ローランド・カーク Roland Kirk - ドミノ Domino (Don Raye, Jacques Plante, Louis Ferrari) (from the album "Domino", Mercury Records SR 60748, 1962) : https://youtu.be/09sS1lMHql4 - 3:11
Recorded in Chicago, Illinois, September 6, 1962
Released by Mercury Records SR 60748, 1962
[ Roland Kirk Quartet ]
Roland Kirk - flute, tenor sax, vocals, stritch, manzello, nose flute, siren
Andrew Hill - piano, celeste
Vernon Martin - bass
Henry Duncan - drums
ユーゼフ・ラティーフ(1920-2013)の「スパルタカス愛のテーマ」はジョン・コルトレーン(1926-1967)の「マイ・フェヴァリット・シングス」に触発されたと時期的にも人脈的にも推察されますが(ラティーフとコルトレーンはこの頃から黒人文化研究家オラトゥンジの熱心な後援者で、オラトゥンジのアフリカ文化センターはラティーフとコルトレーンの尽力によって設立が実現することになります)、「マイ・フェヴァリット・シングス」と「スパルタカス愛のテーマ」にともにヒントを得たと思われるポップス曲のジャズ化の名演がローランド・カーク(のちラサーン・ローランド・カークと改名、1935or1936-1977)の「ドミノ」です。ちなみにコルトレーンは「マイ・フェヴァリット・シングス」のアレンジをコルトレーンも参加した元ボスのマイルス・デイヴィスの「いつか王子様が」'61のセッションから温めていたと思われます。「いつか王子様が」「マイ・フェヴァリット・シングス」「スパルタカス愛のテーマ」「ドミノ」はいずれもワルツ・テンポのポップス曲のジャズ・アレンジで、ジャズではワルツ・テンポはそれまでめったに使われないリズム・パターンでした。
盲目のマルチ楽器奏者カークは弱冠19歳でデビュー・アルバムを発表し、メイン楽器はテナーサックスでしたがフルートを口でも鼻でも吹くことができ、またアルトサックスを片手で演奏できるように改造したストリッチ、同様にソプラノサックスを改造したマンゼロを使ってテナーサックス、ストリッチ、マンゼロ、フルートの同時四重奏もできるという驚異的な奏者でした。日本では影響力の強いジャズ雑誌が興味本位で売り出そうとしたためかえって批評家やリスナーの反感を買い生前には評価を得られませんでしたが、コールマン・ホーキンス~レスター・ヤング~チャーリー・パーカーの系譜に連なる黒人サックス奏者の正統を真剣に学んでラティーフやソニー・ロリンズ、コルトレーンに傾倒する気鋭のサックス奏者でした。前記のような特殊奏法のため演奏は強い個性が表れたものでカーク自身がオーネット・コールマンとの親近性を認めていますし、没後にはアルバート・アイラーのアプローチと比較される評価も多くなりました。1950年のポップスの世界的ヒット曲「ドミノ」はアメリカではトニー・マーティンの歌唱版でヒットしましたが、ジャズ・カヴァーでは取り上げられてこなかった曲でした。テナーがメイン楽器のコルトレーンがソプラノサックスで「マイ・フェヴァリット・シングス」を吹き、ラティーフがオーボエで「スパルタカス愛のテーマ」を吹いたのと同様カークも「ドミノ」ではテーマ吹奏をフルートで演奏しています。カークのヴァージョンがあまりに決まりすぎているため「ドミノ」はジャズ・スタンダードになるまで広く取り上げられる曲にはなりませんでしたが、カークは以後同時代ポップスのジャズ・カヴァーで次々と名演を生み出していくことになります。それらも順次ご紹介していきたいと思います。
Recorded in Chicago, Illinois, September 6, 1962
Released by Mercury Records SR 60748, 1962
[ Roland Kirk Quartet ]
Roland Kirk - flute, tenor sax, vocals, stritch, manzello, nose flute, siren
Andrew Hill - piano, celeste
Vernon Martin - bass
Henry Duncan - drums
ユーゼフ・ラティーフ(1920-2013)の「スパルタカス愛のテーマ」はジョン・コルトレーン(1926-1967)の「マイ・フェヴァリット・シングス」に触発されたと時期的にも人脈的にも推察されますが(ラティーフとコルトレーンはこの頃から黒人文化研究家オラトゥンジの熱心な後援者で、オラトゥンジのアフリカ文化センターはラティーフとコルトレーンの尽力によって設立が実現することになります)、「マイ・フェヴァリット・シングス」と「スパルタカス愛のテーマ」にともにヒントを得たと思われるポップス曲のジャズ化の名演がローランド・カーク(のちラサーン・ローランド・カークと改名、1935or1936-1977)の「ドミノ」です。ちなみにコルトレーンは「マイ・フェヴァリット・シングス」のアレンジをコルトレーンも参加した元ボスのマイルス・デイヴィスの「いつか王子様が」'61のセッションから温めていたと思われます。「いつか王子様が」「マイ・フェヴァリット・シングス」「スパルタカス愛のテーマ」「ドミノ」はいずれもワルツ・テンポのポップス曲のジャズ・アレンジで、ジャズではワルツ・テンポはそれまでめったに使われないリズム・パターンでした。
盲目のマルチ楽器奏者カークは弱冠19歳でデビュー・アルバムを発表し、メイン楽器はテナーサックスでしたがフルートを口でも鼻でも吹くことができ、またアルトサックスを片手で演奏できるように改造したストリッチ、同様にソプラノサックスを改造したマンゼロを使ってテナーサックス、ストリッチ、マンゼロ、フルートの同時四重奏もできるという驚異的な奏者でした。日本では影響力の強いジャズ雑誌が興味本位で売り出そうとしたためかえって批評家やリスナーの反感を買い生前には評価を得られませんでしたが、コールマン・ホーキンス~レスター・ヤング~チャーリー・パーカーの系譜に連なる黒人サックス奏者の正統を真剣に学んでラティーフやソニー・ロリンズ、コルトレーンに傾倒する気鋭のサックス奏者でした。前記のような特殊奏法のため演奏は強い個性が表れたものでカーク自身がオーネット・コールマンとの親近性を認めていますし、没後にはアルバート・アイラーのアプローチと比較される評価も多くなりました。1950年のポップスの世界的ヒット曲「ドミノ」はアメリカではトニー・マーティンの歌唱版でヒットしましたが、ジャズ・カヴァーでは取り上げられてこなかった曲でした。テナーがメイン楽器のコルトレーンがソプラノサックスで「マイ・フェヴァリット・シングス」を吹き、ラティーフがオーボエで「スパルタカス愛のテーマ」を吹いたのと同様カークも「ドミノ」ではテーマ吹奏をフルートで演奏しています。カークのヴァージョンがあまりに決まりすぎているため「ドミノ」はジャズ・スタンダードになるまで広く取り上げられる曲にはなりませんでしたが、カークは以後同時代ポップスのジャズ・カヴァーで次々と名演を生み出していくことになります。それらも順次ご紹介していきたいと思います。