ヴェルヴェット・アンダーグラウンド V.U. - Live at Oliver's, Boston, Massts (Captain Trip, 2001) Full Concert : https://youtu.be/AZnG0CpujTE
Recorded Live at Oliver's, Boston, Massachussets, May 27, 1973
expect 11-14 at Concertgebouw, Amsterdam, Netherlands, November 19, 1971
Released by Captain Trip Records JP, CTCD352, August 2001 from 4CD Box Set "Final V.U. 1971-1973"
All songs written by Lou Reed except as noted.
(Tracklist)
1. I'm Waiting For The Man - 4:37
2. Little Jack (Yule) - 3:30
3. White Light / White Heat - 4:50
4. Caroline (Yule) - 2:55
5. Sweet Jane - 4:21
6. Mean Old Man (Yule) - 2:53
7. Who's That Man (Yule) - 4:07
8. Let It Shine (Kay) - 4:33
9. Mama's Little Girl (Yule) - 3:40
10. Train Round The Bend - 2:15
[Bonus Tracks] Radio Broadcast Version Of Live at Concertgebouw, Amsterdam, Netherlands
11. White Light / White Heat - 4:21
12. What Goes On - 4:06
13. Cool It Down - 4:12
14. Oh Sweet Nuthin' - 7:54
[ V.U. aka The Velvet Underground ]
(Tk.1-10)
Doug Yule - vocals, guitar
Don Silverman (has been known as Noor Khan since going to Afghanistan in 1975) - guitar
George Kay (Krzyzewski) - bass guitar
Billy Yule - drums
(Tk.11-14)
Doug Yule - vocals, guitar
Willie Alexander - keyboards, vocals
Walter Powers - bass guitar, backing vocals
Maureen Tucker - drums
*
(Original Captain Trip 4CD "Final V.U. 1971-1973" Disc 4 Liner Cover & CD Label)
ついにヴェルヴェット・アンダーグラウンド名義の音源中最後のものになる(再結成除く)'73年5月の発掘ライヴに到達しました。4枚組CD『Final V.U. 1971-1973』でも最後の1枚は、バンド名義ながら実質的にはソロ・アルバムの『Squeeze』をロンドンで制作しアルバム発表先行プロモーション・ツアーで現地ミュージシャンとイギリスを回った後、帰国して元メンバーが全員いなくなっていたダグ・ユールが新たなメンバーで組んだバンドが、再びマネジメントによってヴェルヴェット名義でブッキングされたライヴをこなした記録です。発掘ライヴ・ボックス『Final V.U. 1971-1973』の4枚の中でも音質はアムステルダム放送局のラジオ番組からのエア・チェックのTk.11-14(演奏はディスク2の観客録音のコンサート完全版と同じ)を除くといちばん良く(あくまで相対的にですが)、7曲目と10曲目が音源のテープが切れているのかフェイド・アウトするなどの瑕瑾はありますが、一応音質からするとライン録音でしょう。U.K.ツアーの臨時メンバーだったジョージ・ケイ(ベース)はユールとともにアメリカにやってきたようで、ドラムスのビル・ユールはモーリン・タッカーの産休中の『Loaded』発表前後でヴェルヴェットのドラマーだった経験あるダグの実弟、ギターのドン・シルヴァーマンだけが新メンバーです。10曲のセット・リスト中で1, 3, 5, 10の4曲はルー・リード在籍時のリードによるヴェルヴェットの曲ですが、ユールのオリジナル曲が2, 4, 6, 7, 9と5曲あるうち2, 4, 6が『Squeeze』から、7, 9はジョージ・ケイの8とともに新曲です。ルー・リード時代のヴェルヴェットの曲も新しいバンドのスタイルに合わせて無理のないアレンジになっており、このライヴではヴェルヴェット名義でブッキングされたため演奏されたのかもしれませんし、ユール兄弟の過去の在籍バンドの曲ということで普段から演奏していたのかもしれませんが、楽曲の比率から言ってもこれはヴェルヴェット名義の発掘ライヴではあっても実態は完全にダグ・ユールの新バンドでしょう。
