[ 山村暮鳥遺稿詩集『雲』大正14年(1925年)1月・イデア書院刊 ]
[ 晩年の山村暮鳥(1884.1.10-1924.12.8) ]
藤の花
ながながと藤の花が
深い空からぶらさがつてゐる
あんまり腹がへつてゐるので
わらふこともできないで
それを下から見あげてゐる
ゆらりとしてみろ
ほんとに
食べたいやうな花だが
食べられるものでないから
寂しいんだ
ある時
ばらばらと
雨が三粒
……けふは何日だつけなあ
ある時
木蓮の花が
ぽたりとおちた
まあ
なんといふ
明るい大きな音だつたらう
さやうなら
さやうなら
ある時
ほのぼのと
どこまで明るい海だらう
それでも溺れようとはせず
ちりり
ちりりり
ちどりはちどりで
まつぴるまを
鬼ごつこなんかしてゐる
野糞先生
かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる
だあれもゐない
どこかで
雲雀(ひばり)が鳴いてゐる
ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ
ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる
手
しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた
ひらいてみたが
なんにも
なかつた
しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである
それをまた
ひらかせたのも
さびしさである
ほうほう鳥
やつぱりほんとうの
ほうほう鳥であつたよ
ほう ほう
ほう ほう
こどもらのくちまねでもなかつた
山のおくの
山の聲であつたよ
*
ほう ほう
ほう ほう
山奧のほそみちで
自分もないてる
ほうほう鳥もないてる
*
自分もそこにもゐて
ふと鳴いてるとおもはれたよ
ほう ほう
ほう ほう
*
ほう ほう
ほう ほう
ほんとうのほうほう鳥より
自分のはうが
どうやら
うまく鳴いてゐる
あんまりうまく鳴かれるので
ほんとうのほうほう鳥は
ひつそりと
だまつてしまつた
まつぼつくり
山のおみやげ
まつぼつくり
ぼつくり
ころころ
ころげだせ
お昼餉(ひる)だよう
鉄瓶の下さたきつけろ
読経
くさつぱらで
野良犬に
自分は法華経をよんできかせた
蜻蛉(とんぼ)もぢつときいてゐた
だが犬めは
つまらないのか、感じたのか
尻尾もふつてはみせないで
そしてふらりと
どこへともなくいつてしまつた
蚊柱
蚊柱よ
蚊柱よ
おまへたちもそこで
その夕闇のなかで
読経でもしてゐるのか
みんないつしよに
まあ、なんといふ荘厳な
ある時
また蜩(ひぐらし)のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい国があるんだ
ある時
松の葉がこぼれてゐる
どこやらに
一すぢの
風の川がある
ある時
くもの巣
松の落葉が
いい気持さうに
ひつかかつてゐる
あ、びつくりした
昼、日中
ある時
たうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
あはははは
だれだ
わらつたりするのは
まつぴるまの
砂つぽ畠だ
ある時
宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ
ある時
うつとりと
野糞をたれながら
みるともなしに
ながめる青空の深いこと
なんにもおもはず
粟畑のおくにしやがんでごらん
まつぴるまだが
五日頃の月がでてゐる
ぴぴぴ ぴぴ
ぴぴぴぴ
ぴぴぴぴ
どこかに鶉がゐるな
ある時
こどもたちを
叱りつけてでもゐるのだらう
竹藪の上が
あさつぱらから
明るくなつたり
暗くなつたりしてゐる
ほんとに冬の雀らである
ある時
まづしさを
よろこべ
よろこべ
冬のひなたの寒菊よ
ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ
ある時
その声でしみじみ
螽斯(こほろぎ)、螽斯(こほろぎ)
わたしは読んでもらひたいんだ
おまえ達もねむれないのか
わたしは
わたしは
あの好きな比尼母経(びにもきやう)がよ
ある時
まよなか
尿(せうべん)に立つておもつたこと
まあ、いつみても
星の綺麗な
子どもらに
一掴みほしいの
ふるさと
淙々として
天(あま)の川がながれてゐる
すつかり秋だ
とほく
とほく
豆粒のやうなふるさとだのう
いつとしもなく
いつとしもなく
めつきりと
うれしいこともなくなり
かなしいこともなくなつた
それにしても野菊よ
真実に生きようとすることは
かうも寂しいものだらう
ある時
沼の真菰の
冬枯れである
むぐつちよに
ものをたづねよう
ほい
どこいつたな
りんご
兩手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの気持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる
赤い林檎
林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる
おなじく
ほら、ころがつた
赤い林檎がころがつた
な!
