Se solte por Discos MaG LPN-2412, 1971
(Lado A)
A1. Someday (Saul & Manuel Cornejo, Carlos Salom, Davey Levene) - 3:15
A2. Mary Ann (Saul Cornejo) - 5:09
A3. I'm A Niger (Saul & Manuel Cornejo, Carlos Salom) - 3:39
A4. Everybody On Monday (Saul & Manuel Cornejo) - 4:45
(Lado B)
B1. Lonely People (Saul & Manuel Cornejo) - 4:52
B2. Speed Fever (Saul & Manuel Cornejo) - 5:55
B3. Oh! Tell Me July? (Manuel & Saul Cornejo) - 2:43
B4. It's Marvellous? (Manuel Cornejo) - 3:09
[ Miembros ]
Saul Cornejo - guitarra, piano, voz primer
Carlos Guerrero - voz reserva, coros
Davey Levene - guitarra primer, coros, voz primer (A1,B3)
Ernest Samame - bajo
Carlos Salom - organo, piano (A2)
Manuel Cornejo - bateria, percussion latino, bajo (A3)
Alex Abad - percussion
前回はファースト・アルバムの、
Laghonia - Glue (MaG, 1969) Full Album : https://youtu.be/0dJH0f5g3IY
Se solte por Discos MaG LPN-2403, 1969
をご紹介した。ラゴーニアは1970年にメンバーはベースのEddy Zarausが抜けてエルネスト・サマメに交替しており、さらにバックアップ・ヴォーカルとコーラスのカルロス・ゲレロがメンバー扱いのうえアルバム制作に関してスペシャル・サンクスを捧げられている。
ラゴーニアは1965年に結成されたブリティッシュ・ビート系バンドのニュー・ジャグラー・サウンドがサイケデリック・ロックにシフトしたバンドで、デビュー曲は、
と、まだビート・グループ色が強いものだった。リード・ギタリストがアルベルト・ミラーからアメリカ人のデイヴィー・レーヴェンに代わってレーベルもMaGレコードに移籍し、68年のうちにMaGからはシングル3枚6曲を発売。新加入のオルガン奏者カルロス・サロムとともにシングルの6曲の再録音と新曲2曲を録音し、バンド名をラゴーニア(苦悩 La Agonia)に変えて1968年にデビュー・アルバムをリリースする。『Glue』とは接着剤やシンナーを意味していかにもヒッピー世代のアルバム名の臭いがする。全曲オリジナルで同時代の日本のグループ・サウンズの最良の部分と曲想やアレンジによく似た音楽性を持っている。地球の裏側で偶然同じようなことをやっていた。ただしペルーの国内ロック需要は日本よりもさらに乏しかったらしく、MaGレーベルは中堅レコード会社なのに『Glue』のプレス枚数は300枚、そのうち実売は260枚にとどまったという。日本でもそうだったが、60年代のビート・グループ(グループ・サウンズ)と70年代の主流ロックのはざまがロックにはビジネス的にもっとも厳しかった時期で、この時期のロックは音楽性を問わずアンダーグラウンドな若者文化の産物として商業的な期待はかけられなかった。日本でいえばフラワー・トラヴェリン・バンドしかり、はっぴいえんどしかり。ペルーではラゴーニア、 Jean Paul "El troglodita"(穴居人ジャン・パウル)、しかり、トラフィック・サウンドしかり。
(Original MaG "Etcetera" LP Gatefold Inner Cover)
