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筆者自身もおそらくくり返し観た回数がもっとも多い映画は「犬の生活」で、『チャップリン・レビュー』の巻頭作品だったからというのもありますが、何より映画自体の魅力がずば抜けている。チャップリン映画の人気投票をすると長編『キッド』'21や『黄金狂時代』'25、それこそ全長編に票が割れると思いますが、チャップリンの映画キャリアの真の分水嶺になったのはささやかな、しかし巨大な中編「犬の生活」でしょう。もし「犬の生活」がチャップリンのキャリアになかったら、と思うとチャップリン映画自体を見失ってしまうような作品だからこそ、「ささやかな、しかし巨大な」と矛盾した形容が該当するのが「犬の生活」で、それに較べれば以降のチャップリンの金字塔的作品群でさえ全作品中での比重は軽いとすら言え、前回ミューチュアル社時代のチャップリン作品をチャップリンのキャリアの中でその精製と凝縮を砂時計の漏斗部分に喩えましたが、そこから最初に落ちてきたのが「犬の生活」、次いで「担え銃」なのです。この2中編がチャップリンの全作品の重量を支える特別な地位にあるとするゆえんです。
●12月28日(金)
「犬の生活」Dog's Life (First National, '18.Apr.14)*33min, B/W, Silent : https://youtu.be/GmheyLNKYCU
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[ 作品概要 ] 一連のチャップリン映画の中でターニングポイントに位置する作品であり、チャップリンの「放浪者」、いわゆる「チャーリー」のキャラクターが完全に確立された作品とみなされている。また、異父兄のシドニー・チャップリンともこの作品で共演したが、映画で兄弟が共演するのはこれが最初だった。一方で不幸な事件(宣伝のためのスタジオ公開時、他社から企画がスパイされ問題になる)により、チャップリンが亡くなるまで維持された秘密主義が確立されたきっかけとなった作品でもある。タイトルの「A Dog's Life」は、「惨めな生活」を意味する英語の慣用句でもある。
[ あらすじ ] 放浪者(チャップリン)は職を得るために職業安定所に行くが、失業者仲間との争いに負けて職を得られなかった。その帰途、野良犬の群れにいじめられている一匹の犬を助け、「スクラップス」と名付け一緒に生活する。路地の屋台で盗み食いをしつつ生活を共にし、お金を持たず入った酒場で歌手(エドナ・パーヴァイアンス)と出会うが店を追い出される。その後、強盗(アルバート・オースティン)が紳士から盗んで埋めた財布をスクラップスが掘り当て大金を手にし、再び酒場へ。一度は財布を強盗に奪われるが二人羽織の策で取り戻し、歌手と犬と共に田舎で幸せに暮らすのだった。
――おおむねこれで間違いはないのですが、観始めてすぐに気づくのはこれまでの短編よりぐっと落ちついた映像ながら、テンポが速く、ギャグの豊富さギャグ自体が完結しているのではなく展開と密接に結びついているので加速感がすごいことで、ギャグも人目を避けての蹴りあいのような単純なものは排除されギャグ一つ一つが次のギャグに展開・拡大し一つのシークエンスを形成する、そのシークエンスが次のシークエンスに継承・発展すると、トータルなドラマ構成が「犬の生活」全編をまとめ上げている中に無数のギャグがドラマの進行上不可欠なものとして満載され、それらのギャグは無職の浮浪者チャップリンの生きるための戦いであり(シドニー・チャップリンのソーセージ屋台からソーセージを盗む、トム・ウィルソンの警官を出し抜く、ヘンリー・バーグマンらと競ってチャールズ・ライズナーらが職員の職業斡旋所で職を獲ようと奮闘する)、わびしい生活の中で見つけてゆく生活の喜び(雑種犬スクラップスとの出会い、売れずに馘首される新人歌手パーヴィアンスとの出会い)であり、犬のスクラップス(チャップリンが名づける以前に、字幕で「純血の雑種犬――スクラップス」と紹介されます)が掘り当てた大金の入った財布をめぐるスリの男二人組(オースティンとバド・ジャミソン)との財布をめぐる、パーヴィアンスと愛犬との将来をかけた闘争です。