Sun Ra - Atlantis (Saturn,1969) Full Album : http://youtu.be/uVWlA01u-7I
Recorded between 1967 to 1969
Released El Saturn 507
(Side A) :
1. "Mu" - 4:30
2. "Lemuria" - 5:02
3. "Yucatan" - 5:27
4. "Bimini" - 5:45
(Side B) :
1. "Atlantis" ? 21:51
SUN・RA and his Astro-Infinity ARKESTRA
Sun Ra - Solar Sound Organ, Solar Sound Instrument(A1-4,B1)
John Gilmore- Tenor Saxophone, Percussion(A1-4,B1)
Pat Patrick- Baritone Saxophone, Flute,Percussion(A4,B1)
Marshall Allen- Alto Saxophone, Oboe,Percussion(A4,B1)
Danny Thompson - Alto Saxophone, Flute(B1)
Bob Barry - Drums, Lightning Drum(A1-4,B1)
Wayne Harris - Trumpet(B1)
Ebah - Trumpet(B1)
Carl Nimrod - Space Drums(B1)
James Jacson - Log Drums(A4,B1)
Robert Cummins - Bass Clarinet(B1)
Danny Davis - Alto Saxophone(B1)
Ali Harsan - Trombone(B1)
チャールズ・ミンガスの音楽が受け入れられるようになったのはアメリカ本国では数年間の活動休止期間を経た1970年代になってからで、60半ばまでのミンガスは難解な実験ジャズとしてジャズクラブからは敬遠され、ライヴの場はフェスティヴァル出演や自主コンサート、大学の学園祭くらいしかなかった。ミンガスの音楽はレコードを通して熱心に聴かれていたヨーロッパや日本での人気の方が高く、64年のヨーロッパ・ツアーはほぼ全公演がラジオやテレビ放送用に録音記録があるほどだったが、この時のミンガスのレギュラー・バンドはアメリカでは自主コンサートと学園祭出演しか果たせなかった。ミンガスがロサンゼルスからニューヨークに進出したのは1953年だったが、第一線の一流ジャズマン=バンドリーダーと認知されるまでは20年近くを要したのだった。
一方、シカゴではシカゴだけを活動範囲に絶大な支持を集め、地元のカリスマ・ジャズバンドになっている謎の集団があった。アルバムも1956年から毎年のように出している。奇しくもミンガス最初の傑作アルバムはアトランティックからの56年作『直立猿人』だった。ただしシカゴのバンドは地元から出てこないし、アルバムは出るたびに違う弱小インディーズからの発売だしで実態がよくわからない。シカゴはニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ大都市だから、ニューヨークやロサンゼルスのジャズマンたちもシカゴにツアーに行く。するとシカゴの黒人ファンが口を揃えて主張するには、最高のバンドはサン・ラ・アーケストラだ、という。それでシカゴ滞在中にサン・ラのライヴを見てきたジャズマンの間でいつしかサン・ラは伝説的存在になった。
サン・ラ(太陽神)、本名ハーマン・ブロウント(1914~1993)はシカゴでメンバーたちのコミューン生活に君臨するバンドリーダーでピアニスト=作曲家であり、ジャズマンとしての初録音は1933年にさかのぼる、という大ヴェテランだった。芸名をサン・ラと名乗り、ビッグバンドはノアの箱舟(アーク)とかけてアーケストラとする。それはサン・ラ・アーケストラは宇宙音楽を演奏するバンドであって、宇宙規模の視点では地球人に白人も黒人もない、というメッセージがサン・ラを黒人のヒーローにした。サン・ラ自身は自分の音楽の政治性は重要ではないとするが、ジェイムズ・ブラウン、パーラメント、ナイジェリアのフェラ・クティ、白人ロックだがフランク・ザッパなどは組織的レベル(Rebel)・ミュージックとしてサン・ラの後継者になる。サン・ラがいなくてもJBやザッパは出てきただろうが、フランスのマグマや日本の渋さ知らズなどは直接的影響下にある。
サン・ラのバンドがニューヨークに進出してきたのは1961年で、オーネット・コールマンの登場でいわゆる「フリー・ジャズ」に耳目が集まったことによる。だがフリー・ジャズとは特定の音楽傾向を表すものではなく、サン・ラの音楽はオーネットとはずいぶん違っていた。統率された集団即興としてはミンガスと比較されるが、サン・ラはミンガスよりも10歳近く年長になる。だが70年代にはむしろサン・ラの存在感の方がより若々しかった。
サン・ラはライヴ会場の手売りや通販に自主レーベル「サターン」を持ち、軽く100枚を越えるアルバムには同一音源の編集版と完全版があったり、曲がりなりにもインディーズであれば録音記録くらいは残っているのだがサターンからの自主制作盤は録音日時も発売日も不明になっているものが多い。アメリカ版ウィキペディアによると、この『アトランティス』旧B面全面を占めるタイトル曲は1967年のアフリカ文化会館、通称オラトゥンジ(ナイジェリア出身の黒人思想家・社会活動家・民族音楽家)会館でのコンサートからで、このオラトゥンジ会館の設立に尽力したのが晩年のジョン・コルトレーンで、こけら落としに演奏した1967年4月23日がコルトレーンの最後の演奏になり、3か月後コルトレーンは胃癌の急速な悪化で逝去する。コルトレーンはサン・ラに敬意を払っていたが、サン・ラに言わせればコルトレーンはサン・ラ・アーケストラの音楽的アイディアをパクったそうだからなにをか言わんや。コルトレーンの最後のライヴは30年経って録音テープがCD化されたが、まさかサン・ラの出演と同日だったりはしないだろうか。少なくともコルトレーンが観客だったのは間違いない。
この出演は大変好評で、70年代にサン・ラがアート・アンサンブル・オブ・シカゴ(人脈的にはサン・ラの弟子筋だがコンセプトはもっと知的なバンドだった)や、やや遅れるがフェラ・クティらとともにヨーロッパ各国のジャズ・フェスティヴァルに常連で招聘される足がかりになった。アート・アンサンブルやフェラ・クティはサン・ラより25歳近く若いのだから、サン・ラは一世代遅れてトップランナーになった、あまり他に例のないタイプのミュージシャンとも言える。
サン・ラの代表作はデビュー作『サン・ソング』1956、ニューヨーク進出に伴い本格的にアーケストラの方向性を打ち出した『フューチャリスティック・サウンド・オブ・サン・ラ』1961、新興フリー・ジャズ・レーベルESPからのリリースで一層大胆なサウンドに踏み込んだ『太陽中心世界』1965、『ナッシング・イズ』1966、70年代には『ナッシング・イズ』と並ぶライヴの名盤『世界の終焉』1971・『ライヴ・アット・モントルー』1976、代表曲で固めた完成度が高い『スペース・イズ・ザ・プレイス』1972、『コスモス』1976があり、遺作『プレイアデス』は享年1993年のリリースだった。アメリカ版ウィキペディアは作品評価はロック系はローリング・ストーン誌に、ジャズ系はオールミュージック・コムに丸なげの感があるが、同サイトの評価では上記の作品はすべて★★★★1/2以上のアルバムになる。
