Le Sun Ra and his Arkestra - Super-Sonic Jazz (El Saturn, 1957) Full Album : https://youtu.be/0e67IqMoz4M
Probably recorded at Balkan Studios, Chicago, September or October 1956 exept recorded at Balkan Studios, Chicago, April 13, 1956(B5), RCA studios, possibly June 16, 1956(A3, A4, A5, B6)
Released by El Saturn Records H7OP0216, March 1957
All songs written by Sun Ra except "Soft Talk", written by Julian Priester;
(Side A)
1. India - 4:52
2. Sunology - 5:43
3. Advice to Medics - 2:05
4. Super Blonde - 2:39
5. Soft Talk - 2:45
6. Sunology, part II - 7:08
(Side B)
1. Kingdom of Not - 5:35
2. Portrait of the Living Sky - 1:52
3. Blues at Midnight - 6:34
4. El is a Sound of Joy - 4:00
5. Springtime in Chicago - 3:5
6. Medicine for a Nightmare - 2:25
[ Le Sun Ra and his Arkestra ]
(April 13 and June 16, 1956)
Sun Ra - Piano, Electric Piano, Space Gong
Art Hoyle - Trumpet, Percussion
Julian Priester - Trombone
James Scales - Alto Sax, Percussion
John Gilmore - Tenor Sax, Percussion
Pat Patrick - Baritone Sax, Percussion
Wilburn Green - Electric Bass
Robert Barry - Drums
Jim Herndon - Tympani, Percussion
(add and replaced September or October 1956)
Pat Patrick - Alto Sax, Percussion
Charles Davis - Baritone Sax, Percussion
Victor Sproles - Bass
サン・ラ(1914-1993)は晩年には評価が高まり、名声の絶頂で生涯現役の長い楽歴を終えた幸運な長寿ミュージシャンになる。だがサン・ラ&ヒズ・アーケストラ(箱舟ArkとオーケストラOrchestraの合成語)が国際的認知を確立したのは発売年夏の国際ジャズ・フェスティヴァル公演を収録した『Live at Montreux』1976の頃で、デビュー・アルバム『Jazz by Sun Ra(Sun Song)』1956からちょうど20年目であり、『Jazz by Sun Ra』の時点で42歳だったサン・ラは62歳になっていた。数え方にもよるが、シリーズ作やコラボ作を整理すると『Live at Montreux』は第67作か68作目のアルバムに当たる。さらに1993年の没年までにサン・ラのアルバムは通算140作を越える。
世代的にはサン・ラはビ・バップのバンドリーダーでスケールの大きな活動をした巨匠たち、ケニー・クラーク(ドラムス/1914-1985)セロニアス・モンク(ピアノ/1917-1982)、ディジー・ガレスピー(トランペット/1917-1993)、チャールズ・ミンガス(ベース/1922-1979)と同年輩か少し年上なだけだった。だが1961年のニューヨーク進出までずっとアメリカ第3の大都市シカゴでのみ活動していた上に、全国流通のアルバムがなかったためにニューヨークか、またはアメリカ第2の大都市ロサンゼルスしか注目されなかったジャズ界とは交渉がなかった。アルバム・デビュー時点でサン・ラはシカゴで揉まれたプロ歴20年の40男だったが、30年代ビッグバンドの音楽監督出身のサン・ラに対してアーケストラのメンバーたちは20代のバップ世代であり、アーケストラの音楽はビッグバンドでもビ・バップでもない奇妙なジャズに独自進化したものになった。
(Original El Saturn "Super-Sonic Jazz" LP Liner Cover)