この大金の入った財布はもともとオースティンが金持ちから盗んで路地端に埋めていたので、チャップリンが手に入れたのは盗品であり愛犬が掘り当てたといっても遺失物なのですから、これをスリのオースティンとジャミソンの二人組に奪い返され再び奪い返すのも泥棒からなら強奪していい理屈になり、チャップリンもオースティンらと50歩百歩の立場なのですが、この映画のチャップリンはミューチュアル社時代までの姑息で狡猾な面も強いアナーキックな放浪者ではなく、働きたくても職がない社会の被害者として描かれています。だからスリが金持ちから盗んだ大金入り(結末でチャップリンとパーヴィアンスは田舎に農地を持ち所帯を構え、愛犬スクラップスは仔犬の母親になります)の財布をチャップリンが偶然手に入れ、泥棒から奪い返すのは宝くじにあたったようなものであれば、観客もそれを受け入れて観るので、社会の不公平の是正として自然に描かれることになります。ため息が出るほど美しい本作は世界初のチャップリン論('20年刊)の著者ルイ・デュリックが「映画史上初のトータルな芸術作品」と感嘆かつ絶讃し、おそらく翌'19年にグリフィスの『散り行く花』を含む小品長編6連作、シュトロハイムの『アルプス颪』に始まるアメリカ映画の格段な向上、ガンスの『戦争と平和(戦渦の呪い)』'19を始めとするフランス映画の刷新と興隆、カール・Th・ドライヤーの監督デビューと北欧映画の円熟への注目、フリッツ・ラングとF・W・ムルナウの監督デビューに象徴されるドイツ映画の革新が始まるのもチャップリンの「犬の生活」「担え銃」が突端を開いたと思われるのです。
また「犬の生活」はチャップリンとパーヴィアンス、愛犬との純粋な愛の映画としても際立っており、『キッド』ではすでに残酷な現実原則に引き裂かれる愛が描かれており、パーヴィアンス引退後の『黄金狂時代』や『サーカス』'27、『街の灯』'31から『ライムライト』'52でも同様で(例外的に『モダン・タイムス』'36がありますが、これは純粋な愛は人間性の喪失から対比的に描かれています)、唯一無邪気な愛の映画は晩年の余技的な遺作『伯爵夫人』'66きりとも言えるので、しかも『伯爵夫人』はチャップリン自身は監督・脚本に徹し、ソフィア・ローレンとマーロン・ブランドのカップルを描いたコメディ作品です。自分自身が出演しなくなった時ようやく「犬の生活」の無邪気さ、しかし描けるものは富裕階級の遊興譚になっていたというのも皮肉な話です。「犬の生活」の主役というべきスクラップス役の雑種犬マットはあまりにチャップリンになついたため、撮影終了後多忙なチャップリンから引き離されてノイローゼから絶食状態に陥り、翌月息を引き取ったそうで、昨2018年は「犬の生活」公開100周年であるとともにスクラップス逝去100周年でもあります。『チャップリン・レビュー』版でチャップリンが作曲しサウンドトラックにつけた音楽も素晴らしいもので、ミューチュアル社時代の短編の版権は'32年にRKO映画社に売却しても「犬の生活」以降のファースト・ナショナル社時代以降の作品の版権は手放さず、没後にも遺族に託したのは、本作からこそが自分の真の作品という自負があったからに違いありません。
●12月29日(土)
「担え銃(爆笑突撃隊、チャップリンの兵隊さん)」Shoulder Arms (First National, '18.Oct.20)*44min, B/W, Silent : https://youtu.be/cTc3iqKV2SM : https://youtu.be/aWrDsQMnnaU