そう割り切って聴くなら、1曲目~6曲目までリード時代の曲と『Squeeze』のユールの曲が交互に演奏されて、違和感がなくしかも『Squeeze』からの曲はアルバム・ヴァージョンより生き生きとした演奏になっているのにはユールの意地を見る気がします。アムステルダムの'71年11月のコンサートはディスク2の観客録音による完全版は録音に難がありましたが、ラジオ放送された分をこのディスク4のTk.11-14で聴くとユールのギターも際立った個性こそありませんがなかなか流暢に弾き倒しており、ルー・リードの脱退後のヴェルヴェットなど聴くに値しないと聴きもしないで言うようなら、何様か知らないがいくら何でもダグ・ユールの方が偉いんだぞ、と批判者を一喝したくなるだけの健闘ぶりが聴かれます。ユールはこの後アメリカン・フライヤーという二流メンバーのスーパー・バンドを組んでユルユルのアルバムを作ってますます株を下げますが、この'73年メンバーの偽ヴェルヴェットはバンドの一体感もある悪くない演奏で、リード脱退後にすぐこのメンバーに定着すれば『Loaded』の水準を保ったレギュラー・バンドとして挽回のチャンスも狙えたかもしれない、少なくとも『Squeeze』は納得のいくレギュラー・バンドを待って制作すべきだった、と惜しまれます。そうした不運もまた避けられなかったのでしょう。'73年春にルー・リードはソロ転向後最初の大ヒット曲「Walk on the Wild Side (ワイルド・サイドを歩け)」を全米チャート16位にヒットさせ、続くアルバム『Sally Can't Dance (死の舞踏)』1974.8は全米アルバム・チャート10位にまで上がり、同作に合わせて発売されたリード在籍時の発掘ライヴ2LP『1969: The Velvet Underground Live』1974.9はヴェルヴェットの正式な解散声明でした。'73年がユールのバンドがヴェルヴェットを名乗ることができたぎりぎり最後の年だったのはそういう背景があったのです。
Recorded Live at Oliver's, Boston, Massachussets, May 27, 1973
expect 11-14 at Concertgebouw, Amsterdam, Netherlands, November 19, 1971
Released by Captain Trip Records JP, CTCD352, August 2001 from 4CD Box Set "Final V.U. 1971-1973"
All songs written by Lou Reed except as noted.
(Tracklist)
1. I'm Waiting For The Man - 4:37
2. Little Jack (Yule) - 3:30
3. White Light / White Heat - 4:50
4. Caroline (Yule) - 2:55
5. Sweet Jane - 4:21
6. Mean Old Man (Yule) - 2:53
7. Who's That Man (Yule) - 4:07
8. Let It Shine (Kay) - 4:33
9. Mama's Little Girl (Yule) - 3:40
10. Train Round The Bend - 2:15
[Bonus Tracks] Radio Broadcast Version Of Live at Concertgebouw, Amsterdam, Netherlands
11. White Light / White Heat - 4:21
12. What Goes On - 4:06
13. Cool It Down - 4:12
14. Oh Sweet Nuthin' - 7:54
[ V.U. aka The Velvet Underground ]
(Tk.1-10)
Doug Yule - vocals, guitar
Don Silverman (has been known as Noor Khan since going to Afghanistan in 1975) - guitar