これまでにサン・ラ作品は数枚ご紹介してきたが、先日『Sound of Joy』1968(rec.1956)をご紹介したついでに手持ちのサン・ラ作品60作ほどをあれこれ聴き返してみたところ、実に良い。染みる。60年代は次第に前衛化してくるサン・ラも好きなのだが、シカゴ時代のアルバムもあちこちにどこか変な感覚があって、ニューヨークのセロニアス・モンクや、ロサンゼルス出身で早いうちにニューヨークに進出したチャールズ・ミンガスの音楽の工夫は天才的とはいえ、理屈で割り切れないものではない。だがサン・ラの場合はどこか天然にいかれていて、天然にいかれていた天才はバド・パウエル(ピアノ)やエリック・ドルフィー(アルトサックス)もいるが、サン・ラの場合は大世帯のアーケストラでメンバーたちの演奏は抜群に上手いのに、サン・ラの采配ひとつでどこかネジの外れたジャズになっている。ニューヨーク進出までのサン・ラのアルバムをリストにしておくと今後便利そうなので作ってみるとこうなる。すべてスタジオ録音アルバム。
1. Jazz by Sun Ra (Sun Song) (Transition, rec.& rel.1956)
2. Super-Sonic Jazz (El Saturn, rec.1956/rel.1957)
3. Sound of Joy (Delmark, rec.1956/rel.1968)
4. Visits Planet Earth (El Saturn, rec.1956-58/rel.1966)
5. The Nubians of Plutonia (El Saturn, rec.1958-59/rel.1966)
6. Jazz in Silhouette (El Saturn, rec.& rel.1959)
7. Sound Sun Pleasure!! (El Saturn, rec.1959/rel.1970)
8. Interstellar Low Ways (El Saturn, rec.1959-60/rel.1966)
9. Fate In A Pleasant Mood (El Saturn, rec.1960/rel.1965)
10. Holiday For Soul Dance (El Saturn, rec.1960/rel.1970)
11. Angels and Demons at Play (El Saturn, rec.1956-60/rel.1965)
12. We Travel The Space Ways (El Saturn, rec.1956-61/rel.1967)
ここまで12枚制作しながらすぐ発売されたのが1, 2, 6の3枚しかない。他のアルバムはすべて1965年以降の発売になっている。もっとも1956年~1959年にかけて3枚だからシカゴ以外に出なかったバンドとしてはそこそこで、発売未定のアルバム制作がこれほどあったのが異例と言える。以上12枚の制作を経て、ニューヨークの弱小インディーズとはいえマニア向けの老舗ジャズ・レーベルとしては全国的な知名度だけはある(貧弱な制作で悪名も高い)サヴォイからリリースしたのが、ニューヨーク進出第1作にして通算第13作の、
13. The Futuristic Sounds of Sun Ra (Savoy, rec.1961/rel.1961)
だった。サヴォイからのアルバムはこれ1作で次作以降はまたエル・サターンに戻るが、レーベル側には前年から話題を呼んでいたオーネット・コールマンのフリージャズへ便乗する意図があったと思われる。サン・ラのニューヨーク進出も、50年代末にはニューヨークやロサンゼルスに修行しに来たシカゴ出身の若手ジャズマンや、シカゴへ巡業しに来た全国区の人気ジャズマンの間で自然に評判が高まっていたのが後押しした形だった。
(Original El Saturn "Super-Sonic Jazz" LP Side A Label)
12枚の制作枚数のうち発売作品が3枚、トランジション・レーベルに録音されたのは『Jazz by Sun Ra』と『Sound of Joy』の2枚だが後者はレーベル休業によってお蔵入り、となったわけだが、当時シカゴはデトロイトと並んでローカルな黒人音楽レーベルが多数あり、ニューヨークとの距離は遠かったがボストンやロサンゼルスとは国道線があり、シカゴの黒人人口はほとんどニューオリンズからミシシッピ川沿いの流入で、またカナダにもっとも近い合衆国の都市だった。ニューヨークのジャズマンの巡業でもボストン→デトロイト→シカゴ→トロント、戻りはシカゴ→シアトル→サンフランシスコ→ロサンゼルス、とビジネス上重要な集客地であり、シカゴを根城に中編成コンボとはいえ最低人員10人もの準ビッグバンド、当然補欠メンバーもいれば専任スタッフも必要になるし、当時の慣習ならビッグバンドのステージは男女ヴォーカリストもコーラス隊やダンサーも(コーラスとダンサーは兼任の場合もあるが)必須になる。それほどの規模で常にレギュラー・メンバーを確保していたサン・ラはロサンゼルスやニューヨークの一流バンドにも引けをとらない人気バンドだったはずだった。
