ホークス作品のみならず西部劇、アメリカ映画史上の名作『赤い河』'48はホークスの全力を出し切った作品だったのでしょう。『赤い河』の前もハンフリー・ボガート&ローレン・バコール主演の2作の傑作『脱出』'44、『三つ数えろ』'46と力作が続いています。1938年の傑作『赤ちゃん教育』から『赤い河』まではホークスが46歳~56歳と脂が乗り切って名作傑作を連発した時期でした。『赤い河』の後ホークスは自作『教授と美女』'41(ゲイリー・クーパー、バーバラ・スタンウィック主演)のセルフ・リメイク『ヒットパレード』'48をダニー・ケイとヴァージニア・メイヨ主演でジャズマンの出演場面を多く散りばめて作り、今回ご紹介する『僕は戦争花嫁』'49の次は『三つ数えろ』『赤い河』の編集者だったクリスチャン・ナイビーの監督作品としてジョン・W・キャンベル Jr.のSF小説『影が行く』'38の着想だけ借りたSF映画の古典『遊星からの物体X』'51をプロデュースしますが(タイトルもHoward Hawks' "The Thing from Another World"となっています)これは今日実質的にホークスの監督作品であると定説になっており、評価も高く、2001年にアメリカ国立フィルム登録簿登録作品になっています。ホークス作品で同登録簿登録作品(1989年より選定開始)は現在までに『赤ちゃん教育』'38(1990年度)、『赤い河』'48(1990年度)、『ヒズ・ガール・フライデー』'40(1993年度)、『暗黒街の顔役』'32(1994年度)、『ヨーク軍曹』'41(2008年度)、『特急二十世紀』'34(2011年度)の6作で、今後『港々に女あり』や『脱出』、『リオ・ブラボー』'59、『ハタリ!』'62あたりが徐々に追加登録されていくと思いますが、現在のところフォードやワイラーの登録作品数には及びません。それでも6作の永久保存フィルム認定は大したもので、『遊星からの物体X』はホークス名義の6作と匹敵する評価を受けていることになります。1952年にはインディアンとの交易をテーマにした異色西部劇『果てしなき蒼空』、O・ヘンリーの短編小説5編をヴェテラン監督5人でオムニバス映画化した『人生模様』に酸化、グラントとジンジャー・ロジャース主演のスクリューボール・コメディ路線でブレイク寸前のマリリン・モンローが大役を果たす『モンキー・ビジネス』と年間3作を手がけ、'53年のモンローとジェーン・ラッセルのミュージカル・コメディ『紳士は金髪がお好き』に続く作品はファラオの墓のピラミッド建築を描く古代エジプト映画『ピラミッド』'55でした。'49年以降のホークスは再びウェインを主演に迎えた'59年の保安官vs.悪漢西部劇『リオ・ブラボー』まで低迷気味でしたが、作品単位ではそれぞれ見所も突っ込み所もあり、必ずしも不調続きだったとは言えないのです。
●10月19日(木)
『僕は戦争花嫁』I Was a Male War Bride (フォックス'49)*105mins, B/W; 日本公開昭和25年(1950年)12月
ジャンル ドラマ / 戦争
製作会社 二十世紀フォックス映画
配給 セントラル
[ 解説 ] 「狐の王子」のソル・C・シーゲルが製作、「ヨーク軍曹」のハワード・ホークスが監督した1949年度作品で、アンリ・ロシャールの自伝的小説をチャールズ・レデラー、レナード・スピーゲルガス、ヘイガー・ワイルドの3人が脚色し「出獄」のノーバート・ブロディンが撮影、「センチメンタル・ジャーニー」のシリル・モックリッジが音楽を担当した。主演は「夜も昼も」のケーリー・グラント、「賭博の町」のアン・シェリダンの2人でマリオン・マーシャル、ランディ・スチュアート、ウィリアム・ネフ、ユージン・ゲリック、ルーベン・ウェンドーフその他が助演している。
[ あらすじ ] 西ドイツのアメリカ占領地区でフランスの物資購入委員をしているアンリ・ロシャール大尉(ケーリー・グラント)は、指名手配のドイツ人を逮捕するために、通訳に配属されたアメリカ軍の婦人士官キャサリン・ゲーツ中尉(アン・シェリダン)と仕事をすることになった。向こうっ気のつよい2人は、初対面早々から口論が絶えなかったが、喧嘩友達から、相思の仲となり、とうとう結婚というお定りのコースをたどった。ところが困ったことに、外国の婦人と結婚したアメリカ兵の場合は、戦争花嫁として本国に連れ帰られる規定はあったが婦人士官に対しては何等の規則がなかった。ロシャールは一策を案じ、戦争花嫁の資格でアメリカに入国の許可をもらって無事に結婚式をあげたが、婦人将校の宿舎は夫といえども男子禁制であり、キャサリンは外泊も許されなかったので、新婚早々の2人は味気ない生活を送らなければならなかった。やがてキャサリンに帰国命令が下り、ロシャールは婦人将校に変装し、アメリカの輸送船にのりこみ、てんやわんやの女装生活を続けて、ようやく、アメリカにたどりつくことができた。
