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Iron Butterfly - In-a-Gadda-da-Vida (Atco, 1968)

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Iron Butterfly - In-a-Gadda-da-Vida (Atco, 1968) Full Album : https://youtu.be/TAP5gK9_-KU
Recorded at Gold Star Studios, Hollywood, CA and Ultra-Sonic Studios, Hempstead, New York in First half of 1968 (side two was recorded on 27 May '68)
Released by Atco Records SD 33-250 in June 14, 1968
All songs written and composed by Doug Ingle except where noted.
(Side one)
1. 君が望むもの Most Anything You Want - 3:44
2. 花とビーズ Flowers and Beads - 3:09
3. 私の空想 My Mirage" - 4:55
4. 終末 Termination (Erik Brann, Lee Dorman) - 2:53
5. アー・ユー・ハッピー Are You Happy - 4:31
(Side two)
1. ガダ・ダ・ビダ In-A-Gadda-Da-Vida - 17:05
[ Personnel ]
Erik Brann - guitars, backing and lead (4) vocals
Doug Ingle - organ, lead vocals (all but 4)
Lee Dorman - bass, backing vocals
Ron Bushy - drums, percussion

 2015年最後のロック記事はいつも通りの温故知新ネタで行きたいと思う。今回ご紹介するアルバムはヒット実績、発表当時の反響では後年のニルヴァーナ『Nevermind』にも匹敵したが、おそらくセールスに反する貧弱な内容ではロック史上最悪のアルバムの最右翼に上げられるだろう。発表からほぼ10年後のアメリカでの評価は次の引用が代表的なものになる。

IRON BUTTERFLY
アイアン・バタフライ
★★In-A-Gadda-Da-Vida/Atco 250
☆Iron Butterfly-Live/Atco 318
 時代の雰囲気を映しだしたとも思える1968年のサイケデリックでヘヴィメタルな作品、《In-A-Gadda-Da-Vida》のB面全部にわたるタイトル曲を聞いて、アイアン・バタフライはロックン・ロールの記号学者なのだ、と考えた人もいただろう。また同じ曲を、叙事詩をまねてエデンの幸福を語っている、ととらえた人もいただろう。しかし、一時はアトランティックとアトコのレコードのなかでいちばんよく売れたこのアルバムは、グループと同様、急速に忘れてもよいものになりさがってしまった。したがって、その価値について議論するのも意味がなくなった。このレコードはいまやがらくただ。(ジョン・スヴェンソン)
(『ローリングストーン・レコードガイド』デイヴ・マーシュ/ジョン・スヴェンソン編・原著1979年・日本語版1982年刊行)
 (Original Atco " In-A-Gadda-Da-Vida" LP Liner Notes)

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 また、日本語版ウィキペディアで簡潔にまとめられた項目は、詳細にわたる英語版ウィキペディアよりも大づかみにバンドの概略がまとめられており、アイアン・バタフライに関してはこの程度の知識から入るのがかえってすっきりしていて良いと思われる。なおメンバーの担当パートは補って引用した。

アイアン・バタフライ
アイアン・バタフライ (Iron Butterfly) は、1967年に結成されたアメリカ合衆国のサイケデリック・ロックグループ。
概要・歴史
 1966年にサンディエゴでダグ・イングル(ヴォーカル、オルガン)とのちライノセロスに行くダニー・ワイズ(ギター)によって結成された。ワイズはレコードデビュー前に抜け、1stアルバム「ヘヴィ」発表後ダリル・デローチ(ヴォーカル)が脱退、1969年末までイングル、リー・ドーマン(ベース)、ロン・ブッシー(ドラムス)、エリック・ブラン(Erik Brannまたはエリック・ブラウンErik Braunn、ギター)の4人で活動する。次のアルバムでタイトル・トラックの17分におよぶ「ガダ・ダ・ヴィダ(In-A-Gadda-Da-Vida)」がヒットし注目された。3枚目のアルバム「ボール」発表後ブラン脱退、マイク・ピネラ(ギター)、ラリー・“ライノ”・ラインハルト(ギター)が加入し1971年にいったん解散する。ピネラはカクタス、ドーマン、ラインハルトはキャプテン・ビヨンドに参加した。
 1974年にロン・ブッシーとエリック・ブランにより再結成。解散前のメインのソングライターであったダグ・イングルとリー・ドーマンが不在の為、発表された二作品は、解散前とは異なる音楽性の作品となった。 一時1986年は完全休止したがライブ中心に活動。2002年から2012年までの中心メンバーはロン・ブッシー、リー・ドーマン、チャーリー・マリンコビッチ、マーティン・ガーシュウィッツ。
 2003年7月25日エリック・ブラン死去。
 2012年12月21日、リー・ドーマンが死去。70歳没。
 2015年現在、マイク・ピネラを中心とした編成で活動中(ロン・ブッシーは不参加)。
ディスコグラフィー(アルバム)
・ヘヴィ (Heavy) 1968年 - アトコ・レコード
・ガダ・ダ・ビダ/ガダ・ダ・ヴィダ (In-A-Gadda-Da-Vida) 1968年 - 累計3000万枚という記録的なセールスを挙げた。
・ボール (Ball) 1969年
・変身 (Metamorphosis) 1970年
・スコーチング・ビューティー 1975年 - MCAレコード
・サン・アンド・スクィール 1975年
(ライブ)
・アイアン・バタフライ・ライヴ (Iron Butterfly Live) 1970年 - アトコ・レコード
Fillmore East 1968 2011年
(ベスト盤)
・ベスト・オブ・アイアン・バタフライ
(ウィキペディア日本語版より)

