The Nice - The Thoughts of Emerlist Davjack (Immediate, 1967) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PLEtSe5K7cJjUePFzn-c9aMo2OPq8K5Nkp (except "Rondo")
Recorded in September 1967
Released by Immediate Records Immediate?-IMSP 016, December 1967 (credited January 1968)
(Side one)
A1. Flower King of Flies (Keith Emerson, Lee Jackson) - 3:19
A2. The Thoughts of Emerlist Davjack (Emerson, David O'List) - 2:49
A3. Bonnie K (Jackson, O'List) - 3:24
A4. Rondo (Emerlist Davjack aka Dave Brubeck, Emerson, O'List, Brian Davison, Jackson) : https://youtu.be/_JLW9jzu_0Y - 8:22
(Side two)
B1. War and Peace (Emerlist Davjack? aka Emerson, O'List, Davison, Jackson) - 5:13
B2. Tantalising Maggie (Emerson, Jackson) - 4:35
B3. Dawn (Davison, Emerson, Jackson) - 5:17
B4. The Cry of Eugene (Emerson, Jackson, O'List) - 4:36
[ The Nice ]
Keith Emerson - organ, piano, harpsichord, vocals
Lee Jackson - bass, guitar, vocals, timpani
David O'List - guitar, trumpet, flute, vocals
Brian Davison - drums, tubular bells, timpani
add.
Billy Nicholls - uncredited harmony vocals on "Thoughts of Emerlist Davjack"
(日本語版ウィキペディアより)
ナイス (バンド)
ナイス(ザ・ナイス/The Nice)は、主に1960年代後半に活動したイギリスのロック・バンド。バンドの英名は「The Nice」だが、日本でのカナ表記はアルバムや資料によって「ザ・」が記載されている場合と記載されていない場合がある。<1>
ナイス
The Nice
出身地 - イングランド
ジャンル - プログレッシブ・ロック
活動期間 - 1966年~1970年
メンバー - キース・エマーソン(Kb.)
リー・ジャクソン(B.)
ブライアン・デヴィソン(D.)
デヴィッド・オリスト(G.)
イアン・ヘイグ(D.)
(Original Immediate "Thoughts of Emerlist Davjack" LP Liner Cover)
概歴
1966年12月、女性シンガーのP.P.アーノルドのバック・バンドとして結成。当初のメンバーは、結成の中心となったキース・エマーソン (キーボード)の他、リー・ジャクソン (ベース)、デヴィッド・オリスト (ギター)、イアン・ヘイグ (ドラムス)の4人で、ライブのバックバンド演奏他にミック・ジャガー=プロデュースによるアーノルドのアルバム The First Lady Of Immediate においても3曲初期ナイスの演奏が残されている。薬物常用で失調をきたしていたヘイグのドラム演奏に難があった為、同年年末ヘイグを解雇、ドラムスがエマーソンやジャクソンに昔なじみのブライアン・デヴィソンに交代した。
当初は「パット・アーノルド・アンド・ハー・ナイス」として活動を開始したが、ステージの半分はナイス単独のライブ演奏だった<2>。徐々にナイスとのリハーサルにアーノルド本人が現れなくなり、終いにはとうとうライブにも現れなくなり<3>1967年9月ナイスはバンドとして独立、マーキー・クラブなどに定期的に出演する様になる。同年11月にはデビュー・シングル「The Thought of EMERLIST DAVJACK」を、翌1968年1月にはシングルと同名のアルバム(邦題は「ナイスの思想」)をリリースした。『EMERLIST DAVJACK』とはメンバー4人の名前から作られた造語である(EMERson + o'LIST + DAVison + JACKson)。同年7月にリリースしたシングル「アメリカ(ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」挿入歌のカバー)」が全米チャート29位まで上昇し<2>、ステージで星条旗を燃やすパフォーマンスとともに話題となりナイスは少しずつ軌道に乗っていく。
(Original Immediate "Thoughts of Emerlist Davjack" LP Side 1 Label)
セカンド・アルバム「少年易老学難成 (Ars Longa Vita Brevis)」の録音中、薬物依存症で遅刻/欠席を繰り返すギターのデヴィッド・オリストを解雇。ナイスはキーボード・トリオとして再スタートする。アルバムは1968年4月に発売され、同年7月にはアメリカ公演を行った。この時のライブと新たなスタジオ録音を組み合わせ、同年8月にサード・アルバム「ザ・ナイス (The Nice)」をリリース。
