『北北西に進路を取れ』North by Northwest (米MGM'59)*136min, Technicolor; 日本公開昭和34年(1959年)9月26日、昭和59年(1984年)11月/アカデミー賞脚本賞・美術賞(カラー部門)・撮影賞ノミネート、アメリカ探偵作家クラブ賞映画脚本部門受賞
○あらすじ(同上) 広告代理業者ロジャー・ソーンヒル(ケーリー・グラント)は、ニューヨークのホテルから無理やり2人の男に連れ出された。給仕がキャプランという男を呼びだしていた時、電話に立ち上がったので、間違えられたのだ。海の近くの邸宅で、主人のタウンゼントと称する男(ジェームズ・メイスン)は"仕事"への協力を強いた。断ると、彼を泥酔させ、車のまま海へ突き落とそうとした。危く逃れたが、パトロールカーに酔っぱらい運転で捕まった。翌日の裁判では、彼の母からまで信用されなかった。例の邸宅の夫人は、彼をパーティに招いたと証言した。罰金刑。――ロジャーは国連総会に出席中と夫人がいったタウンゼント氏に会いに行った。氏は昨夜の男と違っていた。こちらが本物だ。くわしくきこうとした時、氏は背中に短剣を受けて倒れた。例の2人組の仕業だ。ロジャーが犯人とされた。彼はシカゴのホテルへ移ったキャプランを追って、急行に乗った。美人の乗客が追手をかわしてくれた。女(エヴァ・マリー・セイント)はイーブ・ケンドルと名乗った。2人はひかれ、車室で恋の夜が過ぎた。彼女は偽タウンゼントの手下だ。シカゴに着くと、一味は彼女にロジャーを郊外へおびき出させた。――野原の真ん中で、彼は飛行機に追い回された。――キャプランはすでに南ダコタのラピッドシティに移っていた。ロジャーはイーブを追って、ノース・ミシガンの画廊へ行く。彼女のそばの偽タウンゼントは小さな彫刻を落札した。バンダムと呼ばれた。ロジャーは2人をののしった。せりをかき乱すことで、警官を呼び、やっと逃げだすが、車は空港へ向かう。連邦警察の「教授」(レオ・G・キャロル)と呼ばれる男が委細を話してくれた。キャプランは、バンダムのそばにいる本物のスパイから注意をそらすための架空のスパイだった。ロジャーの画廊での行為が、本物のスパイをうたがわせたのだ。――ラシュモア山の岩壁にはワシントンら偉人の顔が刻まれている。ふもとの食堂で、教授のいうまま、ロジャーはイーブに空弾で射殺される芝居を打った。彼女が本物のスパイなのだ。が、彼女が使命のために、バンダムについて北北西へ向けて飛び立つことを知ると、ロジャーは病院を抜け、バンダムの山荘に忍びこんだ。彼の部下が空弾のトリックを知り、イーブは海の上空で突き落とされることになった。ロジャーはやっと彼女に連絡をつけた。飛行機が着いた時、彼は女中にピストルをかざされていた。銃声で一同がふり向いたすきに、イーブは秘密のマイクロフィルム入りの例の彫刻を奪い、ロジャーが逃げてきた車に乗りこんだ。女中のピストルはイーブの空弾入りのものだった。ラシュモアの岩壁を2人は逃げ回った。教授と警官隊が危機一髪を救った。悪人たちは皆墜落して果てた。――2人は例の急行でニューヨークへハネムーンに向かった。
混同されがちですが、プロット(結構・構造)とストーリー(筋書き、物語)は次元が異なるもので、プロットというのは要するに因果関係です。本作にも明確なプロットはあり、無関係な男が間違われてスパイの抗争に巻き込まれ、敵国のスパイを倒して協力者のヒロインと結ばれる。これがプロットとすれば、ストーリーとは連続性のあるエピソードの集積であって、物語という文字どおり何がどうなってこうなって、とつながっていくもので、ストーリー自体はプロットと無関係にもいくらでも寄り道できるものです。『三十九夜』でもヒッチコックは脚本家とプロットは度外視して面白い場面ばかりのアイディアを出し合ってシナリオにまとめたと語っていましたが、本作では『三十九夜』どころではない無茶苦茶なことになっている。酒酔い運転事故死のためにウィスキーを1本飲まされながらも振り切って逃げるわ、警察に保護されてひと安心と思いきや拉致誘拐が信用されないわ、その上『三十九夜』では宿を貸してやった女スパイが主人公の寝ているうちに刺殺されますが、本作では国連ビルのロビーで会話中にナイフ投げです。