Recorded at American Recording Company, Studio City, Los Angeles in May-July 1970
Released by ATCO Records SD33-339, August 13, 1970 / US#16(Billboard)
Produced by Richard Podolor
All tracks written by the 5 men in the band, except where noted.
(Side One)
1. Free Flight - 0:40
2. New Day - 3:08
3. Shady Lady (lyrics - Robert Woods Edmonson) - 3:50
4. Best Years of Our Life - 3:55
5. Slower Than Guns" (lyrics - Robert Woods Edmonson) - 3:37
6. Stone Believer - 5:20
(Side Two)
1. Soldier in Our Town (lyrics - Robert Woods Edmonson) - 3:10
2. Easy Rider (Let the Wind Pay the Way) (lyrics - Robert Woods Edmonson) - 3:06
3. Butterfly Bleu - 14:03
[ Iron Butterfly ]
Doug Ingle - organ, lead vocals (A2, A3, A5, A6, B1, B2)
Lee Dorman - bass
Ron Bushy - drums
[ Additional musicians ]
Mike Pinera - guitar, lead vocals (A2, A4, A6, B3)
Larry "Rhino" Reinhardt - guitar
Richard Podolor - sitar, twelve-string guitar
Bill Cooper - twelve-string guitar
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(Original ATCO "Metamorphosis" LP Liner Cover)
ピネラのヴォーカルはダグ・イングルの唱法に似せてあり、またイングルもピネラを意識した歌い方をしているので2リード・ヴォーカル違和感がなくライヴ映像を観ないと1曲の中で交互に歌い分けているのがわからないほどです。ピネラとライノの2ギターの絡みも完璧でこれ以上のものはデヴィッド・ボウイの『Station To Station』'76のカルロス・アロマーとアール・スリック、マイルス・デイヴィスの『Agharta』『Pangaea』'75のピート・コージーとレジー・ルーカス、オールマン・ブラザース・バンドのデュアン・オールマンとディッキー・ベッツの2ギター・アンサンブルくらいしか思いつきませんが、ゴーハム&ロバートソン時代のシン・リジィ、ムーディー&マースデン時代のホワイトスネイク、またグレイトフル・デッドやウィッシュボーン・アッシュ、テレヴィジョンらに匹敵するものでしょう。時代的にも人脈的にもピネラ&ライノが意識していたのはオールマン・ブラザース・バンドだと思いますが、オールマンは夭逝のギタリスト、デュアンばかりが伝説化しているもののバンドの総合力の高さ自体が卓越しているので、デュアンの弟のヴォーカル&キーボードのグレッグ作の代表曲「Dreams」「Whipping Post」に劣らない人気曲で名曲「In Memory of Elizabeth Reed」はベッツ作曲ですし、デュアンとベッツが一糸乱れないギター・アンサンブルを披露していた当時のオールマンはデッドやザッパすら凌ぎ、ストーンズと並んでロック史上最高の高い音楽性と実力を誇るバンドでした。オールマンに較べればツェッペリンやパープル、イエスやクリムゾンなど大人と子供の差があります。
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(Original ATCO "Metamorphosis" LP Gatefold Inner Cover & Side One Label)
しかもこの、ピネラ大活躍のアルバム最大のハイライト曲「Butterfly Bleu」にはバタフライの本来のリーダー、ダグ・イングルの見せ場はまったくなく、本作ではこれまでのように単一のオルガン(ファルファッサ社かヴォックス社の電気オルガンで、ハモンド社の電気オルガンではないでしょう)だけではなく数社の電気オルガン、電気ピアノを同時使用していますが、Atco時代のオリジナル・バタフライのアルバム5作でイングルがもっとも生彩に欠けるのも本作なのです。イングルはバタフライ解散後、リーダーだったにもかかわらずメンバーのうち唯一ほとんど音楽活動から身を退いてしまい、本作直後のバタフライのラスト・ツアーがヨーロッパ諸国で好評だったことから10年後の1979年~1981年に『Metamorphosis』のメンバー(ただしツアー直前ドーマンの尊父が急逝して喪主を務めたためベースは新メンバー)でヨーロッパ巡業の再結成ツアーが行われた折に参加した程度でした。バタフライがブランとビュッシーによって'75年に再結成、アルバム2作を制作した時もドーマンはキャプテン・ビヨンドがあり不参加でしたが、特に音楽活動をしていなかったイングルもブランとビュッシーの再結成バタフライには参加しなかったのです。イングルはカリスマはおろかオリジナリティ、テクニック、イマジネーションのいずれにも限界のあるミュージシャンでしたが、イングルのぎこちない不器用さこそがバタフライの個性でした。それはピネラとライノというスーパー・ギタリストを迎えて優れたロック・アルバムの制作には成功しましたが、バタフライの個性は霧消してしまったことにも表れているのです。