『ブロードウェイのバークレー夫妻』The Barkleys of Broadway (MGM'49)*109min, Technicolor : アメリカ公開1949年5月4日、日本未公開
監督 : チャールズ・ウォルターズ/共演 : ジンジャー・ロジャーズ、オスカー・レヴァント
◎ミュージカル映画の黄金コンビ、アステアとジンジャー・ロジャーズが10年ぶりに再共演した作品。ブロードウェイの大人気ミュージカル・スター、バークレー夫妻は公演中にもかかわらず大ケンカして別居することになり……。
[ 解説 ] 1930年代に数々のヒット作を送り出したフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビが、『カッスル夫妻』以来10年ぶりに共演したミュージカル。喧嘩をしながらも仲のいいブロードウェイの人気者、ジョシュとダイナのバークレー夫妻の愛を描く。
――本作はクレジット・タイトルにかぶってアステアとロジャースのダンス舞台から始まり、続いてアステアとロジャース、専属音楽家役のレヴァントの舞台挨拶で三者の関係が紹介されます。舞台がはねて夫妻を祝うパーティーで、ロジャースはフランス人新進劇作家のピエール・バルドゥー(ジャック・フランソワ)から悲劇女優としての資質があるのにダンス・コメディで才能を浪費している、と焚きつけられます。パーティー直前に、レヴュー場面の悲劇シーンの演技は不出来だったと夫に言われて喧嘩していたロジャースは、劇作家の言葉に溜飲を下げますが、機嫌を損ねたアステアは君なんかおれの演出なしには何もできないじゃないかと暴言を吐き、夫婦喧嘩は別居に発展します。アステアは一人芝居で舞台を続け(白眉の個人芸プロダクション・ナンバー「羽の生えた靴」が見もの)、ロジャースは劇作家の新作「若き日のサラ・ベルナール」に主演することになりますが、アステアが心配して稽古を覗きに行くとロジャースは緊張して失敗ばかりしている。アステアは劇作家の声色を使ってロジャースに演技アドヴァイスし、以降アステアはこっそり稽古を覗いては偽電話でアドヴァイスしてロジャースを助けるとともに、妻のシリアスな舞台劇の成功に複雑な感情を抱きます。レヴァントは二人を仲直りさせようと顔を会わせる機会を作ろうとしますが(レヴァントの弾く「剣の舞」とチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第一番』が聴けます)、公けの場では「誰にも奪えぬこの想い」を踊ったりしても夫婦の感情は複雑です。ついに舞台劇の成功とともにロジャースは劇作家から離婚して結婚してくれとプロポーズされそうになりますが、その時劇作家の声色の偽電話でアステアと話していたロジャースはようやくこれまでのアドヴァイスがすべく夫からの電話だったと気づき……と、結末直前までのあらすじはざっとこんなものです。あくまでダンサーのタレント演技だったRKO時代と較べてアステアもロジャースもダンスや歌抜きでも通用する立派な俳優になりました。また音楽が、楽曲自体は古風なものなのにRKO時代のスウィング&ストリングス・ビッグバンドのアレンジから本作ではビ・バップを通過したモダン・ビッグバンドのアレンジになっているのがはっきりわかる。前作の相手役がジュディ・ガーランドだったので音楽の一新に気づかないほどはまっていましたが、ミュージカルを離れなかったアステアと較べてロジャースのダンスは十分にリズム感覚の刷新に適応しきれてあなくて、リーチが広くないのと'30年代風に緩やかなドレスの動きをまとったダンス(「誰にも奪えぬこの想い」ではドレスで助けられていますが)がロジャースの芸なので、戦後ミュージカル映画のよりボディラインを強調したソリッドなダンスには向いていないのです。本作の成功からコンビ復活が続けられなかったのもそこに限界があったと思われ、また当時の人気ピアニスト、オスカー・レヴァントは演技も達者でタップまで披露しますが、今聴くとピアノ演奏はクラシック音楽の俗化をありありと感じさせるもので、チャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第一番』の演奏などこんな俗悪な曲だったのかとおぞましいほど酷い、こういうクラシック音楽解釈が戦後のクラシック音楽を駄目にしてきた歴史的証言になっている意味でも興味深いものです。