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映画日記2019年3月7日~9日/フレッド・アステア(1899-1987)のミュージカル映画(3)

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 昔のことわざに「神輿(みこし)は軽くて馬鹿がいい」とありますが、アステア映画を続けて観ていると映画は素晴らしいのに主役のアステアはどうも軽い。顔が空豆みたいだとか笑うと表情が極端に左右非対称になるとか、そもそも粋人で洒落者ではあっても、超人的なダンサーで歌も上手くても、劇映画を支える主演俳優というよりはまずダンサーで歌手というアステアのタレント性の方が先立ってしまうのです。やはり体技の映画俳優である喜劇俳優たちを思い出すと、ロイドやキートンは素顔と切り離して映画が成り立っているのがありありと伝わってきますが、チャップリンは『黄金狂時代』'25あたりになるとチャップリンがチャップリンというキャラクターを演じている、という感じが強くなる。またダンサーとしての後輩映画スターのジーン・ケリー、歌手のフランク・シナトラになるとダンサー、歌手としてのタレントよりも映画に入りこんで幅広い役を演じるようになります。アステア最大の強みはアステアがアステアのまま映画に出て映画が成り立つ時代にデビューできたことで、それがアステア映画の限界にもなっている。アステアが踊る時は映画のドラマが一時中断、または大クライマックスを迎えた時ですし、ジンジャー・ロジャースにも言えますがアステアやロジャースの歌はダンサーが歌う演技としての上手さであって、アステア映画の曲をスタンダードにまで高めたシナトラや(映画出演は1本しかありませんが)ビリー・ホリデイのような、映像抜きにしても独立した、聴き飽きのしない本当の歌唱力とは違います。「ダンサーのアステア」という生身のタレント性がまずあり、その上に「アステアの歌」「アステアの演技」が乗っている観は否めず、それゆえにロン・チェイニーやキートンのような偉大なサイレント俳優、トーキー時代ではゲーリー・クーパーやジョン・ウェインら本物の俳優が演じる虚構のキャラクターの実在感に較べてアステアを映画俳優としては同列に語れない要因となってくる。前回までアステア映画初期の順風満帆な時期を追ってきましたが、今回の3作ではそうしたアステア映画のあり方が高い次元にありながら次第にマナリスムに陥り、打開を図らねばならない局面に移りつつあると見えて、それは具体的には主演デビュー以来のジンジャー・ロジャースとのレギュラー・コンビ解消(のちは散発的に共演)という形で現れることになります。なお作品紹介はDVDケース裏の紹介文を先に掲げ、適宜日本公開時のキネマ旬報の新作紹介を引くことにしました。

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●3月7日(木)
『有頂天時代』Swing Time (RKO'36)*103min, B/W : アメリカ公開1936年8月27日、日本公昭和11年12月
監督 : ジョージ・スティーヴンス/共演 : ジンジャー・ロジャーズ
◎ギャンブル好きの人気ダンサー、ラッキーが自分自身の結婚式に遅刻したために巻き起こるラブ・コメディ。アステアがギャンブル、ダンス、恋愛にと三拍子を奏でる。名曲「今宵の君は」に乗せて綴られる恋愛模様。

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 音楽をアーヴィング・バーリンが全曲書き下ろした前2作『トップ・ハット』、『艦隊を追って』から、本作ではジェローム・カーンが全曲書き下ろし、ちなみに次作『踊らん哉』、次々作『踊る騎士』ではジョージ・ガーシュインが全曲書き下ろしと、この時期のアステア映画に起用された作曲家の顔ぶれにはため息が出ます。カーンは『ロバータ』でもハイライト曲「煙が目にしみる」を書いていましたが、同作は舞台劇の映画化なのでこの曲もヒロイン役のアイリーン・ダンが歌っていました。