蔵原惟繕(1927-2002)『俺は待ってるぜ』(日活'57.10.27)*91min, B&W : https://youtu.be/7xHcW-4mZ1c (Fragment)
[ 解説 ] 石原慎太郎が弟の裕次郎の歌ったヒット・ソングにヒントを得て書き下したサスペンス・ドラマ。監督は新人、蔵原惟繕が昇進第一作として当り、「危険な年齢」の高村倉太郎が撮影した。主演は「鷲と鷹」の石原裕次郎、「勝利者」の北原三枝。二人を中心に菅井一郎、二谷英明、草薙幸二郎らが助演する。
[ あらすじ ] 波止場の近くの小さなレストラン"リーフ"のマスター譲次(石原裕次郎)は元ボクサーだった。喧嘩で人を殺したのを苦にしてやめたのだ。彼の兄(河合健二)はブラジルにいて、一年後には彼を呼んでくれる約束だっだ。約束の日も近い或る夜、兄への手紙を出しに行った帰り、港をさ迷っていた歌手早枝子(北原三枝)を救った。彼女は働いていたキャバレー"地中海"の経営者、波止場の顔役柴田弟(波多野憲)に言い寄られて、花瓶で頭を殴りつけ、殺したと思いこんでいた。翌日から、彼女は"リーフ"で、はたらき始めた。互いに二人は心ひかれた。映画見物の帰り、柴田弟に見つかった早枝子は譲次にかばわれ難を逃れた。彼女は店の常連の年老いた医者内山(小杉勇)から譲次の身上話をきいた。内山は一年前酔って手術をし、誤って一人の男を殺して以来大酒飲みになってしまった男だった。譲次が兄と約束した日が来ても、何の音さたもなかった。彼の手紙が返送されてきた。譲次の心は疑惑でおおわれた。その夜、店に柴田兄弟が現れ早枝子を返せと迫った。ボクサーくずれの柴田兄(二谷英明)が譲次をなぐりつけた。譲次はそのままそれに耐えた。人を殺した記憶が蘇ったからだ。彼らの一人が持っていたメダルは彼が兄にやったものと似ていた。調査すると、兄は船に乗っていず、何者かに一年前殺されていた。"地中海"に連れ去られた早枝子から例のメダルは兄のものと確認してきた。警察で彼は兄の殺された現場写真を見た。死体のそばに内山医師が写っていた――。譲次が手がかりの人竹田(草薙幸二郎)を探しているのを知った柴田は竹田を殴り海へ放りこんだ。彼を救った譲次は兄が金のため柴田兄に殺されたことを知った。彼は単身"地中海"に乗りこみ、凄じい殴り合いの末、復讐を遂げた。――彼は早枝子と結ばれた。
――石原慎太郎書き下ろし脚本は話に起こすとブラジル渡航を果たせず殺された兄の仇討ちをする弟、というプロットに黒澤明の『醉ひどれ天使』'48風の人物配置をしたもので、グランドキャバレーの格闘が本作のクライマックスですが『醉ひどれ天使』にもグランドキャバレーのシーンがあれば(クライマックスではありませんが)、同作の志村喬がヒューマニストの初老の医師を演じたように本作にも小杉勇が同じような医師役で登場します。主人公の三船敏郎の破格の演技とともに『醉ひどれ天使』は戦後の日本映画で最初の衝撃的作品になったので、日活の太陽族映画への対抗企画でもあった松竹の小林正樹の『黒い河』'57.10(同月の前週公開!)同様、本作も『醉ひどれ天使』に脚本・演出とも発想を得ている作品とすることができる。また日活戦後作品に全編の半分を割いた西脇英夫氏の名著『日本のアクション映画』'96(『アウトローの挽歌』'76改題改訂版)の指摘で初めて知りましたが、太陽族映画と石原裕次郎出演作で本作では仇役とはいえヤクザの世界に乗りこんでいく作品は日活映画では初めてになるそうで、これも三船敏郎が捨て駒にされるヤクザの幹部候補の役の『醉ひどれ天使』由来でしょうが(松竹としては異色作の『黒い河』の仲代達矢も地元ヤクザでした)、東宝は戦時中から軍部と、戦後は東映とともに警察や自衛隊(!)ともパイプが太かったので反社会的な懲罰対象としては(もちろん観客へのアピールも高い)ヤクザを題材にしやすかった事情があります。外国映画のようにピストルや刃傷沙汰が日常茶飯の世界を描くにはアメリカのギャング映画に相当するヤクザを導入するのが手早い。