サン・ラ全アルバムで★★★★★は『アトランティス』と『スペース・イズ・ザ・プレイス』の2作。もっともオールミュージック・コムの評価は日本での評価とはかなり異なり、ミンガスなどは日本では屈指の傑作とされる『ミンガス・プレゼンス・ミンガス』が★★★、ミンガスの★★★★★は『ミンガス・アー・ウム』と『黒い聖者と罪ある女』と、アメリカ本国で広くインパクトを与えたのはそっちなんだな、と思わせられる。
このアルバムは1969年にサターン・レーベルから発売された後、1973年にメジャーのインパルスから再発売された。その際、『ユカタン』1曲がショート・ヴァージョンに差し替えられている。アナログ盤A面はエレクトリック・ピアノ、テナーサックス、ハンド・ドラムスのトリオで(4曲目のみパーカッション増員)、こんなに変なエレクトリック・ピアノの音は聴いたことがない。ハープシコード系の音色をプリセットしてあるのだろうが、下手くそなギターのように聞こえる。ちなみにジャケット・アートもサン・ラ自身によるが、こういうのは狙って出せる味ではない。
B面はエレクトリック・オルガンの乱れ弾きが延々続き、終わり近くになって管楽器が4音の下降フレーズをモチーフにして荒れ狂う。やがてオルガンのフレーズをきっかけに管楽器が止み、オルガン伴奏でメンバーたちによる短い唱和があり、タイトル曲は終わる。
A面もB面も手法は違うが、手法としてはミニマリズムなのだと思う。後にサン・ラはそれをディシプリンと呼ぶのだが、ミニマリズムがファンクと近いのはフェラ・クティの音楽にも現れて、トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』やキング・クリムゾン『ディシプリン』につながっていく。ただしフェラ・クティはジェイムズ・ブラウンのブラック・ロックからの影響力がはるかに強く、『アトランティス』だけ聴いてロックとの音楽的関連は感じられないかもしれない。
★★★★★をつけた音楽サイトから要領をえた解説を引こう。
allmusic.com rating ★★★★★
Review by Lindsay Planer
Featuring the Astro Infinity Arkestra, Atlantis reveals two very distinct sides of Sun Ra's music. The first consists of shorter works Ra presumably constructed for presentation on the Hohner clavinet. Not only is the electric keyboard dominantly featured, but also it presumably offered Ra somewhat of a novelty as it had only been on the market for less than a year. The second side consists of the epic 21-minute title track and features an additional seven-man augmentation to the brass/woodwind section of the Astro Infinity Arkestra. Tracks featuring the smaller combo reveal an almost introspective Arkestra. The stark contrast between the clavinet -- which Ra dubbed the "Solar Sound Instrument" -- and the hand-held African congas on "Mu" and "Bimini" reveal polar opposite styles and emphasis. However, Ra enthusiasts should rarely be surprised at his experiments in divergence. "Mu" is presented at a lethargic tempo snaking in and around solos from Ra and a raga-influenced tenor sax solo from John Gilmore. "Bimini" is actually captured in progress. The first sound listeners hear is the positioning of the microphone as a conga fury commences in the background. Likewise, on "Yucatan (Impulse Version)" a doorbell quickly impedes what might have been a more organic conclusion to the performance. The original issue of Atlantis was on the small independent Saturn label. Thus the composition titled "Yucatan (Saturn Version)" appeared on that pressing. When the disc was reissued in 1973 on Impulse!, the track was replaced by a completely different composition -- as opposed to an alternate performance of the same work. The second side contains one of Ra's most epic pieces, which is free or "space" jazz at its most invigorating. While virtually indescribable, the sonic churnings and juxtaposed images reveal a brilliant display of textures and tonalities set against an ocean of occasional rhythms. Its diversity alone makes this is an essential entry in the voluminous Sun Ra catalog.