また他の挿入歌・挿入曲はカーン以外の作曲家によるものでしたから、バーリン全曲担当の前2作同様カーンが全曲を書き下ろした本作は前2作がそうだったように、脚本は先に音楽の完成を待って構成されています。本作を代表する曲は大スタンダードになった「今宵の君は」ですが、もう1曲「ファイン・ロマンス」も忘れてはならず(ビリー・ホリデイは両曲ともレパートリーにしました)、映画の結末ではアステアが「今宵の君は」を歌いロジャースが「ファイン・ロマンス」を歌う二重唱でこの2曲はまったく同じコード進行(つまり同じ伴奏でどちらの曲も歌える)なのがわかる、という粋な趣向が見られます。本作の製作費89万ドル・興行収入260万ドルは大ヒットなのですが、前々作『トップ・ハット』の製作費60万ドル・興行収入300万ドル、前作『艦隊を追って』の製作費74万ドル、興行収入280万ドルと較べると、それまでの最大ヒットになった『トップ・ハット』から製作費はより多くを注ぎこんでいるのに興行収入は徐々に後退している兆候があり(当時一般映画は10万ドル~20万ドルの製作費で作られ、50万ドル前後の興行収入があれば成功作でした)、これがアステア&ロジャース共演第7作・主演第6作目の次作『踊らん哉』では製作費99万ドルに対して興行収入216万ドルにとどまり、アステアとロジャースのレギュラー・コンビは一旦解消されることになります(のち散発的に3作で共演)。今日観て『トップ・ハット』から『踊らん哉』の4作はいずれも甲乙つけがたい溌剌としたアステア&ロジャース映画で、むしろ映画俳優としてのアステア&ロジャースの生かし方では本人たち自身の演技力の向上も伴って『有頂天時代』や『踊らん哉』はなお良いとも言えるので、この興行収入の低下は観客がこのコンビの映画で避けられないパターンに飽きてきた、と身も蓋もない事情が考えられます。本作も日本公開時のキネマ旬報の紹介を引用しておきましょう。
[ 解説 ]「トップ・ハット」「艦隊を追って」と同じくフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース主演映画で、監督には「乙女よ嘆くな」「愛の弾丸」のジョージ・スティーヴンスが当たった。原作は「空中レヴュー時代」の脚色者の一人アーウィン・ゲルシーが書き下ろし、「トップ・ハット」「艦隊を追って」のアラン・スコットがハワード・リンゼイと協力脚色した。音楽は「ロバータ」「ショーボート」のジェローム・カーン作曲、作詞は「セシリア」「恋の歌」のドロシー・フィールヅである。助演はミュージカル・コメディー俳優ヴィクター・ムーア、「トップ・ハット」のヘレン・ブロデリック及びエリック・ブローア、「愛と光」のベティ・ファーネス、「女秘書の秘密」のジョージ・メタクサの面々で、撮影は例によってデゥィット・エイベル担当。
[ あらすじ ] ラッキー・ガーネット(フレッド・アステア)はポップ(ヴィクター・ムーア)一座の舞台で踊り手をしていたが、許嫁のマーガレット(ベティ・ファーネス)と結婚することになった。ところがダイス遊びに夢中になって結婚式の時間に遅れたため、マーガレットの父親は腹を立てて貯金が2万5千ドルできるまで結婚を許さぬと言い出したので、ラッキーは再びニューヨークにやって来た。そして彼は舞踊学校の教師ペニイ(ジンジャー・ロジャース)と知り合いになり、素人のふりをして彼女の許に弟子入りした。彼は故意に不器用で物覚えの悪いふりをしたのでペニイは彼を叱り飛ばしたが、この事が原因となって校長ゴードン(エリック・ブローア)は彼女を首にした。するとラッキーは、彼女に習った踊りだと言って素晴らしい踊りを見せたので、ゴードンは驚き喜んで2人をチームとしてナイトクラブに出演させることにした。ポップも同じ学校に弟子入りしていて、彼が原因で受付けのメーベル(ヘレン・ブロデリック)が首になる。ポップは彼の舞台衣を買いに出たが、その金を賭博ですってしまう。その代わり夜会服を着た酔いどれ紳士を連れて来たので、ラッキーは賭をして服を巻き上げようとする。ところが勝負は紳士の勝ちとなって、ラッキーは裸にされてしまう。このため出演は延期となり、彼はペニイに絶交を宣言されたが、メーベルの取りなしで仲直りする。