これが主人公の実話小説が原作だったというのがまず面白いですが、『赤い河』の後で軽いものを作りたくなったのでしょう。スクリューボールというよりはポピュラー・ジャズ・コメディ作品で戦後の人気コメディ俳優ダニー・ケイとヴァージニア・メイヨ主演の『ヒット・パレード』は今風の作品を作ろうとしているんだな、という割に起用したジャズマンたちが'30年代のスウィング世代で時代感覚のズレが如何ともし難い作品でしたが、続く本作はスクリューボール作品の常連ケイリー・グラントを主演にしながらホークスらしい冴えと切れ味の乏しい風刺コメディになっています。相手役のアン・シェリダンはきっぷの良い姉姐肌で悪くない女優ですが、ホークスのスクリューボール作品には必ずあったコケットな色気が映画から感じられない。屋外ロケ(現地?)に手間をかけているのもスクリューボール・コメディは自然光ロケ向けではないな、と思わされる一因で、絵面が妙にリアルな分コメディならではの作り話の面白さを減じているように見えるのです。ギャグも古いのが多く、車両がないのでバイク免許を持っているシェリダンがサイドカーを運転しグラントがむっつり顔でサイドカーに乗るのは面白いのですが、バイクが走り出すとサイドカーだけ取り残されてしまう、ようやく発進すると早回しで猛スピードでサイドカーが突進する、サイドカーが外れてグラントごと乾し草の山に突っ込んでしまう、などサイレント映画時代のギャグを平気で使っていて脚本家3人がかりでこれかよ、と情けなくなります。喧嘩コンビのグラントとシェリダンが突然おたがいへの愛に気づいて電撃結婚する段はなかなか良いムードですが、挙式しても宿舎事情で夫婦同室どころかグラントがどの宿舎にも宿泊権がなくなってしまう次第も間延びしたテンポで面白くてはならないし、結婚までの前半と結婚後にアメリカへの出国に一苦労し、戦争花嫁法でパスしようと入管でグラントが女装までする後半を一貫する太い線がなく、前後編で分かれている中編映画の二部作を観ているようです。名作中の名作『赤い河』を観た直後だから欠点ばかりが目についたのでしょうが、戦前型のスクリューボール・コメディは戦後にはもう作れなくなっているんだな、と思わせられる作品で、ホークスほどの人にして本作程度の平凡なコメディも撮ることがあるのは、まあ仕方ないことでしょう。敗戦後ドイツの観光映画というのが本作の狙いだったのかもしれません。
●10月20日(金)
『果てしなき蒼空』The Big Sky (RKO'52)*122mins, B/W; 日本公開昭和28年(1953年)4月
ジャンル 西部劇
製作会社 RKOラジオ映画
配給 RKOラジオ映画支社
[ 解説 ] 「遊星よりの物体X」と同じくウィンチェスター・プロ作品で、主宰者ハワード・ホウクス「赤い河」が製作・監督に当たった1952年作西部劇である。プリッツァ賞受賞作家A・B・ガスリー・ジュニアの原作を「狙われた駅馬車」のダドリー・ニコルズが脚色、「激戦地」のラッセル・ハーランが撮影した。音楽は「都会の牙」のディミトリ・ティオムキン。主演は「探偵物語」のカーク・ダグラス、「遊星よりの物体X」のデューウィ・マーティン、新人エリザベス・スレットで、「遠い太鼓」のアーサー・ハニカット、「凸凹猛獣狩」のバディ・ベア、スティーヴン・ジェレイ、ハンク・ウォーデン、ジム・デイヴィス、アンリ・レトンダルなどが助演する。
[ あらすじ ] 1830年代、ケンタッキーから西部にやってきたジム(カーク・ダグラス)とブーン(デューウィ・マーティン)は、ミズリー河を遡ってブラックフット・インディアンと毛皮の取引きをすることを目論み、毛皮商人ジュルドネー(スティーヴン・ジレー)の持船にのりこんだ。船出して間もなくブラックフット・インディアンの娘ティール・アイ(エリザベス・スレット)がこの船にのっていることがわかった。彼女は3年前、瀕死のところをブーンの叔父ゼブ(アーサー・ハニカット)に救われたのである。ジュルドネーは、娘に近寄ってはならぬと水夫たちに厳命した。ジムはティール・アイに護身用のナイフを贈ったが、彼女はそのナイフで、ブーンのもっているインディアンの頭皮を盗もうとし、誤って彼に重傷を負わせてしまった。彼女はブーンを献身的に看護した。ある夜、毛皮業者マクマスターズ(ポール・フリーズ)の一味が船を襲って放火し、ティール・アイを連れ去ったが、ジム達は直ちに追跡して彼女を奪いかえし、一味の者を人質にしてマクマスターズの妨害を抑えながら河を遡っていった。ようやく目的地に近づいたとき、突然クロウ族の襲撃をうけ、船は河の真中に出て岸辺を離れぬクロウ族と対峙した。インディアンの眼をぬすんで、食物を獲るために上陸したジムが行方不明になり、ブーンは危険を冒して救いに出かけたが、ティール・アイもついてきた。傷ついて虫の息のジムを発見した彼女は、自分の体温で彼を温めて彼の危機を救った。彼等が船にかえってみると、マクマスターズの部下が一行を脅迫しているところだった。ジムの体にうちこまれた弾丸と彼等の弾丸とが同じとを発見したジム達はマクマスターズの一味を殺してしまったが、その騒ぎの間にティール・アイがいなくなった。数々の困難ののち、ようやくブラックフット・インディアンの集落にたどりつくと意外にもティール・アイが彼等を待ち受けていた。彼女のおかげで交易は友好裡にすすみ、秋のふけるころ一行は帰路についた。しかしブーンはティール・アイと結婚して後に残ったのである。
