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映画日記2017年11月22日~24日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(9)

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 ラオール・ウォルシュの監督作品紹介と感想文は今回でひと区切り、1953年度の『限りなき追跡』(コロンビア、3D作品、本国11月公開)、『決斗!一対三』(ユニヴァーサル、1月公開)、『海賊船シー・デビル号の冒険』(英米合作、RKO、英4月・米5月公開)の3作をお送りします。この年のウォルシュ作品は4作で、日本未公開・映像ソフト未発売の『A Lion Is in the Streets』(ワーナー、9月公開)があり、『限りなき追跡』と『決斗!一対三』の間に入ります。この順序は作品製作順で、実際の公開では『決斗!一対三』(ユニヴァーサル、1月公開)、『海賊船シー・デビル号の冒険』(英米合作、RKO、英4月・米5月公開)、『A Lion Is in the Streets』(ワーナー、9月公開)、『限りなき追跡』(コロンビア、3D作品、本国11月公開)の順になるわけです。『限りなき追跡』が遅れたのは試行時代の3D作品のため配給網の手配に手間取ったのではないかと思われ(ヒッチコック唯一の3D作品『ダイヤルMを廻せ!』が1954年です)、また未見ですがジェームズ・キャグニー、バーバラ・ヘイル主演作『A Lion Is in the Streets』は『オール・ザ・キングスメン』'49との類似が指摘される純真な成り上がり者の腐敗と破滅を描いた作品だそうで、渋い内容から公開時期に慎重が期されたのでしょう。同作を未見なのはつくづく残念ですが、取り上げた'53年の3作はいずれもロック・ハドソン(1925-1985)主演作であり、3作とも異なる映画社の作品ですからハドソン側のプロダクションで企画製作の体制を立ててコロンビア、ユニヴァーサル、RKOに売り込んだものと思われ、いずれもウォルシュ監督作品なのはハドソンを擁するプロダクションと懇意でまとめて3作の監督を請け負ったのでしょう。ハドソンはウォルシュの監督作品では『特攻戦闘機中隊』'48の助演で出演歴がありますが、主演ではこれら'53年の3作きりになります。大ヴェテランがまだまだ新人のハドソンにいかに磨きをかけていったか集中的に観るのも楽しいことなので、今回に限っては公開順ではなく製作順に観てみました。

●11月22日(水)
『限りなき追跡』Gun Fury (コロンビア'53)*82min, Technicolor/3D; 日本公開1954年(昭和29年)2月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「ネバダ決死隊」のアーヴィング・ウォレスとロイ・ハギンスが脚色、「海賊黒ひげ」のラウール・ウォルシュが監督する1953年西部劇、製作はリュイス・J・ラクミル。原作はキャスリン・グレインジャー、ジョージ・グレインジャー、ロバート・グレインジャー合作の小説で、テクニカラー色彩の撮影をレスター・ホワイト、音楽はミッシャ・バカライニコフの担当。主演は「怒りの河」のロック・ハドソン、「七つの海の狼」のドナ・リード、フィル・ケイリー、「楽園に帰る」のロバータ・ヘインズで、以下「乱暴者」のリー・マーヴィン、レオ・ゴードン、ネヴィル・ブランドら。
[ あらすじ ] ベン・ウォレン(ロック・ハドソン)は南北戦争に参加していたが、戦いも終わり、彼の許婚ジェニファー(ドナ・リード)がはるばるテキサスからくるとの報に途中まで出迎えた。しかし彼女ののった駅馬車はスレイトン(フィル・ケイリー)一味に襲われてベンは重傷をおい、ジェニファーは彼らに拉致された。逃亡するうちスレイトンは清純なジェニファーにつよく惹かれ、真人間にかえりたいと思うようになった。一方傷のいえたベンはスレイトンを追い旅に出た。ある時スレイトンはジェニファーのことで弟ジェス(レオ・ゴードン)と衝突し、これをうらみにもったジェスはベンを訪ねてスレイトン復讐の手助けを申し出た。町の人や保安官はスレイトンを恐れてベンに協力を拒んだが、元スレイトンの情婦だったエステラ(ロバータ・ヘインズ)と、スレイトンに妹を殺されたインディアンのジョハシュ(パット・ホーガン)が応援を申し出た。