グリフォン Gryphon - 真夜中の饗宴 Midnight Mushrumps (Transatlantic, 1974) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PLvpDlRYhY57sc2qF05dAd6Q0WhW_yaElc
Recorded by Dave Grinsted at the Chipping Norton Recording Studios, Oxfordshire, in January 1974
Released by Transatlantic Records TRA 282, April 1974
Produced by Gryphon
(Side One)
A1. 真夜中の饗宴 Midnight Mushrumps (Harvey) - 18:58
(Side Two)
B1. 田舎の少年の夢 The Plough-Boy's Dream (Trad. Arr. by Gryphon) - 3:02
B2. 仕立屋の最後のひらめき The Last Flash of Gaberdine Taylor (Taylor) - 3:58
B3. ガランド・ロック Gulland Rock (Gulland) - 5:21
B4. ちんぷんかんぷん Dubbel Dutch (Taylor) - 5:36
B5. エテリオン Ethelion (Gryphon) - 5:15
[ Gryphon ]
Richard Harvey - Recorders (sopranino, descant, treble & tenor), Krumhorns (soprano, alto & tenor), Harmonium, Pipe Organ, Grand Piano, Harpsichord, Electric Pianos, Toy Piano, Keyboard Glockenspiel, Mandolin, Vocals.
Brian Gulland - Bassoon, Bass Krumhorn, Tenor Recorder, All Keyboards on "Gulland Rock", Vocals, Laugh and Candlestick Rotation.
Graeme Taylor - Guitars (acoustic, semi-acoustic, classical, electric & 12-string), Vocals and Raincoat.
Philip Nestor - Bass Guitars, Vocals.
David Oberle - Drums, Timpani, Percussion, Lead Vocals, Headache and Candlestick.
*
(Original Transatlantic "Midnight Mushrumps" LP Liner Cover)
イギリス王立音楽院(Royal College of Music)在学中の大学生リチャード・ハーヴェイとブライアン・ガランドを中心に1971年に結成されたグリフォンは、同年末早くもイエスの前座を勤めてイエス所属のマネジメントに認められ、1973年6月にデビュー・アルバム『Gryphon』(邦題『鷲頭、獅子胴の怪獣』)を発表します。デビュー・アルバムではリーダーのハーヴェイとメイン・ソロイスト(バスーン!)のガランドに加えてギターにグレアム・テイラー、ドラムスとヴォーカルにデヴィッド・オバリーの4人編成のレコーディングで、内容は音楽院でイギリス古楽(ルネサンス~バロック時代)を専攻していたハーヴェイとガランドらしい、古楽俗曲のグリフォン流アレンジによる小品集でした。ロック色はほとんどなく、テイラーの得意としたブリティッシュ・トラッドの要素はありましたが'60年代末から活動していたブリティッシュ・トラッド系フォーク・ロックバンドのフェアポート・コンヴェンション、ペンタングル、スティーライ・スパンらとは音楽性はまったく異なり(スティーライ・スパンとはメンバー間が親しかったそうですが)観客やレコード会社もグリフォンはプログレッシヴ・ロックの変種と見なしていたのです。
1973年6月デビューというのもグリフォンにとっては幸運で、当初バンドは中心メンバー二人が王立音楽院在学中だったため助成金を受けて活動を行うことができたのです。また新進気鋭のパブリシスト、マーティン・ルイスの売り込みで1973年9月にはサー・ピーター・ホール演出監督、ジョン・ギルバート主演によるシェイクスピアの『テンペスト』の音楽を担当することになり、そのために作曲・演奏されたのが舞台版は21分半アレンジの本作タイトル曲「Midnight Mushrumps」でした。この曲名も『テンペスト』の一節から採られています。
*
(Original Transatlantic "Midnight Mushrumps" LP Incert 8-page Booklet & Side One/Side Two Label)
