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映画日記2018年11月29日~30日/サイレント時代のドイツ映画(11)

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 11月に観てきたサイレント時代のドイツ映画も今回の2本で感想文はおしまいになりました。サイレント時代のドイツ映画にはプロレタリア映画の古典『クラウゼ小母さんの幸福』'29(ピール・ユッツィ監督)や、ソヴィエト映画界からスタッフ、キャストをベルリンに招いて独ソ合作で製作された『生ける屍』'29(フィオードル・オシェブ監督、キネマ旬報ベストテン第5位、'18年のロベルト・ヴィーネ脚本作のリメイク)など、サイレント時代のぎりぎり末期でもまだまだ重要作があり、しかも今回はルビッチは入れず、中堅級ゆえに主流派とも言えるヴィーネ、グルーネやデュポン、巨匠ランクのラングやムルナウの作品も1~数本ずつしか入れなかったのですから、戦前日本で評判を取った話題作中心のこのセレクトはほんの上澄みでしかありません。ルビッチを断念し、ラングは出世作以前にとどめ、ムルナウは泣く泣く『吸血鬼ノスフェラトゥ』と『最後の人』に絞ったのにパプストから4本選ぶことになったのは、ルビッチの渡米と入れ替わってドイツ映画界の大家になったのがラングなら、バウル・レニとムルナウの渡米を埋めて重要な監督になったのがパプストと見えるからで、ラング自身は表現主義の映画監督にとどまらないにせよ'20年代前半のドイツ映画がドイツ芸術文化全般の傾向でもあった表現主義時代だったなら、'20年代後半にはドイツ芸術文化はノイエ・ザカリヒハイト(New Objectivity、新即物主義)の提唱が実行された時代であり、ルットマンのような映像実験の作家よりもドイツ映画の第1世代のメロドラマ監督ヨーエ・マイやマイの系譜を継ぐループ・ピックの『除夜の悲劇』'24、またノイエ・ザカリヒハイト派映画の究極とも言えるパプストの諸作やパプスト映画の美術スタッフであるエルネ・メッツナーの実録風短編「警察調書 暴行」'29の方がはるかに現在でも観るに耐えるので、時代の風雪に耐える映画というのも数世代経ってみないとわからないところがあります。ドイツ版『イントレランス』'16と言えるヨーエ・マイの『ヴェリタス』'18-'19三部作は現在顧みられませんが、『イントレランス』(グリフィス)と『シヴィリゼーション』'16(インス)からラングの『死滅の谷』'21やドライヤー『サタンの書の数頁』'21を橋渡しする位置にある『ヴェリタス』が今後映画史の里程標的作品と再評価される可能性は十分にあり、ルビッチ、ラングやムルナウからパプストとたどるのではなくリヒャルト・オズヴァルトやヨーエ・マイ中心のサイレント時代のドイツ映画史という観点だって今後の研究次第では生まれてくるかもしれない。過去の映画だって観る人がいる限りは生き物なのです。今回観直した作品はごく一部にすぎませんが必見級の重要作ばかりではあり、日本映画もドイツに劣らず発達を遂げていたのは現在観られるごく一部の作品でも明らかなので、日本映画はドイツ映画とはまた異なる輝きが誇れるとはいえ、映画輸出国だったドイツ映画の残存状況は日本映画の保存状況からは羨望にたえません。前回の『パンドラの箱』『アスファルト』同様、最後の2本になる今回の『淪落の女の日記』『日曜日の人々』も極上の2本で、ドイツならずともサイレント時代の終焉期に製作された、もっとも素晴らしい映画に入ります。またこのあたりになると演出や映像感覚は'30年代半ば以降のサウンド・トーキー作品がようやく追いついたのと同じ(つまりサイレント映画ではすでに到達していた水準の)洗練された映画になっているので、サイレント映画を観慣れない方にも違和感なくご覧いただけるものになっています。またこの2作はスタッフ、キャストとも意外なところで現代映画と直結しているので、その点でも外せない作品です。感想文ではそのあたりもなるべく言及するように心がけました。

