Released; Liberty Records LBS 83359.60, 1970
All songs by Amon Duul II, except where noted
(Side A)
1. Soap Shop Rock - 13:47
a. Burning Sister - 3:41
b. Halluzination Guillotine - 3:05
c. Gulp a Sonata - 0:45
d. Flesh-Coloured Anti-Aircraft Alarm - 5:53
2. She Came Through the Chimney , 3:01
(Side B)
1. Archangels Thunderbird (Amon Duul II, Sigfried Loch) - 3:33
2. Cerberus - 4:21
3. The Return of Rubezahl - 1:41
4. Eye-Shaking King - 5:40
5. Pale Gallery - 2:16
(Side C)
1. Yeti (Improvisation) - 18:12
(Side D)
1. Yeti Talks to Yogi (Improvisation) - 6:18
2. Sandoz in the Rain (Improvisation) - 9:00
[ Personnel ]
Renate Knaup - vocals, tambourine
John Weinzierl - guitar, 12 string guitar, vocals
Chris Karrer - violin, guitar, 12 string guitar, vocals
Falk Rogner - organ
Dave Anderson - bass
Peter Leopold - drums
Christian "Shrat" Thierfeld - bongos, vocals
(Guests on "Sandoz in the Rain")
Rainer Bauer (from Amon Duul I) - guitar, vocals
Ulrich Leopold (from Amon Duul I) - bass
Thomas Keyserling (also recorded with Tangerine Dream) - flute
やー、カンも前回で全アルバム紹介終わったしな、と気づいてみると、強調すべき点を指摘し忘れたことに思い当たった。カンの前にはフランスの70年代ロックの主だったところをご紹介している。カトリーヌ・リベロ+アルプ、ゴング、マグマらのデビュー作が1969年~70年でカンやタンジェリン・ドリームらと同年だが、フランス特有のスタイルのロックは1972年にデビュー作を発表したアンジュまで待たなければならないだろう。イタリアでも1970年前後にデビュー作を発表したバンドは多いが、作品的には72年~73年がピークになる。それに較べてドイツでは70年前後のデビュー作ですでにオリジナリティを確立しているバンドが多い。もっとも70年代のユーロ・ロックは1974年のオイル・ショックによる打撃が深刻で、イタリアではほとんどのバンドが解散に追い込まれ、残ったバンドもポップス化を余儀なくされた。ドイツではそれほど過酷ではなかったがやはりポップス化への変化があった。フランスは出足が遅かった分、ドイツやイタリアでは70年代前半に起こった動きが70年代後半に持ち越された感じで、ピュルサーやアトールなど英独伊なら70年代初頭スタイルの有力バンドのデビューが75年までかかっている(それも80年代には一斉に壊滅状態に陥るが)。
ドイツのロックがフランスはもちろんイタリアのロックよりも早く独自のスタイルを築いた背景には、フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネのようにアーティスト性と大衆性の両立した既成のポピュラー音楽が欠けていたから、とも言えるかもしれない。イタリアやフランスのロックはカンツォーネやシャンソンを取り込み、反発しながら数年がかりでオリジナリティのあるスタイルにたどり着いたが、ドイツでは自国のポピュラー音楽を土台として独自のロックを作る、という発想はほとんどなかった。もちろんドイツはイタリアやフランスと並ぶ音楽国だが、こと大衆音楽となると歴史的・地域的な分断があまりに多く繰り返されてきたため、むしろアカデミックな実験音楽の方が青年層には好まれているような状況にあり、カンやタンジェリン・ドリーム、クラフトワークらはアカデミズムの中から出てきた反アカデミズムの実験ロックだった。しかもポピュラー音楽として成功した例になった。グル・グル、クラスター、ノイ!、クラウス・シュルツェなともそうなる。ではアモン・デュールIIはどうか。
(Original Liberty "Yeti" LP Gatefold Inner Cover)