トラフィック・サウンドにはさらにその傾向が強いが、この時期のバンドはアルバム1枚の中に多様な音楽性を詰め込んで特定のジャンル分けができないものになることが多かった。再評価が遅れたのは特定のジャンルのリスナーに注目されづらい実験的なミクスチャー性が大きい。またラゴーニアは、特に『Etcetera』ではいっそう完成度を高めたものの、トラフィック・サウンドもそうだが英語詞で歌っているばかりか、同時代のイギリスの抒情派系(ムーディ・ブルース系といってもいい)プログレッシヴ・ロックに接近しすぎてしまい、これがイギリスの名門ヴァーティゴやネオン・レーベルだったらマニアが血眼で取引するような極上アルバムにもかかわらず、ブリティッシュ・ロック愛好家からの注意は惹かなかった。また、非英米圏ロックの愛好家にとってはトラフィック・サウンドはアピール度が高いが、ラゴーニアはトラフィック・サウンドほど英米ロックが下敷きでも南米的なユニークなトリップ感覚や英米ロックにないニュアンスに富んだヴォーカル、リズム感ではペルーのバンドのアルバムならではの魅力がやや乏しい、と言える。トラフィック・サウンドのようなバンドは英米ロックにはいないが、ラゴーニアなら英米でも埋もれたインディーズ・バンドにいそうな感じがする。比較してしまうとそこが弱い。
(Original MaG "Etcetera" LP Liner Cover)
皮肉なのは、ラゴーニアのレーベル・メイトだったトラフィック・サウンドよりもラゴーニア自身よりも、『Etcetera』発表後にリード・ギターのデイヴィー・レーヴェン、パーカッションのアレックス・アバドが脱退してカルロス・ゲレロをリーダーにラゴーニアの残りのメンバーで結成したWe All Togetherの方が国内的にも国際的にも高い評価を得たことで、We All Togetherは『We All Together』1972、『Volume 2』1974(トラフィック・サウンドのメンバー参加)の2枚のアルバムを発表した後解散・再結成を繰り返して1980年代、1990年代にも一時的再結成アルバムを発表しているが、ニュー・ジャグラー・サウンド時代以上にポール・マッカートニー直系の楽曲・ヴォーカルとサウンドで、ビートルズの舎弟バンドだったバッドフィンガーのペルー版と言われるのも無理はない。全曲オリジナルだったラゴーニア時代とは打って変わって、We All Togetherのデビュー・アルバムなど全10曲中ポール・マッカートニーとバッドフィンガーのカヴァーを4曲もやっている。そのうちバッドフィンガーのカヴァー「Carry On 'Till Tomorrow」がWe All Together最大のヒット曲で、代表曲になっている。
(Original MaG "Etcetera" LP Lado A e Lado B Label)
だが『Virgin』や『Glue』の魅力は英米ロックに触発されて一歩進んだ音楽を目指し、思いがけないオリジナリティが生まれてしまった面白さと自由な発送の瑞々しさで、『Etcetera』や『Tibet's Suzzete』は音楽的な安定感と充実はさらに増したが、その分英米ロックと同じ土俵に上がってしまった観は否めない。アルバムの枚数やリリース・ペースから見てラゴーニアはトラフィック・サウンドより仕事に恵まれなかったと思われ、トラフィック・サウンドが金字塔アルバム『Virgin』を持っているようには『Glue』も『Etcetera』も決定盤とはならなかった(佳作以上、アルバムとして名盤とは言えても、ラゴーニアの独自性が完全に発揮されたアルバムとは言えなかった)。ラゴーニアの最高傑作はCDでは『Etcetera』のボーナス・トラックに収録されているオリジナルLP未収録シングルで、『Glue』発表後のエディー・ザラウス(ペース)最後の参加録音で、オルガンをフィーチャーしたノリノリのサイケデリック・ダンス・チューンで楽器の音色、メロディー、コード進行など楽想も異様な和声に見られるアレンジも頭に虫が湧いたとしか思えない強力サイケな「World Full Of Nuts」と、『Etcetera』の作風を予告して、さらに後身バンドのネーミングの由来にもなった「We All」のカップリング・シングルだろう。もし『Etcetera』ではなくこのシングルの延長線上にラゴーニアが次のアルバムを作っていたら、と思うと戦慄するほど、このシングルはすごい。サイケデリック・ロックのシングルでもこれに並ぶものは各種サイケ名曲コンピレーションを思い浮かべても思い当たらないくらいすごい。