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2017年映画日記4月23日~4月26日/ヴィム・ヴェンダース(1945-)の三部作+1

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 ヴィム・ヴェンダース(1945-)の1980年代の日本でのにわか人気は今では当時を知らない人にはちょっと想像もつかないくらい絶大なものでした。それは非常に影響力の強い批評家の絶賛に煽られてヴェンダースを褒めないと見識を疑われるような風潮になり、折りよく『パリ、テキサス』'84がカンヌ映画祭グランプリになり、さらにヴェンダースの系列に連なるジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』'84もカンヌ映画祭カメラ・ドール賞を獲得してヴェンダース/ジャームッシュともども大ヒットを記録し、ジャームッシュの次作『ダウン・バイ・ロー』'86、ヴェンダースの次作『ベルリン・天使の詩』'87はさらに鳴り物入りのヒットになったのです。ヴェンダースは1970年の長編第1作『都市の夏』から『パリ・テキサス』の前作『ことの次第』'82まですでに10本の日本劇場未公開長編があり、それらはドイツ文化センター(ゲーテ・インテテュスート)や日仏会館(当時)、アテネ・フランセ文化センターなどで非営利上映されて評判を呼んだ後で次々に一般劇場公開、映像ソフト・リリースされました。率直に言って'90年代以降の作品が精彩を欠いていたためにヴェンダースは急速に人気を落としてしまいましたが、ヨーロッパでヴェンダースが評価を確立したのがいずれもリュディガー・フォーグラーが主人公の旅人を演じる'73年~'77年の3作で、これらは「ロード・ムーヴィー三部作」と称されました。『パリ、テキサス』もロード・ムーヴィーの範疇に入るのですが、その前作でフォーグラー主演作でこそありませんがそれまでのヴェンダース映画の総決算的作品になったのが『ことの次第』でした。今回は三部作と『ことの次第』をひさしぶりに観直してみました。

●4月23日(日)
『都会のアリス』(西ドイツ'73)*111mins, B/W
・16mmブローアップと思われる粗いB/W映像(実際そうだった)、ラジオやテレビの断片的ノイズ。音楽・CAN。カーラジオからストーリーズの「Louis Louis」、ドライヴインのジュークボックスからカウント・ファイヴ「Psychotic Reaction」が流れる(ジュークボックスの客の役がヴェンダース本人らしい)。ルポライターの主人公(リュデガー・フォーグラー)はアメリカ探訪記を書くためくまなくアメリカ各地を取材したのに書けない。「どこも同じだ。同じラジオ、同じテレビ」テレビでは『若き日のリンカーン』(ジョン・フォード)が放映されている。旅客機ストでアムステルダム経由でドイツに帰国することになったが行き先が同じ母子家庭の9歳の少女を預かっているうちに母親は現れず「後から行く」と少女を託されてしまう。オランダは少女の出生地で何となく覚えているという。持て余してオランダで少女の祖母の家を探すウッバータールの町のカフェでキャンド・ヒートの「On the Road Again」。警察に少女を預けた後ポスターをみかけふらりとチャック・ベリーの野外ライヴを観る(「Memphis, Tennessee」)。そろそろ家が見つかりそう、自動証明写真ボックスで2ショット、カーラジオから(?)一瞬ストーンズの「Angie」。警察から祖母の転居先を知らされ別れの列車に乗る二人。車中で主人公が新聞を開くと「ジョン・フォード死す」の見出し記事(1時間48分目)。カメラは窓から空中撮影で列車から次第にロングショットになっていく。--というのがメモとりながらの鑑賞。何しろメモでも取らないと眠ってしまう。過剰なくらい既成音楽を断片的に流す性癖は第1長編『都市の夏』からあったが、ポピュラー音楽を推進力にしないと映画が進んでいかないヴェンダース作品の性質は本作が一番はっきり出ている。アリス役の女の子は美少女でもなんでもないのだが妙に色っぽく、旅程を通して実の親子のようになっていくのがうまく描かれているのでラストシーンの遠のいていく列車などしんみりする。撮影中にピーター・ボグダノヴィッチの『ペーパームーン』の試写会があり一時は撮影中止が検討されたという裏話が面白い。後から三部作の1作目と位置づけられた作品だけあるがヴェンダース作品のいつもの欠点で長さが内容を冗漫にしている。90分台に刈り込めばもっと良くなっただろうにと思うが(主に序盤)、それも個性とすれば仕方ない。