しかし石原裕次郎をいかに派手に見せていくかとなると、本作ではボクサー崩れの前科者にしてヤクザの二谷英明と対決させ、翌昭和33年5月の『錆びたナイフ』では汚職シンジケートのボスを暴くやはり前科者の実質的にヤクザに近い水商売の男、同年9月の『赤い波止場』ではついにみずからヤクザの次期組長の座にある大物殺し屋を演じます。本作も波止場のある港町を舞台にしているのは『赤い波止場』ではずばりですし『錆びたナイフ』も海が近隣の町が舞台になっている。裕次郎が港で膝をつく北原三枝に出会うとヒロインの頬には海からの波の揺らめく反射光がたゆたっていますし、実在のモデルがあるかもしれませんがクライマックスのグランドキャバレーの床はガラス張りの床下照明で、光る床の上の格闘という異様な舞台となっています。こうした細部の演出は脚本指定ではないスタッフの創案と思われ、ロマンス絡みの復讐譚としては生硬な抽象概念語の台詞が耳障りなドラマに一触即発の雰囲気をもたらしています。また本作は今回観直した日活映画でも唯一B&Wのスタンダード・サイズで、次に取り上げる『錆びたナイフ』からはワイドスクリーン(シネマスコープに近い「日活スコープ」)ですが、スタンダード・サイズならではの画格のまとまりがクライマックスまで主人公が耐えに耐えるガマン劇に適合しているとも言えて、これがワイドスクリーンでは我慢に次ぐ我慢では映画が持たなかったろうとも思えます。本作は仇役も二谷英明と波多野憲の兄弟に分かれているのが作劇上の工夫とも辻褄合わせとも見えて復讐の焦点がぼけている気味があり、また人情家の医師も物語の展開上必要としても本作の主人公の立場からすれば仇役と同等以上に日和見的で偽善的な人物像です。そうした具合に本作はテーマの集中では『狂った果実』におよびませんが、太陽族映画から一歩踏み出してアウトローの主人公によるアクション映画に性格を進め、それにふさわしい映像スタイルを提示した功績が確かにある。本作の監督手腕はデビュー作相応に慎重な面もありますが、それも日活の同僚の中平康、桝田利雄ら同世代監督の大胆さに較べて本作を瑞々しい情感ある仕上がりにしていて、蔵原惟繕もすぐに一癖もふた癖もある監督になりますが、本作はまだ小品規模で瑕瑾も目立つとはいえ監督第1作ならではの愛らしさがあります。また全盛期初期の日活映画=石原裕次郎のステップアップの過程と着目して選ぶなら本作を起点として『錆びたナイフ』『赤い波止場』の3作で最短距離でたどれる点でも重要作であり、外国映画の翻案ぽさが意図せずしてフランスのヌーヴェル・ヴァーグと並行現象となっていたのを示す作品でもあります。また歌うアクション・スター、裕次郎の魅力を生かした構成は日活映画の歌謡映画としての大衆性の最大の強みとなったのものちの日活映画の路線を先んじたものです。
●5月2日(木)
舛田利雄(1927-)『錆びたナイフ』(日活'58.5.11)*90min, B&W : https://youtu.be/ta_up-NnOao (trailer)
[ 解説 ] 石原慎太郎の原作を、彼自身と舛田利雄が脚色、「夜霧の第二国道」の舛田利雄が監督、「佳人」の高村倉太郎が撮影したアクションドラマ。主演は「夜の牙」の石原裕次郎、「嵐を呼ぶ男(1957)」の北原三枝、「麻薬3号」の白木マリ、「夜の牙」の安井昌二。他に小林旭、清水将夫らが出演。
[ あらすじ ] さる新興の工業都市。勝又運輸の社長勝又(杉浦直樹)が、検察庁に召喚された。狩田検事(安井昌二)の鋭い追求も、後難を怖れた被害者と目撃者の沈黙の前には無力だった。その殺人事件はまたも迷宮入りとなった。が、五年前自殺した西田市会議長は他殺だという投書が届いた。投書の主、島原(宍戸錠)は目撃者として自分の他に橘(石原裕次郎)、寺田(小林旭)という二人の男を知らせてきた。しかし、島原は西下の途中、何者かに列車から突き落されて死んだ。橘は町はずれのバー・キャマラードの支配人だ。かつて、やくざであり、恋人のために人を殺した。前科者。彼は平凡な市民になることが念願だった。アナウンサーの啓子(北原三枝)がこのバーに遊びにきて、この男に惹かれた。彼女の許婚者は橘と学校友達で間野明(弘松三郎)といい、紳士として評判の高い市会の実力者間野真吾(清水将夫)の息子だ。