●11月29日(木)
『淪落の女の日記』Tagebuch einer Verlorenen (監=G・W・パプスト、Union-Film'29.10.15)*109min, B/W, Silent; 日本公開昭和5年(1930年)4月(110分版) : https://youtu.be/Ogxge5Tezyo

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 この映画は同一の原作小説から'18年5月5日公開のリヒャルト・オズヴァルト(1880-1963)監督・脚本で最初の映画化があり、そこではエルナ・モレナ、ヴェルナー・クラウス、コンラート・ファイトが主要キャストでした。クラウスとファイトはラインハルト劇団の先輩後輩で、ファイトは監督オズヴァルトと組んで独立プロを起こした演劇出身の映画俳優です。オズヴァルトは第1回でご紹介した映画史上初の同性愛問題映画『他人とは違って』'19(ファイト主演作)の監督であり、『淪落の女の日記』のオズヴァルト版『ディーダ・イプセンの日記』(ヒロインの名前が違います)は未見ですが、ヨーエ・マイと並ぶドイツ第1世代のオズヴァルトは啓蒙意図をこめた作風のようで、ワイマール時代以前のオズヴァルト作品中でもハイライトと言える社会抗議的な映画だったそうです。今回この作品は2001年のKino-Lober社版のレストア版DVDで再見しました。本作の戦前の日本公開時の評判を伝える文献では、筈見恒夫氏の『映画作品辞典』'54には『パンドラの箱』の項目に「なおパプストはブルックスを主演に続けて同年『淪落の女の日記』を作った」と言及し、田中純一郎氏の『日本映画発達史』'57では作品名は上げずこの時期のパプスト作品が注目されたのを伝えている程度で、ヨーエ・マイの『アスファルト』(昭和5年1月日本公開)がキネマ旬報ベストテン1位、『帰郷』(昭和5年4月日本公開)が3位(2位はプドフキン『アジアの嵐』)の同年に2月日本公開の『パンドラの箱』と4月日本公開の本作は名作とほまれこそ高けれど、人気はどうだったか。昭和5年のキネマ旬報ベストテンは外国映画、日本映画ともベスト3のみの発表で、そういう変則的なことになったのは外国映画が発声映画(トーキー)部門と無声映画(サイレント)部門に分かれていたからですが、'80年代後半の日本ではルイーズ・ブルックス(1906-1985)の逝去の数年前に刊行された自伝が話題になったことから小説家の大岡昇平氏が熱烈な讃辞と、ブルックス自身の自伝を筆頭とする文献からブルックス研究のエッセイを集中的に発表し(『ルイズ・ブルックスと「ルル」』'84、中央公論社)、そのあとすぐブルックスが逝去したこともあって、改めてパプストによるブルックス2作に脚光が当たる現象がありました。また本作はブルックスに次ぐヒロインに、メジャー配給の長編映画の出演は本作がデビュー作となるナチス政権下の呪われたヒロイン、ジビレ・シュミッツがまるでシュミッツ自身の生涯を予告するような役柄で出演していることでも特筆されます。本作も、例によって日本初公開時のキネマ旬報近着外国映画紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「パンドラの箱」「死の銀嶺」につづくG・W・パブスト氏の監督作品で主演者は「パンドラの箱」と同じくルイズ・ブルックス嬢、原作はマルガレーテ・ベーメ女史の小説でルドルフ・レオンハルト氏が脚色の筆をとり、ハインツ・ランヅマン氏指揮のもとに「死の銀嶺」のゼップ・アルガイヤー氏が撮影を担任している。助演者は「懐かしの巴里」のフリッツ・ラスプ氏、「ヴィナス」のアンドレ・ロアンヌ氏、ヨゼフ・ロヴェンスキー氏、アーノルド・コルフ氏、エディット・マインハルト嬢等。(無声)