すると今度はクラブの持ち主シムプスン(ピエール・ワトキン)がインチキ師レイモンド(ジョン・ハリントン)にバンドを取られてしまう。ラッキー、ポップ、メーベル、ペニイの4人はレイモンドに復讐戦を申し込んで大勝を博しバンドを取り戻し、試験は大成功裡に終わった。ラッキーの貯金はたちまち増えたが、今ではペニイを愛する彼は貯金が2万5千ドルに達しないように苦心する。ペニイは彼の婚約をポップに聞いて失望し、また腹を立てる。ラッキーはシムプスンと共同でナイトクラブを経営する事になったが、開場式の夜、レイモンドにダイスで負け、ペニイの契約権もその方に移ってしまう。失望したペニイは以前から彼女を愛していたバンドの指揮者ロメロ(ジョージ・メタクサ)と結婚の約束をする。式の当日、ロメロはラッキーの嘘と策に乗せられ、ズボンを取り上げられたので遂に式はお流れとなり、結局マーガレットと婚約を解消したラッキーとペニイは仲直りをして結婚する。
 ――前作『艦隊を追って』から再び『トップ・ハット』に路線を戻したような本作は、『ロバータ』や『艦隊を追って』のようにロマンス担当の主人公とヒロインがアステア&ロジャース以外にいる作りではなくアステアとロジャース自身がロマンティック・コメディの主役であり見せ場の歌と踊りを担うので、大ヒット作が続いた意地をかけてか主演コンビの演技により俳優らしい微妙なニュアンス表現を演じよう、という意欲が感じられますが、それを不自然にしないために設定されたキャラクター自体があまり重みのない性格の芸能人、というのもコンビ初共演作『空中レヴュー時代』のパターンを踏襲しています。またこれまでのアステア映画ではプロダクション・ナンバーとドラマ場面は分離されていましたが、本作ではいつの間にか台詞が歌になり、歌で台詞のかけあいをするミュージカル映画の常套手段が部分的に用いられた初のアステア映画という妥協点も見られます。また本作はアステアとヴィクター・ムーアのバディ(相棒)・ムーヴィーでもあり、ロジャースの姉御的な友人役のヘレン・ブロデリックがムーアとともにコメディ・パートを受け持っているので、アステアとロジャースのロマンスに絡むコメディ要素をムーアとブロデリックが分担する役割を果たしています。アステア映画はロマンスとコメディとミュージカル(歌・ダンス)で出来ていますが、『空中レヴュー時代』『ロバータ』『艦隊を追って』ではアステア&ロジャースはミュージカルとコメディにロマンスは少々で、大筋となるロマンスには別に主演カップルを立てていました。本作ではアステアとロジャースはロマンスとミュージカルの主演に重心を置き、コメディ・パートは別に男女のコメディ担当俳優を配することでよりロマンスの主役に専念できた作りです。またアステア映画では基本的に歌の場面は歌、ダンスの場面はダンスと分けられているので(『コンチネンタル』の「昼も夜も」、『トップ・ハット』のダンス・ナンバー「頬寄せて」、『艦隊を追って』の「レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス」などは例外的です)、本作を飾る2大名曲「今宵の君は」「ファイン・ロマンス」ともダンス曲ではなく純粋に心情を託した歌唱曲として歌われます。設定やストーリーも面白く、アステアとロジャースのロマンスの運びにもより充実した成果の見られる本作ですが、質的向上が必ずしも斬新さにはなっていないのは本質的にはタレント映画であるアステア映画には免れ得ず、本作も十分に大ヒットながら製作費を上げたにも関わらず興行成績は前作より下がることになった。それが次作では純益率の急激な低下に表れ、一旦アステアとロジャースのコンビは解消する結果になります。

●3月8日(金)
『踊らん哉』Shall We Dance (RKO'37)*109min, B/W : アメリカ公開 1937年5月7日、日本公開昭和12年10月
監督 : マーク・サンドリッチ/共演 : ジンジャー・ロジャーズ
◎パリの有名バレエダンサーが、人気ジャズダンサーに惚れてニューヨークまで追ってしまうというロマンティック・コメディ。ガーシュウィン兄弟のナンバーに乗せて、アステア&ロジャーズが華麗なステップを贈る。