スレイトンはメキシコへ逃げようとしたが酷暑のため次第に疲労し、漸くバラットの町についた。それを聞いたベンは早速のりこもうとしたがエステラが偵察を志願し、スレイトンに近づいてナイフで刺そうとして逆におさえられた。彼女の口からジェスがベンの仲間であるとききスレイトン一味は動揺した。ジェスはピストルの名手なのだ。ジェニファーは両方を和解させようとひそかにベンを訪れたが一方ベンと和解して堅気になろうとするスレイトンもベンを訪れた。彼はそこでジェニファーを見て急に気が変わり、ジェスを射ち、ベンをも狙ったが、ジョハシュの短剣にたおれた。ジェニファーとベンは新生活をめざしてカリフォルニアに向かって出発した。

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 映画は駅馬車内から始まり、この辺でスレイトンという物騒な強盗が野放しになっているそうですね、と乗客たちの噂話が交わされます。やがて突然駅馬車が止まり、乗客のうちの紳士の一人が「おれがそのスレイトンだ」と乗客たちをホールドアップさせ、金品を強奪してヒロインをさらい駅馬車を取り巻いた部下たちに混じって逃げていくのが発端です。主人公のロック・ハドソンは婚約者が拉致されるのを取り返そうとするもあっけなく殴り倒され馬に踏まれて昏倒、強盗たちが去って荒野の闇の中に倒れるハドソンの姿。おお西部劇らしいな、と思うのもつかの間、やおらハドソンはふらりと立ち上がってとぼとぼと歩き出します。本作は万事その調子で、強盗のスレイトン一味(リー・マーヴィンがキャスティングされていますが識別できませんでした)がヒロインのドナ・リードをめぐって仲間割れしていったり、スレイトンからヒロインを奪還するのに徐々に主人公の協力者が集まったりしていくのですが、派手に銃撃されて転がっていた人物が何てことなく起きあがったり、かと思うと明らかに致命傷は負っていないとしか見えない人物がやられてしまっていたり、要するに見せ方と結果が腑に落ちないような締まりのない演出が続出するのです。フィル・ケイリー演じるスレイトンもドナ・リードのヒロインに惚れたというのはわかりますが、リードを逃がそうとした子分を射殺したり、レオ・ゴードン演じる弟分に女に入れあげるのを責められると狙撃して荒野に置き去りにしたり(ところがゴードンは生きていてハドソンに協力を申し出ることになります)、ロバータ・ヘインズ演じる情婦のエステラがリードに妬くとこれもゴードンと同じ目に遭わせたり、ともう滅茶苦茶です。キネマ旬報のあらすじは「逃亡するうちスレイトンは清純なジェニファーにつよく惹かれ、真人間にかえりたいと思うようになった」と書いていますがとてもそうには見えません。結末などは輪をかけており、ケイリーがゴードンを撃ち、ヘインズを撃ち、ハドソンが反撃しようとするも丸腰で、やられるかハドソン、と思うやケイリーはばったり倒れ、インディアン役のパット・ホーガンがナイフ投げで背中からとどめを刺していた、という案配です。ゴードン演じる弟分が仲間や親分も怖れる凄腕ガンマンという設定も台詞だけで、全然腕前を披露する場面はなく、映画に生かされてもいません。とにかく銃撃されようが死ぬほど殴打されようが続きを見ないと生死がわからず、ひょっこり生きていたり当然死んでいたりする上に、結局結末まで見ると主人公のハドソンは何の活躍もせずに、敵味方が殺しあっているうちにヒロインが助かって終わる映画なので、この腰抜け感はつい最近観たばかりだな、とランドルフ・スコット初主演のゼイン・グレイ・シリーズ('32-'34、全10作中7作をヘンリー・ハサウェイが監督)が連想されてなりませんでした。スコットは初主演作から足かけ3年で西部劇の人気作家ゼイン・グレイ原作の映画化作品に10作も主演したのですが("Zane Grey apprenticeship"と呼ばれているように「徒弟時代」の色合いが濃いものです)、もともとの原作がそうなのか新人のスコットに配慮してか、主人公はほとんど活躍しないのに密猟者や強盗団、悪徳牧場主が勝手に暴走し仲間割れして自滅するような話ばかりでした。