それが映画を駄目にしているということはないので、いろいろ難を抱えながらも本作があることでアステア映画はより面白く観られる盛りだくさんな作品になっている。本作単品だって十分面白い中年夫婦喧嘩ミュージカル・コメディ映画です。それにはやはりアステアとロジャースの10年ぶり、1作きりの再会共演という機会が上手く働いたのではないでしょうか。
●3月23日(土)
『土曜は貴方に』Three Little Words (MGM'50)*102min, Technicolor : アメリカ公開1950年7月12日、日本公開昭和29年6月5日
監督 : リチャード・ソープ/共演 : レッド・スケルトン、ヴェラ=エレン
◎数々のヒット曲を生み出した作詞&作曲家コンビ、バート・カルマーとハリー・ルビーの伝記を元にした作品。ダンサーとしても活躍していたカルマーを演じるアステアと、パートナー役のヴェラ=エレンのダンスも見どころである。
[ 解説 ]「水着の女王」のジャック・カミングスが製作に当り、「ゼンダ城の虜(1952)」のリチャード・ソープが監督したテクニカラーのミュージカル1950年作品で、原題の"Three Little Words"をはじめ数々のヒット・ソングを生み出した歌曲チーム、バート・カルマー、ハリイ・ルビイの伝記を描くもの。脚本はMGMのミュージカル(「テクサス・カーニヴァル」「みめ美わし」・未輸入)を数多く手がけているジョージ・ウェルズが書き、撮影は「バンド・ワゴン」のハリイ・ジャクスン、音楽監督は「暴力行為」のアンドレ・プレヴィン、舞踊の振付と監督は「ロッキーの春風」のハーメス・パンが担当した。主演は「バンド・ワゴン」のフレッド・アステア、「世紀の女王」のレッド・スケルトン、「踊る大紐育」のヴェラ=エレン、「砂漠部隊」のアーリン・ダールで、キーナン・ウィン(「兄弟はみな勇敢だった」)、グロリア・デ・ヘヴン(「姉妹と水兵」)、デビー・レイノルズ(「雨に唄えば」)、ハリイ・シャノン(「真昼の決闘」)、ポール・ハーヴェイ(「恋は青空の下」)、カールトン・カーペンター(「花嫁の父」)らの他に、歌手のゲイル・ロビンズ、フィル・リーガンらが助演している。
[ あらすじ ] バート・カルマー(フレッド・アステア)とジェッシー・ブラウン(ヴェラ=エレン)は、売り出し中のダンス・チームで、また相愛の仲でもあった。バートはショウの人気者であり、そのうえ作詞もやれば魔術もやるといった忙しさで、とくに魔術には身を入れ自ら『ケンダル大王』と称して舞台に立った。だがその舞台で彼の助手をつとめたピアノ弾きのハリイ・ルビイ(レッド・スケルトン)が、大失敗をしたためバートはクビになってしまった。バートは再びダンスの舞台に戻り、バート=ジェッシーのチームは大統領から花束を贈られるほどの成功をかち得た。だが突如バートは膝の骨を砕き踊れなくなった。ジェッシーは結婚を申出たが、バートは作詞だけで生活する自信がないと断わり、ジェッシーに新しいパートナアを見つけるようすすめた。ジェッシーは怒って去って行った。バートはある日楽譜出版業者アル・マスターズ(ポール・ハーヴェイ)の店を訪れ、そこでピアノを弾いていたハリイと再会した。このとき2人が共作した歌曲《わがうららかなテネシー》が大ヒットとなり、バート=ハリイの歌曲チームが誕生、かれらの人気は忽ち高まって行った。一方ジェッシーはその頃新しいパートナアと舞台に立っていた。バートはハリイと一緒に彼女の劇場へ見物に出かけ、ジェッシーに招かれるままに舞台に立って一緒に歌った。それを機会に2人の仲は再び昔に戻りバートとジェッシーは結婚した。ハリイはバートとの協力もこれで終わりになったと思ったが、ジェッシーが舞台を捨てる決心をしたので、バート=ハリイのチームは破れなかった。やがてハリイも歌手のテリイ(ゲイル・ロビンズ)と婚約した。