松竹出身の映画監督・吉田喜重には1960年の監督デビュー作『ろくでなし』1960から現時点での最新作『鏡の女たち』2003まで19作の長編劇映画があります。同監督は松竹の若手監督登用方針によって助監督から監督へ昇進した大島渚に続き、篠田正浩らとともに助監督から監督昇進したいわゆる「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画監督の一人でした。当の監督たちはジャーナリズムのこの呼称を嫌いましたが、映画会社や映画ジャーナリズムが宣伝方策に利用し、また松竹の監督昇進の基準が自作シナリオを書けることで、文才で認められたのもフランスのヌーヴェル・ヴァーグの映画監督たちと共通点があったのは事実です。
松竹の監督たちに分があったのは専属撮影所というインフラが整備された映画づくりができたこと、一方制約は当時まだ映画俳優やスタッフの大半は会社専属制度であり、映画に関する最終的な決定権は監督にもフランスのように個人プロデューサーにでもなく、映画会社にあったことです。大島渚の第1作は監督の意向を無視して改題され公開されましたし、第4作『日本の夜と霧』(併映・吉田喜重監督作『血は乾いてる』)は公開4日目にテロ事件があったため急遽上映打ち切りになりました。大島監督は退社し、また吉田監督も1961年にはヌーヴェル・ヴァーグ・ブームは去ったとして異例の助監督降格の目にあい、監督復帰作『秋津温泉』で成功しても第6作『日本脱出』1964が完成直後の新婚旅行中に無断で結末をカットされ、松竹を退社して大島監督同様インディペンデント映画の監督になります。吉田監督作品は反・劇映画性で大島渚作品とはほとんど共通性を持ちませんが、本質的な革新性は際立っており、毀誉褒貶かまびすしいものでした。筆者は何度も観るくらいファンですので、この感想文では全力で褒めちぎりたいと思います。
1月16日(月)
『ろくでなし』(松竹大船'60)*88mins, B/W
1960年7月6日封切。脚本・吉田喜重。主演・津川雅彦、共演・川津祐介。大企業社長子息の大学生を取り巻く不良青年グループが狂言強盗の末に仲間割れし、無残な結末に至るまで。人間関係はクロード・シャブロル『いとこ同士』1959、結末に至るストーリー展開はジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』1960との類似を指摘されたが『いとこ同士』は前年10月日本公開でシナリオ成立より後、『勝手にしやがれ』は撮影直前の3月に日仏同時公開で参考にされていない。川津祐介主演『青春残酷物語』(大島渚、6月公開)にも全然似ていない。他人との自発的な関係を拒み続ける主人公を描いて成立している映画はあまり他に思いつかない。『勝手にしやがれ』の主人公は俯瞰で写されて終わったが(ラスト・カットはヒロインの仰角)、『ろくでなし』は主人公とヒロインの仰角でカット・アウトする。これだけでまったく印象が異なる。大島渚と異なってデビュー作始め併映用作品が続いた吉田監督作だが、逆にB/W映像が切れ味をいや増している。佐々木功のライヴ・シーンも最初は苦笑するが心構えして観直すと黒澤明『醉ひどれ天使』の笠置シズ子「ジャングル・ブギ」のシーンと同じくらい良い。ランボー『地獄の季節』の映画内朗読はゴダール『気狂いピエロ』より5年早い。必見。
1月17日(火)
『血は渇いてる』(松竹大船'60)*87mins, B/W
1960年10月9日封切。脚本・吉田喜重。主演・佐田啓二、共演・芳村真理。突然リストラされたサラリーマンが職場で抗議自殺しようとして失敗する。世間の同情が集まり生命保険会社のCMに起用されて人気タレント化するが、スキャンダル誌の標的になって……という陰惨な話。吉田監督はアンチ・ヒューマニズムを目的に主人公の破滅を描いたそうだが、普通の観客はどう見たって佐田啓二の主人公に同情する。当時の松竹では低予算映画のはずだがセットもエキストラも現代では20億円規模で撮影所システム時代の映画会社のインフラ力には涎が垂れる。若き日の芳村真理(悪女役)は信じられないほどキュート。『ろくでなし』のヒロイン(高千穂ちづる。第1希望は岡田茉莉子だったそうだが)にしても女優のナチュラルな魅力の引き出し方は大島渚の映画にはない資質を感じる。不況の続く21世紀にこそ必見。