嘘嘘嘘
その嘘がいいぢやないか
おなじく
おや、おや
ほんとにころげでた
地震だ
地震だ
赤い林檎が逃げだした
りんごだつて
地震はきらひなんだよう、きつと
おなじく
林檎はどこにおかれても
うれしさうにまつ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まつ赤に光りだす
それがさびしい
おなじく
娘達よ
さあ、にらめつこをしてごらん
このまつ赤な林檎と
おなじく
くちつけ
くちつけ
林檎をおそれろ
林檎にほれろ
おなじく
こどもよ
こどもよ
赤い林檎をたべたら
お美味いしかつたと
いつてやりな
おなじく
どうしたらこれが憎めるか
このまつ赤な林檎が……
おなじく
林檎はびくともしやしない
そのままくさつてしまへばとて
おなじく
ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ
おなじく
こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人(おとな)になつてしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ
おなじく
りんごあげよう
転がせ
子どもよ
おまへころころ
林檎もころころ
おなじく
さびしい林檎と
遊んでおやり
おう、おう、よい子
おなじく
林檎といつしよに
ねんねしたからだよ
それで
わたしの頬つぺも
すこし赤くなつたの
きつと、さうだよ
店頭にて
おう、おう、おう
ならんだ
ならんだ
日に焼けた
聖フランシス様のお顔が
ずらりとならんだ
綺麗に列んだ
おなじく
銭で売買されるには
あんまりにうつくしすぎる
店のおかみさん
こんなまつ赤な林檎だ
見も知らない人なんかに
売つてやりたくなくはありませんか
おなじく
いいお天気ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは
榲椋(まるめろ)の声だつたが……
(全3回・完)
[ 晩年の山村暮鳥(1884.1.10-1924.12.8) ]
藤の花
ながながと藤の花が
深い空からぶらさがつてゐる
あんまり腹がへつてゐるので
わらふこともできないで
それを下から見あげてゐる
ゆらりとしてみろ
ほんとに
食べたいやうな花だが
食べられるものでないから
寂しいんだ
ある時
ばらばらと
雨が三粒
……けふは何日だつけなあ
ある時
木蓮の花が
ぽたりとおちた
まあ
なんといふ
明るい大きな音だつたらう
さやうなら
さやうなら
ある時
ほのぼのと
どこまで明るい海だらう
それでも溺れようとはせず
ちりり
ちりりり
ちどりはちどりで
まつぴるまを
鬼ごつこなんかしてゐる
野糞先生
かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる
だあれもゐない
どこかで
雲雀(ひばり)が鳴いてゐる
ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ
ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる
手
しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた
ひらいてみたが
なんにも
なかつた
しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである
それをまた
ひらかせたのも
さびしさである
ほうほう鳥
やつぱりほんとうの
ほうほう鳥であつたよ
ほう ほう
ほう ほう
こどもらのくちまねでもなかつた
山のおくの
山の聲であつたよ
*
ほう ほう
ほう ほう
山奧のほそみちで
自分もないてる
ほうほう鳥もないてる
*
自分もそこにもゐて
ふと鳴いてるとおもはれたよ
ほう ほう
ほう ほう
*
ほう ほう
ほう ほう
ほんとうのほうほう鳥より
自分のはうが
どうやら
うまく鳴いてゐる
あんまりうまく鳴かれるので
ほんとうのほうほう鳥は
ひつそりと
だまつてしまつた
まつぼつくり
山のおみやげ
まつぼつくり
ぼつくり
ころころ
ころげだせ
お昼餉(ひる)だよう
鉄瓶の下さたきつけろ
読経
くさつぱらで
野良犬に
自分は法華経をよんできかせた
蜻蛉(とんぼ)もぢつときいてゐた
だが犬めは
つまらないのか、感じたのか
尻尾もふつてはみせないで
そしてふらりと
どこへともなくいつてしまつた
蚊柱
蚊柱よ
蚊柱よ
おまへたちもそこで
その夕闇のなかで
読経でもしてゐるのか
みんないつしよに