啓子が持参した街頭録音のテープで、橘は五年前の自分の恋人が暴行された事件は大勢の男が関係していることを知った。寺田が彼にかくれて、勝又から金を貰い、ズべ公の由利(白木マリ)と遊び廻っていたことを知り、橘は寺田を怒鳴りつけた。寺田は兄貴の恋人暴行事件の張本人は勝又だと捨ぜりふして飛び出して行った。勝又は何者かから無線機による指令を受けていた。小僧ヲ整理シロ。寺田は勝又に死のトラックに乗せられたが、橘が追ってきて救った。橘が勝又を縛り上げ、検察庁に着いたとき、先に知らせにきた寺田は、どこからか飛来してきた銃弾に倒れた――護衛に高石刑事(高原駿雄)がいたのに。新聞は勝又の逮捕で町が明るくなるだろうと一斉に書きたてたが、勝又が差し入れの毒まんじゅうで自殺し、あっけない幕切になった。が、はたして、そうか。橘は勝又の後に黒幕がいることに気づいた。彼は警察の裏庭で高石刑事が怪しい男と連絡しているのを見た。彼はイヌだったのだ。橘は無線機を使って、黒幕の男を海岸におびきだした。啓子は無線機のその声に思い当り、間野邸の真吾の居間へ行き、そこに無線機を見た。間野が仕込杖で高石を殺した直後、橘は海岸に着き、間野を面罵した。乱闘。彼が錆びたナイフを振り上げた時、啓子が必死にとめた。間野は自分の子分の車にひかれて死んだ。危く罪を重ねかけた自分――橘は砂山をトボトボとたどった。啓子は狩田検事に励まされ、彼の後を追って行った。
――あらすじを一読してもあまり一貫した筋が追えないように、本作はまず石原裕次郎が登場するまでが長く、さらに事件の焦点が二転三転するため主人公は一体何をどんな行動原理で追究しているかわかりづらい、という難があります。すっきりしたシークエンス単位で進行していくのは小林旭が殺され、それまで主犯と思われた杉浦直樹が差し入れの毒饅頭で詰め腹の自殺を強要されたあたりからで、さらに黒幕がいるというのと主人公の恋人を自殺に追いやったレイプ事件が結びつくまでが伏線不足のまま次々と事件が起こるのでいったいどこに話が収斂していくのか予想し難い。『俺は待ってるぜ』があまり動かない筋で結末の爆発まで生硬な台詞劇が目立ったとすれば、本作は事件はふんだんな分話が割れないように迂回の連続で、宍戸錠が殺され、小林旭が殺され、杉浦直樹も自殺を強要されと、裕次郎と北原三枝のロマンスの進行とともに進んでいく展開は飽きさせませんが、『俺は待ってるぜ』同様ストーリーより各シーンの映像処理が勝っているので持っている映画とも見えます。舛田利雄の演出は蔵原惟繕とも違ったモダンさがあり、テンポの良さがワイドスクリーンの画格とともに陰惨なドラマを風通し良くしており、観たあと人にどういう話の映画だったか説明するには困るような込みいった展開のストーリーですが、裕次郎が仇の巨悪を追いつめて巨悪が自滅する話、と後半1/3で収束していく部分だけなら明快です。前半は宍戸錠→小林旭と狙われる主人公がバトンタッチしていく展開のため、前半での裕次郎は主役というよりヒロイン役の北原三枝との出会いを通じて、実は後半の伏線を担うヒロインをドラマに誘いこむ役なのですが、歌謡映画としてのムード作りとともに陰惨な真相のドラマをドライかつムーディーに見せていく監督手腕は脚色段階から発揮されているのが感じられ、30歳の新鋭監督にして技巧の冴えにはまだまだ飛躍の可能性が期待されます。俳優・石原裕次郎の人気の裾野の広さは青春ロマンス映画、ホームドラマ、芸能映画、正統派アクション映画と多彩に主演していていたことにもあったのですが、際立っていたのはやはり太陽族映画以降のアウトロー役の路線であり、実際、1作置いて次に舛田利雄が撮った『赤い波止場』は、蔵原惟繕の『俺は待ってるぜ』から本作『錆びたナイフ』を経て石原裕次郎主演のアウトロー映画として理想的な発展を遂げた完成型とも言えます。この3作を三部作と見ると前2作ではまだ外せなかったリアリズムの桎梏が『赤い波止場』でついに映画そのものを別次元の世界に展開して虚構世界の一貫性にリアリティの水準を移す達成があったと認められるので、以降裕次郎主演作の名作は、'61年の負傷事故によるブランクを経て日活専属最後の年に放った大ヒット作、蔵原惟繕の恋愛ロマンス作品『銀座の恋の物語』'62.3や『憎いあンちくしょう』'62.7でもリアリティの基準は『赤い波止場』と同様に現実の世相を映画的虚構の水準に巧みにずらしたものになっている。