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その時思い出したのはフランス詩人ステファヌ・マラルメ(1842-1898・画像1)の散文詩『未来の現象』で、1864年に執筆、1875年に雑誌発表されてから三回転載されて、書籍に収められたのは1896年になる。だがマラルメが師事した巨匠シャルル・ボードレール(1821-1867・画像2)最晩年(晩年一年は完全に廃人だった)の未完の長編評論「哀れなベルギイ」(1866)にはこの作品への批評があるから、手稿の段階で作品の回し読みが詩人たちの間では行われていた、と考えられる。
マラルメの原作は相当回りくどい文面だから、「哀れなベルギイ」で紹介批評されている箇所を引用した方が理解が早い。第二章の中の断片より。
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ある若い作家が最近、気が利いてはいるが絶対的に正鵠を得ているとは言えぬ、ひとつの着想を抱いた。世界は終ろうとしている。人類は老衰した。ある見世物師が、未来の衰退した人間たちに、人工的に保存された、古い時代の美女を観覧に供する。「へえ!これは!人類はこれほど美しくあることもできたのか」
これについてのボードレールの批評はこうなる。
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これは真実ではないと私は断言する。醜は美を理解しない。衰退した人類はわれとわが身を嘆賞し、美を醜と呼ぶだろう。
ボードレールは異郷の師としてアメリカの詩人・小説家エドガー・アラン・ポー(1809-1849・画像3)を崇拝したが、ポーというのは近代で初めて方法論を作品の前提にした作家で、その結果作品はあざとい技巧が目立つ。だから英語圏では10本の指に全部ダイヤモンドの指輪をはめたような悪趣味と揶揄されるのだが、理論的に作品を構想していくというのは従来のカンが頼りの創作法を覆すもので、ボードレールやマラルメには良い影響を与えた。マラルメはボードレールには私淑していたがポーの理解は自分の方が深いと自負していたほどだ。
ボードレールの批判は一見論理的だが、それを承知でマラルメが書いたとしたら未来に仮託した「衰退した人類」とは現代人そのものを指し、古典主義的な美との断絶を嘆いたもの、とも読める。少なくともマラルメにとってそれは「そう遠くない未来」だった。