(1)
第一章。
あんパンが初めて製菓店の店頭に並んだのは1874年とされており、翌1875年(明治8年)4月4日には花見のために向島の水戸藩下屋敷へ行幸した明治天皇に山岡鉄舟が献上し、お気に召された天皇によりあんパンは宮内省御用達となりました。以降、4月4日は「あんぱんの日」となりました。
創世当時のあんパンはホップを用いたパン酵母の代わりに、酒まんじゅうの製法にならって日本酒酵母を含む酒種(酒母、こうじに酵母を繁殖させたもの)を使っていました。中心のくぼみは桜の花の塩漬けで飾られます。パンでありながらも和菓子に近い製法を取り入れ、パンに馴染みのなかった当時の日本人にも親しみやすいように工夫して作られていたのが成功につながり、1897年(明治30年)前後には全国的に大ブレークして、製菓店の本店では1日10万個以上売れ、長蛇の列で30分以上待たさせることもあったといいます。
現代では中の餡はつぶあん、こしあんの小豆餡が一般的です。いんげんまめを使った白あんパンや、イモあんパン、栗あんパンなどの豆以外の餡を使ったもの、桜あんやうぐいすあんを使った季節のあんパンもあります。
典型的な形状、つまり顔に当たる部分は平たい円盤で、ケシの実(ケシの種)、塩漬けの桜の花(ヤエザクラ)、ゴマの実が飾りに乗せられます。ただし必ずしもそれがあんパンの必須条件とは限りません。
いつ彼が人格を持ち、人びとを飢えから救うのを自分の使命とするようになったかは、本当のところよくわかっていません。バットマンがジョーカーを必要とするように、ばいきんまんが現れるまでは彼はパッとしない絵本のヒーローでした。取り柄といえば空腹な人に、あんパンでできた頭をちぎって差し出すだけ。ちぎられた頭は完全になくなっても替えの頭を乗せればいいだけのようですが、ではアンパンマンの魂のありかとはいったいどこにあるのでしょうか?というのは、人間に限らず哺乳動物の身体構造からすればアンパンマンにとってあんパンには目鼻がついた頭部をなしているように見えますし、頭部が欠損して餡が露出すると脳漿以外の何物にも見えず、そのような状態で生命に支障がないとは擬似ヒューマノイドとしか考えられないからです。
今夜はそんな謎に包まれたアンパンマンの、あまり面白くもない真相に肉迫してみたいと思います。ではばいきんまんさんからお話をうかがってみましょう。
(2)
窓辺に小鳥がさえずる鳴き声でアンパンマンは目を醒ましました。今日もいつもの平和な朝です。アンパンマンはうーん、と伸びをすると、パジャマを脱いでいつもの姿になり、マントをはおりました。マントとブーツ以外は、アンパンマンはいつでも同じ姿なのです。就寝する時はマントとブーツを脱いでパジャマをはおる、というだけです。今日もがんばるぞ、とアンパンマンは習慣的に意味もなく思うと、ジャムおじさんに朝いちばんの焼きたてあんパンと頭を取り替えてもらいに行きました。アンパンマンの朝いちばんの仕事はしょくぱんまん・カレーパンマンと分担しているパトロールなので、毎朝新鮮な焼きたてパンに頭を取り替えてもらわなければならないのです。
ジャムおじさんはパン工場で、誰よりも早く起きて働いていました。助手は居候のバタコさん、見張りは(まだアンパンマンたちは起きてこない時間なので)めいけんチーズです。チーズはなかなか賢く人の言葉を解して知能も小学生並みにありますが、畜生の悲しさか人間の言葉は話せません。しかしこの世界で起きることで、チーズのうなり声とジェスチャーで伝達できないことなどめったにありませんでしたから、むしろ人権など顧慮しないでかまわない分チーズは便利な万能犬でした。
やっぱりひと晩たつと皮も堅くなるなあ、とアンパンマンは思いながら、鏡に向かって自分の顔を乾拭きしました。朝起きて顔を洗うのは人間の習慣ですが、アンパンマンたちがそれをするとパン生地が水を吸って無惨なことになるのです。アンパンマンなんかまだいいよ、とカレーパンマンは言いました、しょくぱんまんなんかもっとガサガサでひび割れている時まであるってさ。もちろんおいらもコロモがボロボロ、そうでなければベタベタで、まくらカバーのかわりに新聞紙を敷かなきゃならないよ。
