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Channel: 人生は野菜スープ(または毎晩午前0時更新の男)
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ゴスロリお婆さん

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 ゴスロリの発生は、X JAPANのブレイク当時ファンの女の子がすでにあんなファッションだったし、いわゆるヴィジュアル系の頂点はL'Arc-en-Cielの人気絶頂期だろうが、その頃には完全に確立してショップもあちこちに出来ていた記憶がある。90年代文化に属するものだろう。同時期にはやや先行してブルセラ≒援助交際が風俗的話題になっていたが、こちらは後に青少年保護条例の制定に結びついたほど売春防止条例に抵触するものなのであまり表立って話題にはされず、村上龍『ラブ&ポップ』1996(98年に庵野秀明によって映画化)、阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』1997あたりが、遅まきながらブルセラ≒援助交際の世相を背景に描いた小説にとどまる。
 ゴスロリはそういう意味ではあくまでファッションの域にとどまるので、何ら問題なく21世紀でも続いているが、ああいうショップのお姉さんは昔の言葉で言えばハウスマヌカンというか、実にあのファッションが似合う女の子が店番をしており、お店としても店員の採用基準がお店の看板娘になるような女の子なのだろう。ゴスロリは異性と同じくらい同性にアピールする要素が高いと思われる。また、おしゃれ着としてはほとんどコスプレに近い。逆に言えば、おしゃれ着としてギリギリ通るコスプレがゴスロリでもあるだろう。
 以前住んでいた町の駅前通りで、日傘をさして歩いているゴスロリ・ファッションの女性をよく見かけた。特に土日に遭遇率が高く、あーまたいるわ、とそのたびビクッとするのだが、どう見ても70代のお婆さんなのだ。フリルのひらひらついた黒いドレスで、格好が若いだけに余計怪しい老婆に見えた。フォークナーの『エミリーへ薔薇を』や山岸凉子の『天人唐草』を思い出した。黒柳徹子の実物と対面したらかなり異様だろうが、このゴスロリお婆さんの場合はどこかもう理性が外れてしまっているように見えた。幼い娘たちを連れて歩いている時に遭遇した場合も、幼児ですら、両親の様子からもこれは見て見ぬふりをしなければならない、と本能的に感づいていた。
 そういうものだ。ゴスロリ自体が本来はキッチュなセンスの産物で、キッチュとは悪趣味の逆用だが、それも究めれば狂気っぽいところまで行く。あのゴスロリお婆さんはたぶん今でもゴスロリだろうし、用事があって駅前通りを闊歩していたとは思えない。あのファッションで出歩くこと自体を楽しんでいたのだろうし、道行く人は次々と黙り込まされていたのだ。

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