コンビニ寿司2日目。ちなみに大みそかに続いて正月はチャップリン映画を観ていますが、チャップリンの映画には食事のギャグシーンがつきもので、何か飢えに対する強迫性すら感じさせられますが、それを言えばハリウッド映画ってどんなジャンルのものでも食事シーンが必ずありますね。食事を描くことで端的に登場人物の境遇を表しているわけですが、日本映画の場合はもうそれが不可能になっている。もしくは食事という記号が何も機能しないこと自体が現代性になっていて、それが当たり前になると映画にとって有効な記号がどんどんじり貧になっていく可能性もある。当然無効になった記号で盛りだくさんの昔の映画を観てもぜんぜん画面を読み取れない。日本人が昔の日本映画を観ないのも文化の風化速度が早すぎるからで、外国映画はまだしも文化的持続があるから古くても観ていられる。現在を未来につなげるには過去を現在につなげなければ駄目で、地上波の深夜映画で毎晩古い日本映画を流すべきなのになあ。と、寿司にこじつけようとしてぜんぜん寿司の出てこない作文になってしまいました。そういえば覚えている地上波深夜映画でいちばん最近に観たのは『しびれくらげ』です。くらげが寿司ネタにないのは何故だろうか?
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