サード・アルバムのリリースの後、キース・エマーソンは、ニューヨーク・シンフォニーの指揮者で、かねてからポップ/ロック・グループとの共演を望んでいたジョセフ・イーガーとコンタクトし、公演を実現した。それらの何曲かが、4作目の「フェアウェル・ザ・ナイス/組曲『五つの橋』(Five Bridges)」に収録されている。この頃からキース・エマーソンとリズム・セクションの2人との間で音楽的な意見の相違が表面化し始めた<4>。組曲『五つの橋』をリリースした後、ナイスはキング・クリムゾンと一緒にアメリカ・ツアーを行ったが、そこでキース・エマーソンはグレッグ・レイクと出会う事になる。グレッグ・レイクとの交渉が遅々として進展しない時期にエマーソンはイエスのクリス・スクワイヤにも新バンド加入を打診したが断られている。グレッグとの新バンド結成計画は、契約問題もあって、ELPの正式結成まで公表されなかった<2>。その為1970年1月頃には英国音楽紙に「ナイスにグレッグ・レイクが加入」という憶測記事がでた。
(Original Immediate "Thoughts of Emerlist Davjack" LP Side 2 Label)
1970年2月、五作目の「エレジー (Elegy)」をリリースしたナイスは、1972年のミュンヘンオリンピックのイベントへの出演なども予定されていたが<2>、4月になって解散が正式に発表され、キース・エマーソンはグレッグ・レイク、そしてアトミック・ルースターのカール・パーマーとともに、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの結成に向けて準備を開始した。
一方、リー・ジャクソンは「ジャクソン・ハイツ」、ブライアン・デヴィソンは「エヴリ・ウィッチ・ウェイ」をそれぞれ結成したが、商業的な成功には至っていない。1973年、リー・ジャクソンとブライアン・デヴィソンはスイスのキーボード・プレイヤーであるパトリック・モラーツを引き入れ「第2のナイス」を企図した<5>「レフュジー」を結成<6>。1974年にはバンドと同名のアルバムでデビューしたが、その直後、脱退したリック・ウェイクマンの後任としてパトリック・モラーツがイエスに引き抜かれ、活動停止を余儀なくされた。
2002年、「キース・エマーソン&ザ・ナイス」というグループ名で再結成ライブが行なわれ、ライブ・アルバム「ヴィヴァシタス~ライヴ・アット・グラスゴー 2002 (VIVACITAS LIVE AT GLASGOW 2002)」がリリースされた。
2008年4月15日、ブライアン・デヴィソン死去。
アルバム・ディスコグラフィー
『ナイスの思想』(The Thoughts of Emerlist Davjack) 1967
『少年易老学難成』(Ars Longa Vita Brevis) 1968
『ジャズ+クラシック/ロック=ナイス』(Nice / Everything As Nice As Mother Makes It) 1969
『ファイヴ・ブリッジズ』(Five Bridges) 1970
『エレジー』(Elegy) <7> 1971
『ヴィヴァシタス~ライヴ・アット・グラスゴー 2002』(Vivacitas) 2004 (Live, Keith Emerson & The Nice)
脚注
1. >2007年現在のアルバム発売元であるビクター・エンタテインメントのウェブサイトは、1960年代後半に活動した時期のアルバムを「ナイス」というグループ名で分類している(ただし、同バンドは2002年に再結成してライブ・アルバムをリリースしているが、このライブ・アルバムは「キース・エマーソン&ザ・ナイス」というグループ名で分類している)。また、リットー・ミュージック刊「キース・エマーソンズ・インタビュー」では当該バンドを「ナイス」と表記している。以上の点から、主に1960年代後半における活動を解説している本項では「ナイス」というバンド名を踏襲している。
2. >シンコーミュージック刊「エマーソン・レイク&パーマー 衝撃のロック・トリオ伝」より。
3. >キース・エマーソン自伝より
4. >「エマーソン・レイク&パーマー 衝撃のロック・トリオ伝」によると、キース・エマーソンがクラシックオーケストラの導入を望んだが、他の二人はその方法論に否定的だった。
5. >音楽の友社刊「イエス」(黒田史朗著)より。
6. >キース・エマーソン自伝によるとモラーツから頼まれエマーソンが元ナイスの二名を紹介している
7. >ジャケットの「砂漠に列をなして並ぶ赤い球体」はヒプノシスのデザインによるもの。
(以上、日本語版ウィキペディアより、再結成サポート・メンバー一覧を除く全文)
(注・追補=2016年3月10日、キース・エマーソン死去。)
Recorded in September 1967
Released by Immediate Records Immediate?-IMSP 016, December 1967 (credited January 1968)
(Side one)
A1. Flower King of Flies (Keith Emerson, Lee Jackson) - 3:19
A2. The Thoughts of Emerlist Davjack (Emerson, David O'List) - 2:49
A3. Bonnie K (Jackson, O'List) - 3:24
A4. Rondo (Emerlist Davjack aka Dave Brubeck, Emerson, O'List, Brian Davison, Jackson) : https://youtu.be/_JLW9jzu_0Y - 8:22
(Side two)
B1. War and Peace (Emerlist Davjack? aka Emerson, O'List, Davison, Jackson) - 5:13
B2. Tantalising Maggie (Emerson, Jackson) - 4:35
B3. Dawn (Davison, Emerson, Jackson) - 5:17
B4. The Cry of Eugene (Emerson, Jackson, O'List) - 4:36
[ The Nice ]
Keith Emerson - organ, piano, harpsichord, vocals
Lee Jackson - bass, guitar, vocals, timpani
David O'List - guitar, trumpet, flute, vocals
Brian Davison - drums, tubular bells, timpani
add.