謎の美女がなぜか助けてくれて教えられるとあたり一面何もないフリーウェイにおびき出されてプロペラ機に襲撃されるわ、女も敵の一味だったかと行方を追うと敵のボスと骨董品の競売に出ているわ、ここで頭の変な客を装って警官に連れられて危機一髪を逃れるついでにボスの本名を知るわ、と連続してこそあれ各エピソードがいちいち奇抜なシチュエーションである必然性は何もない。いわばストーリー自体はいくらでも交換可能なエピソードばかりでプロットだけが進行していればいい、という作りです。『裏窓』『泥棒成金』『知りすぎていた男』『めまい』、また次の『サイコ』などの名作傑作佳作ではエピソードが必ずプロットと対応する伏線を含むという正統的な作劇法のシナリオになっている。それに対して本作は次から次へと面白い場面ばかりが続くので観ているうちは気がつきませんが、観客は今観ている場面がプロットのどの辺りなのかも実はよくわからないまま映画に引っ張られているわけです。その点で本作はジョン・フォードやウィリアム・ワイラーの映画よりラオール・ウォルシュやハワード・ホークスの映画に近い発想で作られていると言って良いでしょう。ヒッチコックがかっちりした映画と着崩した映画の両方に振れる監督なのは完全主義者のイメージが強いだけに意外ですが、ヒッチコック(本人は認めませんが)の師匠に当たるフリッツ・ラングは完全主義者であることを諦めた石頭のガミガミ親父でしたからやたらと完成度の高い映画と投げやりでずぼらな映画の両方を撮り、どちらの場合でもラングらしい演出のクセだけはある喰えない監督でした。
ヒッチコックはラングよりずっと意志的で計算高いのでこれが何が何だかやけに景気ばかり良いシナリオなのは先刻承知で、本作のような巻き込まれ型冤罪逃走サスペンス映画の場合には観客の意識はプロットを自動生成するだろうからいくらでも遊びが利くことを見越していたでしょう。そういうサスペンス映画のパターンを生み出したのもヒッチコック本人ですから観客の期待値もほぼ見当がつく。ひょっとしたら本作のプリプロダクション時点で封切り前の『めまい』の興行的不発も予感していたかもしれません。『めまい』は『めまい』で構想通りに仕上げたものの、観客がヒッチコック映画に求める種類のサスペンスとはズレてしまった作品になっていたので、時代が下るにつれヒッチコック観も広くなりヒッチコック映画の本流以外の大きな見方から観られるようになったのが近年の再評価の理由でしょう。『めまい』の場合1996年に全面的なリストア修復版が作られ映像ソフト化されたのも大きく、その反響から『北北西に~』『サイコ』も2000年、『裏窓』も2002年、『鳥』も2004年といった具合に本格的なリストア版が上映用・映像ソフト用に作られています。ともあれ『北北西~』の場合何を投げ込んでも前後の流れにさえはまれば観客にはそのまま受け入れられてしまう便利な器がプロット自体にあったので、ヒッチコックはいくらでも波乱万丈奇想天外を盛り込むことができました。集大成だから出来ることでもありこれまでヒッチコックが本作を観客に受け入れられるだけの逃走型サスペンス映画を散々作ってきたからで、そうした下地なしにいきなり本作が世に現れることは考えられませんし、ヒッチコックが自分自身の業績のもとに本作を成功させることができたように後続のサスペンス映画はヒッチコック映画の恩恵を受けて存在しているとも言えます。もっともヒッチコック自身が『マーニー』'64ないし『引き裂かれたカーテン』'66あたりから往年のヒッチコック自身の作品を引き合いに出されて演出力の衰退を指摘されたように、後続のサスペンス映画の監督たちもヒッチコックとの比較という不利があったのですが、次第にヒッチコック映画は全般よりも作品単位で語られるようになっているので『裏窓』『めまい』『サイコ』などには有利ですが、本作のような『三十九夜』~『第3逃亡者』~『逃走迷路』~『泥棒成金』の流れ、という具合にヒッチコック映画監督史を前提にして成り立っている作品は説得力の点でやや強引に観られてしまうかもしれない恐れもあります。『北北西に~』に関して言えば、それで損なのは新たな観客の方だと言えるのではないでしょうか。ちなみにヒッチコックの女優の好みはかなり偏っていて、本作のエヴァ・マリー・セイントは昔観た時惚れぼれしましたが、毎日ヒッチコック映画を観ているとシニヨンにしたブロンド美人にも少し食傷してきました。これはヒッチコック一気見などしているこちらに非があるので、毎年1作ヒッチコックの新作を待ちわびて観ていた当時の観客にはヒロイン女優も大きな楽しみだったでしょう。そこが『サイコ』の奇手につながっていくわけです。