しかし北米大陸は広大であり、アメリカの州はヨーロッパなら1国に相当する。ニューヨークやロサンゼルスはアメリカ全土への大衆文化の産出地だったわけだが(音楽、演劇、映画)、シカゴの大衆文化は自給自足だった。特に黒人のための(白人も楽しめればなお良い)黒人による娯楽文化はそうだった。50年代のうちに出たサン・ラの3枚のアルバムもシカゴのローカル・セールスにとどまった(ただし『Jazz in Silhouette』はローカル・チャートのヒット・アルバムになった)。新興レーベルのトランジション以外にサン・ラとレコード契約する会社は現れなかった。発売未定なのにアルバムをがんがん録音していたのは、原盤を制作しておき買い手レコード会社を探して、駄目ならエル・サターンから発売するつもりだったようだ(実際そうなった)。そのせいか、サン・ラ50年代のアルバム12枚は重複曲が多い。別テイクならまだしも同一テイクが複数のアルバムに収録されている場合もある。だが完全に曲目・テイクが重複するアルバムもないので、いよいよどれをお薦めするのが順当か困ってしまう。
(Original El Saturn "Super-Sonic Jazz" LP Side B Label)
曲目の重複はジャズマンには宿命みたいなもので、ジャズのアルバムは消耗品のように発売されるのでレーベルを移籍すれば代表曲を再録音し、移籍しなくても節目節目で人気曲ばかりを再録音させられる。セロニアス・モンクやチャールズ・ミンガスでもそうだった。サン・ラの音楽はディジー・ガレスピー・ビッグバンドとセロニアス・モンクが共演したような趣きもあり、もっとも近いのはサン・ラと同時期に、やはり中規模コンボでビッグバンドとスモール・コンボの折衷を狙っていたチャールズ・ミンガスだが、ミンガスはレギュラー・バンドを商業的に維持できなかった。ミンガスのアルバムはインテリ支持層による高い評価と安定したセールスを上げていたが、人種差別国家アメリカへの反体制音楽と見なされニューヨークやロサンゼルスのジャズ・クラブ出演の売り込みも叶わず、当然依頼もなかった。ニューヨークの人種隔離意識は強く、逆にロサンゼルスは人種混交意識が強かったが、ミンガスはどちらでも浮いた存在だった。ミンガスのアルバムは制作ごとにミンガスの音楽に協力的なジャズマンが臨時召集されて録音されたものだった。
一方サン・ラ・アーケストラは完全なレギュラー・バンドだった。土星人を自称するリーダーが宇宙からのお告げで作・編曲した音楽を演奏する、という設定で純粋に地球外音楽を楽しむ、というコンセプトを掲げていた。それはシカゴでは黒人聴衆に人種的偏見を超越した世界のヴィジョンを与え、白人聴衆には安全な立場で本来なら黒人のための黒人ジャズを楽しめる保証を与えた。サン・ラの音楽自体が保守的なビッグバンド時代のジャズと反逆的なビ・バップのどちらの要素も兼ねており、さらに宇宙音楽というアイディアで通常スウィング・ジャズ~ビ・バップの流れからはまったく逸脱した楽曲をアーケストラ全体の音楽性に巧妙に混在させていた。このアルバムならA1, A2, A3, A6, B2, B5はビッグバンドでもビ・バップでもない。A1やB2, B5は印象派音楽のようだし、A3などは電気ピアノでテクノをやっている。『Sound of Joy』で再演されるB4、『Jazz in Silhouette』で再演されるB3、『Angels and Demons at Play』で再演されるB6などは比較的ビ・バップに近いが、B4冒頭のアンサンブルはビッグバンド的でピアノ・ソロはモンクそこのけの変態プレイだし、B3は明確なテーマのないブルースで『Jazz in Silhouette』では12分近い長さになる。B6などは、よくあるAA'BA形式なのに半音階で下降していくコード進行で、調性音楽なのにセンター・トーナルが判然とせず、AA'BA'形式に聞こえない人も多いのではないだろうか。50年代のサン・ラ・アーケストラ作品でもオン・タイムで発売されただけの力作であり、発売前提だったトランジション盤『Jazz by Sun Ra(Sun Song)』1956, 『Sound of Joy』rec.1956と、エル・サターンの『Super-Sonic Jazz』1957, 『Jazz in Silhouette』1959の4枚は完成度では代表作と言えるものだろう。だがアーケストラがニューヨーク進出以後に発展させていく音楽はむしろ1965年以降に発売された未発表アルバムの実験性に布石があった。
それにしてもシカゴのジャズ・シーンではサン・ラ・アーケストラが地元の誇る人気バンドだったことと、ニューヨークやロサンゼルスとの断絶を考えると、アメリカのジャズと言っても一様な価値観が支配してはいなかったと痛感される。だからと言って、いや、だからこそ、サン・ラが長年不当に過小評価されてきたとはまったく思わない。サン・ラのアルバム紹介はしばらく連続してお送りします。