Billy Nicholls - uncredited harmony vocals on "Thoughts of Emerlist Davjack"
(日本語版ウィキペディアより)
ナイス (バンド)
ナイス(ザ・ナイス/The Nice)は、主に1960年代後半に活動したイギリスのロック・バンド。バンドの英名は「The Nice」だが、日本でのカナ表記はアルバムや資料によって「ザ・」が記載されている場合と記載されていない場合がある。<1>
ナイス
The Nice
出身地 - イングランド
ジャンル - プログレッシブ・ロック
活動期間 - 1966年~1970年
メンバー - キース・エマーソン(Kb.)
リー・ジャクソン(B.)
ブライアン・デヴィソン(D.)
デヴィッド・オリスト(G.)
イアン・ヘイグ(D.)
(Original Immediate "Thoughts of Emerlist Davjack" LP Liner Cover)
概歴
1966年12月、女性シンガーのP.P.アーノルドのバック・バンドとして結成。当初のメンバーは、結成の中心となったキース・エマーソン (キーボード)の他、リー・ジャクソン (ベース)、デヴィッド・オリスト (ギター)、イアン・ヘイグ (ドラムス)の4人で、ライブのバックバンド演奏他にミック・ジャガー=プロデュースによるアーノルドのアルバム The First Lady Of Immediate においても3曲初期ナイスの演奏が残されている。薬物常用で失調をきたしていたヘイグのドラム演奏に難があった為、同年年末ヘイグを解雇、ドラムスがエマーソンやジャクソンに昔なじみのブライアン・デヴィソンに交代した。
当初は「パット・アーノルド・アンド・ハー・ナイス」として活動を開始したが、ステージの半分はナイス単独のライブ演奏だった<2>。徐々にナイスとのリハーサルにアーノルド本人が現れなくなり、終いにはとうとうライブにも現れなくなり<3>1967年9月ナイスはバンドとして独立、マーキー・クラブなどに定期的に出演する様になる。同年11月にはデビュー・シングル「The Thought of EMERLIST DAVJACK」を、翌1968年1月にはシングルと同名のアルバム(邦題は「ナイスの思想」)をリリースした。『EMERLIST DAVJACK』とはメンバー4人の名前から作られた造語である(EMERson + o'LIST + DAVison + JACKson)。同年7月にリリースしたシングル「アメリカ(ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」挿入歌のカバー)」が全米チャート29位まで上昇し<2>、ステージで星条旗を燃やすパフォーマンスとともに話題となりナイスは少しずつ軌道に乗っていく。
(Original Immediate "Thoughts of Emerlist Davjack" LP Side 1 Label)
セカンド・アルバム「少年易老学難成 (Ars Longa Vita Brevis)」の録音中、薬物依存症で遅刻/欠席を繰り返すギターのデヴィッド・オリストを解雇。ナイスはキーボード・トリオとして再スタートする。アルバムは1968年4月に発売され、同年7月にはアメリカ公演を行った。この時のライブと新たなスタジオ録音を組み合わせ、同年8月にサード・アルバム「ザ・ナイス (The Nice)」をリリース。
サード・アルバムのリリースの後、キース・エマーソンは、ニューヨーク・シンフォニーの指揮者で、かねてからポップ/ロック・グループとの共演を望んでいたジョセフ・イーガーとコンタクトし、公演を実現した。それらの何曲かが、4作目の「フェアウェル・ザ・ナイス/組曲『五つの橋』(Five Bridges)」に収録されている。この頃からキース・エマーソンとリズム・セクションの2人との間で音楽的な意見の相違が表面化し始めた<4>。組曲『五つの橋』をリリースした後、ナイスはキング・クリムゾンと一緒にアメリカ・ツアーを行ったが、そこでキース・エマーソンはグレッグ・レイクと出会う事になる。グレッグ・レイクとの交渉が遅々として進展しない時期にエマーソンはイエスのクリス・スクワイヤにも新バンド加入を打診したが断られている。グレッグとの新バンド結成計画は、契約問題もあって、ELPの正式結成まで公表されなかった<2>。その為1970年1月頃には英国音楽紙に「ナイスにグレッグ・レイクが加入」という憶測記事がでた。