本作もインタビューではホークスのお気に入りで、「シリアスな作品に喜劇的要素を入れる」例として本作のカーク・ダグラスが負傷して指を切断するシーンを『コンドル』のグラントが旧友トーマス・ミッチェルに負傷の具合を訊かれて率直に「首が折れてる」と答えるシーンとともに上げています。ホークスは『赤い河』でこれをやりたかったもののジョン・ウェインが「何で指を切るんだ?」と納得しないのでその場面は割愛しましたが、ウェインは『果てしなき蒼空』を観て「俺が間違ってた。今度指を切るシーンがあったら受けるよ」と言ってきたそうで、ウェインが指を切るシーンがホークス作品で撮られることはありませんでしたが『リオ・ロボ』'70で重傷を負った部下に「首が折れてる」と言うシーンは撮りました。本作はネイティヴとの混血女優エリザベス・スレットが魅力的なヒロインで、カーク・ダグラスというとだいたいムッツリした顔の出演作ばかりですが本作はダグラスらしからぬ健康的な善人役で、それもなかなか悪くないのです。ダグラスとデューイ・マーティンは例によって拳で語る出会いから親友になるのですが、マーティンの叔父役でミシシッピ川沿いの先住民事情に通じ、彼らの信頼を勝ち得ているアーサー・ハニカット演じるゼブ叔父の存在が本作を異色西部劇にしていて、ミシシッピ川上流の先住民族村落との新規の毛皮取引開拓と既得権で市場を独占する毛皮商人との攻防を描いた渋いテーマの作品です。映画の作りとしてはスケールの大きさの割に地味で、貨物帆船が焼け討ちに遭うシークエンスなど起こっていることは大変なのですが(焼け死ぬか溺死するかの瀬戸際ですし、ミシシッピ川は日本人の感覚では津軽海峡や瀬戸内海ほどの大河です)その割に映像は地味なのでアクションやスペクタクルを期待するより想像力を働かせて観る必要がありますが(アメリカの観客ならば抑制された画面でも十分伝わるのでしょう)、これはさすが『赤い河』を通ってきたホークスだけある佳作です。デューイ・マーティンとエリザベス・スレットの恋もうまく描かれていて、スレットと結婚したマーティンが仕事のために一旦は一行と一緒に先住民族村落を離れるも休憩地で(あいつは残った方が良かったのに、とダグラスやゼブ叔父が話していると)やっぱり残ることにする、と一行とマーティンが「また取引の時にな」と別れます。余韻の残る良いエンディングで、ホークスらしい突き抜けた所はない映画ですが本作の場合それが良い具合に落ち着いた作風になっていて、あまり語られない作品ですが『赤い河』と対になる人情西部劇で、かつ『赤い河』にはない良い意味での哀愁も感じさせるのが本作を小粒ながら愛すべき作品にしています。
●10月21日(土)
ヘンリー・コスター/ヘンリー・ハサウェイ/ジーン・ネグレスコ/ハワード・ホークス/ヘンリー・キング『人生模様』O. Henry's Full House (フォックス'52)*117mins, B/W; 日本公開昭和28年(1953年)6月
ジャンル ドラマ
製作会社 20世紀フォックス映画
配給 20世紀フォックス [極東]
[ 解説 ] O・ヘンリーの短篇5つを、それぞれ異ったスタッフ、キャストにより映画化したオムニバス1953年作品で、5篇を通じて製作はアンドレ・ハキム、音楽は「栄光何するものぞ」のアルフレッド・ニューマン担当。なお小説家ジョン・スタインベック(「革命児サパタ」の脚本)が解説を入れている。 <第1話 警官と聖歌> 監督は「ハーヴェイ」のヘンリー・コスター、脚色は「征服への道」のラマー・トロッティ、撮影はロイド・エイハーンの担当。主演は「パラダイン夫人の恋」のチャールズ・ロートン、「ナイアガラ」のマリリン・モンロー、「アダム氏とマダム」のデイヴィッド・ウェインで、トーマス・ブラウン・ヘンリー、リチャード・カーランらが助演する。 <第2話 クラリオン・コール新聞> 「ナイアガラ」のヘンリー・ハサウェイが監督し、脚色も「ナイアガラ」のリチャード・ブリーン、撮影はルシエン・バラードの担当。主演は「嵐を呼ぶ太鼓」のデール・ロバートソンと「死の接吻(1947)」のリチャード・ウィドマークで、ジョイス・マッケンジー、リチャード・ロバー、ウィル・ライトらが助演する。 <第3話 残った葉> 監督は「嵐を呼ぶ太鼓」のジーン・ネグレスコ、脚色は「艦長ホレーショ」のアイヴァン・ゴッフとベン・ロバーツ、撮影は「ナイアガラ」のジョー・マクドナルドの担当。主演は「イヴの総て」のアン・バクスター、「ナイアガラ」のジーン・ピータース、「イヴの総て」のグレゴリー・ラトフの3人、リチャード・ギャリック、スティーヴン・ジェレイらが助演。 <第4話 酋長の身代金> 監督は「果てしなき蒼空」のハワード・ホークス、脚色は「クーパーの花婿物語」のナナリー・ジョンソン、撮影はミルトン・クラスナー(「イヴの総て」)の担当。主演はラジオ、テレビの芸人フレッド・アレンと「巴里のアメリカ人」のオスカー・レヴァント、リー・アーカー、アーヴィング・ベーコンらが助演する。 <第5話 賢者の贈物> 「キリマンジャロの雪」のヘンリー・キングが監督し、脚色は「ロッキーの春風」のウォルター・バロック、撮影は第3話のジョー・マクドナルドの担当。主演は「一ダースなら安くなる」のジーン・クレインと「見知らぬ乗客」のファーリー・グレンジャー、フレッド・ケルシー、シグ・ルーマンらが助演する。