舞台『テンペスト』の公演は1974年4月にイギリス国立三大劇場の一つ、ロイヤル・ナショナル・シアター(あと二つはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーとロイヤル・オペラ・ハウス)で、本作発売と同月に行われました。というより舞台公演に合わせて急遽アルバム制作が決定したのでしょう。本作は第2作にしてバンドの初セルフ・プロデュース作になり、ベーシストを迎えた5人編成(クレジットのギャグに注意)で今回はB1以外メンバーのオリジナル曲で固め、凄いテクニックで演奏難易度も高ければ音楽性も複雑極まりないものをさらっとやってのけており、バンドの創作力の充実たるやデビュー・アルバムは習作に過ぎなかったとすら思えてくるほどです。舞台『テンペスト』の好評を受けてグリフォン単独の『Midnight Mushrumps』公演も同年7月、ロイヤル・オールド・ヴィック・シアターの恒例の月替わり毎週日曜晩コンサートで行われ、イギリス国立劇場でロックバンドがコンサートを開いた空前絶後の事例になりました。8月には1974年12月発売のサード・アルバム『Red Queen to Gryphon Three』(邦題『女王失格』)を制作。11月~12月はイエスの前座として北米ツアーを回ったグリフォンでしたが、その直後から突然失速してしまいます。1973年9月の『テンペスト』の舞台音楽依頼は予定通り履行されたものの、同年10月に始まった中東戦争による第1次オイルショック(第2次はイラン革命による1979年、第3次は2008年の「サブライム・ショック」)により1974年上半期中に西洋及び資本主義諸国は年間物価上昇率平均25%に見舞われ、バンドの絶調期だったグリフォンは『真夜中の饗宴』~『女王失格』と同時期に音楽院からの助成金を打ち切られてしまったのです。
一連のプロジェクト(『テンペスト』の舞台音楽、イエスの北米ツアー前座)がオイルショックによる打撃の前に決定していたからこそ1974年には4月、12月と2枚のアルバム、しかもグリフォンの傑作として1、2を争うものを連発できましたが、1975年にはグリフォンは厳しい状況に立たされます。しかしもしデビューが1年遅れていたらグリフォンはデビュー作1枚で解散を余儀なくされていたかもしれないので(英米ロックには1作だけ、2作だけというバンドがごまんといます)、際どいところで5枚ものアルバムを残したバンドとも言えるのです。
Recorded by Dave Grinsted at the Chipping Norton Recording Studios, Oxfordshire, in January 1974
Released by Transatlantic Records TRA 282, April 1974
Produced by Gryphon
(Side One)
A1. 真夜中の饗宴 Midnight Mushrumps (Harvey) - 18:58
(Side Two)
B1. 田舎の少年の夢 The Plough-Boy's Dream (Trad. Arr. by Gryphon) - 3:02
B2. 仕立屋の最後のひらめき The Last Flash of Gaberdine Taylor (Taylor) - 3:58
B3. ガランド・ロック Gulland Rock (Gulland) - 5:21
B4. ちんぷんかんぷん Dubbel Dutch (Taylor) - 5:36
B5. エテリオン Ethelion (Gryphon) - 5:15
[ Gryphon ]
Richard Harvey - Recorders (sopranino, descant, treble & tenor), Krumhorns (soprano, alto & tenor), Harmonium, Pipe Organ, Grand Piano, Harpsichord, Electric Pianos, Toy Piano, Keyboard Glockenspiel, Mandolin, Vocals.
Brian Gulland - Bassoon, Bass Krumhorn, Tenor Recorder, All Keyboards on "Gulland Rock", Vocals, Laugh and Candlestick Rotation.
Graeme Taylor - Guitars (acoustic, semi-acoustic, classical, electric & 12-string), Vocals and Raincoat.
Philip Nestor - Bass Guitars, Vocals.
David Oberle - Drums, Timpani, Percussion, Lead Vocals, Headache and Candlestick.