Probably recorded at Balkan Studios, Chicago, September or October 1956 exept recorded at Balkan Studios, Chicago, April 13, 1956(B5), RCA studios, possibly June 16, 1956(A3, A4, A5, B6)
Released by El Saturn Records H7OP0216, March 1957
All songs written by Sun Ra except "Soft Talk", written by Julian Priester;
(Side A)
1. India - 4:52
2. Sunology - 5:43
3. Advice to Medics - 2:05
4. Super Blonde - 2:39
5. Soft Talk - 2:45
6. Sunology, part II - 7:08
(Side B)
1. Kingdom of Not - 5:35
2. Portrait of the Living Sky - 1:52
3. Blues at Midnight - 6:34
4. El is a Sound of Joy - 4:00
5. Springtime in Chicago - 3:5
6. Medicine for a Nightmare - 2:25
[ Le Sun Ra and his Arkestra ]
(April 13 and June 16, 1956)
Sun Ra - Piano, Electric Piano, Space Gong
Art Hoyle - Trumpet, Percussion
Julian Priester - Trombone
James Scales - Alto Sax, Percussion
John Gilmore - Tenor Sax, Percussion
Pat Patrick - Baritone Sax, Percussion
Wilburn Green - Electric Bass
Robert Barry - Drums
Jim Herndon - Tympani, Percussion
(add and replaced September or October 1956)
Pat Patrick - Alto Sax, Percussion
Charles Davis - Baritone Sax, Percussion
Victor Sproles - Bass
サン・ラ(1914-1993)は晩年には評価が高まり、名声の絶頂で生涯現役の長い楽歴を終えた幸運な長寿ミュージシャンになる。だがサン・ラ&ヒズ・アーケストラ(箱舟ArkとオーケストラOrchestraの合成語)が国際的認知を確立したのは発売年夏の国際ジャズ・フェスティヴァル公演を収録した『Live at Montreux』1976の頃で、デビュー・アルバム『Jazz by Sun Ra(Sun Song)』1956からちょうど20年目であり、『Jazz by Sun Ra』の時点で42歳だったサン・ラは62歳になっていた。数え方にもよるが、シリーズ作やコラボ作を整理すると『Live at Montreux』は第67作か68作目のアルバムに当たる。さらに1993年の没年までにサン・ラのアルバムは通算140作を越える。
世代的にはサン・ラはビ・バップのバンドリーダーでスケールの大きな活動をした巨匠たち、ケニー・クラーク(ドラムス/1914-1985)セロニアス・モンク(ピアノ/1917-1982)、ディジー・ガレスピー(トランペット/1917-1993)、チャールズ・ミンガス(ベース/1922-1979)と同年輩か少し年上なだけだった。だが1961年のニューヨーク進出までずっとアメリカ第3の大都市シカゴでのみ活動していた上に、全国流通のアルバムがなかったためにニューヨークか、またはアメリカ第2の大都市ロサンゼルスしか注目されなかったジャズ界とは交渉がなかった。アルバム・デビュー時点でサン・ラはシカゴで揉まれたプロ歴20年の40男だったが、30年代ビッグバンドの音楽監督出身のサン・ラに対してアーケストラのメンバーたちは20代のバップ世代であり、アーケストラの音楽はビッグバンドでもビ・バップでもない奇妙なジャズに独自進化したものになった。
(Original El Saturn "Super-Sonic Jazz" LP Liner Cover)