『錆びたナイフ』はその一歩手前にありますが、しかし来るべき発想の転換を予兆させる作品として、犯罪ミステリー・サスペンス・メロドラマの課題をトリッキーな構成で乗り切った難も魅力も多い映画です。しかし従来型のリアリズムによっては映画自体も裕次郎のアウトローとしてのキャラクターもこれが限界、と早くも臨界点を見せたと同時に犯罪映画の裕次郎作品は次には新たな段階へ進まずにはおれまい、と予感させるだけの本作ならではの危うさがあり、裕次郎みずから手を下さず仇役が自滅するあっけなさや都合の良さも『錆びたナイフ』の裕次郎の性格設定では順当で、シャープでスタイリッシュな映像と全編に漂う犯罪ムードともども本作ならではの魅力には支持者も多いと思われます。
●5月3日(金)
桝田利雄(1927-)『赤い波止場』(日活'58.9.23)*99min, B&W : https://youtu.be/JppZs7c9AIY (trailer)
[ 解説 ] 神戸を舞台に、裕次郎がピストルの名手に扮して活躍するアクション・ドラマ。「明日を賭ける男」の池田一朗と舛田利雄の脚本を、「羽田発7時50分」の舛田利雄が監督、「星は何でも知っている」の姫田真佐久が撮影した。「風速40米」の石原裕次郎・北原三枝のコンビに、「明日を賭ける男」の中原早苗・岡田眞澄・大坂志郎、その他轟夕起子・二本柳寛・二谷英明・新人清水マリ子らが出演する。
[ あらすじ ] 神戸の桟橋で、杉田(弘松三郎)は落ちてくるクレーンの下敷きとなって死んだ。この麻薬売買のいざこざから過失と見せかけた殺人の現場に、偶然いあわせたのは通称左射ちの二郎こと富永二郎(石原裕次郎)だった。彼は東京で五人のヤクザをバラして神戸に流れついたのだ。今は松山組にワラジを脱いでいる。二郎の愛人マミー(中原早苗)が働くキャバレーの用心棒をしているタア坊(岡田眞澄)は、二郎を兄貴と呼んで慕っていた。死んだ杉田の妹・圭子(北原三枝)は、東京の大学をやめて、神戸へ帰って来た。二郎は圭子にひと目惚れした。彼の動静に絶えず眼を向けているのは、野呂刑事(大坂志郎)である。だがある晴れた日の桟橋には、二郎とタア坊と野呂の三人が並んで散歩している奇妙な風景が見られた。ところで、タア坊は今までの部屋を松山組の客人にとられて宿無しになった。その男は、土田(土方弘)という殺し屋だった。彼をさし向けたのは、神戸にやって来た東京藤田組の代貸・勝又(二谷英明)である。勝又は、藤田組の親分が世を去ると、二郎が東京にいるのを幸い、自分が親分におさまろうと考えたのだ。それには、目の上の瘤の二郎をバラす必要がある。折も折、タア坊が土田に殺された。恋人のミッチン(清水まり子)が土田に脅かされたので、果し合いを申しこみ、土田の拳銃に負けたのだ。二郎は土田がミッチンを閉じこめて暴行を働いている現場をつきとめ、土田の右手を狙って拳銃をたたき落した。ミッチンはその拳銃で土田のドテッ腹に撃ちこんだ。土田を失って逆上した勝又の挑戦を受け、勝又を殴り殺した二郎は、松山組の親分と幹部をも射殺、香港へ出航する手筈を整えた。が、二郎が圭子に惹かれていることを知る野呂は、圭子を囮にして、二郎をおびき寄せる計画をめぐらした。インチキ新聞を売収「港の暴挙、松山組杉田屋を襲う。圭子さん重傷、山手病院に収容」という記事を書かせてバラ撒かせたのだ。そして圭子を病院に軟禁、警戒の陣を布いた。二郎を乗せた車は、神戸港に向っていたが方向転換、病院の方角に走った。罠とは知りながらも、二郎は圭子の元気な顔をたしかめたかったのだ。圭子を窓ごしに見た二郎は、野呂刑事に素直に手を差し出した。