[ あらすじ ] <第1話 警官と聖歌> 紳士気取りで人の善いルンペン男ソーピイ(チャールズ・ロートン)は、夏は涼しいセントラル・パークで、冬は暖かい留置所で暮らすことにしていた。ある年の冬、彼は仲間のホレス(デイヴィッド・ウェイン)に、留置所に入る秘術を伝授しようとしたが、どうもうまく警官に捕まらなかった。ソーピイは美しい街の女(マリリン・モンロー)に声をかけたが、かえって彼女に好意をよせられ面喰らって逃げ出す始末。ある教会に入り、オルガンの響に心打たれてルンペン渡世から足を洗おうと決心した。そして教会を出たとたん、浮浪罪として警官に捕まり、3ヶ月の禁固をくらった。 <第2話 クラリオン・コール新聞> 刑事のバーニイ(デール・ロバートソン)は、迷宮入りになった殺人事件の犯人をやくざもののジョニイ(リチャード・ウィドマーク)だとにらんだ。バーニイとジョニイは幼な友達で、2人は十数年ぶりで再会したのだ。バーニイはジョニイに証拠をつきつけて迫ったが、そのときジョニイはバーニイに、その昔千ドル貸したことをもち出した。バーニイはそのためジョニイを一応見逃し、千ドルの工面を考えた。折よく「クラリオン・コール」という町の一流新聞が、犯人の名前を通告したものに千ドル与えるという懸賞を出した。バーニイは賞金を手に入れてジョニイに借金を返し、心おきなく彼を逮捕することができた。 <第3話 残った葉> 恋人にすてられた若い女画学生ジョアンナ(アン・バクスター)は、失望にうちひしがれ、寒いニューヨークの街をさまよった末、姉スーザン(ジーン・ピータース)と一緒に住むアパートにたどりつくと、そのまま病の床に伏した。医師は肺炎と診断し、ジョアンナが生きる希望を取り戻さなければ助からないと言った。彼女は自分の部屋の窓ぎわに生えている蔦にある21枚の葉が、その1枚ごとに彼女の1年間の生命を意味し、最後に残った葉が風に吹き落とされたら、自分は死ぬと思いこんでしまった。彼女の容態は悪化し、ある朝、蔦も葉も最後の1枚になった。途方にくれたスーザンは、バーマン(グレゴリー・ラトフ)という自分の才能に自信を失った画家に悩みを訴えた。強風の吹きすさんだ1夜が明け、ジョアンナが目を覚ました時、最後の1葉がそのまま残っているのを見て元気を取り戻した。実は最後の葉は風に吹き飛んだのだが、バーマンが描いた葉を枝につけておいたのだ。夜中寒風にさらされたバーマンは、そのため急死してしまった。 <第4話 酋長の身代金> サム(フレッド・アレン)と相棒のビル(オスカー・レヴァント)は、金持ちの子供を誘拐して身代金を稼ごうとアラバマの村へやって来た。2人はうまく少年を誘拐することに成功、さっそく身代金請求の手紙を少年の両親宛てに出した。ところが、この少年、インディアンの酋長気どりの腕白小僧で2人はほとほと手を焼いた。そのうち、両親から手紙が来たが、それには身代金を払わないと言うばかりか、どうしても少年を返したいなら250ドルよこせと書いてあった。腕白小僧にさんざん手こずった2人は、少年を送り返し250ドルまきあげられた。 <第5話 賢者の贈物> 相思相愛の若夫婦デラ(ジーン・クレイン)とジム(ファーリー・グレンジャー)は、貧乏なのでクリマス・イヴが来るのにお互いの贈物を買うことができなかった。デラは出勤するジムを送りながら一緒に街に出、途中で2人はある宝石商のウィンドウの前に立ち止まった。ジムは素敵な櫛に目をつけ、これがデラのふさふさした金髪を飾ったらさぞ美くしかろうと考えた。一方デラはプラチナの時計入れを見て、これはジムの骨董的な金の懐中時計を入れるのにふさわしいと思った。2人はそこで別れたが、お互にいま目をつけたプレゼントを買う金の工面に心をくだいた。デラは思い切って自分の髪を売り、ジムは時計を売った。夕刻、2人は贈物を交換したがどちらも当分の間役に立つものでなかった。しかし2人はお互いの愛を身に沁みて感じた。
第1話は「警官と賛美歌」、第3話は「最後の一葉」、第4話は「赤い酋長の身代金」、第5話は「賢者の贈り物」という邦題の方が定着しているでしょう。映画の邦題『人生模様』は悪くないですが、原題直訳『O・ヘンリーのフルハウス』の方が企画内容を伝えているオムニバス映画です。監督は1885年生まれのヘンリー・キングを最年長に1900年生まれのジーン・ネグレスコが最年少、いずれにせよ20年~30年の監督歴を誇るヴェテラン監督が揃っており、作家のスタインベックが書斎でO・ヘンリーについて語る場面を冒頭からエピソードごとの合間に入れており、ジャンルとしてはアメリカ人なら誰でも知っている、または必須教養でもある20世紀初頭の国民的大衆作家ヘンリーの有名作品5編を20分ずつの短編映画のオムニバスにしたファミリー映画といったところでしょうか。知名度が低いのは第2話「クラリオン・コール新聞」かと思いますがサスペンス味の強い犯罪話も入れたかったのでしょう。俳優は第1話のホームレス紳士を演じるチャールズ・ロートンが素晴らしく、食い逃げしたレストランからつまみ出され「忘れ物だぞ」と投げられた傘を垂直のままパシッと受け取るカットなど監督ヘンリー・コスターを見直します。第2話のリチャード・ウィドマークも強烈で、オチを床に落ちた新聞の懸賞金の見出しで示すのも常套手段ですが短編ならではの切れ味。第3話でグレゴリー・ラフトがアクション・ペインティングで描いた絵を画商に持ち込んで「1950年なら売れるかもしれんが」と言われる台詞がおかしく、病床の妹アン・バクスターと看護する姉のジーン・ピータースに話は移りますが、ウィドマークとピータースは翌'53年のサミュエル・フラー『拾った女』の主演コンビでこんな所に接点があったとは。