スコット=ハサウェイのコンビではそれが上手くいっていたのでこういうのもありかな、と説得力があったのですが、ウォルシュもしくはプロデューサーなり脚本家はランドルフ・スコット初期作品に倣ってみたのかどうか、二枚目で長身(195cmだったそうです)ながら腕っぷしは強そうには見えないハドソンをどう西部劇で生かせるかそれなりに考えた結果が本作なのでしょう。ハドソンは活躍しないでやられっぱなし、それでは映画にならないので助演俳優たちを動かしてドラマを作ったところ映画全体が間抜けもはなはだしいものになった。原題は『Gun Fury』とかっこよさそうなのにかっこいいガンファイト・シーンもありません。こういう映画に欠かせないラヴ・シーンも主人公とヒロインが別れっぱなしなので主人公ではなく悪党がヒロインに言い寄る場面で代用している始末です。いちばんかっこいいのはパット・ホーガンのインディアン、というか他にまともに目的をきちんと達成しようとしている人物がいないので、中途半端にうろうろして衝動的に行動に出て殺したり殺されたりしているうちに何も手を打てない主人公とヒロインだけが助かってハッピーエンドを迎えるので、そういう映画だと思えば徹頭徹尾拍子抜けを貫いた作品として一貫性もありますが、これではまったくロック・ハドソンが魅力的に見えないではないかと誰も思わなかったのでしょうか。ドナ・リードは絵になる美女でまだしも西部劇のさらわれ役の役割を果たしている分ましですが、ハドソンはというと敵から寝返った強盗の弟分や情婦、またインディアンに頼りっきりで上手い策略を立てるでもなし、単に婚約者をさらわれた男というだけです。いっそ本作は映画1本使って行われたスクリーン・テストみたいなものと思った方がいいのでしょうか。3D映像の効果を強調したいからかウォルシュらしからぬ主観ショットがあり、やたらとカメラ(つまり観客)に向かって物を投げつけたりします。映画として観るなら、本作は場面が進むごとにこれはないだろうと困惑がつのり、いったいどうやって着地させるものかと不安にさいなまれながら観ていくと、ついに挽回せずに終わってしまうので、観始めてたら最後、結末まで観届けなければ収まらない、妙に気を引く作品です。出来の悪い子ほど可愛いといいますが、出来損ないの不細工さが愛嬌になっている作品というのも創作の分野ではままあることです。見てはいけないものを見た気にさせる芸風、というのもありでしょう。しかしつまりまあ、世の中には上手くいかないこともたくさんあり、ウォルシュほど多産な巨匠であれば時々手を抜いたような作品もあるということです。

●11月23日(木)
『決斗!一対三』The Lawless Breed (ユニヴァーサル'53)*83min, Technicolor; 日本公開1959年(昭和34年)4月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] テキサスに実在した賭博師であり、無法者として知られたウェス・ハーディンの半生記の映画化。彼の書いた自叙伝にもとづいて、ドラマが組みたてられている。ハーディンの自伝から製作者のウィリアム・アランドがオリジナル・ストーリーを書き下ろし、それをバーナード・ゴードンがシナリオに脚色している。監督は「裸者と死者」のラウール・ウォルシュ。撮影は「世界を駈ける恋」のアーヴィング・グラスバーグ、音楽はジョセフ・ガーシェンソン。出演するのは「翼に賭ける命」のロック・ハドソン、「平原の待伏せ」のジュリア・アダムス、「若き獅子たち」のリー・ヴァン・クリーフ、ジョン・マッキンタイア、ジュー・オブライアン、メアリー・キャッスル、ウィリアム・プレン、グレン・ストレンジ、マイケル・アンサラ、デニス・ウィーバー、ボビー・ホイ等。製作ウィリアム・アランド。テクニカラー・スタンダードサイズ。1952年作品。
[ あらすじ ] 1894年3月20日、テキサス州ハンツヴィルの州刑務所から体躯堂々の中年男が出所した。我が家へ帰るため駅へ向かった彼は途中、町の新聞社へ寄り部厚い原稿を編集長に渡した。この男こそ16年前、テキサスを荒し稀代の悪漢として捕えられたジョン・ウェスリー・ハーディング(ロック・ハドソン)だった。編集長に手渡された原稿は彼の半生を物語っていた。ーウェス・ハーディンは1853年、テキサス州ボナムに住む巡回説教師ジョン・G・ハーディン(ジョン・マッキンタイア)の3男として生まれた。兄たちは南北戦争に参加し、長兄は戦死、次兄のジョーは不具となっていた。一家には戦争孤児ジェーン(メアリー・キャッスル)がいたが、ウェスは彼女と相愛の仲だった。