彼は新作のショウの主役にテリイを推せんしたので、はじめ主役に予定されていたアイリン(アーリン・ダール)は、落胆してハリウッドへ去って行った。その上、テリイはハリイを裏切って他の男と結婚してしまった。バートはかねがね執筆していたショウの台本が脱稿し、上演に張切ったが、ハリイは自分勝手に金主に解約を申し出たので、バートは怒って2人の協力は破れてしまった。ハリイは、ハリウッドのスタアとなったアイリンと結婚した。アイリンとジェッシーは、再び夫たちを結びつけようと努力し、2人の協力は蘇った。そしてバート=ハリイ・チームの一代のヒット《スリー・リツル・ワーズ》が華々しく脚光を浴びた。
――本作はあまりに出来すぎていて楽しいので、実在の作詞・作曲家コンビの伝記映画とは思えないほどです。しかし映画はそういうものであってもいいので、街角のピアノでスケルトンが作曲を始めるとアステアがうーんとうなって最初の一節の歌詞を思いついて歌う、そこに通りかかった女学生のデビー・レイノルズが合いの手を入れる。「それだ!」と次の場面ではもうレヴュー場面になってレイノルズが踊る「アイ・ウォナ・ビー・ラヴド・バイ・ユー」(歌はヘレン・ケーンの吹き替えだそうです)になる、と万事テンポ良く進み、ヴェラ=エレンとアーリン・ダール両者の聡明な夫人ぶりも気持ち良く爽やかです。実際のカルマー&ルビーの作品歴とは相当に違いがあるんじゃないか、もし発表順に曲が並んでいるとしたら逆にドラマの方を都合良く脚色してあるんじゃないかと憶測したくなるほどコンビのキャリアと私生活のドラマが楽曲と結びついて展開していくのですが、そういうのをとやかく言うより本作もミュージカル映画のバディ・ムーヴィーの佳作であり、実在の作詞・作曲家コンビに格好の題材があったと鷹揚に楽しむのが柔軟な見方というものでしょう。本作製作時年長のカルマーは故人であり、草野球狂のスケルトンが故郷の草野球チームに何度も休暇がてら参加する場面で草野球チームの一員にルビー本人が出演しているという洒落もあり、どちらの夫婦も亭主を立てて実は夫婦仲はかかあ天下なのも楽しい趣向で、子供は出てきませんがホーム・ドラマ的趣向がある。凝ったプロダクション・ナンバーがない分MGMミュージカルとしては中規模の製作費147万ドルに対し453万ドルの大ヒット作になったのもカルマー&ルビー歌曲の根強い人気を反映したものでしょう。そのあたり、レッド・スケルトンとのダブル主演とともにあまり日本人好みではない題材・作風の日米の嗜好の差を感じさせる作品でもあります。
●3月24日(日)
『レッツ・ダンス』Let's Dance (Paramount, 50)*111min, Technicolor : アメリカ公開1950年11月29日、日本未公開・未DVD化 : https://youtu.be/CwF6svN-2Zo (Full Movie) : https://youtu.be/2Qsnf5pTl1Y (Piano Dance)
監督 : ノーマン・Z・マクロード/共演 : ベティ・ハットン
◎2大スター共演のMGM作品『イースター・パレード』の大成功からパラマウントがアステアをMGMから借りてベティ・ハットンと共演させた作品。代わりにハットンは同年MGM作品『アニーよ銃をとれ』に出演し、先に公開された同作が大ヒットしたため『レッツ・ダンス』は割を食った公開となった。
[ あらすじ ] 1945年・ロンドン、終戦記念の軍隊慰問のショーを終えたドン(フレッド・アステア)は舞台上で戦争未亡人のダンス・パートナー、キティ(ベティ・ハットン)との結婚を発表しますが、キティは赤ん坊の息子が亡夫の実家に預けてあり、終戦後もダンサーを続けると親権を取り上げるられてしまうと求婚を拒否します。二人はダンス・パートナーを解消し別々に帰国します。1950年・ボストン、亡夫の母エヴァレット夫人(ルシール・ワトソン)の邸宅に住むキティは6歳になった息子ディック(グレゴリー・モフェット)を連れて独立しようとし、義姉のカロラ(ルース・ウォリック)はキティを応援しますが、エヴァレット夫人の猛反対にあいます。