だからぼくがリーダーなのかな、とアンパンマンは思うのでした。食パン頭とカレーパン頭、あんパン頭では、比較的標準的ヒューマノイドに近いのは形状・構造的にあんパンマンになるでしょう。ジャムおじさんの直営ファミリーには後から妹分のメロンパンナちゃんも加わりましたし、末っ子キャラのクリームパンダちゃんも比較的新顔でしたが、彼らはせいぜいアンパンマンたちをおびき寄せるためにばいきんまんの罠にかかるのが主な役割です。
そう、ばいきんまん!その頃ばいきんまんは、今日も秘策を練っていました。
(3)
今日もこれから降りかかってくるばいきんまんの策略などいざ知らず、アンパンマンはジャムおじさんのパン焼き場に入っていきました。ジャムおじさんおはようございます、やあアンパンマンおはよう。おはようアンパンマン、とバタコさん、わんわわおーん、とチーズ。パン焼き場はいつも通りあらゆる種類のパンの焼きたての入りまじった薫りでむせかえるようでした。この薫りの中で一日中働き、くつろいですらいられるジャムおじさんとバタコさんにはアルコールを含めた酵母に常人を超えた耐性があり、それを言えば人間の数万倍の嗅覚を持つはずのチーズは犬としてツァラトゥスータラタッタの域に達していると言っても過褒ではないでしょう。アンパンマンの正義の背後にはこうした超人集団(犬も含む)がついているのです。アンパンマンは焼きたてパンの盛り合わせをちらりと見ると、それではお願いします、と自分の頭を外しました。
大人が言葉を失い、幼児には何の疑問もないのがアンパンマンのこの特性です。頭が欠けたと言っては頭を取り替え、頭が濡れたと言っては頭を取り替え、頭が汚れた、カビた(ばいきんまんの手下のかびるんるんにたかられるとすぐカビます)と言っては頭を新しいあんパンに替えてもらわないと必殺技のアンパンチを繰り出すパワーが出ないどころか、全身の力が抜けてヘナヘナになってしまうのですが、とすれば全身の力そのものが頭のあんパンをエネルギー源にしているらしい。古くなったり味が落ちたりしただけでもパワーは低下するらしい。とすると、アンパンマンにとって真のアイディンティティは頭と身体のどちらにあるのか。そもそも簡単に交換可能なものを頭と呼べるものなのだろうか。
そうした疑問もやはりスルーして、アンパンマンはジャムおじさんの「はい、新しい顔だよ」を待ちました。いつもならこのやり取りはあうんの呼吸で進みます。ところがアンパンマンの肩は頭の重みを感じず、いったいどうしたのかな、と一旦外した頭を小脇に抱えると、ジャムおじさんがエプロンの端をねじりながら何か言おうとしているのに気づきました。どうしたんですか、とアンパンマン。ふと見ると、バタコさんも何だか硬い表情です。チーズはといえばしょせん犬畜生ですから、いつものニヤニヤ笑いのままです。
アンパンマンや、とジャムおじさん、今日は新作をつけてみないかね。何ですかこれは?見ての通りさ、乳頭じゃよ。
(4)
アンパンマンは一瞬言葉を失いましたが、つとめて平静に、でもぼくはこれまであんパン以外のパンを頭にしたことはいちどもありませんよ、と主張しました。アンパンマンや、乳頭はパンではないよ、とジャムおじさん。でもジャムおじさんが焼いたんですよね。
私だけじゃないよ、バタコも焼いたんだよ。アンパンマンは同じ乳頭ならバタコさんのほうがいいな、とちらりと思いましたが、そういうことではないのに気づくのに時間はかかりませんでした。ジャムおじさんはパンを焼く人でしょう?私はケーキやパイも焼くよ。蒲焼きやサンマも焼きますよね、とバタコさん。うむ、バーベキューも焼きとうもろこしも焼くし、もちろん焼き芋だって焼く。
