リラティヴリィ・クリーン・リヴァース Relatively Clean Rivers (Pacific Is, 1976) Full Album : https://youtu.be/z6h-rQmyaag
Released by Pacific Is Records Pacific Is PC 17601, Orange County, California, 1976
Engendered by Craig Lang, John Golden
Technical Engendered by Peter Kunzke
Produced & Composed by Phil Pearlman
(Side 1)
A1. Easy Ride - 3:50
A2. Journey Through The Valley Of O - 4:13
A3. Babylon - 5:51
A4. Last Flight To Eden - 2:43
(Side 2)
B1. Prelude - 0:30
B2. Hello Sunshine - 3:33
B3. They Knew What To Say - 3:25
B4. The Persian Caravan - 3:51
B5. A Thousand Years - 5:23
[ Relatively Clean Rivers ]
Phil Pearlman - guitar, bass, vocals, flute (English flute=alto recorder), baglama (sahz), harmonica, synthesizer
Kurt Baker - guitar, vocals
Dwight Morouse - drums, special effects(B4, B5)
John Alabaster - congas(B4)
Hank Quinn - drums(B4)
*
(Original Pacific Is "Relatively Clean Rivers" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side 1 Label)
混沌とした即興演奏音楽の第1作、多重録音のサイケ・ポップの第2作と較べると本作は、のっけからポップなカントリー・フォーク・ロック調の耳ざわりの良い音楽で、リラックスしたリード・ヴォーカルにヴォーカル・ハーモニーもソフトで、多重録音の第2作に目立ったリズムのヨレもない安定して適度にスキのある完成度の高いアレンジです。グレイトフル・デッドが落ちついたカントリー・ロックを披露した第5作『ワーキングマンズ・デッド』'70、『アメリカン・ビューティー』'70に本作が比較されることも多く、パールマン自身が意識していたかはともかく同じ西海岸のアーティストとして同時代の空気を吸っていたのが、即興性の高いサイケデリック・ロックから楽曲指向のカントリー・ロックへ、という当時の西海岸のヒッピーの嗜好の変化に表れたとも言えそうです。ただしデッドもその後、中近東路線に向かうように、自主制作盤では異例の豪華な見開きジャケットの内側には全曲の歌詞を散文詩形式で掲載しており、また裏ジャケットにはこれまでの2作にはなかった細かなクレジット記載とともに、パールマン自身によるメッセージがライナーノートとして掲載されています。拙い訳文ながらなるべく平易にほぼ全訳しますと、
この物語が、みなさんがずっと聞きたがっていてくれた話だとしたら嬉しい。それはロサンゼルスの空にも漂うばかりか……
そこにはヨーロッパの・中近東の・東洋の・コーカサスの・黒人アフリカ系アメリカ人の兵士たちが泥だらけの塹壕に座りこみ、近くには占領された都市や農地が広がり、マラリアが蔓延し、沼にはワニが潜み……
アラブ民族もユダヤ民族もひとつになり、武器を溶かして撒水機やトラクター、シャベルとクワで用水路を作り……
そしてもしヨーロッパの・中近東の・東洋の・コーカサスの・黒人アフリカ系アメリカ人の貨物船が大都市の港から、食糧を必要とする声に応えられるとすれば……
それには何の費用もかからない、誰もが自分の金を街路に投げ捨てればいいだけだ。貨幣に顔が見えるか?そこには神はいない。
