Sun Ra and his Myth Science Arkertra - Interstellar Low Ways (Full Album): http://youtu.be/j7lSS48Sw3U
Recorded 1959 - 1960, Chicago
Released 1966 El Saturn LP 203
(Side A) :
1. Onward - (3.31)
2. Somewhere In Space - (2.56)
3. Interplanetary Music - (2.24)
4. Interstellar Low Ways - (8.23)
(Side B) :
1. Space Loneliness - (4.30)
2. Space Aura - (3.08)
3. Rocket Number Nine Take off for the Planet Venus - (6.14)
All Composed and Arranged by Sun Ra
[On A2, A3, B1, and B3, recorded at the RCA Studios, Chicago, around June 17, 1960]
Sun Ra - Piano
Phil Cohran - Cornet
Nate Pryor - Trombone
Marshall Allen - Alto Sax, Flute, Bells
John Gilmore - Tenor Sax, Percussion
Ronnie Boykins - Bass, Space Gong
Jon Hardy - Drums, percussion, gong
Ensemble vocals
[On A4, March 6, 1959]
Sun Ra - Gong
Hobart Dotson - Percussion
Marshall Allen - Flute
James Spaulding - Flute
John Gilmore - Tenor Sax, percussion
Pat Patrick - Percussion
Ronnie Boykins - Bass
William Cochran - Drums
[On A1 and B2, recorded during rehearsals, Chicago around October 1960]
Sun Ra - Piano
George Hudson - Trumpet
Marshall Allen - Alto Sax, Bells
John Gilmore - Tenor Sax, Percussion
Ronnie Boykins - Bass, percussion
Jon Hardy - Drums
このアルバムはまず32分に満たないコンパクトな収録時間が素晴らしい。エル・サターンはサン・ラ自身の自主制作レーベルで、サン・ラは年間数枚のアルバムを完全なセルフ・プロデュースでリリースしていた。流通はサン・ラの出演するクラブの会場販売や通信販売の他、黒人音楽専門店を通して市販されており、白人リスナーはよほど奇特なレコード店でしか手に入らなかったようだ。
サン・ラのアルバムは再演曲も多く、このアルバムで言えばA3、A4、B3は他のアルバムでも再三録音されている。エル・サターンはインディーズどころか実質的にサン・ラの個人レーベルなので、ほとんどのアルバムが初回プレスしか出ない。他のインディーズやメジャー・レーベルから再発売される場合もあるが、サターンでは人気の高いアルバムがあるとそのまま再プレスするよりも(そのまま再プレスする時もあるが)、人気曲の再録音と新曲を合わせてニュー・アルバムを出してしまう。これは何もサン・ラがこすいからではなく、同時期に活動していたB・B・キング、ジェイムズ・ブラウンら黒人マーケットで人気の黒人アーティストでは普通のアルバム制作方法だった。
サン・ラはジャズの世界では異端的存在だったが、黒人大衆音楽としてはごくまっとうな活動をしていたともいえて、ローカル・ミュージシャン時代が長かったために謎の存在になってしまったとも言える。全国的なトレンドにはあまり気にせずシカゴで独自進化してきたので、ニューヨークに進出してきた1961年にはよくわからない存在とされた。それは実際、サン・ラの中には古いものと新しいものが他のミュージシャンからはかなりかけ離れた発想で同居していたからでもある。
アラバマ州バーミンガムのローカル・ミュージシャン、ソニー・ブロウント(1914年生まれ)がイリノイ州の大都会シカゴに上京したのが1946年で、もう32歳になっていた。ソニーは徴兵忌避者で収監された経験もあったが、兵役に服するよりは音楽活動に穴を空けずに済ませた。世代的には戦前のビッグバンド・ジャズの全盛期にジャズの世界に入った人になる。
シカゴではリズム&ブルース歌手のバックバンドの仕事から始めて間もなく、フレッチャー・ヘンダーソンのバンドと共演し、ヘンダーソン・バンドの代役ピアニストを勤める機会を持ってヘンダーソンから勧誘され、すぐにアレンジの管理とダンサーを含めたバンドのリハーサル監督に抜擢される。ヘンダーソンはキャリアの凋落期とはいえデューク・エリントンやカウント・ベイシーに先立つ黒人ビッグバンド・ジャズの父であり、エリントンもベイシーもヘンダーソンのアレンジからバンドをスタートさせた。またヘンダーソン・バンドはルイ・アームストロング、ロイ・エルドリッジ、ヘンリー・レッド・アレン(トランペット)や、コールマン・ホーキンス、ベン・ウェブスター、チュー・ベリー(テナーサックス)、シド・カレット(ドラムス)ら、後の黒人ジャズを背負って立つミュージシャンが在籍してきた。