●4月24日(月)
『まわり道』(西ドイツ'75)*103mins, Eastmancolor
・町の空撮、過ぎて行くヘリコプター。カラー、35mmの美しさが際立つ。トロッグスのシングル(曲目忘失)をかける主人公ウィルヘルム(リュデガー)、突然広場に面する窓ガラスを拳で叩き割る。母親から旅に出るように勧告される。海岸を自転車で走る主人公。主人公は作家志望だが書くべきテーマがつかめない。母に教養小説の古典中の古典『のらくら者の生活』(アイヒェンドルフ)と『感情教育』(フローベール)を渡される。列車。同じコンパーメントの辻芸人老人と少女ミニヨン(ナスターシャ・キンスキー)の切符代まで払わされる。ボンに着くと郷里の恋人テレーゼ(ハンナ・シグラ)が先に来て待っており、さらにレストランで隣り合った青年(ペーター・カーン)が公園で自作詩を朗読し、旅に加わる。一堂車で宿探しすると自殺決行寸前の金持ちの寡夫の館に誘われる。寝室に忍び込んでいたミニヨンに誘惑される。翌朝、暇を持て余して夢の話に興じる。山道を散歩する長い1シーン1カットで文学と政治について論じる主人公と老人。老人は元ナチス将校だった過去を告白する。散歩中の会話相手は詩人、恋人と続く。数発の銃声に急いで館に戻る一行。館の主人は階段で首を吊って死んでいる。一行は急いで車で去り主人公の恋人の実家の都市部の別荘を宿にして、詩人は帰省し、皆の日中の行動はバラバラになる。女優の仕事の不調を訴えて主人公に当たる恋人。主人公は桟橋で元ナチス将校の老人を衝動的に突き落とそうとして止める。ミニヨンを置き去りに逃げる老人。恋人ともミニヨンとも別れて一人で旅を続ける主人公「ぼくはまだまわり道をしているようだった」。ヴェルナー・シュレーターやダニエル・シュミット、ハンス=ユルゲン・ジーバーベルク作品常連のペーター・カーン(2015年逝去)の起用が嬉しい。本作当時14歳のナスターシャ・キンスキーの貧乳ヌードも拝める。三部作中唯一のカラー作品、登場人物も多く事件にも富む分映画としてわかりやすく、長さも妥当か。日本劇場公開は夜9時からのレイト・ショーのみだったので行きも帰りもかったるかったから印象が良くないが、観直すとこれも悪くない。アントニオーニから官能性を抜き、ベルイマンからお説教を抜いたような作風ではあるが、三部作はそれぞれ特色があって良い。

●4月25日(火)
『さすらい』(西ドイツ'76)*175mins, B/W
・アヴァンに「白黒映画」「ビスタサイズ」「1975年に11日間で撮影」「同時録音」と出る。フィルムの地方巡業上映と映写機の修理が仕事の主人公ブルーノ(リュデガー)と老館主との会話。ワゴンで寝泊まりしているブルーノが朝支度をしていると中年男のワーゲンが湖に突っ込む。懐抱して同乗させるブルーノ。中年男ワルターはなかなか気が利き、公民館や小学校の上映で余興を見せて間を持たせたりする。ブルーノは腹を立てる。男はようやく小児科医であり、離婚したばかりという身の上を話す。男二人の道中記。今回音楽はカントリー・ロック調(ニール・ヤング風)オリジナルなのは映画祭出品(カンヌ映画祭国際批評家連盟賞受賞)のためか。ブルーノは女性映画館主ポーリンと親しくなり、ワルターは父親と再会し、妻に自殺された男と出会う。結局なぜ放浪生活を続けるかで仲違いし、ワルターは別れた妻の元に戻れないと告白する(『パリ・テキサス』'84のテーマの先駆)。ワルターを載せて走る電車が踏切を通過する時ちょうど通過待ちで停車していたワゴン車のブルーノとお互いの姿を認める。ラストのシークエンス、ブルーノは閉館するという田舎町の映画館にフィルム回収に立ち寄り、もう経営しきれないという女主人の話を聞く。映画は長いクレジットにオリジナル主題歌が流れて終わる。175分となると長さ自体が映画の質にも関わってくるので短縮編集したら別の映画になってしまう。本作のフォーグラーは仕事で巡業しているのだから正確には旅人ではないので中年男ワルターの方が真の主人公でもある。男二人の股旅映画というと『イージー・ライダー』や『断絶』が思い出されるが、ワルターは『イージー・ライダー』でデニス・ホッパーとピーター・フォンダが拾うホームレス弁護士ジャック・ニコルソンの位置に近い。三部作中もっとも評価の高い本作はもっとも物語性の稀薄な作品でもあって、シナリオ的にはいわゆる串ダンゴ、巡業先のエピソードの羅列でしかないから男二人の出会いと別れの冒頭と結末の間のエピソードはいくらでも増やせるしカットもできる。ブルーノが野原で野糞をするロングショットのシーンなど(本当にしている)あってもなくても構わないし女性館主とのロマンス、父との再会もそれ自体が映画の主眼ではなく旅程にたまたま起こった出来事でしかない。その偶発性の積み重ねがムードになっている映画で、広く批評家から評価されるとともにエリック・ロメールから「アントニオーニの系譜に連なる実存主義映画」と一蹴され、同世代の女性ユダヤ系映画作家シャンタル・アケルマン(1950-2015)から「世界の覇権願望を夢見るドイツ的アーリア思想の残滓」と痛烈に批判された面が裏側には確かにある。アケルマンの実作はヴェンダースと徹底的に対立する作風でむしろ現在ではヴェンダースより高い評価を受けているのも思いあわされ、『さすらい』の良さを認めても風化した面は確かにあるのを感じる。