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 本作はこれまでで最大の製作費99万ドルで製作されたにも関わらず興行収入216万ドルと、ほぼ40万~50ドル相当が広告・興行費ではかかると計算すれば純益率では大きく前3作から低下してしまったため、アステアは次作『踊る騎士』ではロジャースとのコンビを主演以来初めて解消します。RKO映画社の要望でその次は『気儘時代』'38、さらに『カッスル夫妻』'39と再びロジャースと組んだ作品が作られますが、アステア&ロジャース作品の観客動員力の低下は目立つ一方で『カッスル夫妻』でRKO映画社でのアステア&ロジャース映画は終わりになり、次にアステアとロジャースが再共演したのは戦後に10年ぶりの再会作となった『ブロードウェイのバークレー夫妻』'49で、その頃にはRKO映画社は実質的に別会社になりアステアはMGMの専属俳優になっていました。またロジャースはミュージカル映画以外で主演女優デビューを成功させてアカデミー賞主演女優賞女優になっていましたし、同作が共演10作目にして最後のアステア&ロジャース映画になることになりました。いわば『踊らん哉』はアステア&ロジャース映画が凋落に入った不名誉を負う映画なのですが、アステア&ロジャースの共演作全10作、うちマーク・サンドリッチが監督した5作でも頂点をなす名作です。前作『有頂天時代』で演技に開眼したアステアとロジャースを本作ではよりコミカルなシチュエーションでロマンスを演じさせて映画の流れの流露感はここで極まった観があり、また原作ミュージカルはロジャース&ハートが音楽担当でしたが、映画版の本作ではジョージ・ガーシュインが全曲書き下ろしと夢のようなことになっており、2大スタンダード「誰にも奪えぬこの想い」「みんな笑った」(やはりビリー・ホリデイが2曲ともレパートリーにします)が含まれるほか、コミカルなダンス・ナンバー「ウォーキング・ザ・ドッグ」があり、「レッツ・コール・ザ・ホール・シング・オフ」ではローラー・スケートを使ったダンス場面がくり広げられます。ガーシュインは次作『踊る騎士』でも全曲書き下ろしを提供し、そこでもビリー・ホリデイがカヴァーする2大スタンダード「ア・フォギー・デイ」「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット」が誕生した場面を観ることができますが、「昼も夜も」「煙が目にしみる」「レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス」「今宵の君は」同様に本作・次作のガーシュインの「誰にも奪えぬこの想い」「ア・フォギー・デイ」などはヴォーカル曲を越えてモダン・ジャズでも器楽ジャズの基本スタンダード曲になるので、アステア映画が20世紀のアメリカ文化の巨大な源泉になっているのは世紀に数人という名作曲家たちがこぞってアステア&ロジャース映画に名曲を提供したからです。本作も日本公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「有頂天時代」に次ぐフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース主演映画で、リー・ローブとハロルド・バックマンの原作を「有頂天時代」のアラン・スコットがアーネスト・パガノと協力脚色し、「艦隊を追って」「女性の反逆」のマーク・サンドリッチが監督し、「有頂天時代」のデイヴィッド・エーベルが撮影した。助演者は「トップ・ハット」のエドワード・エヴァレット・ホートン及びエリック・ブローア、「市街戦」のジェローム・コウアン、「コブラ・タンゴ」のケッティ・ガリヤン、「巨星ジーグフェルド」のリエット・ホクター等で、音楽は急逝したジョージ・ガーシュウィンが作曲したものである。