のちサン・ラと改名するソニー・ブロウントはバンド加入前から手に入る限りのヘンダーソンのレコードを聴き込んでいた。流行遅れと見做されていたとはいえ、1920年代から活動していたジャズの父から学ぶものは大きかった。だが1946年は、もうジャズの最先端はビバップを生み出し、シカゴ最先端ピアニストのレニー・トリスターノがニューヨークに進出してビバップ以降の前衛ジャズを打ち出した年でもある。サン・ラは独立して自分のバンドを持った時、新旧両世代に足をかけることになった。サン・ラのバンドがアーケストラ(Ark + Orchestra)とバンド名を定めたのが1955年、デビュー・アルバム『ジャズ・バイ・サン・ラ』がサン・ラ42歳の1956年だから、サン・ラの背景を知らないと、このアーティストはいったいセンスが古いのか新しいのか、どんな発想に基づく音楽なのか、音楽的な狙いは何か、一聴して途方に暮れることになる。
(The Arkestra in 1960; l-r, Marshall Allen, John Gilmore, Ronnie Boykins, Ricky Murray, Sun Ra, Walter Strickland and Billy Mitchell)
このアルバムはサン・ラ&ヒズ・アーケストラのデビュー・アルバム『ジャズ・バイ・サン・ラ(サン・ソング)』1956から始まる初期サン・ラ・アーケストラの音楽を知るには格好のサンプルだが、サン・ラはこのアルバムの制作時、すでに翌年のニューヨーク進出を計画していたとおぼしい。この時のレコーディングはサン・ラ・アーケストラのRCAスタジオ・マラソン・セッションと呼ばれ、1960年6月17日前後にシカゴのRCAスタジオとホール・レコーディング・カンパニーで30曲~40曲が録音された。その中から本作と『Fate In A Pleasant Mood』『Holiday for Soul Dance』『Angels and Demons at Play』、『We Travel the Space Ways』の5枚のアルバムが編まれることになる。
発売はシングルが先で、『Space Loneliness b/w State Street』がまず発売され、『Fate In A Pleasant Mood b/w Lights on a Satellite』(60年7月8日発売)が続いた。またアルバム未収録曲『The Blue Set b/w Big City Blues』もあり、上記曲中アルバム未収録曲は現在エヴィデンス・レーベルからのCD『Singles』で聴ける。
今でこそ録音データも判明し、作品の制作順にサン・ラのサウンド変遷を追うことができるが、サターン・レーベルは録音と発売順も良く言えば臨機応変、悪くいえば行き当たりばったりだった。翌年ニューヨーク進出後のサン・ラは老舗インディーズのサヴォイから『フューチャリスティック・サウンズ』を発表、これは明確にサン・ラならではの手法で、当時最先端のフリー・ジャズを消化してみせたものだった。そうなると60年のRCAセッションからのアルバムは発売見送りにし、新録音のフリー・ジャズ系アルバムを優先発表することになる。
それが結実したのが新興レーベルESPからの『太陽中心世界Vol.1』65で、このアルバムでサン・ラは初めて国際的に注目されるアーティストになる。サン・ラ50歳の出世作だった。そこでようやく、60年制作のアルバム5枚が65年~66年に渡って発売され、しかも録音データの記載が適当なため、ますますサン・ラというのは何をやろうとしているミュージシャンかわからなくなる、ということになった。有能なマネジメントがいてサターン・レーベルがあったからこそサン・ラは多作できたのだが、むやみやたらに多作した結果全体像がつかみづらいアーティストになってしまった、ともいえる。
それとサターン・レーベルはサン・ラ自身のジャケット・アートワークのせいでますます敷居が高い。このアルバムでもごらんのように、昔のB級SF小説の挿し絵みたいなシュールレアリスムもどきの汚いイラストばかりなのだ。これが良い、と思えるようになったらちょっとやばい。後戻りできなくなる。
このアルバムを聴くと、まずA1、A2、A4、B2あたりはチャールズ・ミンガスとの類似性がある。実際ミンガスを参考にしているかもしれないが、70年代までレギュラー・バンドを持てなかったミンガスと較べてサン・ラ・アーケストラ(ここでは7人編成)はいつもレギュラー・メンバーなのでアレンジが細かい。ミンガスのようにパワーで押して行くサウンドではないので(60年代半ば以降のライヴではパワーで押す曲も増えるが)聴き流すと印象が薄いかもしれない。B1は50年代~60年代に流行したエキゾチック・ミュージック路線で、基本はライヴ・バンドだったアーケストラらしいレパートリーだろう。コーラス入りのA3もエキゾチック路線で、こちらは強い印象を残す。コーラス入りはB3もあって、ディジー・ガレスピーのビバップ・ヴォーカル・クラシック『ソルト・ピーナッツ』を思わせる急速調ナンバーで曲自体はB2にコーラスを加えてロング・ヴァージョンにしたものだが、これもあれよあれよという間にソロのリレーがあって、何だかわからないうちに終わる。アルバム1枚を通してテナーのジョン・ギルモアのプレイが62年以降のジョン・コルトレーンを先取りしたパーカッシヴな奏法で光っており、実際コルトレーンはギルモアからの影響を公言している。サン・ラ・のピアノはラグタイムからブギウギ、ビバップ、フリー・ジャズまで何でもござれで、ミンガスと親交が深いジャッキー・バイアードのプレイやミンガス自身が弾くピアノに似ているが、サン・ラの方が10歳年長なのだからこのスタイルは後輩からの影響ではないだろう。
全体を通して聴くと、ジャズには違いないのだが、何だかジャズとは違うものを聴いたような感じがしてくる。それがサン・ラならではの味なのか、これをジャズから少しずれたものに聞こえるのが料簡が狭いのか、そんなことも考えさせられる。