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(Original Transatlantic "Midnight Mushrumps" LP Liner Cover)
イギリス王立音楽院(Royal College of Music)在学中の大学生リチャード・ハーヴェイとブライアン・ガランドを中心に1971年に結成されたグリフォンは、同年末早くもイエスの前座を勤めてイエス所属のマネジメントに認められ、1973年6月にデビュー・アルバム『Gryphon』(邦題『鷲頭、獅子胴の怪獣』)を発表します。デビュー・アルバムではリーダーのハーヴェイとメイン・ソロイスト(バスーン!)のガランドに加えてギターにグレアム・テイラー、ドラムスとヴォーカルにデヴィッド・オバリーの4人編成のレコーディングで、内容は音楽院でイギリス古楽(ルネサンス~バロック時代)を専攻していたハーヴェイとガランドらしい、古楽俗曲のグリフォン流アレンジによる小品集でした。ロック色はほとんどなく、テイラーの得意としたブリティッシュ・トラッドの要素はありましたが'60年代末から活動していたブリティッシュ・トラッド系フォーク・ロックバンドのフェアポート・コンヴェンション、ペンタングル、スティーライ・スパンらとは音楽性はまったく異なり(スティーライ・スパンとはメンバー間が親しかったそうですが)観客やレコード会社もグリフォンはプログレッシヴ・ロックの変種と見なしていたのです。
1973年6月デビューというのもグリフォンにとっては幸運で、当初バンドは中心メンバー二人が王立音楽院在学中だったため助成金を受けて活動を行うことができたのです。また新進気鋭のパブリシスト、マーティン・ルイスの売り込みで1973年9月にはサー・ピーター・ホール演出監督、ジョン・ギルバート主演によるシェイクスピアの『テンペスト』の音楽を担当することになり、そのために作曲・演奏されたのが舞台版は21分半アレンジの本作タイトル曲「Midnight Mushrumps」でした。この曲名も『テンペスト』の一節から採られています。
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(Original Transatlantic "Midnight Mushrumps" LP Incert 8-page Booklet & Side One/Side Two Label)
舞台『テンペスト』の公演は1974年4月にイギリス国立三大劇場の一つ、ロイヤル・ナショナル・シアター(あと二つはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーとロイヤル・オペラ・ハウス)で、本作発売と同月に行われました。というより舞台公演に合わせて急遽アルバム制作が決定したのでしょう。本作は第2作にしてバンドの初セルフ・プロデュース作になり、ベーシストを迎えた5人編成(クレジットのギャグに注意)で今回はB1以外メンバーのオリジナル曲で固め、凄いテクニックで演奏難易度も高ければ音楽性も複雑極まりないものをさらっとやってのけており、バンドの創作力の充実たるやデビュー・アルバムは習作に過ぎなかったとすら思えてくるほどです。舞台『テンペスト』の好評を受けてグリフォン単独の『Midnight Mushrumps』公演も同年7月、ロイヤル・オールド・ヴィック・シアターの恒例の月替わり毎週日曜晩コンサートで行われ、イギリス国立劇場でロックバンドがコンサートを開いた空前絶後の事例になりました。8月には1974年12月発売のサード・アルバム『Red Queen to Gryphon Three』(邦題『女王失格』)を制作。11月~12月はイエスの前座として北米ツアーを回ったグリフォンでしたが、その直後から突然失速してしまいます。1973年9月の『テンペスト』の舞台音楽依頼は予定通り履行されたものの、同年10月に始まった中東戦争による第1次オイルショック(第2次はイラン革命による1979年、第3次は2008年の「サブライム・ショック」)により1974年上半期中に西洋及び資本主義諸国は年間物価上昇率平均25%に見舞われ、バンドの絶調期だったグリフォンは『真夜中の饗宴』~『女王失格』と同時期に音楽院からの助成金を打ち切られてしまったのです。
一連のプロジェクト(『テンペスト』の舞台音楽、イエスの北米ツアー前座)がオイルショックによる打撃の前に決定していたからこそ1974年には4月、12月と2枚のアルバム、しかもグリフォンの傑作として1、2を争うものを連発できましたが、1975年にはグリフォンは厳しい状況に立たされます。しかしもしデビューが1年遅れていたらグリフォンはデビュー作1枚で解散を余儀なくされていたかもしれないので(英米ロックには1作だけ、2作だけというバンドがごまんといます)、際どいところで5枚ものアルバムを残したバンドとも言えるのです。