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 以上、日米文献から簡略な項目を全文引用した。英語版ウィキペディアではさすがに現在も活動中のバンドだけに詳細なバイオグラフィーと楽曲解説、メンバーの異動の変遷が記録されており、結成された1966年~2015年現在までに少なくとも53回のメンバー・チェンジ、57人の正式メンバーが確認されている。もっともアルバムの数はそれほど多くない、どころか活動50年にもなろうというバンドとしては異例なほど少ないのだが、それでもライヴ・バンドとして息の長い活動を続けることができているのは突出したサイケデリック/ヘヴィメタル・クラシック「In-A-Gadda-Da-Vida」があるからに他ならない。日本語版ウィキペディアのディスコグラフィーはあまりに雑すぎるので、英語版ウィキペディアから発売年月とチャート順位を補ってみる。
IRON BUTTERFLY DISCOGRAPHY
1968.1 Heavy - US#78
1968.6 In-A-Gadda-Da-Vida - US#4, US No.1 Album of Billboard 200 in 1969 Year End Charts*
1969.1 Ball - US#3
1970.4 Live - US#20
1970.8 Metamorphosis - US#16
1971.11 Evolution: The Best of Iron Butterfly - US#137
1975.1 Scorching Beauty - US#138
1975.10 Sun and Steel - US#-

*(Explanatory note)
Top 5 Albums of Billboard 200 in 1969 Year End Charts
1. Iron Butterfly / In-A-Gadda-Da-Vida (Atco)
2. Original Cast / Hair (RCA)
3. Blood, Sweat And Tears / Blood, Sweat And Tears (Columbia)
4. Creedence Clearwater Revival / Bayou Country (Fantasy)
5. Led Zeppelin / Led Zeppelin (Atlantic)

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 この『In-A-Gadda-Da-Vida』はアメリカのレコード市場、つまり世界的にも初めて100万枚を超える売り上げを記録したアルバムとして記憶されることになった。それは前年1967年から見直された著作権法によるアルバム規格・内容への制約の緩和が一因でもあるが、より大きな原因は第二次大戦後の出産率のピーク(いわゆるベビーブーマー)のレコード購買力がフォーク/ロックを中心としたポピュラー音楽の売り上げを著しく増大させたことだろう。だがレコード史上初のミリオンセラー・アルバムが『In-A-Gadda-Da-Vida』だったというのはすごい。タイトル曲は1968年7月の短縮版シングルが最高位30位の中ヒットだったが、1969年にも3曲入りEPで再発されチャート下位でロングラン・ヒットを続けている。特にラジオ・オンエア率がすごく、深夜帯番組ではアルバムの17分5秒ヴァージョンをそのまま放送していた。日本のFEN(現AFN)でも80年代になっても月に2、3回は流れていた。
 1967年の全米年間アルバム・チャート1位がジミ・ヘンドリックスのデビュー・アルバムだった頃からロックのアルバム売り上げは急上昇していたが、実売ではまだポピュラー音楽では映画音楽やミュージカル音楽がハバをきかせていた。だが『In-A-Gadda-Da-Vida』はチャート順位こそ最高位4位だったものの140週間もチャート・インを続けて、結果的に全米年間アルバム・チャート1位になた。参考に1969年の年間アルバム・チャート5位までを引いたが、この年最高の話題を呼んだヒッピー・ミュージカル『Hair』サントラ、BSTやCCR、ツェッペリンのデビュー作よりも上位なのだ。

