってこれは完璧な演奏ではありません。パーカーとディジー・ガレスピーのコンビネーションを思い切りデフォルメしたようなドルフィーとリトルも突拍子もないテクニシャンなのですが、一発勝負のライヴ録音でもあってところどころ音を外しています。ドルフィーのソロの2コーラス目からリトルが副旋律をアドリブしますが音程ばかりか撥音にすらミスが目立ちますし、作曲者なのにマル・ウォルドロンは全然ソロが弾けていません。ただしこれはピアノに原因があって明らかにまともに調律されていない問題があり音割れまで起こっているので弾くに弾けなかったのでしょう。ブラックウェルのドラムスはよく歌っているのですがピアノと格闘するウォルドロンともどもリズムに揺れがあり、ベースのデイヴィスがどうにか正確なリズム・キープを保っています。またセットリストもあらかじめ決めておらず1曲ごとに演奏の調子で次の曲を選んでいたようで、2週間毎晩演奏する以外にリハーサルする余裕などなかったのでしょう。演奏が始まる前にウォルドロンがテーマ・メロディーの冒頭2小節を弾いているのにご注意ください。そうした万全の条件ではなかったライヴでありメンバー5人ともベストとは言えない演奏にもかかわらず、これはこの5人でしかできない、この時だけの刹那の美しさの閃く名演になっています。それはこの曲「Fire Waltz」が初録音された、ファイヴ・スポットのライヴから20日前にマル・ウォルドロンのアルバムにドルフィーとやはり元ミンガス・バンドのテナー奏者ブッカー・アーヴィン(1930-1970)を迎えたスタジオ録音ヴァージョンの平坦な出来と聴き較べれば一目瞭然です。このスタジオ・ヴァージョンだって実力あるメンバーが集まっていますが(ロン・カーターのチェロはなくもがなですが)、ドルフィー&リトル・クインテットのような一体化した燃焼感は求めるべくもありません。名曲も演奏によって生きもすれば生きずに終わることもあるというのは、こういう例があるからです。
Mal Waldron With Eric Dolphy And Booker Ervin - Fire Waltz (from the album "The Quest", New Jazz NJLP 8296, 1962) : https://youtu.be/2Bdszj1PYQ0 - 7:56
Recorded at The Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey, June 27, 1961
[ Personnel ]
Mal Waldron (p), Eric Dolphy (as), Booker Little (ts), Ron Carter (cel), Joe Benjamin (b), Charlie Persip (ds)