●4月26日(水)
『ことの次第』(西ドイツ'82)*121mins, B/W
・いきなり滅びた惑星の廃墟をさ迷う宇宙服の一団から映画は始まる。B/W映像にカラーフィルターをかけた画像から作中作なのはすぐに見当がつく。続いて現実、通常のB/W映像になってポルトガルの海岸のホテルでごろごろする映画スタッフ・キャスト一堂。彼らのやりとりから冒頭の映像は'50年代SF映画『ザ・サヴァイヴァー』のリメイクの撮影中のラッシュ・フィルムで、2年前に台風で大破したこのホテルをそのまま宿泊先かつセットにしてアメリカとヨーロッパのスタッフ・キャストの合作インディペンデント映画の大作にしようとしているのがわかる。ところが撮影開始2週間で撮影続行資金が底を突くトラブルが生じる。資金ぐりのために撮影済みフィルムを持ってロサンゼルスに戻ったプロデューサーのゴードンとも音信不通になる。撮影隊みんなに広がる不安。監督フリッツ(パトリック・ボーショー)はゴードンを探しにスタッフ・キャストを待機させて単身ハリウッドに向かい、撮影続行可能か中止かだけでも知ろうとするが、ゴードンはロサンゼルス中を逃げ回っていて撮影資金は犯罪組織の提供によるものらしいと知る。一方ポルトガルではスタッフとキャストが不安なままフリッツを待ち続ける。ロサンゼルス中を探して遂にゴードンをつかまえ一緒に車に乗るフリッツ。映画は出来るのか?「おれにもわからん」とゴードン。車から駐車場に下りた途端に銃撃され倒れるゴードン。フリッツは腰を低め8mmカメラを構えて周囲を見渡す。銃撃。カメラ映像がガタッと落ちて去っていく車が映る。大島渚の『東京戦争戦後秘話』'70やジャック・リヴェットの諸作を思わせる謎が謎のまま残る映画だがヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞と高い評価を受けた。ラストのプロデューサーと車でロサンゼルスの街を走りながら途方に暮れた映画談義を交わす虚無感溢れるシークエンスと突然のエンディングだけでもテレビ放映の録画テープを何度もくり返し観ている。三部作の後のデニス・ホッパー主演作『アメリカの友人』'77が評価されハリウッドに招かれるもなかなか新作の企画が決まらず、インディー製作で敬愛するニコラス・レイの晩年を撮ったドキュメンタリー長編『ニックス・ムービー/水上の稲妻』'80を経てようやく元祖ハードボイルド作家を描いた『ハメット』'82をテクニカラーで撮るもプロデュースのコッポラのプロダクションと衝突、大予算で興業成績惨敗のいきさつが反映した作品と言われる。'80年代にあえてテクニカラーに固執した次に再び、しかも'80年代にB/Wでまたしても起承転結のない大作という意気が見事に成功した作品で、登場人物誰もが「映画に未来はあるのかな」「わからない」とボヤいている映画だからアントニオーニやリヴェットの映画と同じく好き嫌いははっきり分かれるだろうが、見えない狙撃者に向かって真剣そのものの表情で8mmカメラを構えるラストシーンの主人公の姿には何だか泣けてきたりもする。ヴェンダースのロード・ムーヴィーは移動よりも停滞に重点があり、それは次作『パリ・テキサス』で開放感を得て国際的認知を確立するが、本作のような映画の危機、無力感と情けなさから生まれる感動も消えてしまった気がする。

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