(Original Immediate "Thoughts of Emerlist Davjack" LP Side 2 Label)
1970年2月、五作目の「エレジー (Elegy)」をリリースしたナイスは、1972年のミュンヘンオリンピックのイベントへの出演なども予定されていたが<2>、4月になって解散が正式に発表され、キース・エマーソンはグレッグ・レイク、そしてアトミック・ルースターのカール・パーマーとともに、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの結成に向けて準備を開始した。
一方、リー・ジャクソンは「ジャクソン・ハイツ」、ブライアン・デヴィソンは「エヴリ・ウィッチ・ウェイ」をそれぞれ結成したが、商業的な成功には至っていない。1973年、リー・ジャクソンとブライアン・デヴィソンはスイスのキーボード・プレイヤーであるパトリック・モラーツを引き入れ「第2のナイス」を企図した<5>「レフュジー」を結成<6>。1974年にはバンドと同名のアルバムでデビューしたが、その直後、脱退したリック・ウェイクマンの後任としてパトリック・モラーツがイエスに引き抜かれ、活動停止を余儀なくされた。
2002年、「キース・エマーソン&ザ・ナイス」というグループ名で再結成ライブが行なわれ、ライブ・アルバム「ヴィヴァシタス~ライヴ・アット・グラスゴー 2002 (VIVACITAS LIVE AT GLASGOW 2002)」がリリースされた。
2008年4月15日、ブライアン・デヴィソン死去。
アルバム・ディスコグラフィー
『ナイスの思想』(The Thoughts of Emerlist Davjack) 1967
『少年易老学難成』(Ars Longa Vita Brevis) 1968
『ジャズ+クラシック/ロック=ナイス』(Nice / Everything As Nice As Mother Makes It) 1969
『ファイヴ・ブリッジズ』(Five Bridges) 1970
『エレジー』(Elegy) <7> 1971
『ヴィヴァシタス~ライヴ・アット・グラスゴー 2002』(Vivacitas) 2004 (Live, Keith Emerson & The Nice)
脚注
1. >2007年現在のアルバム発売元であるビクター・エンタテインメントのウェブサイトは、1960年代後半に活動した時期のアルバムを「ナイス」というグループ名で分類している(ただし、同バンドは2002年に再結成してライブ・アルバムをリリースしているが、このライブ・アルバムは「キース・エマーソン&ザ・ナイス」というグループ名で分類している)。また、リットー・ミュージック刊「キース・エマーソンズ・インタビュー」では当該バンドを「ナイス」と表記している。以上の点から、主に1960年代後半における活動を解説している本項では「ナイス」というバンド名を踏襲している。
2. >シンコーミュージック刊「エマーソン・レイク&パーマー 衝撃のロック・トリオ伝」より。
3. >キース・エマーソン自伝より
4. >「エマーソン・レイク&パーマー 衝撃のロック・トリオ伝」によると、キース・エマーソンがクラシックオーケストラの導入を望んだが、他の二人はその方法論に否定的だった。
5. >音楽の友社刊「イエス」(黒田史朗著)より。
6. >キース・エマーソン自伝によるとモラーツから頼まれエマーソンが元ナイスの二名を紹介している
7. >ジャケットの「砂漠に列をなして並ぶ赤い球体」はヒプノシスのデザインによるもの。
(以上、日本語版ウィキペディアより、再結成サポート・メンバー一覧を除く全文)
(注・追補=2016年3月10日、キース・エマーソン死去。)