『一人息子』(全)
https://www.youtube.com/watch?v=_gmdzh24c_E&feature=youtube_gdata_player
*
『一人息子』は「1923年、信州-」という字幕から始まります。
製糸工場で女工を勤める未亡人のおつね(飯田蝶子)は小学校担任の大久保先生(笠智衆)から息子の良助の中学校進学を勧められます。貧しい母子家庭ですが、良助の将来に期待をかけて母は息子を上京させます。字幕「1936年、東京-」、今は女工は下ろされ雑役婦となり、良介(日守新一)の縁談を思い立って上京した母は、場末の一軒家で妻(坪内美子)と赤ちゃんと暮らす息子を見て幻滅します。良助の職業は夜学の教師でした。先に上京していた大久保先生も出世はかなわず、寂れたトンカツ屋をやっていました。ひとしきり東京見物をまわり、そのために同僚たちから借りたお金も尽きて、良助は大型ごみ処理場が建つ野原に母と散歩に出ます。良助は東京の生活の困難を訴え、「本当はまだ母さんに来てほしくなかった。ぼくだってここまでとは思っていない。だけどこの仕事だってやっとだった。小さい双六のあがりなんだよ」と嘆きます。おつねは息子を不甲斐ない、「出世している人だっている。お前の出世だけを願って家も田畑も売って働いてきただよ」と責め、涙します。翌日、妻は着物を売っておつねを東京見物にもてなすお金を作ってきますが、貧しい隣家の母子家庭の息子(突貫小僧)が子供たちの遊びで野原につながれている馬をからかい、あげく馬に蹴られる大ケガをして、良助が緊急搬送を率先し、母子家庭の母(吉川満子)に入院費をあげる姿を見て、おつねは息子を出世よりも貴い行いができる人間になって誇らしい、と褒めそやします。おつねは信州に帰郷して、良助は妻に上級教員試験の勉強への決意を語ります。一方おつねは、同僚からの問いに、息子は立派に出世した、良い嫁ももらった、いつあっちに行ってもいいだよ、と寂しげに息子のことを語るのでした。
*
一応「出世より善行」というドラマが終盤にあるので柔らいではいますが、大久保先生や良助は「大学卒業者の就職率30%」の、昭和初期の未曽有の就職難を正面から被った年代で、小津作品でも『大学は出たけれど』『東京の合唱』『東京の宿』ですでに観てきた通りです。『東京の合唱』は再就職ですし、『東京の宿』は肉体労働者(工場内労働。職工と呼ばれる)でしたが、職にあぶれた、または未就職の人間に空席はないか、あっても劣悪な就労環境しかない。『一人息子』でも良助は市役所勤めから夜学教員に転職したらしく、良助の性格からは『東京の合唱』の主人公と同じく職場内の不正に抗議した、と想像されます。
しかし良助の側にどれだけ彼自身の力ではどうしようもない事情があるとはいえ、母親が一人息子に託してきた夢は、おつねの主張どおり彼女の人生すべてをかけてきたものに違いなく、古い時代の母親の勝手な出世主義とはいえない重みがあります。佐藤忠男氏の考えでは父子家庭は家庭ではなく、すでに崩壊している(喜八もの『出来ごころ』『東京の宿』)。だが母子家庭は家庭と考えてよい、という指摘があり、『一人息子』のおつねのような全人的な息子への執着は、確かに父子では滅多にないでしょう。母親を欠いた場合、父親は子に母親ほどの拘束力を持ち得ません。母子関係が家父長制より強いのは一種の自然法的原理で、制度の力の強い上流階級ほど子供は父系に属し、庶民化するほど子はまず母親に属する、という一般論が立てられると思います。
この作品はトーキー第一作とはおもえないほど自然な流露感があり、昭和11年の東京の世相が物語に巧みに溶け込み、世相風俗映画としても面白いものです。学生時代に観た時に、こんなに田舎のお母さんに報告せずに結婚していていいものか、と思いましたが、今回初期サイレント作品から順を追って観てきたので、どうもありみたいです。坪内美子演じる影の薄い若妻は今どきの女優には難しい影の薄さでしょう。今回で三回目、20年ぶりくらいに観ましたが、記憶では突貫小僧は市電か自動車にはねられる、とすり替わっていました。ウマに跳ねられるとは(笑)笑い事ではないですが、昭和11年にはそこら辺の野原に馬がつないであるのは普通の光景だったようです。
私見では二度の従軍を挟んだ『一人息子』1936、『戸田家の兄弟』1941、『父ありき』1942、この三作は時代的な近さ以上に、『晩春』1949以後の作風を予告するとともに、それらの洗練では抑制されることになった情感が抑えられずにあふれており、これらから小津作品に触れた人は小津作品の全貌のどこにでも進めやすいんじゃないか、と思いました。名高い『晩春』『麦秋』『東京物語』の三部作から小津に入った人は、かえって他の作品に進みづらいように思えるのです。