●1月21日(日)
『サイコ』Psycho (米パラマウント'60)*108min, B/W; 日本公開昭和35年(1960年)9月17日/アカデミー賞監督賞・助演女優賞(ジャネット・リー)・撮影賞(白黒部門)・美術賞(白黒部門)、全米監督協会賞ノミネート、ゴールデングローブ賞助演女優賞(ジャネット・リー)・アメリカ探偵作家クラブ賞映画脚本部門受賞
○あらすじ(同上) アリゾナ州の小さな町ファーベル。そこの不動産会社に勤めているマリオン・クレーン(ジャネット・リー)は隣町で雑貨屋をひらいているサム・ルーミス(ジョン・ギャビン)と婚約していたが、サムが別れた妻に多額の慰謝料を支払っているために結婚できないでいた。土曜の午後、銀行に会社の金4万ドルを収めに行ったマリオンは、この金があればサムと結婚できるという考えに負けて隣町へ車で逃げた。夜になって雨が降って来たので郊外の旧街道にあるモーテルに宿を求めたマリオンは、モーテルを経営するノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)に食事を誘われた。ノーマンは母親と2人でモーテルに接続している古めかしい邸宅に住んでいて、頭が良く神経質で母親の影響を強くうけていた。ノーマンが1号室にマリオンを訪れた時、彼女は浴槽の中で血まみれになって死んでいた。ノーマンは殺人狂の母親の仕業と見て4万ドルともどもに裏の沼に沈めた。会社では、月曜になって銀行に4万ドルが入ってないのを知り私立探偵アーボガスト(マーティン・バスサム)にマリオンの足取りを洗わせていた。マリオンの姉ライラ(ヴェラ・マイルズ)は妹がサムの家に行ったと思いサムを尋ねてきた。そこへ探偵のミルトンもやってきた。2人ともサムの家にマリオンがやってきていないことを知った。アーボガストはファーベル町とサムの家の間にモーテルがあることを知り、それを調べに出た。そこでマリオンが確かにモーテルに寄ったということを知った。これから母親と会うという電話がアボガストからサムにかけられてきた。そしてアーボガストは消息を絶った。アーボガストの連絡を待つサムとライラの2人は町のシェリフ・チェンバース(ジョン・マッキンタイア)を訪れ意外なことを聞かされた。ノーマンの母親は10年前に死んでこの世にはいないこと。だが、マリオンが見た母親、アーボガストが電話で伝えた母親は――2人はモーテルに馳けつけた。サムがノーマンをフロントに引き寄せておく作戦に、ライラはモーテルから屋敷へと忍び込んだ。そうして地下室で見たものは女の服を着たミイラであり、後ろから襲いかかった老婆は――。
正確にはふたり、と言ってもよく、助演(実質的に主演)女優のジャネット・リーはMGMの看板スターで'40年代末から活躍し、やはりスター俳優のトニー・カーティスと結婚して'50年代のトップ・スターのひとりでした。カーティスとの離婚が'62年ですから本作への出演はカムバック的なものでもありました。映画の前半はOLのジャネット・リーが会社の金を持ち逃げしてひなびた旧道のベイツ・モーテルに泊まり、モーテルの青年主人ノーマン・ベイツと出会うまでを克明に追っていきます。パトロール中の警官がみんな自分を追っているように見えるリーの焦燥感をヒッチコックは巧みに描いており、テレビの「ヒッチコック劇場」のスタッフを起用してB/W映画にしたのも絢爛な映画らしい映画とは違う、日常的なサスペンスを感じさせる効果を上げています。