1月18日(水)
『甘い夜の果て』(松竹大船'61)*85mins, B/W
1961年2月14日封切。脚本・吉田喜重、前田陽一。主演・津川雅彦、共演・嵯峨三智子。初めての共同脚本で結構ストーリーは込み入っているがプロットはシンプルで、恋人を捨てて金持ちの未亡人を狙う青年が結局何もかも失う話。悪女に豹変する嵯峨美智子がこれもありかのキュート。批評家にも観客にも松竹社内でも不評で失敗作の烙印を押され、1年間助監督に降格の異例の処分を受けた原因になった作品。結末はゴダールの『軽蔑』を連想するが、ゴダールより2年早かったから全然影響関係はない。失敗作どころか抜群にスリリングで確実にテーマの深化があると思う筆者の方が変なのか。何もかも失う自信のある人ならずとも必見。
1月19日(木)
『秋津温泉』(松竹大船'62)*112mins, Color
1962年6月15日封切。原作・藤原審爾。脚本・吉田喜重。主演・岡田茉莉子、共演・長門裕之。助監督時代から気が合った大スター女優・岡田茉莉子からのリクエストで監督復帰がかない、念願の主演に迎え、『哀愁』や『君の名は』流のすれ違い恋愛悲劇を「くり返し再会するのに、心が通わない」内面のすれ違いに置き換えた画期的な女性映画。後年に女性蔑視の暴露本で顰蹙を買った長門裕之(言わずと知れた犬猿の仲の津川雅彦兄)がぼんくら男を見事に演じるが、まさかそっちが素だったとは。初めて批評家・観客に好評な作品になりカラー作品にも成功したが、映像の耽美性を抒情性に誤解した好評とも思える。抒情的どころかドロドロに頽廃していて救いがない。結末のなだれ込むような壊滅的シークエンスは最上のアントニオーニにも匹敵する。90分未満だった前3作から110分台になって中盤ややダレるのが唯一の難点。それでも満場一致の代表作の一つ。必見。
1月20日(金)
『嵐を呼ぶ十八人』(松竹京都'63)*108mins, B/W
1963年9月11日封切。原案・皆川敏夫。脚本・吉田喜重。主演・早川保、共演・香川美子。成功作『秋津温泉』の後なのに15か月も空いたのは企画がなかなか通らなかったのに違いない。結局ティーンエイジャーの愚連隊ものになった。松竹京都作品なのは港が舞台の広島ロケのためで、造船所を仕切る主人公は手配師の連れて来た不良少年18人を手を焼きながら使うことになる。それなりに努力してまともに働かせようとするが、散々な仕打ちを受けて返されるうちに契約期間が終わって18人は去って行き、また新しい期間労働者がやって来る。注目されなかった作品だが80年代末の劇映画再復帰以来(73年~86年に13年のドキュメンタリー映画専門期間があった)もっとも再評価された作品になった。題材的には異色作でこれと次作『日本脱出』1964は作品系列から浮いて見えるが、向いていそうにない題材を面白い映画にしてしまう意外な面が表れていて、無理解や無関心を徹底的に見つめるという核心では『ろくでなし』以来全作品に通底している。早川保や香川美子は小津安二郎の助監督時代からの縁があるはずだが、この作品と小津作品でのキャラクターの違いを思うとつい笑ってしまう。全然管理職の顔ではない早川保とひどい目(溝口健二の『近松物語』のように格調高くもなく)にあう香川美子のカップルが愛おしくなるが松竹流ハッピーエンドと全然違うこのはっぴいえんどはやはりシニカルで、この作品から入ると他の吉田喜重作品、特に岡田茉莉子主演作の系列に親しめないかもしれないし逆も言えるが、ちょっと引いて見ると同じ監督でどちらもありなのは不思議でもない。広島県呉市ロケというだけでも必見。
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映画日記2017年1月16日~20日・吉田喜重(1933-)の初期5作
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