たまたまボストンに巡業に来ていたドンと再会したキティは自活のためレストランで働き始めます。裁判でキティがディックの親権を確保する条件は資産家との再婚とエヴァレット夫人から提示されて、キティは資産があるからエヴァレット夫人を説得できるというドンの求婚を受け入れますが、結婚登録所でドンの資産とは週末のロンドンの競馬への全財産の賭けと知って怒って結婚を止め、帰宅して息子ディックを職場のレストランに連れ帰り職場の仲間たちと匿います。一方ドンはエヴァレット夫人邸に乗りこみ競馬中継で60万ドルの賞金獲得でエヴァレット夫人からキティとの結婚、ディックの親権を認められますが、かえってドンに反感を抱いたキティは当てつけに別の資産家とつきあい始めてしまいます。しかしドンになついていたディックによってキティは改めてドンからの求婚を受け入れます。
――うーん、あらすじを起こしてみましたがやっぱりパッとしない話ですね。6歳の子役はなかなかうまい可愛らしい男の子なのですが、アステアと子連れ未亡人の再婚話というのが決定的に地味で、しかもアステアが競馬を当てに求婚とそれまでのアステア映画の軽薄キャラクターならともかく、子どもの親権まで絡んでくるとなると軽薄結構とは言えなくなってくる。また戦争未亡人というのも設定としてはコメディ・ミュージカルには重すぎる。パラマウントは人情映画は得意なはずでアステア映画というよりビング・クロスビーが主役とはいえ名作『スイング・ホテル』や佳作『ブルー・スカイ』も送り出してきており、そこらへんのさじ加減はわかっていそうなものなのにどうも本作の登場人物は性格設定が納得できない。1945年から1950年にいきなり話が飛んで、実はハットンもアステアをまだ愛していてアステアも同様で、偶然出会った街のカフェでおたがいに気づいてハッとなりながら別々に店の外に出て、偶然出会って驚いたふりをする演出などそれなりに細かいのに、5年も離ればなれだったアステアに心残りなら死別した夫にはどうだったんだと不自然な感じもするのです。アステアの個人芸はグランドピアノとアップライトピアノの2台のピアノを渡り歩いて踊るピアノ・ダンスのシーンが白眉ですし、ハットンとの映画冒頭でのダンスも良く、ハットンにも映画のクライマックスでアステアを思って歌い踊るハイライト・シーンがありますが、ミュージカル映画としてドラマ・パートとプロダクション・ナンバーのつながりがあまりに雑で、いったいパラマウントはこれで『イースター・パレード』に匹敵する当たりをとるつもりが本気であったのだろうか(アステアの役名まで同作と同じ「ドン」にしていますが)、バーターでMGMに貸し出したハットン主演の『アニーよ銃をとれ』のあまりのヒットに地団駄踏んだ挙げ句勝負を投げてしまったのでないかとさえ思えます。それでも『セカンド・コーラス』の惨状よりましなのはアステアの演技も円熟し、ハットンも踊れないし歌えないポーレット・ゴダードより当然ずっと良いからですが、本作はサスペンス調のシーンで当時流行のミクロス・ロージャ風テルミン音楽が鳴るなど、全体にあまりに不調和が目立つ出来です。しかもタイトルが『レッツ・ダンス』(原題通り)では内容がちっとも浮かんでこない。アステアとハットン始め子役も脇役(ユニヴァーサルのミイラ男シリーズの怪僧役でおなじみジョージ・ズッコも出ています)もそれなりに配役に見あった存在感がありますが、良いと思ったシーンが次のシーンではおぼつかなくなるといった具合に緊張感が持続しない。111分はあまりに長すぎて、80分程度に刈りこんだ方が良かったのではないかと思えてくる。アステアのミュージカル映画を全部観ようという人以外にはお勧めできませんが、もし日本語字幕つきのテレビ放映なり日本盤映像ソフトが出るなりしたら全然期待しないで観ればアステアとハットンだけで一応楽しめる、と凡作駄作のひと言で一蹴できないだけやっかいな映画です。ただし今後本作が再評価されるとはまったく考えられないだけに、幻のアステア作品として気がかりでいるよりは少なくとも1回観て忘れてしまう方がすっきりして良いのではないかと思われます。因果な映画もあったものです。