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映画日記2017年8月6日・7日/イングマール・ベルイマン(1918-2007)の'70年代作品(2)

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 ベルイマンの1970年代作品(52歳~62歳)は非常に作品の出来ばえにムラのある時期で、
・『フォール島の記録』(スウェーデン'70) ドキュメンタリー
・ 第32作『愛のさすらい(ザ・タッチ)』(アメリカ/スウェーデン'71)
・ 第33作『叫びとささやき』(スウェーデン'73)
・ 第34作『ある結婚の風景』(スウェーデン'74) テレビ用映画、劇場用劇映画
・ 第35作『魔笛』(スウェーデン'75) テレビ用映画
・ 第36作『鏡の中の女』(スウェーデン=アメリカ'76)*136min, Eastmancolor, Widescreen テレビ用映画
・ 第37作『蛇の卵』(西ドイツ'77)
・ 第38作『秋のソナタ』(西ドイツ'78)
・ 『フォール島の記録1979』(スウェーデン'79)テレビ用ドキュメンタリー
・ 第39作『夢の中の人生』(西ドイツ'80)
 が'70年代作品に上げられますが、このうち成功作とされるものは2作のドキュメンタリーを除く長編劇映画では『叫びとささやき』『ある結婚の風景』『秋のソナタ』の3作と、微妙なところでオペラ映画『魔笛』が入るかどうか、というところでしょう。『叫びとささやき』は『沈黙』'63以来の成功作となった作品でしたが(批評的評価の高い『仮面/ペルソナ』'66は『狼の時刻』'68からの孤島三部作同様意欲の空転した失敗作と見ています)、全長5時間のテレビシリーズとして作られ3時間の劇場公開版に再編集された『ある結婚の風景』は『叫びとささやき』で取り戻した安定した映像的文体から再び趣向を変えた試みの目立つ作品になりました。この手法は本作に限って言えば効果を上げ、テレビ放映版は大反響を呼んでベルイマンをお茶の間の巨匠にし、劇場公開版も各国で絶賛されることになります。おそらくベルイマン作品では'50年代、'60年代の代表作以上に知られている作品ではないでしょうか。

●8月6日(日)
●8月7日(月)
『ある結婚の風景』Scener ur ett aktenskap (スウェーデン/シネマトグラフ社, スウェーデン放送協会TV, スヴェンスク・フィルム'テレビ放映73/劇場公開'74)*299min(テレビ放映版第1部~第3部145min+第4部~第6部154min), Eastmancolor, Standard(テレビ放映版), Widescreen(劇場公開版) テレビ映画、劇場用劇映画 ; 日本テレビ放映昭和55年(1980年)9月29日~10月4日(朝日系), 劇場公開昭和56年(1981年)3月、キネマ旬報ベストテン第8位