[ あらすじ ] 薬局店の一人娘ティミアン(ルイズ・ブルックス)の神聖な堅信礼の日に何が起ったか。薬局店経営者の父ヘニング(ヨゼフ・ロヴェンスキー)のために身重とさせられた家政婦エリーザベト(ジビレ・シュミッツ)は家を出て帰って来た時は既に屍となっていた。入れ替って雇われた新しい家政婦メータ(フランツィスカ・キンツ)の眼は陰険に光り、薬剤師助手メイネルト(フリッツ・ラスプ)の毒牙はその混乱に乗じてティミアンに迫った。一年後ティミアンが父なし児を生んだ時親族会議はその嬰児を産婆の許に預け彼女を感化院に送る。あとには家政婦のメータが主婦気取りで残った。感化院は無慈悲な院長夫妻(アンドルース・エンゲルマン、ヴァレスカ・ゲルト)の下、ひとを感化するよりは虐待する所だった。ティミアンは売春婦をしていたエリカ(エディット・マインハルト)とそこを脱出する。彼女が我が子を預けた産婆の家にかけつけた時、子供の亡骸を納めた棺が室から出て行った。彼女はそこでエリカの隠れ家を頼ってそこに身を落ちつけ生活のために春をひさぐ女となる。客の一人は彼女を「魂を失った女」だと言った。偶然訪れた父親は魂を失った我が娘を見て失望した。やがて父親が死んで多少の遺産はティミアンに渡されることとなったが彼女は寡婦として取り残されたメータとその哀れな子供等のためにそれを与えてしまう。彼女を恋していた伯爵家の甥(アンドレ・ロアンヌ)は当てにしていた遺産が来ないで自分達の夢が実現出来ないのを悲しみ自殺する。彼の死からティミアンはその伯父のオスドルフ伯(アーノルド・コルフ)に引とられることになる。運命的なめぐり合わせは伯爵夫人と言う肩書をつけられたティミアンをあの感化院に、多くの貴婦人と共に連れて行く。彼女は後援者の一人となったのである。だがそこの設備や方針に大きな欠陥のあることを身を以て経験している彼女は感化院の「祝福」なるものに痛烈な反抗を爆発させたのであった。
 ――本作は『喜びなき街』'25から続いた美術監督エルネ・メッツナーとのコラボレーションの最後の作品であり、メッツナーの自主製作監督短編「警察調書 暴行」'29(4月9日公開、犯罪奨励作品として上映禁止)に主人公を誘惑する娼婦役で作中唯一の女優として映画デビューしたジビレ・シュミッツ(1909-1955)がブルックスが感化院で親友になる作中2番目のヒロイン、エリカ役で出演しています。シュミッツはドライヤーの『吸血鬼』'32で吸血鬼に狙われる姉妹の姉役を演じ、主演作にはまだナチス政権成立前のカート・シオドマクの原作・脚本作『F.P.1』'32(カール・ハートル監督)がありますが、ナチス政権成立後も国外亡命せず国策映画(ナチス基準で合格した数少ない悩殺女優として重宝されたようです)に出演し続けたため戦後にはメジャーの映画界を追われ、独立プロ系映画でほそぼそと活動しましたが、アルコール依存症に陥り、完全に映画から離れて晩年3年間を過ごしたあと'55年に薬物自殺しました。ファスビンダーの『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』'82はジビレ・シュミッツの晩年をモデルにした映画です。ファスビンダーは女性映画の監督兼俳優でもあり、政治感覚を批判され続けたインテリでしたから、政治音痴の女優シュミッツの陥ったジレンマをよく理解して共感あふれる率直な佳作に仕上げています。当然ファスビンダーは「警察調書 暴行」も本作も『吸血鬼』も観ている、というかこのくらいは映画人の基本教養ですが、シュミッツの晩年に思いめぐらせ映画化する、となるとファスビンダーという映画作家の特異性が出てくるので、ナチス政権下ではパプスト作品は頽廃芸術禁止条令で上映禁止映画でしたが、敗戦後のドイツでは東西問わずナチス政権下の作品は頽廃文化の産物と忌み嫌われたので、逆に戦後のシュミッツには全盛期の主演作が上映禁止映画にされると二転三転したので、本作の感化院の寮生、というより「女囚」から脱走して娼館の女になり、再び感化院へというシュミッツの役はノー・メイクに近い感化院での地味な制服のシュミッツ、娼館で華やかなメイクと服装のシュミッツ、再び感化院のシュミッツと鮮明にいでたちにも表されるので、鋭い眼光とあいまって戦後のロッセリーニやブレッソン、'50年代のベルイマン映画のヒロインすら連想させる現代性があります。