大トリの御大キングの『賢者の贈り物』は正攻法で泣かせます。さて目的のホークス作品の第4話というと、ダメ男の悪党二人が少年を誘拐して身の代金を要求するも少年に散々な目に遭わされ、誘拐した家にお金を払って引き取ってもらう話がサイレント時代の喜劇映画のノリでゆるーく描かれます。ホークスの短編だけだと何てことのない安手のテレビ用短編みたいですが(とぼけた味はなかなかですが)、オムニバス映画全体では本作は統一感とヴァラエティ具合に釣り合いのとれた秀作オムニバス作品でしょう。この手の企画物は出来不出来や不統一、その逆手で散漫に陥りやすく、結局短編単位で評価するしかないようなものになりがちですが、本作は上手くいっています。ルイ・マル、ロジェ・ヴァディム、フェリーニのE・A・ポー原作のオムニバス『世にも怪奇な物語』'68という成功作もありますが、あれもよくできた怪奇映画オムニバスでしたが、『人生模様』はさりげない映画ながら満足のいく好企画で、普通の娯楽映画を構えずに楽しみたい時に、ぜひ。普通と言ってもヘンリー・キングの『賢者の贈り物』は大トリだけあってラスト・カットの長回しでクレーン撮影のカメラがどうやって撮ったのか見当もつかないとんでもない動きをします。これだから映画は見せかけから来る先入観ではわからないのです。
●10月19日(木)
『僕は戦争花嫁』I Was a Male War Bride (フォックス'49)*105mins, B/W; 日本公開昭和25年(1950年)12月
ジャンル ドラマ / 戦争
製作会社 二十世紀フォックス映画
配給 セントラル
[ 解説 ] 「狐の王子」のソル・C・シーゲルが製作、「ヨーク軍曹」のハワード・ホークスが監督した1949年度作品で、アンリ・ロシャールの自伝的小説をチャールズ・レデラー、レナード・スピーゲルガス、ヘイガー・ワイルドの3人が脚色し「出獄」のノーバート・ブロディンが撮影、「センチメンタル・ジャーニー」のシリル・モックリッジが音楽を担当した。主演は「夜も昼も」のケーリー・グラント、「賭博の町」のアン・シェリダンの2人でマリオン・マーシャル、ランディ・スチュアート、ウィリアム・ネフ、ユージン・ゲリック、ルーベン・ウェンドーフその他が助演している。
[ あらすじ ] 西ドイツのアメリカ占領地区でフランスの物資購入委員をしているアンリ・ロシャール大尉(ケーリー・グラント)は、指名手配のドイツ人を逮捕するために、通訳に配属されたアメリカ軍の婦人士官キャサリン・ゲーツ中尉(アン・シェリダン)と仕事をすることになった。向こうっ気のつよい2人は、初対面早々から口論が絶えなかったが、喧嘩友達から、相思の仲となり、とうとう結婚というお定りのコースをたどった。ところが困ったことに、外国の婦人と結婚したアメリカ兵の場合は、戦争花嫁として本国に連れ帰られる規定はあったが婦人士官に対しては何等の規則がなかった。ロシャールは一策を案じ、戦争花嫁の資格でアメリカに入国の許可をもらって無事に結婚式をあげたが、婦人将校の宿舎は夫といえども男子禁制であり、キャサリンは外泊も許されなかったので、新婚早々の2人は味気ない生活を送らなければならなかった。やがてキャサリンに帰国命令が下り、ロシャールは婦人将校に変装し、アメリカの輸送船にのりこみ、てんやわんやの女装生活を続けて、ようやく、アメリカにたどりつくことができた。
これが主人公の実話小説が原作だったというのがまず面白いですが、『赤い河』の後で軽いものを作りたくなったのでしょう。スクリューボールというよりはポピュラー・ジャズ・コメディ作品で戦後の人気コメディ俳優ダニー・ケイとヴァージニア・メイヨ主演の『ヒット・パレード』は今風の作品を作ろうとしているんだな、という割に起用したジャズマンたちが'30年代のスウィング世代で時代感覚のズレが如何ともし難い作品でしたが、続く本作はスクリューボール作品の常連ケイリー・グラントを主演にしながらホークスらしい冴えと切れ味の乏しい風刺コメディになっています。相手役のアン・シェリダンはきっぷの良い姉姐肌で悪くない女優ですが、ホークスのスクリューボール作品には必ずあったコケットな色気が映画から感じられない。屋外ロケ(現地?)に手間をかけているのもスクリューボール・コメディは自然光ロケ向けではないな、と思わされる一因で、絵面が妙にリアルな分コメディならではの作り話の面白さを減じているように見えるのです。ギャグも古いのが多く、車両がないのでバイク免許を持っているシェリダンがサイドカーを運転しグラントがむっつり顔でサイドカーに乗るのは面白いのですが、バイクが走り出すとサイドカーだけ取り残されてしまう、ようやく発進すると早回しで猛スピードでサイドカーが突進する、サイドカーが外れてグラントごと乾し草の山に突っ込んでしまう、などサイレント映画時代のギャグを平気で使っていて脚本家3人がかりでこれかよ、と情けなくなります。喧嘩コンビのグラントとシェリダンが突然おたがいへの愛に気づいて電撃結婚する段はなかなか良いムードですが、挙式しても宿舎事情で夫婦同室どころかグラントがどの宿舎にも宿泊権がなくなってしまう次第も間延びしたテンポで面白くてはならないし、結婚までの前半と結婚後にアメリカへの出国に一苦労し、戦争花嫁法でパスしようと入管でグラントが女装までする後半を一貫する太い線がなく、前後編で分かれている中編映画の二部作を観ているようです。名作中の名作『赤い河』を観た直後だから欠点ばかりが目についたのでしょうが、戦前型のスクリューボール・コメディは戦後にはもう作れなくなっているんだな、と思わせられる作品で、ホークスほどの人にして本作程度の平凡なコメディも撮ることがあるのは、まあ仕方ないことでしょう。敗戦後ドイツの観光映画というのが本作の狙いだったのかもしれません。
