Friction - 1979.12.15_名古屋E.L.L (未発表Live) : https://youtu.be/uYBgTTikepU
Recorded at Electric Lady Land, 名古屋, December 15, 1979
Released by「ロック画報 19」Special Sampler CD, ブルース・インターアクションズ, March 31, 2005
(Tracklist) - total time; 12:27
1. Big-S (Reck) - 3:48
2. 100年 (Reck) - 2:46
3. A-GAS (Reck) - 2:18
4. CRAZY DREAM (Reck) - 3:33
[ Friction ]
レック - vocal, bass
ツネマツ・マサトシ - guitar
チコ・ヒゲ - drums
リンク先に「某雑誌付録より」とあるが、これは発表当時大反響を呼んだ音源で、ブルース・インターアクションズ刊行のムック「ロック画報」(2000年6月の「はっぴいえんど」特集から2006年9月の「裸のラリーズ」特集まで通巻25巻、5号~24号には特集アーティストのサンプラーCDつき)の19号の付録サンプラーCDとしてクレイジーキャッツとのスプリット・ディスクの形で発売された。フリクションはヴォーカルとベースのレックのバンドで、1978年の結成(前身バンドに○△□、3/3がある)以来レック以外のメンバーには相当の変遷があったが、2代目ギタリストのツネマツ・マサトシが在籍した1979年-1980年が最初のピークなのは間違いなく、1979年3月のライヴを収めたオムニバス『東京Rockers』(CBSソニー、1979年4月)でも5バンド2曲ずつの中でもっとも注目を集めた。当時ほとんど存在しなかったロック系インディーズ・レーベルのPASSからEP盤発表後にPASSレーベルは徳間ジャパンからメジャー配給となり、5バンド(東京Rockersとは別)のシングル発売に続いてPASS初のアルバムになったのが坂本龍一共同プロデュースによるフリクションのファースト・アルバム『軋轢』で、1980年4月に発売されて日本初の本格的パンク/ニューウェイヴ・アルバムとして邦楽系のみならず洋楽系音楽誌の話題もさらう。
当時レコード店で無料配布されていた「レコード・マンスリー」という新作・再発売のLP、シングルすべての月間発売データを掲載した業界誌があったが、1980年度の「日本のポップスLP」注目作紹介担当が日本のビートルズ研究の草分けで著名な故・香月利一氏(1948-1999)だった。香月氏は当時マイケル・マクドナルドを最重要アーティストに上げておられたが、1980年度に香月氏が業界誌記事で「今年もっとも重要なアルバム」と発売月に断言していたのがフリクション『軋轢』であり、6月発売のRCサクセションの実質的再デビュー作『ラプソディー』だった。他に香月氏が発売即高評価したアルバムにPANTA & HAL『1980X』、ムーンライダーズ『カメラ=万年筆』がある。他でもない、ポップス全般に見識ある香月氏の評価であることが評価の重要性を高めている。
(Original Tokuma Japan-PASS "軋轢" LP Front Cover)
当然フリクションのインタビューや『軋轢』評は日本のロックを取り上げるほとんどの雑誌に掲載されたが、フリクション(というよりレック)の発言は坂本龍一プロデュースの失敗とアルバムの出来への不満に尽きると言ってよく、アルバム評も香月氏ほど力強く重要性を賞賛したものはむしろ少数で、フリクションは優れた革新的バンドだが『軋轢』はバンドの真価を十分にとらえているとは言えず、PASSからの最初のEPや『東京Rockers』のライヴ音源ほど良くない、という評価が大半だった。『東京Rockers』はともかく、まだ自主制作配給だった頃のEPを引き合いに出されても手に入らない。1980年12月には1979年12月16日・京都のライヴハウス磔磔のライヴ音源をバンドが自主制作でLP化し、限られた輸入盤・中古盤専門店でしか買えなかったが、音楽批評家からは絶賛され、本来のフリクションはすごいじゃないか、やっぱり『軋轢』は失敗作とまで言わずとも、実力の片鱗しか出ていなかった、というのがなおさら定評になってしまった。