これまでにサン・ラ作品は数枚ご紹介してきたが、先日『Sound of Joy』1968(rec.1956)をご紹介したついでに手持ちのサン・ラ作品60作ほどをあれこれ聴き返してみたところ、実に良い。染みる。60年代は次第に前衛化してくるサン・ラも好きなのだが、シカゴ時代のアルバムもあちこちにどこか変な感覚があって、ニューヨークのセロニアス・モンクや、ロサンゼルス出身で早いうちにニューヨークに進出したチャールズ・ミンガスの音楽の工夫は天才的とはいえ、理屈で割り切れないものではない。だがサン・ラの場合はどこか天然にいかれていて、天然にいかれていた天才はバド・パウエル(ピアノ)やエリック・ドルフィー(アルトサックス)もいるが、サン・ラの場合は大世帯のアーケストラでメンバーたちの演奏は抜群に上手いのに、サン・ラの采配ひとつでどこかネジの外れたジャズになっている。ニューヨーク進出までのサン・ラのアルバムをリストにしておくと今後便利そうなので作ってみるとこうなる。すべてスタジオ録音アルバム。
1. Jazz by Sun Ra (Sun Song) (Transition, rec.& rel.1956)
2. Super-Sonic Jazz (El Saturn, rec.1956/rel.1957)
3. Sound of Joy (Delmark, rec.1956/rel.1968)
4. Visits Planet Earth (El Saturn, rec.1956-58/rel.1966)
5. The Nubians of Plutonia (El Saturn, rec.1958-59/rel.1966)
6. Jazz in Silhouette (El Saturn, rec.& rel.1959)
7. Sound Sun Pleasure!! (El Saturn, rec.1959/rel.1970)
8. Interstellar Low Ways (El Saturn, rec.1959-60/rel.1966)
9. Fate In A Pleasant Mood (El Saturn, rec.1960/rel.1965)
10. Holiday For Soul Dance (El Saturn, rec.1960/rel.1970)
11. Angels and Demons at Play (El Saturn, rec.1956-60/rel.1965)
12. We Travel The Space Ways (El Saturn, rec.1956-61/rel.1967)
ここまで12枚制作しながらすぐ発売されたのが1, 2, 6の3枚しかない。他のアルバムはすべて1965年以降の発売になっている。もっとも1956年~1959年にかけて3枚だからシカゴ以外に出なかったバンドとしてはそこそこで、発売未定のアルバム制作がこれほどあったのが異例と言える。以上12枚の制作を経て、ニューヨークの弱小インディーズとはいえマニア向けの老舗ジャズ・レーベルとしては全国的な知名度だけはある(貧弱な制作で悪名も高い)サヴォイからリリースしたのが、ニューヨーク進出第1作にして通算第13作の、
13. The Futuristic Sounds of Sun Ra (Savoy, rec.1961/rel.1961)
だった。サヴォイからのアルバムはこれ1作で次作以降はまたエル・サターンに戻るが、レーベル側には前年から話題を呼んでいたオーネット・コールマンのフリージャズへ便乗する意図があったと思われる。サン・ラのニューヨーク進出も、50年代末にはニューヨークやロサンゼルスに修行しに来たシカゴ出身の若手ジャズマンや、シカゴへ巡業しに来た全国区の人気ジャズマンの間で自然に評判が高まっていたのが後押しした形だった。
(Original El Saturn "Super-Sonic Jazz" LP Side A Label)
12枚の制作枚数のうち発売作品が3枚、トランジション・レーベルに録音されたのは『Jazz by Sun Ra』と『Sound of Joy』の2枚だが後者はレーベル休業によってお蔵入り、となったわけだが、当時シカゴはデトロイトと並んでローカルな黒人音楽レーベルが多数あり、ニューヨークとの距離は遠かったがボストンやロサンゼルスとは国道線があり、シカゴの黒人人口はほとんどニューオリンズからミシシッピ川沿いの流入で、またカナダにもっとも近い合衆国の都市だった。ニューヨークのジャズマンの巡業でもボストン→デトロイト→シカゴ→トロント、戻りはシカゴ→シアトル→サンフランシスコ→ロサンゼルス、とビジネス上重要な集客地であり、シカゴを根城に中編成コンボとはいえ最低人員10人もの準ビッグバンド、当然補欠メンバーもいれば専任スタッフも必要になるし、当時の慣習ならビッグバンドのステージは男女ヴォーカリストもコーラス隊やダンサーも(コーラスとダンサーは兼任の場合もあるが)必須になる。それほどの規模で常にレギュラー・メンバーを確保していたサン・ラはロサンゼルスやニューヨークの一流バンドにも引けをとらない人気バンドだったはずだった。