●10月20日(金)
『果てしなき蒼空』The Big Sky (RKO'52)*122mins, B/W; 日本公開昭和28年(1953年)4月
ジャンル 西部劇
製作会社 RKOラジオ映画
配給 RKOラジオ映画支社
[ 解説 ] 「遊星よりの物体X」と同じくウィンチェスター・プロ作品で、主宰者ハワード・ホウクス「赤い河」が製作・監督に当たった1952年作西部劇である。プリッツァ賞受賞作家A・B・ガスリー・ジュニアの原作を「狙われた駅馬車」のダドリー・ニコルズが脚色、「激戦地」のラッセル・ハーランが撮影した。音楽は「都会の牙」のディミトリ・ティオムキン。主演は「探偵物語」のカーク・ダグラス、「遊星よりの物体X」のデューウィ・マーティン、新人エリザベス・スレットで、「遠い太鼓」のアーサー・ハニカット、「凸凹猛獣狩」のバディ・ベア、スティーヴン・ジェレイ、ハンク・ウォーデン、ジム・デイヴィス、アンリ・レトンダルなどが助演する。
[ あらすじ ] 1830年代、ケンタッキーから西部にやってきたジム(カーク・ダグラス)とブーン(デューウィ・マーティン)は、ミズリー河を遡ってブラックフット・インディアンと毛皮の取引きをすることを目論み、毛皮商人ジュルドネー(スティーヴン・ジレー)の持船にのりこんだ。船出して間もなくブラックフット・インディアンの娘ティール・アイ(エリザベス・スレット)がこの船にのっていることがわかった。彼女は3年前、瀕死のところをブーンの叔父ゼブ(アーサー・ハニカット)に救われたのである。ジュルドネーは、娘に近寄ってはならぬと水夫たちに厳命した。ジムはティール・アイに護身用のナイフを贈ったが、彼女はそのナイフで、ブーンのもっているインディアンの頭皮を盗もうとし、誤って彼に重傷を負わせてしまった。彼女はブーンを献身的に看護した。ある夜、毛皮業者マクマスターズ(ポール・フリーズ)の一味が船を襲って放火し、ティール・アイを連れ去ったが、ジム達は直ちに追跡して彼女を奪いかえし、一味の者を人質にしてマクマスターズの妨害を抑えながら河を遡っていった。ようやく目的地に近づいたとき、突然クロウ族の襲撃をうけ、船は河の真中に出て岸辺を離れぬクロウ族と対峙した。インディアンの眼をぬすんで、食物を獲るために上陸したジムが行方不明になり、ブーンは危険を冒して救いに出かけたが、ティール・アイもついてきた。傷ついて虫の息のジムを発見した彼女は、自分の体温で彼を温めて彼の危機を救った。彼等が船にかえってみると、マクマスターズの部下が一行を脅迫しているところだった。ジムの体にうちこまれた弾丸と彼等の弾丸とが同じとを発見したジム達はマクマスターズの一味を殺してしまったが、その騒ぎの間にティール・アイがいなくなった。数々の困難ののち、ようやくブラックフット・インディアンの集落にたどりつくと意外にもティール・アイが彼等を待ち受けていた。彼女のおかげで交易は友好裡にすすみ、秋のふけるころ一行は帰路についた。しかしブーンはティール・アイと結婚して後に残ったのである。
本作もインタビューではホークスのお気に入りで、「シリアスな作品に喜劇的要素を入れる」例として本作のカーク・ダグラスが負傷して指を切断するシーンを『コンドル』のグラントが旧友トーマス・ミッチェルに負傷の具合を訊かれて率直に「首が折れてる」と答えるシーンとともに上げています。ホークスは『赤い河』でこれをやりたかったもののジョン・ウェインが「何で指を切るんだ?」と納得しないのでその場面は割愛しましたが、ウェインは『果てしなき蒼空』を観て「俺が間違ってた。今度指を切るシーンがあったら受けるよ」と言ってきたそうで、ウェインが指を切るシーンがホークス作品で撮られることはありませんでしたが『リオ・ロボ』'70で重傷を負った部下に「首が折れてる」と言うシーンは撮りました。本作はネイティヴとの混血女優エリザベス・スレットが魅力的なヒロインで、カーク・ダグラスというとだいたいムッツリした顔の出演作ばかりですが本作はダグラスらしからぬ健康的な善人役で、それもなかなか悪くないのです。ダグラスとデューイ・マーティンは例によって拳で語る出会いから親友になるのですが、マーティンの叔父役でミシシッピ川沿いの先住民事情に通じ、彼らの信頼を勝ち得ているアーサー・ハニカット演じるゼブ叔父の存在が本作を異色西部劇にしていて、ミシシッピ川上流の先住民族村落との新規の毛皮取引開拓と既得権で市場を独占する毛皮商人との攻防を描いた渋いテーマの作品です。