Larry Young-"Larry Young's Fuel"(Full Album)1974
https://www.youtube.com/watch?v=tiDDfjeMot0&feature=youtube_gdata_player
A1."Fuel for the Fire" (Philips, Torano, Young) - 6:06
A2."I Ching (Book of Changes)" (Young) - 6:25
A3."Turn off the Lights" (Logan, Saunders, Young) - 7:05
B1."Floating" (Torano) - 4:13
B2."H + J = B (Hustle + Jam = Bread)" (Young) - 6:19
B3."People Do Be Funny" (Philips, Young) - 3:43
B4."New York Electric Street Music" (Saunders, Torano, Young) - 8:34
[Personnel]
Larry Young: keyboards
Santiago Torano: guitar
Fernando Saunders: bass , Backing Vocals
Rob Gottfried: drums, percussion
Laura "Tequila" Logan: vocals
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ラリー・ヤングはブルー・ノートからの傑作『ユニティ』、またはトニー・ウィリアムズ・ライフタイム(トニー・ウィリアムスがジミ・ヘンドリクス・エクスペアリエンスに触発されてロックに進出したバンド)の『エマージェンシー!』が代表作で、『ユニティ』は60年代ブルー・ノートを代表するアルバムでメンバーも豪華だからアンドリュー・ヒルの『離心点』に近い、孤立したアーティストの例外的なメインストリーム作との趣きがある。トニー・ウィリアムズ・ライフタイムはドラムスがトニー、ギターがジョン・マクラフリンというとんでもないトリオだが、オルガンのヤングも含めて三人ともマイルス・デイヴィス『ビッチズ・ブリュー』のメンバーではある。ただ『ビッチズ・ブリュー』ではヤング以外にも鍵盤奏者がチック・コリアとジョー・ザヴィヌルの二人もいるため、ヤングの貢献度はあまりはっきりしない。ライフタイムではジミー・スミス・トリオやソフト・マシーン、エマーソン・レイク&パーマーと同じエレクトリックのオルガン・トリオなのでヤングのオルガンはジャズ・オルガンとロック・オルガンのパフォーマンスでも最強の凶悪プレイをみせる。ライフタイム唯一の弱点はトニーの、本人はジミ・ヘンドリクス風のつもりのへなちょこヴォーカルで、セカンド・アルバムから先日鬼籍に入ったジャック・ブルースがヴォーカルとベースで加入したがジャズマンの欠点は飽きっぽいことでもあり、バンドは『エマージェンシー』の時のやる気をなくしていた。
ラリー・ヤング(1940~1978)はリズム&ブルースからジミー・スミス派のハードバップ~ソウル・ジャス系オルガン奏者になり、ルー・ドナルドソンやケニー・ドーハム、ジミー・フォレストらのサイドマンを経て自己のオルガン・トリオで活動するようになった。ハモンドB3オルガンを使っていることでも出発点は完全にジミー・スミスだが、プレスティッジからの第三作『グルーヴ・ストリート』では後にグラント・グリーン・トリオで再演するオリジナル"Talkin' About J.C."の初演が収められ、ヴィブラフォンのウォルト・ディッカーソン同様通常編成ではイレギュラーな担当楽器でジョン・コルトレーンのサウンド・コンセプトを取り入れ、ブルー・ノート・レーベルの目にとまる。ブルー・ノートはヤングをコルトレーン・カルテットのエルヴィン・ジョーンズと組ませてヤング作品では『ユニティ』まで、グラント・グリーン作品では『抱きしめたい』まで起用するが、エルヴィンから離れたそれ以降の作品が積極的に無名プレイヤーを集めた実験的なもので、ブルー・ノート最終作『マザー・シップ』はヤング没後までお蔵入りとなる。
その後ライフタイムを経てインディーズから一作発表し、アリスタ・レーベルと契約しバンド名義のラリー・ヤングズ・フュエルで二作を発表、ドラムスのジョー・チェンバースとのデュオ作が遺作となった。晩年はドラッグ禍に由来する奇行が多く、急逝の際も明確な死因が特定されないまま荼毘に付されたという。ブルー・ノート関係はうるさいらしく無料動画のリンクを貼れないが、ラリーさん一世一代の代表作『ユニティ』はこれです!ラリーさんはジミ・ヘンドリクスとセッション音源を残した唯一のジャズマンでもあるのだ(ボックス『ウェスト・コースト・シアトル・ボーイ』に収録)。