――本作ではついに石原裕次郎が意識的な犯罪者として描かれるのが『俺は待ってるぜ』『錆びたナイフ』を踏み越えた点であり、信頼していた兄貴分の二谷英明の裏切りを知って殴り殺した裕次郎はそのまま二谷の銃を奪い(自分のピストルは殺し屋の現場に清水まり子による殺害の身代わりのため証拠に置いてきたので)、組の幹部たちが集まっているバーに乗りこむと無言で全員を射殺します。キャバレーのママの轟夕起子の手配で香港への密航まで裕次郎は指名手配状態で潜伏しますが、この轟夕起子の役割は物わかりの良い世話焼きの年長者で『俺は待ってるぜ』の小杉勇の初老医師に相当し、本来裕次郎の立場の人間にとっては日和見の欺瞞的な人物なのが作劇上の都合とはいえ瑕となっています。また本作が『望郷』の翻案に終わらず鮮やかにヒーロー型アウトロー主人公の石原裕次郎を描いている名作としても『ハイ・シェラ』『死の谷』にはおよばないと思えるのはヒロイン像と犯罪サスペンス・アクション映画の中のロマンスの導入であり、本作の北原三枝は冒頭事故死に見せかけて殺された男の妹で、兄が死んだために東京から兄嫁の手伝いにレストランと港の荷揚げのため大学をやめて神戸に帰ってきており、兄の遺児に通りすがりの裕次郎がハーモニカで「青い目の人形」を吹いてやり、そのあとその少年を通して知り合います。実は男は麻薬密輸取引のもつれで裕次郎の組の者に殺されており、刑事は裕次郎と親しくなっていく北原に「あんたの知らない世界の男や」と忠告し、ついに殺人犯となって手配された裕次郎を誘い出す餌として刑事は偽の新聞記事で北原がヤクザに襲われ重傷入院中の報を流して裕次郎を誘い出します。実はキネマ旬報のあらすじの「二郎の愛人マミー(中原早苗)が働く(キャバレー)」という部分は筆者の加筆で、裕次郎が北原三枝に惚れてしまいつれなくされても、また抜き差しならない状況になっても裕次郎に惚れぬいていり中原早苗は裕次郎に尽くし、香港密航に同行するため待ちます。偽の新聞記事を見た裕次郎は夜の病院に忍びこみ、ここで素晴らしい横移動の長いカットがあり撮影の姫田真佐久カメラマンがのちの日活ロマンポルノでも見せた長回しの冴えが堪能できますが、本作も波の光が北原三枝の顔に揺らぐショットが効果的で、夜の病院の庭の照明効果ともども岩木保夫の照明、木村威夫の美術が光り、裕次郎がようやく見つけた北原の病室では北原が甥の少年にハーモニカでやはり「青い目の人形」を吹いている、という音楽的モチーフの活用は脚本由来としても音楽の鏑木創の仕事の的確さを示します。病院の門で待つ刑事の大坂志郎に中原早苗が「あの人は来なかった!」と訴え、大坂が病院の庭に踏みこんで裕次郎の後ろ姿に近づくと、晴ればれした顔でゆっくり振り向いた裕次郎に大坂が手錠をかけて映画は終わります。しみじみ余韻を残す結末ではあるけれど結局裕次郎の北原への純愛が罪を懺悔させる具合になっていて、追っ手に殺されるまで最後まで逃亡を諦めない『ハイ・シェラ』のボギー、『死の谷』のマクリーとは違う。また『ハイ・シェラ』ではアイダ・ルピノ、『死の谷』ではヴァージニア・メイヨがボギーやマクリーと対等かそれ以上に強い意志で共犯をまっとうするので、本作で言えば裕次郎が北原三枝への未練を断ち切り中原早苗と決死の逃避行に向かうとしたら、その場合は北原と中原の配役が逆になるか、北原は裕次郎を売る手助けをせず中原に代わって裕次郎と密航する決意をすることになりますが、真に目覚めたヒロインとして『ハイ・シェラ』『死の谷』に並ぶものになるとしてもヒロインを立てて際立ってしまうと裕次郎の位置は下がってしまうので(『ハイ・シェラ』『死の谷』はともにヒロインの方が配役では上です)、『赤い波止場』が石原裕次郎主演作として一貫するにはヒロインは従属的な役割にとどまるしかなかったとも言えます。しかし圧倒的な緊張感、苛烈な死生観、真の対等な関係から生まれる命がけの愛など『望郷』や『赤い波止場』はアウトロー映画として『ハイ・シェラ』『死の谷』ほど徹底していない、ロマンスすら男性優位型の発想でしかない不満もあるので、本作では刑事と裕次郎の会話で「神戸じゅうの女をメロメロにする気やんか?」「セックス・アピールってやつはどうしようもないんでね」と呑気な台詞がありますが、良くも悪くもそのナルシシズムが魅力でもあり限界でもあるのが石原裕次郎のアウトロー映画をヒーロー型の性格にとどめているとも言えそうです。