だから乳頭も焼いてみたんですか、と喉もとまで言葉にしそうになりながら、アンパンマンはいけない、ぼくはジャムおじさんに逆らっちゃいけないんだ、と自戒しました。ジャムおじさん以外にも世の中にはパン屋さんはいますが、アンパンマンの頭になるあんパンを焼けるのはジャムおじさんだけなのです。
ジャムおじさんがアンパンマンの創造主ということではありませんが(ジャムおじさんもまた想像主によって生まれてきたのですから、しかし)、ジャムおじさんなくしてアンパンマンがないのは事実で、一方アンパンマンがいなくてもジャムおじさんは開業しているパン屋さんですから、パン屋さんの仕事はいつでもあります。もしジャムおじさんがアンパンマンを毎日あたらしい頭に交換してくれなくなったら、アンパンマンは遭難したり迷子になったり、びんぼう暮らししている人たちを飢えから助けに行けなくなってしまいます。
パトロールから帰るたび、アンパンマンやしょくぱんまん、カレーパンマンの頭は四分の一か、すさまじい時には頭をまるごと失っていました。飢えている人たちに分け与えてきたからです。しょくぱんまんはいいよな、とカレーパンマンがこぼすこともありました、ぼくカレー嫌い、って断られたりもするんだぜ。そういえばあんパンなんかじゃなくてもっと食べごたえのあるもの、中華まんのほうがいいなあ、と言われたことはあるよ。いや、ぼくだって苦労はしてるんだ、としょくぱんまん、食パンだけ?と言われる気分がきみたちにわかるかい?
だからジャムおじさんは乳頭を焼いたのかもしれない、とアンパンマンは思いました、哺乳類はすべて乳頭によって育つ、そういうことだろうか。
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それにじゃ、とジャムおじさんは湿気を帯びて癖のついたひげをととのえながら言いました、乳頭ならば今日みたいな雨の日でも面倒な支度もいらないばかりか、吸ってもらえばいいだけなのだからどうしても食べてもらう時には濡れてしまうパンに較べて便利ではないかね?はあ、とアンパンマンは歯切れの悪いあいずちを打ちました。なるほど言われてみれば、今朝は小鳥も鳴かない雨降りで、アンパンマンたち正義のトリオはそんな朝でもパトロールは欠かしませんが、頭を透明なヴィニール袋に包んで町や野山を巡回するのです。以前はプラスチックやガラスのヘルメットを試したこともありましたが、重い上に最大頭位まで収納口が開いているため雨水がすきまから入りこんで濡れてしまいやすく、アンパンマンたちは頭が濡れると頭をちぎって人にパンをわけてあげるどころか、からだに力が入らなくなるのです。これは濡れたパンしかあげられない、というヒーローにあるまじき無力感から来る心因性の症状かもしれません。だいたい原因不明の身体症状は心因性か加齢ということになるのです。閑話休題。
だからいちばん濡れない、しかも簡単で軽い方法というと頭をヴィニール袋で包むことなのですが、教育上の配慮から止めてほしい、と町の人たちから遠まわしに苦情が寄せられて、それじゃどうしたらいいんだろう、とアンパンマンたちは頭を悩ませていました。どのように教育上望ましくないというと、頭をヴィニール袋で包むのは自殺や殺人の手段にはもっとも労を要せず簡単で、証拠も隠滅しやすいからです。殺人の手段ならあらかじめ拘束して自由を奪う面倒もありますが、この方法なら数分で窒素死は確実で、しかも絞殺や溺死のように明確な殺害方法が特定できません。
アンパンマンたちはヒーローですから、子どもたちがヴィニール袋をかぶって遊ぶ危険がある。ばいきんまん役の子が水鉄砲で攻撃すると(実際にばいきんまんがよくやる手です)アンパンマン役の子はすかさずヴィニール袋をかぶる、もちろん数分もたたず死んでしまう。さすがに子どもたちが真似ると危険だから止めてほしいと言われると、アンパンマンたちも納得せざるを得ません。そんなことになっては逆に正義の味方失格です。だからといって雨降りだからパトロール中止とはいかない。かえって遭難している人も多いかもしれない。
だが乳頭とは?それではアンパンマンではなく、別物にならないか?