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ラリーさんが晩年にやりたかった音楽の集大成が、ラリー・ヤングズ・フュエルの第一作にはある。第二作『スペースボール』も悪くないが、メンバー総入れ替えばかりか曲単位のゲストがあまりに多く、何よりもう一人のキーボード奏者を入れて収録曲の半数の作曲・アレンジまで任せてしまい、それらはメジャーのアリスタ・レーベルに要求されていたと思われる明快なフュージョンだった。しかもそのジュリアス・ブロッキントンの担当曲とラリーさんの曲はまるで水と油で、つまりアルバムの半分の曲しかラリー・ヤングがいない。それらは前作の延長なのだがレギュラー・バンドは消滅しており、ラリーさんの考えたラリー・ヤングズ・フュエルはファースト・アルバム一枚きりだったと言える。
ラリーさんにとってこのアルバムはマイルスの『オン・ザ・コーナー』、ハンコックの『ヘッドハンターズ』(チック・コリアの『リターン・トゥ・フォエヴァー』やブレッカー・ブラザース『ヘヴィ・メタル・ビバップ』、ウェザー・リポート『ヘヴィ・ウェザー』とは違うだろう)への遅まきの回答と言えるものだろうが、ロックを通過した後のスペーシーでドラッギーな毒々しさは、確かにメジャーのアリスタでは即座に路線変更を迫られるのも仕方なかっただろう。セカンドの『スペースボール』でもラリーさんの担当曲では傾向に変化はないのだから、『スペースボール』は実質ラリーさんとジュリアス・ブロッキントンのスプリット・アルバムだった。
作品的には『ユニティ』『トーキン・アバウト』『エマージェンシー』『ビッチズ・ブリュー』と成功作を作り出してきたラリーさんだが、セールス的な成功はラリーさんの貢献度が判然としないマイルスの『ビッチズ・ブリュー』だけだった。ラリー・ヤングズ・フュエルはラリーさん最後のチャレンジだったが、やはり勝負に勝って試合には負けたことになるのかもしれない。それでもラリーさんの音楽は発表50年後の月日に耐えるものだと、今日では証明されている。
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最後にラリー・ヤング全参加アルバム・リストをご紹介する。ラリー・ヤング本人名義の作品、グラント・グリーン作品はどれも聴いてハズレはありません。
[Discography]
(As leader)
>Prestige Records
1960: Testifying
1960: Young Blues
1962: Groove Street
>Blue Note Records
1964: Into Somethin'
1965: Unity
1966: Of Love and Peace
1967: Contrasts
1968: Heaven on Earth
1969: Mother Ship
>Others
1973: Lawrence of Newark (Perception Records)
1975: Fuel (Arista)
1976: Spaceball (Arista)
1977: The Magician (Acanta/Bellaphon)
(As sideman)
>Joe Chambers
Double Exposure (1978, Muse)
>Miles Davis
Bitches Brew (1969, Columbia)
Big Fun(1974,Columbia)
>Jimmy Forrest
Forrest Fire (New Jazz, 1960)
>Grant Green
Talkin' About! (1963, Blue Note)
Street of Dreams (1964, Blue Note)
I Want to Hold Your Hand (1965, Blue Note)
His Majesty King Funk (1965, Verve)
>Etta Jones
Love Shout (Prestige, 1963)
>Gildo Mahones
I'm Shooting High (Prestige, 1963)
The Great Gildo (Prestige, 1964)
>John McLaughlin
Devotion (1969, Douglas)
Love Devotion Surrender (1972, Columbia) - with Carlos Santana
>Woody Shaw
In the Beginning (Muse 1965 [1983])
>Tony Williams
Emergency (1969, Polydor)
Turn It Over (1970, Polydor)
Ego (1971, Polydor)
>Love Cry Want
Love Cry Want (1997, Newjazz.com)