子どもが落としていった物は、大人の落とし物より切ない感じがするものだ。手元にあった時には、それはどんなにか大事なものだったろう。だがなくしてしまえば、子どもの注意力ではまず落とした場所にたどり着けないし、見つける根気も続かない。手を離れてしまったら、もう二度と戻らないと思って良い。
無くしてしまって、少しの間は悲しくなり、泣いてしまうかもしれない。むしろ泣く方が悲しみの清算には早くて、諦めてしまえば興味はやがて別のものに移る。大人よりも無力な分、子どものメンタリティの方がより柔軟ともいえる。過ぎ去ったことはあっという間にとても以前のことになる。それが子どもなのだ。
大人には時間は短く、子どものようには毎日が長くない。落とし物などすれば、痛恨の思いはなかなか消えない。だから子どもの落とし物を見ると寂しくなるのだが、落とし物にとっては、持ち主の手から離れた時間は長いのだろうか、短いのだろうか。生命のない玩具ですら、時の流れを悲しむのではないだろうか。