まだ20歳のシュミッツはほとんど素人同然の演技が荒々しく、不良少女の迫力があります。ブルックスは店員に誘惑されて私生児を産み感化院送りになり、シュミッツとともに寮生たちの暴動まぎれに脱走して娼館に拾われ、親友ともども娼婦になり、やがて夫の自殺とともにその父親の老伯爵の保護下で感化院を再訪し、シュミッツと再会して院長や感化院支援婦人会に啖呵を切り、シュミッツの手を取って出ていくのですが、これはほぼ原作準拠らしく、原作は作者マルガレーテ・ベーメ(1867-1939)の実際の日記を下敷きにした日記体の自伝小説で('06刊)、'20年代末までの25年間で累計120万部の大ベスト&ロングセラーになったといいますが、パプストは結末を娼館の女将になって夜の世界で大成功するヒロイン、という脚本を指定したそうです。その脚本が検閲で不可とされたので現行の映画通りになったのですが、奇しくも帰る国のあったブルックスと、自分の生まれた国に留まりながら政治状況の二転三転で亡命者のような立場を強いられたシュミッツの、女優たち自身の運命を先取りしたような対照になり、これはパプストが『喜びなき街』でグレタ・ガルボとアスタ・ニールセンをWヒロインに、しかし別々のプロットで描いたよりも緊密に一本化したドラマ構成に成功したことにもつながりました。インパクトの強い『パンドラの箱』よりも本作にはじわじわと効いてくる毒があり、パプストの意図通りでない脚本改変があったとしてもテーマの深化ははっきりうかがえる作品になっている、と思えるのはブルックスに加えてシュミッツの存在感がものを言っていると感じられるからです。『吸血鬼』『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』をご覧の方は、本作もご覧いただけたら幸いです。

●11月30日(金)
『日曜日の人々』Menschen am Sonntag (監=ロベルト・シオドマク/エドガー・G・ウルマー、Filmstudio=Stiftung Deutsche Kinemathek'30.2.4)*74min, B/W, Silent; 日本未公開 : https://youtu.be/1hg_vL6lQ6I

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 昔はこんなサイレント終焉期のドイツのインディー映画が家庭で手軽に観られるようになるとは思いもよらず、自主上映会の類いのスケジュール表を調べる時には常に念頭に置き、上映されるたびに一期一会の思いで眼に焼きつけてきたものです。ドイツのサイレント時代の映画は一握りの著名監督・著名作しか日本盤のDVDが出ていませんが、本作はのちにハリウッドでフィルム・ノワールの映画監督になるロバート・シオドマクと、ハリウッドの監督ではあれメジャー作品は『カーネギー・ホール』'47ほか数本で、インディー映画でイディッシュ語(ユダヤ語)映画やウクライナ語映画、オール黒人キャスト映画など少数民族向け映画を撮り、メロドラマからサスペンス映画、怪奇映画、アクション映画、SF映画まで何でもごされ、しかも作風はむちゃくちゃチープで不条理なので'50年代には戦後のインディー映画運動の監督たちからカルト監督視された怪人監督エドガー・G・ウルマーの、ドイツ時代の共同監督による両者ともに長編映画処女作という話題性からウルマー作品のボックスセットと単体発売で2014年に日本盤発売が実現し、今回再見したのは2001年のBritish Film Institute版レストアDVDですが、アヴァンの解説タイトルによると本作の2,000フィートのオリジナル・プリントは失われており、オランダのフィルムセンター所蔵の現存する世界最長版の1,600フィート版に世界各国のフィルムセンター所蔵の欠落部分、シナリオから起こした字幕タイトルを補って1,800フィート・73分まで復原したそうです。