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そこは私もちゃんと考えてあってだ、とジャムおじさん、乳頭とは言っても本物の母乳が出るわけではない。だいたい天然の母乳など作れるものではない。あくまでアンパンマン仕様にしてある。つまりミルク状のあんパンだな、チューブ状にパン粥の芯の部分にこしあんが入っているという、流動食にアレンジしたあんパンが仕込んである。残念なのは粒あんにすると詰まるのでこしあんでしか作れなかったことじゃが、これで全天候対応あんパンを遭難したり飢えたりした人びとに供給することができる。
これは医療用エンシュアリキッドにヒントを獲た摂食困難者用栄養食でもある。具体的にはたとえばの話だ、
とジャムおじさんはもったいぶってひと息つき、心因性で摂食障害に陥り、いわゆる固形物を食べられない人や、さらにはいわゆる植物人間と言うような状態の人じゃな。自分で飲めない場合は鼻孔からチューブで摂食させるわけじゃ。エンシュアリキッドは完全栄養流動食なので、さすがにあんパンでは糖分一辺倒ではあるが、甘食に特化しているだけに即効性はある。疲労や衰弱には甘いものに勝るものはない。だからして、今後荒天の日は乳頭をつけてパトロールしてもアンパンマンがアンパンマンであることには変わりはないのだぞ。
でもジャムおじさん、とカレーパンマン、アンパンマンはそれでいいかもしれないけれど、おいらたちはどうしたらいいんですか。なあ、しょくぱんまん、どうだよ。とつぜん名前を呼ばれてしょくぱんまんはギクッとしました。しょくぱんまんはジャムおじさんの話を聞きながら、それじゃぼくもパン粥まんにされてしまうのだろうか、具も味つけもないよ、とろくに感謝もされないただのパン粥になってしまうのだろうかと、ハンサムなだけの食パンの身を呪いたくなっていたからです。
うん、きみたちの場合はちょっと難しいねえ、とジャムおじさんはエプロンで手を拭うと、たとえばスープカレーという手もある。だがスープカレーはそれだけで食べものと呼べるものではなかろう。そこで私が考えているのは、しょくぱんまんはパン粥、カレーパンマンはスープカレーを分担して、ふたりでコンビを組めば良い、と思うがどうだろうか。
それも乳頭の頭でやらなきゃならないんですか?当然じゃよ。なあに町の人たちも衣装できみたちを見間違えるようなくことはないさ。だから余計恥ずかしいのだ、とは、通用しそうにはありませんでした。
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それほど大きくはないんですね、とトレイに並んだ焼きたての乳頭の前に連れて行かれ、それに一応色あいもあんパンの皮の褐色をほんのりピンクにしたくらいだな、とアンパンマンは思いました。かたちも普通のあんぱんと変わりはなく、顔もいつものアンパンマンの顔立ちです。なーんだ、とカレーパンマンも自分の新しい顔を見て、違うのは表面がゴムみたいになっているだけじゃん。しょくぱんまんもそうだろ?そうですね、といつも二枚目呼ばわりされているのでナルシシストの気がないでもないしょくぱんまんは、まあ小さな違いなら気にすることはないか、と思いながらしぶしぶ肯定しました。いや、ゴムではないんじゃよ、とジャムおじさん、もっと吸水性と発散性のある、人肌に近い柔軟な仕上がりにしておる。哺乳瓶の乳首みたいなものというか、そのものじゃな。この成形技術完成には6年の歳月がかかっておる。小学校に入学した児童が中学校に進学するほどの時間じゃぞ。
大変だったのよ、とバタコさんもにこにこしていました。わん、とチーズ。バタコさんは永遠の17歳(推定)だけど、チーズっていったい何歳なのかな、とアンパンマンたちは思いましたが、気づいた時にはもうここにいた、としか思い出せないのです。