[ あらすじ ] パリで名を挙げた古典舞踊家ペトロフ(フレッド・アステア)は実は米国人である。マネジャーのジェフリイ(エドワード・エヴァレット・ホートン)は一座を連れてニューヨークへ行こうとするがペトロフはレビューのスター、リンダ(ジンジャー・ロジャース)と近づきになろうと思っているのでパリを離れようとはしない。そしてリンダが舞台で相手役と喧嘩ををして米国へ帰ることを知ったペトロフは直ぐ同じ船に乗り込む。出発前に彼に恋している以前の相手役だったドニーズ(ケティ・ガリアン)が追掛けて来たので、ペトロフは秘かに結婚したと告げて彼女を追払う。船中でペトロフとリンダは親しくなったが、その頃ドニーズの口からペトロフの秘密結婚が噂され船中へも聞こえて来た。二人の親しい様を見た船客たちはペトロフの妻はリンダであると信じてしまう。これを知って立腹した彼女は郵便飛行機で先にニューヨークへ到着したが既に新聞は大きく二人の結婚を書立てている。しかも後から到着したペトロフも同じホテルに泊まったので支配人は気を利かして二人に隣り合った部屋を提供した。リンダは金持ちのモンゴメリイ(ウィリアム・ブリスベーン)と結婚する積もりであるが、彼女のマネジャー、アーサー(ジェローム・コーアン)はそれを妨げるためペトロフとの結婚説を盛んに宣伝したのでとうとうモンゴメリイは婚約を破棄してしまう。リンダは今となっては一端ペトロフと結婚して直ぐ離婚する外はないと思って秘かに二人で結婚手続きを済ます。しかもいつしか彼女はペトロフを好きになっていたが、ホテルへ帰ってみるとドニーズが彼を待っていたので憤然としてそのホテルから姿を消す。スターを失ったアーサーはジェフリイと共同でペトロフを主役に興行を始める。リンダは劇場へ離婚裁判所の出頭命令書を持って行って見ると、舞台ではペトロフが大勢の踊子にリンダの仮面をつけさせて舞っている。真情にうたれた彼女は楽屋へ行って踊子の一人と代って舞台へでる。ペトロフはすべてを許されたことを知り、彼女を抱いて舞台に踊りつづけるのであった。
 ――アステアが「誰にも奪えぬこの想い」を歌うのはロジャースの誤解から怒りを買って締め出しをくらい、気になったロジャースが窓から庭を見ると霧の中でアステアがロジャースに想いを寄せて「誰にも奪えぬこの想い」を歌っているという具合で、家に入ることを許されたアステアはロジャースの家の使用人たちとコーラス後半を陽気に歌い上げる、と名曲の見事な演出にノックアウトされます。天才ポップス作曲家ガーシュインの名曲がこの世に現れた瞬間とはこのようなものだったのか、という付加価値込みで映画の株が上がっているのは否めませんが、ミュージカル映画、しかもアステア映画という条件あってこそ生まれてきた曲なのを強く感じます。本作は『有頂天時代』以上に『トップ・ハット』の焼き直し感が強く、『トップ・ハット』もアステア&ロジャース初主演作『コンチネンタル』の焼き直しでしたから、おなじみの共演者のエドワード・エヴァレット・ホートン、エリック・ブローア、ジェローム・コウアンとともに『コンチネンタル』『トップ・ハット』ともにサンドリッチの監督作だったのを思えば、サンドリッチ監督作でもランドルフ・スコットにロマンスの主役を振り分けた『艦隊を追って』を例外とすればアステアのキャラクター、サンドリッチの作風をそのまま洗練させてきたのが本作と言えて、特にまた結婚・離婚コメディに仕立てているあたり『コンチネンタル』『トップ・ハット』と本作は三部作をなす作品とも目せます。感想文が丸投げするしかないのは本作がドラマ・パートとミュージカル・パートの継ぎ目がもっとも巧みな作品であり、ミュージカル・パートでドラマが中断することなくミュージカル・パート自体もドラマを推進させるような構成に見事に成功していることで、全員ロジャースの顔写真のお面をかぶった女性ダンサーたちとアステアが踊る(よく見ると一人群舞で浮いている女性ダンサーもいますが)という世にも馬鹿馬鹿しいプロダクション・ナンバーまでありますし、それにほだされてロジャースがアステアと結ばれるなどおめでたいにもほどがありますが、アステア&ロジャース映画というもともと虚構の映画でもさらに虚構性の強いミュージカル映画の、さらに特殊にタレントに特化した種類の映画では独自の基準があり、そうしたアステア&ロジャース映画では本作は最高傑作の一角を担うに足る作品です。