しかし生来、気性の激しいウェスは、当時北軍軍政下に圧迫されているテキサスの現状に屈辱を感じ、父に隠れて賭博と拳銃の練習にスリルを求める青年となっていた。が、ある日、拳銃の曲射ちが父に発見され革の鞭で打たれた。反逆の血に燃えたウェスは金を儲けたら迎えにくるとジェーンに言い残して家を飛び出した。町の酒場に現われたウェスは名うての賭博師ガス(マイケル・アンサラ)と争い先に拳銃を抜いたガスを抜き打ちに射殺した。このためガスの兄弟3人に狙われ、町のはずれで牧場を営む叔父のジョン・クレメンツ(ジョン・マッキンタイア、二役)の家に逃れた。クレメンツはウェスの父と違い太っ腹の男で、彼を北軍の捜索隊から守るためアビリーンへ向かう牛の群を追って行く仲間に加えた。一方、この噂を聞いて例の3人兄弟はアビリーンにウェスを待ち伏せたが、対決の結果はウェスの勝利となった。その後のウェスは賭博で金を儲け、ジェーンを迎えにボナムに引き返したが、神と法に忠実な父に結婚を許されず、逆に自首をすすめられた。父は有力な弁護士を雇い正しい裁判を受けさせようとした。だが彼を、ボナムの酒場の女ロージー(ジュリア・アダムス)が助けた。彼女の馬車でウェスは脱出できたが、ロージーから、ジェーンが警官隊に射殺されたと聞いた。2人はカンサス市へ向かい行方をくらました。その間、テキサスで瀕瀕と強盗殺人が行なわれたが、すべてウェスに罪を着せられ、逆にテキサス警備隊が出動した。アラバマ州に逃れたウェスとロージーは賭博で得た金で牧場を買い平和な結婚生活を営むことができた。がある日、馬市場に出かけたウェスは警備隊に捕り、これまでの殺人がすべて正当防衛だったにも拘らず、25年の禁固刑を言い渡された。――ウェスは16年ぶりで我が家に戻った。喜びにふるえるロージー、留守の間に生れたジョン(レース・ジェントリー)も逞しく成長していた。ところが息子のジョンが拳銃をもて遊ぶのを見たウェスは思わず殴りとばした。ジョンは家を飛び出した。それは昔の自分と同じだった。ジョンは酒場へ来たが忽ち因縁をつけてきたチンピラやくざと喧嘩し、駈けつけたウェスはやくざ者の拳銃に打たれ傷ついた。父の仇を討とうというジョン。しかしウェスはこれを止めた。無謀な生き方は止めよ――ウェスに初めての平和が来た。

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 キネマ旬報のあらすじが長いですが、本作はそれだけ起伏に富んだ作品で、ジョン・ウェズリー・ハーディン(ハーディング)はボブ・ディラン1967年のアルバムのタイトル曲で歌われているので今日ではディランの曲で広く伝承されているのではないでしょうか。ウォルシュ'53年のロック・ハドソン三部作(と勝手に名づけますが)はそれぞれ趣向が違ってハドソンに多彩な役を演じさせた意図が見えますが、『限りなき追跡』が好意的に言っても商業映画のどん底だったのに較べて、製作順の後の2作、本作と『海賊船シー・デビル号の冒険』は好調なウォルシュで、やりすぎに走ることなく丁寧に演出されめりはりのつき、構成も緊密で無駄なく窮屈すぎず、性格描写やその変化も説得力があり、伏線を生かした物語の展開も巧みで、スケールの大きな題材を主要人物を絞ってあえて80分台のコンパクトな作品にまとめ、1時間半を切る尺数で2時間半の大作に匹敵する満足感を与えてくれる佳作になっています。黒星1、白星2なら十分な成果ではないでしょうか。本作は実在の歴史的無法者の伝記映画の体裁を採っていますが、ビリー・ザ・キッドやジェシー・ジェームズほど日本では知られていない人物なので『決斗!一対三』と決闘ものの西部劇みたいな邦題にされてしまったのが割を食ったのではないでしょうか。実際映画の中では三兄弟を敵にまわしますが、主人公は正当防衛しかしない男なので一対三の対決場面はなく一人ずつ不意打ちしてくるのを迎撃するだけです。しかし主人公はギャンブルに強いので逆恨みをしょっちゅう買い、しかも拳銃の腕が立つので襲撃されれば倒してしまう。一人倒せば数人の恨みを買う、襲われる→倒すのくり返しで次第にやりたい邦題やって恨まれ襲われても倒せるから大丈夫、と正当防衛を盾に他人を銃殺する感覚が麻痺してくるわけです。