 アイアン・バタフライはザ・シーズ、ザ・ドアーズ、SRC、ヴァニラ・ファッジ、ストロベリー・アラーム・クロック、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、ステッペンウルフらと前後してデビュしたアメリカのサイケデリック系オルガン・ロックのバンドで、オルガン・ロックはザ・ヤング・ラスカルズを起点としてもいいが、この時期はヘヴィ・サイケのオルガン・ロックが若手アーティストの通る道だった。ビリー・ジョエルのハッスルズやアッティラ、ブルース・スプリングスティーン&スティール・ミルら意外なヘヴィ・サイケ作品もあり、商業的な成功ではアイアン・バタフライは頂点を極めたものだった。ヴォーカリストのジム・モリソン生前の全7作をゴールド・ディスク、うちスタジオ録音盤6枚すべてを全米チャート・トップ10入りさせ、シングルでもNo.1ヒットを3曲持つドアーズはアイアン・バタフライ以上の存在だったが、ドアーズには『In-A-Gadda-Da-Vida』のような例外的大ヒット作はない。というより、アイアン・バタフライの成功自体が不相応で、10年後には『ローリングストーン・レコードガイド』で過去の遺物と片づけられるのも当然だった。
 タイトル曲に惹かれてアルバムを購入すると、フラワー・ポップなオルガン・サイケのA面曲にがっくりくる。実はこちらの方が本来のバタフライの作風で、ドアーズ、SRC、ヴァニラ・ファッジを安っぽくしたような楽曲とサウンドで演奏も拙い。ただB面全面を使った「In-A-Gadda-Da-Vida」はクレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウンの「Fire」やクリームの「Sunshine of Your Love」に似たヘヴィなリフで押していくミディアム・テンポの曲で、大学生のグラス・パーティでは定番曲だったに違いない。実用的な音楽ならドアーズやファッジの精密な音楽よりも「In-A-Gadda-Da-Vida」くらいザックリした曲の方がいい、ともいえる。またバタフライはオルガン・サイケだが、元祖ヘヴィ・ロックとして「In-A-Gadda-Da-Vida」のリフはブラック・サバス系とユーライア・ヒープ系のハード・ロックに大きな影響を与えただろう。ブルー・オイスター・カルトの出発点が「 In-A-Gadda-Da-Vida」なのは間違いなく、バタフライのメンバーが参加したカクタス、キャプテン・ビヨンドはバンドとしては明らかにバタフライより優れたハード・ロック・バンドになった。

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 アイアン・バタフライと比較して聴くと、ラスカルズ(フェリックス・キャヴァリエ)やドアーズ(レイ・マンザレク)、ヴァニラ・ファッジ(マーク・ステイン)らのセンスの良さとバンド全体の安定したテクニックは安易なオルガン・ロックとは一線を画しているのがわかる。ラスカルズ、ドアーズ、ヴァニラ・ファッジにせよ悪くいえば内容の空疎さでは大差ないが、音楽は確かな肉体性に裏打ちされており、ヴォーカルと演奏の表現力が本来の力量の限界を超えて、くり返し聴くに堪えるスケールに達している。同時代のイギリスのオルガン・ロックがジミー・スミスの影響から出発しているのに対して、アメリカのオルガン・ロックはジミー・スミス的なオルガン・スタイルに距離を置くことから音楽を発想している。
 テクニカルな面でオルガン・ロックを追求していくならジミー・スミス以上の先駆者はなく、アメリカのオルガン・ロックがイギリスのオルガン・ロックより稚拙に聴こえるなら、それはむしろジミー・スミスやブッカー・T&MGズ的なジャズ・ファンク、ソウル・ジャズ的な下地を取り払ったからこそだった。もっともブリティッシュ・インヴェンジョン期のイギリスのビート・グループではジ・アニマルズ、マンフレッド・マン、デイヴ・クラーク・ファイヴ、ザ・ゾンビーズらがアメリカ音楽のコピーに留まらない成果を上げており、60年代当時はアメリカとイギリスのロックのキャッチボールは70年代以降とは比較にならないほど素早く直接的で、大胆だった。アメリカのオルガン・ロックは、イギリスのオルガン・ロックがアメリカのオルガン・ジャズを消化しきれなかった部分から、一気に白人オルガン・ロックのスタイルを作り上げたように見える。

 先に上げた60年代後半アメリカのオルガン・ロックのバンドでも、バタフライのデビューは遅い部類で、1967年にはドアーズとヴァニラ・ファッジが全米年間アルバム・チャート・トップ10入りのデビュー作を発表していた。ドアーズはワーナー配給のエレクトラ、ファッジはワーナー傘下アトランティックのサブ・レーベルだったアトコのアーティストであり、1968年に米アトランティックとの直接契約でデビューしたレッド・ツェッペリンはファッジとバタフライの前座バンドとしてデビュー直後の全米ツアーをまわっている。ファッジとバタフライはジェフ・ベック・グループとのジョイント公演も多く、ファッジの実力はツェッペリンやベックからも賞賛され、ベックなどはファッジのメンバーを引き抜いて解散させてしまうが、バタフライは前座のツェッペリンやベックに易々と食われてしまったらしい。
 だが「In-A-Gadda-Da-Vida」はアイアン・バタフライだけに降ってきた突然変異的楽曲で、村上春樹氏のエッセイに結婚入場曲ならドアーズの「Light My Fire」か「In-A-Gadda-Da-Vida」がいい、という秀逸なジョークがあったが、偶然タイトルの意にもかなっている(Vidaはラテン語、イタリア語で「生」、"In a Garden of Life"を呪文化したのがタイトルの由来らしい)。現在は知らないが、旧FEN(現AFN)では80年代になっても月に2、3回は深夜にフルヴァージョンの「In-A-Gadda-Da-Vida」を流していた。この17分5秒ヴァージョン、長いのは中間部でオルガン→ギター(17歳!)→ドラムスの稚拙なソロ回しがあるだけだが、ドアーズやファッジのようなセンスの良いバンドには出せない稚拙さゆえの呪術性が横溢していて飽きそうで飽きない。ソロはとらないがベースも含めて、メーターの針が振り切れている。残念ながらいくつか残された同一メンバーのライヴでも、このスタジオ録音の緊張感には及ばない。というわけで、こういうださいロックの見本で年末を締めるのも良いではないか。

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