それだけに同時代のアメリカの観客には「また同じような映画だなあ」と受けとられ、『コンチネンタル』の時点でロジャースと2本目の共演に二の足を踏んだというアステアには本作の凡ヒット(200万ドル超えは大ヒットながら製作費も100万ドル弱では純益率は大幅減)には来る時が来たかと痛感されたのでしょう。しかし7作連続の共演がことごとく成功作だったのを思えば、内容の充実とは別に話題性の点で飽きられてきた。またタレント映画であるアステア映画では充実とマナリスムは表裏一体だったことでもロジャースとのレギュラー・コンビは一旦解消、となるのもやむを得ない流れだったと思われるのです。

●3月9日(土)
『踊る騎士(ナイト)』A Damsel in Distress (RKO'37)*100min, B/W : アメリカ公開1937年11月19日、日本公開13年11月
監督 : ジョージ・スティーヴンス/共演 : ジョーン・フォンテイン、ジョージ・バーンズ、グレイシー・アレン
◎『踊らん哉』に続き、ジョージ・ガーシュウィンが友人アステアに素晴らしいナンバーの数々を贈った作品。アステアと初々しさが残るジョーン・フォンテインの唯一の共演作で、人気ダンサーと英国の貴族令嬢との恋を描く。

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 初主演作『コンチネンタル』以来7作目にして初めてジンジャー・ロジャースとのコンビを解消し、新人女優ジョーン・フォンテイン(1917-2013)をヒロインとした作品。フォンテインはこの年映画デビューの芳紀19歳で、外交官令嬢の生まれですがダンスや歌のレッスン経験などほとんどなかったために映画でもごく普通の社交ダンス場面以外に踊る場面はありませんし、歌も歌いません。しかし本作は前作『踊らん哉』に続いてジョージ・ガーシュインが全曲の書き下ろし曲を担当したため全編がムードの統一に優れた名曲満載で、特に「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット」と「ア・フォギー・デイ」は本作が生んだ大スタンダード曲になりました。前作ではロジャースが歌った「みんな笑った」がスタンダードになりましたが、ダンスもできなければ歌も歌えないフォンテインがヒロインでは歌もダンスもアステアが一手に引き受けなければなりません。そうなるとロマンスの主役はフォンテイン相手にアステアが奮闘しなければなりませんし、コメディ部分をどうしようかという結果、'20年代から全米的なラジオの人気男女コメディ・コンビで'50年代まで長い人気を保ち続けたジョージ・バーンズとグレイシー・アレンがアメリカの有名芸能人役のアステアの広報係とその秘書、という役柄でコメディ・パートを担う工夫が凝らされました。グレイシー・アレンとは、推理小説好きの方はご存知でしょうがS・S・ヴァン・ダインの探偵ファイロ・ヴァンスのシリーズ第11作『グレイシー・アレン殺人事件』'38の登場人物のグレイシー・アレンとその相方のジョージ・バーンズその人で、ファイロ・ヴァンスのシリーズが毎回映画化されるのでヴァン・ダインがグレイシー・アレンとジョージ・バーンズ実名主演映画の原作用に書いたのが、映画化は流れたものの推理小説は出版はされたという珍しい例です。本作は深窓の伯爵令嬢フォンテインが偶然出会ったロンドン滞在中のアメリカの芸能人アステアと周囲の策略から誤解がこじれて恋に発展する、とこぢんまりとまとまった作品ながらジョージ・スティーヴンスのロマンティック・コメディ監督としての丁寧な仕事が良い仕上がりに仕上げており、名作や傑作というようなものではありませんが十分に楽しめる好作です。本作は戦前日本公開されているのになぜかキネマ旬報の紹介が残っておらず、映画サイトからの解説と英語版ウィキペディアからのあらすじを載せておきます。