アルバムの各曲の歌詞はこのライナーノートに沿ったものですが、ヒッピー思想は理想主義的なエコロジーや原始共同体指向に向かいやすいとしてもパールマンのメッセージは反資本主義アナーキズムそのもので、穏健なグレイトフル・デッドなどよりさらに過激な考え方を持っていたのがわかる。2006年にニューヨーク・デイリー・ニュース紙でパキスタンを拠点としアザム・アルアムリキを名乗るイスラム教過激テロリストのFBIによる国際手配が報道され、その正体は28歳のアメリカ人青年アダム・ヤハイエ・ガダーンだったのですが、ニュースは青年の父親がアメリカ人フィル・パールマン・ガダーンなのも報じていました。西欧社会では成人の罪状に対して親族の責任を責めることはありませんが、息子は1978年生まれになるはずですから第3作を発表して以来消息不明だったフィル・パールマンは第3作発表後間もなくイスラム名を授かるイスラム教徒に改宗していたことになります。パールマンの父は19世紀アメリカの超越主義の流れをくむ思想家で、パールマンは父親の影響下でエコロジストになり、それがヒッピー思想を経て尖鋭化し反資本主義アナーキズムからイスラム教徒に改宗したのですが、パールマンという姓からも出生はユダヤ系アメリカ白人でもあるわけです。反資本主義は反ユダヤ主義にも結びつきやすいので(アメリカ・ヨーロッパの大資本家はほとんどがユダヤ系財閥です)、ライナーノートの通り「ロサンゼルス」と「ヨーロッパの・中近東の・東洋の・コーカサスの・黒人アフリカ系アメリカ」の音楽を融合して資本主義思想の粉砕を目指す、という本作のコンセプトが、イスラム教徒への改宗以降は音楽活動そのものから隠遁するきっかけになったとも思える。やはりユダヤ系アメリカ人かつユダヤ教徒の家庭に生まれたボブ・ディランも'70年代半ばと'80年代半ばにアルバムのアートワーク内でアラブ人の扮装をして物議をかもしましたが(ディランの場合'80年前後の数年間は原理主義クリスチャンを表明してリベラル派の反感を買ってもいました)、日本的な感覚だとこうした事情は音楽とは関係ないとされそうです。しかし思想的・宗教的モチーフは創作家にとって作品の発想を左右する重要な契機になり得るので、パールマン自身はまったく非商業的動機で音楽活動をしてきた人でしたが、音楽による意識改革や社会的啓蒙などにもまったく期待していなかったとも考えられる。パールマンは第1作でもレコード・レーベルに「THIS RECORD IS AN ARTISTIC STATEMENT」と表明していた人でしたが、本作ではついにライナーノートと散文詩形式の全歌詞によって反資本主義アナーキズムがこの一見穏やかなカントリー・ロック、しかしあちこちに逆回転エフェクト(B1はまるごと逆回転です)やフリークアウトしたファズギター、中近東フレーズがリスナーを不意打ちするサウンドにこめられていると明言されています。サーフ・インストのシングルが'64年、第1作が'67年、第2作が'70年で本作が'76年、すべて自主制作盤と、いったい生活はどうしていたのかわからないようなアーティストですが、結果的に最終作となった本作はパールマン自身に最終作という意識があったのではないかと思われるのがライナーノートと歌詞内容で、子息が過激テロリストになったというくらいですからイスラム教徒への改宗はアメリカ社会でも特殊なイスラム教コミュニティーへの全生活的な参入だったと考えられる。すると本作は素人音楽家フィル・パールマンの音楽的遺言だったのかもしれません。
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Released by Pacific Is Records Pacific Is PC 17601, Orange County, California, 1976
Engendered by Craig Lang, John Golden
Technical Engendered by Peter Kunzke
Produced & Composed by Phil Pearlman
(Side 1)
A1. Easy Ride - 3:50
A2. Journey Through The Valley Of O - 4:13
A3. Babylon - 5:51
A4. Last Flight To Eden - 2:43
(Side 2)
B1. Prelude - 0:30
B2. Hello Sunshine - 3:33
B3. They Knew What To Say - 3:25
B4. The Persian Caravan - 3:51
B5. A Thousand Years - 5:23
[ Relatively Clean Rivers ]
Phil Pearlman - guitar, bass, vocals, flute (English flute=alto recorder), baglama (sahz), harmonica, synthesizer
Kurt Baker - guitar, vocals