しかし北米大陸は広大であり、アメリカの州はヨーロッパなら1国に相当する。ニューヨークやロサンゼルスはアメリカ全土への大衆文化の産出地だったわけだが(音楽、演劇、映画)、シカゴの大衆文化は自給自足だった。特に黒人のための(白人も楽しめればなお良い)黒人による娯楽文化はそうだった。50年代のうちに出たサン・ラの3枚のアルバムもシカゴのローカル・セールスにとどまった(ただし『Jazz in Silhouette』はローカル・チャートのヒット・アルバムになった)。新興レーベルのトランジション以外にサン・ラとレコード契約する会社は現れなかった。発売未定なのにアルバムをがんがん録音していたのは、原盤を制作しておき買い手レコード会社を探して、駄目ならエル・サターンから発売するつもりだったようだ(実際そうなった)。そのせいか、サン・ラ50年代のアルバム12枚は重複曲が多い。別テイクならまだしも同一テイクが複数のアルバムに収録されている場合もある。だが完全に曲目・テイクが重複するアルバムもないので、いよいよどれをお薦めするのが順当か困ってしまう。
(Original El Saturn "Super-Sonic Jazz" LP Side B Label)
曲目の重複はジャズマンには宿命みたいなもので、ジャズのアルバムは消耗品のように発売されるのでレーベルを移籍すれば代表曲を再録音し、移籍しなくても節目節目で人気曲ばかりを再録音させられる。セロニアス・モンクやチャールズ・ミンガスでもそうだった。サン・ラの音楽はディジー・ガレスピー・ビッグバンドとセロニアス・モンクが共演したような趣きもあり、もっとも近いのはサン・ラと同時期に、やはり中規模コンボでビッグバンドとスモール・コンボの折衷を狙っていたチャールズ・ミンガスだが、ミンガスはレギュラー・バンドを商業的に維持できなかった。ミンガスのアルバムはインテリ支持層による高い評価と安定したセールスを上げていたが、人種差別国家アメリカへの反体制音楽と見なされニューヨークやロサンゼルスのジャズ・クラブ出演の売り込みも叶わず、当然依頼もなかった。ニューヨークの人種隔離意識は強く、逆にロサンゼルスは人種混交意識が強かったが、ミンガスはどちらでも浮いた存在だった。ミンガスのアルバムは制作ごとにミンガスの音楽に協力的なジャズマンが臨時召集されて録音されたものだった。
一方サン・ラ・アーケストラは完全なレギュラー・バンドだった。土星人を自称するリーダーが宇宙からのお告げで作・編曲した音楽を演奏する、という設定で純粋に地球外音楽を楽しむ、というコンセプトを掲げていた。それはシカゴでは黒人聴衆に人種的偏見を超越した世界のヴィジョンを与え、白人聴衆には安全な立場で本来なら黒人のための黒人ジャズを楽しめる保証を与えた。サン・ラの音楽自体が保守的なビッグバンド時代のジャズと反逆的なビ・バップのどちらの要素も兼ねており、さらに宇宙音楽というアイディアで通常スウィング・ジャズ~ビ・バップの流れからはまったく逸脱した楽曲をアーケストラ全体の音楽性に巧妙に混在させていた。このアルバムならA1, A2, A3, A6, B2, B5はビッグバンドでもビ・バップでもない。A1やB2, B5は印象派音楽のようだし、A3などは電気ピアノでテクノをやっている。『Sound of Joy』で再演されるB4、『Jazz in Silhouette』で再演されるB3、『Angels and Demons at Play』で再演されるB6などは比較的ビ・バップに近いが、B4冒頭のアンサンブルはビッグバンド的でピアノ・ソロはモンクそこのけの変態プレイだし、B3は明確なテーマのないブルースで『Jazz in Silhouette』では12分近い長さになる。B6などは、よくあるAA'BA形式なのに半音階で下降していくコード進行で、調性音楽なのにセンター・トーナルが判然とせず、AA'BA'形式に聞こえない人も多いのではないだろうか。50年代のサン・ラ・アーケストラ作品でもオン・タイムで発売されただけの力作であり、発売前提だったトランジション盤『Jazz by Sun Ra(Sun Song)』1956, 『Sound of Joy』rec.1956と、エル・サターンの『Super-Sonic Jazz』1957, 『Jazz in Silhouette』1959の4枚は完成度では代表作と言えるものだろう。だがアーケストラがニューヨーク進出以後に発展させていく音楽はむしろ1965年以降に発売された未発表アルバムの実験性に布石があった。
それにしてもシカゴのジャズ・シーンではサン・ラ・アーケストラが地元の誇る人気バンドだったことと、ニューヨークやロサンゼルスとの断絶を考えると、アメリカのジャズと言っても一様な価値観が支配してはいなかったと痛感される。だからと言って、いや、だからこそ、サン・ラが長年不当に過小評価されてきたとはまったく思わない。サン・ラのアルバム紹介はしばらく連続してお送りします。