George Kay (Krzyzewski) - bass guitar
Billy Yule - drums
(Tk.11-14)
Doug Yule - vocals, guitar
Willie Alexander - keyboards, vocals
Walter Powers - bass guitar, backing vocals
Maureen Tucker - drums
*
(Original Captain Trip 4CD "Final V.U. 1971-1973" Disc 4 Liner Cover & CD Label)
ついにヴェルヴェット・アンダーグラウンド名義の音源中最後のものになる(再結成除く)'73年5月の発掘ライヴに到達しました。4枚組CD『Final V.U. 1971-1973』でも最後の1枚は、バンド名義ながら実質的にはソロ・アルバムの『Squeeze』をロンドンで制作しアルバム発表先行プロモーション・ツアーで現地ミュージシャンとイギリスを回った後、帰国して元メンバーが全員いなくなっていたダグ・ユールが新たなメンバーで組んだバンドが、再びマネジメントによってヴェルヴェット名義でブッキングされたライヴをこなした記録です。発掘ライヴ・ボックス『Final V.U. 1971-1973』の4枚の中でも音質はアムステルダム放送局のラジオ番組からのエア・チェックのTk.11-14(演奏はディスク2の観客録音のコンサート完全版と同じ)を除くといちばん良く(あくまで相対的にですが)、7曲目と10曲目が音源のテープが切れているのかフェイド・アウトするなどの瑕瑾はありますが、一応音質からするとライン録音でしょう。U.K.ツアーの臨時メンバーだったジョージ・ケイ(ベース)はユールとともにアメリカにやってきたようで、ドラムスのビル・ユールはモーリン・タッカーの産休中の『Loaded』発表前後でヴェルヴェットのドラマーだった経験あるダグの実弟、ギターのドン・シルヴァーマンだけが新メンバーです。10曲のセット・リスト中で1, 3, 5, 10の4曲はルー・リード在籍時のリードによるヴェルヴェットの曲ですが、ユールのオリジナル曲が2, 4, 6, 7, 9と5曲あるうち2, 4, 6が『Squeeze』から、7, 9はジョージ・ケイの8とともに新曲です。ルー・リード時代のヴェルヴェットの曲も新しいバンドのスタイルに合わせて無理のないアレンジになっており、このライヴではヴェルヴェット名義でブッキングされたため演奏されたのかもしれませんし、ユール兄弟の過去の在籍バンドの曲ということで普段から演奏していたのかもしれませんが、楽曲の比率から言ってもこれはヴェルヴェット名義の発掘ライヴではあっても実態は完全にダグ・ユールの新バンドでしょう。
そう割り切って聴くなら、1曲目~6曲目までリード時代の曲と『Squeeze』のユールの曲が交互に演奏されて、違和感がなくしかも『Squeeze』からの曲はアルバム・ヴァージョンより生き生きとした演奏になっているのにはユールの意地を見る気がします。アムステルダムの'71年11月のコンサートはディスク2の観客録音による完全版は録音に難がありましたが、ラジオ放送された分をこのディスク4のTk.11-14で聴くとユールのギターも際立った個性こそありませんがなかなか流暢に弾き倒しており、ルー・リードの脱退後のヴェルヴェットなど聴くに値しないと聴きもしないで言うようなら、何様か知らないがいくら何でもダグ・ユールの方が偉いんだぞ、と批判者を一喝したくなるだけの健闘ぶりが聴かれます。ユールはこの後アメリカン・フライヤーという二流メンバーのスーパー・バンドを組んでユルユルのアルバムを作ってますます株を下げますが、この'73年メンバーの偽ヴェルヴェットはバンドの一体感もある悪くない演奏で、リード脱退後にすぐこのメンバーに定着すれば『Loaded』の水準を保ったレギュラー・バンドとして挽回のチャンスも狙えたかもしれない、少なくとも『Squeeze』は納得のいくレギュラー・バンドを待って制作すべきだった、と惜しまれます。そうした不運もまた避けられなかったのでしょう。'73年春にルー・リードはソロ転向後最初の大ヒット曲「Walk on the Wild Side (ワイルド・サイドを歩け)」を全米チャート16位にヒットさせ、続くアルバム『Sally Can't Dance (死の舞踏)』1974.8は全米アルバム・チャート10位にまで上がり、同作に合わせて発売されたリード在籍時の発掘ライヴ2LP『1969: The Velvet Underground Live』1974.9はヴェルヴェットの正式な解散声明でした。'73年がユールのバンドがヴェルヴェットを名乗ることができたぎりぎり最後の年だったのはそういう背景があったのです。