映画の作りとしてはスケールの大きさの割に地味で、貨物帆船が焼け討ちに遭うシークエンスなど起こっていることは大変なのですが(焼け死ぬか溺死するかの瀬戸際ですし、ミシシッピ川は日本人の感覚では津軽海峡や瀬戸内海ほどの大河です)その割に映像は地味なのでアクションやスペクタクルを期待するより想像力を働かせて観る必要がありますが(アメリカの観客ならば抑制された画面でも十分伝わるのでしょう)、これはさすが『赤い河』を通ってきたホークスだけある佳作です。デューイ・マーティンとエリザベス・スレットの恋もうまく描かれていて、スレットと結婚したマーティンが仕事のために一旦は一行と一緒に先住民族村落を離れるも休憩地で(あいつは残った方が良かったのに、とダグラスやゼブ叔父が話していると)やっぱり残ることにする、と一行とマーティンが「また取引の時にな」と別れます。余韻の残る良いエンディングで、ホークスらしい突き抜けた所はない映画ですが本作の場合それが良い具合に落ち着いた作風になっていて、あまり語られない作品ですが『赤い河』と対になる人情西部劇で、かつ『赤い河』にはない良い意味での哀愁も感じさせるのが本作を小粒ながら愛すべき作品にしています。
●10月21日(土)
ヘンリー・コスター/ヘンリー・ハサウェイ/ジーン・ネグレスコ/ハワード・ホークス/ヘンリー・キング『人生模様』O. Henry's Full House (フォックス'52)*117mins, B/W; 日本公開昭和28年(1953年)6月
ジャンル ドラマ
製作会社 20世紀フォックス映画
配給 20世紀フォックス [極東]
[ 解説 ] O・ヘンリーの短篇5つを、それぞれ異ったスタッフ、キャストにより映画化したオムニバス1953年作品で、5篇を通じて製作はアンドレ・ハキム、音楽は「栄光何するものぞ」のアルフレッド・ニューマン担当。なお小説家ジョン・スタインベック(「革命児サパタ」の脚本)が解説を入れている。 <第1話 警官と聖歌> 監督は「ハーヴェイ」のヘンリー・コスター、脚色は「征服への道」のラマー・トロッティ、撮影はロイド・エイハーンの担当。主演は「パラダイン夫人の恋」のチャールズ・ロートン、「ナイアガラ」のマリリン・モンロー、「アダム氏とマダム」のデイヴィッド・ウェインで、トーマス・ブラウン・ヘンリー、リチャード・カーランらが助演する。 <第2話 クラリオン・コール新聞> 「ナイアガラ」のヘンリー・ハサウェイが監督し、脚色も「ナイアガラ」のリチャード・ブリーン、撮影はルシエン・バラードの担当。主演は「嵐を呼ぶ太鼓」のデール・ロバートソンと「死の接吻(1947)」のリチャード・ウィドマークで、ジョイス・マッケンジー、リチャード・ロバー、ウィル・ライトらが助演する。 <第3話 残った葉> 監督は「嵐を呼ぶ太鼓」のジーン・ネグレスコ、脚色は「艦長ホレーショ」のアイヴァン・ゴッフとベン・ロバーツ、撮影は「ナイアガラ」のジョー・マクドナルドの担当。主演は「イヴの総て」のアン・バクスター、「ナイアガラ」のジーン・ピータース、「イヴの総て」のグレゴリー・ラトフの3人、リチャード・ギャリック、スティーヴン・ジェレイらが助演。 <第4話 酋長の身代金> 監督は「果てしなき蒼空」のハワード・ホークス、脚色は「クーパーの花婿物語」のナナリー・ジョンソン、撮影はミルトン・クラスナー(「イヴの総て」)の担当。主演はラジオ、テレビの芸人フレッド・アレンと「巴里のアメリカ人」のオスカー・レヴァント、リー・アーカー、アーヴィング・ベーコンらが助演する。 <第5話 賢者の贈物> 「キリマンジャロの雪」のヘンリー・キングが監督し、脚色は「ロッキーの春風」のウォルター・バロック、撮影は第3話のジョー・マクドナルドの担当。主演は「一ダースなら安くなる」のジーン・クレインと「見知らぬ乗客」のファーリー・グレンジャー、フレッド・ケルシー、シグ・ルーマンらが助演する。
[ あらすじ ] <第1話 警官と聖歌> 紳士気取りで人の善いルンペン男ソーピイ(チャールズ・ロートン)は、夏は涼しいセントラル・パークで、冬は暖かい留置所で暮らすことにしていた。ある年の冬、彼は仲間のホレス(デイヴィッド・ウェイン)に、留置所に入る秘術を伝授しようとしたが、どうもうまく警官に捕まらなかった。ソーピイは美しい街の女(マリリン・モンロー)に声をかけたが、かえって彼女に好意をよせられ面喰らって逃げ出す始末。ある教会に入り、オルガンの響に心打たれてルンペン渡世から足を洗おうと決心した。そして教会を出たとたん、浮浪罪として警官に捕まり、3ヶ月の禁固をくらった。 <第2話 クラリオン・コール新聞> 刑事のバーニイ(デール・ロバートソン)は、迷宮入りになった殺人事件の犯人をやくざもののジョニイ(リチャード・ウィドマーク)だとにらんだ。バーニイとジョニイは幼な友達で、2人は十数年ぶりで再会したのだ。バーニイはジョニイに証拠をつきつけて迫ったが、そのときジョニイはバーニイに、その昔千ドル貸したことをもち出した。バーニイはそのためジョニイを一応見逃し、千ドルの工面を考えた。折よく「クラリオン・コール」という町の一流新聞が、犯人の名前を通告したものに千ドル与えるという懸賞を出した。バーニイは賞金を手に入れてジョニイに借金を返し、心おきなく彼を逮捕することができた。 <第3話 残った葉> 恋人にすてられた若い女画学生ジョアンナ(アン・バクスター)は、失望にうちひしがれ、寒いニューヨークの街をさまよった末、姉スーザン(ジーン・ピータース)と一緒に住むアパートにたどりつくと、そのまま病の床に伏した。