カレーパンマンの顔はやっぱりカレーパン色に、しょくぱんまんも同様に、ただしやはりほんのりピンク色が透けていました。それは乳頭じゃしな、とジャムおじさん。でもどうやって人にあんパンリキッドを吸わせればいいんですか?ああ、こんな具合じゃ、とジャムおじさんはバタコや、と声をかけました。はい、とバタコさんはトレイの上に天井向きに置かれたアンパンマン乳頭に近づくと、むんずと頬の部分を両手でつかみ、揉みしだきながらアンパンマン乳頭の中央付近、ほぼ鼻に当たる部分に唇を寄せると、舌でたっぷり中央部分を唾液で湿し、唇をかぶりつかせると舌でなぶりながら、音を立てて吸い上げました。それまで丸みをおびた程度に平たかった乳頭の中央がみるみるうちに隆起し、顔を紅潮させながらバタコさんが口いっぱいに頬ばってもさらにはちきれんばかりに膨張して、乳頭の中央以外の全体もふっくらとひと回り以上にふくらんでさらにピンク色を増し、バタコさんが飲み込みきれないほど溢れた液汁が唇のまわりからこぼれ、トレイの上のアンパンマン乳頭が思わずああーん、とあげるむせび声がパン焼き場に響きました。
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バタコさんは咥えていたアンパンマンの突起から顔を上げると、頬を上気させたまま唇の端から垂れた液汁を手の甲でぬぐい、舌先でチュルっと吸い込みました。バタコさんが唇を離した後もまだアンパンマンの突起は硬く突き立ち、うっすらと、やや水っぽくなった液汁を先端から滲ませていました。そして先ほどからの一部始終をパン焼き場の天井のかた隅からうかがう監視カメラがあり、遠く離れたばいきん城のダイニングルームではばいきんまんとドキンちゃんが、巨大な液晶モニターを観ながら固まっていました。はーいお持ちしましたよ、ホラホラホラー、とホラーマンが台所から朝食のワゴンを押してきました。今朝の当番はドキンちゃんだったのです。ホラーマンは勝手に野宿していることもありましたから、そういう時にドキンちゃんが当番ならばいきんまんがやることになり、つまりはなはだ不本意ながらも、頻度ではばいきんまんが朝食の係をすることがいちばん多かったのでした。
観た?とドキンちゃん。観た、とばいきんまん。何よあれ?わからん、観たことだけしか、とばいきんまん。しょくぱんまんさままであんな風になっちゃうの?そうみたいだナ、とばいきんまんは抑揚のない返事を返しましたが、内心の動揺は隠せませんでした。なになにどうしたんですう、とホラーマン、何かすごいものでも観ちゃったんですかあ?
監視カメラはまだパン焼き場の光景を写しつづけていました。ばいきんまんの設置した監視カメラが24時間稼働しているのをジャムおじさんたちもみんな気づいていましたが、写されて恥ずかしいような秘密は何もない、という自負が半分、盗撮されているという快感が半分なので放置しているのです。ジャムおじさんがバタコさんのお尻をむき出しにしてバタコや、犬におなりと事におよんでいる光景などもばっちり盗撮されていましたが、これなど盗撮されていなければ快楽半減というものです。
ハッとアンパンマンはわれに返りました。今頭に乗っているのはひと晩たった普段通りのあんパン、バタコさんに揉みしだかれながら液汁を吸われていたのはあんパン代わりにジャムおじさんが作った新作の乳頭です。まるで自分のことのように錯覚していたのは気が早すぎるというものです。それなのに頭ぜんたいがじいんじいんと痺れたような、気だるいような、ひと仕事終えたようなボーッとした感じになっているのは、どういうことでしょうか。
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ジャムおじさん、とアンパンマンはおどおどしながら、どうしてもそれ……。乳頭かい?はい、どうしてもそれをつけなければいけないんでしょうか?アンパンマンが好きなようにしていいんじゃよ、とジャムおじさんは言いました、しかしわしの命令は絶対じゃ。思わずカレーパンマンはジャムおじさんに食ってかかるところでしたが(彼は熱血漢なのです)、しょくぱんまんが肩にそっと手を置いてカレーパンマンを制止しました。しょくぱんまんは理性的な紳士なんだから、おいらが感情にまかせて何か言うより円満に事を治めてくれるかもしれない。それでカレーパンマンも、ひとまずここはおとなしくすることにしたのです。