まあ、なんといふ荘厳な
ある時
また蜩(ひぐらし)のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい国があるんだ
ある時
松の葉がこぼれてゐる
どこやらに
一すぢの
風の川がある
ある時
くもの巣
松の落葉が
いい気持さうに
ひつかかつてゐる
あ、びつくりした
昼、日中
ある時
たうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
あはははは
だれだ
わらつたりするのは
まつぴるまの
砂つぽ畠だ
ある時
宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ
ある時
うつとりと
野糞をたれながら
みるともなしに
ながめる青空の深いこと
なんにもおもはず
粟畑のおくにしやがんでごらん
まつぴるまだが
五日頃の月がでてゐる
ぴぴぴ ぴぴ
ぴぴぴぴ
ぴぴぴぴ
どこかに鶉がゐるな
ある時
こどもたちを
叱りつけてでもゐるのだらう
竹藪の上が
あさつぱらから
明るくなつたり
暗くなつたりしてゐる
ほんとに冬の雀らである
ある時
まづしさを
よろこべ
よろこべ
冬のひなたの寒菊よ
ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ
ある時
その声でしみじみ
螽斯(こほろぎ)、螽斯(こほろぎ)
わたしは読んでもらひたいんだ
おまえ達もねむれないのか
わたしは
わたしは
あの好きな比尼母経(びにもきやう)がよ
ある時
まよなか
尿(せうべん)に立つておもつたこと
まあ、いつみても
星の綺麗な
子どもらに
一掴みほしいの
ふるさと
淙々として
天(あま)の川がながれてゐる
すつかり秋だ
とほく
とほく
豆粒のやうなふるさとだのう
いつとしもなく
いつとしもなく
めつきりと
うれしいこともなくなり
かなしいこともなくなつた
それにしても野菊よ
真実に生きようとすることは
かうも寂しいものだらう
ある時
沼の真菰の
冬枯れである
むぐつちよに
ものをたづねよう
ほい
どこいつたな
りんご
兩手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの気持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる
赤い林檎
林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる
おなじく
ほら、ころがつた
赤い林檎がころがつた
な!
嘘嘘嘘
その嘘がいいぢやないか
おなじく
おや、おや
ほんとにころげでた
地震だ
地震だ
赤い林檎が逃げだした
りんごだつて
地震はきらひなんだよう、きつと
おなじく
林檎はどこにおかれても
うれしさうにまつ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まつ赤に光りだす
それがさびしい
おなじく
娘達よ
さあ、にらめつこをしてごらん
このまつ赤な林檎と
おなじく
くちつけ
くちつけ
林檎をおそれろ
林檎にほれろ
おなじく
こどもよ
こどもよ
赤い林檎をたべたら
お美味いしかつたと
いつてやりな
おなじく
どうしたらこれが憎めるか
このまつ赤な林檎が……
おなじく
林檎はびくともしやしない
そのままくさつてしまへばとて
おなじく
ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ
おなじく
こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人(おとな)になつてしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ
おなじく
りんごあげよう
転がせ
子どもよ
おまへころころ
林檎もころころ
おなじく
さびしい林檎と
遊んでおやり
おう、おう、よい子
おなじく
林檎といつしよに
ねんねしたからだよ
それで
わたしの頬つぺも
すこし赤くなつたの
きつと、さうだよ
店頭にて
おう、おう、おう
ならんだ
ならんだ
日に焼けた
聖フランシス様のお顔が
ずらりとならんだ
綺麗に列んだ
おなじく
銭で売買されるには
あんまりにうつくしすぎる
店のおかみさん
こんなまつ赤な林檎だ
見も知らない人なんかに
売つてやりたくなくはありませんか
おなじく
いいお天気ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは
榲椋(まるめろ)の声だつたが……
(全3回・完)