プロデューサーのウィリアム・アランドは『市民ケーン』端役出演から映画界に入り、本作の後はSF映画やモンスター映画の製作が多いようですが、みずからジョン・ウェズリー・ハーディンの伝記からプロットを立てたそうですからこの構成は優秀なプロデューサーあってのもので、ウォルシュはシナリオにはタッチしない監督ですから不出来な脚本を渡されれば散漫になり、良い脚本ならちゃんと良い映画を撮る見本みたいなものでしょう。それを言えば『限りなき追跡』のプロデューサーはシナリオを見る目がなく、本作のプロデューサーはプロデューサー自身がシナリオの原案を立ち上げ、『海賊船シー・デビル号~』のプロデューサーもまたシナリオの良し悪しがわかる人だったと言えそうです。本作はハドソンの他にスター級の配役はありませんがそれでも良い役者を揃えており、ハイティーンから中年までを演じるハドソンも演ればできるじゃないかの好演ですし、ハドソンの逃亡を助けて殺されてしまう恋人ジェーンを演じるメアリー・キャッスル(以後西部劇専門)、酒場女上がりでハドソンを助け慎ましく貞淑な妻になるロージーを演じるジュリア・アダムス(『怒りの河』本作を経てアランド作品の常連)はともにはまり役で美しく、ハドソンの父と叔父の二役を演じるジョン・マッキンタイアも好演です。三兄弟役に若き日のデニス・ウィーヴァーも出ており、奇しくも「署長マクミラン」と「警部マクロード」の共演になっているのもおそらくプロダクションつながりなのでしょう(これでピーター・フォークも出ていたら完璧ですが、フォークの映画デビューは'58年の『エヴァグレイズを渡る風』です)。本作は恩赦で出所してきた主人公が新聞社に自伝を売り込みに訪ねる場面から始まり、校正係がその原稿を読む、というフラッシュバック形式で主人公の入獄までが描かれ、校正係が原稿を読み終えると(奥さんに何を読んでたの、と訊かれて校正係は「事実に基づいたフィクションさ」と答えます。冴えた脚本です)主人公は妻の待つ自分の牧場を訪ねて迎えられます。そして16歳になった息子に会い、息子が酒場で絡まれて替わりに自分が撃たれることで身をもって銃を持つ危険性を示す感動的なラストシーンになります。主人公の改心を示す劇的なエピソードで、それこそどこまでが事実に基づいたフィクションかわかりませんが、映画の締めくくりとして胸に迫り、かつフラッシュバック形式にした構成が生きたうまい終わり方です(もちろん主人公は死にません)。ウォルシュの第一長編『リゼネレーション(更正)』'15は当時散佚作品でしたから('70年代後半に発見)この映画に関わったスタッフ、キャストにウォルシュ以外誰も同作を知る人はいなかったでしょうが、外から与えられた題材であっても偶然本作はウォルシュ作品の原点に帰ったテーマを扱っていたことになります。本作はいわゆる西部劇のイメージとは大きく異なる作品ですし、原題、邦題ともにハッタリを効かせているので後半のシリアスな展開は観客の意表をつくものですが、気楽に西部劇でも観ようかとタイトルにつられて観た人にもいい映画観たなあ、と広く受け入れられる、自然に観客を共感に誘う敷居の低さがあります。こういう意外性が待ち受けているのも西部劇ならではの融通の効く自由さあればこそでしょう。

●11月24日(金)
『海賊船シー・デビル号の冒険』Sea Devils (RKO'53)*87min, Technicolor; 日本未公開(テレビ放映・映像ソフト発売)

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] ラオール・ウォルシュ監督がロック・ハドソン主演で描く海洋冒険活劇。イギリス領の島、ガーンジー島で漁師をしながら漁師をしながら密輸業を営むギリアットは、謎の美女、ドローセットのフランスへの密航を請け負うことになりやがて彼女に惹かれていく。彼女は英国のスパイだったが、正体を知らないギリアットはフランス側のスパイと勘違いし……。
【スタッフ&キャスト】監督: ラオール・ウォルシュ 原作: ヴィクトル・ユーゴー 製作: デヴィッド・E・ローズ 原案・脚本: ボーデン・チェイス 出演: ロック・ハドソン/イヴォンヌ・デ・カーロ/マクスウェル・リード/デニス・オディア