ジャムおじさん、としょくぱんまんは言いました、確かにぼくたちは雨の日のパトロールには困っていました。頭のパンは食べさせてあげられたものではなく、ぼくたちは力も弱ってフラフラで、助けた人をパン工場に運んできてあげるか、ほら穴でも仮の避難所にして、ジャムおじさんに焼き直してもらったパンを袋詰めにして届けてあげるくらいのことしかできなかったのです。なにを偉そうに、とばいきんまん。何よ、文句あるの、とドキンちゃん。ホラー?朝ご飯食べないんですかあ?とホラーマン、冷めちゃいますよお?そんなのまた作り直させればいいでしょっ、とドキンちゃん。ばいきん城の食事はかびるんるんたちが作っているのです。ただし配膳はばいきんまんやホラーマンがやっているのは、調理させるのはともかく、かびるんるんに配膳させると料理が不衛生でまずそうだからでしたが、それは先入観による偏見というもので、細菌レヴェルまで計算された正確で繊細なかびるんるんの料理はすべての有機生命体の頂点を極めた極上品でした。ところがばいきんまんはきれいはきたない、おいしいはまずいという感覚の持ち主ですから、せっかくのかびるんるん料理は素直においしく食べてくれる人の口には入る機会はめったにない、というありさまでした。
ただ、ばいきん城に拉致された被害者だけがかびるんるんの極上料理を食べるチャンスがあり、あまりのおいしさに幻覚まで見るありさまですが、シラフに返ると監禁食だからうまかったんだよな、とたかをくくってしまうのです。もしもばいきんまんが気づいていれば、かびるんるんの料理の前にはジャムおじさんのパンの数々など敵ではなかったでしょう。民意はばいきんまんに傾いたはずです。
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ただぼくがひとつだけ心配なのは、としょくぱんまんは自信なさげに、これは今までのぼくたちとはあまりに変わりすぎていて……いや、見た目はこれまでのぼくたちと変わりはないわけですが、変わらないからこそ妙に思われて敬遠される、ということはないでしょうか。たとえばカレーパンマンに助けられた人は、当然いつものカレーパンを期待します。それはアンパンマンでもそうだし、ぼくが助けた相手は焼きたてのプレーンな食パンを期待するでしょう。もし最初からリキッドタイプの栄養食が望ましいなら、ぼくたちの存在意義だってなくなってしまいます。そうよそうよ、とドキンちゃん。そんなもんかねえ、とばいきんまん。ばいきんまんは悪さやアンパンマンたちの邪魔をするのがいわば公務ですので、アンパンチやトリプルパンチをくらってばいきんUFOごとばいきん城までぶっ飛ばされて帰ってくるのが日課ですから、アンパンマンたちの容姿や働きよりも正義の救援活動さえしてくれていればいいのです。または善良な市民や子どもたちの楽しみの邪魔をしているところにアンパンマンたちが駆けつけてくれば、来たな、お邪魔虫とばいきんメカで戦って負ける。なぜ無尽蔵の資源と最高の科学力を持っている自分がいつも負けてしまうのか、本来ならその根本の理由をばいきんまんも考えるべきでした。いや、これまでだってアンパンマンたちに何度もとどめを刺す機会はありましたし、事実上とどめを刺したことも一度や二度ではないのです。
根本の理由はアンパンマンたちがいくらでも再生産のきく複製品、不死の存在であることにもよりました。ジャムおじさんは人間ですから寿命もあり、また限界もありますが、世界各地の津々浦々にアンパンマンとジャムおじさんがいて、ジャムおじさんはもう何代にも渡って代替わりしているのです。ですから、ばいきんまんが狙うべきはジャムおじさんの遺伝子の根絶なのですが、アンパンマンの生まれてくることのない世界で、ばいきんまんは何をして生きていけばいいのでしょう?
私は考えたんじゃよ、とジャムおじさんはさり気なく話題を逸らし、私はこれまで味覚だけを追求してきた。ただし人は味覚だけで満足していけるものだろうか。どういうことですか、とバタコさんがサクラ代わりに訊きました。つまり味覚とはすべての感覚の本質でなければならぬ、ということじゃ。それは、性感以外に何があろうか?
第一章完。
(五部作『偽ムーミン谷のレストラン』第四部・初出2015年8月~12月、全八章・80回完結)
(お借りした画像と本文は全然関係ありません)