本作がホラー映画の様相を帯びてくるのはリーがモーテルを上がったベイツ邸からパーキンスが気の狂ったような母親の声を聞くあたりからですが、その前にモーテルの事務所隣の1号室に泊まったリーを壁にかけた絵で隠した穴からパーキンスが覗き見る場面で、すでに痩せ型で繊細な感じのパーキンスへの疑惑が観客には生じています。パーキンスはサンドイッチと飲み物を持って館から戻り、母親が女客だというだけでおかしくなるので、とモーテルの応接間で食事することになる。パーキンスは応接間がくつろげる場所と自慢気なのですが、いろいろな鳥の剥製が飾ってあり食事しながら自分の鳥の剥製の趣味を得々と語るあたりで完全にパーキンスが物静かにいかれている青年なのが明らかになります。こうした一連のパーキンスとリーだけの場面も一見日常的でいて異常なものが潜んでいる様子をシンプルな演出で無駄なく的確に、また両者の演技も映画くさくない地味に抑えたものでリーがベイツ・モーテルに着いてからは映画内の時間進行と映画の時間経過がほぼ一致するように省略なしに緊張感を持続させており、一触即発の雰囲気が高まっていきます。本作は初公開時に上映中の入場禁止、観た後決して他人に映画の結末を話さないことを観覧条件にして話題を呼びました。ヒッチコックは利益を出すため本作では自分のプロダクションで配給まで手配したので、製作体制や企画内容まで含めたヒッチコック自身のプロデュースはほとんど個人映画と言ってよく、5年目に入ったテレビの「ヒッチコック劇場」でやってきたことの集大成でもあったでしょう。食事のシーンに続いてジャネット・リーは部屋に戻り、盗んだ金を返す決意をして使った金額との差額を計算し、それから映画史上もっとも有名なシャワー・シーンになります。このシャワー・シーンがそれまでの大スター女優リーのキャリアをすべてひっくり返してしまうような、「たった45秒のシーンにカメラ・ポジションを70回も変えて、撮影に7日間かかった」(ヒッチコック談、『映画術』)映画史上最高の悪魔的モンタージュで描かれたシーンになるのです。
それからパーキンスがやってきて黙々と後かたづけをすることになるのですが、それから行方不明のリーを探しに姉のヴェラ・マイルズがリーの恋人のジャン・ギャビンの店を訪ねて後半の展開になるまで、映画の前半は冒頭のリーとギャビンの逢い引き、リーの勤めるオフィスから後は夜逃げ支度してひたすら車で逃走するリーがパトロールの警官に停められる、車を中古車屋で買い換える、といった程度でモーテル到着までほとんど台詞がない。音楽がアクセント的に入る程度です。またモーテルでもリーひとり、パーキンスひとりのシーンでは当然台詞はない。モーテルに着いてからは音楽もなくなります。そのくらい静けさを強調しているので、『泥棒成金』や『知りすぎていた男』『めまい』『北北西に~』のようにタイプこそ異なれロマンティックな作品群とはまったく違う異様なムードがかもしだされる。B/W撮影にしてもカラー作品が増えてきてからの『私は告白する』や『間違われた男』のようなB/W作品の効果とは違う。夢には色がないと言われますが悪夢的な『めまい』には錯乱的な色彩効果がどうしても必要でした。それに闇=黒はB/Wよりもカラーの中でこそ強く、B/Wでは逆に白がもっとも強い色です。シャワールームの壁やカーテンの白がここでは生きるので、悪夢を正当に描いてB/Wになった本作のほうが『めまい』よりまっとうという見方もできます。またヒッチコックは本作の特大ヒット(『北北西に~』の1/5の製作費80万ドル、興行収入は『北北西に~』の3倍近い5,000万ドル!)に「観客の反響を得てこそ映画は完成するんだ」と誇っています。前述の通りサスペンス・スリラーとしても本作は新機軸でしたし(推理小説ではヘレン・ユースティスのアメリカ探偵作家クラブ処女長編賞受賞作『水平線の男』'47が本作の犯人設定に先駆をつけていましたが)、従来のニューロティック・スリラーとも違ってホラー要素も兼ねた本作からさらにヒッチコックは次作『鳥』'63で画期的なパニック映画の古典的傑作に進みます。しかしヒッチコックも60代になり、3年もの間が空いたのは本作の大ヒットでひと息つきたかったのでしょう。さて、なんとか(いわゆる)ネタバレせずに『北北西に~』『サイコ』をご紹介できたでしょうか。どうかなあ。