IIではないアモン・デュールの方は『Psychedelic Underground』セッションの残りテープから『Collapsing/Singv??gel R??ckw??rts & Co.』1969(邦題『崩壊』)が出た後、一部のメンバーが残って陰鬱なアシッド・フォーク作品の名作『Paradiesw??rts D????l』1970(邦題『楽園に向かうデュール』)を発表して消息を断ち、『Psychedelic Underground』セッションの残りテープからはさらにLP2枚組アルバム2組、『Disaster』 1972と『Experimente』1983が思い出したように発売日されたが、現在IIではないアモン・デュールの方の版権もアモン・デュールIIが権利を取得・管理しており、ヒッピーなのにビジネスは几帳面なのがパンクスにはとうてい真似できないところだ。もっともデュールにしても70年代中盤以降はマネジメントに搾取されたり、80年代には好き勝手に再発売されたり編集盤を出されたり、と散々な目にあってきているので、90年代に全盛期メンバーで再結成した時には過去のアルバムも含めてバンド自身が全権を握る体制を固めたらしい。
(Original Liberty "Yeti" LP Liner Cover)
アモン・デュールIIはその点底なしのヘヴィ・サイケでありながら造型と構成力に長け、英米のサイケデリック・ロックがやらなかったし出来なかった方向に見事に突き抜けていた。イギリスでは当時ピンク・フロイドだけがライヴではアモン・デュールIIと競合するようなヘヴィ・サイケを演奏しており、1970年にデビュー作を出したホークウィンドがピンク・フロイド影響下のサウンドを出していたが、ホークウィンドが本格的にヘヴィ・サイケ化するのは第2作『In Search of Space』1971でベースに『Yeti』を最後に脱退したデイヴ・アンダーソンを迎えてスタイルを完成し、第3作『Doremi Fasol Latido』でさらにベースが泣く子も黙る凄腕のレミーに替わって第1次黄金時代に突入してからになる。ラウドでヘヴィなギター・サイケといえばブルー・チアーにMC5、ハイ・タイドだが、何だかんだ言ってジミ・ヘンドリックスという超人がいて、音楽的にジミは越えられないとしても、本質的には健康だったジミの音楽にはない反社会性を、病的な狂気や破壊的な暴力性を通して描くことはできる。サンフランシスコ・サイケのバンドとアモン・デュールII、ホークウィンドらの違いはそこだった。
(Original Liberty "Yeti" LP Side 1 Label)
アルバムはださい変拍子のギターのコード・カッティングの「Soap Shop Rock」から始まるが、タイトルが英語だから英語で歌っていると思われる男性ヴォーカルがヨレヨレでまったく聴きとれない。ギターも何本鳴っているのかカオスのようなサウンドで、組曲形式のパートbに移ると女性ヴォーカルが出てくるがやはり中性的な声質で、男女2人のヴォーカルがどちらも破壊的に下手、という凄まじいバンドなのがわかる。A面は短いインスト曲で終わり、B面はアモン・デュールIIといえばこの曲、「Archangel Thunderbird」(邦題「天使の雷鳥」)で、70年代クラウトロックで屈指のかっこいいヘヴィ・ロック・ナンバーだろう。これはこの後ホークウィンドに移るベースのデイヴ・アンダーソンのアイディアが大きいと思われる。ベースとドラムスが6/4拍子をキープするビートに別々のリフを刻む2本のギターが乗り、レナーテ姫がかん高いソロ・ヴォーカルでデュールの曲には珍しくメロディらしいメロディを歌うが、リズム・ブレイクから戻るところでドラムスのフィル・インにギターもベースも転けてしまうのだ。そこらへんがカンやグル・グルのように高い演奏力を持たない、ヒッピー・バンドの弱点だが、中近東調のB2、さらに短いインスト曲をイントロにした「Eye-Shaking King」(邦題「目玉のぶるぶる震える王様」)のズブズブのアシッド感は追従を許さない。
(Original Liberty "Yeti" LP Side 3 Label)
アルバム最終曲「Sandoz in the Rain」はカン『Tago Mago』の最終曲「Bring Me Coffee or Tea」を思わせる陰鬱なアシッド・フォークで、『Psychedelic Underground』の方のアモン・デュールからR.バウアーとU.レオポルド、さらに初期タンジェリン・ドリームの準メンバーのT.キーゼルリングが加わって、ほとんどバウアーとレオポルドだけで制作された、『Yeti』と同年のアモン・デュール最終作『Paradisewarts Duul』と同じ音楽をやっている。インプロヴィゼーションというほどのものではないが、『Paradisewarts Duul』ではオリジナル・デュールのメンバーは(デュールIIとのかけ持ちメンバー以外)バウアーとレオポルドしか残っておらず、その2人もこれを最後に消息を断つことを思うと、デュールIIには狂気や暴力性はあったが虚無感はないのに気づく。「Sandoz in the Rain」はデュールIIのアルバムにオリジナル・デュールが紛れ込んだ曲だが、この曲が『Yeti』に狂気や暴力性だけではない深みを与えているのは間違いない。