坂本氏は当時、YMOのメンバーとしての活動が主力だったが、アーティスト個人としてもすでに注目を集めており単独インタビューの頻度も高かった。PASSレーベル主宰の後藤美孝氏と知己であることから、プロフェッショナルなレベルの録音技術協力のためフリクションや女性シンガーPhew(元アーント・マリー)をプロデュースした坂本氏は、フリクションへのコメントでは大人の対応だった。また当時Phewは坂本龍一プロデュースにフリクションが批判的なのを反駁し、坂本氏がスタジオワークに精通した優れたプロデューサーであることを主張している。フリクションが非商業的ロックバンドではないことをアピールしたかったにしても、デビュー・アルバムの発表に際してバンド自身がネガティヴな評価を強調したのはまずかった。90年代には『軋轢』も日本のロック史上の名盤と評価が定着するが、第2作『Skin Deep』は1982年、第3作『Replicant Walk』は1988年、第4作『Zone Tripper』は1995年とアルバム毎にリリース・ペースは開いていく一方であり、メンバーも毎回変わる。フリクションは『軋轢』と、その前後の発掘ライヴ音源で聴き続けられてきたバンドなのは否めない。
(P-Vine CD "_ed '79 Live" Originally Released as 10inch LP Watch Out FR-3 in December 16, 1980)
初代ギタリストのラピスからツネマツにメンバー・チェンジし、1979年3月にはフリクションは3人編成のパンク・バンドとしてはすでに驚異的なオリジナリティを確立していた。オムニバス『東京Rockers』はフリクションのこの曲で始まる。
? (Original CBS Sony "V.A./東京Rockers" LP Front Cover)
Friction - せなかのコード : https://youtu.be/4ajRtMRXNI4
この衝撃的なサウンドは1979年末にはピークに達していたと思われ、自主制作盤『_ed '79 Live』(名古屋ライヴ)の前日のリンク掲載の京都での4曲・12分半ほどのテイクでも凄まじい炸裂が聴けて、この完全未発表のライヴテイク4曲は単体CD化されたどのライヴより強烈な、ツネマツ、チコ・ヒゲ在籍時最高のパフォーマンスではないかと驚愕を持って迎えられた。楽曲はどれも『軋轢』でスタジオ録音されるものだが、まずスタジオ盤よりテンポが早い。
一曲目「Big-S」はリズム・アレンジからして別曲と言っても良く、後半はイギー・ポップの「Funtime」(アルバム『Idiot』の曲)になる。フル・ステージを聴くなら『_ed '79 Live』が良いと思うが、今聴くとスタジオ盤『軋轢』はライヴのフリクションとは違うところがかえって面白く聴こえてくる。ただしレック、ツネマツ、ヒゲのトリオ編成は1979年~1980年にライヴでやれるだけやりつくした感が大きかったのだろう、とも痛感させられるだけある、強力無比すぎるライヴではある。
Recorded at Electric Lady Land, 名古屋, December 15, 1979
Released by「ロック画報 19」Special Sampler CD, ブルース・インターアクションズ, March 31, 2005
(Tracklist) - total time; 12:27
1. Big-S (Reck) - 3:48
2. 100年 (Reck) - 2:46
3. A-GAS (Reck) - 2:18
4. CRAZY DREAM (Reck) - 3:33
[ Friction ]
レック - vocal, bass
ツネマツ・マサトシ - guitar
チコ・ヒゲ - drums
リンク先に「某雑誌付録より」とあるが、これは発表当時大反響を呼んだ音源で、ブルース・インターアクションズ刊行のムック「ロック画報」(2000年6月の「はっぴいえんど」特集から2006年9月の「裸のラリーズ」特集まで通巻25巻、5号~24号には特集アーティストのサンプラーCDつき)の19号の付録サンプラーCDとしてクレイジーキャッツとのスプリット・ディスクの形で発売された。フリクションはヴォーカルとベースのレックのバンドで、1978年の結成(前身バンドに○△□、3/3がある)以来レック以外のメンバーには相当の変遷があったが、2代目ギタリストのツネマツ・マサトシが在籍した1979年-1980年が最初のピークなのは間違いなく、1979年3月のライヴを収めたオムニバス『東京Rockers』(CBSソニー、1979年4月)でも5バンド2曲ずつの中でもっとも注目を集めた。当時ほとんど存在しなかったロック系インディーズ・レーベルのPASSからEP盤発表後にPASSレーベルは徳間ジャパンからメジャー配給となり、5バンド(東京Rockersとは別)のシングル発売に続いてPASS初のアルバムになったのが坂本龍一共同プロデュースによるフリクションのファースト・アルバム『軋轢』で、1980年4月に発売されて日本初の本格的パンク/ニューウェイヴ・アルバムとして邦楽系のみならず洋楽系音楽誌の話題もさらう。