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[ 作品概要 ] 公開当時、チャップリン映画史上最高の興行収入を打ち立て、また第一次世界大戦を戦った兵士の間で「チャーリーは戦場で生まれた」と言わしめるほど愛された。構想当初は戦争の喜劇化について周囲に反対されたが、喜劇と戦争という悲劇に近似性を見出していたチャップリンは製作への信念を曲げることなく製作を敢行した。一方でチャップリンは、自身がかねてから抱いていた反戦思想と大戦への協力に積極的ではないチャップリンを非難する当時の世論との板挟みとなり、製作末期に並行して作られた『公債』ともども、言われなき非難に対抗するための作品であったとも言える。戦争映画ではあるが戦死者は一人も出てこず、また巧みに自身の反戦思想を取り入れている「チャップリンの流儀による戦争映画」である。
[ あらすじ ] チャーリーは新兵教練でぎこちない動きを繰り返して練兵係軍曹に叱られっぱなし。教練が終わると、疲れたチャーリーは早速テントの中の寝台に飛び乗って眠りにつく。西部戦線に出征したチャーリーは、砲弾や狙撃弾が飛び交い、雨が降れば水がプールのように溜まる塹壕内の生活で戦友(シドニー・注目)らとともに苦楽を共にする。ある時は故郷から届いたリンバーガーチーズをドイツ側の塹壕に投げ込んで恐慌に陥らせ、またある時は敵陣への突撃の際にたった一人で13人のドイツ将兵を「包囲して」捕虜とした。やがてチャーリーは戦友とともに危険な斥候任務に志願して、敵の勢力地域内へ潜入する。戦友は運悪くドイツ兵に見つかって銃殺されそうになるが、木に化けていたチャーリーが助けに入ってドイツ兵を翻弄する。ドイツ兵の追跡を逃れるさ中、チャーリーは荒廃した自宅にたたずむフランス娘(エドナ・パーヴァイアンス)を助けて一緒に一軒の家屋に逃げ込む。そこに戦線視察中のドイツ皇帝(シドニー二役)一行が到着。チャーリーは助けたフランス娘や、再び捕まって連行されてきた戦友と謀ってドイツ兵に化け、ドイツ皇帝一行をそっくり捕虜として味方の根拠地に連行、味方に大いに賞賛された。……しかし、西部戦線での出来事はすべてチャーリーが見た夢であり、チャーリーは戦友たちにたたき起こされて目を覚ますのであった。
――本作はチャップリンが徴兵逃れをしている(チャップリンはイギリス国籍なので帰国すると徴兵義務がありましたが、実際には帰国せずとも書類審査で身長・体重不足により不合格となっていました)、反戦主義者である(実際そうでしたが)という非難をかわすための作品としての性格も持つので、映画の後半は案外風刺の手を緩めた英雄譚になっています。またチャップリンは徴兵前は子沢山の家庭の亭主なのが映画冒頭のシークエンスで撮影されましたが、これは完成作品からはカットされ、DVD『チャップリン短編集』の特典映像にそのシークエンスが収録されています。しかしチャップリンは戦友たちに故郷から手紙が届くがチャップリンには手紙が来ない、というシーンの方を生かしたので、これはやはり所帯持ちではない孤独なチャップリンの方が効いています。映画前半は塹壕掘り、馬鹿馬鹿しい訓練、水浸しの宿舎と悲惨かつ滑稽を極めた場面が連続し、本作公開の翌11月に大戦は終結しますが、そのタイミングの良さがなければ本作は後半のヒロイックな展開・夢オチという収拾にもかかわらずもっと根本的な反戦主義的側面が問題視されたかもしれません。戦争には威厳も道義もなく、本作でも後半はそうなるように真の勇気や信念、決断が迫られる時もあるでしょうが、それは戦争ではない普段の人生でもあるのは言うまでもありませんし、それゆえ夢オチで締めくくられるまでもなく後半の武勇伝は兵隊ごっこのような馬鹿馬鹿しさが漂うのです。本作をもっとも理解し、愛したのは虚脱感を抱えて生還してきた帰還兵だちだったと言われます。本作の精神を継承した映画(必ずしも喜劇でなく)が多く作られ、むしろ主流を占めるようにすらなるのは、さらに露骨な政略戦争によって多大な犠牲者を出した第2次世界大戦後になるのです。