Dwight Morouse - drums, special effects(B4, B5)
John Alabaster - congas(B4)
Hank Quinn - drums(B4)
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この物語が、みなさんがずっと聞きたがっていてくれた話だとしたら嬉しい。それはロサンゼルスの空にも漂うばかりか……
そこにはヨーロッパの・中近東の・東洋の・コーカサスの・黒人アフリカ系アメリカ人の兵士たちが泥だらけの塹壕に座りこみ、近くには占領された都市や農地が広がり、マラリアが蔓延し、沼にはワニが潜み……
アラブ民族もユダヤ民族もひとつになり、武器を溶かして撒水機やトラクター、シャベルとクワで用水路を作り……
そしてもしヨーロッパの・中近東の・東洋の・コーカサスの・黒人アフリカ系アメリカ人の貨物船が大都市の港から、食糧を必要とする声に応えられるとすれば……
それには何の費用もかからない、誰もが自分の金を街路に投げ捨てればいいだけだ。貨幣に顔が見えるか?そこには神はいない。
アルバムの各曲の歌詞はこのライナーノートに沿ったものですが、ヒッピー思想は理想主義的なエコロジーや原始共同体指向に向かいやすいとしてもパールマンのメッセージは反資本主義アナーキズムそのもので、穏健なグレイトフル・デッドなどよりさらに過激な考え方を持っていたのがわかる。2006年にニューヨーク・デイリー・ニュース紙でパキスタンを拠点としアザム・アルアムリキを名乗るイスラム教過激テロリストのFBIによる国際手配が報道され、その正体は28歳のアメリカ人青年アダム・ヤハイエ・ガダーンだったのですが、ニュースは青年の父親がアメリカ人フィル・パールマン・ガダーンなのも報じていました。西欧社会では成人の罪状に対して親族の責任を責めることはありませんが、息子は1978年生まれになるはずですから第3作を発表して以来消息不明だったフィル・パールマンは第3作発表後間もなくイスラム名を授かるイスラム教徒に改宗していたことになります。パールマンの父は19世紀アメリカの超越主義の流れをくむ思想家で、パールマンは父親の影響下でエコロジストになり、それがヒッピー思想を経て尖鋭化し反資本主義アナーキズムからイスラム教徒に改宗したのですが、パールマンという姓からも出生はユダヤ系アメリカ白人でもあるわけです。反資本主義は反ユダヤ主義にも結びつきやすいので(アメリカ・ヨーロッパの大資本家はほとんどがユダヤ系財閥です)、ライナーノートの通り「ロサンゼルス」と「ヨーロッパの・中近東の・東洋の・コーカサスの・黒人アフリカ系アメリカ」の音楽を融合して資本主義思想の粉砕を目指す、という本作のコンセプトが、イスラム教徒への改宗以降は音楽活動そのものから隠遁するきっかけになったとも思える。やはりユダヤ系アメリカ人かつユダヤ教徒の家庭に生まれたボブ・ディランも'70年代半ばと'80年代半ばにアルバムのアートワーク内でアラブ人の扮装をして物議をかもしましたが(ディランの場合'80年前後の数年間は原理主義クリスチャンを表明してリベラル派の反感を買ってもいました)、日本的な感覚だとこうした事情は音楽とは関係ないとされそうです。しかし思想的・宗教的モチーフは創作家にとって作品の発想を左右する重要な契機になり得るので、パールマン自身はまったく非商業的動機で音楽活動をしてきた人でしたが、音楽による意識改革や社会的啓蒙などにもまったく期待していなかったとも考えられる。パールマンは第1作でもレコード・レーベルに「THIS RECORD IS AN ARTISTIC STATEMENT」と表明していた人でしたが、本作ではついにライナーノートと散文詩形式の全歌詞によって反資本主義アナーキズムがこの一見穏やかなカントリー・ロック、しかしあちこちに逆回転エフェクト(B1はまるごと逆回転です)やフリークアウトしたファズギター、中近東フレーズがリスナーを不意打ちするサウンドにこめられていると明言されています。サーフ・インストのシングルが'64年、第1作が'67年、第2作が'70年で本作が'76年、すべて自主制作盤と、いったい生活はどうしていたのかわからないようなアーティストですが、結果的に最終作となった本作はパールマン自身に最終作という意識があったのではないかと思われるのがライナーノートと歌詞内容で、子息が過激テロリストになったというくらいですからイスラム教徒への改宗はアメリカ社会でも特殊なイスラム教コミュニティーへの全生活的な参入だったと考えられる。すると本作は素人音楽家フィル・パールマンの音楽的遺言だったのかもしれません。