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 原作はフランスの大詩人ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)の1866年の長編小説『海の漁師』で、ユーゴーはルイ・ナポレオン(ナポレオン三世、ナポレオン・ボナパルトの甥)政権で弾圧されて約20年間をイギリス領のチャンネル諸島で亡命生活を送り、中でもガーンジー島では帰国する1870年まで16年あまりを送りました。ベルギーの出版社から長編小説の代表作『レ・ミゼラブル』'62を刊行したのもガーンジー島在住中ですし、『海の漁師』もそうです。フランス人の書いた原作小説なのにイギリス人が主人公で、反ナポレオン政権の立場から書かれているのはそうした事情があったからで、内容からもこの小説は英米での人気の方が高くサイレント時代に3回、トーキー時代に2回アメリカで映画化されています。このロック・ハドソン主演のウォルシュ版は最後の映画化になるもので英米合作映画として製作され、実際にチャンネル諸島でテクニカラーによるロケーション撮影が行われたのも見所となっています。時代背景は1800年で、イギリスとフランスは1798年以来戦争を続けているという状況です。英仏海峡のチャンネル諸島では漁師が食い上げになり、密輸で糊口をしのいでいました。つまり邦題の「海賊船」というのは大嘘なのですが、日本劇場未公開、テレビ放映題がそうなって定着してしまったタイトルですから仕方ないのです。映画はすぐに種明かしして主人公側とヒロイン側の両方の視点で描かれますからキネマ旬報のあらすじより多少詳しく書きますが、ヒロインはフランス貴族の女性スパイがナポレオン・ボナパルト政権から亡命してきたと見せかけてイギリスに諜報活動していたのを捕らえて、替わりにそっくりなイギリス人女性スパイがフランス貴族女性スパイになり替わって偽情報を流しつつフランスの軍事機密を探る、その女性スパイなわけです(ややこしい)。主人公は当初ヒロインがナポレオンに迫害されて弟を幽閉された亡命フランス貴族で、弟の救出のためにフランスに密航したいと打ち明けられて素直に信じてフランスに送り届けたところ、ヒロインがフランス諜報室の大佐と連れ立っているのを目撃し、フランスのスパイに騙されたと怒ってヒロインを寝室から誘拐してきてしまいます。熟睡中に猿ぐつわをされ簀巻きにされたヒロインが長身のハドソンに担がれ足をバタバタしながら運ばれていく姿はなかなかのもので、本作は真面目な歴史軍事スパイ・サスペンスに英仏両方のスパイ陣営が本気で腹の探りあいをやっている中で主人公とヒロインが見当はずれなすれ違いをくり返しながら、主人公の頼りになる相棒やガーンジー島での宿敵の小悪党が絡んで小気味良く進行し、コミカルでもあればシリアスでもあり、思いがけない曲折を経ながら作中のすべての伏線が一序に結末に収斂していく手際が実に見事です。英米合作映画だからかイギリス時代のヒッチコックの作風確立期の秀作『三十九夜』'35や『第三逃亡者』'37、『バルカン超特急』'38を思わせるスマートな完成度と適度にさばけたユーモアがあり、ハドソンも『限りなき追跡』とは別人のように魅力的でヒロインのイヴォンヌ・デ・カーロも美しく、プロデューサーは他にあまり作品のない人ですがキャスティングが実に決まっているのは優れた采配がうかがえ、撮影のウィルキー・クーパーは『シンドバッド七回目の航海』'58や『アルゴ探検隊の大冒険』'63の人でもあれば『舞台恐怖症』'50、『情事の終わり』'54、『悪魔スヴェンガリ』'54の人でもあり、原案・脚本のボーデン・チェイスは『赤い河』'48の原案・脚本家であり『コロラド』'48、『モンタナ』'50、『ウィンチェスター銃'73』'50、『怒りの河』'51、『世界を彼の腕に』'52、『遠い国』'54、『ヴェラクルス』'54、『星のない男』'55、『第六番目の男』'55とそうそうたる原案・脚本作品を誇る人です。何てことはない歴史冒険映画と思いきやちゃっかり一流スタッフに支えられた映画なわけで、カメラマンと脚本家がさりげなく一流ならウォルシュもきっちり良い映画を作る、『決斗!一対三』とは趣向が違って本作は娯楽映画に徹した作品ですが出来は双璧といってよく、'53年公開のロック・ハドソン三部作の最後が本作なのはウォルシュの大手柄でしょう。24作毎日ウォルシュ作品を観てきて、この作品で結べるのは実に自然なハッピーエンドという気がします。しかしウォルシュの作品はまだこの5倍の本数があるのです。

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