医師は肺炎と診断し、ジョアンナが生きる希望を取り戻さなければ助からないと言った。彼女は自分の部屋の窓ぎわに生えている蔦にある21枚の葉が、その1枚ごとに彼女の1年間の生命を意味し、最後に残った葉が風に吹き落とされたら、自分は死ぬと思いこんでしまった。彼女の容態は悪化し、ある朝、蔦も葉も最後の1枚になった。途方にくれたスーザンは、バーマン(グレゴリー・ラトフ)という自分の才能に自信を失った画家に悩みを訴えた。強風の吹きすさんだ1夜が明け、ジョアンナが目を覚ました時、最後の1葉がそのまま残っているのを見て元気を取り戻した。実は最後の葉は風に吹き飛んだのだが、バーマンが描いた葉を枝につけておいたのだ。夜中寒風にさらされたバーマンは、そのため急死してしまった。 <第4話 酋長の身代金> サム(フレッド・アレン)と相棒のビル(オスカー・レヴァント)は、金持ちの子供を誘拐して身代金を稼ごうとアラバマの村へやって来た。2人はうまく少年を誘拐することに成功、さっそく身代金請求の手紙を少年の両親宛てに出した。ところが、この少年、インディアンの酋長気どりの腕白小僧で2人はほとほと手を焼いた。そのうち、両親から手紙が来たが、それには身代金を払わないと言うばかりか、どうしても少年を返したいなら250ドルよこせと書いてあった。腕白小僧にさんざん手こずった2人は、少年を送り返し250ドルまきあげられた。 <第5話 賢者の贈物> 相思相愛の若夫婦デラ(ジーン・クレイン)とジム(ファーリー・グレンジャー)は、貧乏なのでクリマス・イヴが来るのにお互いの贈物を買うことができなかった。デラは出勤するジムを送りながら一緒に街に出、途中で2人はある宝石商のウィンドウの前に立ち止まった。ジムは素敵な櫛に目をつけ、これがデラのふさふさした金髪を飾ったらさぞ美くしかろうと考えた。一方デラはプラチナの時計入れを見て、これはジムの骨董的な金の懐中時計を入れるのにふさわしいと思った。2人はそこで別れたが、お互にいま目をつけたプレゼントを買う金の工面に心をくだいた。デラは思い切って自分の髪を売り、ジムは時計を売った。夕刻、2人は贈物を交換したがどちらも当分の間役に立つものでなかった。しかし2人はお互いの愛を身に沁みて感じた。
第1話は「警官と賛美歌」、第3話は「最後の一葉」、第4話は「赤い酋長の身代金」、第5話は「賢者の贈り物」という邦題の方が定着しているでしょう。映画の邦題『人生模様』は悪くないですが、原題直訳『O・ヘンリーのフルハウス』の方が企画内容を伝えているオムニバス映画です。監督は1885年生まれのヘンリー・キングを最年長に1900年生まれのジーン・ネグレスコが最年少、いずれにせよ20年~30年の監督歴を誇るヴェテラン監督が揃っており、作家のスタインベックが書斎でO・ヘンリーについて語る場面を冒頭からエピソードごとの合間に入れており、ジャンルとしてはアメリカ人なら誰でも知っている、または必須教養でもある20世紀初頭の国民的大衆作家ヘンリーの有名作品5編を20分ずつの短編映画のオムニバスにしたファミリー映画といったところでしょうか。知名度が低いのは第2話「クラリオン・コール新聞」かと思いますがサスペンス味の強い犯罪話も入れたかったのでしょう。俳優は第1話のホームレス紳士を演じるチャールズ・ロートンが素晴らしく、食い逃げしたレストランからつまみ出され「忘れ物だぞ」と投げられた傘を垂直のままパシッと受け取るカットなど監督ヘンリー・コスターを見直します。第2話のリチャード・ウィドマークも強烈で、オチを床に落ちた新聞の懸賞金の見出しで示すのも常套手段ですが短編ならではの切れ味。第3話でグレゴリー・ラフトがアクション・ペインティングで描いた絵を画商に持ち込んで「1950年なら売れるかもしれんが」と言われる台詞がおかしく、病床の妹アン・バクスターと看護する姉のジーン・ピータースに話は移りますが、ウィドマークとピータースは翌'53年のサミュエル・フラー『拾った女』の主演コンビでこんな所に接点があったとは。大トリの御大キングの『賢者の贈り物』は正攻法で泣かせます。さて目的のホークス作品の第4話というと、ダメ男の悪党二人が少年を誘拐して身の代金を要求するも少年に散々な目に遭わされ、誘拐した家にお金を払って引き取ってもらう話がサイレント時代の喜劇映画のノリでゆるーく描かれます。ホークスの短編だけだと何てことのない安手のテレビ用短編みたいですが(とぼけた味はなかなかですが)、オムニバス映画全体では本作は統一感とヴァラエティ具合に釣り合いのとれた秀作オムニバス作品でしょう。この手の企画物は出来不出来や不統一、その逆手で散漫に陥りやすく、結局短編単位で評価するしかないようなものになりがちですが、本作は上手くいっています。ルイ・マル、ロジェ・ヴァディム、フェリーニのE・A・ポー原作のオムニバス『世にも怪奇な物語』'68という成功作もありますが、あれもよくできた怪奇映画オムニバスでしたが、『人生模様』はさりげない映画ながら満足のいく好企画で、普通の娯楽映画を構えずに楽しみたい時に、ぜひ。普通と言ってもヘンリー・キングの『賢者の贈り物』は大トリだけあってラスト・カットの長回しでクレーン撮影のカメラがどうやって撮ったのか見当もつかないとんでもない動きをします。これだから映画は見せかけから来る先入観ではわからないのです。