当時レコード店で無料配布されていた「レコード・マンスリー」という新作・再発売のLP、シングルすべての月間発売データを掲載した業界誌があったが、1980年度の「日本のポップスLP」注目作紹介担当が日本のビートルズ研究の草分けで著名な故・香月利一氏(1948-1999)だった。香月氏は当時マイケル・マクドナルドを最重要アーティストに上げておられたが、1980年度に香月氏が業界誌記事で「今年もっとも重要なアルバム」と発売月に断言していたのがフリクション『軋轢』であり、6月発売のRCサクセションの実質的再デビュー作『ラプソディー』だった。他に香月氏が発売即高評価したアルバムにPANTA & HAL『1980X』、ムーンライダーズ『カメラ=万年筆』がある。他でもない、ポップス全般に見識ある香月氏の評価であることが評価の重要性を高めている。
(Original Tokuma Japan-PASS "軋轢" LP Front Cover)
当然フリクションのインタビューや『軋轢』評は日本のロックを取り上げるほとんどの雑誌に掲載されたが、フリクション(というよりレック)の発言は坂本龍一プロデュースの失敗とアルバムの出来への不満に尽きると言ってよく、アルバム評も香月氏ほど力強く重要性を賞賛したものはむしろ少数で、フリクションは優れた革新的バンドだが『軋轢』はバンドの真価を十分にとらえているとは言えず、PASSからの最初のEPや『東京Rockers』のライヴ音源ほど良くない、という評価が大半だった。『東京Rockers』はともかく、まだ自主制作配給だった頃のEPを引き合いに出されても手に入らない。1980年12月には1979年12月16日・京都のライヴハウス磔磔のライヴ音源をバンドが自主制作でLP化し、限られた輸入盤・中古盤専門店でしか買えなかったが、音楽批評家からは絶賛され、本来のフリクションはすごいじゃないか、やっぱり『軋轢』は失敗作とまで言わずとも、実力の片鱗しか出ていなかった、というのがなおさら定評になってしまった。
坂本氏は当時、YMOのメンバーとしての活動が主力だったが、アーティスト個人としてもすでに注目を集めており単独インタビューの頻度も高かった。PASSレーベル主宰の後藤美孝氏と知己であることから、プロフェッショナルなレベルの録音技術協力のためフリクションや女性シンガーPhew(元アーント・マリー)をプロデュースした坂本氏は、フリクションへのコメントでは大人の対応だった。また当時Phewは坂本龍一プロデュースにフリクションが批判的なのを反駁し、坂本氏がスタジオワークに精通した優れたプロデューサーであることを主張している。フリクションが非商業的ロックバンドではないことをアピールしたかったにしても、デビュー・アルバムの発表に際してバンド自身がネガティヴな評価を強調したのはまずかった。90年代には『軋轢』も日本のロック史上の名盤と評価が定着するが、第2作『Skin Deep』は1982年、第3作『Replicant Walk』は1988年、第4作『Zone Tripper』は1995年とアルバム毎にリリース・ペースは開いていく一方であり、メンバーも毎回変わる。フリクションは『軋轢』と、その前後の発掘ライヴ音源で聴き続けられてきたバンドなのは否めない。
(P-Vine CD "_ed '79 Live" Originally Released as 10inch LP Watch Out FR-3 in December 16, 1980)
初代ギタリストのラピスからツネマツにメンバー・チェンジし、1979年3月にはフリクションは3人編成のパンク・バンドとしてはすでに驚異的なオリジナリティを確立していた。オムニバス『東京Rockers』はフリクションのこの曲で始まる。
? (Original CBS Sony "V.A./東京Rockers" LP Front Cover)
Friction - せなかのコード : https://youtu.be/4ajRtMRXNI4
この衝撃的なサウンドは1979年末にはピークに達していたと思われ、自主制作盤『_ed '79 Live』(名古屋ライヴ)の前日のリンク掲載の京都での4曲・12分半ほどのテイクでも凄まじい炸裂が聴けて、この完全未発表のライヴテイク4曲は単体CD化されたどのライヴより強烈な、ツネマツ、チコ・ヒゲ在籍時最高のパフォーマンスではないかと驚愕を持って迎えられた。楽曲はどれも『軋轢』でスタジオ録音されるものだが、まずスタジオ盤よりテンポが早い。
一曲目「Big-S」はリズム・アレンジからして別曲と言っても良く、後半はイギー・ポップの「Funtime」(アルバム『Idiot』の曲)になる。フル・ステージを聴くなら『_ed '79 Live』が良いと思うが、今聴くとスタジオ盤『軋轢』はライヴのフリクションとは違うところがかえって面白く聴こえてくる。ただしレック、ツネマツ、ヒゲのトリオ編成は1979年~1980年にライヴでやれるだけやりつくした感が大きかったのだろう、とも痛感させられるだけある、強力無比すぎるライヴではある。