[ 解説 ] ジョージ・ガーシュウィンが自ら手がけた映画音楽は四作。そのうち二作が「踊らん哉」と本作である。'37年度公開のアステア主演映画で、ガーシュウィンは同年、この世を去っている。偉大な作曲家は、天才ダンサーを歌手としても大変評価していた。晩年、最も親しかった友人のアステアに、本作でも佳曲をいくつかプレゼント。アステアは若きJ・フォンテインを相手に、軽快なタップ("Nice Work If You Can Get It")や華麗なワルツ("A Foggy Day")で、恩人の遺志に充分応える踊りを見せる。ダンサーと英国貴族令嬢の道ならぬ恋も、ロジャースとのコンビ作とは違い、甘く感傷的でまたよい。フォンテインの気品ある美しさもまばゆかった。(allcinema.comより)
[ あらすじ ] トットニー城に住むマーシュモートン伯爵家の使用人全員は、令嬢アリス(ジョーン・フォンティーン)がもうすぐ結婚しなければならないと知っているので、誰が結婚相手かを賭けにします。くじ引きで候補者を当てられなかった少年召使いのアルバート(ハリー・ワトソン)は候補者以外の "ミスターX"に賭けをします。実はアリスは密かに去年出会ったアメリカ人青年に恋しています。家族の誰もがその青年にまだ会ったことがありません。アリスはある日、ロンドンでの用事のため城を出て、偶然にもジェリー・ハリディー(フレッド・アステア)と出会います。ジェリーは有名なアメリカの芸能人で、広報係のジョージ(ジョージ・バーンズ)とジョージの秘書グレイシー(グレイシー・アレン)とロンドンに滞在中でしたが、伯爵令嬢のアリスはジェリーが何者か知りません。ジェリーはアルバート少年の偽手紙で、アリスが恋しているアメリカ人は自分と信じこみます。ジェリーは城に行きアルバートに励まされますが、アリスの結婚相手に最有力視されているアリスの従兄レジー(レイ・ノーブル)に賭けているレジーの高慢な母でマーシュモートン伯爵の姉キャロライン夫人(コンスタンス・コリアー)の執事ケッグス(レジナルド・ガーディナー)はジェリーを妨害します。ジェリーも邸宅の領主であるアリスの父のマーシュモートン伯爵(モンタギュー・ラヴ)を知らないので、庭師と間違えてアリスへの手紙を託します。ようやく城内見学会で出会い、後日に遊園地でアリスと二人きりになったジェリーは「愛のトンネル」でアリスにキスしようとして、顔を平手打ちされてしまいます。しかしそのことで昨年会った青年ではなく本心から愛している相手はジェリーと気づいたアリスは結局、ジェリーを気に入った父のマーシュモートン伯爵のとりなしでジェリーと結ばれます。(英語版ウィキペディアより)
 ――と、少年召使いの偽手紙で伯爵令嬢が自分に惚れこんでいる、と思いこんだアステアがあの手この手で令嬢に接近を図るうちに、令嬢もアステアに恋してしまう、という他愛ない恋愛コメディなのですが、本作も伯爵家に入れてもらえないアステアを窓から令嬢のフォンテインがのぞくと、霧に包まれてアステアが「ア・フォギー・デイ」を歌っている。令嬢はアステアを家に入れるのを召使いに許す。伯爵家に入ったアステアは使用人たちと「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット(もし良い仕事にありつけば)」を陽気に歌い踊り出す、と、名曲2連発で観客をメロメロにする楽しさがあります。キスしようとしたアステアをひっぱたいて初めてアステアへの恋に気づくお嬢さまのフォンテインも好演しており、貴族気取りのかけらもない気さくなマーシュモートン伯爵役のモンタギュー・ラヴも小品ラヴ・コメディ・ミュージカルの本作ではいい雰囲気を出しています。ジョージ・バーンズとグレイシー・アレンはいかにもとってつけたような役ですが、アメリカ20世紀の好景気時代を代表する男女コメディ・コンビのバーンズとアレンの実物をこれほどたっぷり手軽に観られる映画はないので、ブレイク前のデビュー年のフォンテインのヒロイン出演作という稀少性とともに一見の価値以上のものは充分ある作品です。しかし本作は製作費103万ドルに対して興行収入146万ドルという成績に終わったそうですから、広告・興行費を差し引けば純益率はほとんどゼロに等しかったと推察され、アステアの次回作は再びロジャースとの共演作になるのです。

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