そこからただちに自分が一夜のうちに乳頭に変身した、とはさすがのアンパンマンにも思いつかず、四肢もない、目鼻も口もない、つまり頭がない(でも声は出せる、周囲も見えるし朝の空気の匂いもする)、というのは客観的には今、自分はどのような状態かを考えました。アンパンマンがまず案じたのは、これまで自分の生命維持は頭のすげ替えという新陳代謝によるもので、四肢もない、知覚のありかが頭ではなくいわばからだ全体で感知している様子から、おそらく頭と胴体は一体化しているものと思われました。アンパンマンはロールケーキを思い浮かべ、一応頭らしき一端と足先らしき一端はあるようだ、と寝たきりのままあちこちを力んでみて判断しました。うん、このへんが腰だから、その下がお尻のはずだ。
もしお尻ならからだの前後の区別はあるわけです。また、お腹らしい場所はわかる。ではお尻を踏ん張って下肢(に相当する部分)を蹴り上げれば上体を起こせるはずですし、腹筋を締めれば上体が持ち上がるはずですが、お尻とかお腹というのも位置から見当がつくだけで、大臀筋も腹筋も反応がない。ひょっとしたら今、自分はうつぶせになっているかもしれない。だとしたら自分が見ているこの室内は、どうやって自分の知覚で観察しているのだろうか。だいたいアンパンマンは、自分の背中とお腹がどちら向きかもよくわからないのです。
でも声は出せる。それはさっき、あーあと寝起きの声が出ましたから判明していました。ですがパン工場にいるのはジャムおじさんとバタコさんとめいけんチーズだけです。こんな風に起きたら寝たきりになっていた、という事態にどんな解決策があるでしょうか。あーこのアンパンマンは駄目だね、頭だけじゃなくて丸ごと、作り直そう。バタコや、こっちはゴミに出しといておくれ。
ゴミにされてはたまりません。たぶんこれは一時的なものなんだ、寝ている間にばいきんまんにスマキにされたとか、そんな風な、とアンパンマンは割と現状に近い認識に至りました。ばいきんまんとは夜間は戦わない協定を結んでいるから、犯人がいるとしたらぼくが味方と思っている誰かだ、とアンパンマンはスマキ説から出直すことにしました。どうやらぼくはスマキにされてしまった。声を出すと犯人にばれる可能性がある。何とか動いて、確実な味方を見つけて拘束を解いてもらわなけりゃならない。そして乳頭はウズウズと動き出しました。
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魍猟綺譚・夜ノアンパンマン(22)
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