2,000フィートのオリジナル全長版だったら82分なので、サイレント末期のインディペンデントの自主製作映画としては比較的恵まれた作品と言えますし、画質の良好さは'60年代のB/W映画にも引けをとらない素晴らしい映像が堪能できます。1929年夏(湖の水浴シーンがあります)のある日曜の一日を5人の素人俳優が実名・実際の職業で登場し、主人公たちのピクニックを中心にベルリン市街と郊外の全体の休日の模様を描いた本作は『佰林=新世界交響楽』'27を継ぎ、ソヴィエトの『カメラを持った男』'29の影響(『カメラを持った男』にいたるまでのジガ・ヴェルトフの影響)を受けて、DVD解説ブックレットでは「ルノワールの『トニ』'35、『ピクニック』'36(公開'46)の先駆をなす作品」とまで称揚されており、前述の通りにのちにアメリカ映画界で大成するロバート・シオドマク(1900-1973)、エドガー・G・ウルマー(1904-1972)共作の処女作でもあれば、共同脚本にロバートの弟のカート・シオドマク(1902-2000『狼男』'42、『ドノヴァンの脳髄』'53)とビリー・ワイルダー、撮影が巨匠オイゲン・シュフタン(1893-1977、『ニーベルンゲン』'24、『メトロポリス』'27、『ナポレオン』'27)なら撮影助手にフレッド・ジンネマンと、ワイルダーとジンネマンについては言うまでもないでしょうし、トーキー時代にもフランス映画からハリウッド映画まで数々の名作を生み出したシュフタンの業績たるやマルセル・カルネの『霧の波止場』'38、アストリュックの『恋ざんげ』'53、ウルマーのインディー映画『奇妙な女』'46、ロバート・ロッセン晩年の2大傑作『ハスラー』'61、『リリス』'64まで驚くべきほどです。シュフタンが『メトロポリス』で開発した、大小大きさの違うセット・大道具・小道具を撮影距離と焦点深度の調整で一つの実景に見えるように撮影するテクニックは'30年代以降には「シュフタン・システム」として全世界の映画カメラマンの課題となり、映画好きの人には生まれ変わったらヒッチコックになりたかったりゴダールになりたかったり、俳優や脚本家の名前も上がるでしょうが、カメラマンならビリー・ビッツァーと同じくらいシュフタンに生まれたかった自主映画出身の人はいるのではないでしょうか。そういう具合に本作は生みの親たちが凄すぎて、スタッフ名ばかりを眺めているとまるで内容が浮かんで来ませんが、20代後半の若い監督コンビが自主映画で作ったみずみずしい名作で、しかも監督コンビ始めスタッフが一流揃いですから低予算映画のみすぼらしさは微塵もなく、欠落シーンはあってもプリントの鮮明さはつい昨日撮られたB/W映画のようで、映画に青春の香りがする点ではジャン・ヴィゴを思わせます。本作は日本未公開なのでキネマ旬報のデータベースにも日本盤DVD発売時の短いインフォメーションしか載っていません。解説の前置き「低予算早撮り映画の天才~」は余計な紹介なので、本作はこれが処女作の若い映画監督コンビによる無限の可能性を感じさせる作品で、それが才能あるスタッフが結集することができたドイツ映画のサイレント時代ぎりぎりの最後の時期に作られ、公開されたのは、本作が映画史上にもいくつかある奇跡の作品の一つであって、個人的な才能以上の何かが生み出した一回限りの天然の現象にも見えるのです。一応、キネマ旬報の映画データベースから本作の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ] 低予算早撮り映画の天才、エドガー・G・ウルマー監督によるドラマ。世界恐慌直前のベルリンを舞台に、タクシー運転手とモデルの妻、レコード屋の店員、ワインの行商人、映画のエキストラという5人の、ある日曜日の姿をドキュメンタリータッチで描く。2014年4月4日DVD発売。【スタッフ&キャスト】監督=ロバート・シオドマク、エドガー・G・ウルマー/撮影=オイゲン・シュフタン/出演=ブリジッド・ボルヒェルト、ヴォルフガンク・ヴォン・ウォルターハウゼン
