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短歌と俳句(24)五人の戦後前衛俳人

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戦後俳句の前衛運動が高柳重信句集「蕗子」(昭和25年8月)が起点ならば、金子兜太句集「少年」(昭和30年10月)が、戦後短歌における塚本邦雄歌集「水葬物語」(昭和26年)と岡井隆歌集「斉唱」(昭和31年)の関係に相当する。重信と兜太の句業、塚本と岡井の歌業は前回までで紹介した。
重信・兜太に続く前衛俳句の有力作家には、

・林田紀音夫(1924-1998)
・赤尾兜子(1925-1981)
・阿部完市(1928-2009)
・加藤郁乎(1929-2012)
・河原枇杷男(1930-)

が挙げられる。兜太と枇杷男以外はみな故人となり現代俳句も寂しくなった。代表句を挙げたい。


月光のをはるところに女の手(紀音夫)

鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ(同)

隅占めてうどんの箸を割り損ず(同)

黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ(同)

滞る血のかなしさを硝子に頒つ(同)


鉄階にいる蜘蛛智慧をかがやかす(兜子)

音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢(同)

広場に裂けた木 塩のまわりに塩軋み(同)

ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥(同)

大雷雨鬱王と会うあさの夢(同)


少年来る無心に充分に刺すめに(完市)

とんぼ連れて味方あつまる山の国(同)

ローソクもってみんなはなれてゆきむほん(同)

草木より病気きれいにみえいたり(同)

栃木にいろいろ雨のたましいもいたり(同)


冬の波冬の波止場に来て返す(郁乎)

昼顔の見えるひるすぎぽるとがる(同)

切株やあるくぎんなんぎんのよる(同)

一満月一韃靼の一楕円(同)

雨季来りなむ斧一振りの再会(同)


枯野くるひとりは嗄れし死者の声(枇杷男)

身の中のまっ暗がりの蛍狩り(同)

昼顔や死は目をあける風の中(同)

野菊まで行くに四五人斃れけり(同)

或る闇は蟲の形をして哭けり(同)

現代俳句も現代短歌に劣らず暗いが、詩型の違いか詠み口に過剰な情や詠嘆がこもらない。突き放した非情さというべき感動の排除すらある。専門歌人・俳人にははっきりと住み分けがあり、自由詩系詩人に短歌と俳句両方の試作が見られるのもそれが理由だろう。

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