今回から数回はスタンリー・キューブリック(米/英・1928-1999)の監督作品のうち長編劇映画全13作を観ていきたいと思います。キューブリック作品で初めて日本公開されたのは劇映画第3作『現金に体を張れ』'56(日本公開'57年)でしたが、当時の映画会社による監督名の表記はスタンリー・カブリックで、第7作『博士の異常な愛情』'64では一時的にクブリックと変えられましたが、第8作『2001年宇宙の旅』'68では再びカブリック表記に戻っており、'ジャーナリズムでは必ずしも映画会社の表記に従わずクーブリック、クブリックなど映画批評家によってまちまちに表記されてきたのです。キューブリック表記がようやく用いられるようになったのは1969年のキネマ旬報社のムック「世界の映画作家」シリーズでアメリカ現地批評家の指摘により、以降第9作『時計じかけのオレンジ』'71(日本公開'72)から監督名の表記はキューブリック自身の承認も得て現行のスタンリー・キューブリックに統一されました。'70年代以降キューブリックは自作の訳題、字幕翻訳、広告、上映館(規模や立地条件)に至るまで世界各国すべての上映条件にチェックするようになったので(猥褻語、罵倒語、差別表現が頻出する後期作品の字幕翻訳も忠実な直訳か入念にチェックされました)、実際の発音は「キューブリック」と「クーブリック」の中間に近いそうですが本人がキューブリックでよしとしたことで決着を見たと言えるでしょう。
ニューヨークに移民のユダヤ系オーストリア/ハンガリー人家系に生まれたキューブリックは戦後世代の映画監督同様大学教育を受けた映画人で、当初はドキュメンタリー分野のスチールと映画両方のカメラマンから活動を始めました。ドキュメンタリー映画に「拳闘試合の日」Day of the Fight (1950年, B/W, 16min)、「空飛ぶ牧師」Flying Padre (1951年, B/W, 9min)、『海の旅人たち』The Seafarers (1953年, Color, 30min)があり、短編2作はRKOピクチャーズのニュース映画で、中編『海の旅人たち』は全米船舶船員組合の宣伝用記録映画です。これら3本ともキューブリック自身が撮影と編集を手がけ、劇映画の初期2作もキューブリックが製作・監督・撮影・編集・録音を手がけた自主製作作品でした。第3作『現金に体を張れ』以降ハリウッドの映画監督になっていたキューブリックはイギリス製作の第6作『ロリータ』'62を経て第7作『博士の異常な愛情』'64で再びワンマン体制を強め、第8作『2001年宇宙の旅』'68で決定的な成功を手にします。
25歳の第1作から70歳の遺作『アイズ ワイド シャット』'99まで45年間に長編劇映画全13作というのはいかにも寡作で、やはりユダヤ系オーストリア/ドイツ人でトリッキーな作風を誇ったフリッツ・ラング(1890-1976)が1919年の監督第1作から70歳の引退作まで50年間に42作を監督し、キューブリックよりやや年長の同時代の監督でもスウェーデンのイングマール・ベルイマン(1918-2007)が1946年の監督第1作から1982年の監督引退作まで36年間に42作(のち84年、2003年に1作ずつ)があり、また年齢的にも同世代の映画監督といえる大島渚(1932-2013)は1959年の監督第1作から遺作になった1999年の『御法度』まで40年間に23本の監督作があります。これほど寡作なのは商業映画にあってはインディーズの映画監督並みで、キューブリックに匹敵するのはロベール・ブレッソン(仏1901-1999/1945年~1983年の38年間に13作)、ルキノ・ヴィスコンティ(伊1906-1976/1942年~1976年の34年間に14作)、ミケランジェロ・アントニオーニ(伊1912-2007/1950年~1995年の45年間に15作)、フェデリコ・フェリーニ(伊1920-1993/1950年~1990の40年間に20作)、アンドレイ・タルコフスキー(ソヴィエト1932-1986/1960年~1986年の26年間に8作)といった監督たちで、商業映画界(タルコフスキーの場合は国家文化振興政策)の中でインディペンデントな映画製作環境を勝ち取った少数のエリート監督たちでした。ただしアントニオーニのように評価の低下と高齢から晩年は10年おき、遺作に至っては人気監督を保証人にようやく製作が実現した例もあり、アメリカ映画界ほど競争が激しい環境で最晩年まで高い評価と商業的成功を維持できたのは同世代のアメリカにはキューブリックにおよぶ映画監督はいませんでしたし、キューブリック以降になるとますます商業映画の中のエンタテインメント作家とアート系作家の格差は開いていくのです。