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・ニューヨーク批評家協会賞脚本賞/女優賞、全米批評家協会賞作品賞/主演女優賞/助演女優賞/脚本賞、ゴールデングローヴ賞外国語映画賞、カンザスシティ映画批評家協会賞外国語映画賞受賞。ある一組の夫婦の結婚と離婚を描き当初スウェーデン国営放送のもとで各50分6エピソード全5時間のテレビシリーズとして企画・製作されたもの。劇場公開版は2時間55分に短縮されたが現在は5時間のテレビ放映版の映像ソフトの方が普及しており、今回もテレビ放映用全長版を鑑賞。ベルイマンの原案・単独脚本、撮影はスヴェン・ニイクヴィスト、音楽はオーヴェ・スヴェンソン、テレビ版と劇場版の編集はベルイマンとシーヴ・ルンドグレーンによる。結婚10年目を迎えて二人の間の娘二人と共に安定した暮しを送っている42歳の応用心理研究所の助教授ユーハン(エールランド・ユーセフソン)と35歳の親族法・民法の弁護士マリアン(リヴ・ウルマン)は理想的夫婦として家庭雑誌の取材の女性記者のインタビューを受け、二人は夫婦関係について語る。数日後、夫婦の共通の友達夫婦ペーテル(ヤーン・マルムシェー)とカタリーナ(ビビ・アンデション)を夕食に招いた二人は、会話の途中から罵りあい始め離婚話まで始めた友人夫婦に唖然としながら仲介をする。その晩夫に妊娠を告げたマリアンヌに夫婦は一度は出産を決めるが、結局堕胎手術を受ける(以上第1部「無邪気さとパニック」)。ユーハンは研究室で実験し、マリアンは法律事務所で依頼人の相談に応じるという相変らずの毎日が過ぎてゆくが、ユーハンは同僚に閲読してもらった詩集に酷評を受けたことから不機嫌が続き、マリアンは毎週日曜に実家に顔を出す習慣に疲れる。マリアンは結婚20年目で子供たちの自立を期に離婚したいという老婦人の依頼人の話に畏れを覚える(以上第2部「じゅうたんの下を掃除する方法」)。二人は遂に夫婦関係が崩れる時を迎える。ある夏の夕方、二人の娘と田舎の別荘にいたマリアンをユーハンが突然訪れる。喜ぶ彼女に、自分には実は仕事で知りあったポーラという恋人がいるときっぱりと告白するユーハン。その晩、激しく言い争った後、ユーハンはポーラと住むために荷物をまとめて翌朝出て行く(以上第3部「ポーラ」)。それから8か月経ってユーハンからの電話を受けたマリアンはユーハンを自宅に沼き、久しぶりにじっくりと話しを交す。その夜、ベッドを共にした二人は、しかしお互いにどうにもならない溝を感じる(以上第4部「涙の谷」、第5部「無知なる者たち」)。2年後に正式に離婚し、それから数年の間に二人の生活は大きく変わる。ヨハンは恋人と別れ別の女性と結婚し、マリアンも幾つかの恋人を経て新しい夫を得ていた。しかし10年後の今では、何のわだかまりもなくなっていた二人は時々会い、深い理解をもって本心を語り合い、静かな時を共に過ごすようになっていた(以上第6部「サマーハウスで夜中に」)。子供たちの姿は第1部冒頭で1シーンだけ、数組の友人夫婦も1組が第1部だけ、ユーハンの同僚もマリアンの依頼人も冒頭の部で少し出てくるだけで二人の実家の両親ばかりか恋人、愛人、再婚相手などは会話の中にしか出てこない。第3部~第6部などはほぼ完全にリヴ・ウルマンとエールランド・ユーセフソンの二人芝居で舞台もほぼ一室に限られる。作りとしては孤島三部作終編の『情熱』や『愛のさすらい(ザ・タッチ)』に近いのだがテレビ放映版はずっと長大にも関わらずはるかに密度が高く集中力がある。夫役のユーセフソンの貢献が大きく、孤島三部作のマックス・フォン・シードウの狂気や『愛のさすらい(ザ・タッチ)』のエリオット・グールドはベルイマン自身を投影した配役だったのだが説得力のあるキャラクターにならなかった。ユーセフソンはベルイマン単独オリジナル脚本が占める'60年代作品以降唯一『この女たちのすべてを語らないために』'64の単独脚本を任された演劇人でベルイマンの意を汲み、日常的な設定の作品でベルイマン自身を投影したキャラクターを演じるには最適の俳優だったのがまずこの作品の成功を約束した。リヴ・ウルマンはベルイマンの愛人で子供まである女優だからベルイマン脚本に描かれた男性像が日常的であればあるほど的確なリアクションを返せる。本作では子供たちや友人は第1部、同僚や依頼人は第2部まで、おたがいの実家の両親、恋人や再婚相手は最後まで夫婦の会話の中で言及されるだけで第3部~第6部はほとんど夫婦が一室で話しあう徹底的な室内劇になっており、日本人的感覚からすると子供を始め家族、周辺人物をここまで関与させずに夫婦の会話だけで済ませてしまうのはどんなものかと思うが、それが普通に語られる婚外セックス同様'70年代スウェーデン人の生活感覚と思えば家庭より個人と言っては語弊があるが、個人の欲求と家庭生活のバランスならばまず個人の欲求を優先する考え方としてあくまでスウェーデンの世相風俗の反映と観ていられる。映像面では夫婦二人の室内劇という設定を演技の持続を中断せずにとらえるために長回しとズーム、パンによる撮影が一貫され、これは孤島三部作の終編『情熱』で試みられ『愛のさすらい(ザ・タッチ)』では不徹底で失敗し『叫びとささやき』では従来のカット割りに戻っていたものだが、本作では急激なズームによる強調とパンによるカットを割らない切り返し効果を含まないシークエンスの方が少ないくらいで、確かに演技の持続性には成果を上げているが映像が汚い。好くも悪くもテレビドラマ的すぎて、それは全長版では5時間もの超大作なのに快適快調に観ることはできるがかつてのアメリカ映画なら100分を切る映画でもこれ以上の内容を盛り込んでいた、という不満にも通じる。'50年代いっぱいのベルイマン映画でも1時間半でもっと凝縮した内容の映画になっていた。本作の密度と集中力は主演俳優二人の充実した演技が堪能でき、それが5時間中だるみを見せずに克明にとらえられていることにあり、映画として観た場合これはやっぱり吹き替え版のテレビドラマとして観る方が良い種類の作品と思わないではいられない。劇場鑑賞でこのズーム多用は説明的かつ映像が安く、テレビ用映画第1作『夜の儀式』'69のクローズアップ過多による失敗に代わる手法としてズームとパンが導入されてテレビ用作品として成功作になったが、劇場用作品の映像としては汚くてつらいということにもなった。結局本作でも良いカットはばっちり決まったフィックス・ショットにあるが、夫婦の会話を延々と徹底して描く意図ではフィックスによるカット割りでは映画的に圧縮されたものになる。そこで本作では映画としてはあえて簡潔な編集を捨ててズーム多用の長回しで膨大な台詞劇に徹することを選んだのだろう。難癖つければ限りがないが中年既婚者・結婚経験者には身につまされる内容でベルイマン往年の代表作『第七の封印』'57、『野いちご』'57のような頭で作ったような作品ではなく年齢相応のベルイマンの本音が見える。前作『叫びとささやき』のような傑作ではないが一度は観て損はないしテレビドラマと思えばズームもテレビ画面には効果的で十分引きこまれる。孤島三部作はマックス・フォン・シードウ以外考えられないが本作の夫役をフォン・シードウが演っていたら台無しだっただろう。男から見た夫婦観と観るか、女から見た夫婦観と観るかは観客次第だが、ユーセフソン演じる夫ユーハンは的確にウルマン演じる妻マリアンの視点から描かれている。本作は数年後に舞台化されて失敗に終わったそうだが、映画として難はあったとしても映像作品ならではの成果と充実感は確かにある。犬も喰わない夫婦喧嘩映画だが、人が人である限り高確率で遭遇する人生の難題はきちんと描いてあるのだから本作も長く観られ続けていく映画だろう。

*[ 原題の表記について ]スウェーデン語の母音のうちaには通常のaの他にauに発音の近いaとaeに近いaの3種類、oには通常のoの他にoeに発音の近い2種類があり、それぞれアクセント記号で表記されます。それらのアクセント記号は機種依存文字でブログの文字規格では再現できず、auやoeなどに置き換えると綴字が変わり検索に不便なので、不正確な表記ですがアクセント記号は割愛しました。ご了承ください。

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