 ――たぶんこれだけでは誰も予想できない世界をこの映画は見せてくれます。よく引き合いに出される『伯林=大都会交響楽』や『カメラを持った男』、また本作に直接影響を受けたと思われるジャン・ヴィゴの「ニースについて」'31も実は本作に似ておらず、また悲劇の一日を描いたドイツの無字幕映画とも似ていません。二人の若い女性、一応青年の範囲に入る三人の男性の素人俳優が、実名と実際の職業で登場し、ある夏の日曜ピクニックに行くまでのいきさつと日曜当日が描かれ、人物たちには感情の近寄りや食い違いも生じますが、楽しい休日を楽しんで帰宅するまでが描かれます。最後のシーンは映画冒頭のベルリンの街並みに戻ります。 タイトル字幕「そして、月曜日」「……仕事に戻って」毎日の挽歌に戻って」「……四人」「……百万人」「……待っている」「……次の日曜日を」が人々の映像にシャッフルされて映画は終わります。本作をルノワールの『ピクニック』に比較するのは自然な連想ですが(『トニ』は素人俳優によるロケーション映画ですが、痴情悲劇なのでルノワール作品でも『牝犬』'32や『獣人』'38の系譜にあるでしょう)、『ピクニック』はシナリオ全編を撮影完了できずに製作中断し、10年経った戦後に撮影済みシーンだけで編集完成・公開してしまった(ルノワールは撮影済みシーン紛失のために残ったリールだけで編集完成・公開してしまった怪作ミステリー映画『十字路の夜』'32という前例もありましたが)本来は長編になるはずだった中編映画で、その偶然のために(『十字路の夜』同様)通常の劇映画のバランス感覚とは異なる名作になった面が多分にあります。『日曜日の人々』は画期的な傑作なので各国語版ウィキペディアなどには詳細なプロットの分析、キャラクター分析が解説されていますが、そうした研究に見合うだけの中味の詰まった作品であるとともに、素朴にベルリンの庶民の中のごく身近な人物たちの、誰もが過ごすような日曜の行楽を描いて喜劇でも悲劇でもない反ドラマ的な劇映画をどれだけ人生の実感を伝える映画が作れるか挑んで完璧な成功を収めた作品であり、分析的研究はあとからついてくるものです。この感覚が本作を特に青春を謳ったものではないのに青年の感性のみずみずしさのみなぎる映画にしていて、趣向として似ている先行作品にはチャップリンの中編『一日の行楽』'19が思い出されますし、ドラマが起こりそうで未然に自然に防がれるデリュックの『さすらいの女』'23がありましたが、チャップリン作品はコメディですしデリュック作品は限りなくドラマ要素を稀薄にしたメロドラマで、『日曜日の人々』ほどドキュメンタリー的側面の強い反ドラマ的劇映画は、最初から人生的側面を削いだ映像実験映画『伯林=大都会交響楽』や社会活動の諸側面に大胆な映画的視点で認識の革新を意図した『カメラを持った男』よりもっと人間くさく、登場人物を描く視点の暖かさで実験臭はほとんど感じさせない映画になっている。これは単なる日常映画でもなく人生のささやかな喜びの一日をきちんと描き、おそらくいつの時代の西洋文化圏のどの国の観客が観てもしみじみとした哀歓に心打たれ、それが映画各所で点景される子供から老人にいたる'29年のベルリンの400万人市民全体の庶民感情がまるごと観客の心に染みるものになっている。この素晴らしい映画でドイツのサイレント時代の映画をしめくくれたのは本当に喜ばしく、ラング、ムルナウ、パプストら大手腕の監督の代表作ですら『日曜日の人々』の登場によって実現した日常的充実によって旧来型の劇映画の枠組みにとどまる、とすら言えるのです。ルノワール、ヴィゴ、ネオレアリズモ、ブレッソン、ジャック・タチ、そしてヌーヴェル・ヴァーグ/ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグまで『日曜日の人々』はすでに射程にとらえた作品であり、それは本作の作者たちにも予期しなかったと思われる。奇跡の作品と呼ぶに相応しいのは、まさにそこです。

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