●6月20日(火)
『恐怖と欲望』Fear and Desire (米スタンリー・キューブリック・プロダクション'53)*61min, B/W, Standard
『非情の罠』Killer's Kiss (米ユナイテッド・アーティスツ'55)*67min, B/W, Standard
●6月21日(水)
『現金に体を張れ』The Killing (米ユナイテッド・アーティスツ'56)*85min, B/W, Standard
ニューヨークに移民のユダヤ系オーストリア/ハンガリー人家系に生まれたキューブリックは戦後世代の映画監督同様大学教育を受けた映画人で、当初はドキュメンタリー分野のスチールと映画両方のカメラマンから活動を始めました。ドキュメンタリー映画に「拳闘試合の日」Day of the Fight (1950年, B/W, 16min)、「空飛ぶ牧師」Flying Padre (1951年, B/W, 9min)、『海の旅人たち』The Seafarers (1953年, Color, 30min)があり、短編2作はRKOピクチャーズのニュース映画で、中編『海の旅人たち』は全米船舶船員組合の宣伝用記録映画です。これら3本ともキューブリック自身が撮影と編集を手がけ、劇映画の初期2作もキューブリックが製作・監督・撮影・編集・録音を手がけた自主製作作品でした。第3作『現金に体を張れ』以降ハリウッドの映画監督になっていたキューブリックはイギリス製作の第6作『ロリータ』'62を経て第7作『博士の異常な愛情』'64で再びワンマン体制を強め、第8作『2001年宇宙の旅』'68で決定的な成功を手にします。
25歳の第1作から70歳の遺作『アイズ ワイド シャット』'99まで45年間に長編劇映画全13作というのはいかにも寡作で、やはりユダヤ系オーストリア/ドイツ人でトリッキーな作風を誇ったフリッツ・ラング(1890-1976)が1919年の監督第1作から70歳の引退作まで50年間に42作を監督し、キューブリックよりやや年長の同時代の監督でもスウェーデンのイングマール・ベルイマン(1918-2007)が1946年の監督第1作から1982年の監督引退作まで36年間に42作(のち84年、2003年に1作ずつ)があり、また年齢的にも同世代の映画監督といえる大島渚(1932-2013)は1959年の監督第1作から遺作になった1999年の『御法度』まで40年間に23本の監督作があります。これほど寡作なのは商業映画にあってはインディーズの映画監督並みで、キューブリックに匹敵するのはロベール・ブレッソン(仏1901-1999/1945年~1983年の38年間に13作)、ルキノ・ヴィスコンティ(伊1906-1976/1942年~1976年の34年間に14作)、ミケランジェロ・アントニオーニ(伊1912-2007/1950年~1995年の45年間に15作)、フェデリコ・フェリーニ(伊1920-1993/1950年~1990の40年間に20作)、アンドレイ・タルコフスキー(ソヴィエト1932-1986/1960年~1986年の26年間に8作)といった監督たちで、商業映画界(タルコフスキーの場合は国家文化振興政策)の中でインディペンデントな映画製作環境を勝ち取った少数のエリート監督たちでした。ただしアントニオーニのように評価の低下と高齢から晩年は10年おき、遺作に至っては人気監督を保証人にようやく製作が実現した例もあり、アメリカ映画界ほど競争が激しい環境で最晩年まで高い評価と商業的成功を維持できたのは同世代のアメリカにはキューブリックにおよぶ映画監督はいませんでしたし、キューブリック以降になるとますます商業映画の中のエンタテインメント作家とアート系作家の格差は開いていくのです。
●6月20日(火)
『恐怖と欲望』Fear and Desire (米スタンリー・キューブリック・プロダクション'53)*61min, B/W, Standard
『非情の罠』Killer's Kiss (米ユナイテッド・アーティスツ'55)*67min, B/W, Standard
●6月21日(水)
『現金に体を張れ』The Killing (米ユナイテッド・アーティスツ'56)*85min, B/W, Standard